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新藤宗幸著 「原子力規制委員会ー独立・中立という幻想」 
岩波新書(2017年12月20日)

原子力規制委員会は新規制基準を楯に、再稼働や老朽原発の運転延長審査を進めている。

序章 

著者新藤宗幸氏の著した岩波新書を数冊読んだ。新藤宗幸著 「技術官僚」(岩波新書 2002年3月)新藤宗幸著 「司法官僚」(岩波新書 2009年8月)新藤宗幸著 「教育委員会」(岩波新書 2013年1月)の3冊である。新藤宗幸著 「原子力規制委員会ー独立・中立という幻想」(岩波新書2017年12月)で4冊目となる。すべて行政組織論の著作集である。新藤氏は1946年生まれ、中央大学法学部卒業後、東京市政調査会研究員、専修大学、立教大学を経て千葉大学法経学部教授となる。現在は後藤・安田記念東京都市研究所研究担当理事である。専攻は行政学である。新藤氏は日本の官僚機構の病根を冷静に描いて定評がある。アップデート、センセーショナルな問題を感情的に暴くようなジャーナリストではなく、問題の歴史から始めて構造的な本質的な問題点を解きほぐして解説するので全体像を掴みやすい。教育委員会とは文部省の統制下にある地方行政委員会であるが、本書「原子力規制委員会」に入る前に、「技術官僚論」、「司法官僚論」、「教育委員会」をまとめて官僚機構の宿根を見てゆこう。
「技術官僚論」: 日本の官僚制を歴史的に振り返ってみる。明治政府の行政機構整備は1885年の内閣制度の発足に始まり、1887年には文官試験制度が定められ官吏登用の道が決まった。戦後1947年に国家公務員法が制定され、官僚は天皇の臣から「公僕」という位置づけがなされ、建設省でははじめて技術官僚から事務次官が生まれた。以降建設省では人事慣行として事務次官には事務官と技官が交代することになった。河川局や道路局長は技官の独占となった。こうして高度経済成長と科学技術の著しい進展は、技術官僚の指導できることではなくなり、技術官僚は技術の衣をまとった行政官に過ぎなくなった。事業と業務の制度つくりと慣行の維持をおこなう官僚である。技術官僚の強い結束と排他的性格は事業と計画の固定化をもたらし、行政責任の欠如を露にした、まさに日本の官僚機構の閉塞状態を生んだといわなければならない。 国土建設省、農水省、厚生労働省を例にとって、「技術官僚王国論」ということばあるが、技術職といっても彼らは高度の科学技術的専門性をそなえたプロフェッショナルではなく、殆どの業務は外部委託をする技術の衣をかぶった行政官にすぎない。だからこそ彼らは事務官が口を挟むことを排除しつつ、既存の事業の継続に固執し業界行政に走っているのである。事務官達も技術官僚との共生関係を維持することで膨大な予算の執行とファミリー企業の繁栄によって自らのキャリアパスを安定させるとともに、省益の確保を追及しているのである。そういう意味からして日本の行政を改革するには技術官僚をどうこうというよりも、官僚制度そのものの病理現象の改革を行う必要がある。
「司法官僚論」: 裁判所は「法の番人」というが、裁量の匙加減で権力の護り神になっているというような気がする。しかし立法、司法、行政の三権分立とはいうが、日本の司法にも、立法・行政の激しいやり取りや葛藤関係と同じような民主主義政治体制を支えるという認識はあるのだろうか。行政訴訟において原告の「訴えの利益」がないとして「門前払い」をし、憲法問題では「立法政策上の問題」では内閣や国会に責任を転嫁して判断しない。また裁判官の「自立」に関する疑問が起きている。アメリカでは異なる州で違った判決が出るが、日本では判決が「ステロタイプ」化して、裁判官の独自性が見えない。これは下級審裁判官は上級審で判決が破られることを畏れているからであろうか。上の意向を見ながら判決を書いているのではないかと思われる。判例主義という過去の判決に矛盾しないようにとすればどうしても「消極性」になってしまう。地裁で画期的な判決が出ることもあるが、必ず高裁で逆転する場合が多い。いったい裁判官は何を守ろうとしているのか。それは憲法・法で定められた国民の権利であるはずだ。国民は憲法で自立を保障された司法に問題を提起し、司法の判断を通じて政策や行政の転換を求めている。最高裁判所事務総局の司法官僚の統制と司法の消極性が最大の問題である。
「教育委員会」 : 教育委員会は首長に対して「半ば独立した」行政委員会である。ここに文部省がタテの行政指導と支配を企むことができた秘密がある。本来教育は地方自治体の任務である。これは消防・警察などと同じく地方に任された行政組織である。2000年の第1次地方分権改革は、戦後の地方自治の宿題であった「機関委任事務制度」を全廃した。地方は国の下請け機関ではなくなり、対等の関係となったといわれる。ところが地方自治体が教育行政に責任を持つなら、教育委員会といった全国一律の組織は地方の自由裁量に任されるはずであるが、「必置規制」という教育委員会が設置を義務づけられている。2006年第1次安倍内閣は「教育再生会議」で愛国教育をめざし歴史の針を逆戻りさせ教育への中央統制を強める政策を打ち出し、文部相は地方教育員会に必要な措置を是正勧告できるという中央強化策に改正した。中でも行政系列の中核は「全国都道府県教育長協議会」である。「全国都道府県教育長協議会」には4つの部会(教育内容、社会教育、教育行政、教育財政)と総合部会(教育の国際化)、特別部会(テーマごとに)があり、部会の主査は教育長が交代で務め、文部省の担当官や国立教育政策研究所の官が加わり、政策の審議をしている。この部会報告書はいずれ文部省の政策となるので、教育行政についても文部省官僚機構との「共同統治ルール」を作成する場である。戦後日本における教育員会制度は、民主的コントロールみよる教育を掲げながら、専門性を重視して学校の自己統治とは裏腹の行政統制への道を開いた。そこでもう一度アメリカ式の保護者、教員による共同統治の伝統を見直すべきではないだろうか。直接民主主義による学校作りと運営が必要ではないだろうか。むろん義務教育は無料とし教科書検定は廃止される。

2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の巨大地震が東日本の太平洋沿岸を襲った。この地震に誘起され青森県から千葉県沿岸に来襲した大津波はかってない壊滅的打撃をもたらした。この巨大地震と津波によって、2万人近い犠牲者と行方不明者をだし、三陸沿岸では地域の崩壊につながった。3月11日夜から東電福島第1原発で運転中だった第1号機・第2号機・第3号機は核燃料の溶融(メルトダウン)を引き起こし、3月12日より第1・2・3号機の原子炉建屋が続いて水素ガス爆発を起こした。また運転休止で燃料棒を引き上げ保管中だった燃料プールがむき出しになった。圧力容器・格納容器を突き破って(メルトスルー)溶融した核燃料(デブリ)の形状・所在はいまなお全容はつかめていない。4月に政府が国際原子力機構IAEAに報告した原発事故尺度は最高のレベル7(チェルノブイリ事故と同じ)であった。崩壊した4基の原発は周辺地域に大量の放射性物質をまき散らし、セシウム137換算で広島型原発の168倍になると推算される。高濃度の放射性物質の影響を最も受けたのは、事故当日の風向き(南東の風)によって福島県飯館村であることが判明し、5月になって全村民の避難を余儀なくされた。この東電福島第1原発事故の経過及びその内容について、数多くの報告書が出されているが、私にとって最も分かりやすかったのは、淵上正朗・笠原直人・畑村洋太郎著 「福島原発で何が起きたか―政府事故調技術解説」(日刊工業新聞社 2012年12月)であった。2011年12月16日野田首相は福島第1原発の原子炉が「礼温停止状態」になったとして、自己が収束しつつある印象を与える発言を行った。この「冷温低状態」とは政府・東電の造語で、燃料制御棒が挿入され安全停止し破損の無い圧力容器内の水の温度が100度以下になった印象を与える発言であるが、メルトダウンし、メルトスルーした圧力容器・格納容器、爆発破損した原子炉建屋でデブリの状況も全く分からない状況で何を計測して「冷温低状態」となり、これ以上の放射線の飛散は無いというのだろうか。こうした野田民主党政権の言動のみが問われるのではない。シビアアクシデント隠しは自民党安倍第二次政権になって一段と加速した。2013年9月7日ブエノスアイレスで行われたIOC総会で安倍首相は原子炉と汚染水は「アンダーコントロール(制御下)」と演説し、事故の影響がないオリンピック開催が可能であることをアッピールした。8月にIAEAの放射線汚染水遺漏レベルは3であることを宣言したばかりなのに、安部は臆面もなくこのような「虚言」をして事故の影響を隠そうとした。2015年6月政府の総合資源エネルギー調査会は2030年度の電源構成案を原発は20-22%、天然ガス発電が27%、石炭火力発電は26%、再生エネルギー発電(水力、太陽光、風力)22-24%石油火力発電3%であると決定した。老朽化原発は40年を限度として廃炉とする40年ルールが適用されると2030年には現在抱えている43基中18期しか残らない。原発を20-22%に維持するには、新規建設は(現在では立地および世論から)不可能である。そこで改正原子炉規制法の例外規定に基づいて最大20年の寿命延長を図らなければならない。2016年10月までに全国の16原発26基が新規制基準への適合申請を原子力規制委員会にしている。そのうち、九電川内原発1・2号機、関電大飯原発3・4号機、高浜原発3・4号機、四電伊方原発3号機、東電柏崎刈羽原発6・7号機が審査に合格し、九電川内原発1・2号機は再稼働した。高浜原発3・4号機は裁判で停止していたが2017年6月再稼働した。伊方原発3号機は2016年8月再稼働した。原子力規制委員会は2016年6月タイムリミットギリギリに高浜原発1・2号機について20年の寿命延長を認めた。原発についての世論調査では50-60%が稼働には慎重派であるが、安倍政権にとっては沖縄の新基地建設と同様住民の意向を無視して強引に原発再稼働を進めている。そこには3.11の反省はみじんもない。こうしたモラルを欠いた政権の行動は、外見的には独立・中立に見える原子力規制員会という機関のお墨付き(通過儀礼にように)に支えられている。事故から1年6か月後2012年9月、環境省の外局として原子力規制委員会とその事務局原子力規制庁が発足した。原子炉の安全規制権限は、3・11前はアクセルとブレーキの分離が不明確な経済産業省の原子力安全・保安院と内閣府の原子力安全委員会が担当していた。原子力規制委員会は国家行政組織法第三条に基づく「行政委員会」(三条機関)で、委員は五名で衆参両院の同意を得て首相が任命する。原子力規制委員会は2013年6月に原発の設置許可に関する「新規制基準」を決定した。原子力規制員会に課せられた「専門知に裏付けらた行政委員会として果たすべき自律的責任」は非常に重い。一方政界や経済界、原子力ムラの猛烈な圧力を前にいかに専門知を追求しうるかが問われている。以下の章分けした内容に従って原子力規制員会を検証してゆこう。X章は司法の問題であり原子力委員会とは直接関係しないが、車の両輪の関係で原子力規制員会および政権を守っているのでここに加わった。

