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渡辺将人著 「アメリカ政治の壁」 
岩波新書(2016年8月)

利益の民主政と理念の民主政のジレンマに、アメリカのリベラルに答えはあるのか

2015年8月15日、アメリカ大統領選挙の指名権争いの火ぶたが、アメリカ中西部アイオワ州デモインでのステートフェア(州の夏のお祭り)で切って落とされた。アイオワ州は農産物生産量全米三位の農業州である。そこには元国務長官ヒラリー・クリントンが姿を見せた。大統領を狙う出馬候補者にとって、選挙の前年度夏のアイオワ遊説が最初の出場となる。トランプも爆音を響かせてヘリコプターで飛来し派手な御出場となった。それまでは2016年の大統領選挙は民主党からクリントン家、共和党からブッシュ家の両エスタブリッシュメントの一騎打ちと見られていたが、台風の目となるトランプ氏のような人物が現れるなんて考えられてこなかった。無風の民主党候補では報道枠をトランプ氏に奪われてしまうので、民主党ではサンダースという自称社会主義者を担ぎ出したが、これが意外と善戦しヒラリーを脅かすようになった。トランプは共和党主流派のエスタブリッシュメントの票が割れるなか、南部で勝利を重ね共和党の指名獲得を確実にしてしまった。民主党・共和党はそれぞれ激しい内部分裂に陥った。それはオバマ政権への鬱積する不満と無関係ではなかった。2009年1月の大統領就任演説でバラク・オバマ大統領は、共和党の保守と民主党のリベラルのイデオロギー対立を牽制して、「吾々が問うているのは政府が大きいすぎるか小さいすぎるかではなく、役に立っていかどうかである」と、党派対立を超越した改革者として位置づけた。だからこそ2010年3月の医療保険改革法案通過を民主党の勝利とは言わず、政府は役に立っていると表現した。オバマ大統領二期8年の満了を前にしてアメリカを眺めると、オバマの理想とは程遠い現状である。オバマの政策を徹底して潰したのは減税と小さな政府を求める保守本流の草の根運動「ティーパーティ運動」であった。オバマ大統領は「民主党の大統領」に追い込まれてしまった。2016年の大統領選に共和党から出馬したトランプ氏は露骨な孤立主義と反移民を旗印にポピュリズムで旋風を巻き起こし、アメリカは一つにまとまるどころかますます亀裂を深めた。そもそも2009年に大統領に選出されたオバマ大統領は何を期待されたのだろうか。砂田一郎氏はオバマが目指す改革を、経済、外交、内政、民主主義の再生と4つに分類した。経済では大型の景気刺激策、金融の安定化規制策が期待され、外交ではイラクとアフガニスタンからの米軍撤退に加え、「核なき世界」の提案、内政については医療保険改革と環境エネルギー立法、民主主義の再生については、党派対立や人種対立の克服が大きな目標であった。成果の面ではオバマ大統領は一期目で大型景気刺激策、自動車産業救済などの成果を出し、失業率も2016年には4.9%と8年ぶりの低い数値となった。内政では医療保険改革法を、公的保険ではなく民間保険の国家補填という形であるが実現した。外交ではイラク・アフガニスタンからの撤退を成し遂げ、キューバとの国交回復という成果をあげた。また2016年伊勢志摩サミット後現職大統領として初めて広島を訪問し核兵器廃絶を訴えた。それでもアメリカ政治の進展を阻む壁はなお高い。アメリカの政党は経済的な利害を横断して存在する「理念的」な価値観に支えられている。アメリカの政治イデオロギーに文化の要素が強いといえる。自分たちには明らかに利益になるはずの医療保険改革に反対した中間所得以下の労働者も多かった。「小さな政府」とは税金の少ない政府を歓迎する以外に、政府介入の拒絶意識という面が強い。自由史上主義の「リバタリアン」は、マリファナ合法化や銃規制反対を主張する。こういった政治状況を砂田一郎氏は「利益の民主政」、「理念の民主政」という図式で整理した。本書も基本的にこの図式の線上で議論される。共和党のテーゼである「理念の民主政」とは、大きな政府への不信感など自由主義理念に基づく主張を取り込んで、民衆の一部にその階層的利益に反した投票をさせ、本来の保守に加えて多数派を形成する手法である。「利益の民主政」は経済的利益を繁栄した政治であり、主に民主党で発展してきたものである。本書ではオバマにとって根源的な抵抗勢力である「リベラル政治」そのものに焦点を絞っている。民主党外においては共和党の保守派が敵であるとすると、党の内部にも共和党の「リベラル政治」が待ち受けている。「アメリカの憂鬱」とはトクビルだけではなく、民主党が抱える最大の「アメリカ政治の壁」である。筆者渡辺将人氏は「評伝バラク・オバマ」(集英社2009年)を書いたなかで、オバマのルーツをたどっている。父方ケニアの黒人は、母親片のハワイとインドネシアにアイデンテティを感じているようである。そしてアメリカ本土のシカゴのサウスサイドの黒人社会で仕事をするようになって、バイレンシャル(2つの人種が混じった人物)という多文化性を生きるようになった。しかしこのことは本土の政治では大統領になるには表に出して得なことではなく封印しておくことであったという。クリスチャンでなければならない社会において、ムスリムを疑われるだけでマイナスとなる。「非本土」のアイデンティティは大統領選では薄めなければならなかった。オバマは見方によっては「アメリカ的」ですらない。その多分化性はプラスであったり、異質な部外者として扱われるリスクも少なくない。2016年9月の日本の民進党党首選出選挙で、蓮舫氏の台湾との二重国籍問題が足を引っ張った。それと同じことである。表向きの議論にはなりにくいが、感情面での逆風が強かった。オバマはハワイの文化を強く受け継いでいる。それではアメリカ本土の文化的な規範「ポリティカル・コレクトネス」とは何だろう。それ自体が分裂し基盤を無くしつつあるのではないだろう。それを明らかにするのが本書の役割である。著者渡辺将人氏のプロフィールについて記す。
1975年東京都生まれ。
1998年 早稲田大学文学部英文科卒業(米政治思想)。
1999年 米国連邦議会ジャン・シャコウスキー下院議員事務所(外交担当立法調査・報道官補担当)。
2000年 シカゴ大学大学院国際関係論修士課程修了(MA, International Relations)。指導教員はブルース・カミングス。
2000年 ヒラリー・クリントン上院選挙事務所本部、米大統領選挙アル・ゴア=ジョー・リーバーマン陣営ニューヨーク支部アウトリーチ局(アジア系統括責任者)
2001年 テレビ東京に入社。「ワールドビジネスサテライト」ディレクター、報道局政治部記者(総理官邸、外務省、野党キャップ)、社会部記者(警察庁担当)
2008年 コロンビア大学ウェザーヘッド研究所フェローを経て、2010年までジョージ・ワシントン大学ガストン・シグール・センター客員研究員
2010年 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授。
2015年 早稲田大学大学院政治学研究科にて博士(政治学)学位取得。
主な著書には、『アメリカ政治の現場から』(文春新書、2001年) 『見えないアメリカ――保守とリベラルのあいだ』(講談社現代新書、2008年) 『現代アメリカ選挙の集票過程――アウトリーチ戦略と政治意識の変容』(日本評論社、2008年) 『オバマのアメリカ――大統領選挙と超大国のゆくえ』(幻冬舎新書、2008年) 『評伝 バラク・オバマ――「越境」する大統領』(集英社、2009年) 『分裂するアメリカ』(幻冬舎新書、2012年) 『現代アメリカ選挙の変貌――アウトリーチ・政党・デモクラシー』(名古屋大学出版会、2016年)などがある。

