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佐藤優著 「国家の罠」

 新潮社(2005年3月)

鈴木宗男、佐藤優をターゲットとした小泉政権の国策捜査(国家の罠)と
対露外交戦略のパラダイムシフト

鈴木宗男氏をめぐる疑惑の前哨戦は田中真紀子外相と外務省との鞘当から始まった。2001年4月小泉政権が成立して田中真紀子氏を外務大臣として送り込んできた時、既に伏線が引かれていたのである。本書は佐藤優氏が512日の拘留から解かれた2003年10月より岩波書店や新潮社が強く著者を促して1年半を費して生まれた。鈴木宗男疑惑については国会で社民党党首が「疑惑の総合商社」という迷文句で新聞紙上をにぎわせた事件であった。佐藤氏はこの疑惑に宗男側近として巻き込まれ、2002年5月逮捕され、佐藤ルートの公判は2002年9月に開始された。そして2年5ヵ月後つまり2005年2月17日第一審判決が出た。懲役2年6ヶ月、執行猶予4年の刑であったが即日控訴された。私も含めてこの事件の全容はいかにも訳が分らなかった。費用の振り替え先が当を得ていないという「背任罪」と北方四島向けジーゼル発電機援助の発注をめぐって三井物産が落札できるように計らったという「偽計業務妨害」というのが告訴内容であった。例えば20万円以下のパソコンを買うのに研究費や事務費で処理するようなことである。税務上は本来は備品費で購入し減価償却しなければいけない。それが背任罪になるとは官僚も思っても見なかったことであろう。膨大な機密費を持つ外務省で外国人を招待したり、日本人を学会に出席させるための費用は普通は簡単に捻出できたはずである。なぜこんなことが罪になるのかさっぱり分からなかった。そこに「邪悪な意図」をかぎつける検察官の鼻がどうかしている。まさに作文の世界であった。

ところがこの疑惑はそんな検察官の変な鼻の問題ではなく、外交政策のパラダイムシフトを計る新政権の見せしめの「国家の罠が用意されていたのである。新政権が旧政権側の権力者を一掃したがるのは理解できる。開発途上国や軍事政権などでは露骨に前政権の疑惑をでっち上げ監獄へ葬り去ることはよくみてきた。韓国ではいつもそうであった。ところが日本でも国家の罠が存在しているのである。なんかおかしいなという政治家絡みの疑惑は数多くあった。リクルート疑惑がその典型だ。未公開株を贈るリクルートの社長の利益はさっぱり分らなかった。厚生労働省の就職情報が欲しかったなんて嘘でしょう。そして最近では橋本龍三郎元首相に歯科医師会からの1億円献金問題である。あの事件は最初から小泉が最大派閥で郵政族を束ねる橋本派閥を壊滅させるための作戦だということは素人の私でもわかった。政治的取引で橋本派幹部青木氏・野中氏の分断と野中氏の政界からの引退で幕引きがなされたが、元官房長官だけが起訴されたのは気の毒としか言いようがない。政治は無情だとしみじみ感じたものだった。ということで本書は鈴木宗男氏疑惑とその犠牲者である佐藤氏をターゲットとした国家の罠の背景を解き明かすものとなっている。実に興味深い内容になっており、政治の背景つまりパラダイムシフトが理解できる仕組みである。権力者が変るとき取り残された人間(信念を持っていればこそ)の哀れさがしみじみ分る本である。ただ暗黙の了解で日本では後進国と違って前首相自体をターゲットにすることはない。周辺の物分りの悪い人間をターゲットにするのである。殆どの政治家は機敏に察して新しい権力者に迎合するか喧嘩しないようにカムフラージュするものだが、宗男は頑固一徹で葬られた。なお本書は第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞している。

