書評 061125

玄侑宗久著 「般若心経」   

 ちくま新書(2006年9月)


「合理的知性を超えたもうひとつの全体性の中の命の喜び」を分るとはどういうことか

「般若心経」とは手軽な長さのお経で万人に口ずさまれてきた、非常に親しみのある仏教のお経である。まずは般若心経262文字と読みを下に記す。お経の漢字でひらがなで書いた字はIMEパッドでは漢字は存在するがプラウズで?となり表示不能である。ご了承ください。私のHTMLソフトに問題がありそうだ。

観自在菩薩 (かんじざいぼさつ) 行深般若波羅蜜多時 (ぎょうしんはんにゃはらみたじ) 照見五蘊皆空 (しょうけんごうんかいくう) 度一切苦厄 (どいっさいく) 舎利子 (しゃりし) 色不異色 (しきふいしき) 色即是空 (しきそくぜくう) 空即是色 (くうそくぜしき) 受想行識亦復如是 (じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ) 舎利子 (しゃりし) 是諸法空相 (ぜしょうほうくうそう) 不生不滅 (ふしょうふめつ) 不垢不浄 (ふくふじょう) 不増不減 (ふぞうふげん) 是故空中 (ぜこくうちゅう) 無色 (むしき) 無受想行識 (むじゅそうぎょうしき) 無眼耳鼻舌身意 (むげんにびぜつしんい) 無色声香味触法 (むしきしょうこうみそくほう) 無眼界 (むげんかい) 乃至無意識界 (ないしむいしきかい) 無無明 (むむみょう) 亦無無明尽 (やくむむみょうじん) 乃至無老死 (ないしむろうし) 亦無老死尽 (やくむろうしじん) 無苦集滅道 (むくしゅうめつどう) 無智亦無得 (むちやくむとく) 以無所得故 (いむしょとくこ) 菩提薩た (ぼだいさった) 依般若波羅蜜多時 (えはんにゃはらみったこ) 心無けい礙 (しんむけいげ) 無けい礙故 (むけいげこ) 無有恐怖 (むうくな) 厭離一切顛倒夢想 (おんりいっさいてんとうむそう) 究竟涅槃 (くきょうねはん) 三世諸仏 (さんぜしょぶつ) 依般若波羅蜜多故 (えはんにゃはらみったこ) 得阿耨多羅三藐三菩提 (とくあのくたらさんみゃくさんぼだい) 故知般若波羅蜜多 (こちはんにゃはらみった) 是大神咒(ぜだいじんしゅ) 是大明咒 (ぜだいみょうしゅ) 是無上咒 (ぜむじょうしゅ) 是無等等咒 (ぜむとうどうしゅ) 能除一切苦 (のうじょいっさいく) 真実不虚 (しんじつふこ) 故説般若波羅蜜多咒 (こせつはんにゃはらみったしゅ) 即説咒曰 (そくせつしゅわつ) 羯諦 羯諦 (ぎゃてい ぎゃてい) 波羅羯諦 (はらぎゃてい) 波羅僧羯諦 (はらそうぎゃてい) 菩提薩婆訶 (ぼじそわか) 般若心経 (はんにゃしんぎょう)

私はこの書評コーナーで柳澤桂子著 「生きて死ぬ智慧」という本を紹介したが、この本も門外漢(別に蔑称ではない、いわば坊主ではないということ)が書いた般若心経の本である。本書は京都臨済宗天竜寺で学び妙心寺派の禅僧である玄侑宗久氏の著作である。説かれる内容は似たようなものであるのでもはや繰り返さないが、私はこの本から二つの発見をした。(般若心経の哲学的意味については柳澤桂子著 「生きて死ぬ智慧」の書評を参照して欲しい)

1) 日本人が導入した仏教は中国仏教であり老荘思想で解釈した仏陀思想である。所謂無の思想である。東洋思想ともてはやされる考えである。ちなみに般若心経全文の字数262文字のなかに、「無」という字が21、「空」という字」が6、「不」という字が8文字ある。中国人は仏教を老荘思想で解釈したが、日本人は仏典を古代インド文字から考えたことがあるのだろうか。中国仏教ははたして仏陀の教えなのだろうかという疑問は残る。
2) 般若心経中に漢字に翻訳されていない箇所が三つある。
般若波羅蜜多
阿耨多羅三藐三菩提
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶

この部分は古代インド文字(サンスクリット文字以前)でそれなりに翻訳されているのだが、本書ではこの部分をヴェーダ(呪文)といっている。浄土宗で「ナムアミダブ」をとなえれば浄土へ行けるというのと同じことだ。仏教徒は響きのままに唱えれば全体性の中に生命の喜びを感じるらしい。私には無理であるが。


随筆・雑感・書評に戻る   ホームに戻る
inserted by FC2 system