本書の内容に近いと思われる先達の関連著書の粗筋を要約しておこう。砂田一郎著 「アメリカ大統領の権力(岩波新書 2004年)砂田一郎著 「アバマは何を変えるか」(岩波新書 2009年)、 渡辺靖著 「アメリカン・デモクラシーの逆説」(岩波新書 2010年)富永茂樹著 「トクヴィルー現代へのまなざし」(岩波新書 2010年)を紹介する。
@ 砂田一郎著 「アメリカ大統領の権力(岩波新書 2004年)
この書を読んだのは、2008年2月と云う米国大統領予備選挙が開始され、連日テレビで民主党のクリントンとオバマの選挙状況が伝えられる雰囲気の中で、アメリカの大統領制を考えるためであった。先の2006年の中間選挙結果で民主党が議会で多数党になって(日本で云うねじれ国会みたいな状況)、サブプライムローン問題が引き金となった米国経済の急速な不況のなかで、戦争屋ブッシュJrの影が薄れていった。共和党の予備選挙を報じる報道は少なく、まるで民主党内の大統領候補指名の闘いが即ち米国大統領選であるかに様な錯覚に襲われた。アメリカ人の大統領に望む姿は、一つは儀式的・象徴的国家元首の役割と、二つに行政府の長(首相的)としての役割、三つめに軍の総司令官としての役割である。この三つの役割を一身に体現したのがルーズベルト大統領であったと著者はいう。そういう大統領像からするとクリントン、ブッシュJrは地に落ちた神であった。 連邦議会を動かして自己の政策課題を立法化して実現する力が大統領の権力である。行政府の長である大統領には法案の提出権はない。日本では内閣立法と議員立法があって、殆どが内閣立法である。これを官僚内閣制といって官僚の権力の源泉である。アメリカは権力分立制で、合衆国憲法は立法権を議会に、行政権を大統領にゆだねて相互の抑制によって均衡をとっている。大統領は三権分立の一つの権力に過ぎないともいえる。大統領には党派的官職任命権、裁量権がある。官僚の総裁的な強力な権限が大統領に与えられている。まや議会に対しては憲法第一条に立法拒否権と立法を勧告する権限がある。国家の緊急事態に対応するには行政権を持って単独行動できる大統領のほうが適している場合もある。ニューディール政策をさまざまな立法政策で実現したローズベルト大統領は、立法リーダシップの行使を特徴とする現代大統領制を実現した。ジョンソン大統領も目覚しい立法成果を上げた。1964年公民権法、65年高齢者医療保険法など両院で大統領の政党が安定多数を占めていたので、立法成功率は82%とケネディと並んでいた。クリントン大統領の最初の2年間は民主党が両院の多数党であったので立法成功率は86%であったが、共和党が両院で優位になった後期2年間のそれは36%と惨めなものであった。ジョンソン・ニクソン大統領の1963-1974年は大統領への権力集中が顕著になり、大統領が承認しない政策への予算の凍結といった権力の濫用が続いた、いわゆる帝王的大統領制の時代であった。
A 砂田一郎著 「アバマは何を変えるか」(岩波新書 2009年)
2009年10月8日、オバマ大統領の「ノーベル平和賞」受賞ニュースの意外性に驚かされた。何を成し遂げたわけでもなく、オバマ大統領への応援歌としてのノーベル平和賞なんてありかという感じであった。近未来的なスパンで核兵器廃絶という目標は誰も出来るとは思ってはいないだろう。それをアメリカ大統領が言い出すことで、人類に核廃絶への希望が生まれたことへのオバマ大統領へのエールであったそうだ。@大型経済浮揚政策と金融対策:リーマンショック後大規模な財政出動を伴う景気刺激対策の実行が第一優先課題としつつ、変革を目指す諸政策にも着手するとオバマ大統領は宣言した。2009年1月27日オバマ大統領は景気対策法案の早期成立を促すため、異例の議会訪問を行った。総額8195億ドルに上る大型景気対策法案「アメリカ経済回復再投資法」がまず1月29日下院で可決された。オバマ大統領にとって経済安定化策の前に二つの難問があった。それは住宅ローンの救済と自動車産業の救済であった。住宅ローンの救済策は政府系金融機関を通じて750億ドルを支出して900万人の低所得者のローン返済を助けるもので、4月より実行に移され効果が出始めているという。自動車会社のビッグ3のうちGMとクライスラーに倒産の危機が迫っていた。公的資金が導入されるためには経営の刷新とリストラを行い、労組の特権を抑制するなどの条件を会社に求めた。2009年4月30日クライスラーは経営破綻で破産法の適用を申請した。6月に経営計画が整って新クライスラーが誕生した。そしてGMの再生であった。A世界協調外交へ :オバマ大統領は3月27日にアフガニスタン新戦略を発表した。破綻国家と化したアフガニスタンにおける軍事力による攻勢と民生の安定化を組み合わせたところに特徴がある。アフガニスタン問題と切っても切り離せないのが、かってアメリカが侵攻基地としたパキスタン内のテロ勢力問題である。2010年10月までに撤兵するとしたイラク駐留米軍15万人のうち、5万人は治安維持のために2011年末まで残留すると発表した。2010年10月までに撤兵するとしたイラク駐留米軍15万人のうち、5万人は治安維持のために2011年末まで残留すると発表した。しかし両院はグアンタナモ基地捕虜収容所の閉鎖と移送にかかる費用8000万ドルの支出を否決し、北朝鮮は第2回目の核実験を行ったので6月16日韓国をアメリカの核の傘の下にいれるということになり、オバマの「核なき世界」演説の逆に歯車が動いた。Bアメリカ社会を変える二つの政策 :医療保険改革案は、既存の民間医療保険と公的な保険制度にさらに新たな制度を加えた折衷的なものであるが、ねらいは人口の15%を占める4600万人の無保険者をなくすること、急増する医療費支出を抑制することである。大統領は包括的な医療保険改革を1年以内に成立させると宣言した。クリーン・エネルギー開発投資計画や地球温暖化防止炭酸ガス排出削減の義務化を主張した。景気対策緊急法のなかに、クリーン・エネルギー開発予算を計600億ドルを盛り込んだ。送電網の合理化、ビル省エネ対策、グリーンジョブ職業訓練、断熱住宅材、次世代バッテリー開発などである。炭酸ガス排出権取引制度「キャップアンドトレード」により2050年までに50%の削減を目標とした。C民主主義の再生と政治制度改革 :自由主義国アメリカでは「政府は小さい方がいい」という信条で、政策を転がしてきたのは伝統的に利益集団(ステーキホルダー)であった。オバマ大統領はそうした政治の現状を、特殊な利益を追求する有力な集団の影響力を使って議会や大統領府の決定を左右し、組織されていない人々の利益をないがしろにしてきたと見ている。オバマはこのような政治的運営の仕組みをアメリカの民主主義の危機と認識したようである。共和党とのイデオロギー的党派対立はいまだに和解の気配はない。支持基盤がイデオロギー的統合が弱い民主党に対して、共和党の方がイデオロギー的結合力は強い。オバマの最大の障害は議会の共和党である。それは、小さな政府、減税、市場原理主義の新自由主義経済、人種的多元性に許容力を持たない文化的保守主義、強いアメリカ志向の軍事的愛国主義者が結びついたものである。厄介なのは文化的保守主義者は宗教右派(キリスト教原理主義)と呼ばれる人々である。同性愛、妊娠中絶には強い拒絶反応を示す。オバマは連邦最高裁判所の判事にマイノリティのリベラル派であるヒスパニック系のソニア・マイヨールを指名した。これはオバマ人事の勝利といわれているが、保守派の優位が続く連邦最高裁の体質を変えるのは容易ではない。オバマは人種問題には極めて慎重に行動している。白人マジョリティの反感を買うとアメリカでは一切行動できないからだ。
B 渡辺靖著 「アメリカン・デモクラシーの逆説」(岩波新書 2010年)
