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前田哲夫著 「自衛隊 変容のゆくえ」

 岩波新書(2007年7月)

「専守防衛」を捨て去り、自衛隊は海を渡り米軍とともに「戦う軍隊」へ変容する

2007年1月防衛省が誕生し、同時に自衛隊の海外活動が「本来任務」へと格上げされた。米軍再編の進行は自衛隊を米軍とともに「戦う軍隊」へと導き、もはや歴代の内閣が護ってきた「専守防衛」の原則は、安倍首相によって憲法改正とともに捨て去られようとしている。湾岸戦争、9.11テロ、アフガン戦争、イラク戦争を受けて米軍支援活動を行うための一連の法整備により自衛隊は海外で戦う軍隊に急速に変容した。さらに北朝鮮の核疑惑やミサイル発射演習(拉致問題もその文脈で考えなければならない)は自衛隊にとって順風(神風)となった。
2007年1月9日。この日防衛省・自衛隊が発足した。前年12月15日国会では「防衛庁設置法」と「自衛隊法」が成立したことを受けて施行されたのである。自衛隊幹部の喜びと意気込みは人並みならぬものがあり「新時代へ全速力で前進」という具合であった。防衛省は看板の架け替えに過ぎないと嘯いていた政府の本当の狙いは、同時に「自衛隊法」の「改正」を行い海外活動を本来任務と明記することにあった。「我国周辺」の事態に対応して、「国際平和」のための活動が、すなわち海外活動を公認した「本来任務」としたことこそが防衛省昇格の実質的意味であった。なんとこの法改正に民主党も全員賛成(横路氏と角田氏は反対で党籍離脱)に廻ったのである。反対したのは共産・社民だけであった。安倍首相は防衛省発足の日、防衛省制服組(官僚)と自衛隊幹部を前に高らかに訓示した。「戦後レジームから脱却し、新たな国つくりを行う第一歩となる。北朝鮮情勢の緊張により安全保障体制は米軍再編に向いつつある。集団的自衛権については研究を進めたい」と宣言した。戦後1950年朝鮮戦争を期に警察予備軍、保安隊・警備隊、陸海空自衛隊と脱皮を繰り返し、専守防衛に徹する日本列島守備隊が出来た。しかし憲法第九条の戦争放棄との間には「建前と本音」という大きな深い溝を残したままの出発であった。安倍首相が言う戦後レジームは憲法第九条を軸に「非核三原則」、「武器輸出禁止原則」、「宇宙の軍事利用禁止」などからの脱却(すなわち放棄)のことであるが、「柳井懇談会」の「集団的自衛権」の法的地ならしが粛々と研究が進められているのである。近隣諸国との信頼醸成こそが平和の進展力であるのに、安倍首相の北朝鮮政策は「対話と圧力」、実は封鎖圧力のみで対話のパイプも持たないで、緊張を高めていくことが米国従属の「集団的自衛権」にとって有利な状況作成なのである。

著者前田哲夫氏は長崎放送記者を経てフリーの文筆活動に入り、1995年から2005年まで東京国際大学教授をつとめた軍事ジャーナリストである。自衛隊に対する取材を40年近く続け、1993年に「平和基本法を作ろう」という共同提案をした反戦平和運動家である。旧社会党系の護憲連合や一国平和主義者と一線を画したちょっと変った現実主義者でもある。もうひとつの選択肢を提示する社命を持つ岩波新書がこの前田哲夫著 「自衛隊 変容のゆくえ」を発刊したのも面白い。今や日本は阿部首相の改憲ムード「戦後レジームから脱却」がはやり言葉になっている。戦後レジームから脱却して戦前へ回帰する右翼的改憲論が横行する中で岩波新書が自民党良識派を応援するため本書を発行した意義は高い。

