小林秀雄全集第12巻    我が毒

翻訳 サント・ブウブ著 「我が毒」、「テスト氏」の方法

翻訳 サント・ブウブ著 「我が毒」

サント・ブウブ(1804-1869)はフランスの評論家。本書は彼の未発表の手帖(メモ)で、生前ひそかにメモって隠し持っていた覚書のようなものである。あまりに人を傷つける内容が多いので死後もしばらくは公開されることはなかった。関係者が死に絶えたころを見計らってフランスの批評家ヴィクトル・ジローが1926年に整理分類し題名をつけて発表した。人に見せないものに序があるわけはない。あくまでジローのセンスで章分けをし命名したものである。全文は23章と断章からなる。メモなので断片的・散文詩的に書かれている。そこで私は各章ごとに印象に残った名文句・肺腑をえぐる警句を少しばかり列記するに留める。小林氏が近代批評の先輩として、彼の批評技術・批評家魂に深く心髄していた形跡があるので全訳を行ったのであろう。

1.序に換えて

・ 「この手帖には濃い、毒薬の状態にある顔料がある。少しばかり薄めると、物を生動させる色彩が手に入るわけだ。」
・ 「此処にあるのは、むき出しのままの僕の思想だ。」
・ 「これは僕の兵器廠だ、ここでは僕は本当のことを語っている。」
・ 「僕の描く肖像画では賞賛は外観だ。批評が中身だ、海綿を圧してみたまえ、酸が出てくるだろう。」
・ 「もし人々が本当のことを大声で語り始めたら、社会というものは瞬時も持つまい。」
・ 「極めて寛大であるためには、あまりに鋭敏な」

2.自己について

・ 「僕は偽善者だが、何食わぬ顔をしている、そして名誉の事しか考えていない。」
・ 「あらゆる小説は,真のキリスト教に反する。」
・ 「僕の批評の仕事では、僕は自分の心を他人の心に当てはめようと努力している。」
・ 「文学において、僕は新しい土地の立派な目利きである。」
・ 「精神と眼との不思議な透視力を授かった。僕にとってはあらゆる人間がカメレオンのように透視できる。」
・ 「自分を愛すことも信じることも出来ない。その代り、贋物の偉さは直ぐ看破して憎悪する。」
・ 「僕には春も秋もなかった。乾いた、燃えるような、悲しい、辛い、一切を食らいつくす夏があっただけだ。」
・ 「有名になった大部分の人々は、売淫の状態で死ぬものだ。」

3.様々なる判断

・ 「僕の批評の慧眼は、忠実な詩人、尊敬すべき作家としての彼らの運命に結ばれていた。」
・ 「最近一番害毒を流したのは、美辞と宣伝と大言壮語とであった。」
・ 「ラマルチイヌは支配し飛翔する、ユウゴオは泥の中を歩く。彼らはもう歌いはしない、喋り散らしているのである。」
・ 「優美は、なにかしら繊細とは全く異なったものである。ユウゴウもジャナンもサンドも繊細というものが欠けている。」
・ 「わが国の詩人たちは、皆堕落を経験したのだ、そしてめいめい自分のもち場所に這いった。」
・ 「ユウゴウという腫れ上がった詩人、キネという騒々しい詩人。」

4.ヴィクトル・ユウゴウについて

・ 「僕はユウゴウの力を幼児の力でもあり、同時に巨人の力でもあるという。野蛮人の若い王様だ。」
・ 「ユウゴウは詩の押韻万能のかって見たこともない邪道に踏み込んでしまった。」
・ 「俗悪さ。白い大縄で縫い合わされた悪戯の塊」

5.ヴィクトル・クウザンについて

・ 「クウザンはほとんど人間ではない。流れる星、響く激流だ。避けて楽しもう。」
・ 「クウザンの文体は、いかがわしい挙動に満ちている。才能ある香具師、天才あるおっちょこちょいだ。」

6.ヴィルマンについて

・ 「ヴィルマンは魅力ある文学の才能を持っているが、裏側には厳しい意味で何もない。」
・ 「ヴィルマン。この卑しい根性曲がりは、華々しい才気で武装している。」

7.ギゾーについて

・ 「ギゾーの雄弁を誉めることは彼の文体を誉めることと同様、腹痛い。」
・ 「ギゾーを破滅させたものは傲慢であり、自信であり、ドクトリネルの特徴である。奴は誠実な陰謀家。」

8.恋愛と婦人について

・ 「苦痛は恋愛を消費し、憤慨は恋愛を破壊し、最後に無関心に達する。」
・ 「虚偽の世界では、正直な女ほど人を騙す。」
・ 「執念深い恩知らずの恋心に捉ったら我慢して黙従せよ、そして隙を見て止めを刺せ。」

