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丸山真男著 古矢旬編 「超国家主義の論理と心理」 
岩波文庫(2015年2月17日)

明治以降の超国家主義がナショナリズム・軍国主義・ファッシズムに突入した論理

序章 

本書は、丸山真男氏が敗戦直後のほぼ10年間に発表した時事色の濃い論文のうちから、ファッシズム論、政治的反動論を中心として、九編を選んだものである。岩波文庫版の丸山眞男論集としては「福沢諭吉の哲学 他六篇」、「政治の世界 他十篇」と本書がある。戦後すぐに丸山眞男は研究・教育活動の傍ら、極めて活発な言論活動を開始した。綜合雑誌や新聞への寄稿、研究会・座談会、市民対象の研究会や読書会など多面的・大衆的な言論活動から生み出される、本書に収録された論考は時論的・状況論的色彩が濃いのはやむを得ない。この時期の丸山眞男氏の学術活動は、福沢諭吉研究を中心とした日本政治思想史研究、「科学としての政治学」を志した政治理論研究、そして状況論は不可分の関係をなしている。確かに戦後10年はアメリカ占領軍による日本の民主革命、労働運動の高まり、経済成長の開始といった切迫した知的課題に満ち溢れた時代であった。そしていわゆる「55体制」の成立により、時代はもはや戦後ではないと幕を閉じつつあり、つぎには安保問題が論争になりつつあった。丸山眞男氏はこの時期、「私の精神史は、方法論的にはマルクス主義と天皇制のの精神構造との闘いの歴史だった」と述べている。つまり丸山氏の精神は右翼と左翼の両面に対するリベラル思想家の闘いであった。本書の課題は、この二重の格闘を通して、太平洋戦争の敗北を招いた原因と責任を、広く国民社会の歴史と政治の文脈のうちに追求し、戦後の政治社会の再建可能性を模索し続けたといえる。丸山眞男氏の生涯の研究は福沢の思想であった。丸山眞夫著 「文明論之概略を読む」(岩波新書 上・中・下 1986年)は私の愛読書の一つである。福沢諭吉がいろいろな視点を持つ思想家で、表面的には相矛盾することも言うが、それを統一的に把握することは非常に難しいといわれる。それと同様に丸山眞男氏の言説の矛盾を突くことは容易である。例えば彼は冷戦終結やソ連邦崩壊を見通せなかったという人もいる。(実は誰も見通せなかったし、評論家も全く預言さえ出来なかった)丸山氏を理解するには、結局は丹念に彼の著作を自分の頭で読み解く以外に方法はない。そして本書の「超国家主義の論理と心理}の内容は、丸山真男著 「日本の思想」岩波新書(1961年11月)と一部重複しているので参考となる。 本書にはいる前に、本書の1-3部の概要と各章の解題をまとめておこう。