変る自衛隊

1991年12月ゴルバチョフ大統領の宣言によってソ連邦は崩壊し、CIS12カ国に分裂した。これによって世界の潮流はアメリカでは唯一長大国の単独行動主義がうまれ、欧州では共通の安全保障というEU共同体への流に分裂した。アメリカのブッシュT大統領は早速湾岸戦争に取り掛かり、クリントン大統領の軍事介入エンゲージメント政策からブッシュU大統領に受け継がれてネオコン路線が定着した。そして2001年「9.11同時テロ事件」を契機として「アフガニスタン戦争」、2003年「イラン戦争」と「テロとの終わりなき戦い」という泥沼にはまり込んだ。単独行動と先制攻撃を基調とする「ブッシュ・ドクトリン」はアメリカ国家戦略の準則となった。ブッシュ・ドクトリンには「悪の枢軸特定」、「核使用」、「先制攻撃」を特徴とする。日本にとって「ソ連の脅威」が消えたととたんに、「北の脅威」には北朝鮮の核ミサイル開発が取って代わった。「北朝鮮の脅威」は近いだけに妙に真実味を以ってメデァが取り上げ拉致問題も絡めて危機感をあおったため、1990年代は憲法9条にとって風穴だらけの時代に入った。この時期アメリカから日米安保条約に「領域外周辺事態への共同対処」という自衛隊の海外任務が提起された。「日米新ガイドライン」が浮上してくる。「安保再定義」と「米軍と一体化した自衛隊」の流れを次の4つの時期にまとめると分りやすい。
1)(1995-1997)「安保再定義」:「ナイ・リポート」、「日米安保共同宣言」、「新ガイドライン」
2)(1997-1999)国内法への転移:「周辺事態法」
3)(2001-2003)海外派遣の実施:「テロ対策特別措置法」、「イラク特別措置法」
4)(1999-2004)国民生活への波及:「有事法制」
1995年クリントン政権の国防次官の東アジア太平洋戦略報告「ナイ・リポート」にもとづいて、1996年4月日本を訪問したクリントン大統領と橋本首相の間で「日米安全保障共同宣言」が発表された。そこでうたわれた新たな運用原則は日米同盟に留まらない国際共同体全てのための平和と安全の維持において日本はアメリカの世界的なパートナーになることであった。もはや対象範囲は「極東」に限定しない「アジア太平洋地域」と曖昧に拡大されている。1997年9月「新ガイドライン」改定の最終報告書が両国政府で承認された。日米安保の新領域「日本周辺における事態=周辺事態」にたいする共同対処が拡大された地理的枠組みである。周辺事態での日本の新たな協力とは施設の使用許可、後方地域支援である。「新ガイドライン」合意を受けて1998年4月橋本内閣は「周辺事態法」を国会に提出した。周辺事態とは「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃にいたる畏れのある事態」とされた。後方支援の自衛隊の支援項目の後方の定義や船舶検査活動(臨検)は議論が紛糾したが、1998年8月北朝鮮の「テポドン打ち上げ」や1999年3月の能登沖不審船事件が法案成立の強力な後押しをした。1999年5月にはこの神風によって法案は国会を通過した。「テポドン打ち上げ」は人工衛星打ち上げ失敗、能登沖不審船事件は海上保安庁の演出だという噂もあり雰囲気つくりが功を奏したようだ。「周辺事態法」9条には強制ではないが地方自治体・民間の協力がうたわれている。

