160215

金子勝・児玉龍彦著 「日本病ー長期衰退のダイナミクス」 
岩波新書(2016年1月)

失われた20年のデフレ対処法の失敗は、アベノミクスのブラセボ経済策によって「長期衰退期」を迎えた

経済学者金子勝氏と医学者児玉龍彦氏の共著になる経済システム論は、金子勝・児玉龍彦著 「逆システム―市場と生命の仕組みを解き明かす」〈岩波新書 2004年1月)を前編とすると、12年後に出された本書はその後編である。方法論が同じであるからだ。その方法論とは前書から要約すると次のようになる。生命研究の逆システム学とは、簡単に言えばDNAチップによる発言遺伝子のリンケージ解析のことである。ある機能を持つたんぱく質を精製して配列と構造を明らかにして、次の遺伝子配列を決定する研究の流れが現在のパラダイムである。最近発達してきたDNAチップにより、ある状態の(ガンや投薬による)m-RNA遺伝子の発現パターンをリンケージ解析することで、どんな遺伝子たちが共役しているかがわかる。これが単一の遺伝子による状態規定ではなく、複数の遺伝子群(多重調節機構)の働きによる状態規定(病因究明)のことである。これを経済学では「多重フィードバック」を「制度の束とよぶ調節機構」と改訳することでかなり共通の方法論を持つことが出来そうだというのが両氏の主張である。市場や生命という複雑系のシステムは外から見ているだけでは内部の動きは理解できない。まして時間軸で予測・検証することは難しい。1980年代、いまの中国のように「世界の工場」と呼ばれた日本経済は、土地バブルとそのショックの中で変質し、産業の競争力と科学技術が衰えた。国家財政は1000兆円を超える累積赤字で、日銀が「異次元の金融緩和」で326兆円の国債(2015年12月)を抱え込んだ。それでもメディアは騒がなかった。株価など調子のいいデーターだけが横行し、誰も真剣に財政赤字や金融危機について向き合おうとしなかった。前書「逆システム」で、複雑なシステムは多重のフィードバックを作動させることで維持できることを示した。バブルとショックの周期で成り立っている金融資本主義システムがもたらす未来を予測し、その対応策を考えるために本書が著された。ダイナミックに動くシステムの予測のために、18世紀トーマス・ベイズによって開発された、人間の経験を事前情報として、そこにデータを加えてより良い事後予測を生み出す統計法が生まれた。現在コンピューターの援用によって、新たな予測として注目されてきている。ベイズ予測を深化させ、人間の認知・認識を客観化し、より精緻な事前モデルを作り、バイアスを与えないでデーター推論サイクを繰り返し、新たな予測モデルを出すことが大切である。経済・政治・科学の単独では抜け出せない「日本病」を分析し、突破口を模索してゆく事が本書の目的である。時には科学は客観性や真理の名の下に、たくさんの誤った考え方を押し付けてきた。こうした科学にに対する当事者主権の立場に立つ科学者の真摯な努力がそれを克服してきたことも事実だ。例えば経済学における均衡論的世界観は神の手を借りなければ不可能で、政策に用いるにはむしろ悪影響を与えている。時系列の病理学的アプローチが必要なのに、経済学にはそれがない。生命科学でいうと「エピゲノム」という新たな制御機系が存在することが明らかになり、ヒトゲノム解読は、たんぱく質をコードする配列は全遺伝子配列の2%に過ぎず、98%のゲノムは不明か、「ジャンクDNA」扱いされてきた。この「ジャンクDNA」が体の様々な調節制御を行っていたのだ。一つの遺伝子が必要な時に発現するには、複数個の遺伝子が同時に働くことが必要なことは、ガン発生や、分化の解析で明らかになった。政策学でも「政策バッテリー」という複数の政策の束が必要であった。小泉構造改革は自己責任という言葉に象徴されるように、方法論的個人主義に基づく市場原理主義が跋扈していた時代であった。この時代遅れのアプローチが日本経済と社会の衰退をもたらしていることを明らかにしたのが、前書「逆システム」の命題であった。市場は制度の束からできており、それが社会の進歩を支えているにも関わらず、規制緩和という制度の引きはがしを行い、日本の産業の国際競争力を失わせ、大きな格差と貧困を生み出し、地域経済の衰退を進行させた。全書「逆システム学」が経済という流体を横の断面で見る枠組みであった。つまり要素のつながり相関を見た。2004年から12年間、日本製品の国際競争力と技術が一掃衰退する中で、大手企業はひたすら内部留保をため込むために、財政金融政策m労働市場も地域経済もあらゆるものが犠牲になった。日銀のファイナンスでごまかしているうちに、日本はどんどん体力を衰弱させ、さらの戦争体制づくりに活路を見出そうとしている。安倍政権によってメディアの衰退も加速しており、政権内はちょっとおつむの足りない右翼一色になり、良識派、中道派、議会民主派は片隅に追いやられた。こうした悪性化の症状を「日本病」と名付ける。本書は、その長期衰退のダイナミズムを解明するために、ベイズ主義の考え方を取り入れ、経済体と生命体を周期性を持つ動態的現象とみた。そして歪の無いデーターによるモデルづくりを志した。前書が静態的分析だとすれば、本書は動態的分析からの予測の枠組みである。そして本書の目的はやはり経済・社会学であるので、生命論的手法は名前で示すにとどめ、実質的内容には言及しないでおく。その方がアナロジー相関を追検証しなくて済むから分かりやすい。

