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高木敏子著 「ラストメッセージ」ガラスのうさぎとともに生きて

 メディアパル(2007年8月)

母と妹を東京大空襲で焼かれ、父を二宮駅で機銃掃射で殺された一人の少女の反戦平和の旅

「ガラスのうさぎ」という物語はかなりの人が覚えていると思う。1980年にはNHK銀河テレビになって多くの人が泣いたはずだから。そうです著者高木敏子さんの本です。高木敏子(旧姓江井敏子)さんは終戦時13歳で高等小学校6年生でした。1945年3月10日未明の東京大空襲でB29 爆撃機300機が東京の下町を襲いました。焼夷弾で15万人の非戦闘員(下町の人々)が焼き殺されました。江井さんのお父さんは江東区本所でガラス工芸工場を経営されていた腕のいいガラス研磨とガラス切子職人でした。江井敏子さんは神奈川県二宮に縁故学童疎開をされていて無事でしたが、たまたま学童疎開から実家に戻っていた妹二人と母親は空襲で亡くなりました。父は工場には不在で助かったのですが、江井敏子さんと父が東京へ行く二宮駅で米軍機の機銃掃射を受けて父は殺害されました。こうして父母妹四人を戦争でなくした。兄二人は志願兵で無事復員してきて戦後の生活が始まるのです。この戦争体験と平和への願いは1977年「ガラスのうさぎ」(金の星社)という本となって出版された。この作品によって1978年「厚生省児童福祉文化奨励賞」を受賞、1979年「日本ジャーナリスト会議奨励賞」を受賞氏大きな反響を呼んだ。1979年に映画化、1980年にはNHK銀河テレビ小説でドラマ化された。以来30年にわたり同本はロングセラーとして世代を超えて読み継がれ、九カ国語に翻訳されて出版された。高木敏子さんは長年戦争体験を、千回を超える講演会や座談会や朗読会で語り継いでこられた功績により2005年「エイボン女性大賞」を受賞した。著書には「めぐりあい」(金の星社)、「けんちゃんとトシせんせい」(金の星社)、「もういやお国のためには」(岩波書店)などがある。

「戦争」今でもこの二文字のため、たくさんの人たちが死んでいる。という書き出しで本書が始まる。指導者たちは「国を護る」という四文字でその国の進むべき道を戦争へと導いていく。戦争を起こさせないという心の輪を強く固く結んで、被爆国日本、戦災で大地を焼かれた日本から世界中の人々によびっかえてゆきましょう。たくさんの犠牲者のために。合掌 なお父が機銃掃射で殺された二宮駅前に1981年平和と友情の碑「ガラスのうさぎ」像が建てられた。語り継ぐべき世代が高齢化し、戦争体験が風化し始めているといわれるが、語り継ぐ意志があれば戦争体験も想像も出来ない若者にも課ならzy伝わるのであるという信念でこの30年間を語る継がれてこられたが、高齢になって病気の続く年レイでは信念だけでは生きられないと悟られた高木敏子さんは、本書をラストメッセージとして世に送りたいといわれる。まだ75才(2007年時点で)なのだから、弱気にならないでがんばって欲しいと思うのは、他人の勝手というものか。


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