1、小泉政権の外交政策

では小泉政権は外交ではどのような選択をしてのだろうか。この読書ノートコーナーで取り上げた内山融著 「小泉政権」から外交面だけを総括しておこう。
小泉首相の外交政策を云々するまえから、外務省は前代未聞の混乱のきわみにあった。2001年初めから松尾要人外国訪問支援室長が機密費5400万円を横領したり、沖縄サミットの公金詐欺事件、デンバー総領事の公金不正流用、APECホテル代水増し請求問題、外務省公金裏金つくり調査結果発表など不祥事があいついだ。2名が懲戒解雇、328名の処分、1億6000万円の幹部による返済などが決定された。小泉首相が任命した田中真紀子外務相が混乱した外務省を立て直すかと期待されたが、官僚人事へ強引な干渉を行いかえって外務省の混乱を増幅した。田中外務大臣は、官僚のみならず族議員鈴木宗男の外務省介入を不快として、北方四島問題スキャンダルを企て国会を空転させた。そのあおりを食らって外務省ロシア担当調査官佐藤優もスキャンダルに巻き込まれ逮捕された。小泉首相は喧嘩両成敗で田中氏と野上事務次官を更迭した。今となっては鈴木宗男事件は何処が問題なのか不可解である。リクルート未公開株スキャンダルと並んで国家の冤罪事件といわれている。

小泉氏の問題というよりは国際情勢からして当然どの首相でも選択の余地は無かったと思われるのが、2001年9.11テロ事件と2003年イラン戦争への対米協力の強化と自衛隊の海外派遣の問題である。テロ対策法案と自衛隊の海外派遣については本コーナーで前田哲夫著 「自衛隊 変容のゆくえ」を取り上げ紹介した。自衛隊の海外活動は以下に整理した。 1)1991年の湾岸戦争後ペルシャ湾での機雷除去作業、1994年カンボジア政治不安現地待機 2)1992年からは国連PKO活動としてカンボジア、東チモール、ゴラン高原、ネパールなどへ派遣 3)2001年よりテロ対策特別措置法で対テロ戦争協力、インド洋で実施 過去三回延長し6年間実施中 4)2003年単独行動のアメリカを支援したイラク支援特別措置法  小泉内閣では9.11テロを契機に主に米軍に協力するための自衛隊の海外派遣が強化されてきた。米軍再編に伴い日米の軍事協力も強化された。沖縄米軍基地移転問題、キャンプ座間への陸上自衛隊司令部の設置、横田基地への共同統合運用調整所の設置と空自航空総隊司令部の移転など、殆ど自衛隊の司令部が米軍管理下に置かれるが如き、自衛隊と米軍の連携機能が強化された。米国の脅かされると歴代首相はほぼ無条件で米国を支持し、いわれがままの金を提供してきた。今度は具体的に自衛他の海外派遣により、にわかに「集団的自衛権」の行使へむけた法的勉強が開始された。

日米関係の強化に対して、混迷を深めたのが対中国・韓国関係である。その原因は小泉首相の靖国神社参拝問題であった。小泉の前政権小渕敬三内閣までは日本は隣国中国と韓国とは非常に良好な関係が保たれていた。小泉首相の対東アジア外交の暗雲は2001年4月台湾の李登輝前総統の日本訪問から始まった。そして小泉首相の靖国神社参拝発言である。5月には韓国の「新しい教科書を作る会」の歴史教科書問題の修正要求である。中国の江沢民主席、韓国の金大中大統領との会談では強い懸念が表明された。その懸念をよそに小泉首相は発言通り毎年1回靖国神社参拝を強行したのである。小泉首相による日本ナショナリズム高揚の挑発行為のため2004年中国は尖閣諸島の魚釣島への中国人侵入事件、東シナ海でのガス田開発強行、2005年中国で大規模な反日デモ、韓国とは独島(竹島)占拠問題、教科書問題、従軍慰安婦問題もおこり、日中・日韓関係は冷却して安倍首相の訪問まで首脳会談も1年半中断した。