T章 「原子力規制委員会はいかに作られたか」

2011年3月11日以前の原子力規制ステムおよびシビアアクシデント対策の問題点については多くの解説書があるが、わたしは次の二つの資料を紹介する。東京電力福島原発事故調査委員会箸「国会事故調 報告書」(徳間書店2012年9月)東京電福島原発事故における調査検討委員会箸「政府事故調 最終報告書概要」(2012年7月 官邸ウエブサイトより)である。3.11 の重大危機を前にして、原子力安全委員会(斑目春樹委員長)、通産省原子力安全・保安院は全く機能しなかった。それらの組織構造が問われなくてはならない。話の順番として古いことですが1955年12月、原子力基本法ならびに原子力員会設置法、総理府改正法に原子力局の設置を決めた、いわゆる「原子力三法」が出来たのが、日本の原発元年であった。推進者は若き中曽根康弘と警察官僚出身(読売新聞会長)の正力松太郎氏であった。その後の原発推進を巡る権力側の動きについては、山岡淳一郎著 「原発と権力」(ちくま新書2011年9月)に詳しく経緯が記されている。かいつまんで年譜のように経過を記すと、11954年度予算に初めて「原子力予算」が計上された。1954年日米原子力協定が結ばれ、二国間協定で日本側に技術を供与するが、軍事利用などには厳しい枠をはめるものであった。1956年「審議会など」として原子力員会が総理府にもうけられ正力松太郎が初代委員長に就いた。同時に総理府の外局に科学技術庁が設置され、特殊法人日本原子力研究所の設置、原子力燃料公社(後の動燃から日本原子力研究開発機構へ繋がる)が設置され、1957年に原子炉等規制法が公布された。1963年東海村日本原子力研究所動力試験炉が臨界に達し、民間では1970年に入ると、東電、関電が次々と原発を米国企業(GE,WH)より輸入し、原発を設置した。70年度末には四基132万キロワット、80年度末には22基1551万キロワットへと急成長した。原子力開発行政を担当した原子力委員会は開発計画の策定、安全基準・私信策定を行い、1974年9月原子力船「むつ」の放射線漏れ事故を受けて原子力開発体制が見直され、1976年7月三木首相の私的諮問機関原子力行政懇談会は最終意見を提出した。原子力委員会の開発優先体制とのバランスをとるため1978年に別個に原子力安全委員会が設置された。商業原発については、通産省が設置から安全規制までの規制権限を一貫して担当することになった。しかし戦後日本の産業行政は分野ごとに業法を制定し業への新規参入規制を行う一方で、囲い込んだ企業を保護育成するものであった。業界規制は行政指導としてなされるというが、所轄官庁と業界の合作に他ならない。通産省は電気事業法を基本として業界と一体化し日本のエネルギー政策を担ってきた。はたして通産省が電力事業者の原子炉設置や安全運転管理について厳しく対決できるものなのだろうか。原子力安全委員会は衆参両院の同意を得て首相が任命する5名の委員からなり、原子炉の安全性に関するダブルチェックを行うとされた。事務局は科学技術庁原子力安全局が担う。しかし1979年3月アメリカスリーマイルズ島原発の重大事故が発生した。20トンの核燃料が圧力容器の底もメルトダウンした。それ以前にも1979年関電美浜原発三号機で制御棒案内管のボルトのひび割れ事故隠しが明るみになり、かつ73年には燃料棒の損傷事故も隠していた。関電は通産省の運転再開延期を指示したが、関電は78年10月運転再開を強行した。これらの事故は加圧水型原子炉の損傷事故であり、原子力安全委員会にとってダブルチェックの試金石となるものであったが、所轄官庁が設計から安全審査まで行う体制の下で、弱い行政機関の原子力安全委員会に土台できない相談であった。ダブルチェックは機能しなかった。

1978年10月にスタートした原子力行政体制は、数多くの原発事故に遭遇しますます矛盾をきたした。1986年4月チェルノブイリ原発の過酷事故にも原子力安全委員会は対岸の火事視しまともな対応は何もしなかった。そして1995年高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ重大事故、1997年3月動燃の東海再処理工場の爆発事故より科学技術庁の管理能力が問われた。また2001年行政改革によって、経済産業省に原子力開発推進の組織と安全規制の組織を併存させる「改革」(改悪)がなされた。2001年の行政改革が原子力行政自体を大きく変えた。原子力委員会(原子力開発推進組織)と原子力安全委員会(安全規制組織)はともに科学技術庁(文部省に併合され文部科学省となった)を離れ、内閣府の審議会等に併存させられた。また経済産業省に資源エネルギー庁という原子力開発推進の組織と原子力安全・保安院という安全規制の組織を併存させた。文科省は試験研究炉の安全規制、環境モニタリングを担当し、原子力関係の完全規制の大部分が経産省に移った。原子力安全・保安院は800人の職員からなり、原子力安全規制に係わる職員は300人であった。全国21カ所の原発に原子力保安検査員や防災専門官が1-9名が常駐した。資源エネルギー庁は2000年東電による福島第1原発・第2原発・柏崎刈羽原発の損傷隠しについて元GE社員の内部告発文書を受け取ったが、東電はこれを否定し資源エネルギー庁は調査もしなかった。2002年8月原子力安全・保安院は東電の自主点検結果に不正があると発表した。東電はこれを認め社長は辞任した。この時原子力安全・保安院の惻隠は東電に内部通報者の氏名を明かしていた。こうした電力会社と原子力安全・保安の癒着ぶりはそのままにして、2003年独立行政法人原子力安全基盤機構JNESが設立された。原発シビアアクシデントへの備えについて見ると、原子力安全規制組織である原子力安全委員会は1981年「耐震設計審査指針(旧指針)」を定め、限界地震の規模をマグニチュード6.5とした。だが1995年阪神・淡路大地震を受けて、11年後の2006年9月に指針を改定した。断層評価を13万年前まで拡大すること、マグニチュードは6.8に引き上げること、旧指針の2種類の基準地震動(S1,S2)を1本化(Ss)することとなった。しかしこの程度の見直しは既存の原発が不適合とならないよう配慮された指針であると批判された。原発の設置許可・安全規制の中心が経産省であり、国策民営の原子力発電の安全規制を担うとされながらも「規制」であるのか「保護」であるのか判然としない体制であった。要するに原子力安全・保安院も原子力安全委員会も、ブレーキとしては体裁ばかりであったと言わざるを得ない。原発規制行政が技術的な能力差から対象業者の虜になっているというより、事業者や周辺の専門家学者を囲い入れ円滑な行政を志向したのである。こうして3.11のシビアアクシデントは起こるべくして起きたのであった。3・11福島第1原発事故当時の菅直人首相は、新しい原子力安全規制システムの再構築にかかり、細野豪志を原発事故担当の特命大臣とした。2011年6月IAEA国際会議への報告書の中で、資源エネルギー庁原子力安全・保安院の第1次的規制機関と内閣府原子力安全員会によるダブルチェックが機能していなかったとして、安全規制行政を見直すと約束した。2012年4月に環境省の外局として原子力安全規制庁を設置するとした。その母体は経産省の原子力安全・保安院である。内閣府の原子力安全委員会と統合し、文科相の環境モニタリング部門を統合する。民主党野田首相はこの案をもとに自民党塩崎恭久氏と協議し、原子力規制員会設置法案をまとめ2012年4月20日に国会に提出した。そして2012年5月5日に全原発が停止した。

