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中西正司・上野千鶴子著 「当事者主権」

 岩波新書(2003年10月)

「自分のことは自分で決める」という声が、障害者自立生活センターという次世代型福祉を生んだ

「当事者主権」という言葉は恐らく始めて聞かれた方が多いと思う。これは政治用語「主権在民」ではなく福祉用語であって、その類推で主権は当事者にあると言うことである。まだ市民権を得た言葉ではなく、勿論政治用語ではない。著者のひとり中西正司氏は20歳のとき交通事故で四肢麻痺になった。障害者の自立支援に目覚め有能な組織者・理論指導者として活躍し始め、1986年始めて自立生活センター、ヒューマンケアー協会を設立し、1990年「障害者インターナショナル」DPI日本会議議長に就任。まず障害者交通アクセス運動を全国に展開する。1991年には自立生活センター協議会を設立し事務局長になる。1996年自立生活センター事業の制度化といえる市町村障害者生活支援事業を受託して自立支援サービス事業を全国で展開した。現在は全国自立生活センター協議会代表である。本書はこの運動と事業の成功について発想の転換となる「当事者主権」の考えと実践を述べたものである。もう一人の著者上野千鶴子氏は東京大学大学院教授で女性運動家である。女性運動が障害者自立運動と相通じる点から、中西正司氏と出会いその戦略の相談相手として議論してきたな仲間である。障害者自立支援運動も理論的に広く考えれば高齢者介護や女性の社会立場向上運動(ウーマンリブ)、知的障害、精神障害者とともに少数者権利擁護運動(マイノリティー)である。そこに運動の連帯が期待できるのである。というものの本書はあくまで身体障害者の生活自立サービス運動と事業の展開がメインテーマであり、主な著者は中西正司氏であることは明白であろう。なお本書は極めて理論的に考えられ、格調高い主張がとうとうと述べられる。こういう運動の本は具体的な事例紹介やルポタージュに終始するのが普通であるが、著者自信が障害者で運動の理論的中心であるので、具体性を突き抜けた抽象的迫力を持って記述されている。私にとって近年まれに見る抽象度の高い、哲学的な内容も思想的な内容をも有する福祉運動論を読んだ気がする。並みの官僚ではこの理論に対抗することは出来ないと思われる。中西正司氏は優れたオーガナイザーである。

障害者、女性、高齢者、患者、不登校児童、引きこもり、精神障害者など、社会的問題点を抱えさせられた少数の集団(マイノリティー)に生活自立運動や解放運動が1970年代から始まり、1980年代に運動の大きな盛り上がりがあって、1990年代に社会的制度や国の支援体制が整ってきた。これまで障害者や高齢者の生活自立支援事業とは国や市町村の温情的庇護主義的サービス(パターナリズム)と見られてきた。あくまでサービスの受給者は受け身で、官が良かれと思うことをやるという不備だらけのサービスのことであった。その考えを根底から覆したのが「当事者主権」と言う考え(パラダイム転換)である。当事者とは私の現在をこうあってほしい状態に対する不足ととらえて、そうでは新しい現実を作り出す構想力を持ったときに始めて自分のニーズとは何かがわかり、人は当事者になる。当事者主権はなによりも人格の尊厳に基づいている。誰からも侵されない自己統治権即ち自己決定権をさす。「私のこの権利は誰にも譲ることはできないし、誰からも侵されないとする立場が当事者主権である」と定義されるのである。社会的弱者といわれる人は「私のことは私が決める」という基本的人権を奪われてきた。2000年より施行された介護保険は「恩恵から権利へ」、「措置から契約へ」と大きく福祉パラダイムが変化した。当事者主権はサービスという資源をめぐって受け手と送り手の新しい相互関係を築くものである。