第1部 「日本のファッシズム」
 第1部の三篇は天皇制ファッシズム論をなす。戦後日本における自由と民主主義の確立という目標があったに違いないが、敗戦直後の日本社会にとって、当初、自由と民主主義は全く外から与えられた福音であった。丸山氏は1945年7月同盟通信のニュースで「ポツダム宣言」に接したとき、そこにある文言「言論、自由、集会の自由、とくに基本的人権は尊重されるべき」に体がジーンとしたと回顧している。敗戦後の9月中旬以降、連合軍指令部により発令された民主化指令のうち、治安維持法いかの思想取り締まり、一切の政治犯の即時釈放、天皇制の廃止など丸山氏にとって青天の霹靂であり、11月以降目の前に広がった自由が、「強制された自由」というジレンマに気が付いた。そして日本国民が自らの事項を自らの精神をもって決するという真の自由・自決の精神を国民が感じ取るには血みどろの戦いが必要だと思ったという。昨日まで国民社会に押し付けられた自画像の批判と克服を通して初めて、新たな国民主体が生まれうるというのが、これらの論考に込められた熱烈な実践的メッセージであった。国民主体の覚醒に期待する丸山の実践的な意図を考えるなら、かれの日本ファッシズム論が国家機構や政治制度、経済体制などといった客観的側面よりも、むしろそれらの内面に働く思想やイデオローギーや意識や心理や行動様式や精神構造の理解を目指したのは当然であろう。明治維新後の国家主義が天皇制と結びつくことでウルトラ化し(すなわち国民的自由を限りなくゼロに追い詰める)、天皇の下にある万民として等質化する(奴隷化する)傾向を進行させた特殊な思想過程を解明することであった。第1章の「超国家主義の論理と心理」において丸山氏は、日本の「国体」の核心的特徴を、道徳と権力の融合に見ている。天皇制国家は、明治維新欽定憲法によって政治権力の形式性や中立性や擬制制を特徴とするヨーロッパ近代国家とは全く異質の国家となった。主権者は天皇で同時に道徳的価値の中心であるならば、すべての社会的価値は、精神的権威の中心たる天皇から出て来る。従って国家社会的地位の価値は、その固有の社会的機能という尺度ではなく、天皇からの距離という物差しで測られる。こうして丸山氏は日本ナショナリズムの「ウルトラ化」の起点を、天皇への政治権力と精神的権威の同時的な集約によるものとみた。この丸山氏の考え方は、マルクス主義のファッシズム論とも異なる。戦後のマルクス主義はファッシズムを独占資本主義の危機から生まれた奇形的政治形態と説明するが、丸山氏は具体的政治状況における個人の決断や行動を規定する思考形態や精神の方向性に注目するのである。従って丸山思想史では、天皇からの距離に応じた各階層における個々人の責任論が追及される。第1章の論文における近代日本ナショナリズム批判は究極的には、内面的に自立した個人からなる国民主体を形成できなかった日本社会に向けられる。そうした主体の不在こそが、日本帝国主義統治システムのうちに、既成事実への無批判的追従、限定的権限への逃避を特色とする「無責任体制」の跋扈となり、権威や権力の中心から近い者から遠い者への抑圧の移譲(福沢諭吉)がなされる組織心理をはびこらせ、なし崩し的に国家を無謀な戦争に突入した根本的原因であったと考えた。戦争責任論もこの組織原理と同じ構造を持ち、上から下へ責任が無限に移譲されてゆく。権力と権威の中心は「意外に空虚」なのである。第2章「日本ファッシズムの思想と運動」は、戦争への過程において、体制全体のファッショ化を牽引した民間の右翼的政治団体や国体イデオローグ、さらに彼らとともに軍事クーデターを画策した軍部、右翼政治家らの思想と行動を分析した論考である。第3章「軍国支配者の精神構造」では、軍国主義日本の指導者たちが、極東国際軍事裁判において戦争責任に直面された時にみせた歴史認識の偏りや国際感覚の欠落、そしてひたすら個人としての責任回避に汲々とした人間的弱さが痛烈に批判されている。丸山氏には学生時代の右翼や特高への恐怖症や兵役時代の軍人精神の人権無視という凶暴さなどにトラウマが隠されている。この感情が本論文集を産んだ重要な(通奏低音)契機であった。丸山氏は、ファッシズムの本質が暴力的な装置によって個人の自律的判断力を奪い、内的自由をはく奪し個々人を無力化して同質化することにあったという確信を抱くに至った。この丸山氏の思想史の方法論は、いくつかの重要な欠陥があると指摘されている。特に戦争中の総力戦体制下の国家機構や政治制度や政治イデオロギーの特質といった側面を見ていないで、いたずらに個人の精神構造に内面化し矮小化しているといった批判である。これでは権力や権威の中心の戦争責任論は永久に空虚のままで空中分解している。将の首をとるような批判精神がないのである。この三篇の論文が見出した近代日本政治の病理(明治政府以来の)ー既成事実への屈服、権限への逃避、抑圧の下への移譲、一億無責任体制などは、時代を越えた宿痾として今日もなお日本の政治行政を支配している。戦前の天皇制の精神構造については解明はできていても、克服という実践的課題は放置されてきた。このことが天皇制ファッシズムの火種はまだ残っていると意識せざるをえない。これが今日の反動的政策のダイナミズムの根源である。
 第1章 「超国家主義の論理と心理」: (1946年5月)雑誌「世界」5月号に掲載された。本論文は戦後論壇における丸山氏の名声を一挙に高める契機となった。「天皇裕仁および近代天皇制への自分の思い入れにピリオドを打った」という。昨日までの丸山氏の天皇制支持がまさに国民的な共通体験であっただけに、丸山氏の天皇制を離れる自己説得の試みが、敗戦に戸惑う人々に一つの明快な論理を示し、自らを自由な政治的主体として再生する可能性を示したといえる。
 第2章 「日本ファッシズムの思想と運動」: (1948年5月)東京大学東洋分化研究所主催公開講座における公演速記がもとになっている。「超国家主義の論理と心理」が大日本をファッシズムへと動かした心理や精神の構造的な解明を目的としたのに対して、本論文は戦前日本のナショナリズムのファッショ化をもたらした政治過程と、それを先導した右翼的政治運動のイデオロギー的特性の解明を目指している。右翼組織やその指導者の政治的社会的基盤をめぐるイデオロギー分析によって、日本ファッシズムをとらえた記念すべき論考である。
 第3章 「軍国支配者の精神構造」: (1949年5月)雑誌「潮流」の共同研究「日本ファッシズムとその抵抗線」に参加した。日本ファッシズムをめぐる丸山氏の論考としては、「軍国支配」の制度や体制の記述ではなく、指導者の精神形態の抽出という思想史的な課題を中心に据えている。本論文の資料は「A級戦犯」についての極東国際軍事裁判の速記録に依拠している。軍事裁判資料「速記録」は1968年に公刊されて以来、数々の資料がの全容が徐々に明るみに出て、丸山氏の依拠した資料の偏りは問題が大きい。とはいえ「速記録」によって克明に描き出された日本軍国主義者の自己弁護のロジックと弁明の仕方に一定の方を見出した丸山氏の眼は鋭い。この論文は戦前の政治的・軍事的指導者の特質を批判的に分析した最初の業績となった。