U章 「原子力規制員会はどのような組織なのか」

原子力規制委員会は国家行政組織法第三条に基づく「行政委員会」とされ、環境省の外局と位置付けられた。委員は5名で衆参両院の同意を得て首相が任命する。委員会の事務局として原子力規制委員会を置く。原子力規制委員会は原子力安全規制を一元的に扱う組織とされ、次の権限が移管された。
@経産省原子力安全・保安院が担っていた発電用原子炉の規制、文科省の試験研究炉の規制及び核燃料物質の使用に関する規制、国土交通省の船舶等原子炉の規制
A経産省、文科省の核物質防御に関する関係省庁の調整
B放射線モニタリングの関係省庁の調整、文科省が担っていたSPEEDYの運用
C文科省所管だった放射線障害防止法の事務である。
これらに関して必要な規則制定権をもち、首相をはじめ関係者への勧告権を持つとされた。原子力規制委員会の下に、原子炉安全専門審議会、核燃料安全専門審議会、放射線審議会を置く。原子力規制委員会設置法と同時に改正された改正原子炉等規制法と原子力基本法には次の重要な改正が含まれる。
@最新の知見を設置許可処分に取り入れるとともに、既設の原発についても新基準への適合を義務づけた(バックフィット制度)
A原発の運転期間を40年として、「例外規則」を設けた。
安全基準を満たせばさらに20年を限度として1回きり運転延長を認める。「老朽原発」の延長規定は、シビアアクシデントへの認識が欠如した禍根を残した。原子力規制員会は2012年9月19日に発足した。委員長や委員には就任できない「欠格要件」ガイドラインとして次の2件を定めた。
@就任前直近3年間に原子力事業者およびその団体の役員、従業員であった者
A就任前直近3年間に原子力事業者などから個人として一定額以上の報酬を受領していた者は除外される。
国会は原子力委員会の行方が委員長の見識や経歴に左右されると考え、両院は委員長候補者をよび所信表明と質疑を交わした。2013年2月に、両院は委員長:田中俊一、委員:更田豊志、中村佳代子、大島賢三、島崎邦彦氏を初代委員に承認した。ただし田中委員長をのぞいて国会で意見を聞いた委員はいない。はたして適切な人材だったのだろうか。大島賢三氏は外交官で国連日本政府特命全権大使、国会事故調委員であった。島崎邦彦氏は東大地震研究所教授、日本を代表する地震学者である。ここまでは順当な人選であるが、田中委員長、更田委員、中村佳代子委員は「原子力ムラ」と関係している。田中委員長は旧動燃副理事長、原子力学会会長であり、更田委員は日本原子力研究開発機構副部門長、「もんじゅ」や東海再処理工場の職員であり、中村佳代子氏は日本アイソトープ協会の職員であった。さらに委員会の継続性を担保する、初代委員を任期2年組と3年組に分け、大島賢三氏、島崎邦彦氏、任期3年組に更田氏、中村氏とされた。2012年12月の総選挙で自民公明党は政権を奪還し、安倍晋三第2次内閣が誕生して、原子力規制委員会の仕事は新規制基準の作製と再稼働審査に移行した。その時には批判勢力となりうる大島賢三氏、島崎邦彦氏はいなかった。新規制基準が出上る前に、2012年6月に民主党政権は関西電力大飯原発三・四号機の再稼働を許可していたので、2013年7月原子力規制員会は新規制基準で大飯原発3・4号機の再審査を行った。事故時の緊急司令塔を3・4号機から1・2号機の事務所へ移すという、実にあっけない対策で再稼働を許可した。3・4号機の下を走る「破砕帯」の断層の問題を審議しなかった。地震学者島崎氏の反対を見込したうえでの措置であった。2014年9月安倍政権は任期が切れる2年委員である島崎邦彦しおよび大島賢三委員を再任せず更迭した。代わりに石渡明氏および田中知氏を任命した。石渡明氏東北大学教授で日本地質学会会長を務めたが地震の専門家ではない。田中知氏は東大教授で、日本原子力学会会長で、まさに「原子力ムラ」のドンであった。あきらかに「欠格要件」ガイドラインを無視した強引人事であった。民主党政権下のガイドラインは考慮しないという姿勢である。安倍政権は原子力規制委員会の独立性や中立性を捨て去って政府方針に従う規制委員会の衣替え(原発推進派による審議機関)を行った。翌年2015年3年任期の切れる委員のうち、更田豊志氏を再任、中村佳代子氏を退任させ伴信彦氏を任命した。伴氏は動燃職員を経て東京医療保健大学教授であった。そして2017年9月田中俊一委員長の任期がきれ、更田委員長代理を委員長に昇格させた。後任委員として山中伸介大阪大学副学長が就任した。こうして原子力ムラの住人は、原子力規制委員会なる権威的組織を占拠した。

原子力規制員会の事務局に原子力規制庁が設置された。原子力規制庁はべつに原子力規制委員会の事務(庶務)を行う組織ではなく、原子力規制委員会の権限とされた広汎な実務(企画・審議・立案)を行う組織である。原子力規制委員会の意思決定機関は長官を含む5人の委員からなる合議体である。発足時の規制庁は原子炉等の安全規制の技術基準、地震・津波対策、原子力防災対策指針、放射線対策などに関する原案作成を主な業務とし、後に原子力安全基盤機構JNESが担ってきた原子力施設の検査業務が原子力規制庁の業務となった。2012年9月20日に活動を開始した原子力規制庁はの職員数は455人で、旧経産省原子力安全・保安院や文部省モニタリング部門、環境庁、その他の省の出身者であったが、約80%は原子力安全・保安院出身者で占められた。つまり原子力規制庁は「衣を変えた原子力安全・保安院」といえる。原子力規制庁の人事権を持つのは原子力規制委員会である。初代長官は池田勝彦氏はもと警視総監で原子力行政とはどうしてもつながらない。原子力規制委員会の幹部の7名を見ると、5人が原子力安全・保安院出身、原子力安全委員会出身、文科省出身であり、2名が警察出身者である。3.11前の原子力行政を担ったひとがそのまま新しい規制庁の幹部というのは、これで行政の政策が変わるとは思えない。また警察出身者が2名いることは不気味である。内部機密統制が狙いなのだろうか。原子力規制庁は2014年3月にINES(399人)を統合し、2017年度の職員数は1005名となった。職務が増えたため組織もかなり複雑になった。長官は安井正也氏で経産省出身で、原子力規制庁の幹部は9名となった。(出身元の内訳は、経産省6名、警察庁1名、環境省1名、文科省1名)原子力規制委員会設置法附則で、原子力規制庁へ移籍した職員は「原子力利用の推進に係わる業租組織への配置転換を認めない」という「ノーリターンルール」を決めた。原子力推進機関との組織的「断絶」を図るものである。ところが官僚の狡猾さで、迂回路を経て原籍に戻るルートを探しだした。すると原子力推進機関の出身者の意識は、原子力規制庁への「一時出向」とならざるを得ない。そしてノーリターンルル―ルが適用される2017年10月までの「例外期限」の間に、2012年9月ー2014年2月の1年半に18%の職員が出身省へ戻った。2015年9月の段階で経産省への移動者は125人、文科省への移動者は68人に上り、発足時の主な職員のほとんどが原籍に戻ったのではないかとも言われている。環境省の外局として設置された原子力規制委員会は、中央行政機関に久方ぶりに設置された「行政委員会」である。敗戦後占領軍が、日本伝統の政党政治や官僚の介入を避け、行政の公平性と専門性を確保するために、民主化を象徴する組織として多数導入された。しかし1952年の講和条約締結と日本独立後は中央行政機構は内閣の下の府省体制を強化した。3・11後に設置された原子力規制委員会は、政権からの距離を保ちつつ専門科学的・技術的判断をもとに原子力安全規制に立ち向かうことが期待された。とはいえ原子力規制委員会は内閣から高度の自律性をもった「独立行政委員会」ではない。ここで現代日本の政治・行政機構における原子力規制委員会の位置と性格を見てゆこう。現代日本では内閣統括下の行政機関のほとんどは独任制の行政組織である。つまり国務大臣を最高意思決定機関とみる行政組織である。

