160511

矢部宏冶著 「日本はなぜ、基地と原発を止められないのか」 
集英社インターナショナル(2014年10月)

敗戦によって対米従属路線を選んだ支配層が、いま矛盾と絶望の淵であがいている。憲法9条に外国軍基地撤去を謳うことから戦後を再スタートしよう。

本書の著者矢部宏冶氏の本を読むのはこれが初めてである。著者のプロフィールから入りたい。矢部氏は1960年、兵庫県生まれ。慶応大学文学部卒業後、(株)博報堂マーケティング部を経て、1987年より書籍情報社代表。著書に『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)。共著書に『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)。企画編集シリーズに「〈知の再発見〉双書(既刊165冊)」「J.M.ロバーツ 世界の歴史(全10巻)」「〈戦後再発見〉双書(既刊3冊)」(いずれも創元社刊)。本書の末尾にある著書紹介からの引用です。それ以外にWEB上の情報がない。従って本書を読んでから自分なりに著者像を作るしかない。基本的に矢部氏は本を作る編集者側の人で、自ら書いた本には、自分の会社から出した「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド」(書籍情報社)と、本書矢部宏冶著 「日本はなぜ、基地と原発を止められないのか」(集英社インターナショナル)の2冊である。「戦後再発見双書」(創元社)第1巻孫ア享「戦後史の正体」が大好評であったそうだ。2011年3・11東電福島第1原発事故から私達日本人は信じられない光景を目にし続けた。安全だという神話にもかかわらず、このような巨大な原発事故がづして起きたのか、そして事故の責任はだれにも問われず、被害者が正当な補償をうけられないでいるのか、事故の結果ドイツやイタリアでは原発廃止を決めたのに、当事者の日本では反省もなくがむしゃらに再稼働が始まろうとしているのか、福島の子どもたちに健康被害がではじめているのに政府や医学関係者たちはそれを無視し続けているのか、我々国民は大きな謎に直面しています。米軍基地の問題を見てもわかるように、この日本という国はとても正常な国とはいえないのではないか。いっぽう21013年12月に成立した特定秘密保護法は情報公開法の適用例外事項を政府にフリーハンドに預けてしまった。為政者は国民の目にさらされないで何でもできる状態である。経済成長がなくなった時代に、企業には規制緩和と減税で報い、国民の権利を次々剥奪してゆく政府とはいったい何者が運営しているのだろうか。今私たちが直面している問題は、余りに巨大で、その背後の潜む闇も限りなく深い。崩壊し始めた「戦後日本」という巨大な社会を、1000兆円を超える膨大な債務とともに、次の時代に責任をもって改良しどう受け継ぐかが全国民に課せられた深刻な課題です。本書は書の分類としては「戦後史」です。私が最近読んだ戦後史の本としては、
@ 白井聡著「戦後の墓銘碑」(金曜日)
A 加藤典洋著「戦後入門」(ちくま新書)
B 柄谷校人著「憲法の無意識」(岩波新書)
等と密接な関係にあります。補完関係にあると言ってもいいでしょう。本文でおいおい引用するつもりです。さて早速本論に入りましょう。

1) 沖縄の謎―基地と憲法

2010年に写真家(須田慎太郎氏)と著者二人で2週間沖縄を巡って、28ある巨大な米軍基地をすべて撮影する企画があった。その結果は「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド](書籍情報社)という本になった。ちょっとふざけた書名であるが、こんな撮影を(旧)社会主義国でやったなら即逮捕され軍事裁判にかけられる危険性を持っていた。ただ日本の米軍基地の撮影は「刑事特別法」に触れる恐れはある。本章はその印象記と沖縄問題への疑問である。日本と沖縄がどんな状態にあるかを自分の目で見てこようという姿勢にはジャーナリストの根性が感じられる。普天間基地を見て、米軍の飛行機は日本の上空をどんな低空で飛んでもいい法的根拠を持っていると実感したそうである。しかしアメリカ人が住んでいる住宅の上では絶対に低空飛行訓練はしない。なぜなら米軍住宅に墜落したらやばいからです。普天間基地での訓練飛行コースを見ると、沖縄の住宅密集地域の上を頻繁に飛んでいます。つまり米軍機は沖縄という同じ島の中で、アメリカ人の居住地の上は飛ばないが、日本人の市街地の上は平気で低空飛行しています。アメリカ本土のサンジエゴにあるミラマー海兵隊基地の訓練飛行コースは広大な基地域内に収まっており、太平洋へ出るコースも住宅密集地は避け砂漠地帯の上を飛ぶコースになっています。米軍機がアメリカ人の住む住宅地の上空を飛ぶことは厳重に規制されているのです。だから問題はこのアメリカ本土基準を日本国民に適用することを求めず、自国民への権利侵害をそのまま放置している日本政府にあります。米軍のいうことはハイハイとなんでも聞いて、自分たちが本来保護すべき国民のj人権を守らない政治家や官僚の態度は、いかにも東洋的帝国官僚の残滓のようですが、こういった態度をアメリカ人は一番嫌います。だから心の中では日本側の態度を非常に軽蔑しています。彼らは日本政府の官僚や政治家を「インテグリティ(人格の整合性、首尾一貫性)がない」と呼びます。「強いものには巻かれろ、弱い者は無視しろ」という態度は東洋人(儒教)の特徴ですが、アメリカ人は人格を疑います。2009年9月に成立した民主党鳩山政権は9ヶ月しか続きませんでした。その経過「小沢事件」(小沢氏の公設秘書が政治資金規正法違反で逮捕された)で始まりました。政権党のNo1を狙い撃ちした明白な「国策調査」でした。政権の外から国策捜査を行う検察を動かしているのは誰でしょう。このことは日本の本当の権力の所在が表の政権とは別の場所にあることを伺わせます。そして鳩山氏は米軍・普天間基地の県外移転という、自民党政権と米軍が決めた方針に異議申し立てをしました。これは55体制の米国従属路線の自民党政権では考えられもしなかったことです。2010年4月6日首相官邸で、外務、防衛、内閣官房より2名づつ呼んで会合を行い、普天間基地の「徳之島移転計画」を示して極秘扱いにしましたが、なんと翌日に朝日新聞にリークされていました。「我々官僚は、鳩山首相の言うことは聞きませんよ」という意思表示でした。しかも官僚がアメリカと連絡を取っていたことがアメリカ側の機密情報暴露サイトで明らかになりました。外務省斉木局長は「民主党の案は馬鹿げており、いずれ痛い目に遭うだろう」という発言でした。対米隷従をモットーとする自民党政権では米軍基地の問題は絶対に解決できません。なぜなら冷戦構造で日本に巨大な米軍基地を押し付ける代わりに、経済発展をさせて「自由主義主義陣営のショーウインドウ」にすることで利益を受けてきた政権が自民党55体制(保守本流)であったのですから、米軍基地問題についてアメリカ政府と交渉して解決するということはそもそも無理な話でした。アメリカとの窓口が外務・防衛省でした。その自民党路線が完全に行き詰まってしまった。そこで政権交代でできた民主党政権がこの基地問題に果敢にも取り組みました。しかし日本の政治家が公約を掲げてみても、どこか別の場所ですでに決まっている方針から外れる政策は一切行えないようです。選挙で行ったことと政権で行うことは全く別のことです。その典型が米軍基地の問題です。沖縄の戦後の歴史については、石川文洋著 フォトストーリー「沖縄の70年」(岩波新書 2015年4月)があります。著者石川氏はベトナム戦争ん\などで世界的に有名な写真家で、沖縄出身者です。

