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福岡伸一著 「生物と無生物のあいだ」

 講談社現代新書(2007年5月)

生物の動的平衡とはなにか。遺伝子が失われても生命を維持する修復機構とは?

2007年10月8日夕刻、NHKのテレビで2007年度ノーベル生理医学賞が「ノックアウトマウス」研究者3名(米国人2名、英国人1名)に決まったと報じていた。病気の治療薬開発などにはなくてはならぬ研究ツールを提供した功績を讃えたものであろう。あるたんぱく質が欠損したために生じる疾患を治療する薬は、この遺伝子欠損マウス(ノックアウトマウス)を使って薬効を確かめるのである。勿論遺伝子の欠損がどのような障害をもたらすかという医学上の研究にも欠かせない研究ツールである。本書ではこの遺伝子欠損マウスを使って、重要な役割を持つと考えられた小胞体膜たんぱく質GP-2遺伝子欠損マウスを創生したところが、実際は何の異常も起きなかったという結果の解釈をめぐって著者の持論「生物の動的平衡」という考えを拝聴することになる。

著者福岡伸一氏は京都大学(恐らく理学部)で学位をとった後、すい臓の消化酵素賛成細胞分子生物学で有名なニューヨークのロックフェラー大学のバラーディ教授の流れを汲むジョージ・シーリー博士の下でポスドク研究員をつとめ、ジョージ・シーリー博士がハーバード大学医学部に移ったのに連れて著者もボストンに移動した。本書の後半1/3は著者らの研究内容を解説している。日本に帰って京都大学助教授を経て現在は青山学院大学理工学部(化学・生命科学科)教授。専攻は分子生物学である。

本書の題名「生物と無生物のあいだ」という意味は、別に無生物をコメントしているわけではないので、生物の本質的属性とは何かを論じるためであろう。一般には生物の定義は「自己複製を行うシステム」といわれる。自己複製を行う点ではウイルスも生命になるが、著者はここで常識とは違う意見「私はウイルスを生物とは定義しない。生物を自己複製するシステムであるという定義は不十分である」といわれる。ヒトクロイツフェルトヤコブ病の原因物質プリオンはたんぱく質であるが伝染性を持ち増加をする。プリオンは明らか遺伝子を持たないので生物ではないけれど、生物なのか無生物なのか悩ましい存在である。著者は生命を「動的平衡にある流れ」という面白い定義をする。物質は常に入れ替わり流れているが、秩序が形成され形を取るのを生物という。カオスと複雑系の理論を組み合わせたような定義だけれど、宇宙の拡散と凝縮との通じる話でもあり、宗教的命として般若心経を訳した柳澤桂子著 「生きて死ぬ智慧」 に述べらた元素の拡散と凝集の中の生命にも通じ、今流行の歌「千の風になって」にもつながり、極めて知的に興味深い定義である。この定義の是非は直ぐに哲学論議や宗教論議や文化論にながれるので、世の文化人は興味を示す。著者のことば「生命の律動」とはまさに文学的表現として優れている。しかしこの「動的平衡にある流れ」という定義では、科学的に扱いにくい実態として掴みにくい概念となる。科学者を離れて文化人思想人の言葉ではないだろうか。

本書の内容は大きく三つの部分からなる。前半1/2は遺伝子工学や分子生物学の進歩を面白おかしく述べたものである。二つは中間で述べられる生物の秩序つまり「動的平衡にある流れ」について、三つは著者らの研究室の研究「すい臓消化酵素産出細胞小胞体膜蛋白GP-2の精製と遺伝子配列決定とノックアウトマウス」ついて述べられている。前半1/2の遺伝子工学や分子生物学の進歩では、科学界の成功争い(サクセスストーリー)も交えて、それに乗れなかったが基礎を確立し次の時代を用意した「アンサングヒーロ」、X線回折データで二重螺旋構造を示したが不遇な女性研究者フランクリンや、ウイルスを知らずに迷走した汚れた英雄野口秀雄像など面白いエピソードが交えられて読みやすい。しかし全体的な分子生物学の研究成果を一覧するにはやはり私はジェームス・ワトソン、アンドリュー・ベリー著 「D N A」講談社 (2003年12月)を推薦したい。この本の概要を次に示す。

ジェームス・ワトソン、アンドリュー・ベリー著 「D N A」  講談社 (2003年12月)

2003年が、ワトソンとクリックが遺伝子の本体であるDNA(DeoxiriboNucleicAcid デオキシリボヌクレイックアシッド デオキシ核酸)の2重らせん構造を解明した記念すべき日1953年2月28日(ワトソンとクリックは遺伝子DNAの構造解明によりノーベル賞を受賞した)の50周年にあたることから、この本が企画された。ジェームス・ワトソンは1968年に「2重らせん」という本を著している(この本は本書の初め1/4にあたる部分に相当)。しかしDNAのセントラルドグマに沿ったその後の遺伝子工学の進歩は著しいものがあり、今日のバイオテクノロジーの進歩は社会の広範な問題(医療など)に及んでいる。本書「DNA」は遺伝子構造解明から今日にいたる生命科学の進歩を総覧し、今日的問題をレビューしている。
私も学生時代を加算すると40年近くバイオテクノロジーの分野の周辺におり、その進歩を中で、横で見てきた。ひとつひとつの動きは熟知していたが天才の手になるレビューには興味が尽きない。この知的でエキサイティングなストーリに参画できなかった自分の無能が悔やまれるだけだ。本書は500ページほどの分厚い本で内容も多岐にわたるので、網羅的に紹介することも出来ない。しかし本書の持つ面白さを万分の一でも伝えられれば本書を購入されるきっかけになるのではなかろうか。専門的内容が多いのですべての人が理解できるとは思えないが、少なくとも科学に興味を持つ人なら是非読んでおきたい本である。