国家行政組織法では独任制だけではなく、第3条第2項において「行政組織のために置かれる国の行政機関は、省、委員会、および庁」とするとしている。ここにいう委員会が行政委員会のことである。第3条第3項「委員会および庁は省の外局とする」としている。一般に行政委員会という合議制の行政組織は「三条委員会」とも言われる。2017年9月現在で省の外局としての行政委員会は、総務省の公害調整委員会、法務省の「公安審査委員会」、厚生労働省の「中央労働委員会」、国土交通省の「運輸安全委員会」、環境省の「原子力規制員会」の5つである。内閣府設置法により、内閣府には「国家公安委員会」、「公正取引委員会」、「個人情報保護委員会」の3つの行政委員会が存在する。中央政府の府省のもとにある合議機関は行政委員会だけではない。国家行政組織法第8条において「第3条の国の行政機関には、法律の定める範囲内で重要事項に関する調査審議、その他学識経験を有する者の合議により処理することが適当な事務を行う合議制の機関を置くことができる」と定め、内閣府にもほぼ同様な合議制組織が設けられている。一般にこれらは「審議会等」または省の審議会は「八条機関」と呼ばれる。2017年8月現在で129の審議会等存在する。委員の所轄大臣の任命には、原子力員会、食品安全委員会、証券取引等監視委員会、国地方係争処理員会にように国家同意を必要とするものもあるが、大半は国会同意は必要ない。これら審議会等と類似の機能を持ちながら、法律・政令に基づかない「有識者会議」(研究会も含む)がある。私的諮問機関とも言われるが第2次・第3次安倍内閣において首相や国務大臣のもとに有識者会議が濫設された。とりわけ首相の私的諮問機関は政権中央の意を含んだ報告をまとめ、法制化の下地づくりに機能している。これらの審議会等には行政庁に対して勧告権を持つ22の審議会がある。「原子力委員会」(内閣府)、「食品安全委員会」(内閣府)、「運輸安全審議会」(国土交通省)、「運輸審議会」(国土交通省)、「電波監理審議会」(総務省)などは国民生活に関係する行政である。2001年の橋本内閣の行政改革は国の大学・病院・研究機関などを独立行政法人ととして、所轄官庁から相対的に独立させたが、その行革の最大にの狙いは、首相指導体制を法的かつ組織的に確立したことである。この流れは小泉首相から安部首相に受け継がれ強化された。しかも現代日本の政治と行政に一段と目立っているのは、「政権主導」の名のもと、首相ー内閣官房長官ー内閣府が高次の政治・政策次元のみならず内政事項の政策課題に大きな影響力を発揮しつつあることである。内閣府の本質は首相直轄の行政機関として省庁を超えて重要政策を立案し、主要政策アジェンダには政策統括官(局長クラス)が置かれ、各種合議制組織をつないでいる。内閣府には重要政策にかかわる4つの会議が設けられた。経済財政諮問会議、総合科学技術会議、男女共同参画会議、中央防災会議(2012年には国家戦略特別区域諮問会議が加わる)である。これらの会議には首相と考えの近い有識者・経験者をそろえ、首相の知恵袋となってきた。2014年の国家公務員制度改革基本法によって設けられた内閣人事局は、部長級以上の高級官僚職の人事権を一元的に所管することになった。政権にとって政策を同じくすると思える官僚を内閣官房や内閣府に一本釣りすることができ、官僚側も内閣にすり寄った政策を忖度する悪習がはびこり始めた。行政委員会はいまや巨大な内閣によって統轄される多くの合議機関に一つに過ぎないといえる。独任制をとる行政機関(省府)の長は国務大臣であり、国務大臣・副大臣・政務官は政務3役と言われる。省の政治優先の姿勢であり、官僚はあくまで政治の補佐機関であるから国務大臣の意思に反することはできない。その意味では独立性はもともと存在しない。とはいえ行政は裁量行為が不可欠で、その行使において「中立性」や「「公平性」が不公平な社会を産まないために必要である。原子力安全規制を担う行政機関は、第1に「中立性」や「「公平性」が要求される重要な規制と制度的保障が必要である。ここにいう独立性とは内閣からの組織的独立である。規制機関の執行部人事への介入を排除することである。第2には「公開性」、第3には「専門性」と「市民性」である。原子力発電は、火力発電や水力発電に比べて例えようもなく危険な熱源を扱っていることを肝に銘じなければならない。人類が原子力をコントロールできると思い込むのはこの上なく危険なことである。

V章 「原子力規制委員会は使命に応えているか」

ある意味で本書のハイライトは本章である。原子力規制委員会がやったことの実質内容において査定をするのである。原子力規制委員会は原子力発電所などの設置許可に関する「新規制基準」を2013年6月に決定した。この基準が自画自賛されるように「世界一厳しい基準」かどうか別にして、これが新たな安全神話の始まりにならないことを願うだけである。政治が一定の時期を示して原発の廃棄を決断しない限り、新規制基準は原発再稼働や老朽原発の運転期間延長、新設伝発の設置許可の有力な規範となるだろうことは宿命であるからだ。原子力規制員会は、3.11シビアアクシデント以前の問題点を国会事故調報告・政府事故調報告を踏まえて次の5つの問題点に注目した。
@ 外部事象(地震・津波)も考慮したシビアアクシデント対策が十分でないまま、事業者の自主性に任されたこと。
A 過去に設置された既設の原発に対しては最新の科学的・技術的所見に基づいて改良を要求するバックフィットという法的仕組みを適用しなかった。
B 日本では積極的に海外の知見を導入し、不確実なリスクに対する安全の向上策をとる姿勢に欠けていた。
C 地震・津波に対する安全評価をはじめ、事故の原因となる可能性のある火災、火山、斜面崩落の外部事象をを含めた総合的なリスク評価が行われてこなかった。
D 所轄官庁の分散による弊害が著しかった。原子力安全規制は一元的な法体系のもとで実施されることが望ましい。
改正原子炉等規制法は、原子力規制委員会設置後10か月以内に施行されることが決まっていたので、2012年10月から3つの検討チームによる作業を開始した。
(1) 発電用軽水炉型原子炉の新安全基準に関する検討チーム(担当委員更田豊志)、外部委員6名+原子力規制庁5名+原子力安全基盤機構4名
(2) 発電用軽水炉原子炉施設の地震・津波に係わる新安全基準に関する検討チーム(担当委員島崎邦彦)、外部委員6名+原子力規制庁1名+原子力安全基盤機構1名
(3) 発電用原子炉施設の新安全規制の制度整備に関する検討チーム(担当委員更田豊志)、外部委員7名+原子力規制庁4名+原子力安全基盤機構3名
である。では改正原子炉等規制法は、どのように新規制基準に反映されているのであろうか。新規制基準の内容について、次の6項目を見てゆこう。
@ 地震動と新規制基準: 原子力委員会が安全設計審査指針を補完する形で耐震設計審査基準を定めたのは1981年だった。1995年1月の阪神淡路大震災のときにその改正はならなかった。原子力安全委員会は2006年9月に新たな耐震設計審査指針を決定した。地震に関する最大の争点は活断層の存在である。2006年の指針は活断層の活動性評価の期間を5万年から12万―13万年前に拡大した。しかし敷地内を活断層が走っていても原子炉建屋の真下でなければ設置許可された。新規制基準は「後期更新世以降12-13万年前の活動が否定できないとし、必要な場合は約40万年前まで遡って評価する」とした。また最重要度Sクラスの建屋・原子炉容器は活断層の上には置かないことであった。
A 津波評価と対策: 東電福島第1原発が15メータを超える津波予測を無視したことへの反省から、新規制基準では過去最大の津波を上回る津波を「基準津波」とし、その到達・流入を阻止する防潮堤などの津波防護施設を設置することを要求する。また地震によって防潮堤が破壊されないように原子炉圧力容器と同じ耐震設計上最強Sクラすとする。
B 火山の噴火、火砕流、竜巻など自然現象の想定と対策の強化: 鹿児島川内原発のような火山の噴火や火砕流、火山灰への備えが要求される。また火山・竜巻・森林火災を想定し防護対策が要求される。火山については半径60Km圏内の火山を調査し、あらかじめ備えなければならない。
C シビアアクシデント対策: シビアアクシデント対策を、地震や津波の自然現象による原発崩壊防御対策のほか、炉心損傷防止対策、格納容器破損防止対策、敷地外への放射線物質拡散抑制対策、意図的な航空機衝突などテロ対策を講じるよう、要求項目を一覧表にまとめてある。しかし外部電源回路を2回線設けるなど初歩的な多重防護対策は全く言及されていない。原子力規制委員会は原発原子炉に係わる新規制基準のほか、「核燃料施設等に係る新規制基準」は多種多様な施設ごとに策定するとしている。またバックアップ施設である緊急時対策所を再稼働から5年以内に設けることは言っているが、免震構造であることは義務付けられていない。
D 多数基立地問題と新規制基準: 新規制基準が同一敷地内に複数の原子炉を設置している(福島第1原発所では6基、柏崎刈羽原発で7基、同一敷地内4基は常識となっている)ような状況で多数基立地に何ら規制を加えていないことには唖然とする。多数基立地は、新規立地探しが大変であることや電源三法交付金や税金の増加という誘導策で容易である結果である。3・11福島第1原発事故で4基の事故対応はまさに地獄の沙汰であった。
E 地域防災計画と新規制基準: 新規制基準が原発立地自治体と周辺自治体の避難計画の策定と審査を原発の安全規制の要件としていないのは極めて片手落ち、もしくは不自然である。田中委員長はシビアアクシデントへ対策で精いっぱいで、住民の避難計画の実効性を含めた地域防災計画の審査をしないで再稼働や老朽化原発の寿命延長にゴーサインを出すのは納得できない。

