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読書ノート

石井哲也著 「ゲノム編集を問うー作物からヒトまで」 
岩波新書(2017年7月)

第3世代のゲノム編集技術「クリスパー・キャス9」の実用化により、俄かに現実的となったゲノム改変がもたらす諸問題を検証する

2017年4月19日日本国際賞受賞者の3人の中で、第3世代のゲノム編集技術を開発したドイツ・マックスプランク感染生物学研究所のエマニエル・シャンパルティエ所長と米国カルフォニア大学バークレイ校のジェファニー・ダウドナ教授(両名は女性)が来日した。ノーベル賞級の新型遺伝子工学ツールである「ゲノム編集」は、遺伝子組み換え技術より圧倒的に高い効率で遺伝子を改変できる。ゲノムの狙った位置に遺伝子を導入するだけでなく、特定の遺伝子に突然変異に似た変異を起こすこともできる。複数の遺伝子を同時に改編することも可能となった。第3世代のゲノム編集CRISPR/Cas9(クリスパ・キャス9)はいまや世界中の研究者に急速に広まっている。ゲノム編集技術は農林畜産分野では従来は10年以上かかった育種の期間を大幅に短縮し、医療分野では臨床試験段階になったものもいくつかある。エイズ免疫細胞、がん細胞免疫治療、遺伝子病の治療などの新しい展望を開くことができる。こうした華やかな表の面に対して、この強力な遺伝子ツールは世界中に大きな波紋を引き起こしている。欧州ではゲノム編集を用いた育種の規制をめぐる論争が続いている。医学分野では2015年4月中国の研究グループが人受精卵で廃棄を前提とした受精卵のゲノム編集基礎研究成果を発表すると、世界中に深刻な懸念の声が広がり、ホワイトハウスは緊急声明を発表した。本書は生命倫理の観点を大切にし、ゲノム編集の技術の農業と医療への応用についての論点を提供するものである。本論に入る前に石井哲也氏のプロフィールを紹介する。1970年群馬県生まれで、名古屋大学農学研究科卒業、北海道大学で農学博士号を取得し、京都大学iPS研究所を経て、2013年北海道大学安全衛生本部特任准教授、2015年教授となった。活動分野は医療社会学 、 生命倫理学、 生殖補助医療、 幹細胞生物学、 遺伝学などです。教授の自己紹介文では「生命倫理について研究してます。バイオテクノロジーの倫理的、法的、社会的観点からの分析を通じて、社会への接続に貢献したいと考えてます。具体的には、遺伝子組換え作物、幹細胞研究、生殖補助医療、遺伝子治療などに関心を寄せてます。日本生命倫理学会、日本実験動物学会、欧州ヒト生殖医学会(ESHRE)、国際幹細胞学会(ISSCR)、AAASの会員です。科学技術振興機構、京都大学iPS細胞研究所を経て、現在、北海道大学に勤務しております。」と書いています。

1) ゲノム編集技術

「遺伝子組み換え」と「ゲノム編集」はどう違うのだろうか。「遺伝子組み換え」を「遺伝子工学」と考えると、基本的には同じ範疇のことなのだが、DNAを切断する特異な機能を持つ制限酵素を使用してゲノムにある遺伝情報を書き換えるという意味で「ゲノム編集」という言葉が生まれた。細胞生物学や染色体核ゲノムの2重鎖DCAの構造(1953年ワトソン・クリック2重らせんの塩基対構造発見)およびたんぱく質生産のスキーム(セントラルドクトリン)のことは既知として省略する。遺伝子は核内だけでなく、細胞質のミトコンドリアにも存在する。植物の場合葉緑体にもゲノムがある。動物の体細胞は、分裂に当たっては父・母由来の2セットづつ分配された2倍体の細胞である。生殖細胞〈卵子や精子)は減数分裂によって1倍体の細胞である。卵子にあるミトコンドリアだけが母親由来である。DNA2重らせん構造の発見から50年たって、2003年ヒトゲノム約32億塩基対の配列が決定された。ヒトゲノムには約2万S00種類の遺伝子があることが分かり、アミノ酸をコードする領域はエキソンと呼ばれ、約3000万塩基、ゲノム全体の約1%に相当する。エキソンの間をつなぐ部分はイントロンと呼ばれる。ヒトのゲノムの99.9%は同じであるが0.1%は異なる。1塩基のレベルで違いが見られることを塩基多型(SNP)と呼ばれ、生物集団内で1%以上で出現する。これを個体差という。変異とはSNPより低い塩基の変化であるが、遺伝子のエキソン部分で塩基が欠損したり、挿入されたり、別の塩基で置換されたりその遺伝情報が変化する。1970年代細胞外でDNAを切断したり、再び結合させたりすることができるようになった。DNAの切り貼りに使うのは微生物由来の制限酵素という。例えば大腸菌由来のEcoR1という制限酵素は、GAATTCという塩基配列を認識し切断する。再結合させる酵素はDNAリガーゼという。こういった制限酵素を使って細胞のゲノムに別の遺伝子を組み込むことを「遺伝子組み換え」という。目的の遺伝子を用意し、この遺伝子をあらかじめ切断しておいたベクター役の環状DNAプラスミドに連結させ感染させる。大腸菌に導入して培養するとプラスミドも増加する。大腸菌からプラスミドを抽出し、遺伝子を組み込みたい細胞の中に導入する。この際動物細胞の場合はウイルスベクターにプラスミド遺伝子を持たせて、目的の細胞に感染させる。こうしてできた最初の遺伝子組み換え医薬品が「インスリン」であった。こうして導入された遺伝子は細胞質でいずれ分解されるか、核ゲノムに組み込まれるが、核ゲノムへ遺伝子を導入する効率は低い。遺伝子が確実に導入されたという目印になるマーカー遺伝子を同時に導入することで遺伝子導入された細胞だけ選抜するという方法をとる場合が多かった。基礎研究ならそれでもよかったが、人の口に入る医薬品や食品開発出は大きな障害になる。一方ゲノム編集技術は制限酵素などを細胞内に導入し、それらが細胞内でDNAに直接操作する仕組みである。ある細工をしておいた制限酵素を、細胞に直接導入するのである。ゲノム編集には大別して第1世代、第2世代、第3世代と称される技術がある。それらを下の図によって簡単に説明する。

