随筆  061124

母の介護日記(7)



この「母の介護日記」を書き始めて2年になる。したがって母の24時間介護を兄弟姉妹でやるようになってはや2年半が経過した。今年の2月半ばに医療型介護施設の申し込みをしたことはこの「介護日記4」に書いた通りだが、母のデイケアー生活も今年の9月頃からだんだんと難しい局面になった。介護施設に入所の時期を問い合わせても最初は半年位といっていたのが次には一年くらいと返事されて暗澹たる気分になった。色々な人に話を聴いてみると要介護度が3くらいでは入所は難しいといわれ、そこでデイケア-でお世話になっているケアーマネージャーにお願いし、母の介護度を再審査するようにお願いした。9月に病院側の再審査をしていただき、10月初め京都市の介護福祉へ要介護度4の申請をした。京都市の認定に1ヶ月ほどかかるようなので結論は11月中頃になるそうだ。病院の診断書によると、「現在の病名は変形性脊椎症、変形性膝関節症、多発性脳梗塞ということだ。週5日のデイケアーサービスを利用しているが、徐徐に下肢筋力低下、認知症が進行し、生活レベルAOLが低下傾向」と記されている。つまり立ち上がり困難や歩行困難は骨の変形により、老人性認知症は脳梗塞によるものということである。夏を過ぎてから見当識障害が著しくなり便器やベットなど座る場所が分らなくなり、食器の持ち方がおかしくなり、テレビも見なくなった。排便がでたらめになって部屋を汚すことも間々あった。

そこで壬生回生病院へ入院をお願いして私が帰京する日を待って11月17日に入院が決まった。私から母へ入院するようにお願いした。多少抵抗はあったが、2日にわたって半ば泣き落とし説得をおこないようやく母に自分の情況と入院することのメリットを分っていただいた。というより抵抗しなくなったというほうが正しいだろう。理性で理解できるとは思えないが、自分のまだらボケ状態と入院するほうが体が楽になることを感じたのであろうか。足腰が弱っているので夜の徘徊の心配はないし大声で騒ぐこともなく比較的扱いやすい患者さんになった。毎日私は病棟へ母を見舞い、週2回汚れ物を受け取って洗濯し新品を届けるという楽な生活になった。そこで毎日自転車に乗って出かけ、京都の寺や町をスケッチすることができた。ありがたいことだ。これも親孝行の賜物と思っている。そうこうしているうちに11月11日に京都市介護福祉課より要介護度4の新しい介護保険証が郵送された。病院には介護サマリーを書いていただき、新保険証をもって11月15日に介護施設「京都東山老人サナトリウム」に再度申請に出かけた。施設ではベットが空き次第連絡するということで何時なのかは返事はなかった。そこで母は病院で穏かな生活をしていることだし、京都の兄弟も見舞いにいってくれるので、私は後を姉に任せて自宅へ帰ることにした。11月16日午後に帰るやいなや東山老人サナトリウムより電話が入り11月20日に入所願いたしという朗報であった。要介護度4の申請が功を奏したのか、回生病院側が手を回してくれたのか知らないがあまりの回答に速さにびっくりした。11月19日とにかく又京都へ舞い戻り、姉二人とともに入所の準備を行った。11月20日は朝早くから病院の支払い(1ヶ月で17万円を支払った)や、母の着替えを行い看護婦さんに送られて介護タクシーに乗って東山老人サナトリウムへ向かった。

東山老人サナトリウムとは医療法人「十全会」の経営になる。東山三条から大津へ抜ける旧東海道の蹴上にあり、近くには都ホテル、蹴上浄水場、将軍塚が点在する山の斜面に広がる4万坪の敷地に10の病棟と600床のベットを持つ。それは別荘と見間違うばかりのすばらしい施設である。季節がいいときには車椅子での散歩を楽しめ母が余生を送るにはすばらしい天地ではないかと兄弟姉妹で喜んでいる。介護費用は多床室で10万円位だそうだが、所得上申請すれば補助が受けられ月当たり5万円だそうだ。母の年金でも十分お釣が来る。京都市の介護福祉システムはすばらしいと実感した。

ようやく介護する側の私たちにも長いトンネルを抜け出せた感じがする。母を姥捨て山に送り出したというより、2年半に及ぶ兄弟姉妹(3人)の24時間介護で各自は納得と限界を味わい、お互いの生活の尊重と母には快適な生活のサービスを提供できたと理解している。これでいいのではないか。また今回母の認知症について本を読んで勉強することが出来たので、併せて書評コーナーで、小沢勲著 「認知症とはなにか」岩波新書を紹介したい。


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