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河野稠果著 「人口学への招待」

 中公新書(2007年8月)

人口学は人口減少と少子・高齢化をどこまで解明したのか。

2005年から始まった日本の人口減少は、100年後には人口は半減すると予測される。欧州に端を発し、いまや世界の半分の国で少子化が進行している。急速な人口減少が社会問題化するなか、人口減少は日本の将来にとって良いことなのか、懸念すべきことなのかは、賛否両論があって決着を見たわけではないが、政府は少子化問題担当大臣を設けて人口減少を食止める策を講じている。人口爆発に対する人類の危機感が人口増加の抑止力として働いているのか、限られた資源で少人口で豊かな生活を維持したいのか理由は色々考えられる。この人口減少と云う世界的潮流に棹をさすことが可能なのかどうかは別にして、戦前の「産めよ増やせよ」という論調に嫌悪感を持つ人は多い。人口が増え続けることで日本国家の活力・国力・経済力・安全保障・軍事力が維持されるといった「自転車操業」的な考えが今の政府にありありと見える。何時までも右上がり志向は経済ではありえないことは実証済みではなかったのか。アメリカのように何時までも覇権国家でありたいと願うことは、他の国にとってえらい迷惑なことである。人口学はかってヒットラーの優生学や民族政策に利用された経験から、近年まで胡散臭い学問と考えられていた。しかし近い将来の人口推計には確実な数値を与える人口学の力はすごい。しかしまだ社会経済動向や社会行動心理学などを人口理論に組み込んで計算することはできない。

今回紹介する河野稠果著 「人口学への招待」では、人口学と云う学問を前面に出し、人口減少・少子化・高齢化と云う歴然たる現実を理論的に説明しようとする姿勢である。人口学の現時点の成果と限界がわかるように工夫されている。本論に入る前に、著者河野稠果(しげみ)氏の紹介をする。氏は米国留学(社会学)を終えた後、1958年厚生省人口問題研究所に入所し、10年ほど国連で人口問題専門官を経験して、78年再び厚生省人口問題研究所に復帰した。93年同研究所を退職して、麗澤大学教授に就任し06年退任した。文字通り厚生省人口問題一筋の専門家である。恐らくは政府の少子化対策など政策の要にいたと思われ、本書は政府の人口問題の見解を代表しているであろう。本書の特徴は、「人口学の理論を踏まえて、近年の少子化の原因・背景を読み解き、人口減少の正しい理解と洞察を深めるところにある。」と著者は云う。

人口学の基礎ー人口変動三要因と生命表

人口が減少することは良いことか憂うべきことかの議論は最後に行うとして、まずは人口学の基礎と人口学上の事実をしっかり把握しておこう。1965年ー1970年の間、世界人口は年率2.0%の増加率を示していた。当時は「人口爆発」と言われた。人口が年に2%増え続けるとしたら、人口が現在の2倍になるのに何年かかか。ln2/ln1.02 =35年である。ところが日本では1956年ごろから少子化傾向がすすみ、近年の死亡率を勘案して人口置き換え水準(生死がバランスして人口が維持される)である合計特殊出生率(15歳から49歳の女性の年齢別出生率を合計したもの)は2.07人であるが、1974年に2.05人を切り、2005年は史上最低の1.26人となった。(欧州全体の平均合計特殊出生率は1.40である)少子化は日本のみならず東アジアでも進行し、韓国1.08、台湾1.12、香港0.97、シンガポール1.24である。今や人口問題とは、少子化、高齢化、人口減少の三現象となった。人口学とは狭義には「形式人口学」をいい「人口の数、分布、構造、変化を問題とする統計的研究分析が中心」、広義には「人口現象と他の社会、経済、政治的現象などの要因との関係の調査研究」も含める。