新規制基準による適合性審査の状況を大飯原発第3号機・第4号機の再稼働審査および高浜原発第1号機・第2号機の老朽原発の特例措置による20年延長稼働審査について検証する。
最初に大飯原発第3号機・第4号機の再稼働審査について検証する。関西電力大飯原発第1号機〜第4号機は加圧水型軽水炉(PWR)で構成されている。関電大飯原発第1号機は1979年3月に、第2号機は1979年12月に、第3号機は1991年12月に、第4号機は1993年2月の意運転を開始した。(出力は4基とも118万KW) 従って第1号機と第2号機は改正原子炉等規制法のいう「老朽原発」に相当する。3・11当時第1号機は定期点検中で、あと3基は通常運転中であった。通常運転中の全国の原発は事故後順次定期点検に入り操業を呈しした。海江田経済産業相は3月30日に「緊急安全対策」を事業者に指示した。菅首相は2011年7月6日「ストレステスト」を実施を決定した。テストといっても具体的施設に力を加えて変化を見る試験ではなく、あくまでシュミレーションするにすぎず、しかもその基準は3.11以前の審査指針を用いたおざなりなものであった。民主党政権の原発に対する及び腰的な姿勢を見せられた。関電は2011年10月28日第3号機と第4号機のストレステスト第1次評価を原子力安全・保安院に提出した。すべての安全策が働いたとして十分余裕がある結果であった。これをうけた民主党内閣は2012年4月13日に第3号機・第4号機が安全基準を満たしているとして再稼働を許可した。7月5日、21日に発送電を開始した。これに不安を覚えた住民らは福井地裁に運転差し止めの訴訟を起こし、2014年5月勝訴した。現在名古屋高裁で控訴審が審議中であるが、大飯原発第3号機・第4号機は訴訟中の2013年9月に定期検査に入り運転を中止した。2013年7月8日関電は2基の原発の再稼働に向けて原子力規制員会に新規制基準による適合性審査を申請した。改正原子炉等規制法および新規制基準に基づいてバックフィットを実施し、原子炉等の設置変更許可申請を原子力規制委員会に提出し委員会の審査を受けなければならない。2017年2月22日原子力規制員会は、大飯原発第3号機・第4号機が新規制基準に適合しているとして審査を終了し、5月24日再稼働を正式に認めた。この審査において最大の焦点となったのは地震・津波の予測と対策である。若狭湾の二つの活断層の敷地内地振動を関電は最初700ガルとしていたが、規制委員会の指摘を受け入れ865ガルの関電の想定っを「基準地震動」として公認した。関電はこれに伴う配管の補強工事を実施した。2016年6月元規制委員で地震学者の島崎邦彦氏は田中委員長に「過小評価の可能性が高い」と申し入れを行った。関西電力と規制委員会が依拠している「入倉・三宅式」計算方式では、震源の強さが伝わる程度が1/3-1/4の過小評価になるという。島崎氏の主張の要点は、日本海東部の断層はほとんど斜めに傾いており「縦ずれ」の可能性が大きく断層の幅は斜めに大きく動く。地震モーメント(震源の強さ)は断層の面積に比例するので、「入倉・三宅式」計算方式では最小の震源の強さになり、断層が斜めであるほど震源は大きくなる。原子炉規制員会は島崎氏の論点に動かされて再計算を行った。その際「入倉・三宅式」は採用せず、「武村式」で行ったので、最初から条件を整えたわけではない。不確かさの考慮も上乗せして基準地震動は最大1500ガルと推定した。これは関電が炉心冷却を確保できなくなる下限値1250ガルを上回るが、規制委員会は基準地震動856ガルが過小評価ではないと主張した。津波の高さは関電は最大2m85cmとしたが、規制委員会は6mにかさ上げを要求し8mの防潮堤が建設された。防潮堤は高さだけが問題なのではなく、地震動に耐えられる強度が必要なのである。地震動の評価が確定しないでは防御壁の強度は決められないのである。
次に高浜原発第1号機・第2号機の老朽原発の特例措置による20年延長稼働審査について検証する。原子炉の耐用年数は、原子炉圧力容器が中性子の照射によって劣化することから30年ー40年と想定されてきた。2013年7月の原子炉等規制法が第43条3-32第1項は「発電用原子炉を運転できる期間は40年とする」と定めたのは画期的な事である。しかし日本の法の最悪はいつも「例外措置」が用意されていることである。同法第2項・第3項で「原子力規制委員会の許可を受けて1回に限り20年を越えない期間延長することができる」とされた。関西電力高浜発電所は、PWR型原子炉4基を有する。そのうち3号機は2011年1月よりプルサーマル計画によるMOX燃料が装填され運転が開始された。2013年7月関西電力は運転休止中の第3号機と第4号機の設置変更許可申請書を提出した。2015年2月12日に原子力規制員会は新規制基準に適合するとの審査結果を出した。2014年12月住民らは福井地裁に第3号機・第4号機再稼働の差し止めを求める仮処分を申請した。だが関電の異議申し立てによって福井地裁は2016年1月、2月に仮処分を停止し再稼働を許可した。滋賀県を中心とする住民は大津地裁に仮処分を申請、大津地裁は仮処分決定を命じた。しかし関電は大阪高裁に異議申し立てを行い、大阪高裁は大津地裁の仮処分決定を取り消した。次いで関西電力は2015年3月17日に、規制委員会に1号機・2号機の「設置変更許可申請書」を提出しバックフィット新規制基準への適合性審査を求めた。続けて4月30日に第1号機・第2号機の「運転期間延長許可審査」を申請した。高浜原発第1号機は1974年11月運転開始、第2号機は1975年11月運転開始(出力はどちらも83万Kw)であるので、改正原子炉等規制法の規定からはいずれも廃炉の運命である。ところが「40年ルール」には経過措置があって、「40年」とは新規制基準施行(2013年7月6日)から3年間を経過する日(2016年7月7日)のことで、その日までに運転延長認可が出来ていなければ廃炉にあるということである。そうして2016年6月20日に原子力規制員会によって運転延長が認可された。この経過措置が適用されるのは、高浜原発1号機・2号機を含めて7基であるが、敦賀1号機・2号機、島根1号機、玄海1号機、伊方1号機の5基は事業者がそれぞれ廃炉を申請した。この滑り込みの運転延長申請の審査は本当に妥当だったのか疑問の声は少なくない。高浜原発1号機と2号機の設置変更許可申請と運転期間延長認可申請とは表裏一体をなす。高浜原発の審査の場合も大飯原発再稼働申請と同じく基準地震動と津波が焦点となった。関電は高浜発電所の基準地震動を550ガルとして申請したが、規制員会の指摘で700ガルに引き上げられ、津波の高さは最高6.7mとなるので防潮堤高さ8mが求められた。基準地震動700ガルも過小評価であろう。何故老朽原発の稼働延長を急ぐのだろうか。20年間にわたる稼働延長の認可には、地震津波の予測の甘さに加えて、防火ケーブルの難燃性検査、原子炉の中性子による劣化状況判断、蒸気発生器の加振県さ、緊急対策所の設置猶予など多くの疑問が提起されている。原子力規制員会は2015年3月17日関電の高浜原発1号機と2号機の設置許可変更申請を受け、さらに4月30日その1号機・2号機の運転延長申請を受けたが、行列待ち状態の各社の設置許可変更申請を後回しにして高浜原発1・2号機の運転期間延長審査を優先した。それは「経過措置」の特例が2016年7月7日が限度となるからであった。原子力規制委員会はこの期限内に応えるべく最優先でスピード審査(拙速の結審)し6月20日に20年の期間延長を認可したのだ。安倍政権は2014年4月「エネルギー基本計画」を閣議決定し、2030年で原発依存率を20-22%に設定した。新規原発の建設ははかばかしくなく、各社は経済性から廃炉を決断する中で原発依存率を維持するには、運転延長申請のあった老朽原発を動かさざるを得ない状況があった。原子力規制員会・原子力規制庁は専門科学的・技術的判断の名の下で自らの行動の正統性を主張しつつ、政権中枢の意思に寄り添い具体化しているのである。田中原子力規制委員会委員長は再稼働審査について「安全性を保障するものではない。新規制基準に適合していることを判断するものだ」と述べた。絶対的安全基準は技術・時代の変化に合わせて変化してゆくもので、現規制基準が絶対のレベルにあるものでないことは理解できる。よりシビアに基準が向上してゆくならいい。もし最初からこれが問題だらけの暫定基準であり、それをパスすれば老朽化原発がいつまでも使用でき、再稼働のハードルが形式的になって容易になるならば、規制基準は免罪符的な機能が現れる。規制基準を作ったその志が疑われる。