第2部 「戦後世界の革命と反動」
 第2部は、1953年から1957年の間に発表された四篇が収められた。初めの二篇第1章「ファッシズムの現代的状況」と第2章「E・ハーバート・ノーマンを悼む」は冷戦の西側陣営特にアメリカ合衆国に現れた思想的抑圧現象を取り上げ、第3章「スターリン批判における政治の論理」は1956年にソ連で起きた事件の思想史的意義ををテーマとしている。第4章「反動の概念」は「進歩と反動」という概念に起源と変遷を19世紀フランス革命にまで遡って考察する。19世紀ヨーロッパ政治思想史の意見の対立と対話を通じて、対立する陣営の意見の多様化と表現の自由の拡大を促すことが狙いである。この論文の時代、日本を巻き込んで国際政治情勢が変化した。それは東西対立の激化と核戦争の危機の切迫であった。ソ連は東欧諸国を衛星国化して東側陣営を強化し、核兵器開発にも成功した、1949年には毛沢東が率いる中華人民共和国が成立して翌年朝鮮半島で東西代理戦争が勃発した。3年間の消耗戦争が終了後、日本の占領時代を終わらせるサンフランシスコ講和条約が成立した。こうして日本は東西冷戦の西側陣営の経済と軍事基地としての役割を担わされた。この時期、丸山氏は最も活発に啓蒙的かつ市民的実践活動に従事した。時事活動だけではなく、丸山氏の言論世界では普遍的なトレンドとしての文明史の解析および、如何なる人間集団にも付きまとう権力と政治の論理に関係した。第1章「ファッシズムの現代的状況」は主として冷戦期アメリカのマッカーシズムについて述べている。マッカーシズムをファッシズムというなら、立憲主義や議会制の骨抜き、多党制の解体と大衆的基盤を持つファッショ政党の出現、指導者原理に基づく独裁などの点で間違っている。マルクス主義のようにファッシズムを独占資本の支配と同一視するならば、マッカッシーを拘束する階級的利害関係を重視しなければならない。ここで丸山氏が注目するのは、マッカーシズムの政治的・経済の制度ではなく、社会心理であり、マッカーシー主義者の論理と精神形態であり、ファッショ的指導者に呼応する社会運動とイデオロギーである。丸山氏は何よりも、強制的同質化による世論の画一化や少数意見の抑圧による表現の自由の迫害のなかに、ファッショ化の表出を見るのである。マッカーシズムは幸い短命で終わったが、先進資本主義国の中に、大衆消費社会とマスコミの帰結としての「知性の断片化、反知性主義」を見出し、そこに登場する操作可能性の高い大衆にこそ非強制的(暴力を伴わない)画一化の危険性を見るのである。第3章「スターリン批判における政治の論理」において丸山は、レーニン・スターリン主義の独裁政治手法のはらむ問題性を真正面から取り上げている。1956年「フルシチョフの秘密報告」の最初の報道(2月17日朝日新聞)に反応して、丸山氏は天皇と日本共産党の戦争責任を問うた。これは「進歩的知識人の戦争責任論」の一環である。丸山はこの日本共産党との論争において、自らはマルクス主義者でないことを強調しながら、マルクス主義理論を縦横に利用した。戦争責任論から「スターリン批判」に至る間、丸山は峻烈な共産主義批判を展開した。丸山氏にとって共産主義は階級の敵とみるのではなく、討議と批判を通じて相互連携すべき相手であった。ファッシズム批判とは決定的に次元を異にした。丸山氏はロシア革命をあくまでフランス革命の継承者とみていたようだ。スターリンの個人崇拝をもたらした原因としてスターリンの資質とソ連が置かれた特殊な状況を無批判に結合するのではなく、その政治の論理を突き放して批判することであった。人間組織に遍在する政治権力の動態(正統と同調、非公式グループの存在、指導と非指導など)を直視すべきだという。フルシチョフ報告は不十分だとしても共産主義に自由化をもたらすかもしれない(鉄のカーテンが無くなる)という期待が世界中に広がった。