genedit.png(55685 byte)          APB_CRISPR-Cas9-.gif(15001 byte)
ゲノム編集3段階(a:NHEJ、HDR b:ZFN c:TALEN d:CRISPR/Cas9      第三世代CRISPR/Cas9の手順

第1世代 ZFN : 第1世代といわれる「ジンクフィンガーヌクレオチド(ZFN)」は1996年に報告された。上の左の図のbにその仕組みを記す。細菌に由来するFokIという制限酵素というハサミに、特定のDNA配列に導く役割の「ジンクフィンガードメイン(モチーフ)」を結合させた人工制限酵素である。ZFNは細胞の中に入ると、指定された標的配列にジンクフィンガードメインが結合し、2鎖本のDNAをFokIという制限酵素切断する。2本鎖DNAを両方とも切断することをダブルストランドブレイク(DSB)という。ZFNは任意のDNA配列を認識するようにデザインされるが、たんぱく質として作られるので、認識部分の立体構造の設計が難しく、業者に依頼すると現在で60万円くらいかかるので、普通の研究室では外注経費が大変であった。二重鎖のDNAが両方とも切れてしまうと、細胞内にもともとあるDNA修復酵素が働いて切断箇所の修復を始める。上の左図のaに示すように、1本鎖だけ切れた場合と異なり、2本とも切れてしまうと一方の鎖を鋳型とする正しい修復ができない。数単位の変異が入りやすい。この変異が入りがちな修復を非相同末端結合(NHEJ)と呼び、こうして起こる変異は総称して挿入欠失変異(Indel)と呼ぶ。一方ゲノム編集の酵素を細胞に導入する際、DNA断片を一緒に入れるとその断片が持つ配列が切断部位に取り込まれることがある。これを相同組み換え修復(HDR)と呼ぶ。すなわちHDRでは導入した鋳型にそった修復を誘導することができる。遺伝子に変異があるときには、正常な塩基配列を含む鋳型DNAを用いたHDRによってその変異を修復することができる。また正常型のゲノムDNAの特定部位にSNPや変異を導入することができる。さらに鋳型DNAとして遺伝子をそっくり使うこともできる。この外来型遺伝子が、ゲノムの特定部位に入り込む。遺伝子組み換えでも外来遺伝子の導入はできたが、狙った部位に導入することは極めて難しい。HDRは標的配列での改変効率が大幅に向上したのである。HDRでは遺伝子より短い鋳型DNAを導入すると、点変異を入れたり、変異を修復した地、短い配列を導入することができる。
第2世代 TALEN :  ゲノム編集の第2世代といわれるタレン(転写活性化因子様エフェクターヌクレアーゼ TALEN)は2010年に報告された。上の左の図のcにその仕組みを記す。タレンはハサミの制限酵素にFokIを採用している点ではZFNと考えは同じであるが、DNAを認識する部位としてはTALEという植物病原菌由来のたんぱく質を用いている。タレンは認識部位への結合効率を上げるよう改善されている。ZFNではジンクフィンガードメイン全体で塩基配列を認識するが、タレンではTALEの構造の一部が塩基と結合するため、立体構造設計という困難さを改善している。タレンの設計を外注するコストはZFNと同じかそれ以下である。
第3世代 CRISPR/Cas9 : ゲノム編集が世界的に普及するようになったのは、第3世代のクリスパー・キャス9が遺伝子工学ツールとして報告された2013年以降である。この技術は細菌に備わった獲得免疫の仕組みを転用するものである。上の左の図のdにその仕組みを記す。一部の細菌やほとんどの古細菌はクリスパ―という配列群を持つ。クリスパ―(Clusted Regularly Interspaced Short Palindronic Repeats CRISPR)とは「規則的にスペーサーが配置された短回文繰り返し配列群」のことである。24−48塩基対の回文配列の後にスペーサー(細菌に侵入したウイルスのDNA配列が記憶さている)と呼ばれるつなぎ配列を1単位として、それが繰り返されている構造である。上の右の図のaにその構造を示す。bにその作用機構を示す。スペーサーDNA配列を持つウイルスが侵入すると、この配列を記憶したスペーサーから「クリスパーRNA」(crRNA)が転写され、さらにクリスパ―RNA は別のタイプのRNA(トランス活性化型クリスパーRNA tracrRNA)と結合し、ハサミ役のCas9というDNA切断酵素というたんぱく質によってウイルスを攻撃するのである。キャス配列は1987年大阪大学の石野教授が大腸菌で発見したが、その生物学的意味は不明であった。2012年スウェーデンウメオ大学のエマニエル・シャンパルティエ教授とカルフォニア大学のジエファニー・ダウドナ教授が遺伝子工学のツールとして開発した。二つの共同研究グループは化膿性連鎖球菌のクリスパ―を用い、crRNAとtracrRNAの二つのRNAを「ガイドRNA」として一体化し、使いやすいツールにした。つまり研究者は編集したいゲノム中のDNA配列に合わせて、ガイドRNAを設計するだけとなった。ZENやTALENの場合、たんぱく質として組み上げたうえで旨く切断できるかどうか調べる必要があったが、クリスパー・キャス9の場合は転写するDNAとキャス9のDNAをプラスミドを用いて細胞に導入し、目的の箇所が切断できるか試験すればいいだけになった。その後クリスパ―・:キャス9の遺伝子改変が極めて有効であることが各地で実証され、世界中に普及した。プラシミドは大腸菌を培養すれば得られる。またクリスパ―・キャス9のもう一つの優位点は、同時に複数の遺伝子編集が可能な事である。技術的課題として、2倍体の生物の両方が改変されたものと、片方のみが改変されたものを選別する必要がある。標的配列に似た配列で、意図しない場所でDNA切断が起きる場合、こうして引き起こされる変異をオフセット変異というが、これがエクソンで起きた場合には大変な結果をもたらす。これをどう検出し選択するか、とくにヒトDNA では深刻である。