福島第1原発事故の避難に伴う犠牲者数については現在なお確定されていない。国会事故調の報告では2011年3月末までに60人の犠牲者が出たといわれる。福島県の震災関連死調査では2016年3月で約2000人と言われる。加えて周辺地域児童の甲状腺がん罹患者数は2016年9月の県民健康調査委員会第2回時点で174名になった。しかし福島県や県立医大側はこれを原因を被爆のせいであるとは認めていない。政府は2016年末で年間放射線量が20ミリシーベルト以下になったとして、帰還困難指示区域を解除した。かっては1ミリシーベルトだった被ばく線量がいつの間にか根拠もなく20ミリシーベルトに引き上げられたのである。しかし政府や福島県の思惑通りに帰還する人はいない。健康への不安に加えて、町村の機能が失われており、多くの被災者は地元の職を失っているからである。生活基盤がごっそりなくなっているところには過疎地域の老人しか帰還しないのである。ところが「世界一厳しい基準」という親規制基準には、地域防災計画・住民避難計画に関する記述が一切ない。原子炉というハード面の基準しか述べていない。新規制基準はあくまで丸発プラントに対象を絞り込んだ技術基準であって、事故は起こりうるということを基本とした住民の生命と生活の保障を最重視した立地指針ー立地審査基準ではない。そちらの方は原子力災害対策特別措置法、災害対策基本法にお任せであっていいのだろうか。しかし原発の緊急かつ過酷事故の発生時に住民を避難させ健康や生活などの安全を守る責務は第1儀的に自治体にあるとされてきた。原子力規制委員会は原子力災害対策特別措置第6条の2第1項に基づいて、「原子力災害対策指針」を策定しなければならない。最新版は2017年7月5日に全文改正された。「緊急事態における原子力施設周辺の住民等に対する放射線の影響を最小限に抑える防護措置を確実なものとするため、原子力事業者、国、地方公共団体などが原子力災害防止に係わる計画を策定する際や当該対策を実施する際等において、科学的、客観的判断を支援する」ことであるとされる。原子力規制委員会は防災・避難計画を実施する当事者ではなく、科学的に支援するだけである。指針は「予防的防護措置を準備する区域PAZ」と「緊急防護措置を準備する区域UPZ」にわけ、その範囲を示し事業者・国・地方公共団体が取るべき措置を定め、国際原子力機関IAEAの安全基準に基づいて改定してゆくとされる。この指針は地域防災計画・住民避難計画の策定義務を負う自治体が計画を立案する際のガイドラインである。内閣府はこの指針をもとに計画作製マニュアルを提示するとともに作成予算の補助を行う。原発立地の13地域ごとに関係省庁、立地都道府県・市町村とともに地域原子力防災協議会を設け計画の調整を図るものとする。原発立地自治体の原子力災害についての地域防災計画・住民避難計画は一般災害と異にする「原子力防災対策編」を示す。いずれの立地自治体の「原子力防災対策編」は全く同じである。立地市町村の特色や具体的行動基準などは存在しない。つまり国のマニュアルをそのまま落とし込んだたいさくで、具体的な調整や構成を考えた痕跡はない。語るに落ちた無内容さである。寒々とした自治体の対応ぶりが伺える。国際原子力機関IAEAが提唱する「深層防護」とは、原子力施設の自己防止および事故の影響緩和のための5段階の防護の階層を設計することである。国会事故調がまとめたIAEAの考えを次に記す。
第1層: 運転時に異常や故障の発生を予防するため、安全を重視した余裕ある設計を行う。建設・運転における高い品質を維持する。                      
第2層: 異常な運転やの制御や故障の発生を検知するために、管理・制御・保護のシステムやその他監視機能を導入する。
第3層: 設計基準事故(設計時に想定される事故)を起こさないように、シビアアクシデント事故に発展しないようにするための、工学的安全施設(非常用炉心冷却システム、原子炉格納容器などの放射性物質の放出を防止する設備)を導入するとともに、事故時の対応手順を準備する。
第4層: 事故の進展防止、シビアアクシデント時の影響緩和など発電所の過酷な状況を制御し、封じ込めの機能を維持する補完的な手段およびシビアアクシデントマネジメントを導入する。
第5層: 放射性物質が外部環境に放出されることによる放射線の影響を緩和するため、オフサイト(発電所外)での緊急時対応を準備する。新規制基準が定める「重大事故対処施設」は第4層に相当するものである。第5層への対処は原子力規制委員会の審査対象ではない。 