「すい臓消化酵素産出細胞小胞体膜蛋白GP-2の精製と遺伝子配列決定とノックアウトマウス」の研究

すい臓消化酵素産出細胞小胞体の研究はロックフェラー大学のバラーディ教授が築いた。放射性同位元素でラベルしたアミノ酸を取り込んだ小胞体はゴルジ体を経て消化酵素を合成して分泌顆粒となる。この分泌顆粒が産出細胞の膜と融合して消化管へ消化酵素を放出する過程を、X線フィルム上の細胞を電子顕微鏡で観察したのである。そしてジョージ・シーリー博士のもとで著者は小胞体が形を取るときに膜蛋白GP-2 の役割に注目し、まずは犬すい臓をすりつぶして小胞体を得て、小胞体膜を溶かしてGP−2蛋白を密度勾配遠心分離で精製した。この蛋白は酸性で凝集する性質を持つことから小胞体の中が酸性になると膜全体は収縮して球形を作るというモデルを考えた。つぎにこの蛋白の遺伝子を同定し配列を決定した。これは世界で始めての功績となった。つぎにこの蛋白GP-2の役割を確認するため129系ノックアウトマウスを確立した。これはジャクソン研究所がねずみ睾丸ES細胞からGP-2ノックアウトマウスを作った。そしてこの129系ノックアウトマウスのすい臓消化酵素産出細胞を観察したところ、なんと顕微鏡下、細胞は全く正常で小胞体には分泌顆粒が生産されていた。是をどうみるのか。実験のどこかで失敗したのか、それともGP-2蛋白は小胞体形成の役割には関係なかったのか、深刻な問題に直面した。

生命「動的平衡にある流れ」

実験に失敗はなかったとし、GP-2蛋白は小胞体形成に重要な役を演じるとして、この難問にどう立ち向かうのか。そこで著者はヒトクロイツフェルトヤコブ病の原因物質プリオンをノックアウトしたマウスの研究例を引用してくる。人クロイツフェルトヤコブ病は正常型プリオンが何らかの異常で異常型プリオンに変性すると、凝集して沈積して脳細胞を破壊する。正常型プリオン遺伝子ノックアウトマウスをつくると、マウスは全く正常である。ところがプリオン遺伝子の前1/3を欠損したマウスを作ると病気が発生した。そこで著者らはこう結論した「ある遺伝子をノックアウトしたにもかかわらず、受精卵から子供が生まれめでに、どうてき平衡すなわちその欠落を補充しつつ分化発生プログラムは何とか最後まで終えたのである。欠落に対してバックアップシステムやバイパスが可能な場合、動的平衡は何とか埋め合わせをしてシステムを最適化する。ところが正常なプリオンが持つ複数の機能が1/3の遺伝子を失ったプリオンでは一部失われてしまい、修復システムンが働かない」という推論である。これを信じるかどうかは別にして、やはり科学としては証明しなければならない。GP-2遺伝子を失ったマウスではGP-2遺伝子がない限りGP-2蛋白は作られない。すると正常に動いているノックアウトマウスにはGP-2 蛋白に似た機能をする別の蛋白がバイパスで合成されたのだろうか。それ何だろうか同定しなければならない。これは難しい話ではないはず。疑うわけではないがGP-2 ノックアウトマウスにはGP-2 蛋白はなかったことは確かなであろうか?それともやはりGP-2 蛋白は小胞体形成には関係ないものだったのか。疑問は尽きない。

本書の読了後、民間企業で生命科学研究の一端に携わった者の目からみて、何かすっきりしない結末のドラマを見たような感がしてならない。所謂サクセスストーリーで終わっていないのである。科学には仮説で動いて成功する人もいれば、その通りに結果が出ないときもある。そこから次の研究のヒントを得て最終的に結果が生まれることを「セレンデピティ」という。本書に見る限り、ある仮説通り行かなかったことが、曖昧な哲学的納得へ導いているようにしか見えない。この一連の研究論文を読んでいないので何もいえないが、本書に見る限り「重要と思われる遺伝子が失われても何も不都合が起きない遺伝子とはなんなのか、複数のバイパスを持った生物の不可思議さ」という結論では納得できないのである。そのメカニズム研究こそが今後の課題であるとしても、著者らの研究成果は中途半端で決定的結論は出ていないとしか思えない。私はそういう意味で大変不満足なのである。なお本書は新聞や書評で大きく取り上げられ、脳科学者の茂木健一郎氏らが絶賛する。著者は最近やたらとテレビに出るようになった。その点は茂木健一郎氏と同じである。テレビ文化人になられたようだ。


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