2) 品種改良とゲノム編集

作物や家畜の育種を目指すゲノム編集では、外部遺伝子組み込みではなく、特定遺伝子に変異を入れる(ノックアウト)手法が目立つ。従来の農作物の育種は交配を重ねつつ突然変異が起きた品種を丹念に見つけ方法が主流であった。1950年代以降では、化学物質、ガンマ線に作物を暴露させることで突然変異の頻度を高めて育種を行う手法が広まった。ゲノム上にランダムに変異をもたらす品種改良法によって、世界で稲、小麦、綿、アブラナなど175種で2543品種が開発された。日本では300品種ほどが実用化された。さらに1980年代以降にはカルス培養突然変異法(全能性を持った植物細胞培養法)による品種改良が効果を上げた。しかしランダム変異導入法や培養突然変異法で突然変異株を得たとしても、品種登録までに10年以上かかるため、根気強い選抜と検証が必要であった。ところが1904年承認されたフレーバートマトの承認で実用化が進んでいる遺伝子組み換え技術の利用は幾分効率がいい。遺伝子をアグロバクタ―ベクターに組み込んで強制的に植物に導入する方法に期待が寄せられたが、植物体の中はブラックボックスで発現に安定性がなく、他の重要な遺伝子を破壊するなどのデメリットも多かった。近年イネのゲノム解析が進み、主要な動植物のゲノム解読が進んだ。2005年には稲の品種「日本晴」の全塩基配列が発表された。2011年にはウシの全塩基配列が決定された。例えばイネの遺伝子OsBADH2からジャスミンの香に関する酵素に変異を加えると芳香な稲の育種が可能かもしれない。作物や動物のゲノム編集による品種改良ではゲノムの特定遺伝子を狙って変異を入れて破壊するアプローチ(NHEJ)を使うことが多い。どのDNA部分に挿入欠損変異(Indel)を入れるかを設計する。エキソンの部分ではクリスパー・キャス9は、NGG(Nは何でもいい塩基)配列の上流20塩基を標的とする特徴がある。そしてガイドRNAを何種類か作製する。現状では遺伝子組み換え技術を使って、アグロバクテリウムという細菌をつかってクリスパー・キャス9のプラスミドを導入する。この細菌を植物に感染させるのである。動物細胞は植物と違い、体細胞から個体を再生することは不可能に近い。iPS細胞から卵子や精子を作る研究もあるが、今のところ技術的・倫理的に困難と言わざるを得ない。したがってゲノム編集を使って家畜の品種を開発する場合、受精卵からスタートする。受精卵の段階で目的の遺伝子が改変されると、受精卵が分裂した細胞も変異を持つ。杯培養を数日行い子宮に移して着床し出産に至ると、遺伝子改変の個体が誕生する。しかし非常にデリケートな胚段階でゲノム編集をすること自体が、受精卵にストレスを与え受精卵が死ぬ場合もある。現段階では動植物育種におけるゲノム編集技術は非相同末端結合NHEJによる挿入欠損変異の導入による遺伝子改変である。作物においては酵素やたんぱく質を破壊して、品質を変えたり病原菌への耐性を与えることである。例えばジャガイモではALS遺伝子を破壊して除草剤耐性を付与した例もある。家畜では筋肉形成の抑制遺伝子ミオスタチンのMSTN遺伝子を破壊する例がある。ウシ、ブタ、ヒツジ、ヤギの筋肉肥大を狙った品種改良である。角のない牛を作ることが試みられている。2014年ごろから作物・家畜のゲノム編集改変(第1世代から第3世代技術による)が行われ始め、今では14例を数える。

