文藝散歩 2

司馬遷 「史記」
    
徳間文庫(全8巻) 05年11月〜06年5月発行
 

司馬遷「史記」は日本人には馴染み深い。幅広い層で読み継がれている古典である。何とこの書は約2100年ほど前の前漢の武帝の時に司馬遷によって著され、その描く歴史は紀元前15世紀ぐらい前から紀元前1世紀までに及ぶ。日本の最古の歴史書「古事記」はいいところで紀元前後から7世紀までである。さすがに中国は文字の国である。甲骨文字から金文の時代を経て秦帝国の時代に篆書に統一された。個人的なことを言えば私は中国の通史は主に陳舜臣氏の著作で楽しんできた。たとえば講談社文庫「中国の歴史」全7巻(1990-1991)、「小説十八史略」全6巻(1992)などである。また同じ講談社文庫で安能務氏の著作「中華帝国史」全3巻(1993)、「春秋戦国志」全3巻(1991-1992)も面白く読めた。

徳間文庫版司馬遷「史記」を手にして、お恥ずかしいことだが実は初めて原文を見たことになる。本書は原文(読みやすく点や空白を設けてあるが)と読み下し文、訳の3通りの文章が並べてある。さすがに原文のみでは一読してよく意味が分からないが、読み下し文でかなり判明する。一流の訳者による訳文は殆ど解説書のようである。史記の格調は読み下し文で十分である。そういう意味で今回の史記の通読は私には大変意義深いものがあった。ただし徳間文庫版の「史記」は、司馬遷の全巻のはたして何分の一に相当するのか不明である。恐らく氷山の一角を見たに過ぎないかもしれない。昔社用で中国へ出張した時、北京の瑠璃蔽の古書屋で見た「史記」全冊の山の何分の一であろうか。

徳間文庫版司馬遷「史記」の読後感想を記す前に、史記に関する名評論といわれて久しい武田泰淳「司馬遷ー史記の世界」も併せ読んだ。武田泰淳氏が小説家として売り出す第一歩となった記念すべき労作である。戦前の左翼運動の経験者で、中国に興味を持つ氏が昭和十八年に著したもので、革命に挫折した無為の青年が司馬遷に共感を覚えた全力投球の作品である。司馬遷伝と「史記」の世界構想からなる。史記の構想から全巻の構造を理解するうえで格好の参考書である。


武田泰淳 「司馬遷ー史記の世界」

1.司馬遷伝と史記

武田泰淳は「司馬遷は生き恥をさらした男である」という有名なセリフで本書を始める。司馬遷の親、司馬談は漢帝国の歴史を記述する家柄であったが、武帝の封禅の儀式に呼ばれなかったことに憤慨してこれを恥として憤死した。司馬遷が「史記」を著す理由の公式見解は「大史公自序」に明らかであるが、「史記」を完成させる精神力というか内部エネルギーは「任安に報ずるの書」に綿々と記されている。又逆に司馬遷伝の資料はこの2つがすべてである。武田泰淳氏は特に「任安に報ずるの書」を全文引用して司馬遷の胸のうちを引きずり出そうとする。司馬遷が「史記」を執筆し始めて数年経ったとき、匈奴征伐の将軍李陵が兵士数千人を率いて匈奴の領土奥深く侵攻したが、匈奴の包囲に会って全滅し自身は匈奴の捕虜になった事件が起こった。李陵の責任を問う幕僚の大合唱に対して、司馬遷は李陵の勇気を讃え一度の失敗は許されるべきだと武帝に進言した。これが武帝の逆鱗に触れ刑を賜った。死か腐刑(宮刑)のどちらかの選択において、司馬遷は「史記」の完成の為に腐刑(宮刑)を選択した。宦官は当時の社会では最も卑しい階層と見なされ、生き恥をさらすことになった。大夫以上の官僚には刑は科さず自殺を求めるのが普通であったが、それも許されず腐刑となることは最大の恥辱であった。一方任安は反逆罪に連座して死刑の判決を待つ身であった。任安は遠まわしに司馬遷に延命の工作を依頼してきたが、司馬遷は腐刑にあって数年後であり、誰も取り合ってくれないし、物笑いになること必定の情況で何も出来ないことを返事した書がこの「任安に報ずるの書」である。その書の中で「史記」執筆のかける司馬遷のぎりぎりの決意がはからずも吐露されている。