これまで政府の原子力行政に一切言及せず、政府の方針には決して口を挟まないという態度を固持してきた裁判所は、1980年以来原発事故のたびに住民から提訴される訴訟を悉く門前払いしてきた。3・11以降各地の地裁における稼働差し止め仮処分が勝訴することもあるが、高裁で否定され原発問題にたいする裁判所(司法)の見識は一歩も前進して来なかった、この問題については次章で簡単に考察するが、本書のメインテーマである原子力規制委員会についてまとめを行う。すなわち原子力規制委員会は本当に技術的に中立・公正であるかどうか、そして原子力規制システムはどうあるべきなのかを総括する。2017年3月をもって政府は帰還困難区域を除いて避難指示区域を次々と解除した。しかし年間放射線量20mSvが安全値だという保証はどこにもない。健康被害を憂慮する人々は多く、特に成長期にある学童・幼児を持つ保護者は敏感にならざるを得ない。生活の場は就労もなくすでに6年の歳月が無為に流れた。原発シビアアクシデントにより人類の統御不可能な巨大装置によって原発周辺地域の生活は根こそぎ失われたのである。なお高い放射線量を出し続けている燃料デブリを安全に取り出して廃炉にする行程が果たして可能なのかどうか全く見通せない。日本人の世論調査では電源として原発利用の是非は、60%以上の人が反対もしくは懐疑的であるといわれる。再生可能エネルギーへの道に社会の方向を切り替えるべきなのに、政府・経済界は既存原発再稼働や老朽原発寿命延長に傾いている。韓国の文在寅政権は原発の新設および既存原発の寿命延長を認めないとした。ドイツでは3.11直後に原発廃止と再生エネルギー依存社会への方向転換を行った。日本では政治エリートと社会の底層の認識に大きな違いのあることは常態化している。改正原子炉等規制法は原発の運転期間を40年と定めたが、例外規定によってこれを60年の運転寿命と読み替えることが日本ではまかり通っている。なんというダブルスタンダードな国柄であることか。法はあってなきがごとしといえる。原子力規制期間は、原発の再稼働のためだけに必要とされているのではない。廃炉に向けた行程をしっかり審査する必要がある。原子炉の解体工程は元より使用済み核燃料から高濃度放射性物質廃棄物処理の技術の連鎖を確立しておかなければならない。国が考えることだとして一寸先のことは知らんぷりして、目の前の利益だけをむさぼる経済界の体質は大いに反省しなければならない。でなければとうてい持続可能な経済発展はあり得ない。高レベル放射性廃棄物の最終処分場は日本には存在しない。政府は候補地の誘導(過疎地対策として)を金や太鼓で探して居るが、一本釣りで名乗り出る自治体は無いだろう。政治的中立性の保証された原子力規制機関によって廃棄のシステムが管理されなければならない。これは原子力規制委員会が原発依存国家の「破産管理人」の宿命を負わされるかもしれない。原子力規制員会の組織構造や原発再稼働審査の特徴を一言でいうならば、同委員会は行政委員会の「政治的中立」の衣をまといつつも政権への同調が濃厚であることが明白だ。原子力規制委員会が第三条員会として設置されたからといって、原子力規制機関にふさわしい独立性・中立性を備えているかどうかは別問題である。原子力規制委員会設置法第7条第7項の定める「欠格要件」に関するガイドラインにおいて、先に述べたように(第U章)委員の要件として@就任前直近3年間に原子力事業者およびその団体の役員、従業員であった者、A就任前直近3年間に原子力事業者などから個人として一定額以上の報酬を受領していた者は除外される。しかしの欠格要件は発足以来守られたとはいいがたい。また原子力規制庁へ移籍した職員は「原子力利用の推進に係わる業務組織への配置転換を認めない」という「ノーリターンルール」を決めた。原子力推進機関との組織的「断絶」を図るものである。しかしこのルールは最初から5年間の猶予期間があって、かつ迂回路が用意されておりなきも同然のルールであった。日本の官僚機構の罪深さと志のなさにはいつも唖然とさせられる。彼らを拘束するルールはいつも無き者にされる。このように見るとき、司法を含めて日本の行政機関の独立性の伝統は最初から存在しないようで、原子力規制委員会を「独立性の高い中立的な規制機関」というのはあきらかに「幻想」である。日本の行政機関のほぼすべてが内閣の統轄下にある。とりわけ内閣府は設立の目的からして政権の意思に高度に答えてゆかなければならない。こうした内閣の統轄下にない中央行政機関は、会計検査院と人事院である。会計検査院は憲法90条を根拠として「内閣に対して独特の地位を有する」合議制の行政機関である。人事院は国家公務員法に根拠を持つ3名の人事官の合議機関である。国家公務員法第三条第1項に「内閣の所管の下に人事院を置く」と規定した。二重予算制度を保証された独立性が高い機関で、人事官の任命には国会の同意を必要とする。人事官の欠陥要件は5年前まで政党の役員・顧問・党員であってはならないとされる。こうした中央人事行政機関としての人事院は、内閣に対して勧告権を持つつとともに、人事院規則や人事院の申立てには準司法的権限を有している。日本国憲法が議院内閣制を定め「行政権は内閣に属する」と規定したことは、「国権の最高機関」である立法府国会による民主的統制を加えることが目的である。現行憲法では政権からの独立性の高い機関を置くことは難しい。原子力規制機関においても政治的中立と専門性の高い独立行政委員会として設置するには、人事院のように「内閣の所管の下」(にもかかわらず独立性を確保する)に置くことが考えられる。かつ欠陥要件として「任命の日以前10年間」として、原子力事業者とは何かを明記したうえ、原子力事業者の役員・従業員でないこと、原子力事業者から報酬・研究資金を受け取ってない事を明記することが必要である。また住民避難計画を原発設置や再稼働の規制基準に含めることを当然とたうえで、使用済み核燃料の廃棄施設の審査には、立地自治体の合意を含めることを法文化しなければならない。原子力規制員会は国家行政組織法の三条機関で環境省の外局であるが、新たな原子力規制機関を「内閣の統轄から外し、内閣の所轄の下」に置くことによって、その独立性は格段に高まる。アクセル役の内閣と省庁の原子力推進機関、ブレーキ役の原子力規制機関のほかに、さらに司法というチェック機関をいれた3権分立体制の中で構想するべきであろう。司法は原子炉等の設置許可処分の取り消し、原発の運転差し止め、再稼働の禁止、核燃料廃棄物処分場の設置などについて最終的な決定権限を持っており、その組織的地位は憲法上保障されている。原子力安全行政のダブルチェック体制を担うべきは、「国権の最高機関」である国会である。議院内閣制の国会は政党政治の抗争の場として、3権分立体制の要であることを自覚した能力を弱体化してきた。国会事故調査委員会の設置は稀に見る快挙であるが、尻切れトンボに終わりそこで述べられたことを継続調査し、現状を追求する意思に欠けている。国会は原子力安全規制のための常設専門調査組織を設置法でもって発足させるべきである。

W章 「裁判所は専門家にどう向き合ったのか」
3・11前の主な原発訴訟
訴訟名(提訴年)地裁判決高裁判決最高裁判決
行政訴訟
伊方原発1号炉(1973)松山地裁1978 棄却高松高裁1984 棄却1992 棄却
福島第2原発1号炉1975)福島地裁1984 棄却仙台高裁1990 棄却1992 棄却
東海第2原発(1973)水戸地裁1985 棄却東京高裁2001 棄却2004 棄却
もんじゅ(1985)
原告適格に関する判断
実質部分の訴訟

福井地裁1987 却下
福井地裁2000 棄却

名古屋高裁金澤1989 却下
名古屋高裁金澤2003 棄却

1992 地裁際戻し 棄却
2005 棄却
柏崎刈羽原発1号炉(1979)新潟地裁1994 棄却東京高裁2005 棄却2009 棄却
伊方原発2号炉1978)松山地裁2000 棄却
ウラン濃縮施設(1989)青森地裁2003 棄却仙台高裁2006 棄却2007 棄却
低レベル放射性廃棄物施設(1991)青森地裁2006 棄却仙台高裁2008 棄却2009 棄却
再処理施設(1993)青森地裁係争中
民事訴訟
女川原発1、2号炉(1981)仙台地裁1994 棄却仙台高裁1999 棄却2000 棄却
志賀原発1号炉(1988)金澤地裁1994 棄却名古屋高裁金澤1998 棄却2000 棄却
泊原発1、2号炉(1988)札幌地裁1999 棄却
志賀原発2号炉(1999)金澤地裁2006 運転差止原告勝利名古屋高裁金澤2009 棄却2009 棄却
浜岡原発1−4号炉(2003)静岡地裁2007 棄却東京高裁係争中
島根原発1、2号炉(1999)松江地裁2010 棄却広島高裁係争中
大間原発(2010)函館地裁係争中

司法は3.11をどのように自省したであろうか。そのまえに原発稼働以来40年近く、司法(裁判所)が住民による原発訴訟にどのような判断をしてきたのかを見直すことが必要である。海渡雄一著 「原発訴訟」(岩波新書 2011年11月)にその訴状の累々たる無残な司法処分が山積になっている。これまでの経過では原子力規制委員会は新規制基準への適合性審査を求めた電力事業者各社の申請を1件たりとも「不適合」とはしていない。3.11前の安全・保安院の姿になっている。原子力規制員会・規制庁は、中立公正を捨てて原子力事業推進側に立ったというべきである。とすれば国会が国政調査権を発動して再稼働の是非や原発施設運転寿命の延長の安全性を調査すべきであるが、安倍政権与党が衆参両院の2/3以上の議席を有する現状では再審査を求める声は聞こえて来ない。こうした中で司法が最後の砦になるのだろうかという期待には、結論を先にいうと司法の態度の方がずっと頑固に政権拠りである。全く期待する方がバカバカしいくらいである。海渡雄一著 「原発訴訟」(岩波新書 2011年11月)に3.11前の日本における原発訴訟(行政訴訟)の一覧表があるので、これを上に再掲載する。「棄却」という文字がやたら目立つ判決結果である。審議もしていない玄関払いである。その中で立地地域住民を原告とした原告勝利の裁判はわずか2件ある。一つは2003年1月名古屋高裁金沢支部が下した高速増殖炉もんじゅの原子炉設置教科書分の無効判決である。もう一つは2006年3月金沢地裁による北陸電力志賀原発第2号機運転差止判決であるが、最終的には敗訴が確定した。司法が原発安全神話も形成に貢献し、客観的には原発推進役となっていた。行政側は最終的に裁判所が提訴を潰してくれるという安心感をもって推進できたからである。司法は、「見逃す事の出来ない誤りがないかぎり、行政庁の判断を尊重する」、「審査に合格したというのであれば基本的に尊重するのが前提となる」と最高裁判所判決がある。最初から司法には行政のやることには異を唱えない。原発推進という国是を違憲とはしない考えが浸透している。新藤宗幸著 「司法官僚」(岩波新書 2009年8月)において述べたことであるが、エリート司法官僚から構成された最高裁事務総局のいわゆる事件局(刑事局、民事局、行政局、家庭局)は、従来から下級振の判決を分析するとともに、下級審の訴訟指揮の在り方を指導している。最高裁は司法研修所は裁判官を対象とした「特別研究会」を開催し、審理の調整を行ってきた。では司法官僚とは誰だろうか。それは次の4つのカテゴリーの職にある人々であろう。@最高裁判所事務総局の官房組織といわれる秘書課・総務局・人事局・経理局にいる職業裁判官、A高裁長官、高裁事務局長、地裁・家裁所長、B最高裁判所調査官、C最高裁判所事務総局の「局付」といわれる判事捕の幹部候補生である。その数は、@が26名、Aが108名、Bが約30名、Cが20−23名の合計約190名ほどである。事務総局の事務官約760名に較べても小数である。Aの人々は所在地を最高裁とは異にするので、最高裁事務総局の中のエリート職業裁判官は極めて少数で分り難い。 最高裁事務総局は1983年12月全国の地裁高裁の水害訴訟担当裁判官を集めて「裁判官協議会」を開催した。これは水害訴訟最高裁判決の直前であったために判決内容の統一であったのではないかと見られる。最高裁事務総局は人事だけでなく、法律の解釈や判決内容についてコントロールしているのではないかという心配が生じた。裁判官会同や協議会は法令解釈や訴訟制度運用について裁判官が協議する場で「あくまで裁判官の研鑽の場」であると言い切るか、「裁判官統制の場」であるのか議論の余地があるようだ。裁判官会同や協議会は事務総局が実施し、議長には最高裁判所判事がなる。

