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辻井喬著 「伝統の創造力」

 岩波新書(2001年12月発行)

日本の伝統的文化の衰退とその時代的要因

ご存知のように辻井喬氏とはペンネームで元西武百貨店社長の堤清二氏のことである。西部鉄道・国土開発などの西部グループの総師堤義明氏とは腹違いの兄弟である。東大学生時代に左翼運動に参加したため西部の創始者である父に嫌われ、跡継ぎは腹違いの妾の子義明氏となった。
堤清二氏は現在、セゾングループ(旧・西武流通グループ)の実質的オーナー。財団法人セゾン文化財団理事長。日本ペンクラブ常務理事。日本文藝家協会常務理事。マスコミ九条の会呼びかけ人、憲法再生フォーラム共同代表、日中文化交流協会会長。
バブル崩壊後、急拡大の末にセゾングループの経営は破綻を迎え、1991年には、グループ代表を辞任。2000年には西洋環境開発(同年清算)を含むグループの清算のため、保有株の処分益等100億円を出捐した。1996年に堤清二名義で岩波書店から出版した「消費社会批判」を学位請求論文として、中央大学より博士 (経済学)の学位を受ける。2006年3月近作をはじめとする小説群の旺盛な創作活動により日本芸術院賞恩賜賞を受賞した。
堤義明が一連の不祥事で逮捕され、西武鉄道グループの再編・再建活動が活発化すると、義明への批判を展開。異母弟の猶二と共に西武鉄道へ買収提案を行うなど、実業家、西武の創業家メンバーとしての活動も活発に展開している。

本書の第一の命題は、岩波書店版「消費社会批判」の思想を受け継いだ、現在社会批判から出発しているように思われる。本書のもうひとつの命題は左翼運動の流れを受け継いだ軍部主導による天皇制国体政治と文化政策批判である。この二つの思想を背景にして本書を読むと日本文化の衰退の原因がよく理解できる。本書の題名は「伝統の想像力」と幅広いう内容を包括するようだが、実質は日本文学の衰退のことしか述べていない。日本の文化が衰退していると感じられるということを出発点として、教育改革論議で典型的に見られる「伝統尊重」の狙いを徹底的に批判し、1980年代にピークを向かえた消費社会・情報社会の進行が詩歌・小説の思想性・伝統を奪い衰退の要因となったと辻井氏は考える。伝統を「自己改革を行う運動体、新しい文化芸術を創造するときに必ず現れる力」と定義し、混迷する文藝の再生は可能かと問うのである。本書を読んで、私は閉塞観に襲われる。出口がないのである。答えのない問いがいつまでも継続される。突き抜ける解がないまま繰り返されるこの重苦しさには耐えられないと感じるのは私だけだろうか。本書は問題提起の書で解は各自が考えようということか。ということで疑問符だらけの内容を次に紹介する。本書は四つの章からなる。