沖縄本島は地上の18%と上空は100%米軍によって支配されています。沖縄における主な米軍の施設は、北から北部演習場、辺野古新基地予定地、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、嘉手納弾薬庫、嘉手納基地、普天間基地、そして久米島です。実は地上の100%はいつでも米軍の支配下に置かれる運命にあります。例えば沖縄国際大学キャンパスにヘリコプターが墜落した時、事故現場は米軍によってシャッターアウトできるのです。1953年に日米両政府が合意した「地位協定」には「日本国の当局は、所在地のいかんを問わず合衆国の財産について、捜査、差し押さえ、または検証を行う権利を有しない」とあります。アメリカ軍の財産(飛行機も含みます)がある場所は一瞬にして治外法権エリアになることを意味しています。米軍が事故起こしたら「どこでも」、米軍が封鎖し日本側の立ち入りを拒否できることができます。これは沖縄に限ったことではなく、全国「どこでも」同じことです。米軍が日本国憲法を超えた存在であるのです。東京都の横田基地にも米軍の管理区域があり、そこを日本の航空機は飛行できません。つまりかっての占領軍と同じ扱いが「在日米軍」と名前を変えただけで1945年以来ずっと日本に駐在して治外法権になっています。かって嘉手納弾薬庫と基地には1300発の核兵器が貯蔵されていたことは今や公然の秘密です。さらに嘉手納基地から飛行に積んで日本本土の三沢、横田、岩国といった米軍基地に輸送され、ソ連や中国を核攻撃する体制にありました。ソ連や中国からしたら、わき腹に核ミサイルを突きつけられていたことになり、日本国憲法9条第2項の「戦争放棄」って何だということになります。憲法9条を書いたマッカーサーは沖縄を軍事要塞化し、嘉手納基地を核兵器のロジスチック基地にしておけば、日本本土に軍事力は無くてもいいと考えたのです。憲法9条は沖縄の軍事要塞化・核武装と完全にセットとなっっていた。表向きは日本はサンフランシスコ講和条約で独立し法治国家となったわけですが、米軍の治外法権を認める最高裁判決が「砂川裁判」で出されました。その論理を見てゆきましょう。もともと1951年に結んだ日米安全保障条約と地位協定は、国際条約ですから日本の国内法より上位にあります、しかし憲法98条2項により条約が結ばれると国内法は必要に応じて「特別法」や「特例法」をつくって、条約との整合性を取ります。その特例法が1952年の「航空特例法」でした。それには米軍機と国連軍機については、飛行高さ、速度、飛行禁止区域などは適用除外すると書いてあります。1959年に在日米軍の存在が違法かどうかを巡って争われた砂川裁判では、なんと田中耕太郎最高裁判著長官はアメリカ国務省と密接な連絡を取りながら、その支持と誘導によって裁判を進行させたということがアメリカの公文書によって明らかににされました。日米安保条約にような高度の政治問題については、最高裁は憲法判断をしないという判決を出しました。憲法に定められた3権分立制を自ら破ってしまったのです。憲法の番人が行政の前で無力化したのです。後世このことを保守的な法学者は「統治行為論」または「第三者行為論」と呼んで、行政優先を根拠づける根拠としました。誰にも縛られない為政者の独裁制になりかねない「統治行為論」は頭のアメリカでもフランスでも、その反法治主義的な性格のため支持されていません。この「統治行為論」を今、安倍政権は憲法無視の行為に利用しています。憲法第81条には「最高裁判所は、一切の法律・命令・規則または処分が憲法に違反しないかどうかを決定する権限を有する終審裁判所である」とあります。田中長官は憲法で規定された最高裁判所の権限を自ら放棄したのです。こうして日米安保条約と日米地位協定は憲法を含む日本の国内法の上位に立ちました。日本の最高裁は政府に関する人権侵害や国策上の問題について、絶対に違憲判決を出さないという悪習があります。日米地位協定に基づき在日米軍の運用について協議する機関が「日米合同委員会」で、60年以上毎月協議を重ねてきました。内容は原則公表されません。日本側代表は外務省北米局長、米国側は在日米軍副司令官です。日本側代表代理は法務省、農務省、防衛相、外務省、財務省の局長・参議官クラスで26の委員会と10の部会があり審議官クラスが参加します。彼らは日本国憲法よりも上位にある、この「安保法体系」に忠誠を誓っているようです。