日中・日韓関係が冷え込む中、拉致問題で日本ナショナリズムが強調され北朝鮮への圧力強行外交へ傾いた。2002年9月小泉首相は日本の首相としては初めて平壌を訪問し、金正日と日朝会談を行った。国交正常化を早期に実現することを謳った「日朝平壌宣言」に署名した。その席上で金総書記は拉致問題について謝罪し、拉致被害者14名、8名死亡、5名生存という情報がもたらされた。この成果は田中均アジア太平洋局長がミスターXと極秘交渉してきた結果だとされる。そして拉致問題体制が整えられ中山恭子を内閣官房参与として安倍晋三を議長とする「拉致問題に関する専門幹事会」が作られた。10月15日拉致被害者5名が帰国したが、北朝鮮の核疑惑情報によって政府内で田中らの対朝宥和路線と安倍ら強硬路線が対立した。安倍は国民感情に訴えて対北朝鮮封じ込め「圧力と対話」(中身は圧力のみ)を煽った。11月には拉致被害者支援法が成立した。2003年8月北朝鮮の核問題を協議する第一回六カ国協議が北京で開かれた。日本は拉致問題を6カ国協議の議題にしようとしたが北朝鮮は硬化した。同年11月「外国為替・外国貿易法改正案」と「特定船舶入港禁止法案」という二つの経済制裁法案がまとまり2004年に成立した。その間北朝鮮との対話は閉ざされたままであったが、2004年5月拉致被害者蓮池さんと地村さんの家族五名の帰国が、民間のルートと自民党山崎氏の交渉で実現した。小泉首相は平壌を再度訪問し、金総書記との会談で食糧25万トンの人道援助を行うこと、国交正常化交渉再開を約束した。そして7月曽根さんの家族はジャカルタで再会し帰国した。2005年9月北朝鮮はミサイル発射実験を行い国連から非難声明がだされ、2006年10月には北朝鮮は核実験を行った。結局的は小泉首相は初めて平壌を訪問するという成果を挙げたようだが、是は自身の決断によるものではなく色々なルートの闇交渉の成果が実った結果をつまみ食いしたにすぎず、拉致問題では安部晋三氏の強硬路線に寄りかかることが多く成果を着実に実らせることは出来なかった。まして6カ国協議では日本は拉致問題を条件にして5カ国のお荷物に過ぎなかった。

何故外交では戦略性が欠如したのか。小泉首相の米国への軍事的協力を基調とする日米関係の強化は、米国の要求には素直に応じる追随型の受け身外交に過ぎない。主体的に日本外交の基本を選択する戦略性はなく、東アジア外交や対外経済政策の無策は経済界の危機感をも生んだ。やはり小泉首相の最大の関心は内政の新自由主義的改革にあって、外交には関心は無かった。これでは日本がずるずると戦争に巻き込まれ、また東アジア戦略から排除される可能性すらある。

2、前哨戦としての田中真紀子と鈴木宗男の戦い 

2001年4月26日「自民党をぶっ壊す」といって国民的人気を得て成立した小泉政権の産みの母といわれる田中真紀子氏が外相に就任した時には、外務省はかってない危機に瀕していた。松尾要人外国訪問支援室長の機密費詐取事件、機密費流用事件は猛烈な世間の反発を買った。田中真紀子しの基本的スタンスは「父田中角栄の日露外交である田中ブレジネフ会談をスタート点とすること、父田中角栄を裏切った経世会の流れ橋本派は許さない」ということであった。そこで鈴木宗男は橋本派で、日露外交で変な動きをしているので潰してやろうという気持ちになったようだ。ここから田中真紀子氏と鈴木宗男氏のバトルが始まった。そこへ外務省の内部権力闘争と知りすぎた族議員宗男氏を排除する動きと世論支持率を最優先する官邸の思惑が絡んで、前代未聞の異様な外務省スキャンダルが展開された。このことは記憶に新しいので良くご存知であろうと思うので流れだけをまとめたい。今では外務省には親米派しかいないが、小泉内閣以前は地域ごとの外交戦略チームが存在していた。小泉首相は親米外交のみで、東アジア外交は日本ナショナリズムで切り捨てた。安倍内閣もその路線であった。日露関係では重要な三つの文書がある。一つは1956年鳩山一郎・フルシチョフの「日ソ共同宣言」、二つは1993年橋本龍三郎・エリツィンロシア大統領の「東京宣言」、三つは2001年森首相・プーチン大統領の「イルクーツク声明」である。橋本龍三郎・小渕恵三・森喜朗首相の三つの政権の日露戦略は地政学論に基づく日露改善が目的であった。国是は北方四島返還交渉にあった。外務省の内部派閥は言語別「スクール」と業務別「マフィア」が存在した。松尾事件は「マフィア」の犯罪であり、宗男疑惑は「ロシアスクール」に属する。「ロシアスクール」の親分は丹波實氏と東郷和彦氏であった。外務省幹部は田中・宗男抗争では外務省は危機の原因となった田中真紀子を放遂するため宗男の政治力を利用し、小泉の外交パラダイムシフトに従って用済みとなった宗男グループのロシアスクールを検察の手に売った。この過程で佐藤氏も粛清された。これが本書の言うことのすべてである。そのために「国家の罠」が用意されたのである。とはいうものの、日露外交の概略を前提として知っておくことは決して遠周りではない。

