070208

相馬勝著 「北朝鮮最終殲滅計画」

 講談社+α新書(2006年2月)


何やら恐ろしいハードボイルド風の恐怖小説かと思わせる題名だ。著者相馬勝氏は長く産経新聞の中国担当記者であった、1992年と1998年に米国に留学して東アジア問題を研究した。今は産経新聞外信部勤務だそうだ。序章は「日本に核が撃ち込まれる日」というセンセーショナルな始まりである。この本が書かれたときは2005年2月北朝鮮が「核爆弾保有宣言」をして急に北朝鮮の核問題が現実味を帯びてきた矢先のことである。その後2006年9月ついに北朝鮮は核実験(失敗と見られる)を実施し国連安保理事会は北朝鮮非難を決議し、米日を初めとする経済封鎖処置が始まった。核のみならず1998年にはノドンミサイルが日本の上空を通過して太平洋に落ちる事件が発生して日本中がパニックに陥った。その経験から本書は書かれている。

本書が書かれたいきさつは、著者が留学中に入手した米国国防省の二つの文書を入手し、米国の対北朝鮮軍事戦略を知るに至ったことである。その二つの文書とは<国防省発行 「Operational Plan 5027」と「軍事作戦教本」である。「Operational Plan 5027」は韓国や日本外務省にも通知されている文章で特に極秘ではない。「軍事作戦教本」は駐韓米軍の教科書である。これらを著者は興奮して軍事機密文書といっているが、そんな文書は情報公開制度の完備した米国では誰でも入手できる文書である。本当に軍事機密文書ならどうして一留学生に供与されるのか。そしてそれをとがめられずに日本に持ち帰ることが出来るのか。まあそんなことはどうでもいいのだが、著者はこの文書を読んで次のように感じたといっている。「もう米軍は北朝鮮との戦争を躊躇していない。イラクと同じように本気で北朝鮮の金正日政権をこの地上から消滅させる気だ、先制核攻撃を行う可能性もある」というぐあいに、大変威勢のいい話だ。これも米国の脅かし戦術かもしれない。脅かしの宣伝に著者が使われた可能性のほうが高い。その証拠に米国は北を攻撃する気配は全く感じられない。イラクの時のようなブッシュUの猛り狂った威勢のいい進軍ラッパは到底聞こえてこない。むしろ北朝鮮に鼻面を引きずり回され騙され続けるとんまな米国政府という感じしか受けない。ようするに軍事戦略と面子だけでは米国政府は動かないのだ。戦争の見返りつまりイラク・イランにおける石油資源利権が存在しなければ先制攻撃をかける気もしない。メリットがなくリスクが大きすぎるのだ。中国・米国からは「騙されてやるから、何とかおとなしくして頂戴」というお願いしか見えてこない。

本書を読んで私が感じることは、本書には戦争の政治的・経済的側面が抜けていることである。恐怖による軍事的戦略のみで書かれている。恐らく北朝鮮が侵攻しても1950年の第1次朝鮮戦争のようには国際情勢は中ソが支援する体制にはない。最大の鍵を握る中国の関与をどう見るのか。ロシアは中立を守るだろうが中国は北への義勇軍を派遣する状況にあるのかという情勢分析が無い。そして北朝鮮軍の凄まじいばかりの攻撃能力を恐怖心を煽るように書いているが、生きるシーラカンス軍隊といわれ旧型ソ連兵器や飛行機を未だに使用し近代化されていない軍隊の攻撃力は正確に評価すればどのくらいなのか不明だ。さらに北朝鮮の国民の疲弊・飢餓状態からして戦争遂行能力はあるのだろうか。戦争は兵站輸送能力ともいわれロジステックで戦闘能力が決まる。北にそんな物資が存在しているのか、後方の輸送能力が破壊されたら南方の旧日本軍みたいに全滅するだけではないか。結局北朝鮮軍は中国国境の山でのゲリラ戦に終始するのではないか。万が一北が核を使えば北も消滅することも自明ではないか。地獄への道連れに核を使うかどうかは戦略ではなく心理の問題だ。