ソ連とユーゴ、ポーランド、ハンガリーに「自由化」の機運が拡大するかのように見えた。1956年10月末に勃発したハンガリー事件はこうした期待を凍り付かせた。西側陣営ではスエズ動乱が起きている。こうした国際情勢の中で書かれたのが、第4章「反動の概念」である。日本政治も大きな方向転換の時期を迎えた。56年7月経済白書は「もはや戦後ではない」と謳いあげた。石橋内閣の後を継いだ岸信介内閣において、戦後民主化政策に対する揺り戻しの動きが活発化した。時代はまさに「保守反動」の時代へ移行したようであった。丸山氏は革新陣営の知識人として現代政治への市民的関与を深めた。丸山氏は「反動」を学問的課題として引き受け、1815年フランス革命の急進王制復古主義(ユルトラ)の復権を検証し、日本のナショナリズムのウルトラ化と対比して理論化するつもりであった。しかし1956年に起きたハンガリー動乱をソ連軍戦車が鎮圧した。共産主義陣営の自由化をソ連当局は「反動」とみたのである。丸山氏は政治的多元化と自由化と考えていた事態を、ソ連軍が武力弾圧したことを受けて、反動論の吟味をマルクス以前までやり直す事になった。マルクスはブルジョアジーを封建的諸勢力と混同しなかった。ブルジョアジーを反動呼ばわりすることは無かった。進歩の概念は政治化され社会主義は進歩であるという歴史観が生まれた。しかし進歩のためにはいかなる体制であろうと、政治機構としては政策の対立、少数派の存在、集団間の意見の対立が不可欠で、「進歩と反動」という次元とは別に「抵抗」という次元がなければならないと考えた。ここで「民主的主体(抵抗主体)の形成」という課題が生まれた。
 第1章 「ファッシズムの現代的状況」: (1953年4月)日本基督教会信濃町教会で行った講演記録を補訂し、「福音と世界」に掲載された。アメリカの日本占領政策が逆コースへ旋回した契機は1950年6月の朝鮮戦争にあったと丸山氏は1989年に振り返った。それは東アジアの冷戦の激化により、占領軍のレッドパージというアメリカの反共ファッショに丸山氏の眼が向けられる。丸山氏は、マッカーシズムによる少数意見の抑圧と表現の自由への制約という事態のなかに、戦後アメリカもまた国内の「強制的セメント化」というファッシズムへの典型的な傾斜を免れなかったとみた。
 第2章 「E・ハーバート・ノーマンを悼む」: (1957年4月)毎日新聞4月18日と19日に投稿された。丸山氏の戦前からの親友であったE・ハーバート・ノーマンがカナダ外交官としてカイロで自殺されたのは4月4日のことであった。訃報に接した丸山氏の衝撃と悲嘆のなかで書かれた追悼文である。彼を死に追いやった政治動向は、「ファッシズムの現代的状況」の核心にもなっていたのである。
 第3章 「スターリン批判における政治の論理」: (1956年11月)1956年2月ソ連共産党第20回大会でのフルシチョフの秘密報告によるスターリン批判は、世界的に見て3つの期待に火をつけた一大転機となった。一つはスターリン時代に個人崇拝と粛清によって極度に硬化した共産主義体制の自由化への期待、二つは国際共産主義運動における社会主義への異なった道の選択の承認、三つに東西冷戦の緩和であった。ところが同年10月に起きたハンガリー動乱によってフルシチョフ報告に対する期待や希望は吹き飛んだ。丸山は「スターリン批判」がスターリン体制の組織的病理を究明する努力を怠り、スターリン個人の欠陥に矮小化しているとフルシチョフ報告を批判した。
 第4章 「反動の概念」: (1957年7月)岩波講座現代思想第5巻に掲載された。丸山氏は今日の政治社会文化の中で「反動的なるもの」を識別して、より広い反動一般の論理と構造について明らかにすることを意図したという。フランス革命から今日までの古典的な「反動の概念」の生成の思想史を描いた。変革と反動は、あざなえる縄のごとしということである。

