小林秀雄全集第5巻    「罪と罰」について


「罪と罰」について T、レオ・シェストフの「悲劇の哲学」、林房雄の「青年」、「白痴」について T、文章鑑賞の精神と方法 


「罪と罰」について T

ドストエフスキー(1821〜1981)は「地下室の手記」という短編で「陰惨な心理小説」の走りを書き、1866年にいよいよ五つの長編小説の一番目「罪と罰」を著した。小林秀雄氏は「罪と罰」について二回書いている。1934年と1948年である。「罪と罰」について Tは1934年に発表されたが、これから小林氏のロシア文学傾斜が開始されるのである。内容の深さや解析の詳しさについては「罪と罰」について Uには到底及ばないとしても、「罪と罰」について Tは陰鬱なロシア小説の系譜を知る上での格好な入門書になろう。ショックは最初は少なめにしたほうが精神衛生上も好ましい。
「罪と罰」製作の舞台裏というかラフスケッチのような手がかりとして作者の「ノート」があるそうだが、小林氏はまずこのノートに則って登場人物の性格つけと狙いを明らかにしてゆく。荒筋書きは以下である。主人公ラスコオリニコフは貧乏な大学生で殺人の夢想に取り付かれ、金貸し婆とその妹リザベータを殺害する。その殺人を酒びたりの廃人マルメラドフの娘で娼婦のソーニアに話してしまい、逮捕されシベリア流刑になる。ラスコオリニコフの分身の性格を与えられた享楽以外は無性格で、自殺でこの世とおさらばしたスヴィドウリガイロフと酒びたりで事故死したマルメラドフらの告白は将に19世紀末現象という退廃的虚無的な「こうなるともう娑婆じゃありませんな。あの世ですな」と言うセリフに象徴される、死でしか逃れられない虚無、無自己となんなんだろうか。
こう簡単に筋を書いてしまえば身も蓋もないが、「罪と罰」はドストエフスキーの作品にしては比較的登場人物も少なく構成も複雑怪奇ではない。むしろ分かりやすい小説に類するとしても、なぜラスコオリニコフが虚無的無人格者なのか到底理解できない。「善悪の彼岸」(ニーチェの超人主義)という犯罪哲学から殺人を夢想するにいたる論理的経過はまるでない。現実的事実の外的因子は何もないのである。そうなんだからそうなんだというところからスタートして、ラスコオリニコフに長時間お付き合いしなければなるまい。別にこれが19世紀後半のツアー専制ロシアの社会的現実と縁もゆかりもないことは承知しなければならない。しかしツアーを縛り首にして選挙にはゆかず酒を飲み行く革命ロシアの庶民の非近代的・社会的未熟さは理解しておきたい。
「主観の極限までいこうとする性向と、客観の果てまで歩こうとする性向が背中合わせである危険なリアリズムがこの作者の制作方法というよりこの作家の精神の相ではあるまいか」、「空想が人間の頭の中でどれほど横暴で奇怪な情熱と化すのかという可能性を作者はこの作品のなかで実験した」と言う小林氏の結論い私も賛成したい。
最近日本でもネット自殺や殺人が増えている。首を絞めて人が苦しむのを見ることで興奮すると言う殺人事件があった。また人を殺してみたかったという理由で殺人を試みた事件もあった。これは精神異常者の空想と言うにはあまりに社会的である。とくにネットをサーフィンする者に現実と空想の区別も怪しくなったように見える。バーチャル(擬似)空間/社会を売り物、食い物にする商売が増えたことが背景にある。コンピュータ社会が生み出した犯罪である。
そういう意味でドストエフスキーの「罪と罰」を読めば、ドストエフスキーは急に現実味を帯びてくること請け合いだ。19世紀的疎外・孤独・虚無を21世紀的無生活時代に置き換えればどちらも非現実的夢想に埋没してゆく姿が見える。

レオ・シェストフの「悲劇の哲学」

シェストフ(1886〜1938)が1903年に著した「悲劇の哲学」(副題:ドストエフスキーとニーチェ)の翻訳が河上徹太郎・阿部六郎訳で1934年に発刊された。小林氏はこれを痛く愛読されたようだ。「この有毒の書を紹介するのは訳者の誠実な悪意である。毒は随分利く。憎悪、孤独、絶望を語り最醜の人間を信じた著者は、これまでの形而上学・哲学の破壊を狙ったものだ。これも19世紀的思想の一つか」「悲劇の哲学」の中の名文句をあげる「もはや如何なる地上の希望も持たぬ者よ、すべての絶望者達、生の怪物どもの故に心狂った者らが、我々の元に残っている。彼らと共に何処へ行けばいいのか。彼らを掻き埋めるという非人間的な義務を誰が引き受けるのか」
レオ・シェストフの「悲劇の哲学」の感想はこれだけで、あと2/3は哲学と文学の係わり合いといつもの例に倣って唯物論的社会リアリズム主義文学批判に終始している。直接の関係はない論点にどうしてこれだけの毒舌が吐けるのか。レオ・シェストフの「悲劇の哲学」批判がないのはなぜか。