当事者主権の考えは障害者自立生活運動で鮮明に打ち出された。人々は孤立して生きているのではない。みんな何らかの相互依存する人々の集まりである。障害者は社会の人々と協力し合って自立して生活したいのである。障害者は自立するために他人の手を借りる。それは恥ではなく権利である社会を作ることが目的である。今の社会は障害者の要求に答えていないから障害者は「問題を抱え込まされる」のである。交通アクセス運動はかなり実を結んできたが、社会の設計をユニバーサルデザインで行えば、「障害者」(障害と感じる人)は減らすことが可能である。

今や専門家よりも当事者が自分自身のことを一番よく知っている。生活や治療などに関する判断を専門家という第三者に任せないで自己決定権を取り戻そうという運動が盛んになってきた。障害者やニーズを持つ人のことをよく知らない専門家や第三者が当事者より的確な判断が下せると官はおもっているようだが、これはとんでもない思い上がりである。その実は間違ったちぐはぐな判断しか出来ない。医療の現場でもインフォームドコンセントは医師と患者の共同意思決定に変えてきた。専門家は「客観性」の名において、当事者の「主観」を否定してきた。当事者だからこそ分るこという主観的な立場の主張である。したがって当事者主権ということは社会的弱者の自己定義権と自己決定権を、第三者に決して委ねないという宣言である。

障害者は人口の3%似すぎなので決して多数派にはなれない。「最大多数の最大幸福」という多数決民主主義が「公共」の理念を作ってきたが、公共とは多数者の幸福である。(多数者といってもこれは嘘で本当は少数の支配階層の利益しか考えていないのが今日の民主主義であろう) 少数者を切り捨てず(近年若者の貧困化はあきらかに弱者の切り捨てである)社会を最後の一人のあわせて制度設計をすれば、全ての人が幸せになれるのである。例外とかマイノリティに拘ることが効率の概念と反すると、社会的費用が膨大になるとか言われているがこれは、全くの詭弁で、社会的強者(大企業)への手厚い保護育成政策にかかる費用ほど膨大であることを隠している。バブル崩壊後、不良債権処理で銀行に債権を放棄させて借金踏み倒しを容認し、銀行へ数兆円の税金投入は平気でやってしまうのである。道路工事など公共事業はばくだいな負債を残したにもかかわらず、財政再建でいつも端切られるのは福祉関係である。

1:当事者運動が達成してきたもの

障害を背負ったというだけで社会から保護という名目で排斥され、家庭や施設と言う函のなかで無為の生活を強いられるのか。地域の中で生活したいという願望がやがて、みずからの人生の主権者であり自己決定と自己選択によって生きてゆくという宣言となった。これが自立生活運動である。1980年カナダで国際リハビリテーション会議が行われたが、障害者が各国の過半数参加を占めるべきだという意見が出たが、執行部は「専門家」主権の考えに固執し障害者を発言者とは認めなかったので、「障害者インターナショナル」DPIが発足した。障害者が「吾らの声」をあげたのは1972年米国において「自立生活センター」CILが生まれた時である。日本では1970年府中療育センターにおける障害者人権侵害反対闘争が始まりである。1986年には始めて本格的な自立生活センターである「ヒューマンケア協会」がスタートし、1988年には全国個的介護保障要求者組合が作られ、1991年には「全国自立生活センター協議会」JIL結成に合流した。「全国自立生活センター協議会」は2003年時点で全国に計125団体の組織を立ち上げ、さらに60箇所の組織立ち上げを支援している。「全国自立生活センター協議会」の運営委員は51%が障害者即ち当事者である。介助者派遣事業、ピアカウンセリング、自立生活プログラム、住宅斡旋・改造サービスという四つのサービスを提供している。