2) 福島の謎ー原発村

沖縄の米軍基地ツアーが終って、「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド」(書籍情報社)の構想がまとまった頃、2011年3月11日に東関東大震災と東電福島第1原発事故が起こった。そして筆者の頭の中に「沖縄イコール福島」お構造が見えてきたという。つまり原発に関しても憲法は機能しない。米軍基地での事件・事故は何度でも繰り返されるように、原発は何があっても再稼働されるということである。原発事故によって20万人の人が畑や家を失い避難生活を余儀なくされようとも、この大惨事の加害者東電と政府は罰せられない、警察は東電に捜査に入らなかった。もしこれが工場の爆発事故で死傷者が出たら、工場は操業停止、工場に消防と警察の捜査が入り、工場の責任者は逮捕され有罪となることは確実である。普通の国なら大訴訟団が結成され、空前の損害賠償請求が東電に対してなされるはずである。ところが「原子力損害賠償紛争会ケルセンター」という調停機関を通じて僅かばかりの東電言い値の賠償を受けて黙ってしまう国民なのです。いくら訴訟を起こしてもいつも玄関払いか最高裁で敗訴が分かっているかもしれません。今まで最終的に原発裁判に勝訴した例は一度もないことは、海渡雄一著 「原発訴訟」(岩波新書 2011年11月)に示されている。今までの主な14の原発訴訟はすべて棄却が出された。2013年4月の仙台高裁での「集団疎開訴訟」でも、子どもの健康へのゆゆしき影響が懸念されるとしながらも、子どもをすくための行政措置をとる必要はないという判決が出ている。原発訴訟に統治行為論的な考えを取り入れて、原発の運転の妥当性に裁判所は判断しないという。沖縄と福島の違うところは、沖縄には二つの新聞社「琉球新聞」と「沖縄タイムズ」があって正しい報道と情報をだしており、かつ政治家には大田元知事、井波洋一市長、稲嶺知事といった闘う首長を輩出している。ところが福島には原発推進派の自民党政治家しかいないし、まとまった政治勢力がない。原発の利益集団である「原発村」(産・官・学・軍)については多くの著書があるので、例えば山岡淳一郎著 「原発と権力」(ちくま新書 2011年)を挙げてここでは省略する。また第2章「福島の謎―原発村」は原発に関することが中心というより、日米の従属関係の一例に過ぎないという安保体制の話がメインである。だから繰り返しになるので多くは述べない。さきに沖縄で述べた、憲法より上位にある日米地位協定に基づく「日米合同委員会」は「安保法体系」と呼ばれる密約の集合体です。そうした密約は国際法上は条約と同じ効力を持ちます。アメリカで機密解除された二つの密約があります。一つは1957年2月アメリカ大使館から国務省に宛てた報告書です。「行政協定では、アメリカが占領中に持っていた軍事活動のための権限と権利は保護されている」、「行政協定には日本の地域の主権と利益を侵す数多くの取り決めがある」というものです。二つ目の密約は「米軍基地の使用のため日本政府によって許可された施設の米軍の権利は、1960年の協定、1952年の協定の下で変わることはない」というものです。2013年沖縄の市長らが「オスプレイ配備撤回の建白書」を野田首相に手渡したが、首相は「どうのこうのはアメリカには言えない」という返事だった。安保条約の下では日本政府とのいかなる相談もなしに米軍を使うことができるという秘密報告書に根拠があります。辺野古での基地建設の沖縄行政挙げての反対運動は、日本復帰した沖縄にとっては初めての基地建設を認めることは、沖縄自らは決して行わないという決意で始まった反対運動です。1957江の機密文書には「新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を維持し続ける権利も米軍の判断にゆだねられている」としているからです。 東京のど真ん中に米軍基地があることをご存じの方は少ないでしょう。六本木ヘリポートがヒルズの前にあります。近くにはニューサンノ―米軍センター(米軍のホテルと会議場)、そしてアメリカ大使館が車で5分の位置にあります。横田基地や横須賀基地からヘリコプターで米軍関係者やCIA諜報員がやって来ることを日本側はどうしょうもないのです。自国内の米軍基地からやってくる米軍関係者にほとんど無制限に都内での行動の自由を許可しているのです。これは民主的な法治国家にとって許せなない矛盾です。この矛盾を隠すため国家の最も重要な部門には分厚い「裏マニュアル」が存在します。@最高裁の「部外秘資料」(刑事特別法関係)、A検察の「実務試料」(外国軍に対する刑事裁判権)、B外務省の「日米地位協定の考え方」です。これらは米軍に治外法権を与えるための裏マニュアルです。1957年米兵の犯罪であった「ジラード事件」が起きたとき、日本官僚は非公開でで協議し、その方針が法務省経由で検察庁へ送られ、検察庁は軽めの求刑を行う十同時伊裁判所にも軽めに判決をするように働きかける。裁判所は信じられないほどの軽い判決を出す。事件は米兵が日本女性を射殺したにもかかわらず、検察は殺人ではなく傷害致死で起訴し、懲役5年を求刑しました。裁判所はさらに「執行猶予4年、懲役3年」の判決を出しました。二週間後にはジラードはアメリカに帰国しました。これは役所間の連係プレーによって事実上の無罪の取り扱いとなった例です。