しかし本書から米国のラッパと恐怖心を取り除いてかつ著者の期待も取り除いて、軍事的状況のみを冷静に見つめてみよう。

北朝鮮軍の兵力

北朝鮮はGNPの25%をしめる18億ドルの軍事費を支出し(韓国は4%)、正規軍(人民軍)は110万人、予備軍が470万人である。軍人の数だけで言えば世界第5位の軍事大国である。(日本の自衛隊は20万人)しかし北朝鮮軍が保有する武器、装備は殆どが旧ソ連軍のお下げ物か中国から購入したものである。旧ソ連武器で武装した化石(シーラカンス)軍隊と言われている。
陸軍兵力95万人、20軍団からなり、歩兵は27師団、機甲旅団15で装備は戦車3500台、火砲10400門、地対空ミサイル約1万基、地対地ミサイル約30基、ノドン、テポドン開発中。
海軍は46000人、中国製ソ連製潜水艦26基、高速ミサイル艇43隻、戦艦船約300隻、南浦に艦隊指令部
空軍11万人、作戦機584機、ヘリコプター24機、ソ連製爆撃機80機、戦闘機はソ連製で504機、輸送機300機
北朝鮮の基本的戦略は戦端が開かれてから米軍支援本体が活動できるまでの1ヶ月以内に朝鮮半島を占領することである。緒戦攻撃の主力は特殊部隊、平城守備の主力は首都防衛隊である。北朝鮮軍は現在休戦ラインの約40キロ付近に全兵力の2/3の約80万人が終結して開戦即時体制にある。北朝鮮は500基以上の長距離砲でソウルを爆撃できる。全700機の戦闘機のうち40%の300機が前線に配置されている。北朝鮮の緒戦の攻撃目標は韓国の40%の人口が集中するソウル近辺を陥落させるか火の海にすることだ。

「Operational Plan 5027」米軍の朝鮮有事の戦争計画

米国の対北朝鮮戦略を見てゆこう。1974年アジア地区紛争の軍事作戦「Operational Plan 5027」を定め、1994年からは2年に一度改定してきた。今の改訂版は第8回目の2006年度版である。第2次朝鮮戦争について、米韓は迎激戦にするか先制攻撃にするかは状況いかんによるが、基本的には米軍主力50−60万人が配置されるのは1ヶ月近くかかるので基本的には迎激戦になるだろう。状況によっては空母数隻が戦端前に配置され空爆、上陸の先制攻撃もなきにしもあらず。米韓合同軍(在韓米軍三万人、在日米軍4万人、韓国軍65万人)が最初の数週間を耐える必要がある。作戦は次の三段階に分かれる。第一段階はソウルを死守すること、第二段階は朝鮮半島全体の重要な戦略拠点を奪取すること、第三段階は米軍主力60万人ほどが揃ったところで北朝鮮へ反撃するを開始し北朝鮮軍隊と金正日政権を殲滅する。第一第二の段階では攻撃の主力は米軍爆撃機による空爆と艦船から長距離爆撃であり、守備は韓国軍陸上兵力が担う。恐らく開戦直後に、ソウルとピョンヤンは破壊し尽くされるだろう。少なくとも15日間は北朝鮮軍の侵攻を持ちこたえる必要がある。でなければ米韓軍は釜山から玄界灘に落とされることになる。2000年韓国国防白書によると、朝鮮半島有事の際、米軍は韓国防衛のため69万人の兵力が派遣されると見ている。米軍は二正面戦争を想定して、朝鮮半島には海軍兵力の40%、空軍兵力の50%、海兵隊兵力の70%を注入することが可能である。