アメリカにおいてはこれまで共和党と民主党の政権交代は何回もあったが、左右の政策の軌道修正に過ぎず、相手の否定には及ばない。すなわち共和党と民主党の価値観は基本的に同じである。アメリカは1776年の建国以来連邦政府の独裁を防止する様々な仕掛けを憲法草案に盛り込んだ。1861年に始まる南北戦争では北部の商工業と南部の農業勢力が対立したが、保護貿易や国立銀行をもとめる北軍が勝利した。南北戦争後は北部主導の国家的統一が進み、アメリカは近代国家として急成長した。ところが共和党の自由放任主義は1929年の金融恐慌を招いて、社会的弱者救済と公正で自由な社会への軌道修正を図るルーズベルト大統領の「ニューディール政策」が取って代った。リベラリズムとは第2次世界大戦後の福祉国家(修正資本主義)や1960年代の公民権運動を下支えした民主党を担い手とした政治思潮である。アメリカでは「保守主義」も「リベラリズム」も自由主義を前提としており、もともとイデオロギーの幅は狭い。保守主義は自由主義右派に過ぎず、リベラリズムは自由主義左派といえる。1980年代のレーガンニズムの「保守大連合」とは、@強いアメリカを目指すネオコン、新保守主義、A小さな政府をめざすネオリベラリズム、新自由主義、B伝統的価値を重んじる宗教右派、C穏健保守の寄り合い世帯であった。最大公約数はセルフガバナンス(自己統治)という考え方である。 アメリカの繁栄を支えた様々な思想はどこまで普遍性があるのだろうかという事を検証するのが本章の目的である。アメリカの国内の多様性を脅かす原理主義と市場主義はグローバル化に乗って国外にも投影されてきた。「文化戦争」、「人権外交」、「反イスラム文明との闘い」などである。保守派の原理主義のみならずリベラル派の「多文化主義」にも一定の検討が必要である。公共的な道徳観にどこまで普遍性を持ちうるかということである。アメリカだけは例外であると云う「アメリカニズム」は抜き難い基盤をなしてきた。アメリカは建国以来、自由、平等、人権、法の支配という啓蒙思想に基づく普遍性の高い理念に根ざしていることが特徴である。その根底には強烈な自意識がある事は疑いない。トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」は1930年代はファッシズム批判として、1950年代はマッカーシズム批判として、今やネオコン批判としてトクヴィルをみる人も多い。アメリカが世界で自らが掲げる理念に叛く行動を展開してきたという批判は、アメリカ例外主義やアメリカニズムは正義と普遍性を装った偽善や過信に矮小化され、説得力を失ったという。中南米での独裁政権転覆工作は冷戦期の「自由の帝国」の逆説であった。ミードはアメリカの外交政策には4つの特徴があるという。@ 国益と通商の実利を巧みに追求するハミルトン主義 A 国益追及には威嚇的手段も辞さないジャクソン主義 B 普遍的理想で世界を先導しようとするウイルソン主義 C 世界の範たることを目指すジェファーソン主義 いずれにせよ神学者ニーバーが懸念するように「長所も頼りにしすぎると 、皮肉なことに短所に変わる傾向がある」という逆説(陥穽)にはまるのである。アメリカ人は思想的に多岐にわたり、かつ先進的である。反米主義もアメリカ内のひとつの原理主義かもしれない。反米で思考停止しているとアメリカ人に笑われるほど、アメリカ人は既にその先を議論しているのである。アメリカが海外から借金をして消費を続け、世界経済を成長させる役割、いわゆる「世界の最終消費市場」としての役割が維持困難となったときこそ、世界経済の破綻である。そのときには中国も日本もあったものではない。アメリカは世界130カ国に700以上の基地を持つ世界警察国家である。
C 富永茂樹著 「トクヴィルー現代へのまなざし」(岩波新書 2010年)
フランスの思想家アレクシス・ド・トクヴィル(1805ー1859年)は、1789年のフランス大革命の混乱期に乗じて成立したナポレオン第1帝政期に、フランス北部シェルブールの近くのマンシュ県の貴族の子として生まれ、1830年の7月王制、1848年2月革命を経て1951年のルイ・ナポレオン第二帝政期に肺結核のため亡くなった。2月革命の後1849年には短期間ではあるがバロー内閣の外務大臣を務めた政治家であり、社会思想家であった。1935年の「アメリカのデモクラシー」と1853年から書き始めた「アンシャンレジームとフランス革命」(第1巻のみで未完)の2冊の著書で社会思想家としての地位を確立した。トクヴィルはデモクラシーのもとで生じる社会と政治の変容に透徹した眼差しを向けたと著者はいう。フランス革命前の啓蒙思想の楽天主義とはちがって、革命がもたらした「境遇の平等」という大変革によるポストフランス革命の憂鬱を代表する思想家である。トクヴィルがアメリカで見出したものは、豊かな生活を求めることが、憂鬱を生み出すという「奇妙な憂鬱」であった。民主制デモクラシーと貴族制アリストクラシーのどちらにも適切な距離をおいてながめ、過去と未来の間で均衡をとっているのがトクヴィルの視点である。晩年の「アンシャンレジームとフランス革命」の冒頭で、フランス革命を遠くで感じることも、参加した人の情念を近くで感じることも出来るといっている。トクヴィルの革命に対する距離のとり方は「アメリカのデモクラシー」への視線と相通じるものがある。平等についてのトクヴィルの理解はひとひねりしている。つまり諸条件の平等から生まれる情念のなかで最大のものは、この平等へむけられる愛着であるという。一般的な平等が実現するや否や、人々は些細な差異に注目してこれにこだわる、平等という概念の虜になるという。平等のヒステリー現象なのだろうか。そしてしだいに個人は画一化されてゆく。皆がステレオタイプに成るまで平等への欲求は止まない。不自由は我慢できるが不平等は我慢できないという言葉はそれを現している。みんなが貧しい中での平等は我慢できるが、だれかが裕福になるのは我慢できないというのと同じ心境である。これをトクヴィルは「隷従の中での平等」と皮肉っている。デモクラシーは永久運動を秘めているのである。そのために全員に競争を可能とする平等(機会の平等)であり、結果として人の間には差異と格差つまり不平等をもたらす平等に他ならない。これは20世紀末から始まった新自由主義の理念でもある。その結果、著しい格差が生み出され、殆どの人間は貧困層へ追いやられたのである。なんとトクヴィルは150年も前に新自由主義の破綻を予言していたことになる。労働(雇用)契約もトクヴィルから見ると「主人と従僕の関係」である。労働(雇用)契約は最初から力関係がひどく相違した、経済的には圧倒的に非対称的な関係に基づいている。この想像上の契約の平等というのが、法的に認知された状態としての運動としての平等である。 アメリカ社会は多民族社会で多様性の極致であったにもかかわらず、利益(産業の精神)が絆となったという。産業・商業は平等を前提として社会に繁栄の習俗をもたらす。モンテスキューの「法の精神」は、商業の交流が垂直な身分を解体し水平な人間関係が基礎となる社会の到来を予告している。トクヴィルが19世紀のモンテスキューと呼ばれる理由はそこにある。デモクラシーは平和で安定な社会をもたらすものと理解されていた。「社会心理学者」トクヴィルは、諸条件の平等とともに人の心には隣人に対する羨望と軽蔑の心が植え付けられ、どんな僅かな不平等も人を傷つけ奇妙な憂鬱を産み付けるという。羨望と憂鬱、猜疑の目、軽蔑、誇りと妬みの心は、自分と他人を越えた存在である民主的な専制への服従を導き出すのである。スタンダールの言葉「人間はどうしてこんなに不幸なのか」を思い出すと著者はため息をつく。野心と羨望に満ちた人間は絶えず動き回るが、人間精神は殆ど停滞したままである。