砂川裁判で最高裁が「憲法判断をしない」としたのは安保条約そのものを対象としたのではなく、「安保条約のような我国の存立の基礎になっている重大な関係を持つ高度な政治性を有する問題」という曖昧なかつ無限大拡大が可能な根拠でした。「国家レベルの安全保障」については最高裁が憲法判断をしないことが確定したわけです。問題は2012年6月に改正された「原子力基本法」第2条第2項に「原子力の安全の確保については、我国苧安全保障に資することを目的として行うものとする」といった文言が挿入されていました。国会では議論にもならなったようですが、実は恐ろしい企てが官僚の手によってなされていました。この条文によって今後、原発に関する安全性の問題は、安全保障に移して法のコントロール外に置くことになります。この考えは1978年の「伊方原発訴訟」で柏木裁判長は「原子炉の設置は国の高度の政策的判断に関連するので、原子炉の設置許可は国の裁量行為である」と述べています。またその裁判の1992年最高裁判決で小野裁判長は「原子力員会の科学的・専門的知見を基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的判断にゆだねる」と述べました。こうした裁判所の判決に圧力をかけているのは最高裁事務総局であることが、新藤宗幸著 「司法官僚ー裁判所の権力者たち」(岩波新書 2009年)で指摘されています。官僚たちがその裁量権をフルに使えば、「我国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ」と考える問題については、自由に法のコントロールの外におくことができる法的構造が生まれつつある。首相が大統領を超える非常大権を持つようにすると、ヒトラーの「全権委任法」が生まれてくる。現実の海や空に放射欧汚染が進行し、多くの国民が被曝し続けている中での原発再稼働という狂気の政策なのです。現在の日本の現状がナチスより恐ろしいのは、法律どころか官僚が作った政令や省令でさえ憲法を無視できる状況になっていることです。大気汚染防止法、土壌汚染対策法、水質汚濁防止法の環境法では、放射性物質はその適用外になっています。環境基本法では放射性物質による汚染防止の基準は「原子力基本法その他の関係法で定める」第13条と匙を投げています。そして実は国は何も定めていないのです。適用される法律がないことを環境省は「当方としては違法性はない」と割り切っています。2012年6月の「原子力基本法」の改正では第13条は丸ごと削除になっています。放射性物質環境基準を決めろという世論の圧力から逃げるためです。第13条が削除されると基準作成の責任は政府になりますが、今もなお何も決められていません。放射線汚染に対しては日本は無法地帯なのです。どこが科学立国なんでしょう。そのウソには空恐ろしくなります。そして「日米原子力協定」という協定が「日米地位協定」と同じ法的構造を持つことが判明しました。日本側だけでは何も決められないのです。アメリカの了解なしに決められることは電気料金だけです。日米原子力協定は「日米政府は、どちらかが協定を停止したり、終了したり、核物質の変換を要求する行動をとる前に、是正措置を協議しなければならない。その行動の経済的影響を慎重にけんとうしなければならない」と規定しており、アメリカの了承なしには絶対にやめられない義務があります。また「その終了の後において、第14条までの規定第10条と第2条の一部を除いて引き続き効力をゆする」なんとほとんど全部の条項は止めることはできないことです。こんな条約は世界中のどこにあるのでしょうか。正規の協定以外にも多くの密約が存在するでしょう。2012年9月当時の野田内閣は「2030年までに原発の稼働をゼロにする」という閣議決定をしようとしたところ、外務省が米国国家安全保障会議とエネルギー省の高官と会談し、米国はこの内閣の方針に「強い懸念」を表明し、その結果閣議決定は見送られました。これは鳩山内閣の辺野古移転問題問題と全く同じ構造です。日本の内閣は方針を決めてもアメリカの反対で簡単に潰されるのです。日米原子力協定が日本国憲法の上位に在って日本政府の行動を許可する権限を持っているのは米国とそのエージェンシーである外務省なのです。この現実に日本人は答えなければなりません。
@原発を推進し人類最悪の事故を起こした自民党の責任を問わず、2012年の選挙で大勝させた日本人の責任
A子供の健康被害に怯えながら避難を続けているにもかかわらず、福島県も含めて原発再稼働を許すのか
Bナチスの民衆を屈服させるテクニックに酔いしれた安倍内閣に真正面からなぜ戦わないのか。

3) 安保村の謎1ー敗戦そして日本国憲法

本論に入る前に、2つの権力側の常套手段猿ある種の統治テクニック(民衆をごまかすレトリック 「朝三暮四」)について紹介する。ひとつは沖縄国際大学内米軍ヘリコプター墜落事故ごの日米合同委員会の対応策です。事故から8か月後に設けられたガイドラインでは、事故現場の周囲に内側の規制ラインを米軍が、外側の規制ラインを日本警察が管理するというものです。つまり二つの規制閾を設けて日米で分担して管理する印象を受けますが、実態は米軍の周りに日本の警察が配備されて米軍の活動を擁護するだけのことです。現状は何も変わりはないのにこれで解決したと思わせるテクニックです。いかにも官僚の姑息な手法です。二つ目のテクニックは密約文書を巡る言い逃れです。2009年に成立した民主党内閣は1960年に「核密約」が存在したかどうかを調査しました。外務省が委嘱した有識者委員会は、2010年3月「厳密な意味での密約はなかった」と発表しました。アメリカ側は公文書公開で密約がったことを認めているのに、委員会の座長であった北岡伸一東大教授は密約には狭義と広義の密約という奇妙な論理を言い出します。広義の密約は厳密な密約ではないという、苦し紛れの言い訳です。最初から調査等する気はなかったようです。そして佐藤栄作氏自宅金庫から密約文書が見つかるという落ちがありました。東大の権威というのは、昔徳川家康に悪智恵を授づけた天海和尚のようなものです。権力者には便利な代物ですが、世間ではその智恵たるや笑い種に過ぎません。結論ありきの屁理屈です。戦後日本国憲法は誰が作ったかという教育は、以前は日本人が作ったとされていましたが、いまはGHQが作ったという教育がなされています。「作った」と「書いた」という言葉に意味は違いますが、憲法についてこれほど真逆の議論は終わらせる必要があります。大仏さんは誰が作ったか、「聖武天皇が作った、いや仏師が作った」という笑い話です。憲法草案を書いたのはGHQですが、それをそのまま憲法にした(選択した)責任者は日本政府です、これが正解です。2012年4月当時野党だった自民党が気楽に書いた憲法草案があります。国連の人権委員会を始め、世界の有識者が腰を抜かすほど驚いたと言われます。「これは何世紀前の憲法かね」 近代憲法は国民が主権者であり、人権を侵されないように「立憲主義」をとることを全く理解していないようでした。近代文明のレベルから見ると、明治欽定憲法を擬した自民党憲法草案は3歳児にも劣る内容でした。第2章 福島の謎ー原発村で示したように、「原子力ムラ」と「安保ムラ」の構造は類似しています。「原子力ムラ」の構造は福島原発事故以来かなり明らかになったように原発推進派の利益共同体です。「安保ムラ」とは日米安保体制推進派の利益共同体です。日米安保中心の国作りつまり徹底した対米従属路線をとったのは昭和天皇とその側近グループです。終戦直後日本の支配層(トップサイド)が自己保身を第1として、自らアメリカに提案したのです。軍部が暴走したとどう弁解しても、1941年12月の「開戦の詔書」を書いた昭和天皇の責任は免れるものではなかった。マッカーサーの副官であったボナー・フェラーズは昭和天皇の責任を調査して「日本本土への無血進攻を可能ならしめるため、我々は天皇の協力を要求した。そうした以上天皇を戦犯として裁判にかけると日本の統治機構は崩壊し、反乱が起きるかもしれない」と言っています。ここで日米間でバーター取引が成立した。天皇の退位という選択肢も取らなかった。「天皇を平和の象徴として利用しよう」とする米軍の占領計画が1942年6月に立案されている。アメリカ政府は天皇の傀儡政権を介する間接統治を選んだ。戦後の重要な文書はすべて米国の提案になるもので、最初は英語のテキストが存在した。1945年8月21日マニラに居たマッカーサーの下に3つの書類が届けられた。当たり前だがすべて英語で書かれていた。@降伏文書(9月2日ミズーリ号での降伏文書)、A一般命令第1号(日本の海軍、陸軍にたいする武装解除指示書)、B天皇の布告文(降伏を命じる天皇の文書、私は朕と書き替えてある) 米軍は終戦のシナリオを実に具体的に微に入り細に入り検討している。皇居が爆撃されなかったのは、天皇への配慮であった。東久邇宮内閣の下で本土内300万人の武装解除がスムーズに進みました。天皇を利用した日本支配のシナリオは米軍のもくろみ通りでした。1945年9月27日第1回マッカーサー・昭和天皇の会見が行われました。通訳を勤めた奥村外務省参事官の正式な記録が2002年に公開されました。ここで昭和天皇は「この戦争については、自分としては極力これを避けたい考えでありましたが、戦争となると結果を見ましたことは、私の最も遺憾とするところであります」といった。マッカーサーの政治顧問だったジョージ・アチソンが国務省に宛てた極秘電報に内容は、外務省の公式記録よりは真実に近かったのではないかと著者は思っている。「マッカーサー元帥がアチソンに語ったところによれば、天皇は自分はアメリカ政府が日本の対米宣戦布告を受け取る前に真珠湾を攻撃するつもりはなかったのだが、東条が自分を欺いたのである。自分は責任を回避するために言うのではない。自分は日本の指導者であり、したがって日本国民の行動には責任があると語った。」 1945年9月25日天皇はニューヨーク・タイムズとの記者会見において、今後はイギリス式の立憲君主制でやってゆく、真珠湾攻撃は東条首相が独断でやったことで自分は相談を受けていない、将来二度と戦争をすることがないような平和国家を目指すという内容の発言をした。