林房雄の「青年」

この物語は明治維新の動乱のおり、長州の若き志士伊藤博文と井上聞多がお決まりの尊皇攘夷から開国論に傾く青春の一過程を記した青春ものだ。それが林房雄(社会主義者であったが、1930年共産党シンパ事件で逮捕投獄され、2年後出獄して転向)の手で底抜けに明るい物語になった。同様な小説は多いが私には司馬遼太郎の「丘の上の雲」が印象に残っている。日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷将軍の秋山参謀と明治俳諧の革命児正岡子規の物語である。二人は愛媛県出身で夢と希望に胸を膨らませていた明治時代はまさに丘の上の雲のようであった。それ以降日本は急速に軍国主義に傾斜して国を滅ぼすのである。戦争に勝つことが果たしていいことなのか、悪の種をまくだけなのか明治の青年には考えもつかなかっただろう。小説が皆虚構であるように歴史小説と歴史とは違うと小林秀雄は強調するが、とくにこの問題は本論の趣旨ではない。

「白痴」について T

ドストエフスキーは「罪と罰」に続いて「白痴」を書いた。「罪と罰」の延長上にあるが、はるかに円熟した語り口で登場人物も多くなった。ドストエフスキーは製作の意図を「この小説の根本の観念は一人の真に善良な人間を描くことにある。」しかし世界中に真に善良な人間はキリストただ一人であろう。その他はこっけいと言う名で善良なのだ。主人公ムイシュキン公爵は周囲の人に同情しながら誰一人慰めることが出来ない、ただの生活無能力者なのだ。
筋書きを書いてしまえば馬鹿馬鹿しくなるほど荒唐無稽である。「主人公ムイシュキン公爵は子供のころ癲癇に罹って以来、26歳まで精神病院の患者であったが、なかば健康を取り戻してペテルブルグに帰ってくると、捨てられた商人の妾ナスタアシャと将軍の娘のアグラアヤと同時に恋愛関係に落ち、彼は二人の女に同じ愛を誓う。一方ナスタアシャにほれた商人ラゴウジンがからんでくる。ムイシュキン公爵の態度が朦朧としているためナスタアシャの心は二人の間を揺れ動く。アグラアヤはナスタアシャとの恋愛合戦に敗れるが、ナスタアシャは昔受けた恥辱から自己虐待にあり結婚式の日になってラゴウジンの元へ走る。嫉妬のあまりムイシュキンを殺そうとして果たせなかったラゴウジンは今度は逃げてきた女を殺してしまう。ラゴウジンとムイシュキンは仲良く女の通夜をしてやるが、通夜のなかで一人は発狂し、一人は元の白痴にもどる。」
登場人物の性格を語ろう。主人公ムイシュキン公爵はその言行に何の責任も持たない無能力者で、ただ無力な憐憫の情だけが人々の生命が滅んでゆく手助けをしているようだ。ムイシュキン公爵の告発者エヴゲイニイに「何一つ真面目なところがなく、精神上の惑溺、嫉妬だけで、嘘、無経験、無邪気なあたまで作り上げた観念の途方もない逸脱だった。この阿呆め」と言わせている。小林氏は「小説上の病理学的セットは白痴において最も大胆、最も巧妙に組み立てられた。想像力の最も凶暴な場と形容したほうがいい。」という。想像力が文明の原動力であると同時に、この想像力が現在もなおいろいろな事件を引き起こしているのである。これが人間の実相なのだ。

文章鑑賞の精神と方法

小林秀雄氏の人生の教師らしい教訓に満ちた短文である。「文章を鑑賞する上で第一に大切なことは素直に愉快に文章を味わうことが出来るかという自信を持つこと。第二に自分の気質の自覚の上に立った良い趣味を持つこと。立派な鑑賞眼を備えた人というのは、立派な趣味をもった人のことです。ただ鑑賞家には二つの誘惑がやってきます。一つは批評の誘惑、二つは悪い意味でのディレッタント。常に自分の心を賭けて読むことです。」
ワー難しい。誰を対象に語っているのだろう。素直に文章を味わうことが出来る自信なんていわれても初心者には自信があるわけもなく、良い趣味と教養を持てといわれても何を言っているのか不明だ。これでは読書家に恐怖を与えるだけではなかろうか。読んでいくうちに養われてゆくもので読む前に心がけられるものではあるまい。さすが教祖様だ、ひれ伏せられてしまう。


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