さて人口学の基礎は「人口変動要因の三要素」として、出生・死亡・移動を考える。その中で結論的には日本での転入・転出の移動は差し引きが小さいので本書では考察しない。出生と死亡の二つが重要で、一般に出生と死亡の格差の僅かな違いが、長い期間で総人口の大きな差となるのが人口現象の特色である。次に重要なのが人口構造すなわち男女と年齢別構造などの属性である。人口構造の属性には男女・年齢・配偶関係・教育程度・人種・労働力状態・産業職業・居住地域などである。人口構造で典型的なものは男女別の年齢構成である。普通「人口ピラミッド」と呼ぶが、縦軸に年齢を横軸に人口数を示した。現在ではピラミッド型はしていない。1950年にはピラミッド型であったが、2005年には中太りの団塊ピークが二つある兜型、2050には下絞り上太りの壺型になるだろうと予測されている。年齢構成では人口高齢化である。65歳以上の老人人口比率が10%を超えると高齢化社会と云う。日本で老人人口比率が10%を超えたのが1990年である。2005年の今では20%となり、2050年には40%になると予測される。何人の労働人口(15歳から64歳)で一人の老人を養うかと云う扶養係数は1990年で5.8人、2005年で3.3人であった。人口変動の最大の要因は出生率の変化で、死亡率の変化の影響は少ないとされる。しかしあるレベルまでの医学水準に達する過程で、乳幼児死亡率の減少が平均寿命の伸長につながった。そして高齢化の最大要因は出生率の低下による。過去50年の日本のように、合計特殊出生率が2.1以下に低下しても、死亡率がそれ以上に低下すれば人口は寧ろ増加すると云うメカニズムが働いた。

「人口変動要因の三要素」のうち一番基本的で計算しやすいのが死亡である。出生は社会的・経済的諸要素の影響を受けやすいが、死亡は純粋に生物学的に決定されるからである(戦争、流行性疾病などのかく乱因子はあるが)。人口学は実に英国のグラントが1662年に近代的生命表(死亡表)を作成したのに始まる。生命表は人口現象の最も基本的なモデルである。生命表は厚生労働省統計情報部で発行している。ちなみに平成十七年度の生命表は「http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/08/dl/s0807-3b.pdf」で見ることが出来る。私もかっては生命表の読み方が出来なかったが、本書で生命表が読めるようになった。それだけでも本書を読んだ価値はあった。人口は封鎖人口の状況にあって移動はなく、人口は死亡によってのみ減少すると云う原理で年代死亡確率を与えられると非常に分りやすい。一切の曖昧さもなく確定できる見事な理論である。多少確立論の知識は必要である。図表なしには生命表は理解できないので、この読書ノートでは残念ながら省略する。年齢区分ごとに死亡確率が与えられ、生存数は0歳児10万人を基数としてその減少を計算するのである。 死亡数は生存数に死亡確率をかけて求める。次の年齢区分の生存数は前の年齢区分の生存数ー死亡数で計算する。こうして全年齢区分での生存数は逐次計算される。年齢区分を横軸にして生存数をプロットすると生存数曲線が得られる。この生存数曲線の各年齢区分ごとの面積とその年齢以降の生存曲線の面積を定常人口といい、全年齢の合計面積が生存総延べ年数である。平均余命とは生存総延べ年数を10万人で割った数値である。2005年の女性生命表では0歳児の平均余命は85.49歳、男子は78.53歳である。しかし誤解されやすいのは、平均寿命は0歳児の平均余命であるが、既に成人している人或いは老人はもっと長生きするのである。例えば女性で今60歳の人の平均余命は27.62歳すなわち87.62歳までと予測される。

生命表は人口推計になくてはならのもので、コーホート要因法(世代の生残率)で利用される。たとえば生存数曲線で40歳から44歳の生存延べ年数で45歳から49歳までの生存延べ年数(年齢区分の生存曲線の面積)を割った比がその世代の生残率である。生命表から得られた生残率を前回の国勢調査人口に掛けると5年後の期待人口が出る。5年後の国勢調査人口と期待人口の差が純移動人口となる。東京では若い人の移動(流入)人口があるが、他の年齢では流出しているのである。日本の平均寿命は増加している。いまや世界一の長寿国になった。老人はいわゆる成人病(ガン、脳血管損傷、心臓疾患)で60%が死亡する。加えて免疫力低下による肺炎による死亡もある。平均寿命の伸長は個人の生活水準(収入)に比例すると云う意見もあるが、相関は収入による寄与は25%に過ぎなかった。医療や保険といった社会システム、教育水準や衛生・栄養知識の普及と云うソフトインフラ効果が75%以上と云う結果であった。

