書評 061013

橘木俊詔 「格差社会」 何が問題なのか
 岩波新書(2006年9月 初版)


格差社会の進行とその処方箋



 著者橘木俊詔氏は海外での研究員や政府機関の研究員を経て、現在京都大学経済研究科教授である。著書には同じ岩波新書に「日本の経済格差」、「家計から見る日本経済」を、、又共著で「日本の貧困研究」を著しておられる。つまり貧乏の研究者である。京都大学の大先輩で同じ貧乏の研究で有名な経済学者で河上肇氏がいた。河上肇はマルクス経済学者で戦前活躍した人である。経済学者では支配者につく研究者が殆どだが、なかには貧乏人につく研究者もいるのだなと気を強くした。京都大学経済学部は昔からそうした傾向があった。本書は小泉前首相が「格差はどこの社会にもある。格差は悪いことではない。妬んではいけない」といた趣旨の答弁を国会で行ったことへの痛烈な批判に始まった。格差が何処の社会にでもあることと居直ることは違う。是正すべきか拡大すべきかは重要な社会政策である。小泉氏は端無くも「金持ちを優遇し貧しい人を切り捨てる」政策を曝露したことになる。
 1970年代は高度経済成長期で一億総中流化といわれた。1980年代に入ると経済成長は鈍化し国民総収入(パイ)が減少し始め、限られたパイを奪い合う情況(剰余の再配分問題)になって所謂格差社会へ突入した。それはレーガン・サッチャー・中曽根という世界の指導者が新保守主義(新自由主義)を旗印に、規制緩和・小さい政府を目指して福祉の圧迫政策を取ったためである。さて格差社会は望ましい社会であろうか。日本のお偉方は六本木ヒルズ族というIT・金融・投資で大金を掴む若者を賛美したかと思うと、方針を変え逮捕して圧迫を加えた。あまりに倫理性に欠いた拝金主義ははたして経済を良くするのだろうか。
経済は自然科学ではないので、所謂政策(社会設計方針)によって良くも悪くもなる極めて人為的要素大きい分野である。現在の社会は成り行きではなく、過去の政策の結果で存在している。従って貧乏人を増やすのも金持ちをさらに優遇するのも政策の結果である。若者よあきらめてはいけない。あなたが貧しいのはそういう風に仕組まれているからだ。そのからくりを暴いて誰が甘い汁を吸っているか知ることだ。働く意欲がないのではなく奪われているのだ。 橘木俊詔先生は、この辺を世界の統計データを元に実に分りやすく説明され処方箋まで用意された。さてそれを見てみよう。

1: 現状の社会は格差社会なのか

格差をどのような数値から検証するかというと、現在の政府統計データではあらゆる日本人を対象にしているという点で「所得再分配調査」が一番信頼性が高い。(他には「家計調査」、「全国消費者実態調査」、「賃金構造基本調査」があるが、対象母集団のかたより、調査頻度などで不満足) つぎに格差の定義であるが「ジニ係数」なるものが使われる。税引き前の所得を「再分配前所得」といい、税引き後の所得を「再分配後所得」という。税というものは社会の公平を保つために高額所得者からは多く集め、低所得者からは少なく集めるもので税引き後の所得差が小さいほどその社会は平等とみなされる。しかるに再分配後所得のジミ係数は1990年からじわじわ上昇し不平等は広がっている。OECD調査によると世界で、日本はイギリス・米国並にジミ係数は高く不平等の高い社会になった。新保守主義国の特徴である。生活保護受給人数も上昇し80万人(1995年)から140万人になった。貯蓄を持たない世帯数は1990年には10%(1995年)から2005年には23%に増えた。自己破産申し立て数も3万人(1995年)から20万人(2,005年)に、ホームレスの人数も東京都で3000人(1995年)から5,000人(2,005年)に増えた。平均的所得の50%以下を貧困者と定義するOECD調査によると、貧困者率は日本は15.3%、米国は17.1%(2004年)と世界の5位以内に入っている。
著者は格差が進行した四つの要因を考えている。長期不況と失業、雇用形態の変化、所得分配システム(賃金と税・保険料)の変容、構造改革が要因だとする。日本経済は1990年のバブル崩壊から十五年ほど長期の不況にあえいでいる。失業者は2%(1990年)から4.5%(2003年)に増えた。最近不況から企業は立ち直りつつあり失業率も4%ぐらいになったが、失業者は高齢者に多い。企業は人件費を抑えるためと景気によって簡単に首を切るため雇用を非正規雇用(パート、派遣、請負)に切り替えた。正規雇用者を1とすると6,7割が非正規雇用者である。雇用が極めて不安定であると同時に賃金が正規雇用者の半分に満たないし保険にも入っていない。賃金の企業間格差と個人間格差、都市と地方間格差も進行した。最高所得税率が70%(1986年)から37%(1997年)に下がり高額所得者は優遇されている。社会保険は定額であるので高額所得者はますます優遇されます。金持ちは当然だというが、これが再配分後所得の不平等を助長している。新保守主義の構造改革は経済効率を上げるために市場原理の活用(規制緩和)と減税による企業活性化と福祉の切り捨てを特徴とする。こうして構造改革は不良債権の処理、地方公共事業の削減を行って一定の成果を上げた。その結果現在の日本の格差がどうなったかを次に検証する。