海を渡った自衛隊

2006年12月に自衛隊法が改正されるまでは自衛隊法に海外派遣という言葉はなかった。にもかかわらず自衛隊が海外へ派遣されたのは、2001年9.11事件後の米軍の動きに対応する国内法でテロ特別措置法、イラク特別措置法が制定されたからである。それまでは自衛隊の任務は憲法九条の縛りで、「国土防衛」に限定するというのが歴代政府見解であった。自衛隊の海外活動は
1)1991年の湾岸戦争後ペルシャ湾での機雷除去作業、1994年カンボジア政治不安現地待機
2)1992年からは国連PKO活動としてカンボジア、東チモール、ゴラン高原、ネパールなどへ派遣
3)2001年よりテロ対策特別措置法で対テロ戦争協力、インド洋で実施
4)国連の議決も得ないで戦争を開始した単独行動のアメリカを支援したイラク支援特別措置法
イラクでは自衛隊は戦闘地域にはいかないといわれたが13回のロケット攻撃を受けている。これを非戦闘地域という詭弁は通らない。小泉首相は「今、日米安保条約を締結している。だから日本を攻撃する意図を持つ国はアメリカと戦う覚悟がないと攻撃できない。この抑止力は日本の国益にかなう」と弁明する。はたしてそうだろうか。アメリカの単独行動に対して欧州とりわけフランスとドイツはイラン戦争に反対した。2003年より4年間でイラク支援で日本は868億円を使った。そのうちなんと60%以上が自衛隊の駐留経費であって、人道支援に使われたのではない。民間に金をつけて人道支援事業を施行させたほうがはるかに効率的で実効が上がったのではないだろうか。自衛隊を海外へ派遣したかっただけといわれてもやむをえない内容に終わっている。給水活動にしても50%近くが自衛隊の消費である。地元民には半分しかいっていない。またPKO活動では自衛隊は報道関係者に開放されていた。ところがイラクでは自衛隊は高い情報規制の壁を設けメディアを排除して国民を情報から遮断した。イラクにはNHK支局があるのみである。

戦う自衛隊

たしかに1995年までは「防衛計画大綱」(95大綱)では「専守防衛」と「基盤的防衛力構想」の立場に立っていた。「基盤的防衛力構想」とは脅威の量に比例した軍拡競争はしないというものである。ところが04大綱では新ガイドラインは自衛隊の部隊編成と作戦計画に埋め込まれていった。
新防衛省の自衛隊のキーワードは「統合運用」である。「基盤的防衛力構想」では脅威を測らないとして「仮想敵国」を定義しなかったが、新ガイドラインは中国と北朝鮮を「仮想敵国」として明確に位置づけた。そのため米軍の一元的作戦機能の要求に迫られ、自衛隊も04大綱で「統合幕僚監部」の創設を行った。統幕長が陸海空の司令官に直接の指揮命令権を行使できる。2007年は防衛省と統合運用の幕開けである。安倍首相が言う「戦後レジームの脱却」は戦前への回帰だったのかそれとも対米従属の美化だったのか。2007年「自衛隊式通信システム隊」や「中央即応集団」といういわゆる米軍海兵隊式組織が4000人規模で創設された。またゲリラ・コマンド対処のための「方面総監直結連隊」660人が組織された。このように自衛隊は戦う組織への改編が進められた。「特殊作戦群」、「日米共同市街地戦闘訓練」、「KC767機による空中給油訓練」など実践に即した訓練も強化されたといわれる。2006年2月自衛官の個人パソコンから流出した「平成15年海上自衛隊演習」という文書によると、北朝鮮の脅威を想定した日米の警戒警備体制と活動で臨検や弾道ミサイル対処が演習されたようだ。
戦力整備面でも急速に自衛隊は「近代化」された。高性能コンピュータ装備イージス艦(一隻1300億円)を5隻も保有し、米軍も太平洋地域配備イージス艦10隻のうち6隻まで横須賀を母港としている。「ヘリ搭載護衛艦」という準空母16DDH(自衛隊用語には空母はなく、すべて護衛艦という)も配備された。2007年度の防衛関係費は4兆7944億円に達する。恩給年金を入れれば5兆6000億円にもなり、いまや世界の5番以内の軍事大国になった。
2005年は日本の防衛にとって(憲法九条にとって)重大な事件が集中した年であった。一つは「米国原子力空母ワシントンを2008年以降、横須賀米軍基地に配備」、二つは「自民党新憲法草案」発表であり、「自衛軍の創設」、「集団的自衛権行使の容認」が明記された。九条の戦争放棄はなくなり安全保障と書き換えられた。三つは「在日米軍基地再編」合意文書決定である。基地の共同使用、自衛隊の司令部を米軍基地内に置くとか「日米共同司令部」を設置するとか、再編費用は全て日本が負担する(3兆円)といったおよそ独立国とは思えない米軍一元支配下の「米軍・自衛隊一体化」が謳われている。日本は1945年以来軍事的には一度も独立していないのだった。