少子化と人口転換論ー出生率・死亡率の低下とその要因

合計特殊出生率は先に説明した通りであるが、より大雑把には総出生率という指標もある。1年間に生まれた出生数を15歳から49歳の女性の総数で割った数値である。日本人女性の年齢別出生率曲線は1930年は20歳から40歳までなだらかなお椀型であったが、1970年には26歳ごろにピークを持つ鋭い峰型に変り、2005年には山自体が低くなって30歳でピークを持つ山形になった。1930年代は自然出生力に近い確率であるが、近年は子供を生まなくなってきていることと高齢出産が明白である。2000年の合計特殊出産率は1.37で、女児を生んだ数を女性数で割った総再生産率は0.666であった。これは子供を生む女性の数が再生される場合を1(1対1の「人口置き替え水準」)として66%である。置き替え水準は現代の日本では児童の死亡率を考慮すると合計特殊出生率が2.1程度である。日本では1975年以降2.1をきった。日本における出産の遅れは、主として結婚の遅れによる。更に遅れると結婚そのものの機会が失われ、出産数もさらに減少するだろう。出生率が低下すれば子供の数が少なくなり相対的に高齢化するのは自明である。女性の平均寿命が80歳以上になると高齢人口比率を25%以下に抑えるには総再生産率を0.8以上にする必要がある。今は0.66である。高齢人口比率を10%以下にするには総再生産率を1.5以上にする必要がある。すべて現状では出来ない相談かもしれない。

近代的人口転換以前の途上国の人口動態は多産多死であり、人口分布はピラミッド型で安定していた。日本は既に1974年から今日まで30余年間、合計特殊出生率は2.1以下で人口置き換え水準を割っていた。にもかかわらず死亡率が更に下回り人口は緩やかに増加し続けたのである。しかし遂に2005年に初めて人口が減少した。このタイムラグを人口増加モメンタム(力学の運動量保存に模して)という。1995年ごろから日本の人口増加加速度は減少に転じた。したがって今いかなる出生率向上策を講じたとしても(効果あるとは思えないが)、このマイナス加速度(今生きている人はどうしょうもないから)が反転してどこかでバランスが取れるとしてもトータル50年以上後の世のことである。

過去の人口の劇的変化、つまり多産多死の状況から,多産中死を経て、少産少死にいたる出生率と死亡率の劇的転換を「人口転換」と呼んでいる。人口転換は人口学では数少ない(淋しいが)大理論である。米国のノートシュタインはこの現象が他の国でも繰り返されることを示唆したが、もっと大きく早い速度で進行した。世界の人口爆発がそれである。日本の人口転換を見ると、一貫して粗出生率が粗死亡率よりも高い人口増加傾向である。明治維新以来1920年まで、粗出生率はほぼ一定であるが粗死亡率は緩やかに低下し、1920年以降粗出生率は、大恐慌や太平洋戦争で激しい上下を繰り返して戦後は一気に低下した。1960年から1975年まで粗出生率は一定であったが、1975年以降再度一気に低下した。一方粗死亡率は戦後一気に低下したが1950年からはほぼ一定である。この1960年から1975年まで日本の人口増加率は1%を超えて、先進国では珍しい大規模な人口増加となった。この時期が産業界では高度経済成長期に当り、経済成長には人口の増加が必要と言う短絡的な見解が生まれる理由のひとつとなった。そしてついに2005年には粗死亡率と粗出生率が一致した。