こうした新しい育種技術は、生態系への影響や食品安全性を評価し、問題がなければ商業栽培が許可される。2000年生物多様性条約国特別会議が採択した「カルタヘナ議定書」では、「生きている改変生物」として無秩序な利用の悪影響を考慮し取り扱いや輸送、利用について取り決めがなされた。170か国が批准したが、世界最大の農産物生産国アメリカは批准していない。遺伝子組み換え技術の規制は、商品のリスク評価を行う「プロダクトベース:と、開発の全課程にわたってリスク評価を行う「プロセスベース」の規制に大別される。一般的にはプロダクトベースの規制の方が緩い。遺伝子組み換え作物の作付面積では、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンの上位3国はプロダクトベース規制であるが、作付面積では桁違いに少ないインド、中国などはプロセスベース規制を採用している。一方食用を目的とする家畜の遺伝子組み換え事例は世界において1件もない。遺伝子組み換え作物の作付面積の段違いに多い北米や南米を合わせると世界の半分以上を占める。多国籍育苗会社(モンサントなど)による除草剤耐性作物と除草剤の抱き合わせ販売のビジネスモデルが世界を支配している。2005年まではアメリカには遺伝子組み換えの表示制度がなかった。しかし2016年連邦法で「安全性食品表示法」が制定されたが、企業のロビー活動で骨抜きされその効果を疑う声も多い。日本では1996年厚生省が作物の「組み換えDNA技術応用食品・食品添加物安全性評価指針」を定めた。2001年食品衛生法改正によって、食品安全基本法の規制と相まって、JAS法と食品衛生法に基づいた表示が義務付けられた。ところが日本では多国籍育苗会社日本法人が2017年1月段階で168作物について輸入や日本での栽培許可申請をしている。そのうち輸入・栽培許可がいずれも承認されたものは125作物であるが、生産者は栽培しないのが現状である。日本は遺伝子組み換え作物の輸入大国である。全輸入量はほとんどアメリカからで、約1471万トンである。味噌、豆腐の大豆や菓子のトウモロコシなどの遺伝子組み換え作物を日本人は相当食べている。にも関わらず、日本の食卓では心理的に遺伝子組み換え作物は歓迎されていない。意識調査ではいつも敬遠され、なぜが不信感が強い。その原因の一つが表示制度への不信である。日本では「全重量の5%以上を占めるものにしか表示義務はない」が、世界のほとんどの国では0.9%以下あるいは1%以下は表示は免除という。この意識と実態のアンバランスはひとえに日本の食料自給率の低さ(39%)にあり、原料で組み換え作物の痕跡をとどめない加工食品に表示を義務付けていないので、つまり知らぬ間に食べていることが現状である。組み換え大豆がもしこぼれて日本で自生しても生物多様性には影響ないという立場を環境省はとっている。またこうした不信感の本になっているのは、生産育苗会社が多国籍企業の巨大コングロマリットで多額な開発費を掛けらる超独占企業で、かつ農薬生産企業でもありかってべトナム戦争で枯葉剤を生産し健康被害をまき散らした企業への市民の反感が強いからである。遺伝子組み換え作物の食品として安全性は「科学的には問題ない」として、消費者との対話・コミュニケーションを促進すルということが政府の方針である。しかし害虫耐性を持たせるため、細菌由来の毒素(Bt毒素)遺伝子を導入された作物は人間に対して有毒性は大丈夫なのかという疑問があるが、厳格な食品安全性試験で毒性は否定された。「こぼれ落ち問題」は耕作地付近の生態系への影響が考えられる。除草剤耐性遺伝子を持つ雑種が耕作地域に自生すると、社会的な問題となる。有機農法農産物に混入すると商品ブランドを侵害することになる。日本では都道府県の一部で別途許認可制度を採用するところが、北海道、新潟県、神奈川県や一部の市町村に見られる。まだまだ心配の種は尽きないのである。遺伝子組み換え家畜は食品安全性だけでなく、動物愛護の観点からの反対がある。体細胞クローンによる家畜育種をめぐる論争も絶えない。2009年日本の食品安全性委員会は「クローン家畜由来の食品は安全」との見解をとったが、体細胞クローンでは高頻度に先天性異常が発生し殺生処分をすることが多かった。欧州議会では動物愛護を踏まえてこの方法の規制を求める投票を実施した。養殖魚では成長ホルモン遺伝子を導入したサケの養殖承認をアメリカは2015年に、カナダでは2016年に承認された。FDAの表示方針が決まるまで販売停止となっている。遺伝子組み換え作物や家畜が歓迎されない理由は、規制制度への疑義、拡散の危険性、企業への不信、リスクコミュニケーションの不調、倫理感などが存在する。 