東郷氏は日露外交交渉の現実的方策として、歯舞・色丹二島は既にロシアから返還に合意しているのだから、国後・択捉については帰属を交渉するという「二+二」方式を提案していた。東郷氏は森・プーチン会談後「ロシア情報収集・分析チーム」を設けて特命事項の処理を命じた。2001年5月田中真紀子外相は「人事凍結令」をだし前代未聞の迷走が始まった。メディアや踊らされた国民は田中氏を支持し外務省は「伏魔殿」とされた。外務省幹部は組織崩壊を前に急速に田中放遂に傾斜した。そして同年8月川島事務次官退任と野上事務次官が就任した。田中氏の迷走珍プレーは「アーミテージ長官会談ドタキャン」、「米国緊急連絡先漏洩事件」、「指輪紛失事件」、「人事課籠城事件」が続き、2002年1月「アフガン復興支援東京会議NGO騒動」に鈴木宗男氏の圧力があったとしての野上事務次官との対立が深まり、小泉首相は三者全部成敗として田中氏、野上氏を更迭し、鈴木宗男氏を議運営委員長辞任とした。ここから鈴木宗男氏パッシングとなり、東京地検特捜部が動き出した。佐藤氏は2月22日外交官生命を絶たれ外交資料館へ移動となったが、逮捕の手は近くまで迫っていた。

3、疑惑とされた佐藤氏の外交活動の内容 

佐藤氏はどのような疑惑で逮捕されたのか。容疑は二つある。第一は「背任」である。2001年1月にゴロデッキ−テルアビブ大学教授を日本に招待したこと、同年4月テルアビブ大学主催「東と西の間のロシア」に七名の学者と六名の外務省職員を派遣し、外務省関連国際機関「支援委員会」から資金3300万円を引き出した頃が背任罪を構成するというものであった。第二の容疑は「偽計業務妨害」である。2000年3月国後島のディーゼル発電機供与事業の入札で三井物産に違法な便宜を図ったということである。この罪については外務省ロシア支援室課長補佐と三井物産社員二名も逮捕された。この章の記述は詳細を極めており、外務官僚の仕事の詳細が手のとるように分るという点では有益であるが、冗長になり読者には関心を持たない人も多いので、簡単に流れと要点のみを拾い書きする程度の留めたい。

ゴロデッキ−テルアビブ大学教授はロシア・ユダヤ問題の権威で、イスラエルに住むユダヤ人の16%はソ連崩壊後のロシアからの「新移民」である。したがってロシアのことはイスラエルにいる経済界や政界のロシア系ユダヤ人の情報が有用である。イスラエルはロシア情報を得るのに絶好の場なのである。そこで企画されたのがゴロデッキ−テルアビブ大学教授夫妻の日本招待であり、テルアビブ大学でのセミナーへの関係学者と職員の派遣であった。東郷局長の指示ととロシア支援室の了解の下に資金の出所がきまったと佐藤氏は言う。どこが「背任」なのかという。2000年4月テルアビブ大学でのセミナーを抜け出して佐藤氏は小渕首相特使としての鈴木宗男氏を案内してクレムリンでプーチン大統領と面会した。日露首脳会談の日程の相談であった。