1946年元旦の日に昭和天皇がん「人間宣言」を出します。これも最初は英文でした(GHQが草案を書いた)。日本の改造計画を担ったのは民生局GHQと民間情報境域局CIEです。CIEは1945年12月に「国家神道廃止令」を出しました。天皇は神だとする狂信的軍事国家を破壊するためです。日本国憲法の場合と同じようにこの人間宣言は天皇の立場と引き換えにしたものです。これを出せば天皇の立場だけは守ってやるということです。それはアメリカの占領政策を容易にするバーター取引です。昭和天皇の人間宣言(新日本建設に関する詔書)の全文を次に記します。前部と後部に分けます。後部のアンダーラインの部分には天皇の神格を否定した英文(毎日新聞2006年元旦より)が存在します。
(前)茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
1.廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
2.上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
3.官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
4.舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
5.知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、舊來ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民擧ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豐カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ圖リ、新日本ヲ建設スベシ。 大小都市ノ蒙リタル戰禍、罹災者ノ難苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ眞ニ心ヲ痛マシムルモノナリ。然リト雖モ、我國民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、旦徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、獨リ我國ノミナラズ全人類ノ爲ニ輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。夫レ家ヲ愛スル心ト國ヲ愛スル心トハ我國ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ガ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ致スベキノ秋ナリ。惟フニ長キニ亘レル戰爭ノ敗北ニ終リタル結果、我國民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ヲ長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
(後)然レドモ朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、當ニ利害ヲ同ジクシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等國民トノ間ノ組帶ハ、終止相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ旦日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニ非ズ。朕ノ政府ハ國民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ爲、アラユル施策ト經營トニ萬全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我國民ガ時難ニ蹶起シ、當面ノ困苦克服ノ爲ニ、又産業及文運振興ノ爲ニ勇徃センコトヲ希念ス。我國民ガ其ノ公民生活ニ於テ團結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ能ク我至高ノ傳統ニ恥ヂザル眞價ヲ發揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ實ニ我國民ガ人類ノ福祉ト向上トノ爲、絶大ナル貢獻ヲ爲ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。 一年ノ計ハ年頭ニ在リ。朕ハ朕ノ信頼スル國民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ自ラ奮ヒ自ラ勵マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。 
神格否定の部分に、昭和天皇の判断でその前部に「五か条の御誓文」を加えて、戦争には負けたが、又心を一つにして新しい日本を作ってゆこうというメッセージにアレンジして発表した。GHQに言われてこの人間宣言を書いたのではなく、新年に当たって新日本建設に関する詔書を書いたという形で、天皇として国家としてのプライドを保っている。ここから日本人の歴史観が形成された論理があります。それは司馬遼太郎の描いたフィクションの歴史観に現れています。明治時代は立憲主義に基づいた正しい発展の時期だった→昭和初期はに軍部が暴走し、突然変な時代になった→戦後は本来の民主主義に戻った正しい時代といったロジックです。このロジックは人間宣言がGHQ の指示に基づいていることを知りながら、昔ながらのフィクション(五か条のご誓文)でうまくやって行けるという二重構造と共通しています。