第一章 文学の衰弱

まず「我が国の文化芸術の色々な分野を通じて老化というか無気力というか、未来への方向喪失といった状態が蔓延している」と辻井氏は嘆く。詩の起源は音韻律と身体と心のリズムの問題が含まれているが、現代詩が難解なのはこのリズムを失っているからだという説は納得できる。さまざま人が短歌・俳句を非難してきた。代表的な批判には桑原武夫「第二芸術論ー現代俳句について」、加藤周一の「現代詩第二芸術論」などがある。高村光太郎および「荒地」に集まった詩人たちには詩における思想にこだわったが、みずからの作品を思想という価値に照らして考える詩人は急速にいなくなった。戦後詩からは完全に思想はなくなった。口語自由詩が既に滅んでいると批判する加藤周一氏は「その日本語が美しくないからだ」という。小野十三朗しは「標準語には、言葉に抑揚の美しさがない」という。これも真実のような気がする。標準語は国が定めた統一語で美しさなんかは考慮しなかったからだろう。すると詩は死語となった文語で書くしかないのだろうか。基準となる本質的な共通項(思想)がなくなっている。とくに現代自由詩は定型がなく、感覚以外に頼る物をなくしているのである。感覚だけでデビューした詩人が年をとると実にくだらない詩を書くのは思想がないからだ。又その共通項は共同体が滅んでしまったことによって、読む人にそれと分る共感を与えないからだ。何故こうなったかといえば社会の変貌によって現代人の心がなくなっているからだ。21世紀には文学のみならず芸術全体を衰微させる方向に流れているようだ。「経済の異例とも言える発展が芸術全体を衰えさせる条件になっているかに見えるのは、発展の仕方に問題があったのか、芸術表現の技法が社会の変化についてゆけないだけのことか、あるいは従来日本的美意識といわれていたものが工業社会で生き続けられないものか」と辻井氏は大量消費社会批判から分析する。吉川英治、司馬遼太郎氏の国民文学や菊池寛氏の通俗小説にはまだ共通感覚が存在していた。しかし21世紀には文学が現実と遊離しているという意識、文学が大衆的でないとことによって時代の精神を表現した作品を創作できないでいる孤独感、そして明治以来文学は遂に血肉化された思想を持つことが出来なかったという失望が渦巻いているのである。明治以来短歌の場合は初期の変革期を経てからはおもに自然主義との闘いであった。森鴎外、落合直文らの新体詩運動は明治維新の衝撃を受け止めて翻訳詩から急速な進展を遂げた。一方正岡子規の短歌改革、鉄幹らのロマン派、これらの革新が次の世代へ受け継がれていったのは伝統を排除することではなく伝統の上に立っての革新だったからだ。口語自由詩では萩原朔太郎などを輩出したが、裾野が広がることがなく突然変異のように才能が現れ消えていくのは伝統に立っていなかったからだ。
戦前には尾上柴舟の「短歌滅亡論」、折口信夫の「歌の円寂するとき」、戦後には小野氏の短歌批判などいつも「短歌よ滅べ、短歌よ滅べ」といっているようだ。それは宮中歌詠み会の桂園派にたいするぞっとするような権威観への反発があった。それと現代歌人には人間的に優れた人がいないとか思想がないなど批判が多い。

第二章 衰弱の原因

文化芸術のあらゆる分野で深い閉塞観・沈滞観が漂っているように見える。それは一つには高度経済成長・技術革新・市場原理主義により芸術が破壊されたためであり、二つにはユートピアの消失と日本的共同体(家族も含めて)の崩壊で消費生活に埋没しかつバラバラになったことである。日本は消費社会の到来でこんな猥雑な都会になってしまった。しかも消費は多様化したようで実はグロバリゼーションで均一化に向って直進しているではないか。没個人の方向である。そんな時2000年12月あたかも諸矛盾の根源が教育にあるといわんばかりに「教育改革国民会議」なる諮問機関が反動的固定的な「伝統」の尊重を打ち上げた。伝統の強制は実は内容をすり替えた似非伝統こそが狂信的国粋主義、軍国主義を下支えたした戦前のイデオロギーである。戦前の徹底した思想弾圧、熱狂的な天皇崇拝思想がいかに人々の思考力を停止させたかという苦い歴史上の経験がある。戦後の経済成長は日本人の考え方を金銭中心にしてしまった。それは戦前の国粋主義と同じ価値観の単一化である。国際基督教大学の松沢弘陽氏は丸山真男氏の主張を取り上げ「ポジティブな伝統を形成すること、思想の伝統化が今まさに課題になっている」とのべた。そして我が国の文学作品が思想としての文脈と言葉をもっていないということが、歴史や社会の変化に反応する構造を失っていることである。まさに文学の終焉である。