国後島ディーゼル発電機供与事業は外務省欧亜局ロシア支援室が担当した案件である。ビザ無し交流から始まった人道支援事業の一環であった。東郷氏の戦略ではモスクワでのロビー活動を「西部戦線」、北方四島支援は「東部戦線」と呼ばれていた。1999年10月に出来た「宗男ハウス」とはビザ無し訪問で訪れる日本人のための宿泊施設で非常の際はロシア人も利用できる施設である。日本政府はロシアでインフラ整備は行わない方針であったので鉄筋コンクリートではなくプレハブ製である。当時サハリン州知事よりたびたび北方四島の電力事情が悪いので発電機支援の要請があった。この事業を推進したのがロシア課篠田課長と北海道/沖縄開発長官の鈴木宗男氏であった。色丹島、択捉島への本格的ディーゼル発電機が供与され、電力問題は解決した。そして国後島の住民の要請で2000年10月にディーゼル発電機が供与された。1998年4月の川奈会談で橋本龍三郎首相はエリツィンにディーゼル発電機事業、北方四島の水産加工場、日露投資会社について合意した。これ以降三井物産との接触が深まった。日本の商社の対ロシアドクトリンは三井物産は「政商型」、日商岩井は「地理重視型」であった。三井物産はモスクワでのロビー活動が成功し融資案件を獲得していった。丸紅や伊藤忠も政治家を経由して北方案件で入札に動いていた。しかしそういうことは佐藤氏にとって何の関係もないことであったという。

4、時代のけじめとしての国策捜査 

佐藤氏は2002年5月14日東京地検特捜部に「背任容疑」で逮捕され、東京拘置所に収監される。同じ日に前島ロシア支援室課長補佐も逮捕される。鈴木宗男氏の逮捕が6月19日であるので約1ヶ月先立っての逮捕である。東京地検は取調官に西村検事を、佐藤氏は弁護士に半蔵門法律事務所の大室征男弁護士を得て5月17日より取り調べの攻防が始まる。弁護士とは特捜事案は必ず起訴されるので拘留期間は長くなること、事実を話して最後まで罪状を否認する方針で行くことになった。検事は最初から「これは国策捜査」(政治裁判)であることを明言した。国策捜査とは100%起訴されることである。鈴木氏と西村検事の間の心理的取引は機微にわたるので省略する。佐藤氏の逮捕は別件逮捕みたいなもので最後のターゲットである鈴木宗男氏の逮捕につなげてゆくのが検察の方針である。政治裁判では必ず起訴され有罪となる。したがって6月19日背任罪で起訴、拘留延長となる。6月19日鈴木宗男氏も逮捕されたので、佐藤氏は48時間のハンストを決行した。これは盟友の逮捕に抗議したものである。7月3日より別の偽計業務妨害容疑で再逮捕され、7月24日起訴され拘留延長となった。この間いろいろな人々が鈴木宗男氏を裏切ってゆき、新しい権力側へ移った。

ここで国家の罠つまり政治裁判「国策捜査」について驚くべき運命が述べられる。今まで政敵を罠にかけて葬り去ることは政治の常として行われてきた。そして反対者の影響力を断ち切って新政権は自分の思うような政治を行うのである。時代のパラダイムがシフトするのである。それが政治であり、罪を犯したかどうかではない。罪状はキッカケにすぎない、相手を社会的に葬ることが目的である。いまではなお悪いことにメディアの力で疑惑だけで国民感情を煽り立てあたかも極悪人であるかのように仕立てあげる。国策捜査では正義を闘うことではない。闘っても無駄である。国家は起訴有罪を初めから決めて、あとからストーリーを作ってゆくのである。「国策捜査は時代のけじめをつけるために必要なのだ」と西村検事が言った。特に最近は政治家への国民の目が厳しくなっているので、昔は見逃されてきたこともハードルが低くなっている。政治家への目はワイドショーと週刊誌の論調で決められる。そして国策捜査は何もないところに煙をたてる「冤罪」ではない。洗いざらい引っ掛けて、なにからしい罪のストーリーを作ることである。裁判所も結構世論に敏感で、国策捜査は普通は執行猶予付きが原則なのだがたまに実刑を下す場合もある。国策捜査にも犠牲になる人への礼儀はある。罪を出来るだけ軽くし形だけの責任を取ってもらうことである。国策捜査は逮捕が一番大きなニュースで、実刑にしないで原則執行猶予つきである。判決は知らないところで忘れられたときにやる。国策捜査の対象となる人は一般国民ではなく、国家の意思形成に影響を与える政治家と親密な関係にある官僚、経済人がターゲットである。メディアを使って一般国民は味方につけ「もっとやれ」という応援団にするのである。