どこへ行く自衛隊

この章では日本の安全保障の枠組みの「あるべき姿」が論じられている。本書の一番問題が多い箇所でもある。実現可能かどうか、権力側の選択肢でない場合何を言っても犬の遠吠にすぎないではないかという無力感が付きまとうのである。しかし1946年11月日本国憲法が出来たとき政府国民挙げて歓迎し期待に胸が膨らんだといっても過言ではない。一部権力側(自民党)がぶつぶつ言うような「押し付け憲法」ではなかった。日本国民が選択した憲法であった。むしろ朝鮮戦争で急遽出来た自衛隊こそが「押し付け軍隊」ではなかったのか。朝鮮戦争で大きく日本の楫は曲がった。1952年片肺サンフランシスコ条約で日米安保の時代が始まった。米軍は半永久的に日本に駐留することになった。1954年に言い訳(合憲論)の苦しい自衛隊が創設された。そして1963年田中統幕事務長による「三矢研究」が曝露されると、なんと彼ら軍人は戦前の国家総動員体制の復活をもくろんでいたのである。これに対して佐藤首相ら政治家は烈火のごとく怒ったのである。なんと懐かしい風景ではないか。まだ理性が支配する時代であった。これから戦後レジーム(55体制)が始まるのである。安倍首相がここから脱却するということは戦前の軍人支配の国家体制に戻すということなのか。軍人支配よりはアホな自民党政治家支配の日本のほうがどれだけ楽しいかと思うのは私一人だけだろうか。いまさら北朝鮮のような軍部独裁国家は絶対ごめんだ。
ところがこの三矢研究の目論んだことが、最近になって次々と具体的な法律となった。小泉、安倍首相の底流には戦前の「美しい日本」を懐古する趣味があるようだ。2001年「テロ対策特別措置法」と抱き合わせの自衛隊法の改正に「防衛秘密」条項が隠されていた。防衛秘密項目を曖昧に設定し処罰対象も拡大解釈が可能であった。2002年から10の「有事法制」が立法化された。具体的にはまず「武力攻撃事態法」、「国家安全保障会議設置法改正」、「自衛隊法改正」の三法が上程され2003年に成立した。「有事」の定義は曖昧であるが、予測事態認定をすれば、首相が権限を掌握し、自衛隊と米軍が平時法系から超越し、地方自治体や国民の権限を制限する流れが作られる。まさに後進国の軍部によるクーデターの非常事態宣言になんと似ていることか。地方自治体は協力ではなく国が定めた対処策を実施する責務を負うという強権発動ができるのである。国家総動員法と同じ思想である。2004年には「国民保護法」、「特定公共設備利用法」、「米軍支援法」などからなる「七つの有事法」が加わった。まるで日本国憲法なぞ無視したような下克上式(下位の法が上位の憲法より優先する)法制である。それでも日本国憲法はまだ存在するのである。憲法裁判で下位法の矛盾をついて執行廃止に追い込む手は理論的には残されている。
著者は「新の平和を求めて」という節で、自前の安全保障論を提案されている。「平和基本法」の提唱とか、最低限防御力の設定で自衛隊の縮小再編を主張される。軍備拡張より欧州連合を念頭に置いた「東アジア共通の安全保障」に人類の安全保障を求めるようである。私には著者の説の具体化の可能性は分らない。


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