1) 揺れ動くアメリカの民主政治

本論に入る前に本書の構成について述べておこう。本書は4章から構成され、各章はさらに各2節からなる。各章は約60頁(4×60=240頁 「はじめに」に13頁を費やしているので本書の全分量は250頁ほどである)からなり、各節は20−30頁で、各章の末尾には映画・テレビを主題としたコラムに数頁を配している。私はアメリカ映画は見たことがないのでコラム欄はパスした。第1章では、@アメリカ政治の特徴ー権力分散と大統領制・政党、Aアメリカ政治の動力学ー利益と理念の政治を述べている。
1-1) アメリカ政治の特徴ー権力分散と大統領制・政党
アメリカの政治の第1の特徴は大統領制であるが、権力の分散が図られている。「偉大な大統領」の権限は大きく制約されている。大統領と連邦議会という二つの民意によって権力が分散されている。大統領は法案を提出することはできず、議会を通過した法案に対する拒否権を持っているだけである。省庁の権限も強いとは言えず予算はすべて連邦議会で作成される。立法は議員立法として大統領とは無関係に選挙区にの利益で行われ、大統領は議員に法案への賛否を拘束する権限はない。政府の法案を大統領の与党が否決することもある。大統領の多数派工作はホワイトハウスに議会指導部を置いてコーカス(議連)に働きかける根回しをやらなければならない。第2には連邦制が採用されていることである。州と連邦の二つの意思決定の回路があることが分化的な伝統となっている。アメリカは驚くほどに「州権」主義である。アメリカ独立は東部の13州が勝ち取ったものであり、連邦制はその後にできたからである。国家は州の連合体である。連邦議会上院は人口の多少にかかわりなく州ごとの平等性が確保され、選出議員数は各州2名である。州が異なれば民法も刑法も商法も交通法規も異なる。マリファナが合法的な州もある。司法試験も弁護士資格も州ごとで取得しなければならない。「・・・州弁護士」の資格があるだけである。政府機能の大半を各州でもち、州軍をもち、州立大学も持つ。大学はすべて私立大学で国立大学はない。選挙法も州別に異なるので、大統領指名予備選挙も州を順繰りに行われる。「選挙人」はほとんどの州で「勝者総取り」である。合衆国全体で一斉選挙をしないのは、州が民意の基本単位であるからである。従って州知事はとてつもない権勢を持ち、大統領候補の登竜門となってきた。上院議員辞職のときには次回選挙までの議員を指名する権限は州知事にある。分散された権力を相当な範囲まで選挙で決める点にアメリカの特徴がある。州の副知事、財務官も公選で選ばれる。大統領予備選挙で政党公認候補者まで決めている。大統領の政党とは違う政党が連邦議会の多数派を握ることがある。これを「分割政府」と呼ぶ。二院制議会の多数派が異なる日本の「ねじれ」とは違う。レーガン政権以来この分割政府が常態化し、大統領の意図する政策は実現しにくくなった。それだけでなく連邦議会を通過しにくい「自由貿易協定」や「地球温暖化防止協定」に対して、同じ政党の議員が反対する事態ことも多い。大統領就任後の政策・法案は利害が渦巻く環境になるまえに主要法案を可決しなければならない。オバマ大統領の重要法案は就任後2年以内で可決され、それ以降はオバマ大統領領は反対勢力に阻まれて何もできない状態に追い込まれた。大統領はイギリスでいうところの国王と首相を兼ねた存在である。つまり行政府の責任者であり元首でもある。元首は国民の統合的シンボルとして国民が納得できる「象徴性」(徳)が必要になる。アイビーリーグの名門の毛並みの良さと同時に英雄らしさも必要である。特にチビはいけない。白人のキリスト教徒が必要である。黒人以上に非キリスト教徒の大統領は実現不可能である。オバマはいわゆるグレー領域で苦労したらしい。そして大統領選で人工妊娠中絶や同性婚の是非が話題になるのもアメリカらしいところである。大統領選は文化的象徴を体現する人間とそのファミリーを判断する選挙なので、価値問題や文化伝統はその本丸となる。アメリカ大統領になる人物の経歴では、上院議員、州知事、軍高位者などの公職経験者でないと難しい。社長や弁護士だけで大統領になった人はいない。これまで女性大統領がいなかった理由として、女性は家庭にというアメリカの西部開拓史以来の男女価値意識が意外と古いことに気が付く。大統領になるには政治的環境という「風の向き」に気をつけなければならない。前大統領の正負の遺産がキーポイントである。これを「回顧投票」という。共和党のレーガン大統領は冷戦を終了させた功績によって保守派の英雄というブランドがつけられ、次にはブッシュ父がその余勢を受け継ぐ形で大統領となった。湾岸戦争に勝利したが増税で保守派が分裂し、民主党のクリントンが過半数割れで勝利を掴んだ。こんどはクリントンの中道化によってリベラル派が分裂した。2001年ブッシュジュニアーが票を食って大統領となったが、そのアフガニスタン、イラン戦争政策は国民の離反を招き、リーマンショック後の金融危機が逆風となって、人工妊娠中絶や同性婚反対にブッシュジュニアーが積極的でないとして保守派が分裂した。ヒラリーを含む民主党穏健派のイラン戦争容認がリベラル派を分裂させ、2009年そこをオバマは戦争終結と大規模経済刺激政策、核無き平和政策、健康保険改革を訴えて勝利した。アメリカの選挙制度のなかで、アメリカは義務投票ではない(日本もそうである)。だから投票率は高くはない。OECD加盟国中で義務投票制を取っているのはベルギー、トルコ、オーストリアの三カ国であり、投票率は80−90%である。義務投票制を取っていない国の中ではアメリカ、日本、チリの投票率は50%台である。アメリカでは有権者登録制度をとっており、登録していないと投票券も送付されてこない。アメリカの登録済み有権者の投票率は84%と結構高い。棄権も表現の自由と考えると投票率の低さは仕方ない。日本の選挙と比べてアメリカでは直接予備選挙制度が特徴的である。日本では公認候補者や比例名簿順位は政党幹部で決めているが、アメリカでは有権者が方向性を決める。指名獲得競争プロセスではアイオワ州の民主党候補者は海上参加者の15%支持で足切りをしている。アメリカでは投票は重要な政治参加の手段であるがすべてではない。投票、政治献金、公職者へのロビー活動、コミュニティ活動、抗議活動、レース集団・宗教組織の政治的発言、政党の「アウトリーチ活動」などの政治活動が日常的に存在する。アメリカで政治立場の分水嶺として「リベラル」や「保守」という言葉が使われるが、国によって「右」や「左」の定義もまちまちで歴史や伝統の中での位置づけも異なる。国民皆保険もリベラル内で意見が異なり、労働組合は元来白人中心で保守的で、マイノリティに不寛容である。雇用中心の労働組合主義は軍需依存性が強く、環境保護に対して抵抗勢力である。人権派の人道主義は時には軍事行動容認となる。アメリカの護憲派は保守である。日本の与党の「大きな政府」論はアメリカではリベラルで、「小さな政府」を志向するリバタリアン政党は日本には存在しない。アメリカでは「反増税」は保守派の旗印である。そして政治イデオロギーにはキリスト教的ライフスタイルを大事にする文化が根強い。「グリーン」な生活はリベラルなライフスタイルである。「共和党と民主党」と「保守とリベラル」でアメリカを語りつくすことはできない。