2: 格差社会はどのように進行しているのか

日本の格差社会の様相をみると、66歳以上の高齢者の貧困が著しい事が分る。ついで25歳以下の若者である。貧困層をみると世帯別では母子世帯と高齢単身者である。これは離婚の増加と核家族化によるものであろう。そして70歳以上の高齢者には無年金者が多いことも特徴である。若者の貧困率が高いのは日本の不景気によるものである。フリーターの平均年収は140万円である。
最低賃金はOECD9カ国の中では日本は3番目に低い。東京の最低賃金は12万円で生活保護支給額は16万円で最低賃金のほうが生活保護制度による支給額より低くなっている。これが厚生労働省という同じ役所がやっている矛盾です。この低所得労働者には非正規労働者とくに女性のパートタイマー、若者のかなりの数は最低賃金以下の賃金で働いている現実がある。
一方、富裕層では高額納税者(年3000万円以上の納税者、一億円以上の所得者)は会社経営者(創業者)と開業医である。サラリーマン経営者と労働者との格差はそれほど大きくはないが、いまやIT企業の創業者の収入は大きい。又村上ファンドのように、株や資産運用によって儲け、海外に拠点を置くことで日本の税逃れが流行している。これらの傾向が進めば日本の産業を支えてきた大企業や医療技術を支えてきた大病院の人材が空洞化するおそれがある。
失業率、有効求人倍率、県民所得の地域格差も進行している。企業好調を謳歌しているのが東海(名古屋圏)北陸3県であるが、沖縄、大阪、九州、四国は苦しい。なぜかくも地域格差が生じたのだろうか。それは構造改革により公共事業が削減されたからである。両輪主義のケインズの経済から効率至上主義の新自由主義経済を目指したためである。「無駄な公共事業の削減」とは実は市民が言い出したのではなく政府・メディアもお膳書きだったのである。景気調整役の公共事業がなくなったためである。効率至上主義からすると福祉・教育も効果のはっきりしない分野だとして削減対象である。国家の支援を受けられるのは産業のみである。
機会の均等が失われつつある。特に教育関係では、私立の中高一貫進学校の躍進により公立高校の地盤低下が著しく、有名大学に合格できるのは所得の高い親の子弟に限定されつつある。東大生の親の所得がお坊ちゃん大学慶応生の親の所得より高くなっている。そして上層ホワイトカラーの子弟は上層ホワイトカラーへ行くことができ、そうでない階層の子弟は親の階層を脱出できないでいる。これを社会の非開放性の進行という。また二世、三世の議員が多いのは皆さんご存知のはずだ。つまり社会の閉鎖性(上層の貴族化)の進行である。そして相変わらず女性の教育、就職、昇進の機会平等は阻まれている。

3: 格差社会のマイナス面をどう是正するのか。その処方箋は。

このまま格差が進行するとどのような弊害を生むのだろうか。「経済効率と社会公平性はトレードオフの関係にある」とよく言われるが、高所得者をさらに優遇して経済効率が上昇するだろうか。経済には「収穫逓減の法則」があって、効果要因を刺戟するとあるところまでは上昇するがしだいに効果は逓減する。トレードオフの関係は何処までも成立わけではい。
貧困者の増大は社会にとって経済効率の低下につながる。労働意欲の減退である。また失業者の増大、犯罪の増加、貧困者救済負担の増加、倫理性の低下があって、社会として貧困者を増やすことは決して得策ではない。米国の犯罪社会を見れば分る。社会保険特に健康保険は日本が世界に誇りうる「皆保険制度」で、米国にような無保険制に近づいてはいけない。平均的な勤労者では到底入れないような高額な老人介護施設しかなかったら、あなたは自宅でひとりで死にますか。現在ニート(若年無業者)は60万人を越えています。フリーターは200万人を越えています。彼らは新貧困層を形成する可能性があります。このままにしておいてよいのですか。
社会階層の固定化(閉塞化)を放置しておくと、将来人的資源(優秀な人材)の危機を招く畏れがあります。エスタブリッシメント(成功者)がそのまま貴族化する社会だとしだいに無能力者が増大することは必到である。(長島、野村の息子は野球では通用しなかった)プロ野球はその人の能力が問われるところなので貴族化はできない。歌舞伎・政治家の世界は直ぐ貴族化する。つまり馬鹿息子が政治家ですといって通用すれば日本国は亡びる。茶道・華道・歌舞伎が衰退しても一向構わないが。
社会格差は何処まで許容できるだろうか。選挙の一票の格差が最高裁で争われるように、社会格差も許容出来るレベルに縮小するか、下層レベルを引き上げる政策が必要ではないか。企業でも社長と社員の給料格差は小さいほうが風通しがいい。日本では大企業のサラリーマン社長では10倍くらい(社員の年俸が400万円なら社長は4000万円くらい)だといわれているが、米国では100倍だ。これでは一人の経営者のために社員のモラルが下がる。
従って、以上の格差社会のマイナス面を考えれば、「非福祉国家」「構造改革」「新自由主義」「米国型自己責任主義」の限界と弊害が見えてくる。そこで著者は欧州型の高負担・高福祉国家を目標にした格差社会の是正を提案する。
1:競争と公平の両立
2:雇用格差の是正
3:地域格差の是正、活性化策
4:教育の機会均等
5:貧困の救済
6:税制と社会保障制度改革
7:小さい政府からの脱却
本書には政策のようなことが書かれているが、ここからは学問の実証の世界ではなく、政治の世界である。であるべきだと学者が主張しても政治で行われたためしもない。実行したいなら自分が閣僚になって実行することである。詳細は書かない。後は声を上げるしかないのである。


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