小林秀雄全集第8巻  「精神と情熱とに関する八十一章」


「フランスの哲学者アランによる哲学概論」の翻訳

第8巻は哲学者アラン(1868-1951)による哲学概論(1917年刊)を小林秀雄が1936年に翻訳した全文である。アランはフランスのモラリストの伝統に立つ哲学者である。フランスのモラリストの伝統とは日常的なものの中に常に深い意味と連関を見出して、そこに倫理学と道徳を築こうとする哲学の一派である。アランは第1次世界大戦のさなか負傷してこの作品を書いたといわれる。標題の「情熱」とはほぼ「感情」と置き換えて読んでよい。アランは序文と前書きの中で、次のように目論みを述べている。
「自分の知っていること以外は喋らないという条件付で哲学概論を書いたが、理論上・実践上の哲学の重要問題は全て含まれていると信じる。」
「一番通俗的な意味で、感情自体の認識と制御という常に倫理上のあるいは道徳上の教理を目指している。」
「情熱の因子には2種類あって、人間的な因子の認識批判が対象である。曖昧で魔力や前兆の世界を批判の対象として人間性の学を導きたい。」

ここにアランが述べている2つの因子である「機械的因子」とは恐らく科学で片がつく人間の大脳皮質が支配する理性の分野のことだと思う。私見だが「人間的な因子」とは人間の闇の世界すなわち魑魅魍魎が跋扈する情熱(=感情)の世界のことで未だ大脳生理学のメスが入りきれていない脳幹・脳髄の分野のことであろう。この本が書かれた年代から比べると現代は科学とくに医学の進歩は著しく、哲学の分野は益々狭まってきた。それでも自立的生命と感情・情念を支配する脳幹・脳髄の科学は不十分である。ここに哲学存在の根幹的秘密がありそうだ。

アランの哲学概論は7部81章から構成される。

第一部はいわゆる哲学の認識論のことであり、あるがままの感覚では対象は認識できず経験による理性の整理総合的推論が認識論の基本だ。第二部は悟性論につて述べ、認識は全て経験によるとする。第三部は論理学・修辞学について述べ現在では記号論理学で全て整理できることを言葉で言い表しているのでかえって分かりにくくなっている。科学的思考法(数学、力学、量子論など)の確立が哲学の分野を道徳的秩序に関する探究に追いやった。第四部から第七部までは哲学体系というよりは芥川龍之介ばりの「人生の箴言集」になり、フランスらしい気の利いた風刺・皮肉の名文句が述べられている。

哲学については私は本格的に勉強したことはない。私は科学の徒であったためむしろ哲学は原始人のたわ言にしか思えなかった。少なくとも認識や論理学は科学という分かりやすい言葉で解き明かすほうが人生理解の早道であると信じてきた。哲学の言葉で述べられる範囲では、契約・戦争・富などなどの分野でも現在は社会科学の言葉で解き明かす場合が多い。すると哲学の分野で残るものは宗教と道徳のみであろうか。道徳も社会科学の言葉のほうが分かりやすい。恐らく哲学という分野は早い時期に消滅するのではないか。アランも述べている。「哲学を学ぶということがどういうことか。この種の探求が面白くないというなら、それはもう神様のお言葉のようなもので、こんな本を読まなくてもよろしい」と、私も哲学なんかとはおさらばだ。

追記して補正する。

私は哲学について少し苛立って性急な結論じみたことを書いたが、ここで私の私見を補い若干の軌道修正を促す文章があった。それは小林秀雄全作品集第26巻の巻末寄稿にあった茂木健一郎という脳科学者の文である。「合理主義・科学を貫き通してもなお分からない問題のひとつに心脳問題というものがある。さらに説明しきれない精神感応問題(正夢)がある。合理主義のかなたに広大無辺な領域が横たわっている。だから体験の個別性・私秘性(クオリア/感覚の質)に寄り添ってみると見るもの聴くもの全てに不思議の霧が立ち込める。是を精神のエロスという。」

この問題は、科学の徒から見れば「恐らく哲学という分野は早い時期に消滅するのではないか。」という暴言を導いた。私見で述べた「人間的な因子とは人間の闇の世界すなわち魑魅魍魎が跋扈する情熱(=感情)の世界のことで未だ大脳生理学のメスが入りきれていない脳幹・脳髄の分野のことであろう。自立的生命と感情・情念を支配する脳幹・脳髄の科学は不十分である。ここに哲学存在の根幹的秘密がありそうだ。」のことを茂木健一郎・小林秀雄の意見をいれて修正する。「合理主義では認識できないことがある、だから人生は摩訶不思議だ


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