遺伝子組み換え生物の栽培(飼育)は「カルタヘナ議定書」などに沿って規制されるが、ゲノム編集生物に同様の規制がなされるのだろうか。カルタヘナ議定書の焦点は「外部遺伝子がゲノムに組み込まれた状態」だったが、今のところゲノム編集育種はNHEJによる変異の導入がほとんどである。米国では「遺伝子導入のないゲノム編集作物」はケースバイケースで判断されているが、今までの6回の問い合わせ事例では規制対象外であったという。野外での栽培は「植物防疫法」で規制されるので「遺伝子導入のないゲノム編集作物」は規制対象外になるのだ。米国もアルゼンチンも、ゲノム編集作物はプロダクトベースの規制を適用している。遺伝子破壊で改変された作物の特性が生物多様性やオフターゲット変異に起因する食用上ののリスクは十分考慮されたとは言えない。ニュージランドは2016年に高等裁判所の見解を受けて、「外来遺伝子の有無を問わず、あらゆるゲノム編集作物は規制対象になる」と規制改正を行った。おなじプロセスベースの規制をとるEUでは論争中で、日本では農水省や学術団体は検討中であるが、環境省はきちんと対応する気配は今のところない。ではNHEJゲノム編集(遺伝子破壊)に特化した法規制を考慮すべきかどうか問題点は多い。NHEJでも、環境への影響をもたらす遺伝子破壊はありうる。やはり野外栽培に対する規制対象とするのが妥当であると著者は考えている。従来の育種法でALSに変異ができ除草剤耐性を獲得した稲をドイツの育苗会社が米国で栽培すると、現地に自生する雑草イネと交雑し、栽培畑で変異型ALS耐性を持つ雑草イネが生えて2メートル近くの丈となった。これを駆除するのは容易ではなかったという事例がある。NHEJゲノム編集は自然の突然変異と同じレベルの変異を導入することも可能であるので、この作物が耕作地でどのような挙動を示すのか慎重な試験が必要となる。オフターゲット変異が導入されないかどうかも重要な評価項目となる。オフターゲット変異がないなら野外栽培試験には厳格な規制は必要ないかもしれない。ゲノム編集家畜については、畜舎での管理が主となり、たとえ放牧するすることはあってもの野放しにはしないので環境に影響するとは思えない。食用上の問題に絞られる。2017年1月米国FDAは動物の遺伝子改変のルール案を示した。「動物でゲノム編集を行う場合、安全性や効果について医薬品並みに厳格に審査する」という内容であった。トランプ新大統領がこれを覆す恐れはある。日本の環境省は遺伝子組み換え生物専門委員会で(2015年)「当面、現行のカルタヘナ条約に則り、個別に判断する」という方針である。しかし日本では表示方法に強い不信が広がっているので、ゲノム編集作物に厳格な基準を作っても、食卓に受け入れられるには高いハードルが必要である。一般の人は遺伝子組み換え食品という言葉を聞いたことはっても、ゲノム編集という言葉は9割の人は知らない状態である。両者の比較と相違を知っている人は皆無であろう。長い国民的討論を通じて、「食べたい人はどうぞ」という表示がなされる日は来るかもしれない。ゲノム編集家畜が受け入れられることは今のところ考えられない。なぜなら筋形成抑制因子ミオスタチンのMSTN遺伝子破壊した牛がコストダウンの要望によっていけ入れられるだろうか。あえて肥満体ドーピング牛を食べる人はないだろう。肉質が同じであったとしてもだ。それ以上に問題なのは、子牛胎児の肥大化によって母親ウシのお産に負担が増大するとか、舌の肥大化によって呼吸困難になりやすいなど、成熟牛の体重が1.3倍になるため、人間の肥満体のトラブルと同じ症状が多く現れる。これは笑い事ではない。ウイルス抵抗性を高めたブタを高密度で飼育すると、他の感染症で畜舎全体が破滅する場合が想定される。遺伝子組み換え作物の成功例として、ハワイ島のパパイヤがリングスポットウイルスによって収穫が1/3に減産となった経験があり、ウイルス耐性を付与したパパイヤを導入した例があった。これまで遺伝子組み換え作物は生産効率重視の増産ばかりを考える生産者サイドの都合で決められてきた。しかし日本では生産者より消費者の見方が新しい農産物のあり方を決めている。

