文藝散歩 3

水上勉文学 
 「金閣炎上」、「五番町夕霧楼」、「雁の寺」、「越前竹人形」
    
新潮文庫 
 

私は水上勉の小説は今まで好きになれなかった。その理由はあまりに話が暗く、日本海側の貧困そのものを直視できなかったからである。京都に生まれた私の近所には北陸出身の人が多くいて、偏見ではないが一様に吝嗇で始末やさんが多かった。又冬の日本海の鉛色の海の暗さには鬱として嫌悪すべき印象が強かった。水上氏の小説は多くは北陸の貧しい人々の苦しい生活を背景とした話である。それが京都の寺院の腐敗と陰惨さと絡んでいて、いやな気分にさせてくれる。といった私の偏見に満ちた思い出と印象が支配していたからである。北陸の貧困と京都の底意地の悪さが相乗的にマイナス方向に増幅した気持ちになった。

それがなぜ水上文学を取り上げたのかという説明をしなければならない。私のホームページ「京都洛中洛外スケッチ帖」コーナーにもう既に180枚以上の京都の町屋寺院花街商家などを描いてきた。とくに花街(色町)を描いているとき、昔あった遊郭に興味を持った。西陣の織物屋の旦那衆は上七軒という花街で遊び、西陣の職人や丁稚という下層階層の人は五番町という四流以下の色町で遊んだそうである。五番町という遊郭の跡を探して少しでも昔を偲ぶ縁があるならスケッチしようと思い立った。らしい家を探したがこれという手がかりも失われていた。

そこで水上勉氏の小説「五番町夕霧楼」を思い出して読んだ。するとこの「五番町夕霧楼」の遊女夕子の知り合いであり客であった金閣寺の小僧が金閣寺に放火したというではないか。金閣寺は昭和25年に放火炎上したことは史実である。この社会事件は当時の京都人を驚愕させた。そこで私の興味は「金閣寺炎上」という水上勉氏の小説に移った。この小説はいまでいうノンフィクション小説で関係者の証言と聞き取りから構成され、犯人林養賢の生い立ちから犯行までを丹念に再構築した小説である。その背景はやはり北国の貧しさにあった。そこで参考までに同じ事件を題材に取った三島由紀夫の「金閣寺」も合わせて読んだ。読んでみて分かったことは、この三島由紀夫の「金閣寺」は三島の美学の論理に無理やり合わせ、事実と縁のゆかりもない小説である。したがってここで三島文学との比較をやっても意味がないのであえて取り上げない。水上勉氏が丹後で教員をしていた時、昭和19年にこの林養賢に山中で会ったことがあるそうでそこから氏の林養賢の心の追跡が始まった。金閣寺は実は京都の禅宗五山相国寺の別寺(塔頭といってもいい、銀閣寺もしかり、足利幕府のときに決まったこと)であった。水上氏も相国寺の小さな塔頭で小僧をしていた縁で「雁の寺」という小説を書いている。あわせて「雁の寺」、「越前竹人形」も読んだ。

「金閣炎上」の小説の筋書きをたどっても仕方ないことで、色あせるだけであろう。それにしてもなぜ金閣寺は焼かれたのだろうか。権力者が建立した寺院はいつも焼かれる運命にある。金閣寺が残っていたのが不思議なくらいである。時代の変遷の中で消失するのが権力の象徴である。三島由紀夫が言うような美しいから焼かれる運命だいうのは観念上の戯れごとである。戦火で焼かれるのが運命である。金閣寺の放火事件は今風に言うと、金閣寺の観光寺としての収入が相国寺本山を支えていたこと、歴代禅僧住職の酒宴・妻帯や女遊びと建前との矛盾(坊主は京都では白足袋はんといって、旦那衆と同様花街の上客であったことは有名だ)、住職に金があった割りに小僧にはけちであったこと、丹後生れの林養賢の出の貧困との落差、林養賢が生まれつきどもりでそのためいじめや孤独という性格上の問題などが挙げられている。林養賢の精神分裂症的情況は刑務所のなかで一層悪化し、親譲りの肺結核が命取りになった。刑期7年を5年で出所したが直ちに入院して若干27歳で大量の喀血で他界した。

林養賢が金閣寺放火の前に五番町の遊郭に二回登楼したときの相方が「五番町夕霧楼」の中では、林養賢と同郷の夕子であった。この夕子の生い立ちも哀れを極めるような極貧の樵の娘という設定で物語が始められる。境遇が同じで林を兄のように慕った夕子が、警察で自殺する林の後を追って故郷の寺の百日紅の樹のしたで服毒自殺するという物語は、読む者の涙を誘わずにはおかないという脚本である。「金閣炎上」とは話の材料が随分違うが、これは主題が金閣炎上ではなく、あくまで遊女の哀れな境遇を社会派小説家水上勉が貧しいものへの心情溢れる小説に仕立てた。こんな厳しい貧しさもあったのだということは、もう既に今に若い人には話しても通じないことではあろうが。「越前竹人形」もやはり北陸越前の遊女の話である。

水上勉文学は日本海の暗く厳しい冬の風景を背景に、なすすべもなく貧しい農民の辛酸な生活から出てくるお話が主流である。こんなことは今では伝達不能なくらい昔話になった。結構というかなんというのか。


随筆・雑感・書評に戻る   ホームに戻る
inserted by FC2 system