書評  060409

玄侑宗久・有田秀穂対談  「脳と禅」

 大和書房(2005年5月初版)
 
セロトニン神経活性法と禅的生活

近年ストレスから来る「鬱病」、「パニック症候群」、「気分障害症候群」などという病名で心療内科や精神科を訪れる人が多くなっている。明らかに現代病(文明病)であるが、新聞などでは「心の風邪」というくらいに簡単な表現が見られるが、本人にとっては大変深刻かつ長期化する病気である。有名人では、高島忠雄、竹脇無我、小山明子、ちあきなおみなどが思い当たる。回復されて仕事に復帰されている方もいれば、いまだにおもわしくない方もおられる。きっかけはひとそれぞれで、看病疲れ、家族の死、定年、期待されすぎ、失職などなど一概には言えない。まじめで完全主義者で頑張り屋さんが多いようだ。症状の軽い場合は精神安定剤(デパスなど)で緊張感・不安感をとる対症療法でいい場合もあるが、難しい場合は抗鬱剤(セロトニン受容体再結合阻害剤SSRI)が投与される。この投薬は厄介な治療法で、治療初期には吐き気食欲減退などかえって症状が悪化し、3ヶ月くらい投与して回復期になるときに自殺願望が出る。そして症状が3ヶ月周期でシーソーのように繰り返すことがある。この鬱病の治療法としてセロトニン神経を活性化することが継続的治療に繋がるとの見地から、有田秀穂先生は呼吸法を提唱・実践され成果を上げられているようだ。この呼吸法が実は禅における座禅に通じるものがあって、禅宗僧玄侑宗久との対談がもたれた。

有田秀穂氏は現在東邦大学医学部総合生理学教授である。主な著書に「セレトニン欠乏脳」(NHK出版)、「鬱、切れをなおすトレーニング」(宝島社)など多数がある。参考までに有田先生のサイトを紹介する。
玄侑宗久氏は臨済宗妙心寺派福聚寺(福島県三春町)副住職で芥川賞受賞の小説家。著書に「禅的生活」(ちくま新書)、「水の舳先」(新潮文庫)などがある。また養老孟司氏との対談「脳と魂」(筑摩書房)もあるので、この書も脳科学関係書紹介の一環で取り上げたい。玄侑宗久の公式サイトはこちらです。

セロトニン神経活性法と呼吸法:大脳生理学者有田秀穂氏の発言から

本書の第3章:心はどこにあるか、第4章:呼吸法はなぜ脳に効果があるか、第5章:禅的生活とセロトニンの関係が有田秀穂氏の主張をよく述べていると思われるので、主としてこの3章より引用して氏の考えと大脳生理学の成果を紹介する。

セロトニン神経とは起きている時、覚醒しているときに活動していて、呼吸や運動によって活動レベルが上り大脳皮質の働きを抑制したり痛みを抑えたり姿勢をよくしたりする機能がある。つまりセロトニン神経は呼吸・咀嚼・歩行という基本的な運動に密接に関連している。セロトニン神経の細胞は脳幹にあって大脳皮質(言語・思考・意識をコントロール)、大脳辺縁系(情動をコントロール)、視床下部(本能を支配する)、海馬(記憶の呼び出し)、脳幹・脊髄などほぼ全部の脳神経に軸索(神経情報伝達のケーブル)を使って情報を送る機能がある。神経情報を伝達するのにはシナップスという神経細胞結合部において神経伝達物質を必要とする。人間には4つの重要な伝達物質がある。セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミン、アセチルコリンである。そこで4つの神経伝達物質の働きと生産細胞、伝達系をまとめる。
(1)セロトニン:脳幹にある縫線核で生産され、セロトニン神経は上に述べたほぼ全部の脳神経に情報を送り、交感神経優位の平常心(緊張・不安を取り除く)を保つ重要な役割がある。特に何をするというわけではなく過剰・異常な神経活動を抑制することである。しかしながらセロトニン活動が過剰になると夢状態の幻覚を引き起こす。LSDという幻覚剤と同じ作用である。
(2)ノルアドレナリン:脳幹にある青斑核で生産され、ノルアドレナリン神経は大脳皮質(言語・思考・意識をコントロール)、大脳辺縁系(好き嫌い快不快という情動をコントロール)、視床下部(本能を支配する)、小脳(自律的生命活動全てを支配する)に影響する。体外ストレス(危機的情報を知覚系から)・体内ストレス(窒息情況・体温低下・血圧低下など体内の危機的情報)を感知して、覚醒レベルを急速に上げたり自律神経機能にストレスを与える。覚醒、集中、不安、パニック、ストレス反応を引き起こすのである。パニック症候群はノルアドレナリン神経の過剰な働きによるものである。この過剰なパニック反応に抑制をかけるのがセロトニン神経である。
(3)ドーパミン:大脳辺縁系の腹側被蓋野で生産され、ドーパミン神経は近くの扁桃体、前頭前野に働きかけて、快感の情動回路をオンにする。報酬系ともいわれ、繰り返し行動つまりやみつきになる。誉める学習はこれを利用したものである。これが過ぎると薬物依存、アルコール依存症を引き起こす。これに抑制をかけるのがセロトニン神経である
(4)アセチルコリン:大脳辺縁系の前脳基底部で生産され、アセチルコリン神経は大脳皮質全体をコントロールする。つまり言語活動や意識をハイレベルにする働きである。この前脳基底部に障害を受けると痴呆、アルツハイマーになる。この前脳基底部に抑制をかけるのがセロトニン神経である。眠気(リラックス)とは違う「早いアルファー波」を発生して、気分をよくして大脳全体を鎮静化する働きがある。この「早いアルファー波」を発生させることが呼吸法の極意である。