「任安に報ずるの書」の要点を以下に引用する。
「大史夫は父以来の官職であるが、文史星暦をつかさどる者、いわば占いの仲間、もとより天子の戯れもてあそびのお相手、道化同様に養われ、世人の軽んじる存在であります。最下等なるは腐刑、これぞ辱めの極であります。どうして自害せぬわけがありましょうぞ。隠忍して生きながらえ、糞土の中に幽せられて、あえて辞せぬ所以は、自己の願いを果たさぬのを恨み、このまま埋もれて文章が後世に表れぬのを恥じるからであります。古来「春秋」を初めとする名著は、各々想いが結ばれ解けず、心通ずることかなわぬままに、往時を述べて、来者をして知らしめるためであります。私も天下に散逸した遺文を収録し、その事実のあらましを研究し、その始終を統合し、成敗興壊の理を究明し、現代に至るまで表十、本紀十二、書八章、世家三十、列伝七十、合計百三十篇を作り、天人の際を究め、古今の変を通じ、一家の言を成そうと図りました。然るに未完成のうちに李陵の禍に遭いました。極刑に就きながら怒りの色も見せませんでした。もしこの書を著すことが出来、私の志を知るものに伝えられたら、これまでの辱めは償われることでしょう。」

父司馬談が無念の憤死をするきっかけとなった漢武帝の封禅の典礼は悉く儒者は退けられ、現代的・神仙的・通俗化した。たかが封禅の儀式に過ぎないようだが、父談は実は漢文化の堕落として徹底的に批判したかったのであろう。そして父は子司馬遷に「憤りを持って書け」と遺言した。大史令となった司馬遷は宮廷の資料室に入り万卷の書を読み出した。孔子が「春秋」を書いたのは、自分の言が用いられず、自分の道が行われないことに絶望して、王事宣明を目的として過去240年間の事跡を批判したのである。それゆえ司馬遷が「春秋」の意図を自己の意思にする以上、漢代を乱世として批判しなければならない。乱世を治めて正しきに返すことが歴史家の眼目である。李陵の禍が司馬遷をして烈しい憤りをもって史記を書かせた。

2.史記の世界構造

史記の世界構造の意義を考察する前に、まず史記の構成を羅列して全体の構成を知っておこう。
「本紀」十二皇帝を名乗る世界の中心人物の伝記
 「五帝」、「夏」、「殷」、「周」、「秦」、「秦始皇」、「項羽」、「高祖」、「呂后」、「孝文」、「孝景」、「孝武」
「世家」三十皇族や王侯覇者・英雄豪傑の伝記 
「呉太伯世家」、「斉太公世家」、「魯周公世家」、「魏世家」、「趙世家」、「韓世家」、「晋世家」、「楚世家」、「呉世家」、「越世家」・・・・・・・「田契仲完世家」まで十六巻、「孔子世家」、以下十三世家は漢代世家の世界である。「蕭相国世家」、「曹相国世家」、「留侯世家」、「陳丞相世家」、「絳侯周勃世家」「外戚世家」、「楚元王世家」、「荊燕世家」、「斉悼恵王世家」、「梁孝王世家」、「五宗世家」、「三王世家」
表十人物の空間的な関係を表現 
 「三代の世表」、「十二諸侯の年表」、「六国の表」、「秦楚の際の月表」、「漢興りて以来の諸侯の年表」、「高祖の功臣侯の年表」、「恵景の間の侯たる者の年表」、「建元以来の侯たる者の年表」、「建元以来の王子の侯たる者の年表」、「漢興りて以来の将相名臣の年表」
列伝七十時代を象徴する人物伝、刺客、循吏、儒林、遊侠、滑稽、佞幸、貨殖など英雄的精神、思想家、文化、文学者、英雄豪傑伝 
 ほんの一例を挙げるにとどめる。 「伯夷列伝」、「菅晏列伝」、「老荘申韓列伝」、「仲尼弟子列伝」、「孟子筍卿列伝」、「劉敬、叔孫通列伝」、「平津侯、主父列伝」、「汲鄭列伝」、「儒林列伝」、「屈原・買生列伝」、「司馬相如列伝」、「魏豹周勃列伝」、「鯨布列伝」、「淮陰侯列伝」、「張耳陳余列伝」、「蘇秦列伝」、「張儀列伝」、「魏其武安侯列伝」、「孟嘗君列伝」、「平原君列伝」、「信陵君列伝」、「春申君列伝」、「匈奴列伝」、「張釈之馮唐列伝」、「韓長孺列伝」、「李将軍列伝」、「衛将軍驃騎列伝」、「蒙恬列伝」などなど 