自立生活とはどんな重度の障害を持っていても、介助などの支援を得たうえで、自己選択、自己決定に基づいて地域で生活をすることである。ここで障害者には介助、高齢者には介護という言葉を使用する。介助では主体は障害者にあり、介護では当事者は対象になる。1986年八王寺市の「ヒューマンケア協会」の発足が日本での自立生活センターの始まりである。有料の介助サービス事業を始めたのである。それまでにはボランティア活動、時間貯蓄制度などがあったが、障害者が市町村から補助された支援金を(2003年に始まった支援費制度)、サービスを供給する人に支払うという制度により、障害者は精神的に自立できるのである。「ありがとう」、「すみません」という言葉をいい続ける必要はないのである。自立生活センターは社会に障害者の要求を訴える運動体であるだけでなく、その要求を自ら満たす事業体としての性格も持っている。「ピアカウンセリング」は当事者が自立するためのもっとも基本的なサービスである。トレーニングや宿泊体験を繰り返して自立生活のイロハを取得する過程である。ピアカウンセラーは心の問題から制度や設備の問題まで、自立に生活を支援する総合的なケアマネージャである。在宅で介助を受けながら自立生活をしてゆけるならば、不要な施設という函物を作る必要もない。サービスは週18時間内という上限も撤廃した。

自立生活運動は2003年の支援費制度の発足をもって第一期の運動を達成してきた。その成果を下にまとめた。
1)サービスニーズを顕在化させて行政のサービスを改善した。
現在125の市町村で自立生活センターが稼動しており、約2万人の介助者が1万人の障害者にサービスを提供している。事業売り上げは59億円となった。年2000回のピアカウンセリング講座、自立生活プログラムが提供されている。
2)街のアクセスを格段に向上させた。
1994年ハートビル法(障害者が利用しやすいビルの施設の基準)や2000年に交通バリアフリー法の成立(駅にエレベーター、スロープ、段差のない街つくり)
3)介助サービスがニーズ中心に出来るというモデルを示した。
介助サービスに三つの無制限(時間、対象、介助内容)を掲げた自立生活センターの95%は支援費制度の認定を受けた。
4)自立生活センターの事業を国の制度にした。
1996年国は自立生活センターに事業を国の制度にしたいという申し出に対して、法人格を必要としないセンター、国家資格のないピアカウンセラーを国の職員に雇用すること、ピアカウンセリングによる自立生活プログラムを必須とすることの条件をつけて、「市町村障害者生活支援事業」が発足した。これは官主導の政策つくりを根底から覆すすごい成果である。
5)介護保険や支援費制度の基本的理念をつくった。 6)ホームヘルパー制度で24時間介護派遣を可能にした。
7)介護保険を超えるサービスを実現した。
高齢者介護保険制度は要介護度別の利用限度額が設けられている。要介護度認定は市の第三者委員会が行い、認知症よりは身体ADL重視である。不適切利用の制限という名目で買い物や日常生活の営みが軽視されている。介護内容の自己決定権が制限されているのである。
8)障害者に誇りと自尊心を与えた。
9)福祉サービスの「利用者としての当事者の自己選択・自己決定を可能とした。
10)専門家と当事者の関係を変えた。
11)当事者が政策提言能力を持つようになった。
12)ピアカウンセラーという新しい職種を創出し定着させた。
ピアカウンセラーの養成研修システムを確立しておいたお陰で、行政が養成教育に介入することを防ぎ、臨床心理士カウンセラーの専門家がこの業界に参入することを防いだ。このことは「自分のことは自分が一番よく知っている」という原則で、権威のある専門家集団による間違った指導をなくするという意味で画期的である。国の得意とする認定資格制度を打破した始めての事例ではなかろうか。まさに当事者運動の成果である。 13)恩恵としての福祉を、権利としての社会サービスに変えた。

2:介護保険(高齢者)と支援費制度(障害者)