3) 医療とゲノム編集

生まれた直後から症状が出て深刻な状態になる場合、しばしば染色体や遺伝子に問題がある場合が多い。染色体や重要な遺伝子に変異があるため、臓器や体全体が不調をきたすのである。遺伝子そのものを操作することで、患者の治療を目指すのを「遺伝子治療」という。患者の体細胞に正常型の遺伝子を組み込み、正常なたんぱく質を作れるようにする。組み込まれた遺伝子が安定的に働けば、長期間の効果が得られる可能性がある。遺伝子治療には正常遺伝子をウイルスベクターなどに載せて、それを人体に直接導入する「生体内遺伝子治療」と、体外で遺伝子を細胞に導入し、その細胞を体内に移植する「生体外遺伝子治療」がある。血液関連の病気の場合は生体外遺伝子治療を、特定の固定組織に遺伝子を発現させるには「生体内遺伝子治療」が選ばれる。従来型の遺伝子組み換え治療では、正常型の遺伝子を患者の細胞に組み込むとき、ゲノム上の位置を特定するのが難しかった。発現しなかったり、他の遺伝子を壊したりするリスクがあった。その点「ゲノム編集治療」は挿入位置を特定できるメリットが期待できる。生体外ゲノム遺伝子治療では患者の細胞を取り出し、試験管内で遺伝子改変を行い、移植前に正常に編集がなされたかどうかチェックができる点でも有利である。生体内ゲノム治療では人体に直接DNA切断酵素を導入するので、正しく切ったのかどうかはやってみなければわからない。新薬や医療機器の開発は、まず動物実験で安全性と有効性が評価される。ここで有望と判断されると患者や健常者の協力を得て試験が行われる。さらに安全性や有効性の評価がなされる。人を対象とする医学研究には、「臨床研究」、「臨床試験」、「治験」といった分類がある。「臨床試験」、「治験」は第一相から第2相、第3相、第4相と段階を追って情報が収集される。臨床試験は実施前に審査にかけられる。被験者を守るためである。この審査体系は1947年「ニュルンベルク綱領」で患者の同意を基礎としている。1964「ヘルシンキ宣言」で人を対象とする倫理規範として世界標準となった。試験研究の計画は「研究倫理員会」の承認を必須とする。リスクの評価が主となる。遺伝子治療ではウイルスベクター、プラスミドDNAなどの承認を受けると「生体内遺伝子治療製剤」、「生体外遺伝子治療製剤」として商品化が可能となる。しかし人体での遺伝子改変の影響やリスクはまだよくわかっていない。倫理委員会で承認を得ると医師は臨床試験を開始する。ヒトの遺伝子配列は0.1%のばらつきがあり、どんなに配慮してもリスクはつきものである。1995年日本での最初の遺伝子治療の臨床試験が北海道大学で実施された。20万人に一人の頻度とされるアデノシンデアミナ―ゼ(ADA)欠損症の4歳児が被験者となった。ADCは核酸分解酵素で正常な核酸の代謝にはなくてはならないものです。この働きが阻害されるとリンパ球が死に追いやられ、重症複合免疫不全症(SCID)になり、感染症やがんに侵されます。造血幹細胞移植が治療法ですがドナーを探す必要があります。毎週ADA投与の費用が120万円もかかります。北大小児科の崎山助教授(当時)はADA遺伝子を体内に導入する遺伝子治療を行った。これには1990年米国NIHでADA-SCIDの世界初の臨床治療があったからだ。NIHは生体外遺伝子治療でT細胞を取り出し、ADA遺伝子をレトロウイルスベクターを使って造血刊細胞に導入し体内に戻した。この遺伝子治療法は2016年EUでも承認された。今日まで世界で2409の遺伝子治療の臨床試験研究が進められてきたが(米国が6割、英国が1割)、販売が許可された遺伝子治療製剤は2017年までにたったの7つであった。がん治療の遺伝子治療製剤は、中国が2003年に成功した頭頸部がんが世界初であった。遺伝子治療製剤の開発が進んでいない主な理由は、ヒトでの遺伝子改変リスク評価が困難であることだ。長期にわたった遺伝子改変の影響を評価することが難しいことである。米国では多くの臨床試験が行われているがm」米国での承認数は少ない。1999年ペンシルバニア大学でOTC遺伝子欠損症に対する生体内遺伝子治療臨床試験が行われた。OTCはアンモニアを解毒して尿素に変える役割があるが、OTC欠損症では重症の場合死に至る。臨床試験では患者であるジェシ・ゲルシンガーは高校生で、OTC遺伝子を搭載したアデノウイルスベクターを肝臓に投与された。このベクター自体に毒性があることを知らされないまま患者は死亡に至った。この件は裁判となり2005年結審した。この事件をきっかけに遺伝子治療の開発に対するFDAの規制態度は硬化した。フランスでも1999年X染色体連鎖性の重症複合免疫不全症(X-SCDI)に対する生体外遺伝子治療の臨床試験が実施された。X染色体にあるIL2RG遺伝子の変異が原因のSCDIで、10万人に一人の頻度である。パリのネッカー小児病院で11例の生体外幹細胞移植治療が行われ9例で効果があったが、3年後被験者の二人が白血病を発症した。さらに6年後にも白血病発症者が続き、合計4人が白血病になった。治療に使われたレトロウイルスベクターに由来するDNA はがん関連遺伝子の近傍に挿入され、造血幹細胞T細胞をがん化させたことが分かった。こうして遺伝子治療にはその後、世論や規制当局の厳しい目が向けられ、その開発ペースはトーンダウンした。

