小林秀雄全集第6巻    私小説論


翻訳 ヴァレリイ著 テスト氏、私小説論、新人Xへ、「地下室の手記」と「永遠の良人」 


翻訳 ヴァレリイ著 テスト氏

小林氏はヴァレリイの評論集を学生のころ辰野隆先生から借りて愛読したらしい。氏はヴァレリイの文章は晦渋をもって旨とするような難解だが、理論のもたらす眩暈をはじめて知ったと述べられている。小林秀雄氏の文章の難解さはどうもヴァレリイ氏からも学んだようだ。ヴァレリイ氏が自覚するように正確病という病気は極限を目指す。曖昧さを排除しようとする言語が非常に苦痛に満ちたものになり、抽象的言語映像がきらめくような精彩を放つことに眩暈を覚えたようだ。何を聞いても知っているような人間を扱うのは難儀らしく、日本では全く人気のない批評家だったそうだ。ただ「ヴァリエテ」、「詩学序説」などが翻訳され、小林氏により「テスト氏」と言う難解な自己解説が翻訳された。訳文の紹介に入る前に小林氏の解説を聞いてみよう。「日ごろ接している論文を良く注意して読むと、明快と言われているものも、実は雑多な言語の習慣上の意味に関する曖昧極まる暗黙な妥協によって、僅かに外観上の論理的厳正を保ってるに過ぎないことが分かる。ヴァレリイはこの種の曖昧さを極度にきらった。使用する語彙から伝統や習慣を取り除き、純粋な論理的運動のみを担うように強制されている。従って表現の曖昧さから来る難解さはない。扱う問題自体の難解さに由来する。」
「テスト氏」は序、テスト氏との一夜、友の手紙、エミリー・テスト夫人の手紙、テスト氏航海日誌抄から構成され、結構長文である。

私小説論

「私小説論」とは明治以降の日本の小説(文学)の変遷とその成立基盤を西欧の自然主義から考察した論文である。現在からみると日本文学の歴史と分類といえる。大きく4章からなる。第1章は明治時代の日本の自然主義文学の成立と西欧自然主義文学との相違、第2章は大正時代以降の自然主義から派生した新潮流、第3章はフランス純粋小説の創始者アンドレ・ジイド論、第4章は横光利一の新文学の土俵論である。
西欧の自然主義文学は19世紀後半にフランスを中心に興った文藝思想で、ゾラがその代表である。自然科学と実証主義に基づいて人間の現実を客観的に描こうとする運動である。フローベール、モーパッサンらは広大な社会小説を形成していた。
ところが明治以降四苦八苦して模索していたわが国の新文学運動のなかで、明治末期自然科学や実証主義が未成熟な日本に欧米の自然主義文学が輸入されると、自然主義文学の多くは手法の模倣のみで私生活に基づく告発小説の形をとった。いわゆる私小説と称せられた。やんぬるかな。
告白小説の元祖といわれるルソーの「懺悔録」(1770年)は近代的自我の成立に伴う啓蒙思想の中で成立した。
明治時代には福沢諭吉や夏目漱石といった少数の近代的自己形成はあったが、ほとんどの人は封建的残滓の中に沈んだままで人権も成熟していなかった。富国強兵策のまえに個人は国家に隷属したままであった。田山花袋、島崎藤村、徳田秋声など、日本の自然主義小説(私小説)は身辺小説、,心境小説といわれる由縁である。ましてや本来の私小説なぞ存在する基盤はなかった。
そのなかで森鴎外と夏目漱石はその抜群の教養から私小説運動と命運をともにしなかった。
大正時代になると明治時代の私小説に反抗して様々な潮流が興った(白樺派、新思潮派、早稲田派、三田派など)が、反抗は消極的で日常生活を心理的に感覚的に捉えなおすことであった。また菊池寛や久米正雄が通俗小説に活路を見出した。谷崎潤一郎・佐藤春夫は浪漫派と呼ばれるが、感覚的・情緒的文学の結合である。
19世紀末フランスでこれまでの社会派自然主義文学の息つまりから個人の回復をねらって、アンドレ・ジイドは自意識の実験室として純粋小説を始め、個人と社会の闘争を志した。日本文学の私生活と私小説とは縁もゆかりもない理論で、アンドレ・ジイドは手堅いリアリズムで人生の切片を得た。
ここで小林氏の結論。「私小説は亡びた。私小説は又新しい形で現れてくるだろう。フローベルのマダム・ボヴァリーは私だという有名な図式が亡びないかぎりは。」

新人Xへ

私小説論の結論からこの「新人論」がはじまる。当時の若者の悲劇は「告白に堪えないだけの君の生活は文学的表現に適さぬほど充分に壊れている。」にある。ではどのような活路が残されているのか小林氏は極めて冷淡に突っ放す。「純文学から通俗小説に逃げるかい、一切の文学は面白いだけが能なのさ、あるがままのリアリティだけが面白いのさ、映画やラジオに勝てるかい、材料になる僕らの生活自体がみじめなのさ。」という風に小林氏は私小説・純文学に引導を渡した。小林氏が日本の文藝批評を停止するのも間近い。

「地下室の手記」と「永遠の良人」

まずこの論文は未完であり、「永遠の良人」については何も述べられてはいない。まして2つの作品の連関や比較などは未完である。したがって「地下室の手記」論とシェストフの「悲劇の哲学」批判と題名変更をしなければならない。
本論の目的は言うまでもなく、シェストフの「悲劇の哲学」がでっち上げたドストエフスキー像から小林氏が別の像を作り上げるところにある。ドストエフスキーが言いたかった信念の更正とは「民衆の最低の段階まで自ら下ってみて、国民的根源へ、ロシア魂の認識へ、国民精神の是認へ立ち返る信念のことである。
「地下室の手記」の目論みは、世間のおきてに抗して、狂人となって最大限に自意識を燃え上がらせることであった。小林氏はドストエフスキーの人間学の独創性を次のように定義した。「19世紀の人間つまり主人公は無性格でなければならない。読者が捕らえようとしても困惑するほどあらゆる性格が与えられそれがほとんど意義をも持たない行為にある。主人公の意識は固定できないし、実体的なものから成立していない。それは意識の流れる音である。」
分かるかなー!!わからねーだろうなー!!と小林氏の笑いが聞こえてくる。


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