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千葉 聡 著 「歌うカタツムリー進化とらせんの物語」 
岩波科学ライブラリー(2017年6月)

カタツムリの生態学と進化論の論争の歴史

ハワイの昔からの住民が先祖代々言い伝えてきた「歌うカタツムリ」の伝説がある。19世紀後半ダーウインの進化論の後、ギュリックという宣教師で進化論者がカタツムリの歌を聴いて天からの絶え間ない響きのようだと感じたという。筆者千葉聡氏もこれを聴いてその不思議な音色を次のように説明した。「それは足の踏み場もないほど地上にあふれだした、夥しいカタツムリの群れが、互いに貝殻をぶつけ合い求愛し、固い葉を食べる音だった」という。しかしそのハワイのカタツムリの群れは人為の生態系介入によって絶滅した。小笠原のカタツムリも同じ結末を辿るかもしれない。生物学は生き物の研究を通じて自然の普遍的な原理を見出すことが目的です。ローカルを見つめるとグローバルが見えて来ると信じています。研究者が扱う生き物は、自然と生命現象の「モデル」です。本書はカタツムリの進化という限りなくマニアックでローカルな世界から、どれだけグローバルなものの見方が導かれるかに挑戦した記録です。私たちは少年のころからファーブルの「動物誌」に憧れる昆虫好き、鳥好きな人も多かったと思います。寝食を忘れて蟻を観察した人も多いと思います。今や動物学は生態系というグロスなとらえ方、さらに猿の社会といった社会科学のような研究に進む人と、掛け合わせという種の創造に進む実験育種学という実用的な分野、そして遺伝の本質である遺伝子の解析により種の系統樹を作る研究者といった方向に分化してきました。ダーウインの「種の起源」という本が著されたのは1859年でした。そこからダーウインは「進化論」というセントラルドグマを確立しました。恐るべき想像力です。進化論とは「偶然のランダムな種の分化が、生存に有利な種が生き延びる選択によって淘汰される」という「適応説」のことです。時間軸は数万年という長さです。ここに古生物学の知識が必要ですが、ダーウインの時代にはそのような知識の蓄積はなく、遺伝というものに遺伝子の裏付けもない時代に、それほど致命的な矛盾もなく「進化論」というドグマ(宗教かも)を作り上げたのはダーウインの天才でした。「種の起源」から150年たった現在、ダーウインの進化論はまだ健在で、誰も信用しなくなったという話はありません。その間膨大な科学の進歩があったのですが、ダーウインの理論は遺伝子工学や他の理論を融合しつつ、コンピュータシュミレーションによって数十億年の進化の過程の数値解析のモデル化も進みました。ここで「進化論」や「生態学」に対する長年抱いてきた私の不満を述べさせていただきます。進化論や生態学は一つのドグマであり、推論の極致です。ダーウインの洞察力には参ったと言わざるを得ないですが、矛盾しない確実な証拠の積み重ねがありません。数学や物理の定理のような積み重ねがあってだれでもその上に立って次に進めるような基盤を作れません。一つのことを主張すれば直ちに数倍の反論や反証が出て来ます。そして本書でも明らかなように、何回も形を変えた同じ議論が繰り返されます。物理では仮説が出て反証が出ればそれで終わりです。仮説も新たな段階で乗り越えられます。新陳代謝の激しい学問なのです。そういう意味で進化論は確たる証拠の上に立つ議論ではないか、証拠とする事実に反する事実がいくらでもあるような、あやふやな科学の基盤に立っています。だから進化論は科学の進歩によって抹殺されることもなく、百年以上も変わらずに信奉されているのです。これは理系科学ではなく社会科学なのです。進化論や生態学はいつまでやっても結論が出ない牧歌的なロマンチックな分野で、まともな理科系研究者がやるべき仕事ではないようです。古生物学年代は同位元素年代測定で確定されます。形質関連遺伝子構造は遺伝子解析技術で確定できます。系統樹解析で親子関係や親戚関係、分化の順序もきちっと出ます。正しい結果なら誰がやっても同じ結果です。こういった学問分野の累積の上で進化論は遺伝学から理解すべきでしょう。ランダムな遺伝子変異が環境という境界値問題でどういう制約がかかるかという数値モデルのシュミレーションについては、スチュアート・カウフマン著 米沢富貴子訳 「自己組織化と進化の論理ー複雑系の法則」(ちくま学芸文庫 2008年)という本があります。本書は「複雑系の法則」を生物進化に応用した画期的な本といえる。ダーウインの始めた進化論はいまや袋小路に入っている。怪しげな社会的ダーウイニズムは優生学となってユダヤ人排撃に利用されたし、いまでも「勝ち組」の新自由主義的市場経済学で脈々と生きている。もちろんこれはダーウインの知るところではない。そもそもダーウインの時代には遺伝子という概念はなかったので、何が変異しているのか分らなかった。今や変異している実体は遺伝子である事は確実である。しかし遺伝子の変異が病気の原因であると云うマイナスイメージはあっても、優秀な個体を生む要因であると云うことを遺伝的に実証することは、優秀という定義が不能であるため不可能である。我々は様々な要素が驚くほど複雑に絡み合った生物学的複雑系の世界で生きている。とはいえダーウインがいうような突然変異の積み重ねでは、あまりに出発点がお粗末なもので、今のような人類に到達するには気が遠くなるような時間を要しても可能という実感をもてない。ダーウインのいう「種の分岐」という概念では不完全である。もっとダイナミックな「自己組織化」という基本原理によって秩序が自己発生的に生まれたと著者はいうのである。過去3世紀にわたって科学を支配してきた基本的思想は「還元主義」であり、複雑なシステムはより単純なシステムへ、要素へ分解できるという信念で進められ驚くような科学・技術の発展をもたらした。この論理には部分の情報をどのように組み合わせれば全体の理論が生まれるのかという問いには解がない。複雑系の理論は、分子のスープから生命が生まれ、今日のような生物圏へ進化してきたかを辿る。分子の共同作業により細胞が出来、生物間での物質のやり取りのために生態系が作られた。この過程を支配する法則が複雑系の法則であると云う。



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