3/11後の原発訴訟の状況を、新規制基準と専門技術的裁量をどう見るかで変化が生じているのかどうかを検討する。3.11以降は各地の原発の運転禁止・再稼働差し止め裁判が中心である。概ね提訴日にそって原発訴訟を見てゆくと、
@ 2011年11月11日に、北海道電力を相手に、札幌地裁に泊原発1・2号機差止請求が出された。
A 同年7月に、国・電源開発を相手に、札幌地裁に大間原発運転差止請求が、2014年4月に国・電源開発を相手に東京高裁に設置許可無効請求が提訴された。
B 2012年7月に、茨城県東海第2原発を相手に、水戸地裁に設置許可無効請求が出された。
C 2012年4月に、東電を相手に、新潟地裁に柏崎刈羽1号機―7号機の運転差止請求が出された。
D 2012年6月に、北陸電気を相手に、金沢地裁に志賀原発1号機・2号機の運転差止請求が出された。
E 2016年6月に、北陸電力を相手に、名古屋地裁に高浜原発1号機・2号機、次いで12月に3号機の運転差止請求が出された。
F 2011年8月に、関西電力を相手に、大津地裁で大飯原発3・4号機の運転禁止仮処分請求がだされた。
G 2015年1月に、関西電力を相手に、大阪高裁で高浜原発3・4号機の運転禁止第2次仮処分請求が出された。
H 2013年12月に、関西電力を相手に、大津地裁に美浜原発3号機高浜原発1-4号機の再稼働禁止、大飯原発3・4号機の運転禁止請求がなされた。
I 2012年3月に、関西電力を相手に、大阪高裁に大飯原発3・4号機の運転差止仮処分請求が出された。
J 2012年6月に、国を相手に、大飯原発3・4号機の運転停止命令請求が出された。
K 2012年11月に、関西電力を相手に、名古屋高裁金沢支部に大飯原発3・4号機の運転差止請求がなされた。
L 2011年7月に、中部電力を相手に、静岡地裁に浜岡原発3・4号機の廃炉要求と永久停止請求が出された。
M 2013年4月に、松江地裁に島根原発3号機の設置許可無効確認請求が出された。
N 2016年12月より、四国電力を相手に松山地裁、高松地裁、広島地裁、大分地裁、山口地裁に伊方原発1-3号機の運転差止請求が相次いで出された。
O 2011年12月より、国と九州電力を相手に佐賀地裁に玄海原発1-4号機の運転差止、再稼働差止請求が相次いで出された。
P 2012年5月より、国と九州電力を相手に鹿児島地裁、福岡地裁宮崎支部、福岡地裁に川内原発1・2号機の運転差止と仮処分請求が相次いで出された。
その中から、新規制基準に適合しているとして再稼働が認められた原発にたいする最初の司法判断となったのは、2015年4月福井地裁が下した関西電力高浜原発3・4号機の運転差止仮処分決定であった。関西電力は2013年7月、原子力規制委員会に新規制基準への適合審査を申請し、2015年2月の原子炉設置変更許可がなされた。福井地裁の樋口裁判長は最高裁の伊方原発訴訟判決を参照して「新規制基準に求められる合理性とは、原発の設備が基準に合格すれば深刻な災害を引き起こす恐れが万が一にもないといえるような内容を備えている」と解すべきだとして「新規制基準は緩やかに過ぎ、これに適合しても原発の安全性は確保されない」として仮処分決定を下した。田中規制委員長の「基準の適合性を審査した。これに適合しても、安全だとは申し上げられない」という発言は、技術者の謙遜ではなく文字通り基準に適合しても安全性が確保されているわけではないことを認めたことにほかならない。つまり新規制基準とそれに基づく審査における専門技術的裁量に著しい錯誤が存在することを暴露したのである。技術者の開き直りかもしれない。詭弁かもしれない。新規制基準は免罪符として使われているに過ぎないかもしれない。しかし福井地裁の樋口裁判長が下した高浜原発3・4号機の運転差止仮処分決定は、関西電力による異議申し立てを審理した別の裁判長の裁定により2015年12月に取り消された。この異議審査において専門的技術裁量を高く評価し尊重すべきだと林裁判長は述べている。「安全とは当該原子力施設の有する危険性が社会通念上無視しうる程度まで管理されていることをいうと理解すべきである」とした。これはまた3.11以前の原発訴訟で繰り返された「お上のいうことは正しい、それを信じよう」というフレーズである。

関電高浜原発3・4号機の審査は逆転したが、滋賀県の住民は、再稼働差止請求を大津地裁に申し立てた。大津地裁は2016年3月住民らの訴えを認め、運転差止の仮処分決定を下した。関西電力側は新規制基準が福島第1原発事故を踏まえて形成されたのであるから、同様な事故は起こらないと主張するが、溶融した核燃料や圧力容器の損傷で事故を起こした原発には全く近づけない状況では事故原因の追求も道半ばで、何をもって教訓を読み取ったといえるのだろうか。滋賀地裁の審理は反応容器以外の補完的設備(非常用電源、使用済み核燃料ピットの耐震性など)さらに断層と基準地震動問題など安全だとは言えないと主張し、専門技術的裁量の過誤をを戒めた。しかし、この福井地裁の仮処分決定から8日後の2015年4月22日、鹿児島地裁は住民による九州電力川内原発1・2号機の運転差止仮処分申請を却下した。その判断は技術機関に対する過信が働いている。「新規制基準は原子力利用における安全性の確保に関する専門的知識を有する委員長及び委員からなる原子力規制委員会によって策定されたものであり、その策定に至るまでの調査審議や判断過程に看過し難い過誤や欠落があるとは思えない」住民らは仮処分申請却下を受けて即時抗告した。これを審理した福岡高裁宮崎支部は2016年4月、この抗告を却下した。この川内原発を巡る鹿児島地裁と福岡高裁宮崎支部の決定は原子力規制委員会の専門的技術的裁量の尊重を繰り返している。3・11後の司法は変わらないどころか原発の安全性の確認を行政庁の専門技術的裁量に従属させることになった。3・11後の原発訴訟における司法判断には、専門技術的裁量へのお任せが著しく、原子力宇災害対策指針や原子力防災会議の確認を含めて行政庁の判断を尊重し、原発の再稼働を促進する圧力に配慮している。府キウイ地裁や大津地裁のように、原子力規制委員会の組織や新規制基準への疑問と不合理を論じる司法判断が起こりつつある一方、従前の行政への尊重姿勢は変わることがない2極分化を起こしつつある。現在係争中の裁判に加え今後、運転差止の提訴ないし仮処分申立ては増加してゆくであろう。地裁の原発再稼働差止判決を高裁や最高裁が棄却したからと言って、司法制度下の基層における審判が異なる状況が多発するならば、上級裁判所はしかるべく対応を求められるであろう。下級裁判所における判断を分化させているのは。3.11に見られた原発専門知識層のあやふやさ、信頼性の揺らぎが原因である。専門知識は明らかに司法に勝っている行政や事業者を相手に、司法の役割は原発訴訟にかぎらず、市民の生活者の感性を備えて法規範を解釈することにある。専門技術集団は自らの欠陥に気が付かないことが多い。危険性の管理は「相対的安全性」によるべきである。それが知である。司法は代替え施設・技術を考慮に入れて原発の安全性を判断する。原発だけが発電技術ではない。3.11以降自然エネルギーへ置き換えたり、ほとんど休眠中の水力発電比率を高めたり社会の電力要請にこたえることが出来た実績がある。原発依存率はもっと下げることが可能である。原発依存率を下げたくない行政や事業者には別の目論見が働いているに違いない。政府の「経済活動に原発は必要」という枠をはめたら、極端に選択肢は狭くなる。最高裁を頂点とした日本の司法制度には、政府の政策を基本的に正しいとする思考が支配的である。それた最初から司法の原点を放棄しているのである。



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