介護の社会化の理念を目指して。2000年には介護保険法が施行され、2003年には障害者を対象とした支援費制度もスタートした。この二つの制度は似ているようでどこが違うのか、二つの制度が統合されない理由は何だろうか。
介護保険制度は毎月3000円近くの増税に価しながら、老老介護、多重介護、家族介護の社会化を目指した。介護保険制度は65歳以上の1号保険者なら誰でも公的な介護サービスを僅かな利用料負担で受けられる制度である。高齢者福祉を恩恵から権利へ、措置から契約へ変えた。施設利用から在宅支援へシフトしたが、発足当初から制度上の問題点が指摘されている。要介護度認定の標準化が難しいことや介護度に応じた利用料の上限額が低いことや身体介護と家事介護の料金格差が大きいなどである。
支援費制度は政府の施設から在宅へという大きな方針に基づいた制度である。日本を代表する4つの障害者団体(日本身体障害者団体連合会、全日本手をつなぐ育成会、日本障害者協議会、DPI日本会議)と厚生労働省で協議をおこない国の補助金で障害者支援を行うことが決まった。このような組織の連合体が迅速に行動したことが権利の擁護に結びついた。支援費制度と介護保険制度には大きな違いが存在する。従って今両制度の統合を図るには調整が不可能である。障害者の既得権利を落とすことになる。むしろ介護保険制度のサービス向上を図ることが先決ではないか。

1)介護保険には1割の自己負担がある。
障害者支援費制度では応能負担で、年金のみの収入では自己負担はゼロである。 2)自立の理念が異なる
介護保険では自立とはサービスを利用しないことで、支援費制度ではサービス利用を前提とした自立である。介護保険では排泄の自立というADLレベルでの自立と定義される。
3)アセスメント方法が異なる
介護保険では介助に一動作の標準化による点数がつけられるが、支援費制度では自由で制約のないサービスを受けられる。散歩でも買い物支援でも出来る。
4)介助者の資格制度が異なる
介護保険も支援費制度も身体介助/家事介助については1-3級ヘルパー資格が義務つけられるが。支援費制度では障害者のニーズに応じた20-30時間の研修で取得できる新たな資格制度が作られた。
5)ケアマネジメント制度が異なる
介護保険ではケアマネジャーは都道府県認定資格であるが、支援費制度ではセルフマネジャーケアが基本である。支援費制度では行政に申告するだけでサービスが受けられる。
6)介護保険では介護サービスに上限がある。
介護保険では要介護度5で月額35万円の上限が設定されている。これは単身高齢者、無年金者、低年金受給者の在宅生活を満たす水準ではない。家族介護の負担軽減を目的である。支援費制度は上限を撤廃した。
7)社会参加の意味が異なる。
介護保険の社会参加とはデイケアセンターに通うことである。地域の会合や催し物に参加することはサービスの対象ではない。

障害は人格ではなく属性のひとつに過ぎない。当事者の、当事者による、当事者のための運動として自立生活センターが育つことが理想である。当事者はサービスの利用者である。これまでの福祉サービスは何が適切なサービスかについて公的機関が判定するという第三者基準を持っていた。当事者主権はこれを180度転換しようとするのである。障害者支援費制度では全国で一万人いる全身性障害者にかかる費用は500億円にすぎない。介護保険では5.4兆円である。これだけ費用に違いが有れば、両制度は統合する必要はない。支援費制度ではサービス提供者はNPO、市民事業体や障害者事業体である。介護保険では利用料金が公定価格であり市場原理は働かない。介護の市場化は高額の老人ホームという商品を生んだが、誰が利用するのだろうか。また介護保険制度は家族への支援(家族負担の軽減)という意味合いが強かったが、障害支援費制度は家族ではなく当事者に与えられるのである。家族といえども権力関係の一つであり、家族の中で障害者は自己決定権がない。当事者のセルフマネジメントケアやパーソナルアシスタント制度が望ましい。

