書評 061128

黒田勝弘著 「日本離れできない韓国」

 文春文庫(2006年7月)


韓国人が読んだらきっと怒り出す本

著者黒田勝弘氏は共同通信社ソウル支局長から産経新聞ソウル支局長兼論説委員とずっとソウル暮らしの韓国通。2005年日韓関係報道で菊池寛賞を受賞した、韓国の裏表を知った人だ。近年の盧武鉉大統領は反日三点セットで急に韓国の民族主義運動に火をつけたかと思うと、金大中元大統領の太陽政策を受け継いで民族融和政策で北への武装解除を行うなど韓国の民族主義政策の中心人物で日本にとっては厄介な人物だ。戦後生まれの民族のスター気取りだ。この背景には当然日韓関係の歴史が横たわり、黒田勝弘氏は本書でその日韓関係の裏表をときほぐしてくれる。ただ朝日新聞、岩波新書などの左翼系メディアになれた人には産経新聞や文藝春秋社のような右翼系メディアの論点は過激なのでご注意を。要するに自分の頭で考えて、どちらの論点も鵜呑みにしていけないということです

著者の論点の第一は韓国(広く朝鮮といって良い)が日本を「恨」(ハン)の一字で非難するのは1945年の日本植民地からの開放の仕方に問題があったということである。これは日本に問題があったということではなく韓国の主体性のことである。即ち日本は連合軍に降伏したのであって韓国に降伏したのではない。歴史的にみて日本は日露戦争で覇権をロシアと争い朝鮮を併合したのであって、韓国と戦争したことは一度もなかった。1948年南に進駐した米軍が大観民国を、北に進駐したソ連が朝鮮民主主義人民共和国を誕生させ子の分断は今日まで続いている。日本が朝鮮分断の主たる責任ではなく戦後の冷戦構造が分断の原因となったわけである。ベトナムやインドネシア、インドなど被植民地はそれなりに自力で開放独立を獲得したという実感があった。そのためか過去の被害をいつまでも言い募ることはなかった。しかし韓国の場合、自力で開放が出来なかったという歴史的事実がへの憤懣が何時までも過去へのこだわりになっている。まして靖国問題にこだわる理由はないはずである。なぜなら極東軍事裁判は日本の戦争犯罪行為を裁いたのであって、日本の朝鮮植民地支配を断罪したものではなかった。欧米列強も植民地支配をしてきたのだから裁けるわけがなかった。中国は抗日戦争を戦ったのだから靖国問題にコミットする理由はあるが、韓国は日本軍国主義と戦争したことは一度もないのだから戦争犯罪者を裁ける位置にはいなかった。韓国は「抵抗」はしたであろうが「独立戦争」はなかった。この歴史的「恨」が爆発するのがサッカーなど日本とのスポーツ試合であったり、「独島(竹島)」だったりするわけである。海鳥のねぐらに過ぎない岩礁を要塞化したり、近海の海洋調査に異常に興奮するのはこれが民族主義高揚の象徴にするためである。その反面金大中元大統領(1998-2003年)の太陽政策以来、国防白書から「北朝鮮は主たる敵」が削除された。(参考のため、竹島は1905年の日露講和条約において日本に編入されたものであって、朝鮮侵略戦争で強奪したものではない。)結局歴史的流れで言えば、日露戦争で日本が辛くも勝利したので朝鮮半島の支配権ををロシアに承認させ、それが1912年の朝鮮併合につながった。

又韓国は何時も日本に贖罪を求めるが、本当のことは1965年の日韓国交正常化で日本が過去保障を個人補償とすることを提案したが、韓国の朴大統領が国家補償を求めて妥結したものである。朴大統領は個人に金を払うより国家が金を受け取りそれを国家の近代化のインフラへ生かす方針を採った。実はその方針が見事に韓国を近代化させ大躍進の源になった。韓国がいつも「日本は十分に償っていない」と愚痴めいたことを言うのは、自身の国是を忘れたようだ。個人の補償は(慰安婦問題など)韓国政府に求めるべきことなのである。

朝鮮の南北格差は歴然として、韓国は世界10位のGDPを誇り北に比べると実に15倍以上となり北は今や最貧国に陥っている。朝鮮併合以来日本は北を工業地域として近代化を進めた。その遺産がソ連を経て金日成の継承され朝鮮戦争準備を可能にした。ところが韓国ではアメリカ・日本の経済援助により国家の近代化が進められた。政治的には軍部独裁政権が続いた(李承晩、朴正熙、全斗喚、盧泰愚)が、開発独裁といわれる朴正熙大統領が日本からの国家補償金を国家近代化のインフラ整備に用いて経済基盤整備を行った。この北の金日成と南の朴正熙の政策の違いが決定的な南北格差をもたらした。金日成のやり方については関川夏央著 「世界とはいやなものである」 に詳述下ので繰り返さない。繰り返すのも嫌になる陰鬱なものだ。

1973年金大中氏が東京で拉致され韓国へ送還される事件が勃発した。同じ頃北による日本人拉致事件が頻発していた、両事件ともに明らかな国家主権侵害である。そして近年の教科書検定採用問題への韓国の介入のしかたは内政干渉そのものである。意識ある国家ならこんな無理無体は言わない。これらの朝鮮人の行動の根は、朝鮮併合時代の遺物をいまだに利用しているといえる。つまりに日韓関係を国内問題と見ているようだ。韓国も拉致問題の被害者のはずだが一向に北を非難しないのは同一民族に拉致は存在しないという論理である。

2005年は韓国にとって開放60周年と日韓国交正常化40周年であった。「友情の年」として各種のイベントが行われ日本では韓流ブームが起きていたにもかかわらず、盧武鉉大統領は「独島」、「靖国」、「教科書」の反日三点セットを持ち出し政府主導の反日運動が展開された。盧武鉉大統領の竹島領有権の放棄、首相の靖国参拝中止、歴史教科書書き換え要求を外交的に要求し、要求が受けられないなら首脳会談は拒否するという極端な戦術である。日本文化の拒否(言葉狩りや日本映画・本の制限など)も同時に展開した。盧武鉉大統領は対日友好よりも対日強硬路線で愛国運動のヒーロになりたいようだ。それほど韓国の世論が左傾化しているようだ。従って北には無防備をさらけ出し、6カ国協議では北をかばい援助の手を差し出そうとしきりである。国連決議も無視して援助をしたようだ。

日本の歴史にとって朝鮮半島とは何だったのだろうか。昔百済を滅ぼした新羅唐連合軍に「白村江の戦い」にやぶれ朝鮮戦略を放棄した。北への脅威と中国文明への引き込まれを警戒して平安時代には鎖国制度によって日本文化の爛熟を招来した。鎌倉時代には高麗に手引きされた元寇に大いに衝撃を受けかろうじて撃退した。これは日本人の北への恐怖感を決定つけた。「北の脅威は朝鮮半島を経由してやってくる」ということだ。室町・安土桃山時代には中国との貿易が盛んになったが、同時にキリスト文明の浸透を恐れた江戸幕府は再び鎖国に傾いた。明治時代には朝鮮半島をめぐるロシア、清国との支配権をめぐって日清戦争と日露戦争に勝った日本は朝鮮を併合した。安全地帯を朝鮮半島に設けたいというのが狙いだった。そこで止めておけば良かったのに、豊臣秀吉の花見気分で中国まで侵入したのは旧日本軍部の戦略的失敗であった。教訓は「大陸に深く入るな。海洋国家の分を忘れるな」ということだ。


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