日本国憲法は本当に誰が作ったのかといえば、それは100%GHQが草庵を書いたのです。マッカーサーのもとで憲法草案の執筆責任者だったチャールズ・ケーディスの証言から明らかです。1946年2月4日から12日にかけて、GHQは9日間で憲法草案を書きました。ケーディスを含む25人の作業チームが11の章ごとに分かれて執筆し、13日に日本政府に渡し憲法改正を指示した。その時の殺し文句は天皇の人間宣言と同じく「拒否するなら天皇を戦犯として裁判にかける」ということです。GHQは1946年111月末「検閲の指針」を定めましたが、そのトップ4項目を検閲対象にしました。@GHQに対する批判、A東京裁判の対する批判、BGHQが憲法草案を書いたことに対する批判、C検閲制度への批判です。自分たちが憲法草案を書いたことは公文書にしているが、メディアや手紙で言及することを禁じたのです。そしてGHQは1946年1月には466人いた衆議院議員のうち旧体制派の381人を公職追放し4月の選挙に臨んだのでした。日本国憲法前文に「日本国民はここに主権が国民にあることを宣言し、この憲法を確定する」と宣言していますのでこれは主権在民の民定憲法です。ところがこれを制定した根拠が、天皇に主権があるという明治欽定憲法の手続きでおこなわれたことが大変な矛盾で、美濃部達吉氏は「国民会議を作って憲法を起草させ、国民投票にかけるのが適当」と言って反対しました。筋の通った学者でした。しかし日本の悲劇はこうした論理的に正しい世界標準の議論は避け、大勢迎合の学説だけを良しとすることにあります。そこからダブルスタンダード、2枚舌の体質が蔓延したのです。戦後日本の社会科学における「最高権威達」と称される人々というのは、政府の審議会などで結論をあらかじめ教えられ、それを正当化するためとんでもない学説をひねり出す節操のない人のことです。福島原発事故でわざわざ長崎大学からきて「気にしなければ放射線は恐くない」とか「子ども放射線影響?ない」とか「50ミリシーベルトまで浴びても大丈夫」とかいうデマを振りまいていました。また民主党政権で防衛大臣を務めた森本敏氏は2013年4月11日の民放番組で「日本の原発は核攻撃にも耐えるように設計されている」といったという。どんな根拠があってそう言ったのか不可思議です。劣化ウラン弾は戦車の鋼鉄さえ打ち抜くのです。ミサイルが圧力容器や格納庫を打ち抜くかどうか無論誰も実験したことはありませんが、大丈夫という根拠はあるのだろうか。「統治行為論」は明らかに憲法の判断が行政や政治に及ばないとする論ですから、これは3権分立(司法・立法・行政)の否定になる。最初から憲法は政府・官僚に負けているのです。こんな論が横行する最高裁判所は世界でも日本しかない。それは何処からきているかというと、最高裁判所の人事権を政府が持っているからで、都合の悪い判決をする最高裁判所判事は更迭されるからでしょう。政府から独立を約束されている日銀もその総裁の人事権は政府にあります。公共放送のNHK会長のそうです。政府は交代時期を見ては都合の悪い人物を排斥してゆき、今では安倍ファミリシーで占められています。話は美濃部達吉氏に戻りますが、ドイツでは基本法を定めて、旧憲法は国民が自由な決定により議決した憲法が施行される日に効力が失効すると述べています。またフランスは第4共和国憲法に、国土の一部でも外国軍によって占領された場合は、いかなる憲法改正も無効であるとしています。なぜGHQがこのような憲法草案を徹夜で書き上げたかというと、ソ連も参加する11カ国の極東委員会が2月末に迫っていたからです。マッカーサーは憲法草案が形だけでもGHQの手を離れ、日本政府の憲法提案になるように焦ったのです。だから日本政府に日本語の草案を作らせ、それに承認を与える、与えないで条文内容をコントロールできると考えたのです。マッカーサーの3原則@天皇制の存続、A戦争と戦力の放棄、B封建制度の廃止に沿った日本国憲法草案が急きょ作成され、日本国政府が作成したことにした極めて異常な出来事です。2月13日吉田茂外務大臣はこの憲法草案を受け取り、2月26日内閣の法制局が条文の作成作業に着手しました。ケーディスは敗戦国への懲罰という大きな枠組みのなか、人類の究極の理想を書きこもうとしました。天皇を残しながら完全な民主主義国として再出発することが憲法に書きもまれています。しかしこのことによって日本人の戦後が大きくゆがめられたのです。自分が作ったという主体性と責任そしてそれを守るという気概が誰にも生まれなかったのです。これが「憲法の闇」と言われる深い断層となった。占領軍バ密室で書いて、日本に受け入れを強要した。そしてその内容は日本人には何十年経っても書けないようなすばらしく良いものだった。これが日本国憲法のおきな「ねじれ」の正体です。憲法に関しての日本の議論は、これを人権無視の昔のj憲法に改悪する勢力と、指一本憲法に触れてはいけないとする護憲勢力の板挟みになっています。

