随筆  070616

母の介護日記(10) これで終了します



前回の介護日記(9)において、母が東山サナトリウムにて3月11日に脳梗塞を起して意識不明となり、その後は少しづつ恢復していく様子を述べさせていただいた。気候も春になり多少は安心してその後は見ていたのでしたが、6月7日午後10時35分再度脳梗塞によって永眠いたしました。その連絡を姉より受けて、もう新幹線も止まっていることで、飛んでゆくことも出来ず、又寝ることも出来ず、京都の友人の葬儀屋と兄妹と連絡を取り合って1時30分過ぎに病院より遺体を引き取り、実家で安眠させることが出来ました。翌日朝6時の始発電車で京都へ向かいました。10時前に実家に着きましたが、既に朝7時に浄土宗末慶寺の友人の僧により枕念仏と戒名書きは終わっておりました。6月9日夜御通夜、翌10日11時より葬儀と決めて、友人の葬儀屋と自宅葬の準備にかかりました。葬儀屋の友人が商売柄よくやってくれあまり見栄も張らずに葬儀方針は決まりました。香典供花は辞退するとして、会葬お礼は千円の商品券と礼状としました。自宅葬としたので近所の人の会葬も多くておふくろも喜んでくれたでしょう。なんせ70年以上も住んだ町ですので。御通夜と精進落としの会食などは友人の料理屋に頼みました。お金の話で恐縮ですが、自宅葬で会館などは使わなかったので、町内会への謝礼や檀家寺住職への謝礼もすべて含めて200万円弱で済みました。別途降ろしておいた200万強の金で全ての支払いを翌日に済ませました。あまった金は銀行へ戻しておいた。初7日は葬儀の当日に済ませましたが、49日の忌明けと納骨までに5回の法要では住職によるお経を上げます。それらは京都在住の兄妹に任せて謝礼金をおいてひとまず私は15日に帰ることにしました。次回7月22日は49日法要と納骨に又全兄弟が集まる予定です。葬式費用とこれからの法要費用は母が残してくれた現金の一定量を確保し私が管理して執り行う予定で、猶あまった現金については6人の兄妹で均等に遺産相続することの了解を取り付けました。遺産金の配布は納骨の日と決めました。多少いきさつはありましたが、遺産は均等分配が原則です。感情論に耳を貸すことは禁物です。区役所に健康保険と介護保険の停止手続きをし、必要書類を区役所で入手してごった返している社会保険事務所にいって国民年金の停止手続きも済ませました。また位牌を「丸喜」という京都一の仏具屋に注文して私は帰りました。あわただしい1週間でしたが、やるべきはやって後顧の憂いなく、個人的な母への思いはこれからゆっくりとかみ締めてゆきたいと思いますが、このコーナー「母の介護日記」は10回で終了いたします。最後に母を哭する歌をひとつ捧げます。


哭母

故人遺教悔難     故人の遺教 悔ゆるも追い難し
玉折命乎逝若     玉折れ命乎 逝くこと斯くの若し
涕涙未乾猶在夢     涕涙未だ乾かず 猶夢に在り
弔魂啼血哭母     弔魂血を啼く 母を哭する時

(赤い字は韻:四支 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)


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