9.ラマルチィヌについて

・ 「ラマルチィヌは詩のサルダナパロス、神の贈り物の最大の濫費者、放蕩者。」
・ 「政治的香具師と文学的実業家の第一人者」

10.ラムネェについて

・ 「彼の世界はいわば人間はどのくらいであわてて結婚するかその程度を示している不可思議な狂熱である。」

11.ベリェについて

・ 「詩人に生まれ、詩人になれなかった雄弁家があるとすれば彼だ。」

12.サンマルク・ジャルダンについて

・ 「ジャルダン、無神経な汚らしい心」

13.メリメについて

・ 「かれは確かに自省しすぎる、あまりに超然ぶる。欠けているのは情熱だ。」

14.アルフレッド・ド・ミュッセ

・ 「バイロン卿の叫喚と情熱的な調子を持っているが、同時にバイロンから傲慢と痴呆も受け取った。」

15.ジョルジュ・サンド

・ 「あらゆる種類の気取りや虚栄、誇張、騒動、本当に困りものだ。スキャンダルを犯しながら、崇高なことを書く。誰も信じまい。」

16.バルザックについて

・ 「バルザックは医者だ。わが国で一番多産な男は花も咲かせない肥料ばかりを積み上げる。」

17.ミシュレについて

・ 「最も不健康な公衆の衛生には一番いけない男、天賦の才もない衒学者。」

18.エドガル・キネについて

・ 「キネの詩はノアの洪水以前の時代、半分はライオンで半分は泥、尤も泥のほうが多いが。」

19.チェールについて

・ 「チェールには雄弁家の感動はあるが、文学や批評の分野では何となく窮屈で陳腐だ、そのうえ軽薄だ。」

20.自作について

・ 「僕がやっているのは、文学的博物史」
・ 「誰か他人を描くという口実の下に描きだすものは、いつも自分の横顔である。」

21.批評について

・ 「僕は偉人たちのか絵草子屋に過ぎない。僕はその人になる、文体さえもその人になる。」
・ 「人間をよく理解する方法はただ一つ、読めゆっくり読め、そうしている内に彼らは彼ら自身の言葉で彼ら自身の姿を描き出す。」
・ 「僕にとって、批評とは様々な精神を知る喜びであって、指導する喜びではない。」

22.哲学的感想

・ 「自分で知っている事柄を研究し、自分の愛している人たちを見直す、これが成熟した人間の楽しみである。」
・ 「人は若いときには心の中に世の中があるが、年をとると少なくとも思想や感情は孤独を慰めるには足りなくなってきている。」

23.人生について

・ 「趣味のいい人はこれをしっかりとした肉感の粗野のなかで鍛え、精妙で自然な状態に保つことである。」
・ 「死の感情によって生を磨くこと。」
・ 「人生の後半でしくじらない方法は、過去は捨て去り、自分自身で自然で誠実で、自分が本当に愛しているものしか愛していると信じないこと。」

断章

・ 「やがて思想は喜びとは相容れないようになる。」
・ 「自分は人間を知ったと思うな。絶えず人間を知ろうとする必要がある。」
・ 「大部分の人々の才能というものは一つの欠陥となって終わるものだ。ただ生きるより仕方がない。全てが見えてしまう。」

「テスト氏」の方法

翻訳ヴァレリィ著「テスト氏」は小林秀雄全作品第6巻で既に述べた。そこで小林氏は次のように言っている。「「日ごろ接している論文を良く注意して読むと、明快と言われているものも、実は雑多な言語の習慣上の意味に関する曖昧極まる暗黙な妥協によって、僅かに外観上の論理的厳正を保ってるに過ぎないことが分かる。ヴァレリィはこの種の曖昧さを極度にきらった。使用する語彙から伝統や習慣を取り除き、純粋な論理的運動のみを担うように強制されている。従って表現の曖昧さから来る難解さはない。扱う問題自体の難解さに由来する。」
ヴァレリィは哲学に関しては無関心を装ったが、ただデカルトの「方法論叙説」は唯一激賞する作品である。デカルトは明晰な著者、ヴァレリィは晦渋な著者という定評であるが「僕は正確という激しい病に悩んでいた。理解したいという狂気じみた欲望の極限をめがけていた。」ので表現がそうなっただけのことであろう。そこでヴァレリィが読んだものは「方法論叙説の序曲にあるデカルトの探求の最初の事情についての魅力ある話から、デカルトが眼前にいるということが見えた。自我という言葉に僕らのデカルトがいる。」であった。そして「テスト氏」では「なぜにテスト氏は存在し得ないのか。この疑問が諸君をテスト氏にしてしまうのである。彼こそ可能性の魔自体に他ならない。」
つまり人間がそのまま純化して「精神」になることに不思議はない。疑う力が唯一疑えないものというところまで、精神の力を行使する人、それがテスト氏なのだがそういう人は稀だ。テスト氏はデカルトの「我考える」に相当すると小林氏は考えるようだ。


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