第三章 日本文化の伝統とは

文化芸術との関連で伝統ということを考えると、それはその地域に住む人が持っている感性に基礎を持つ思考の様式、表現の様式そして美意識である。明治維新以来我が国の芸術論と伝統論との関係は、日本文化を否定し西欧から学ぶべしという論と伝統を偏狭な国粋主義的思想によって歪めて伝統の復活を説く論の交代の歴史であった。わが国の近・現代文学作品から思想の文脈が消えている。現実を映す力はあるが、歴史的に社会構造から追求する思想的素養を持たないことが日本文学の特徴だという倒錯した論があるくらいである。河上徹太郎は伝統を「少なくとも伝統は近代性にとって不可欠な前提である」といい、篠田一士は「伝統とは自由なる精神に働きかけて想像力を開放し、同時に開放された想像力が確固とした形式を持つための求心力となる高貴なる概念である」といい、深瀬基寛は「伝統の意義は自らの内容項目の死滅をこえて新しい形へ自らを手渡すところの運動の概念を含んだ文化の形成力だ」といい、「かつ伝統は国家の成立とは比較にならないほどの奥行きを持った歴史的現実である」とまでいう。三好行雄も「無意識の記憶としての時間と空間を規制する存在を伝統という名の持続として想定する」というのである。然るに「教育改革国民会議」がいう「伝統の尊重」とは教育改革に「伝統を持ち出すことによって、伝統の歪曲にとりかかるのだから目を離してはいけない。所謂伝統尊重論者の多くに見られる弱点は歴史意識の欠落である。彼らにとって伝統とは自分の好むある時点の道徳であり美意識に過ぎない。盗賊楠木正成が忠臣となり、頑固な武士階級論者であった西郷隆盛を悲劇の英雄にする類である。形骸化した形式に固執した宗匠の権威主義を伝統と呼ぶ類である。ご都合主義の歴史意識は「南京事件はなかった」というのである。臭いものには蓋をして見ないどころか、なかったことにしたいのである。
安保闘争後の日本社会は所得倍増計画というユートピアに酔って、民主主義は時間のかかる形式的手続き論に定着した。安保闘争のときには安部公房、大江健三郎、三島由紀夫らは時代を敏感に反映したが、1970年になると村上龍や村上春樹らの作家はもはや社会の矛盾に眼を向けることはなかった。歌壇や俳壇には前衛短歌の寺山修司、新リズム俳句の俵万智、黛まどかなどの才能が出た。
現在言われている伝統の多くは明治維新後に作られた国家意識と無縁ではない。著者辻井氏は仮設だと断って「思想は本来感性という土壌から別れでた二本の幹のひとつであった。もうひとつはいうまでもなく美意識である」という。折口信夫の「歌の円寂するとき」は日本の文学全体が伝統と思想から離れ、ひたすら西欧文化を模倣するようになったときから短歌はいずれ亡びると確信を持ったようだ。水、風、風景という美意識も時代と共に大きく変化してきた。辻井氏は「伝統は風土と気候、歴史に深く影響された感性を源に持っており、感性からは思想と美意識が生まれた」という仮説で伝統論を構成してきた。そして日本人の創造的な思想とは「いずれも深く人間の実存と結びついており、陰翳と混沌と偶然性を特徴とする性格を持っている」という。西行から芭蕉への漂泊の歌人には伝統の継承が強く感じられるのである。

第四章 伝統の継承

工業化が進む国では反比例して文学が衰えつつあるという印象がぬぐえない。戦争が与えた歌人への影響としては高村光太郎と斉藤茂吉が取り上げられる。どちらも戦争中は戦争高揚のうたをつくって時流を景気つけた。戦後高村光太郎は戦犯の畏れに怯えて閉塞し自責に徹した。斉藤茂吉は戦後新体制賛歌をうたって時流に阿ねた。斉藤茂吉は時流がどうあれ最も優れた日本的美意識をもっていた。短歌を激しく批判したのが小野十三朗であった。彼は短歌の韻律を「奴隷の韻律」といって否定した。小野が言いたかったのは詩が自立するために必要な批評精神を韻律に委ねてはいけないということだった。批評は美意識と一体となった思想がリズムを得たとき詩として成立するということだった。日本的美意識とは雪月花を歌うことであり、伝統とはわび、さび、しおりのことだといわれる。これはいつごろ成立した常識なのだろうか。常識的な伝統を考える時疑問が湧く。わび、さび、しおり、もののあわれはどのような芸術上の価値観を言うのか。鎌倉・安土桃山・琳派といった豪華華美な美術が含まれないのはなぜか。世阿弥、近松、西鶴などの演劇が位置づけられていないのはなぜか。総じて江戸時代の芸術が伝統論から排除されていることは否めない。そこに明治政府以降の歴史観と政策が深く関与しているようである。辻井氏は「戦前の軍閥や国粋主義者が伝統を歪め我田引水的に悪用したことが日本の伝統が拒否されることになった」という仮説を設けた。治安維持法は市場原理経済体制を守るために、不安や動揺を抑える効果として天皇制国粋体制を敷いたことが明白である。そこで歪んだ伝統が強制されたのである。我が国の伝統の認識のなかから激しいもの、豪華なもの、敵対と葛藤のテーマが抜かれ、曖昧模糊とした幽玄、わび、さび、しおり、あわれが推薦されたのである。


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