jこのように従来の遺伝子治療は困難な道を辿ってきた。2014年米国のペンシルバニア大学で、世界初となる生体外ゲノム編集治療の臨床試験が報告された。それはエイズの治療試験であった。エイズ患者の体内からT細胞を採取しZFNを使って遺伝子破壊細胞を作り患者体内に戻した。患者は生まれつき細胞表面蛋白であるCCR5遺伝子にΔ32変異があり、エイズウイルスに感染するとT細胞が破壊され免疫不全に陥るという。1995年来エイズを発症し、抗ウイルス剤で治療していたが白血病も併発した。2007年造血幹細胞でCCR5遺伝子を破壊してから移植するの生体外ゲノム編集を行って劇的な効果を得た。エイズウイルスは見られなくなり、白血病も治った。この状態が10年近く続いている。試験の目的は安全性を評価することであった。この生体外ゲノム編集治療ではオフターゲット変異は調べられていない。もしオフターゲット変異ががん関連遺伝子に入ったら、重大な副作用が起きる恐れがある。患者一人一人の一塩基多様性SNPの違いでもオフターゲット変異は左右されるからである。ゲノム編集を行った細胞の培養期間が4日内という制限下では、全ゲノム配列のチェックは不可能である。今世界では生体外ゲノム編集治療の臨床試験が10件進行中である。アメリカではエイズ治療が6件、中国でがん治療が4件である。中国ではPD-1という分子の遺伝子を破壊したT細胞を体内に移植するというがん治療の第1相試験が行われている。進行性肺がん、前立腺がん、膀胱がん、腎臓がん遺伝子治療の4本が進行している。がん細胞はT細胞がもつPD-1分子と結合しT細胞を無抵抗にする。がん治療薬「オブジーボ」はPD-1と結合し、がん細胞がT細胞と結合するのを阻止するのである。しかしベノム編集でPD-1を破壊すると、免疫に関わる因子であるため、どのような副作用が出るか心配である。実際PD-1の変異と多発性硬化症との関連を指摘する論文は多い。生体内ゲノム編集の臨床試験は今4本が走っている。いずれもこの1,2年に開始されたばかりである。中国の子宮頸がん、米国の血友病、ムコ多糖症T型、U型の2例である。ムコ多糖症T型、U型の治療とは、第1世代のZFN法でDNA切断酵素を作らせ、HDRで正常型遺伝子をアデノ随伴ウイルルスベクターで患者の肝臓に導入する。2015年英国で第2世代のTALENを用いた生体外ゲノム編集治療が、幼児の急性リンパ性白血病患者を救った。化学療法が効果がなかったので、遺伝子改変T細胞を導入したという。がん細胞のCD19を認識するキメラ抗原受容体の遺伝子を導入し、同時にTALENで薬剤耐性CD52遺伝子破壊とT細胞レセプター遺伝子破壊を行った。このゲノム編集治療は遺伝子導入だけでなく2つの遺伝子破壊も行った画期的な療法であった。2003年中国で世界初のがん遺伝子治療製剤「ジェンディシン」が承認された。日本で輸入されているが、その治療費は300−500万円らしいが、効果が疑わしく訴訟も起きている。遺伝子治療薬「グリベラ」は脂肪代謝酵素欠損症に対する生体内遺伝子治療製剤で2012年に承認されたが、治療費は1億G000万円で一人に適用されただけで終わった。がん治療薬「オブジーボ」の治療費は1年で3500万円である。こんな高価な薬剤が国民の手に届くかどうか怪しい。国民健康保険制度に組み込むことも難しい、だからiPS細胞やゲノム編集治療のような先進治療が人々に届く日はなかなか来ないであろう。特異な先天性異常による患者数は脂質代謝異常症は世界で27人、ADA-SCID患者は欧州で毎年15人ほどの発症数である。こうした難病治療薬を保険で支えるには相当の負担が必要になる。2002年世界アンチ・ドーピング機関は「身体能力の向上を目的とした遺伝子ドーピングは禁止する」という条項を盛り込んだ。MSTN遺伝子にNHEJで変異を入れるとキン肉マンが生まれる。そんなことをしていいのかという疑問が尽きない。また美容ビジネスで美容外科(形成外科)でも遺伝子治療の日は近いと噂されている。2015年南米で肌のアンチ・エージングを受けた人が出た。導入された遺伝子はテロメラーゼ酵素遺伝子とフォリスタチン発現遺伝子である。不老長寿の効果があるといわれるが、ビジネスは規制を潜り抜けるため南米コロンビアで行われるの、医療ツーリズムビジネスプランが見え見えである。

4) ヒトの生殖とゲノム編集

2015年、世界初のゲノム編集を使ったヒト受精卵の遺伝子改変の論文が中国中山大学から発表された。これは受精卵の段階での地中海貧血の遺伝子変異を修復する目的でHDRを採用した基礎研究である。2016年にまた中国広州医科大学でヒト受精卵ゲノム編集の論文が出された。受精卵にHDRやNHEJを用いて遺伝子改変を行い、HIV抵抗性をもたらすCCR5遺伝子Δ32変異を導入できるかどうかを試したようだった。誕生前にHIV抵抗性があるかどうかテストしたかどうか怪しい研究である。いずれの研究でも第3世代編集技術のクリスパ―・キャス9が採用されている。研究材料としての卵子は、不妊治療のための体外受精を行うと数%に確率で生じる、一つの卵子に二つの精子が受精した以上受精卵(3PN胚)を用いた。この3PN胚は数日したら卵割が停止するので生殖医療クリニックでは破棄される運命である。夫婦の同意を得てゲノム編集実験に使用し、大学の倫理審査委員会の承認を得ている。拙速な臨床応用問題として、いわゆるデザインべビーへの心配から深刻な波紋を世界に広げた。論文発表後ホワイトハウスはすぐに反応し、「臨床実施目的でヒト生殖細胞系列を改変することは現在超えてはならない一線だ」という声明を発表した。米国内の研究者に緊急の注意喚起を行った。先天的遺伝子異常が分かっているばいい、生殖細胞や受精卵の状態で遺伝子改変をして発症予防をするのが効率的であるという主張も確かに一理ある。従来の遺伝子組み換え技術は非効率的で正確さに欠けるため、ヒト生殖細胞などの遺伝子を改変することは夢物語であった。しかし1990年代からヒトゲノム解析計画が進み、ゲノム情報が身近な対象となってきた。1997年米の不妊治療クリニックで、39歳の女性の卵子から一部細胞質を吸いだし、別の27歳の若い女性の細胞質10%と夫の精子とともに注入したところ受精に成功し、女児を得たという。出生児は二人の女性由来由来のミトコンドリアを受けついだ。しかし1999年同じ不妊治療クリニックで卵子細胞移植を受けて妊娠した女性の一人が流産した。その胎児はターナー症候群(性染色体Xを一つしか持たない)であることが分かった。卵子細胞移植17例のうちターナー症候群は2例であった。そこで2002年米国FDAは卵子細胞移植の公聴会を行い、今後医療として実施するのではなく、臨床試験としてFDAに申請するよう指導した。生殖医療は自然の摂理に反するとか、ヒト遺伝子プールに介入すべきでないとか、デザインべビーは不道徳で堕落の問題であるといった宗教上の倫理も絡んだ議論が起こった。その結果断じて生殖細胞系列の遺伝子改変は許されないという社会的合意に達する国が出てきた。2014年著者が行った39か国の調査によると、生殖細胞系列の遺伝子改変は法的に禁止する国が24か国、法的禁止だが一部解禁する国(ミトコンドリア操作は限定的に解禁 英国)が1か国、指針による禁止は日本を含めて4か国、制限的指導する国は米国の1か国、規制状況が定まっていないか不明瞭な国が9か国であった。ほとんどの欧州の国が法的禁止であるのは、キリスト教が背景にあるのだろう。指針で禁止する規制は、技術的進歩・社会的合意の変化によってフレキシブルに対応できるメリットはあるが、実存的日和見で倫理観が薄い。日本では厚生労働省「遺伝子治療臨床研究に関する指針」の「第7 生殖細胞等の遺伝子的改変の禁止」で対応している。米国は1982年の大統領委員会は、生殖細胞系列の遺伝子工学改変は安易に行うべきではないといっているが、禁止すべきだとまでは述べていない。1995年ヒト胚を扱う研究にたいして連邦予算からの助成を不可とした。ゲノム編集技術による生殖細胞改変が、ウイルスベクターを使い、またはHDRで外来遺伝子を導入するならば規制に該当するであろうが、HDRで遺伝子変異を修復するならば、また格別の副作用がないことが実証できれば、その結果は正常遺伝子に戻るので不自然な改変ではないという主張もあながち一線銭を超えていない。ヒト生殖細胞系列のゲノム編集には3つのアプローチがある。@受精卵ゲノム編集 A卵子ゲノム編集 B精子幹細胞ゲノム編集に分けられる。圧倒的に論文数が多いのは@受精卵ゲノム編集である。A卵子のゲノム編集は最も少ない。いずれのアプローチをとったとしても、子宮移植の前にゲノム編集が目的通り美で北かどうか、またオフターゲット変異がないか、着床前診断(PCD)で確認が必要である。