3:当事者運動と事業体の組織論

当事者の権利は、官僚の裁量で恩賜されるものではなく、法律として固定し監視してゆくアドボカシー(権利擁護活動)が欠かせない。そして行政が相手の権利擁護運動はそのパターンや要領などの伝達が可能である。たとえば支援費制度のサービス提供者はヘルパー資格が必要であった。調査したところ2,3級ヘルパー資格をを持たない介助者が全国で82%もいることが判明したので、厚生省と交渉して都道府県認定介助者という制度を緊急避難的に作ったことも臨機応変の処置として必要であった。障害者団体の形成は、障害者種別に進んだ。DPI日本会議は障害種別を超えて全国自立生活センター協議会や全国障害者介護保障協会と共同歩調をとることが多かった。アメリカでは全米退職者協会AARP(2500万人を組織)のように、高齢者協同組合や高齢者事業団などとも連帯行動をとって全国1200万人の福祉サービスユーザーユニオンを作ることが出来れば、政治的パワーを持つことができる。

身体障害者の地域ケアーシステムはほぼ完備したといっていいが、今後は知的障害者地域支援サービスに力を入れてゆくそうだ。そのために「ガイドヘルパー」、「おしゃべり場」などのサービスの充実を図ってゆくということだ。ヒューマンケアー協会では視覚障害当事者をコーディネータとして雇用しガイドヘルプサービスの検討に入った。精神障害者のホームヘルプサービスは2000年度に市町村の福祉担当部署へ移管された。ヒューマンケアー協会では2003年より精神障害者のホームヘルプ事業を開始し、精神障害者のピアーカウンセラーの養成にとりかかっている。さらに聴覚障害者のピアーカウンセラーも2003年度に活動を開始した。

組織が巨大化すると中央集権型の官僚組織になることは避けられない。するとメンバーの自発性と活力が失われる。専従職員はますます官僚化して現場感覚を失う。そこで新しい社会運動論としてネットワーク組織論が、戦後の労働組合や政党の反省から生まれた。あくまで障害当事者が組織の決定権を持ち、代理者に運営を任せないことである。間接民主主義の代表制組織陥らないことが生命線である。また本部ー支部というフランチャイズ方式はとらない。15名程度が組織の限界である。横でつながるのである。介護サービス提供事業所には大きく官(自治体の社会福祉協会など)、民(営利企業)、協(消費者組合、農協、NPO、任意団体)の三種類が有る。第三セクターの公益法人というのもあるが官の統制が強く天下りの受け皿に過ぎないことがわかっていた。社会福祉協会は出来高払い制についてゆけず撤退した。民の営利企業の本質は利益であるから採算が取れなければ撤退するし、サービスの質に問題があってかならずしも利用者の利益につながらない。効率とサービスの質の面から非営利市民事業体は優れている。ヒューマンケアー協会は今でも無認可団体である。箱物を作るために社会福祉法人格が必要かもしれないが、当事者サービスを最重要課題とする運動に法人格は必要ない。しかしNPO法人格の取得は事業体として意味がある。個人に責任が帰されないためにもNPO法人格はあったほうがいい。そして全国自立生活センター協議会はNPOとして運動と事業体を決して分離しない。福祉サービスは当事者の要求を元にしぶしぶ腰を上げるのが日本の行政である。理念を忘れ営利事業のみに堕した生協組織も反省材料である。そして人の常であるが仕事量が増えれば収入も増えるので、いたずらに事業の量的拡大、拝金主義に陥る。そこで全国自立生活センターでは事業と運動の代表を障害当事者とし、運営の実権を当事者が握ることで再三部門が優位に立つことを押さえる努力をしている。