なぜ人口転換が生じたのかというと、それは死亡率の低下である。科学の進歩で衛生面の進歩が、生産力の向上で栄養状態の改善がなされ、西欧のような目に見えた裕福さはなくとも死亡率は大いに減少しそれが人口増加をもたらした。日本では戦後の経済発展、生活水準の向上、都市化、核家族化などで子供を育てるコストが急速に上昇したため、出生率の低下となった。戦後は出生率も死亡率も急速に低下した。しかし出生率の低下と死亡率の低下には相関は認めても直接の関係はないはずで、別に社会経済的な要因を求めなければならない。子供を持つことのコストベネフィットを考察しなければならないが、費用は比較的計算しやすいが、ベネフィット(利益)は抽象的でいつも数値計算は出来ない場合が多い。合計特殊出生率と実質国民所得(一人当たり)には負の相関が認められる。「貧乏人の子沢山」とか「開発は最高の避妊薬」とか俗に言われるのはこのことである。しかし出生抑制力を定量的に説明することは出来なかった。そこで考えられたのが「第二の人口転換論」である。1980年以降、人口置き換え水準を突き抜けて出生率が低下し、永続的に人口が減少する状況を説明するのが第二の人口転換論で、脱工業化社会における価値観の変換に重点をおく考えである。女性の社会進出、効果の確実な経口避妊薬ピルの普及、ジェンダー「性別役割革命」などである。

出生力要因と結婚の人口学ー生物行動的近接要因

人口学では出生力の要因として、一つは人間の生殖をめぐる生物的・行動的要因を「近接要因」と呼び、二つはその背景にある「社会経済的環境的変数」要因である。この章では出生力に直接つながる「近接要因」を取り上げる。死亡は生物的要因で決まるが、出生の過程は死亡と異なり、人間の意志的要素が加わって行われるのである。したがってさまざまな影響を受けやすい。人間は生物学的には妊娠をしている期間と母乳保育期間は受胎しない。したがって最低1年半ぐらいのサイクルで女性は15歳くらいから49歳ごろまで子供を生むことは理論上可能である。伝統的途上国社会が20歳から40歳まではそのタイプである。日本では30歳前後で二人生んで終了と云うパターンである。受精しても20%くらいは流産となるし、生涯不妊率は5%くらいはある。又避妊薬の開発で避妊が100%確実になった。日本人は性的行為が少なすぎるとかセックスレス夫婦が増えているとか、出生力抑制因子が多い。

日本人は殆ど結婚を通じて出産をする。結婚をしたカップルの出生率は安定している。すると過去25年の出生率の低下は男女が結婚をしなくなったからだと言える。日本人の晩婚・非婚は男性の場合1980年から始まり、女性の場合1990年から始まった。2005年時点での30歳から34歳の未婚率は男性で47%、女性で32%である。初婚年齢は男性で平均30歳、女性は28歳である。ベッカーの理論では先進国の晩婚・未婚化は、結婚のもたらす経済的利益が減少したことである。国連でも結婚要因モデルとして、社会的要因、人口学的要因、結婚規範、個人的要因、結婚市場を挙げている。男性の結婚相手の選択幅(年齢や条件)は狭く、女性の選択幅は広いといわれる。このミスマッチが男性結婚率の低下につながっている。結婚市場としての「見合い結婚」、「社内結婚」、「恋愛結婚」、「地縁結婚」が減少し「友縁結婚」、「紹介業結婚」に移ってきているといわれる。この男女の出会い機会が狭くなっている事も重大である。晩婚化は受胎年齢・リスクの上昇となり、子供を生まないと決意する夫婦も多くなっている。「Two Income No Children」という子供なしで夫婦共稼ぎで豊かな生活というのも新人類の理想かもしれない。