1) 「日本病」と予測の科学

前著(2004年刊行)は、小泉政権「構造改革」の背景にある新自由主義の基底にある方法論的個人主義を批判し、多重な調節制御の仕組みあるいは多重フィードバックから経済はできていることを示したものである。そして規制緩和というドグマでこの制御系の束をはがすとどうなるかを明らかにした。前著は時間概念の無い均衡論モデルを批判したものの、静態論の批判にとどまっていた。あれから12年が経ったが、2012年から始まるアベノミクスに見られるように、日本経済は長期停滞から長期衰退へと変化した。それはインフレターゲット論という予測(期待)の操作を最大の特徴としていた。インフレターゲット論とは、日銀が物価上昇率目標を掲げ、金融緩和で貨幣供給量を増やせば、人々がインフレ期待を抱き消費を増やして経済は良くなるという考えである。マネタリズムともいう。はたしてこの政策はうまくゆくのだろうか。制御のメカニズムが重なった市場では、経済政策は思わぬ副作用を起して頓挫することがある。市場経済政策は病気の治療に似て、多重の制御下において周期的な動きをしながら変わってゆくのである。ダイナミクスとは複雑なシステムが変わってゆく様子を予測する方法である。長期衰退はアベノミクスが直接の源因というより、失われた20年の間に実施してきた政策の失敗の上塗りが遠因であり、かつアベノミクスはその規模を大きくしたことによる。誰も1990年代初期のバブル崩壊の責任を取らず、不良債権を国家財政に付け替えただけで、失敗した政策が繰り返された。長期衰退の兆候はいたるところに見られる。国内総生産の停滞と、円安によるドル建てGDPの急速な減少、産業の国際競争力の低下と日本製品のシェアー率の低下、雇用の非正規化と年金など社会保険の破綻の見通し、、ブラック企業による過酷な労働の横行、格差と貧困の拡大、少子高齢化と人口減少による地域衰退等々である。日本ではバブル崩壊柄25年経過したが、経済成長はストップし長期の停滞が続いた。その経過は経済政策の失敗だけでなく、構造と科学技術の衰退からもたらされた。特に先端産業における停滞が日本経済の衰退の原因だることは明らかである。半導体、コンピューター、画像デバイスなど電子産業での衰退が著しい。反面原発や新幹線などの半公共事業に頼る社会インフラの輸出が強調される。小泉内閣が掲げた公共事業削減が、第2次安倍内閣では全く正反対の「国土強靭化法」という名の公共事業策に何の反省もなく移ってしまった。産業構造の転換に遅れた旧来型産業ん経営者が経済化の中枢を占めて、出口を失った企業が泥沼に陥っている。例えば東芝はアメリカのGEの原発部門を高値で買い取り、かつ不良債権化する原発の損出を隠したことが不正会計事件の原因であった。さらの安倍政権は歴代政府の武器輸出禁止三原則を破り、武器輸出を国策として促進している。そのための貿易保険を適用し、損失が出れば税金で補填するという。集団的自衛権の行使容認で世界中のアメリカの戦争に参加し、日本製の武器輸出を図るということである。結局政府の産業政策は国内市場を作ることができず、競争力を失った既存大企業をンフラ輸出や損出補てん策で救済し、中国や韓国との競合領域で争う状況になっている。旧態依然たる日本企業は、情報通信産業の急激な進歩についていけないという悪循環に陥っている。小泉政権以来の規制緩和が制御系を解体することで経済成長を目指そうとすることが、制御系の機能不全から逆に長期停滞を生み出した。失敗の経済政策の責任者が、安倍政権の下で従来戦略を異常なまでに膨らませ、偽期待感効果を総動員している。偽薬だったつもりの金融緩和拡大(大量の国債引き受けとゼロ金利、マイナス金利)と官制相場(年金基金の株投資投入)が、どこまもやめられない麻薬となり、天文学的財政債務が日本経済を蝕んでいる。国債を保有する日銀がどこまでも持ちこたえられるか、出口のないまま株価暴落で止めを刺されるのか、いけるところまで行く政策と化している。