4:住民参加の地域福祉

地域密着型サービスを提供する住民参加型地域福祉には何が必要なのか。ヒューマンケアー協会が軌道に乗ったのは1988年東京都の「地域不好き振興基金200億円を申請してからである。ものとかねを動かす事業体になるとやはり法人格を持つほうが有利である。介護保険と支援費制度の施行によって福祉NPOの経営基盤は大幅に変った。支援費制度が始まってホームヘルプサービス事業所はNPO資格を取るだけで一定の基準を満たしていればだれでも事業者になれる。全国自立生活センターの2003年の売り上げ予想は59億円である。非営利事業の役割は民間営利企業が手を出さないとわかっている収益性の低い事業をあえて分担することにある。「自分が使いたいサービスを提供したい」その意味で当事者を担い手とする市民事業体のサービス提供は何よりの品質保証になる。サービス提供者の生活は社会保険完備で世間並みの生活が営める報酬をあたえているそうだ。支援費制度は国が障害者に介助料を支援費として支給し、障害者は介助者に報酬を支払うというダイレクトペイメント(直接支給)方式を頑固に守っている。これを自治体が支払ったら介護者の顔は障害者のほうに向かない。障害者が払うからサービスに心がこもるのである。

自立生活運動のおこなった大きなパラダイム転換の一つは、サービスの受け手がサービスの提供者に変わることである。劇的な主客転換である。福祉には善意や慈善は時には危険である。地域に十分な介助サービスが整備されれば、施設に頼らなくとも、重度障害者が生まれ育った地域で暮らせるのである。民法でいう親から子への生活保護義務は障害者には負担に感じられた。普通の親子と同様に親離れ、子離れが求められているのである。施設は都市化と家族の崩壊、コミュニティーの崩壊がもたらしたもので、障害者を専用に収容する箱である。その箱は行政と建設業界に癒着を生み、自治体官僚の天下り先の手段となった。施設で暮らし続けたい障害者はいない。障害者を施設から解放することは、精神障害者を病院から解放することでもある。医療では専門家支配は独裁的である。

5:当事者の専門性と資格

自立生活運動は専門家権力に反対してきた。資格は専門性の保証になっているだろうか。当事者こそ自分自身について一番よく知っているという当事者の専門性のあり方を主張する。そもそも資格と能力には何の相関関係もない。介助は基本的には生活能力があれば誰にでも出来る。痰の吸引が家族に出来てヘルパーには出来ないという資格の矛盾がある。国が金を出す以上、有資格者のサービスに限るという理屈も分るのだが、無資格の介助者も利用者が認証すればよいような制度は作れるはずである。とくにピアカウンセラーについては利用者を置き去りにした国家の権威主義的な専門性に強く反対するそうだ。臨床心理士資格は権威主義と学歴主義の匂いが強い。自立生活運動はこれを強く排除しピアカウンセラーの養成研修システムを確立した。介護保険ではケアマネジャーという都道府県認定専門職を誕生させた。ケアマネジャーには中立性が求められたが経営として自立することは出来ず結局事業所所属となったいきさつがある。高齢者のケアプランではグループホーム、デイサービス、ショートステイなど限られた選択肢である。1997年厚生労働省で障害者ケアマネジメント体制整備検討会で介護保険と同じケアマネージメントを国は主張したがこれを撃退した。多くの障害者はケアマネージャーよりはケアコンサルタントを必要としていたのである。

高齢者介護制度では痴呆性高齢者に対応しきれていない。日常生活動作ADLに重心をおくと、実際は排泄や徘徊など痴呆行動で家族に一番負担がかかっていることを救えない。成年後見制度では自己決定を代行させる制度である。これは全人格マネジメントになりかねずきわめて危険である。複数の専門家が当事者に関与してお互いに監視しながら協力する体制が望ましい。

6:当事者学のススメ

障害者自立生活運動と同時並行的にマイノリティ運動も進展してきた。女性運動は1960年代第二次フェミニズムは弱者救済運動ではなく、当事者の自己解放運動となった。強烈な自己決定権の主張である。1977年国際女性学会が開催され日本女性学研究会が生まれた。1999年には男女共同参画社会基本法や各地で条例が制定された。患者の自己決定権をめぐって1994年患者学シンポジウムがうまれ、アルコール依存性患者の自助グループAAが有名である。精神障害者の当事者主義、不登校学のすすめ、障害学の展開など急速に運動は進展し今後どうなるかが期待される。


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