4) 安保村の謎2−第2次世界大戦後の世界

日本は第2次世界大戦における敗戦国であることは、まぎれもない事実です。自虐史観でも何でもありません。ここの認識を忘れると国際社会においてとんでもない摩擦を引き起こします。戦後世界の覇者となったアメリカに対して、徹底した軍事・外交面での従属路線をとることで、大戦後の敗戦国から、冷戦における勝者(世界第2位の経済大国に上がった)になった。これが戦後の日本の姿でした。1989年に冷戦が終了し、昭和天皇が亡くなったことで戦後の日本の社会構造の一つのエポックとなった。そもそも国連の本質は「第2次世界大戦の戦勝国連合」であり、冷戦中はこの世界の構造はずっと維持されてきた。米英は第2次世界大戦中から戦後世界の構図を描いてきた。ポツダム宣言が「戦後日本」の原点なら、1941年8月14日の大西洋憲章は「戦後世界」の原点です。大西洋憲章(正式名は米英共同宣言)の内容をよく読むと、第2次世界大戦後世界の枠組みがほとんど全部書かれている。アメリカ合衆国フランクリン・ルーズベルトとイギリス王国首相ウィンストン・チャーチルの二人は、次のような共同声明に合意したに始まる大西洋憲章を次にまとめます。
@ (英米は省略する)領土その他の拡大を求めない。
A 当事国の国民が自由に表明した希望と一致しない領土の変更は認めない。
B すべての民族が、自国の政治体制を選択する権利を尊重する。強制的に奪われた主権と自治が、人々に返還されることを望む。
C すべての国家が経済的繁栄のために必要な商取引と原料の確保について平等な条件で利用できるよう努力する。
D 改善された労働条件、経済的進歩、社会保障をすべての人に確保するため、経済分野におけるすべての国家間の完全な協力が達成されることを希望する。
E ナチスによる暴虐な独裁体制が最終的に破壊されたのちも、すべての民族が恐怖と欠乏から解放されてその生命を全うできるような平和が確立されることを望む。
F このような平和は、すべての人が妨害を受けることなく、公海・外洋を航行できるものでなければならない。
G 世界全ての国民が、現実的・精神的理由から、武力の使用を放棄するようにならなければならないことを信じる。もし陸海空の軍事力が自国の国外への侵略的脅威をあたえるか、または与える可能性のある国(日独)によって使われ続けるならば未来の平和は期待できない。そのため一層広く永久的な一般的安全保障制度(後の国連)が確立されるまで、そのような国の武装解除?不可欠であると信じる。
この大西洋憲章の理念が後の国際聯合憲章となり、第2次世界大戦後の国際社会の基礎となりました。その流れの中で日本国憲法の前文にも使われています。1941年12月8日日本は事前通告なしに真珠湾を奇襲し、英米は日本に宣戦布告をしました。英米は連合軍を募り、1942年1月1日「連合軍共同宣言」を発して、26か国が署名し日独伊を敵とする第2次世界大戦がはじまりました。連合国共同宣言には、大西洋憲章の共同綱領に賛成し、@日独伊三国条約締結国に対し、政府の軍事的または経済的な資源のすべてを使用することを誓う、A各政府は、この宣言に署名した政府と協力すること、また敵国と単独で休戦または講和を行わないことを誓うという内容です。枢軸国側の三国同盟が軍事的には何の連係プレーもできないままに終わったことを考えると、政治的には大人と子供のほどの違いがあったと言わざるを得ません。1944年8月から英・米・ソ連・中国の四か国の協議「ダンバートン・オークス会議」は後の国連憲章(1945年6月)よりももっと理想主義的s鬼才が強く「一般の加盟国に、独自に戦争をする権利を認めていなかった」という点で、日本国憲法により近い内容を持っていました。国連憲章に入った「個別的自衛権」や「集団的自衛権」という概念は、ダンバートン・オークス会議提案には存在しなかった。国連安全保障理事会だけが「世界政府」として軍事力の使用権を独占し、他の国はそれを持たないというダンバートン・オークス会議提案に遭った理想主義的構想が、後の日本国憲法9条第2項の大きな前提となっていた。1946年2月1日に五大国の参謀総長がロンドンで第1回国連総会中に集まり国連軍について具体的に検討を開始するまで、世界政府構想の核心である国連軍構想は、GHQが日本国憲法草案を書く2月の時点でまだ生きていたのです。

マッカーサーが三原則を指示して日本国憲法草案作成を急いだのは、1946年2月末に予定されていたソ連を含む連合国会議の前に日本側から憲法案提示を行わせるためですが、その背景には2年後の米国大統領選出馬を視野に日本で「崇高な理想」を実現しようとする功績づくりの野望があったようです。本国の国務省は、この間の事情を全く知らされず、GHQによる憲法草案の執筆は、マッカーサーとその側近による完全な「暴走」だった。このため日本国憲法第9条第2項は現実世界における基盤を完全に喪失しました。国連常任理事国5カ国は「拒否権」という絶対的な特権をもっており、また敗戦国日本とドイツは「敵国条項」(国連憲章第53条、107条)を適用するという差別があります。国連が現実の政治で動いているのです。日本とドイツに対する特別な取り扱いを国連憲章の条文にそって見てゆきます。
第103条:この国連憲章に基づく義務と、他のいずれかの国際協定に基づく義務とが抵触する時、この憲章に基づく義務が優先する。
第2条:(第3項)すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって解決しなければならない。(第4項)すべての加盟国は武力による威嚇または武力の行使を慎まなければならない。
第53条:(第1項前半)安全保障理事会は適当な場合には、地域的取り決め、地域的機関を利用する。ただしいかなる強制手段においても安全保障理事会の許可がなければならない。
(第1項後半)敵国に対する措置で第107条に規定されるもの、またはその敵国における侵略政策の再現に備えて地域的取り決めにおいて規定されるものは、国連がその敵国による侵略を防止する責任を負うまで例外とする。
第107条:この憲章のいかなる規定も、敵国であった国(日本、ドイツ)に関する行動で、責任ある政府がこの戦争の結果として取り、または許可したものを無効や排除するものではない。
国連憲起草員会で「敵国条項の目的はドイツと日本の永久的かつ有効な非武装化であり、それら2ヶ国の支配である」と説明された。戦後70年経ってもこの敵国条項は削除されていません。1995年の削除する決議案が可決されたが、決議案から20年経っても敵国条項の削除は実現していません。国連総会の2/3以上の賛成とすべての安全保障常任理事会国の批准、加盟国の2/3以上の批准が必要だからです。第107条が「沖縄」および「日本」の米軍基地存続の法的根拠なのです。この第107条によって、敵国に対する戦後処理については国連憲章に述べるすべての条項は適用されないということです。また1952年に発効したサンフランシスコ講和条約にも同様な法的根拠があります。
第6条a項前:連合国のすべての占領軍はこの条約が発効した後、速やかに、90日以内に、日本から撤退しなければならない。6条a項後半:ただしこの条約の規定は、二国間で結ばれた協定(日米安保条約)による外国軍の駐留を妨げるものではない。
第3条:日本はアメリカが国連に対して、沖縄や小笠原などを国連信託統治制度の下に置くという提案をした場合、無条件でこれに同意する。しかしそうした提案が行われるまでアメリカは、行政・立法・司法上のすべての権力を行使する権利を持つ。
しかし1972年に沖縄が本土復帰するまでそういう提案は一度も行われなかった。アメリカの沖縄に対する独占的支配権が認められたのである。アメリカはサンフランシスコ講和条約結んだ時、同時に「米比相互防衛条約」(フィリッピン)、「太平洋安全保障条約」(オーストラリア、ニューjランド)、「日米安保条約」(日本)を結びました。日本以外の二つの条約の仮想敵国は日本です。共同で対処できる条約です。日米安保条約は日本国の安全保障のためにあるのではなく、日本という地域の安全保障なのです。日本国が敵国となる可能性を捨てていません。それが証拠に前文に「アメリカは日本国が攻撃的な脅威となり、平和と安全を増進する以外に用いられる軍備を持つことを避けつつ、自国の防衛のために漸進的に自ら責任を負う」としています。1951年の日米安保助役の仮想敵国はなんと軍国主義日本だったのです。アメリカ軍が日本に駐留する目的は、軍国主義日本が復活することを防ぐ「ビンの蓋」だったのです。