1-2) アメリカ政治の動力学ー利益と理念の政治
つぎに2015年1月までほとんど無名であったトランプ氏の台頭の要因を探ってゆこう。同時に共和党の右の位置にあるトランプ氏と、民主党の左にあるサンダース氏の革命行動が政界に及ぼす影響が重要である。アメリカの選挙はテレビ広告による「空中戦」と、戸別訪問などの「地上戦」であるといわれる。それを仕切るのがコンサルタント集団である。トランプ氏の2016年の選挙戦は「空中戦」で始まった。テレビ広告だけでなく、報道番組への出演での刺激的な発言である。メディアは争点を求め、分かりやすい短い言葉で演説するトランプ氏のテレビ出演はいつも「爆弾宣言」の期待に満ちていた。イベント予定を告げられて取材と放送が始まるのである。アメリカの主流メディアはトランプ氏という格好のネタで大統領報道を煽り、視聴者をくぎ付けにした。トランプ氏が画期的であったのは、「理念の民主」と「利益の民主政」の双方を操るレトリックを提供したことである。文化的に保守的な層は「小さな政府」という理念を優先して、医療保険改革や増税に反対してきた。そこへ反移民や保護貿易、再分配など利益の民主政を訴える候補者に注目が集まった。これに対して「理念の民主政」偏重による民主党の左傾化によって、文化的保守層が共和党に流れるか、無党派層に追い込まれた。従って「トランプ旋風」は共和党の「利益の民主政」に不満を持ち、「理念の民主政」に左傾化した民主党から離れた無党派層がいた中に送り込まれた「新風」であった。具体的には文化的に保守的な貧困白人労働者層を根こそぎトランプ氏は持っていったと言える。選挙のカギは無党派層の中の保守層である。無党派層のなかに保守とリベラルがいるのである。2012年の世論調査では政党党支持者は、民主党が32%、共和党が24%、無党派が38%であった。無党派層の中で白人が一番多い(67%)。黒人は民主党支持が圧倒的で、無党派は7%しかいない。共和党の候補者が16人も乱立し、トランプ氏は無党派層を独占した。トランプ氏は労働者寄りの経済利益で「職を奪う」移民や外国を批判するレトリックを使ったので人種差別的と見られた。アメリカ大統領選では第3政党的候補者は勝った試しがない。だからこそトランプ氏は共和党からの出馬にこだわった。2015年夏には共和党候補はジェブ・ブッシュかと言われていたが、ブッシュ兄の戦争政策の失敗の責任を問われ、候補から降りた。共和党は主流の経済エスタブリッシュ保守、ネオコン、宗教保守、リバタリアンが混ざった政党である。その共和党も「小さな政府」、「キリスト教ライフスタイル」という「理念の民主政」ではもはや曲がり角に来ていた。トランプ旋風の中で、中低所得者層以下の白人労働者が共和党に定着すると、中長期的には文化的な保守性を強めながら、国是であった自由貿易から保護貿易的になり、民主党のエスタブリッシュ層が左傾化する可能性が出てくる。2011年以降、共和党エスタブリッシュメントに気を使って何もできなくなったオバマ政権に不満を持つグループは「ウォ―?街を占拠せよ」という「オキュパイ」運動を組織した。この運動は正当政治への拒絶感情に満ちた選挙拒否運動であった。オバマ政権はこのオキュパイ運動に一定の距離を置いた。活動家のデモ行動と民主党政権の溝が広がった。同時に保守側ではティーパーティ運動が活性化し、明確に反政権草の根運動となり、連邦議会の保守化が進んだ。左右の極端な行動がオバマ政権の政策実現を悉く阻んだ。2016年大統領選挙での「サンダース旋風」は、現政権への反動であった。オバマ大統領の「行儀のいい中庸」に失望したオバマ支持派の多くがサンダース派に変わった。TPP反対を叫ぶサンダース派は不思議にトランプ派の裏返しに見えた。党の外に立つ第3党的候補ではなく、党内で立候補することには現実感が増す。眠れる無党派層を引き出すことができた。サンダースはそもそも上院でも民主党に属しておらず、本来は無党派で立候補すべきであったが、若年層やリベラル寄りの無党派層はサンダースを支持した。サンダースを支持する活動家たちの真の狙いは選挙戦の勝利ではなく、選挙を通じてリベラルの支持基盤を活性化し、党内を左に引き寄せ、本選挙でのヒラリーの政策転換(中道回帰)を封じ込めることにあった。民主党の大統領女性候補としてヒラリーの指名獲得は歴史的に極めて意義深い。フェミニスト運動も理念としての民主政というよりは、女性の社会位置確保という「利益の民主政」に傾いている。サンダース支持派の中間層は本選挙で棄権しかねなかったので、サンダースを民主党政策綱領委員に繋ぎ止めたヒラリーの判断は正しかった。

2) アメリカ政治の壁(T)ー複雑で厄介なねじれ現象

2-1) 雇用問題
雇用問題では自動車・エネルギー文化と環境保護団体「シエラクラブ」の活動について、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議AFL-CIOの活動、消費者団体パブリックシチズン内のグローバルトレードウォッチの活動を取材している。筆者が取材した各団体のキーマンはシエラクラブではコートニー・ルイス、AFL-CIOではデーモン・シルバース、グローバルトレードウォッチではジェサ・ボ―ナ―であった。環境団体は専門性の高さと公益性の高さで際立っている。その専門性と独自の連帯組織を持っている。これを「争点ネットワーク」と呼ぶ。環境団体の活動は伝統的な「利益の政治」ではなく、世界観が関わる「理念の政治」に近い。アメリカの交通手段は短中距離では自動車、長距離では飛行機である。電車に利用者は少ない。自動車はまさに「平等化」のシンボルであった。鉄道には階級分類があったし、地下鉄は貧困階級の乗り物で治安が悪いと評判であった。アメリカ人の自動車文化の根強さにより、環境問題、エネルギーコストがいかに厳しくとも、アメリカ人をバスに乗せ電車に乗せることはできないと言われる。2015年12月国連気候変動枠組み条約COP21でパリ協定が合意に達した。オバマの遺産と言われそうであるが、「グリーンニューディール」と呼ばれた政策の下、2015年までに再生エネルギ利用率を25%に向上させるものである。そのため「アメリカ・クリーンエネルギー安全保障法案」(排出権取引)が提出されていたが、2009年上院で廃案となった。その原因はエネルギー州(石炭)選出の民主党議員44人の造反にあった。州益のビジネス優先で反対せざるを得なかったという。気候変動対策の最大の抵抗勢力の一つが労働組合である。雇用減少を危惧するアメリカの労働組合の非リベラル性は、日本では理解されていない。同様な労働組合の保守傾向は建設労働組合にも見られる。建設労働組合は白人労働者のための団体で、移民や女性・黒人排斥運動は雇用を奪われるという恐怖感からきている。軍需産業労働組合と並んで建設労働組合は戦争支援運動の先頭に立つ過激な集団である。アメリカの労働運動は衰退傾向にあるようです。労働組合加盟率は2015年で11%です。言うまでもなく組合は産業別組合です。公務員の加盟率は35%であるのに対して、民間は6.7%と組織率は極めて低い。低調な労働組合運動を改善するためAFL-CIOでは、企業にに労働者の要求上手にを満たしてゆく方法として、労働者とビジネスを結ぶプロジェクトを開始した。もう一つは労働組合にリベラルは連合の一翼を担わせることであった。労働組合だけで何かができる時代は終わった。広範囲のリベラル派連合を築く必要がある。例えばシエラクラブなど環境団体を重要なパ−トナーと考える方向へ向かった。そこで利益と理念の民主政を統合した新しい組合運動がTPP問題であった。2015年10月アトランタで12ヶ国によるTPPの大筋合意が出来上がった。これもオバマの政治遺産である。2012年米韓FTAを発効させ、自動車業界立て直しの功積で業界の支持を得ていた。オバマのTPP成算の目論見も高く、世論調査でも支持率は45%と高かった。理念としては自由貿易賛成だが、それで雇用を生むとか賃金が上がると思う人は少なかった。「アメリカ政治の壁」のキーワードは「雇用」であるが、オバマ大統領は「利益の民主政」からのTPP反対を軽く見積もっていたようだ。通商の権限を与えられているのは連邦議会であり、議会の批准が必要であった。有権者にとって通商問題の関心事は一次的には雇用の増減である。「利益の民主政」以外にも、「理念の民主政」が働く場合もある。人権団体、環境保護団体などが貿易協定相手国の人権状況や環境対応に疑問を呈して反対することがある。労働組合AFL-CIOは対中警戒論からTPP反対の姿勢であった。中国への雇用流出、対中貿易不均衡からの反対である。また中国はTPPに参加しないままでも利益を得る対策を打っていた。TPP採用の周辺国への投資である。AFL-CIOは企業支配によるグローバリゼーションに反対する。TPPは貿易協定ではなく関税に大きな影響を与えるグローバル・ガバナンス協定というべきだと主張する。オバマ政権はグローバリゼーションを不可避と考えていた。シエラクラブは「不当な協定ーTPPが気候を危機に陥れる背景」という報告書を2013年に発行した。シエラクラブはTPPには反対しないが、TPA(大統領貿易促進権限)のみに反対する姿勢であった。ニュヨーク市では「TPP適用外」決議案を通過させた。同様な決議は全国の市に広がった。「リベラル連合」のなかで消費者団体「グローバル・トレード・ウオッチ」がTPP反対に欠かせない繋ぎ役となった。この消費者団体はリベラル系の利益団体のハブになっている。環境保護団体シエラクラブと労働組合総連盟AFL-CIOと消費者団体「グローバル・トレード・ウオッチ」がTPP反対で手を握ったのである。ニューポリチカル運動の軽快さで国際キャンペーンで連携を密にしてきた。ロビィスト部隊は下院議員たちの工作を進めた。この「新リベラル連合」に超党派的にティパーティからTPP反対運動が合流してきた。ビジネス界主流やリバタリアンは自由貿易に賛成であるが、共和党連邦上院からTPP反対の造反者が出た。本来は自由貿易的だったこのティパーティが徐々に文化的な保守色を強め、保護貿易的になったことでTPP反対グループが生まれたのである。オバマ第大統領は共和党議会指導者と超党派でTPA(大統領貿易促進権限)とセットで、TPPで不利益を被る労働者への支援を盛り込むTAA労働者支援法案を取すことを約束した。オバマ政権は二つの法案を一括審議する方針であった。2015年4月上院では一括可決されたものの、下院ではTPP反対民主党議員の策略で二つの法案は別々に審議され、TPP法案は可決、TAAは否決された。これが時間稼ぎの戦略であった。TPP交渉が長引くと2016年の大統領選に突入し、オバマ大統領の批准能力も低下し、大統領選と連邦議会選の候補者は利益政治に流されてTPP反対に回る公算が高いと民主党反対派は考えた。そしてその通りに展開している。TPPの大筋合意は2015年10月までずれ込んで、2016年の大統領選挙では民主党候補(サンダース、ヒラリー)はTPP反対に回った。そして共和党候補(トランプ)まで反対することになった。2016年夏の段階ではまだ批准のめどは立っていない。州の利益の前には党派もイデオロギーも後退するのである。

