書評  051230

澤口俊之著 「あぶない脳」

 ちくま新書(2004年10月初版)
 
意識が存在する脳前頭連合野は、後頭葉の知覚系、側葉頭の記憶系、頭頂葉の運動系、大脳辺縁部の感情系をコントロールする人の知性の中枢である


澤口俊之氏は北大医学研究科高次脳機能学分野教授である。ただし医者ではない。専攻は脳科学(生物学)である。本書は「あぶないデカ」をもじった「あぶない脳」となっており、一見すると精神病理学か犯罪心理学を想像してしまって、暗い世界の本かと身が引けてしまう。ところが本書はまじめな?脳科学の本である。養老先生や茂木健一郎氏らとよく似た内容(傾向)の本である。むしろ脳科学の最前線で研究されているので脳科学の知見をふんだんに取り入れ、最も私には納得が行き易い説明である。
「あぶない脳」という題に忠実に、脳が壊れたらどうなるというのは正常な脳の働きを理解した上での、刀の切り返しみたいなものである。なぜなら先生は神経精神病理学の医者ではないからだ。そんなアプローチはしていない。教育専門家でもない。したがって本書を理解する上で「あぶない脳」ということは本質ではないと思うので、私の書評では正常な脳機能のみを説明する。
本書は、いくつもの仮説から単刀直入に結論を書いてゆく文学(心理学テスト)ではなく、実験科学に限りなく近いアプローチである。人の行動の直接的因子は脳科学的な説明がつくが、生物の最終目的は「遺伝子を残す」戦略だという「落ち」にはなじめない。つまり私には進化論的目的論にはどうしてもついてゆけない。あまりに鮮やかな断定にはすぐに無数の反論がある。食料のことも考えずに膨大な人口を有するインド、中国が生物学的目的に沿っており、西欧社会のような人口減少国家は破滅的道を選択したということになるのだろうか。生活の質の向上というもっと知的な目的戦略もあっていいのではない。また自分を犠牲にしてまで種族の繁栄を図るという論理を果たして個体がとるだろうか。これは社会や文明論であって生物学の論理ではないはずだ。利己的な遺伝子とは関係のない論理だ。したがって私は本書の「行為の最終目的」は除外して考えたい。ということで私は本書から「病理」と「進化論的最終目的」は除いて解説する。最初から評論してしまって申し訳ない。まずは澤口先生の著書に従って最新脳科学の明かす脳前頭連合野の知性の働きをよくみてゆこう。

T 前頭連合野の働き・・最も人間らしい高度な機能

米国の認知心理学者ガードナーの「多重知能理論」が指摘するように、知能には言語的知能、空間的知能、論理数学的知能、音楽的知能、身体運動的知能などがあって、脳の機能単位モジュールに割り当てられる。感情についてもいくつものモジュールが存在するらしい。この多くのモジュール群からなる脳を統一するのが自我である。澤口氏はコンピュータの構成とアナロジカルに、前頭連合野の自我はオペレーションシステム(OS)、側頭葉記憶系はハードデスクHDDに、前頭連合野のワーキングメモリ機能はRAMに想定した。自我とは自分の行動を意識的に制御する「自己制御」と自分自身を意識する「自己意識」の2つ重要な働きがある。ワーキングメモリの働きは長期記憶を呼び出して組み合わせ、行動や計画を導くことである。こうして自分自身の現在の情況は感覚情報を処理し操作し「自己意識」が生まれる。ワーキングメモリの脳内位置は大脳新皮質前頭連合野にあり、多数の入力情報がこの領域に集まっておりしかるべき処理(選択、保持整理、統合、目的情報の生成)をして出力情報(制御行動)を送り出す機能を持つ、いわばCPU(中央演算処理デバイス)である。他の脳領域では殆どの場合単機能情報しか扱わない。例えば形情報は下側頭連合野、空間情報は後部頭頂連合野)などなどである。そこからさらに高次なセレンディピティ選択と創造性が生み出される。

U 幸福感を誘起する脳内物質セロトニンは大脳辺縁系と前頭連合野に作用する

大脳辺縁系は感情システムを受け持つが、前頭連合野は大脳辺縁系から情報を受けつつその活動をコントロールする。幸福脳内物質セレトニンが大脳辺縁系と前頭連合野に作用して幸福感が得られる。逆にセレトニンが不足すると不安感や絶望感が続くことになる。鬱病の薬にSSRI(ルボックスなど)がありセレトニン濃度を高めることが治療目的である。幸福感は性関連行動や冒険心にはなくてはならない報酬系を作るものである。これがなければ、人は前向きな行動にはでられない。

V 「心の理論」は人類の心の中核

認知心理学の重要概念である「心の理論」は、他者の心を理解し(推測し、感情導入)、他人の立場で考えることができる人類に固有のすばらしい能力のことである。「心の理論」は自我と他人の関係構築に必須の要素であり、かつ前頭連合野の働きによる。養老先生は脳の肥大化が言語を生み出したというが、澤口先生は言語の獲得が引き金になって脳は爆発的に拡大したという説をとるようだ。使うことで肥大化することは筋肉と同じことでこの説にも一理あるようだ。それはさておき澤口先生は「言語の役割にはコミュニケーションの手段としての側面はあるが、より本質な機能は対象をシンボル化して操作することつまり思考し理解することにある。これが言語の本質だ」と喝破される。言語による他者の心の理解(心の理論)が私達人類の心の中核である。また前頭連合野の生後の発達は良好な社会環境に恵まれて12歳ごろまでに終了する。なお言語機能の発達の臨界期は8歳までである。この臨界期の生育環境に問題があると、欠陥人間が発生する。これがいわゆる「あぶない脳」である。社会的理性は社会の中でうまく生きるために自分の感情や行動を適切にコントロールする働きをいう。

W 働くこと、宗教は人の属性。高齢になると結晶性知能が高まる。

私達ヒトは自分と家族の糧を得るために働く(なんて当たり前のことをいう)。澤口先生はその究極的目的は自分の遺伝子を残すためであるという。鶏を殺すに牛刀を用いるが如き、大業な言い方だ。そのとおりなのであえて反対はしまい。
ところで面白いことを先生は言われる「ヒトの大きな特徴は幼稚性にある(ネオテニー)。脳をいつまでも柔らかく保ち、好奇心旺盛な脳は変動しやすい厳しい環境に適応するのに都合がいい」。つまり私のような幼稚性の残った人間にも存在意味があることになり、大いに気持ちを強くした次第である
さらに人間の属性として霊魂を信じ、神を創造して宗教を作ったことが養老先生の持論でもある。それは必ず来る死を怖れずに迎えるという実利と、いつまでも生きたいという高度なヒトの想像力のなせる業である。
赤瀬川氏が言い出した「老人力」に相当する「結晶性知能」とは豊富な知識、経験(記憶)を結集して適切な答えを出す知恵のことである。年老いてなお高まる脳機能があるとはうれしいではないか。神経細胞ニューロンは赤ん坊の時が最大で成人では1/6に減少する。つまり使わない細胞が淘汰されるわけである。ニューロンは年とともに減少するが、訓練によって、ヒトによっては、前頭連合野は逆に大きくなることもあるそうだ。記憶を司さどる海馬も増加するようである。それには有酸素運動が効果的だと(思い切りテレビのようないい加減なネタではない)もいわれる。うれしいね。


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