武田泰淳氏は本紀について漢時代こそ名実ともに世界帝国になったという。史記は政治の歴史であり、世界を動かした動力となる政治的人間を記述するものである。本紀十二が正に世界を動かした政治的人間の記録であり、世家三十は分裂した集団の(諸国、王侯)記録、列伝七十は政治的人間個人の記録である。司馬遷はつねに世界を動かす人間を見つめてきた。今で言うような経済構造や政治組織やイデオロギーから歴史を見たのではない。呉太伯世家から田契仲完世家までの十六世家は秦・漢帝国成立までに全て滅亡している。「蕭相国世家」の蕭何、「曹相国世家」の曹参、「留侯世家」の張良、「陳丞相世家」の陳平、「絳侯周勃世家」の周勃はみな漢高祖の覇業に協力し臣下として栄えた人々であった。同時代に自ら帝王を目指した項羽、張耳、陳余、魏豹、周勃、鯨布、韓信、韓王信などは悲惨な最期を遂げている。世家の英雄は成功したが、列伝の英雄は悲劇である。

私は中国の歴史の興亡を見るにつけて、よくも同じことをあきもせず繰り返している其のエネルギーに感心する。前王朝の腐敗は新王朝の成立となり、それの繰り返しでタンデム(頭ー尾)に繋がる。次に私が読んだ「司馬遷 史記」 徳間文庫(全8巻)の感想文を下表にまとめてゆきたい。


アップした卷番号は赤色に変わります。各卷名にマウスを当てクリックすれば、各卷の読後感想のページが開きます。

徳間文庫 司馬遷 「史記」各巻概要と読後感想
卷名(読後感想ページにリンク) 訳者 目次概要
1 司馬遷「史記」1 覇者の条件 市川広
杉本達夫
堯舜・殷・周・春秋五覇の時代
T聖王伝説の時代
U周の盛衰
V春秋五覇
W呉越の抗争 
2 司馬遷「史記」2 乱世の群像 奥平卓
久米旺生
戦国七雄の時代
T体制を変えるもの
U食客の時代
V滅亡を彩る人々 
3 司馬遷「史記」3 独裁の虚実 丸山松幸
守屋洋
秦帝国の時代
T皇帝への道
U絶対者の光と影
V崩壊への過程
W反逆者たち 
4 司馬遷「史記」4 逆転の力学 和田武司
山谷弘之
項羽・劉邦の覇権争い
T項羽と劉邦
U楚漢の決戦
V悲喜の様相
W幕下の群像 
5 司馬遷「史記」5 権力の構造 大石智良
丹羽隼兵
漢帝国の時代
T女傑君臨
U再建への道
V大帝の治世
W漢世界の拡大 
6 司馬遷「史記」6 歴史の底流 村山孚
竹内良雄
英雄の世界(列伝)
T侠の精神
U中流の砥柱
V人間のきずな
W女人群像
X心か物か 
7 司馬遷「史記」7 思想の命運 西野広祥
藤本幸三
思想家列伝
T喪家の狗
U宿命を帯びて
V状況に生きる
W生き恥をさらして 司馬遷自伝 
8 司馬選「史記」8 「史記」小事典 久米旺生
丹羽隼平
竹内良雄 [編]
「史記」小事典
T「史記」概要
U「史記」故事名言
V「史記」人物小事典 


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