2-2) 宗教問題
アメリカ人は日本から見ると想像以上に宗教心の強い国民性を持ってる。宗教と政治のかかわりは、ブッシュジュニアーに代表される共和党を支持する宗教右派とりわけ福音派が典型的である。社会福祉や社会主義が浸透しなかったアメリカ社会において、再分配機能として最後のセーフティネットになっているのがキリスト教である。福祉関係のプロジェクトには必ず教会が関係している。1990年以来の「連動の政治」活動家は実に移り気で、「オキュパイ」や「ティーパーティ」には継続性がない。それに対して信仰コミュニティがすこぶる安定性がある。運動が勢いを失った時点で街で熱心に格差問題に取り組んでいるのは教会である。ノースカロライナ州の教会がはじめた「モラル・マンデー」は、共和党州知事が社会保障の打ち切り政策に抗議して全米黒人地位向上委員会州市が2013年4月に始めた運動である。投票権法を巡る問題であった。有権者登録に身分証明書の提示を求める改正に、身分証明書を持たない黒人やヒスパニック系移民の投票権妨害だとし抗議活動を行い、反貧困と反知事の闘争に発展し南部の州に瞬く間に広がった。抗議のデモの列に黒い服の聖職者がいることで、警察は手荒な取り締まりはできなくなった。しかし教会が関与する「リベラル連合」が機能するのは平和、貧困、公民権運動までで、世俗政党である民主党が触れたがらない人口妊娠中絶、避妊、死刑といった生命倫理を巡る問題が議論できない。女性が人工妊娠中絶を選択する権利の擁護派を「プロチョイス」と呼ぶ。人工妊娠中絶権擁護はフェミ二ズム運動の中心課題である。この問題が大きな社会的波紋を持つのは、アメリカが我々日本人には理解できない宗教社会であるからだ。胎児の生命尊重派を「プロライフ」と呼ぶ。フェミニズム運動は古いキリスト教社会への抗議活動である。妊娠中絶防止政策として、貧困対策や養子縁組対策などは手段であって権利の問題ではない。この「永久対立」は解消されない。オバマ大統領は三つの政策を優先課題とした。医療保険改革、木興変動対策、景気浮揚策と金融改革であった。オバマ大統領の本命は医療保険改革であった。民間の保険購入を財政的に補助することで健康保険加入を義務化することになった。この改革を「オバマケア」と呼ぶ。このオバマケアは世論調査では賛成53%、反対41%であったが、低所得階層の反対が多いことが不可解なねじれ現象であった。保険料は払う事自体に無理がある貧困層がいる。そしてオバマを悩ませたのは宗教問題で、公的資金を妊娠中絶手術に保険適用しないようにという抗議が出された。そこでオバマは宗教団体の保険者には、避妊をサービスから排除する妥協案で対応した。宗教問題には及び腰の民主党は、リベラル政治の援軍として利用できるはずのカトリック教会を上手に味方につけているとはいえない。黒人教会は公民権運動を通じて民主党と同盟関係を結んできたし、ほとんどの争点でリベラルであった。しかし同性婚問題はいつも火種である。オバマは巧妙に争点化を避けてきたが、オバマは同性婚を認める方向で決意しているというが、米国のカトリック教会の保守化が著しい。

3) アメリカ政治の壁(U)ー誰のための利益か

3-1) 外交と戦争
第2次世界大戦後から1970年まで第3四半期の間、アメリカの外交エスタブリッシュメントは、大西洋主義、国際主義(孤立主義反対)というセオリーに導かれていた。ただその外交政策を決めるエリートであるエスタブリッシュメントは名門アイビーリーグ八校出身者(ハーバード大学、イエール大学ペンシルバニア大学、プリンストン大学、コーネル大学、ブラウン大学、コロンビア大学、ダートマス大学)に閉じ込められていた。政権は替わっても外交方針はどれほど影響されない冷戦時代の外交方針であった。しかし現代では内政要因すなわち世論に配慮するポピュリズムが優先されることが多い。貿易協定などは内政問題であり、安保政策も内政要因が高くなった。そこポピュリズムの媒介となるのがメディアである。1968年以降のベトナム戦争報道は反政府色を強めた。1991年の湾岸戦争では情報管制が敷かれたが、2003年のイラク戦争はメディアはブッシュジュニアーを最低の大統領に落とし込んだ。原題のアメリカの世論は、目に見えて自国の負担や犠牲が濃厚な戦争には我慢ができないのである。安全保障における利益重視派は現実主義者である。外交の目的は国益である。最低限の死活問題としての国益は範囲を広げない。一方理念派は、人権・デモクラシーの理念を世界に拡大するという情熱を持つ。民主党左派のタカ派「リベラル・ホークス」と、共和党のイラク戦争推進派の新保守主義者ネオコンは、価値外交という線で似ている。ブッシュジュヌアーのイラク戦争がかくも不評だった理由は、国際協調から米国単独行動に変えたからである。保守派内にもイラク戦争反対論者はいた。攻撃的現実主義の知識人リアリストがそうだった。彼らはイラク戦争の原因を「イスラエルロビー」の仕業であると断言していた。ユダヤ先制攻撃論のなせる業だという。ところアメリカのユダヤ人社会の世論調査では、リベラル寄りの理念の民主政治集団である。一般のユダヤ人の関心事は経済や医療保険にあって、戦争には関心はないという。オバマ政権の外交政策の憂鬱は、ブッシュのイラク戦争の後遺症の脱却が長引いていることである。アフガニスタンとイラクからの撤退はオサマ・ビンラディン氏の殺害で終止符をうったことになっている。クリミヤ半島の問題には「介入すべきではない」として、国民の目を内政に向けさせた。アフガニスタンとイラクからの撤退と引き換えに、ISが台頭し戦争の場面はシリア内線と絡んだ。政権の外交方針は、大統領とその側近、外交安保のエリートと軍部が重要ファクターであるが、オバナ大統領の外交方針は地上軍派遣は絶対しないこと、多国間の合意を重視することに尽きる。オバマはリビア以降、人道介入という価値外交に触れるとやけどをするという教訓から一歩も出ない。しかるに2009年の「ノーベル平和賞」受賞は人道介入への圧力になりかねなかった。世界の警察官の座を降りて内政に専念したかったのに、側近にとってありがた迷惑という感がしたという。アメリカの「大きな政府」の果たした役割は巨大であった。1930年代のケインズマン経済官僚によるニューディール政策は、景気回復と内需拡大の典型であった。シリコンバレーのエレクトロ二クス産業振興策は、スタンフォード大学の産官学連携の成功例となり、多くの雇用を生んだ。エレクトロニクスはミサイル防衛産業を飛躍させ、インターネットを生んだ。カルフォニア共和党州政権は「小さな政府」を標榜しながら、実際は軍需産業興隆の「大きな政府路線」であった。民主党だけでなく共和党内でもネオコンの「価値外交」が常態化している。ネオコンの大量殺害兵器とISのテロ恐怖を煽る心理戦が選挙に持ち込まれた。もはやネオコンの単独行動主義や人道介入戦争は影を潜めた。オバマ外交は最小限度の関与であり、中東政策には戦略がないという批判が聞こえる。「地上戦は最悪で、ISには空爆だけ。アメリカはもう世界ン警察官ではない」が大統領周辺のコンセンサスである。バイデン副大統領はオバマにこう助言したという。「中東では突発事態の管理だけにしておくことです。コミットしてはいけません。何も成果がないからです。それほど混乱の根が深いのです。国益を死守しテロ根絶と、国の経済的な将来がかかっている、アジア・中南米に集中してください」

