070830

辛淑玉著 「悪あがきのすすめ」

 岩波新書(2007年6月)

強者・権力の論理に立ち向かうには、「開かれた道理」で闘う。それが悪あがきの強さだ

この本を内容のカテゴリー類別すると何なのだろうか。不思議なエッセイの集まりであり。有名無名の人の話で集めた永六輔氏の岩波新書連作に似ていないでもないが、芸能界の話しほど気楽な話ではない。といって人種差別、部落差別やマイノリティー差別の闘争・裁判記録といったドキュメンタリー(ノンフィクション)でもない。しかも全て著者個人の経験に立脚したすさまじい反権力、反人種差別の闘争を描いておられるのだが、どこかウイットや笑いを誘う要素があって、深刻にならず一気に面白く読ませる本である。著者は辛淑玉の名前のとおり在日韓国人の女性である。在日朝鮮民族の受けた差別の凄まじさは、私のかって住んでいたところが国際部落とあだ名される場所で、小さい時から在日朝鮮人の生活はつぶさに見てきたのでよく知っている。先日私の母の葬儀のときも隣にすむ在日の孫達が母の前で泣いてくれた。皆いい人である。権力側の人間はこれまで百年近く朝鮮民族を蔑視し続けてきた。古代国家建設時には朝鮮半島の国から随分教えてもらい政治体制・儒教・文字・仏教・芸術・生活物資の恩恵を受けてきたにもかかわらず、明治維新で急に反アジア主義の陥弊に傾斜して以来である。
著者辛淑玉の名の読み方は日本の音読みでは「シン シュク ギョク」であるが、韓国の音読みでは「シン ス ゴ」であるそうだ。マそんなことはどうでもいいのだが、彼女の職業遍歴が又面白い。モデルから始まり広告代理店、司会業、研修業を転々として「香科舎」という人材育成コンサルタントが今の職業らしい。途中アメリカの大学の客員研究員、公的審議会委員などもやっている。幼年期は小学校を転々として「女の武闘派」でけんかばかりをして小学校卒業も怪しい学力であったそうだが、なんという実力であろうか。永六輔氏は岩波新書「夫と妻」の中で彼女を一目おいた存在である。

現代の日本社会で悪とされるものは、「フェミナチ(ジェンダー)女性解放運動」、「反日」、「左翼」、「人権派・リベラル派」、「弱者」などは皆悪とされ非難される。弱者に対しては「あれは弱者ではなく無能力者だ、弱い者に味方することは悪いことだ」とか「人権派・リベラル派」に対しては「民族や国家を弱体化させようとする陰謀に加担している」といった倒錯した論理が権力側から発せられる。こうして強者は善人のふりをして、弱者は悪人とされてゆく。「小さな政府」、「美しい日本」とか強者は勝ち組の論理をふりかざすのである。そんな世の中に抗って意思を貫き闘争とすれば、それは「悪人」がじたばたした「悪あがき」になるのだ。07年参議院選挙で勝った薬害エイズの原告川田龍平氏の父は「悪あがき」が出来ず世間体が悪いといって、離婚して妻(この女性も一期だけだが参議院議員に当選した)と川田龍平氏から去っていった。この世間体が悪いという心情が「悪あがき」を躊躇させ、願望に挑戦する意思を挫いている。その結果「不正義」、「不平等」、「不公正」が温存されるのである。
親鸞が生きた中世鎌倉時代では支配者(荘園・領主)は虫一つ殺さず富を搾取する時代で、殺生は最下層の人間にやらせるのである。そして浄土教の教えでは自分は善人だから極楽へ行けると言っていた。親鸞はこれをひっくり返し収奪する側の犯罪性を指摘したのだ。「悪人正機説」の「悪人なおもて往生す、況や善人おや?」生きてゆくことが悪だとすれば救われるべきは悪人である。「開かれた善」、「開かれた道理」の実現を一番希望しているのは、差別され虐げられた弱者すなわち親鸞が言うところの「悪人」である。
本書は辛淑玉の独演会、講演会みたいなところがあって、まとまった概念の追求でもないしあくまでお話の魅力によるところ大である。従って面白さは本書を読んで分るので、これはなかなか伝えられない。そこで私にとって面白かった部分だけかいつまんで紹介したい。

辛淑玉の悪あがきの仕方

彼女にはよく自称右翼からいやがせの電話があるそうだ。「朝鮮人は朝鮮へ帰れ」ときたら「分りました。じゃ天皇も連れて帰ります」と答えれば右翼はパニックになる。徹底抗戦の悪あがきは人間を強くする。喧嘩する時は最強の敵を相手にすべし。弱い者の悪あがきは同じように痛めつけられている人間から注目して見つめられている。決して孤立しないのだ。同時に悪あがきは周りの人々を教育している。彼女にとって、女、朝鮮人、学歴がないということは生活の資を得るうえでマイノリティの三重苦であった。一歩一歩必死の努力で希望が開けてくる。諦めてはいけない。