第3部 「現代世界への基礎視角」
 第3部は、第1部、第2部所収の論文の見方を、より広い視野(文脈)において論じるための二つの見取り図を与える。第1章「ナショナリズム・軍国主義・ファッシズム」は「政治学事典」に採録された相互に関連性の高い3つの項目をまとめて論じるものである。丸山氏自身が編集者を担ったこの事典は、かってない歴史的変動の渦中に動揺、変転する人類社会を政治現象に絞って捉えなおす企てであった。国民が政治に対する冷静な観察と明晰な判断を養うためのものである。ここに「民主的な主体の形成」という丸山氏の敗戦後の熱い実践課題の反映を見る。この辞書は「科学としての政治学」を目指す若い政治学者の学問的英知の結集であった。第2章「現代文明と政治の動向」には、20世紀文明観とでもいうべき大きな認識枠組を描いている。丸山氏はこの論文で第2次世界大戦前後という時代区分、もうひとつには個別の国家の壁や体制イデオロギーの区別を超えて起こりつつある、普遍的な文明史的変容(グローバル化)とその根源的な動因を示すことによって、戦後世界の全体像を描くことである。そこで彼がまず注目したのは、@「テクノロジー」の急速かつ巨大な発達という普遍的現象である。軍備や戦争を高度化し、戦争と平和をめぐる国家間関係を決定的に変えた。Aそうしたテクノロジー発展の帰結として、それ以上に重要なことは政治経済機構の「官僚化」である。B市民社会の「大衆化」である。それまでは丸山は「官僚精神の跋扈」とか「強制的同質化」という言葉でファッシズムの病理的現象という角度で捉えていた。ここでは普遍的なテクノロジーの発達に対応して、体制やイデオロギーの違いを超えて、日常的に進行する実質的・形式的官僚主義の深化と大衆化による民主主体の喪失が、文明史的な趨勢として抽出されてくる。大衆社会状況における「原子化」、判断力の「断片化」へどう抵抗するかという課題が見えてくる。C文明史的趨勢としてヨーロッパ植民地体制からのアジアの解放である。丸山はアジアの民族主義の台頭の中に近い将来トーロッパ帝国主義の終焉を展望した。それはアジアをヨーリッパに変わって植民地化しようとした、日本帝国主義の敗北を見据えて、戦後の出発点としなければならない。戦後日本はアメリカの対アジア戦略に取り込まれ、冷戦の激化により中ソを仮想敵国とするよう方向づけられた。そのため最初からアジア近隣諸国と日本の命運を関連付けて模索する努力を怠ってきた。
 第1章 「ナショナリズム・軍国主義・ファッシズム」: (1954年2月)平凡社「政治学事典」に執筆した3篇の項目をまとめたもの。イデオロギーについて簡単な全体的見取り図を得ることができる。
 第2章 「現代文明と政治の動向」: (1953年12月)郵政省研修所教官講習会での講演会記録。20世紀後半の文明と政治の動向を根本から規定する要因としては、@19世紀末以来留まることのないテクノロジーの発展と、それに対応する国家・社会の官僚制化、A世界史の舞台へ大衆の登場、B西欧植民地主義からアジアの解放であるとする文明史を述べた。


第一部 日本のファッシズム 


第1章 「超国家主義の論理と心理」 

第2章 「日本ファッシズムの思想と運動」 

第3章 「軍国支配者の精神構造」 


第二部 戦後世界の革命と反動 


第1章 「ファッシズムの現代的状況」 

第2章 「E・ハーバート・ノーマンを悼む」 

第3章 「スターリン批判における政治の論理」 

第4章 「反動の概念」 


第三部 現代世界への基礎視角 


第1章 「ナショナリズム・軍国主義・ファッシズム」 

第2章 「現代文明と政治の動向」 



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