出生率低下と社会経済的要因

現在の少子化問題を考えるには、社会経済の発展がなぜ出生率の低下になるのか理解しなければならない。社会経済的な出生力理論では、人口転換理論のほかに、五つの仮説がある。
1)合理的選択ー新古典派経済学的アプローチ
子供を持つコストベネフィット原理から経済合理性の枠内で説明する仮説である。新家政学派とも言われる。途上国から先進国の転換過程をよく説明するようだ。子供を生むことで働く機会を失う「機会費用」、「時間の経済学」で議論される。この考えは先進国の少子化対策の根拠となっている。子供の養育コストの引き下げ・補助、女性の育児と就業の両立援助などである。しかし「機会費用」などを定量化することが困難である。心理的、社会的圧力は定量化できないのである。
2)総体的所得仮説
夫婦の世代が子供時代に置かれた経済状況と将来の生活の見通しとの比較が、家族計画を決定すると云う論である。相対的なコーホート規模(世代)での経済生活の落差が子供を生むことへの不安、安心を決めると云う。出生力決定要因モデルがいろいろ構築されたが、過去を説明しても将来の予測にならないことがわかった。
3)リスク回避論
現状では将来が不透明で良く分からないために、そのようなリスクは負いたくないので産み控える。リスク回避の行動が晩婚化・非婚化、晩産化につながると云う。政策としては「母親に優しい社会」を整備することになる。
4)価値観の変化と低出生率規範の伝播・拡散論
第二の人口転換論では、個人の権利の獲得と自己実現が最も重要な価値として強調される。もはや親は子供の犠牲になる必要はないと云う価値観が共通の社会構造間で伝達し広まることが急速な少子化につながったと云う論を、英国・米国・オーストラリアのアングロサクソン族の共通認識から説明した論である。しかし価値観の伝達が主要な要因とはいえない。
5)ジェンダー間不公平論
伝統的な家族制度と男女間分業制が残っている国ほど出生率が低いと云う論である。女性が自由と権利を主張すれば、女性は結婚を忌避し、結婚しても子供を生まない傾向になると云う。自由な女性像が確立している北西ヨーロッパではそれ以外の欧州各国と比べて合計特殊出産率が高いと云う調査結果に基づいた論である。英国,フランス、スウェーデンなど北西ヨーロッパでは合計特殊出産率が1.8ー2.0、ドイツ、イタリア、スペイン、東欧などでは合計特殊出産率は1.2−1.5であった。しかしこの見解への対応政策は一切が効果はなかった。自由とか権利意識はどうもいい加減で判定に苦しむからだ。

出生率の予測と人口推計

人口問題の解明はこれほど困難だといいながら、経済予測に比べると人口予測は精度は高い。それは変化が緩慢で人口モメンタムというタイムラグが長いからだ。中でも出生率の予測は最も難しい。何故難しいかと云うと、一つは既存の出生力理論の人口推定に対する応用力の不足、第二に出生率変動の基本データの不足、第三に出生率の予測に社会経済要因を組み込む難しさにある。上の五つの理論(仮説)は残念ながら定性的説明に終始しており、定量的に数値解析できるレベルではないこと、そして国勢調査で個人プライバシー保護の観点からデータをアンケートできないことで決定的データ不足になっている、最後の社会経済要因は最も予測が出来ないからだ。

将来人口推計とは、人口学で最も実用的意味を持ち、国や地方自治体の経済社会計画と関連した行財政施策決定の基礎資料となる。コーホート要因法が1976年以来国際標準となった。「コーホート出産率法」は、世代を逐次おって出産数と生残数を繰り返し計算する方法であるがここでは説明は省略する。日本の人口の行方を「国社人研」の2006年度推計より結果だけ示す。1950年から2005年までが実測であり、それ以降2055年までは推計である。合計特殊出産率は2013年まで1.213まで下がり、2055年までに僅か1.264に上がるとと仮設している。2007年より日本の人口は減少傾向になり2055年には総人口は9000万人をきる。65歳以上の高齢化人口は2040年まで上昇し、14歳までの未就業人口は一貫して減少し続ける。100年後には日本の人口は4000万人以下となる。何らかの人口抑制策を講じて2025年にもし人口置き換え水準に恢復したとしても、2080年に人口は8000万人に一定化するが、2050年に人口置き換え水準に恢復した場合は2100年に人口は6000万人で一定化する。

