書評  051209

茂木健一郎著 「脳と仮想」 The Brain snd Imagination

   
 新潮社(2004年9月25日初版)
 
近代科学で捉えられない意識の世界、1リットルの脳細胞が生み出す仮想の世界
 

小林秀雄の心脳問題

小林秀雄の全作品について文藝散歩で取り上げて批評し其処にも書いたことであるが、どこか小林秀雄には科学に対する誤解と反抗があるように感じている。見える人には見える幻想としての幽霊や霊魂は許せるとしても、オカルトやユリゲラの超能力は許せなかった。小林秀雄に科学顧問をつけるべきだと私は叫んでいたのだが、結局はいわゆる脳細胞が生み出す心脳問題に帰結することが分かった。脳科学の発達が生命科学(遺伝学)の著しい進歩に比べて未熟で、分からないことだらけであること反映しているのであって、科学では魂や意識は絶対分からない世界だとする小林秀雄の反抗は間違っていると私は考える。魑魅魍魎の跋扈する世界は確実に減少してきた。それは人文科学における哲学の分野が宗教と倫理に限定されていることでも明らかである。心理学はいずれ消滅するに違いない。

クオリアと茂木健一郎氏の企画

著者茂木健一郎氏はこの本の貢献により新潮社から「小林秀雄賞」を受賞した。異色の脳科学者で人間の経験のうち、科学的に計量できない微妙な感覚質をクオリアと呼んでいる。すなわち脳科学の研究対象になりえない再現性のない個人的な体験も脳の機能から出てくることは違いない。これをクオリアと言って脳内現象として理解しようとする試みであろう。茂木健一郎氏は大脳生理学者でも脳神経医でもない、ソニーコンピューターサイエンス研究所の研究員である。脳機能の暗闇を明確に把握するためには様々なアプローチがあって当然である。1千億個のニューロンのシステムを構造論だけでは理解できないのは当然である。しかも脳は言語・宗教・社会システム・科学等々の人間活動を生み出してきた人間を特性付ける機能を持っている。だからこそ彼は神秘主義に陥ってはいけない一つの方法論を提供しょうとする科学者である。

仮想の切実さ

「人間の精神の歴史は仮想の世界の拡大の過程、即ち仮想の系譜において捉えられる。人間は現実にないものを見ることによって、現実をより豊かな文脈の下に見ることが出来るようになった、次第に豊かな仮想の文脈が積み重ねられる過程で言語が発生した」と言うように氏は人間精神の特徴を現実から自由なイメージの構築においた。何かを思うだけで現実は変わるものではないが(雨乞いなど)、実現しない仮想の切実さが人間の進歩の基盤であった。その仮想世界が言語や文明を生み出したことは歴史からして明白である。したがって認識は現実と仮想(イメージ)の織りなす綾で構成される。

現実とは

「現実とは複数の感覚より得られた情報が一致することである、そのような一致が得られない場合私達仮想と詠んでいる。」、「もともとは現実であれ仮想であれ、全ては神経細胞の生み出す脳内現象である。現実から浮遊しているからこそ仮想することの自由がある。仮想は人間精神の自由と関係している。」と仮想は人間精神の創造の源泉であるとするのである。

他者との空間と時間

「私達は意識を持ったものとしてこの世に生を受けている。意識は自分の外を志向して空間を生み出すが空間もまた仮想である。他人の心は断絶の向こうにに見える仮想に過ぎない。人の心と人の心の断絶は絶対的である。それが私たち人間が生きるということなのである。」、「過去も未来も仮想でしか存在しない。物理的時間自体は物自体と同じように人間は知りえない。」と言うような茂木健一郎氏は不可知論を展開する。人と心が通じたということは共同幻想だという論は確かにある。私は時間と空間の無限性をいつも考えては戦慄する。果てのない物理空間、永久に流れる時間それらはひとの認識に成り立っている幻想か。人間がいなかったら、時間と空間は存在するのだろうか。それとも時間と空間は存在しないのか。全て夢幻か。この深い闇は見えるのか。


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