ゲノム編集技術の第1世代からから第3世代まで米国で開発され、米こくはこの問題についても第1人者であった。クリスパ―・キャス9の生みの親であるカルフォニア大学バークレイ校のジェファニー・ダウドナ教授は2015年4月サイエンス誌に「ゲノム編集への慎重な道と生殖細胞系列の遺伝子改変」という論文を責任著者として発表した。19名の米国の生命科学に影響力がある著者が並んでいる。論文では4つのアクションプランを提言した。@拙速なゲノム編集を用いた生殖医療は控えるべきだ、A科学者と生命倫理学者はフォーラムを設け社会に広く議論を呼びかけるべきだ、B生殖細胞系列のゲノム編集は透明性のある基礎研究を進めよう、C国際会議を開催し、関係者とともにゲノム編集医療の問題を検討しようという。2015年12月全米科学アカデミーで「国際ヒト遺伝子編集サミット」(第2のアシロマ会議)が開催された。10か国の生命科学者48人が3日間議論に参加した。著者はこのサミットのセッション「公正な査問」に参加し、ゲノム編集のマイナスのシナリオを討論したという。ピッツバーグ大学の生殖医学者カイル・オーウィク教授は、不妊に関係するY染色体上の遺伝子変異を修復する技術は有効だと主張した。ハーバード大学のジョージ・ディリー教授は遺伝子疾患の予防のため、遺伝子変異が原因の不妊治療に生殖細胞系に遺伝子改変を行うことは正当化できるといった。科学者だけでなく生命倫理の側からも賛否の意見が述べられた。しかし推進派の見解には狙い通りに遺伝子改変を修復できない場合について考える人は少なかった。反対派の意見では、神学者ヒレ・レイカーは生まれていない子は同意するすべもないのだからこのような行為は禁止すべきだといった。配偶子提供という選択肢が普及している中で、リスクの高い技術はいらないという意見があった。人々が持つ形質が疾患扱いされ、遺伝子工学が優生学に利用される可能性に警告を発するベンジャミン教授もいた。夫婦が同意したといっても生まれてくる子にリスクを負わせる行為は容認できないという意見もあった。サミット最終日でのまとめでは、@研究ルールを守りつつヒト胚や生殖細胞を含めた基礎研究ををしっかりやるべきだ、A体細胞ゲノム編集は治療の開発は遺伝子治療の規制に基づいて行うべきだ、B生殖細胞系列ゲノム編集の臨床応用は、オフターゲット変異やモザイクの問題のリスクや集団に加える恐れ、遺伝子改変が予想しえない影響を検討すべき、個人だけでなく次世代を持つ意義の考察、集団に遺伝子改変が加えられるとその除去は難しい、人間改造は社会格差を招く、遺伝子工学による人の進化に考えを及ぼすことなどの問題を列挙した。2015年12月18日FDAはヒト生殖細胞系列の遺伝子工学改変の臨床試験には連邦予算を使ってはならないという修正箇条を入れた連邦予算案が承認された。つまり、米国ではヒト生殖細胞系列の遺伝子改変の臨床応用への道は事実上完全に断たれたのである。



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