普通の呼吸は横隔膜により吸う呼吸であるが、ここでいう呼吸法は腹筋収縮により吐く呼吸法(微腹圧呼吸)がポイントである。普通は5秒くらいにの周期で呼吸するが、「呼吸法」では10-15秒くらいの周期で吐くほうに重点を置いて腹筋を意識してゆっくりやる。目をつぶらないで20-30分呼吸法をおこなえば爽快な脳波「早いアルファー波」がでる。呼吸法にだけ意識を集中することが大切で、言語脳は休止させるところが禅の座禅に通じるところがある。意識をリズム運動に集中することでセロトニン神経が活性化すると言う意味では夢中になって自転車をこぐことも効果的である(現代人は運動不足なので、汗を流す意味からもこのサイクリングを薦めたい)。座禅では運動は出来ないので、イメージを描くことで言語脳を停止して呼吸に専念する。呼気側に呼吸を変えることで心の状態もかわるというのがこの「呼吸法」の主張である。先生はこの呼吸法を実践するするため3ヶ月コースを用意されている。詳しくは先生のサイトをご覧ください。最後に結論として、現代人の文明病としての鬱状態打開には、セロトニン神経を元気にしてくれるのは呼吸法だけではなく、汗水たらして生活することである。汗水たらして遊ぶことも重要だ。すなわちアウトドアー派(野外スポーツなど)に鬱はいないともいえる。

禅的生活と脳のコントロール:禅宗僧玄侑宗久氏の発言から

本書の第1章:気とはなにか、第2章:夢を見るとはどういうことか、第6章:日常生活で活かせる禅的生活が氏の主張をよく述べていると思われるので、主としてこの3章より引用して師の考えと禅の脳コントロールについて紹介する。

座禅では言語活動を休ませながら、空間認識を盛んに使うことが特徴であろう。座禅とはお釈迦さんの「瞑想」に達する達磨さんの近道の発案によるものだ。体の内部感覚を出来るだけ精緻に感じようとするわけだが、ただし言語化しない。これによって自分の体をコントロールすることが可能になる。空間認識をイメージ法とも言うが、呼吸において喫水線の上下を明確に意識することがおこなわれる。また半眼にして両手を同時に意識するとか、円の輪郭と中心の点を均等に意識することで言語活動を遮断することが出来る。お経を読むのが体に良いわけは、短時間に吸気してゆっくり吐きながらおき経を唱える、しかもリズムのいいインド古来の音韻の部分が気分がよいといわれる。座禅はお線香一本分(約25分)が適切だ。

座禅でセロトニンがどんどん出始めたころに「魔境」が出てもおかしくはない。気持ちいい幻覚が現れるはずだ(禅ではこれは過程に過ぎず目的としては否定する)。セロトニン神経は海馬に抑制をかけて禅で言う「前後際断」という無頓着みたいな感じをもたらす。つまり入ってくる情報に拘泥せず、絶えず流れてゆく状態を言う。(有田氏の解釈では、セロトニン神経が弱まると気になって同じことがぐるぐる頭の中を回る不安の回路から抜け出せないことだ。)

禅では意識が体をコントロールできる状態に持ってゆくために、自己暗示も必要だと説く。プラス思考、留保をおきながら良いほうに解釈する、お風呂に入ったときには「これで今日の疲れも取れてしまった」というように、意識的に体の働きを誘導することが大切である。坊さんは長生きだというのは一理ある。徹底的に個人主義だ。平常心だ。


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