人口減少社会

さていよいよ本論であるが、人口減少社会は好ましいか、憂うべきことかと云う設題である。50年後は私達はもう死に絶えた比の話になる。人口がが大きくなったために帝国主義は海外に生命線を開拓しようとしたと云う人もいれば、国力大いに進行し大国日本になったと云う人もいて価値観ではどちらにでも転がる。しかし欧州の大国といわれる国の人口は5000万人から8000万人である。「過密社会日本」と云う見方をする人は人口減少社会のメリットは豊かな生活を享受できるであるという。経済力は人口に比例すると云う人々は、人口減少は経済規模の縮小、労働力不足から生活水準の低下になるという。人口減少社会歓迎論は日本社会の構造改革を行って、子供や女性に優しい社会を構築できればウエルカムと云うのである。人口増加政策賛成派といっても妙案はないのである。ドイツでは家族政策の効果はゼロに等しいと言われる。結論は出ないが、下にその議論を紹介する。

いままで人口問題は経済に密接に関係する問題として次のような書籍を読んできた。読書ノートにも紹介した。その結論を要約する。次の二書は共に人口減少を文明段階の自明の理として受け入れ、人口減少社会の設計と云う課題に取り組むのである。河野稠果著 「人口学への招待」はまだ人口減少に対して打つ手を考えようと云う論点となっている。人口学は科学なのか、経済政策学なのかどうもすっきりしない。人口学が経済政策だとして、人口増加策が30年から50年くらいかけて効を奏して人口置き換え出生率が2.05を超えたとしても、人口モーメンタム(運動量保存則)が30年以上継続するため、人口が一定のところで平衡になるには60年以上必要になる。スケールの大きな、国家百年の計である。

鬼頭 宏 「人口から読む日本の歴史」(講談社学術文庫)

鬼頭 宏氏は人類の文明の歴史を総括して、成長の限界と日本の少子化問題を次のように説明した。
大国のGNPが大きいのは規模の問題であって、人口密度で相関を求めると優位な関係は無い。したがって人口が多ければ繁栄するというのは虚構である。GNPの大きい国では出生率、死亡率はともに低く、発展途上国では出生率が高く人口増加率も高いということである。発展途上国の人口増加率は人口転換の過渡現象でいずれ都市化による文明の恩恵(被害?)を受けて先進国なみに人口減退の波に入るはずだ。経済の人口維持力より人口爆発が大きければ経済発展の足を引っ張ることになる。つまり人口は経済発展のブレーキとなる側面がある。人口が多ければ総需要が増えるというのはあまりに浅はかな見方である。企業ではリストラと称して利益を維持したまま労働人口を減少させる動きが必死である。これは当面の利益を上げて分け前を増やそうとするする経営者の欲求から来ている。地球環境問題では成長の限界を前提として、あらたなソフトランディングを模索している。1999年の世界人口は60億人、2050年には89億人と予測している。21世紀末には世界人口も日本人口も停滞を余儀なくされる。日本の少子化高齢化は一段と加速されるだろう。2025年には人口は減少に転じ、2050年に1億人になり、2100年には6700万人に減少すると予想されている。そこで少子化の功罪を見てみよう。全体として経済的社会的なマイナス面のみが宣伝されている。たしかに少子化高齢化は購買力の減退、労働人口を減少させ、従属扶養人口を増加させるため社会負担を重くするなどマイナス面は多い。少子化を否定して何とか出生率を引き上げるべきだという論者がいるが、人口減少という大きな波動を小手先の出産補助金という官僚発想で何とかなると思っているのだろうか。笑止千万である。たしかに少子高齢化は我々にとって初めての経験であるが、じたばたするような問題ではない。まして人口停滞を豊かな時代の成熟しない若者の身勝手などと非難するほうが間違っている。歴史的に見れば今まで何度も人口停滞を経験している。人口停滞は文明システムの成熟化に必ず現れる現象だといえる。現在日本で起きている人口変動は次の特徴を持っている。
少子化
長寿化
晩婚化もしくは非婚化
核家族化と高齢者単独世帯の増加
人口の都市集中
この傾向を否定し、かっての右あがり成長を夢見るものは反動と呼んでいい。むしろこの傾向を受け入れ賢明な策を講じる必要がある。

松谷明彦・藤正 巌著 「人口減少社会の設計」(中公新書 )