複雑なものが、病気になった時、ある特徴的なメカニズムがある。適切でない対処が繰り返されると、それに対する抵抗性(耐性)が生まれ、その結果より深刻な状況に陥ることである。これを遺伝子学的には「エピゲノム」という。「エピ」とは「後」という接頭語である。治療によおてゲノム変化が、病態を大きく変えることである。アベノミクスは今までのバブルを生みだしてきた経済政策とは違うがゆえに、長期停滞を長期衰退に変化させる。バブル崩壊の不良債権は国債に付け替えられ、やがて民間金融機関による国債吸収の限界に突き当たり、アベノミクスの異次元の金融緩和でその限界を超え、日銀による国債購入(財政ファイナンス)と官制株式相場を拡大させるように突き進んだ。さらにアベノミクスでは金融緩和を麻薬として使い(量的拡大をし続ける)、大企業の内部留保が300兆円をこえる異常な企業防衛策となった。企業は銀行から金を借りる必要はなくなった。すると銀行と証券会社の区別が無くなった。これがグローバル金融資本主義の誕生である。インフレターゲット論では、不況の原因は「デフレマインド」にあるとされ、「インフレ期待」が生じると物価が上昇して成長がもたらされるという「予測(期待)」の操作可能性が論拠となっている。過去に取られた対米依存政策も「日米協議」をさらに進化させ、アメリカのグローバル資本に「日本を売り渡す」政策になっている。TTP(環太平洋経済連携協定)を強行し、日本の保有する株式の32%は外資系となり、多くの上場企業の約40%が外資系企業となった。その株式相場を日銀が買い支え、外資系金融機関が日本の優良企業を買いあさる構図は、富の流出となった。その一方で市場としての魅力がない日本への直接投資は増えず、日本企業の直接投資は国内ではなく外国で行われている。これを集大成するのがTPPである。日本の農業衰退は加速され、アベノミクスが推進する労働法制の規制緩和は雇用を不安定化させる。格差ますます拡大し貧困化を進め、デフレと国内市場の衰退をもたらす悪循環となった。自動車産業を除いて有望な輸出産業がない日本では、アベノミクスの金融緩和による円安政策は、今や恒常的な貿易赤字国に転落した。対米従属政策の裏がえしとしての、近隣諸国との緊張政策は政治的には「歴史修正主義」となってあらわれ、近隣諸国では「日本帝国主義の復活」と警戒されている。日銀の異常な金融緩和に用意されている出口は、戦争かハイパーインフレといった破局への入り口以外ないような様相である。皮肉はことだが、金融市場のショックを引き起こした原因の多くは、統計的手法による金融工学の失敗からもたらされた。97年のアジア金融危機、98年のロシアのデフォルト危機で大手ヘッジファンドLTCMは破産し、欧米の大手金融機関に巨額の損失を与えた。2008年のリーマンショックは、こうした債権リスクを回避するために作られたCDO(債務担保証券)などの金融工学商品が焦げ付いたために起きた。債権リスクを回避するためがリスクを隠すために利用され、債券の内容が不明瞭になったサブプライムローンの紛れ込みのために、リーマン証券は64兆円という市場最大の経営破たんとなった。証券保有量は少なかったはずの日本の実体経済が大幅な景気後退にのみ込まれた。対岸の火事の飛び火で日本が大きなダメージを受けるという経済の連関性は一筋縄の理屈では説明できないほど複雑性を持っている証拠である。影の銀行システムと言われるヘッジファンド取引に起因している。データに基づくはずの予測の科学が、どうしてこんなに破滅的な結果をもたらすのだろうか。予測の科学は18世紀イギリスで生まれた。