北朝鮮の核疑惑と米朝交渉の歴史

核実験をめぐる北朝鮮とアメリカの抗争を考える時、まず簡単に歴史を振り返っておこう。1948年ソ連のスターリンを後ろ盾にした金日成によって朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が樹立された。国連は同年に、李承晩を大統領とする大韓民国を承認した。1950年6月朝鮮戦争が始まった。国連軍の参加と中国義勇軍の参加で膠着し1951年7月に停戦し、1953年7月停戦協定が結ばれた。境界線として北緯38度線が固定された。 その後1968年青瓦台襲撃事件、プエブロ号事件、1976年ポプラ事件、1983年ラングーンテロ事件、1987年大韓航空爆破事件と北のテロが続いた。

 北は1980年に黒鉛減速型原子炉を建設し、ソ連の援助で軽水炉の導入検討を行うと同時に北は1985年12月核拡散防止条約に加入した。そして使用済み燃料再処理施設の疑惑がおこり1991年IAEAは特別査察を北に要求した。いよいよここからが北朝鮮の核疑惑抗争の始まりである。1991年12月韓国・北朝鮮は「朝鮮半島の非核共同宣言」に調印し、国連への同時加盟が実現した。1992年1月北はIAEAによる査察協定に調印した。ここから北の約束違反の常習化が始まる。

1993年2月IAEAと国連安保理事会は査察実施を決議したが、五月北朝鮮はノドンミサイル発射で答えた。1994年IAEAは対北援助を凍結し、米国日本は制裁措置を出したが、米国大統領クリントンはカーター特使を北に派遣し「米朝間で合意された枠組み」が1994年10月に調印された。これはクリントンの「太陽政策」といわれ援助ばら撒き政策であった。軽水炉原子炉に切り替えるためのKEDO機構を作る、毎年50万トンの重油を北に提供する、その代り北は黒鉛炉施設の凍結とIAEA査察の受け入れであった。さらに1999年長距離ミサイル発射実験凍結と引き換えに貿易投資解禁を決めた。この枠組み合意により、一旦米朝関係は蜜月時代を迎えそうに見えた。そして1998年金大中が大統領に就任すると「太陽政策」と称する贈り物外交を展開し、北は援助物質で一息ついたようだった。ところが北は査察を逃れる口実を繰り返し1998年ついに北はテポドンT号試射を行った。米国日本は制裁措置に動いたが、クリントンは2号の発射を凍結する見返りに経済制裁緩和を約束した。こうしてクリントンは北朝鮮の要求に次々と屈した。その裏で北は着々と核開発を続けていた。これが北には米朝直接交渉の甘い記憶となった。

ところが2000年ブッシュが大統領になると、対北朝鮮政策を見直し一挙に強硬路線に転じた。慌てたのは北朝鮮であった。ブッシュは金大中の政策の見直しを要求した。2001年7月北の中東へのミサイル輸出を禁止するとしたが実効はなく、9.11テロ後はブッシュは北、イラン、イラクを「悪の枢軸」と名指しで非難し、金正日体制の孤立圧殺に向けてはっきり動き出した。同年12月北工作船と日本保安庁の銃撃戦があり、2002年6月ワールドサッカー戦中に起きた黄海交戦があった。2002年8月拉致家族問題解決のため小泉首相が平壌入りし、「日朝平壌宣言」が結ばれ、正常化の後に核問題解決と資金協力経済協力というお土産を小泉首相は約束した。拉致家族五人の帰国問題で又北への不信観は増大した。

2002年10月米国のケリー長官が北の核疑惑を正すために訪朝しいよいよ疑惑が増大し、11月KEDOは重油供給凍結を決定した。同年12月北はIAEA査察官に国外撤去を求めた。2003年1月のIAEA決議にも北は無視し、核拡散防止条約から脱退した。以降は皆さんご存知の通りで、脅しとペテンと罠を繰り返し、2006年10月核実験を強行した。 このように北朝鮮は最初から守るつもりのない条約を結んで破っては、見返りに援助を要求する手を繰り返した


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