5) 自発的隷従の道ー昭和天皇の影

現在の日本画直面する問題とは、実はと言えば日本人自らが生み出した認知上の歪(自発的隷従状態)に主な原因があります。戦後70年経ってなお存在する「戦後日本」という国家は、いずれは終焉を迎えるでしょう。しかしそのためには本当の民主主義を自分たちの手で勝つとってゆくプロセスが必須です。敵国条項も米軍基地も沖縄問題も原発問題も、政府(支配者)が解決するので事はl期待せず、主権在民の市民が解決しなければなりません。この問題の本質は「歴史的経緯の中で、日本人(支配者)が米軍の駐留を希望したから」であり、その支配者の意向には昭和天皇の自己保身的姿勢が強く影響していた。敗戦当時の支配者が恐れたのは原爆ではなく天皇制を否定する共産主義であったことです。近衛文麿(細川元首相の祖父、終戦時自決)は1945年2月14日に近衛上奏文を添えて昭和天応に意見を具申しています。「従って敗戦だけなら天皇制の維持についてそれほど心配する必要はないと考えます。心配すべきは敗戦よりも、それに伴って起こる共産革命です」 もし革命が起きれば皇帝は死刑になることは西欧の常でした。このとき昭和天皇は敗戦を渋っていました。そして7月12日ソ連に特使を派遣し終戦を斡旋してもらおうということで近衛文麿が特使になりましたが、この時の最悪の条件とは「沖縄、小笠原、樺太は捨て、千島は南半分でも残れば良し」というものでした。つまり沖縄は「固有の領土」ではなかった。支配者は沖縄は明治維新のときに併合した領土だから捨ててもいいと考えていたようです。政治的なリアリストだった昭和天皇は(後白河法皇のように)、重要な局面において何度も政府の頭越しにアメリカと直接取引をしています。国連の五大国の足並みが揃わないことを見て、独立後の日本安全は本土へのアメリカ軍の駐留によって確保したい考えていました。最初の政府の頭越しに出されたメッセージは1947年9月19日の「沖縄メッセージ」でした。1979年アメリカの公文書から発見された、寺埼秀成が口頭で伝えた政策提案でした。「アメリカが沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望している」、さらに天皇は50年、あるいはそれ以上の長期リースの形でもいいと言っていることを伝えました。天皇と日本の支配層は、沖縄は日本に主権を残したままの長期リースというフィクションに基づくべきだと考えていました。米軍は沖縄諸島を国連の信託統治戦略地区にして事実上の米軍の支配下に置くことでした。これに対して国務省は1946年6月に、国際世論を考慮して軍の方針は疑義を招くとして、沖縄を非軍事化し(米軍が撤退し)日本に返還することでした。こうした中に出された天皇の沖縄メッセージはマッカーサーの立場を補強するものとなり、軍部の方針に決定されました。もう一つの天皇のメッセージは1950年6月26日、昭和天皇から来日中のダレスに送られたもので、側近松平康昌が口頭で伝えました。この内容は米政府の公式文書となり、公文書公開で発見されました。この口頭メッセ―jは政府だけでなくマッカーサーも飛び越え、直接ダレスに伝えられました。これは講和条約交渉中の吉田首相が「私は軍事基地は貸したくないと考えます」と発言したことに関連して、「吉田首相の方針は間違っている。米軍の基地継続使用問題も、日本側からの自発的申し出で解決され、あのような間違った吉田の議論を引き起こさずに済んだだろう」というものです。米国国務省は外国基地と憲法9条の問題は「日本の国土に米軍基地を設けることを日本側から働きかえる試みは、憲法問題を最も深刻な形で引き起すだろう」と懸念した。米国国務省が懸念したように、米軍の駐留を裏から働きかけたたことが、日本国憲法の権威を傷つけ、法治国家崩壊という現状をもたらした原因であることが明らかです。そして1951年の旧安保条約の前文には「日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国内およびその周辺にアメリカが軍隊を維持することを希望する」と書かれています。米軍駐留を日本側から、しかも昭和天皇が日本の支配層の総意として要請したという法治国家として致命的な誤りを犯した。すべての軍事力と交戦権の放棄した憲法9条第2項と、米軍の基地という矛盾を内包したまま、米軍が天皇制を守るという非常に歪んだ形で、戦後日本の国家権力構造が完成することになった。昭和天皇は後白河法皇を上回る「天下の大天狗」だったのです。この天狗に振り回されて日本は今も窮地をさまよっているのです。何よりも重要なのは、国内に外国軍基地を置かないこと、つまり米軍を撤退させることを必ず憲法に明記し、過去の日米密約をすべて反故にすることです。自衛隊は有事の際米軍の指揮下に入ることが密約で合意されています。そのための指揮系統の整備が日米委員会で協議され、1952年7月口頭で統一指揮権を了承しました。これでは日本は米国の一つの州になったということです。2014年7月安倍内閣が「集団的自衛権の行使容認」をし、翌年安保法制整備をしたことはその密約の現実化なのです。



読書ノート・文芸散歩に戻る  ホームに戻る
inserted by FC2 system