では鈴木宗男氏の場合の時代のけじめとは何なのだろうか。それは小泉内閣が内政においてはケインズ型公平分配路線(公共工事と福祉)からハイエク型傾斜分配型路線(新自由主義モデル、格差拡大)に転じたことである。族議員として鈴木宗男はもう古い議員なのだ。鈴木宗男氏は「政治権力を金に替える腐敗政治家」として断罪された。国民的人気(ポピュリズム)を権力基盤とする小泉政権では「地方を大切にすると経済が弱体化する」とか「公平分配をやめて格差をつける傾斜分配に転換することが国策だ」とは公言できない。そこで「鈴木宗男型腐敗汚職政治と断絶する」というスローガンなら国民全体の喝采を受けるとみたようだ。橋本龍三郎氏への日本歯科医師会の政治献金事件も格好の腐敗政治として宣伝され橋本氏と野中氏の政治的生命を絶った。外交的にも橋本・小渕・森と続いた国際協調的外交路線を、靖国神社参拝と北朝鮮の脅威と拉致問題の利用で排外主義的ナショナリズム路線へ一気に変換した。今回の国策捜査を命令したところ(小泉政権)が捜査が森元首相に及びそうになったところで突然捜査打ち切りを宣言した。そして2002年9月17日第一回公判がはじまり、鈴木宗男氏は2003年8月釈放、佐藤氏は10月釈放された。佐藤氏の拘留期間は512日に及んだ。2004年10月検察側求刑、11月弁護側最終弁論をへて翌2005年2月第一審判決となった。西村検事の言ったように佐藤氏は懲役2年6ヶ月、執行猶予4年であったが、佐藤氏は即日控訴した。

5、裁判闘争-被告人陳述より佐藤氏の主張 

2004年11月10日弁護側最終弁論をおこなった。朗読時間は4時間であった。被告人最終陳述は弁論と重複すところが多いので佐藤氏は短い陳述をおこなった。その骨子を四点のまとめて記載する。
@今回の国策捜査が何故に必要とされたかである。
小泉政権成立後、日本は本格的な構造転換を遂げようとしている。内政的にはハイエク傾斜分配(格差拡大路線)、新自由主義路線への転換である。外交的には日本ナショナリズムの高揚である。その文脈の中では鈴木宗男氏は内政的は族議員として再分配の公平分配論者で、外交的には国際調和型のパワーバランス志向であった。ナショナリズムに走っては国益を損じるという意見であった。国策捜査に歴史的必然性があるが、私は無罪である。
A国策捜査とマスメディアの関係について
あの時マスメディアが犯した犯罪的役割とは、経済的に鬱積した国民感情を政治的扇動家(デマゴーグ)に阿って操作した事である。国民の知る権利に奉仕するには事の真相に肉薄することが重要である。にもかかわらずずその使命を忘れ巨悪を隠して、被疑者を犯罪人に仕立て上げたことである。
B今回の国策捜査の勝利者はだれかということ
真の勝利者は今の竹内行雄事務次官をはじめとする外務省幹部である。鈴木宗男を排除するため外務省は検察庁に対してさまざまな資料のリークと隠蔽、工作を行った。鈴木宗男、東郷和彦、佐藤優の影響力を排除できたのである。しかしこの事実は2030年の外交文書公開の日に明らかになる。そのとき何が真実だったのか。
C今回の国策捜査が日本外交にどのような実害をもたらすかということ
国民及びロシアに対して外交行政に不信の思いを抱かせた。日本の外交的信義・信用が著しく損なわれた。政権が変るたび、2から4年毎に外交方針が恣意的に変わるなら誰も外交的リスクを負いたくないことになり、権力者に阿った適当な仕事しかしなくなる。いわゆる何もしない不作為体質が蔓延するだろう。


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