松谷明彦・藤正 巌氏は経済縮小の将来像として次のような見解を示す。人口の減少は経済を確実に変質させる。第1は規模の縮小すなわち経済成長の低下である。第2に生産資本ストックの減少である。第3は不況の長期化である。これらを纏めてデフレスパイラルと呼称する。
1)労働人口の減少
左の図「国民所得と労働人口予測」に示すように労働者の減少は経済成長に対してマイナスに働く(善か悪かという価値判断は別)。しかも労働人口の減少率は総人口の減少率よりも大きくなりダメージは加速される。日本の生産年齢人口(労働人口:15から65歳)の減少はすでに1996年に始まっており、経済成長率の大きな減少に連結するであろう。
2)国民総労働時間の減少
日本における労働時間の短縮は必ずしも自発的なものではなくても、ILOをはじめ世界的な労働条件の改善の流れの中で進行している。週労働時間は1990年代で日本が43時間、ドイツ38時間、米国41時間であるがこれが2030年には日本は2/31に29時間に縮小する。これも労働力減少をいっそう加速する。
3)経済成長率の低下予測
総人口減少と労働力人口減少に従って、国民所得も右肩上がりから2007年より確実に右肩下がりへ移行する。国民総所得は縮小するが国民一人当たりの所得はさほど低下しない。人口が減るからである。日本的経営は働く人にとって労働配分は少なく、それがかえって購買力の減退と不況の長期化という悪循環になっていることが分かった。国も企業も個人も金は持っているはずなの貯蓄に回り一向に世の中に出てこない。
「設備投資」には老朽化を補う更新投資は生産資本ストックが増加するわけではない。生産資本ストックが増加する設備投資を純投資という。バブル以降純投資は漸減を続け2012年からは明確に縮小になる。設備投資が縮小すると困るのは設備関連産業で、日本はその設備投資関連産業が経済に占める比率が30%を超えている。これまでの「投資が投資を呼ぶ」という構図が成立しなくなり、公共投資圧縮で土木・機械関連産業が窮地に追い込まれているのと同じ構図になる。企業は設備投資に備えて減価償却費を別途積み立てている。これは利益ではなく費用だとして税法上優遇されている。この企業の内部留保が膨大な額に上っており、設備投資が縮小すれば賃上げの資金が出来るはずなのに回ってこない。これを「貯蓄超過」という。企業は自分の手でデフレスパイラルを生んでいる。
4)拡大メカニズムの消滅
人口減少は日本経済に対して資源配分や所得配分に変更を迫るもので、その方向へ進めば「労働時間あたりの所得増大」につながる。ところがこういう改善をしないで無茶な規模拡大の景気刺激を行ったらどうなるのだろうか。経済活動の牽引力と抑制力は「人間万事塞翁が馬」のことわざのように「あざなえる縄の如く」裏表の関係にある。牽引力はすなわち抑制力に転化するのである。これがアダムスミスの古典経済学における「神の手」である。好況を予測して設備投資に走って、しばらくすると飽和を予測して生産調整・在庫調整になり設備投資を控えることの繰り返しがいわゆる経済学で言う「ストック調整」である。人口減少化の元では需要も縮小するので企業は生産能力を落として規模を縮小しなければならない。しかるに経営者は自分の任期中にやりたくないものだから決断をずるずる引き延ばす。したがって景気の底が見えてこない、不況の長期化になるのである。企業経営者が売上高や企業規模にこだわらず利益率を重視するようになれば需要動向に速やかな対応が可能になる。経済活動のトレンドが縮小へのドリフト曲線にあるならば、景気循環はその上に載った波動と考えられる。この波の振幅幅を小さく押さえ込むことが縮小経済への対応策である。この曲線は電気工学をかじったものならばすぐ分かるようにネガティブフィードバックNFB制御の問題である。経済振幅を早く押さえ込むにはダンピングファクターを小さくする必要がある。そして常に反対の制御力を働かせることが必要である。ここでへたなインフレ策を講じれば発振して機構は破壊される。


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