3-2) 移民社会の世代交代ーハワイ日系移民
現在のアメリカの移民問題の中心は、中南米からのヒスパニック系の急激な増大であるという。出稼ぎ感覚のメキシコ系移民が、国の一体感の欠如を生み出しているからである。移民制度改革とは、@すでに入国している不法移民にどう合法的な地位を与えるか、A今後新たな不法移民をどう防ぐかである。この二つの問題を同時に解決する包括的移民制度改革法が見いだせず、対症療法的な対応に終始してきた。人種やアイデンティティに加えて、新旧移民の世代間、地域間の差異が問題を複雑にしてきた。ヒスパニック系人口は約5200万人、黒人は3800万人、アジア系1470万人である。(なお2010年のアメリカの全人口は3億870万人、白人は2億2300万人である) ヒスパニックが黒人を抜いた。民族の多様性は、白人とヒスパニック、黒人が3極を占める。この節ではこれ以降のほとんどの内容はハワイにおける日系人の社会(特に政治状況)を取材して描いているが、日系移民はハワイに限定され、ハワイにはマジョリティはなくマイノリティのみで構成されアメリカ全州に及ぼす政治的影響も少ないので、本書の結論に与える影響も小さいと考えられるので、著者の努力には敬意を表するがこの節は省略する。

4) リベラルの混迷と出口探しの行方

4-1) リベラルの系譜
アメリカはイギリス移民の植民地政策でスタートし、長い開拓時代を経て誰もが独立自営農民を目指して西へ移動する農業国であった。したがってマルクスが説くような都市型労働者の発達や資本主義の展開はおくれがちで、純粋な階級闘争になりにくく、むしろマイノリティ移民集団との競争と承認を求める闘争が主流であった。黒人奴隷を労働力とする遅れた生産方式で、米国市民はローマ時代と同じように最初から中間層・個人資本家として成長した。個人主義・自由主義・公的な利益再分配を期待することを恥とする文化が育った。西部開拓時代に石油や鉱物資源を発見したり鉄道事業で成功する人々がいわゆる米国エスタブリッシュメントを形成した。ビジネスにめっぽう強い企業家だけでなく、世界最大のアグリビジネスや農産物輸出国となったのである。敬遠なカトリック教徒が多いのも、ミレーの「晩祷」の絵画に描かれるとおりである。しかし1929年の大恐慌をきっかけに市場に政府が介入し、富を再配分する政策で切り抜けようとした。フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策がそれである。古典的な自由主義とは異なる「大きな政府」の立場が「リベラル」と呼ばれるようになった。ニューディール背作は、失業者の救済(雇用の拡大事業)、経済復興、改革を三つの柱としていた。テネシー渓谷開発公社は政府事業であった。社会保障法が制定され、失業保険や老齢年金などが連邦レベルで推進された。財源確保のために累進所得税や法人税も定められた。また1935年に労働者の団結権と団体交渉権を認める全国労働関係法(ワグナー法)が成立した。民主党はこのニューディール政策を出発点として都市生活者・移民、ブルーカラー労働者の根を張る政党としてともに発展した。ルーズベルト大統領の支持基盤は経済的な利益で結ばれたいた。そういう意味で典型的な「利益の民主政」であった。このニューディールのリバラリズムは、1960年代のジョンソン大統領による「偉大な社会」に受け継がれ、貧困撲滅をかかげた福祉国家を本格化した。高齢者のメデイケア、貧困児童の通う学校への財政援助、貧困層向け医療保険メディケイドを1965年にスタートさせた。1960年代アメリカ社会は複雑な問題で分裂する。一つは公民権運動で、もう一つはベトナム戦争であった。キング牧師の暗殺・ケネディ大統領の暗殺があったが、1964年にジョンソン大統領の下で公民権法が成立し人種差別は禁止された。フェミニズム運動は1966年に全米女性機構が生まれ1969年大統領選への女性代議員の割り当て制度改革で、72年の女性代議員数は40%に上がった。さらに環境保護運動や消費者も加速した。これらの運動の推進者は「ニュー・ポリティクス」と呼ばれ、イデオロギー的にはリベラル化が深まった。その中でヒッピーの「対抗文化」、キリスト文明とは異なる「ニューエイジ」文化が若者の間に広まった。民主党は「公民権の政党」として黒人の9割の信頼を獲得した。経済利益偏重の富裕層の多いユダヤ系にも7割が民主党支持を支持している。ナチスのホロコーストと闘ったル−ズベルト大統領への信頼感と人道を巡る理念で民主党を支持しているのであろう。「運動の政治」(「ニュー・ポリティクス」)は利益の民主政であるが、同時にマイノリティの存在を社会に認めさせる「承認の政治」としての側面も顕在化した。社会の片隅に埋没していた一定規模の集団が、社会の中心に存在を確立する民主化の過程をさす。環境保護や消費者団体も新たな価値観やライフスタイルへの承認という意味で。理念の民主政であろう。共和党のニクソンは、優遇される黒人層とそれに反発する白人労働者層の間にくさびを打ち込むために、南部の共和党化に力を入れた。アラバマ州知事であったウォーレスは人種隔離政策を南部特有の文化だとして南部白人を民主党から引き離すことに成功した。これが1981年のレーガン政権へと結びついた。1980年代の経済成長の停滞と失業率の増加はアメリカの保守主義全盛時代をもたらし、1988年にはブッシュ父が大統領を引き継いだ。1980年代は民主党の「運動の政治」と「承認の政治」による急激な左傾化は、不景気のため無党派層の離反となった。福音派キリスト教は人工妊娠中絶辺反発から80年代には共和党の有力な支持団体となった。また民主党の反共主義者は「ネオコン」に右傾化した。経済利益にならない層を抱え込むことが共和党の理念の民主政だったとすると、共和党は中低所得層の白人に、自分は中間層なのだと思い込ませる心理的な作戦であった。アメリカのリベラリズムでは保守層は次の3点を特徴としている。@愛国心は強いが、政府は嫌い、A巨大な軍事力を背景とした超大国外交をを維持しつつ、他方では小さな政府を望む、B個人のすべてを神の支配に捧げるといった矛盾をアメリカの保守層は平気で信じている点である。1980年以降保守の共和党とリベラルの民主党の2党に分極したが、全体としてdちらにも一致できない無党派層が増加した。それが大統領選と連邦下院選挙では別々の政党に投票する「分割投票」と政党帰属意識の低下が顕著となった。分割投票率は80年代には34%に達し、連邦上院選挙でも分割投票率は31%となった。政党帰属を明確に示す層は70年代に75%あったものが80年代には60%に落ち込んだ。1960年ー1995年までは連邦議会下院も上院もほとんどの時期において民主党が多数派であった。大統領と議会両院の多数派政党が同じでない限り、大統領は民意を代表しているとは言えない。レーガン大統領が主導する保守派政権が3期12年間続いた80年代でも、「運動の政治」の第2波があった。それを当事者たちは「革新的ポピュリズム」と呼んでいる。