孤立しない悪あがき

社会的に弱い立場におかれている人の悪あがきに対して、そのなかに人間としての当然の権利問題を見つけそして弱い者の要求に共感して、その実現に向けて力を貸そうという人が少数ながら存在する。中より二例を紹介する。
トルコ内のクルド人虐殺から逃れて日本に難民申請しても認められず強制送還の恐怖に戦ってきたクルド人家族の難民認定を入管に要求して立ち上がった日本人東文男さんの戦い。結局は第三国への亡命が認められ出国して家族とともに生活しているそうだ。
中国残留孤児の家族(残留孤児である男性が中国で結婚した妻の結婚前の子供)の連れ子に、国が定めた「定住者告示」の制限(未婚未成年の条件)が立ちはだかり裁判となった。NGO「コムスタカ」の中島真一郎さんは中国では連れ子も家族として遇する慣例をあげて家族構成の申請に違法性はないと主張して福岡高裁で逆転勝利した。2005年3月当時の南野法務大臣は高裁判断を受け入れた。またメディアは弱者の悪あがきを敬遠し、いたって冷淡を装う。

悪あがきのすすめ

学校でいじめが横行するわけは、子供の必死な声を聞き取れない大人たちが、不正義に抵抗しない子供を作ってきた。いじめを見ても「助けない」ということは自分もやられるのが怖い「助けて」という叫びである。「助けない」のは「見せしめ」をみせつけられて悪あがきすることが怖くなっているのである。それは大人の社会でももっと激しいいじめ、「リストラ」がある。会社は特定の人間の首を切ると決めれば、組織の中でその人の弱点や過失などを徹底的にあら捜しをして「能力」というもっともらしい理屈をつけて首を切る。企業での採用は実にいい加減なもので、正統な判定基準がなくて雇う。しかし企業では採用した時点でその人の人事が妥当であったことを保証する義務を負うのである。
アメリカでの日本人移民の戦い方は、自分達をマイノリティとしてアジア系の集団として連帯し生きる道を探っている。それにはアメリカという国が国是とする「民主主義」という「開かれた道理」を楯に戦うのである。2007年1月アメリカ下院で日系議員のマイクホンダは旧日本軍の「従軍慰安婦」制度を糾弾した。拉致問題をはるかに超えてアメリカ人の共鳴を得た。日本の戦後市民社会は彼らほどにも、民主主義をまだ自分の権利と利益のために駆使できていない。北朝鮮の脱北者は逃げることで、独裁国家のプライドをみごとに打ち砕いた。逃げることも最大の攻撃となりうる。

悪あがきのやり方

気合と根性だけで悪あがきをしているとすぐ疲れて悪あがきは長続きしない。初志を忘れなければ、いつでも気の向いたときにも続けられる。
企業の環境破壊への抗議として、その企業の製品の不買運動は企業イメージを悪くして大きな成果を上げることがある。とくに食品会社は信頼が全てである。家庭化学品会社は消費者運動を非常に気にしている。
悪あがき運動の参加のきっかけは人さまざまで、自分のこだわり方を大事にしてゆけばいいのである。成田空港三里塚闘争の農民の息の長い戦いは、学生の破壊的闘争によってイメージを汚されているが、それでも語り草になっている。北富士演習場の入会地奪還闘争は実に42年間の長い闘争である。
行動しなくってもメッセージTシャツを着て町を歩くだけで問題の存在と味方の存在を知ることができるのである。
弱いながらの闘い方もある。運動したり止めたり日和見をせざるを得ない人がいることも理解し、動けない人に寄り添うことがたいせつである。

楽しく悪がきをやろう

男女雇用差別と賃金差別に抗議して大阪婦人少年室に調停を申し込んだ住友グループの女性たちは、1995年大阪地裁に提訴した。地裁では権力側にたつ裁判所の身勝手な論理で敗訴したが、今度は国連の「女性差別撤廃委員会」に訴え、日本政府への勧告書が2003年にだされた。そして高裁で和解勧告書が出され住友との和解が成立した。
2001年愛媛県教育委員会は「つくる会」の歴歪曲教科書が県立養護学校と聾学校に採択された。教育委員会の実に姑息な差別的処置であった。その日から愛媛の人々は猛然と抗議活動を開始し、連日教育委員会へ会談を求めたが埒が明かないので裁判闘争にはいった。愛媛県の採択地区でも「つくる会」の教科書の採択を阻んだ。2005年再び「つくる会」の歴歪曲教科書が県立養護学校と聾学校に採択された。これに対する裁判活動は今も続いている。この反対活動の連中は実に楽しく気長くやっている。重く感じたら運動が出来ない。


随筆・雑感・書評に戻る  ホームに戻る
inserted by FC2 system