エリートと官僚が作る政策と一線を画する草の根の市民運動である。シカゴはそのリベラル市民運動の実験場であった。シカゴのリベラル派は、1940年代のアリンスキーの労働運動に始まる。コミュニティ・オーガナイザーという職業運動指導者を作りだした。かれらが企業や行政、中央政府と折衝する専門家である。後になって彼らが大統領側近の新たなエリートを構成してゆくのである。利害当事者を代表して、時にはロービーイスト、圧力団体となる。1970年以降、地域密着型の草の根政治運動が展開した。その牽引役が「シチズン・アクション」という組織であった。その開拓者がヘザー・ブースであった。活動家を組織して住民運動を起こす手法である。ロバート・クレ―マーが消費者運動の「イリノイ公共行動協議会」を設立し、これがのちの「シチズン・アクション」の中核となる。クレーマーはアリンスキーの労働運動からスタートした。「イリノイ公共行動協議会」の参謀役プログラムディレクターであったのが、後の下院議員ジャン・シャコウスキーである。教会に連帯を求める信仰型オーガナイズを拡大した。1980年代の第2世代の指導員に後のオバマ大統領がいた。市民運動は民主党議員と連帯し選挙応援を行い、ポピュリスト議連(コーカス)を形成した。上院では後の大統領候補ゴアがいた。「シチズン・アクション」の医療政策専門家であったキャシー・ハーウィットは、後にクリントン政権の医療保険改革に貢献した。彼は後のオバマケア実現の絶え役者である。2000年代のオバマ擁立運動の背後には、こうした革新的ポピュリズムのネットワークがあった。ジャン・シャコウスキーはキャシー・ハーウィットのスタッフをオバ上院議員に預け、クレーマーは民主党全国委員顧問としてオバマ再選を指揮した。ヘザー・ブースはシチズン・アクションに代わる「USアクション」を立ち上げ、オバマの支持団体OFAと連携した。1980年代革新的ポピュリズム運動の裏側で民主党を穏健化するグループ「ニュー・デモクラット」が活動した。アル・フロムが1985年民主党指導者会議DCLを創設し、中道化路線を推進し、1992年ビル・クリントンを大統領にして政策実現力(権力)を手に入れた。ビル・クリントンの中道化とは経済成長と国際競争力を重視するビジネスに親和的な政策のことである。lこうしたビジネス寄りによる中道化のニュー・デモクラットは、「ブルー・ドッグズ」という民主党保守派とは支持基盤が異なっている。「ブルー・ドッグズ」は南部農村の中低所得者層が基盤である。キリスト教文化でかなり保守的である。「ニュー・デモクラット」の州知事であったビル・クリントンはリベラリズムを修正し大きな政府ではないが積極的に機能する政府」をスローガンとして大統領選に勝利した。クリントンは1996年の福祉改革法で補助金削減をする緊縮財政と規制緩和による経済の成長で一時的であるが財政収支の黒字化に成功した。この政策は「第3の道」(三角戦略)と呼ばれ、イギリスのブレアー首相にも影響を与えた。1994年クリントンは北米自由貿易協定NAFTAを発効させた。2000年代にブッシュのイラク戦争をめぐって、「ニュー・デモクラット」は民主党指導者会議がイラク戦争を擁護したため、大きな後退を余儀なくされた。「安保に強い民主党」への衣替えに失敗したのである。民主党は分裂し、反戦リベラル派が中道派より多数を占めた。2008年大統領選でイラク戦争反対派のオバマが、予備選でヒラリーを破った。2011年「ニュー・デモクラット」は解散した。オバマ政権は政権発足じ、大型景気刺激策、自動車産業の救済などの成果をだし、さらに中間選挙に向けて医療保険改革に特化したが、この政策は保守派の反発とテーパーティー運動の台頭を招いた。2010年中間選挙敗北後にオバマは突如として中道旋回を行った。ブッシュ減税の2年延長を行い、JPモルガンのチュースを主席補佐官に招き金融界との妥協を図った。またFTA自由貿易路線を取って、TPPへの道を開いた。中道路線は党内リベラル派を失望させたが、「経済政策で中道化、社会問題政策ではリベラル派堅持」という戦略であった。ところがオバマは2011年秋からあっという間に労働者寄りの左旋回を行った。雇用対策公共事業、インフラ整備、金融規制強化、起業企業への税制優遇策など製造業重視の政策に転換した。まさしく「大きな政府」への復活であった。2013年オバマは二期再選をはたして、重要政策を包括型移民制度改革と銃規制法に据えて、一転してリベラルな政策実現を目指した。しかし包括型移民制度改革は全くの空振りで終わり法案を描くこともできなかった。銃規制法も同じであった。政策実行力においてオバマはもはや「死に体」に過ぎなくなった。

4-2) リベラリズムの行方
民主党にとって厄介ななのは、利益の民主政と理念の民主政で様々な分断が見られることである。中間層以上に関心が深いフェミニズム運動、LGBT運動、環境保護運動、反戦運動などは多文化主義的なリベラルな理念であり、中低所得層以下には優先度は低いか、雇用を奪う点で敵対的であるとされる。又ヒスパニック移民の世代格差、貧困が深刻な新移民問題は、同じ属性内での格差が広がっていることを示している。民主党の「利益の民主政」でも、自由貿易か保護貿易かで産業別に利害は激しくぶつかる。オバマ政権は支持基盤のリベラル派と対立するリスクを取って、2014年突然TPPを推進した。これにはニュー・デモクラットの圧力があったとされる。2016年大統領選をにらんで、民主党のヒラリー候補は2015年10月突然TPPに懸念を表明した。共和党候補であるトランプ氏までTPPに反対し保護貿易的な発言が多くなった。民主党では従来の穏健派〈中道派クリントン氏)とリベラル派(オバマ氏)といった二分法ではなく、今権力を持つエスタブリッシュメントと、これに対抗する非エスタブリッシュメントの政争で捉えた方が正しいかもしれない。サンダーズらアウトサイダーの左派、ヒラリークリントンの「リベラル派エスタブリッシュメント」、ビル・クリントンらの「ニューデモクラット」企業派の3つに分けられるという。オバマ大統領の第2期後半の決まらない政治は、内政面において大統領のできることが限られているからである。大統領という為政者の意志は、世論という議会勢力関係(政治環境)と政策エリート(法案作りのプロ、官僚とも一部重なる)の力に支えられている。大統領は世論の支持があり、政策エリートによって支えられている時存分な力を発揮できる。大統領と世論がバラバラで収集がつかないなら、それも「民意」である。断行しようとして社会が分裂するならしないほうがいいともいえる。ここでいつも問題となるのが民主党の「特別代議員」制度である(共和党にはこの制度はない)。公職者、議員や知事などの党幹部に別枠の票を与えることが、民意を表現するか、大局的判断で調整的役割を果たすかが1984年以来繰り返し議論されてきた。票の集計通り機械的に意思を決めるべきなのか未だに決着がつかない。これは民主党が(共和党も同じなのだが)あまりにイデオロギー、信仰、歴史を異にする集団の連合であるからだ。オバマ大統領の環境法案や銃規制法案に民主党議員がこぞって反対する、オバマの貧困対策や反イラク戦争を支持してきたカトリック教会が医療保険には反対して足を引っ張った。経済格差という階級的問題は社会構造と資本主義制度そのものの価値観が変わらない限りは解決策は見えてこない。それはアメリカのリベラルの本質的問題ひほかならない。ではどうしたらいいのだろうか。処方箋はないが、物事にはすべていろいろな見方がある。その見方の組み合わせで解決策を考えるという設定で、著者は2,3の見方(提案らしきもの)を記しているが、瞬時に破綻しそうな(一つの提案にすぐ100以上の反論が集中する)内容なので、私にはここで紹介するほどの知識と経験がないので紹介しない。2016年5月志摩サミットのとあと、オバマ大統領は広島を訪問した。「原爆投下は正しかった」というアメリカの歴史的国是のなかで、風穴を開けた意義は大きい。大統領は「政治の語りのトーンを変えたかった」というように、大統領のできることは少ないが、大統領の象徴性は大きいことを知らされた場面であった。



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