トーマス・ベイズによって提唱された推計は、経験的に得られた事前予測に、データーを加えて、新しい予測を行いより正確な事後予測が得られるという。「ベイズの推計」は、今日の統計学の主流派でありロナルド・フィッシャーらの統計学と大きく異なる。確率は情報が増えると変わる。つまり確率も変数である。ダイナミクスの予測としてはベイズ推計とモンテカルロ法は非常に有効である。フィッシャー統計は確率は変わらないものとし受け入れられている。ベイズ推計とは、ベイズ確率の考え方に基づき、観測事象(観測された事実)から、推定したい事柄(それの起因である原因事象)を、確率的な意味で推論することを指す。ベイズの定理が基本的な方法論として用いられ、名前の由来となっている。統計学に応用されてベイズ統計学の代表的な方法となっている。ベイズ推定の具体例として、@どちらのボウルにクッキーがあるか?(0.5→0.6に修正)、A臨床検査における偽陽性(0.001→0.019に修正)、B法廷、C潜水艦沈没事故、Dモンティ・ホール問題(1/3→2/3に修正)がある。本書の18−19ページにはDモンティ・ホール問題が取り上げられ、確率は情報が増えると確度(尤度)が増すことを説明する。軍事目的のベイズ推計の例として、アラン・チューリングによるドイツ暗号「エニグマ」の解明が有名である。この方法に恐怖したイギリスのチャーチル首相はこれを軍事秘密として封印し、チューリングを死に追い込んだ。しかし米コンピュータ学会は1966年チューリング賞を設け名誉を回復した。このチューリングマシンは情報技術とインターネットの進歩によってデータを大量に集めることが可能となり、スーパコンピューターを使って大規模な予測技術と変身した。データーによる予測の科学がどう使うと正確さを高め、どう使うととんでもない結果をもたらすかは重大な岐路である。長期停滞の中で「インフレターゲット論」、「マネタリズム」など恣意的な予測(アベノミクス)が頻繁に使われだすと、デフレ対処法はさらに混乱し、原発再稼働や輸出、法人税減税、雇用制度解体による流動化、貧困化と格差拡大、特定秘密保護法から安全保障関連法、TPPと政策はエスカレートしていった。それだけでなくリーマンショック後も米国を始め世界各国は金融緩和と超低金利を繰り返し、次のバブルを用意している。グローバル金融資本はバブルからバブルを渡り歩く危険な存在となった。

2) 「日本病」の症状―アベノミクスの失敗

データに基づくとされる金融工学はなぜリーマンショックのような異常事態を引き起こすのだろうか。それはいうまでもなく用いたデーター間違っているか、計算のアルゴリズム(考え方、方程式)が間違っているかのどちらかだ。あらかじめ恣意的な特定のモデルに従ってデーター処理を行うと都合の悪いデーターは排除される。これが一番起り易い間違いである。だから情報の公開と民主主義的議論が不可欠である。今最大のメデァのタブーの一つがアベノミクスの失敗である。アベノミクスは物価上昇率や経済成長率の目標値を大きく下回っているにもかかわらず、株価(官製誘導相場)や有効求人率(非正規雇用求人)といった都合のいいデータだけを宣伝する。その一方では特定機密保護法を制定し、メディアに圧力を加えアベノミクス批判はタブーとなっている。メディアには政府の非に抵抗する矜持もなくなっている。TPPの交渉内容も秘密で公開されない。これでは国会での議論さえも不可能である。電子顕微鏡でたんぱく質の画像(2次元)から立体構造(3次元)を推測する画像処理において、自分の結論に合うモデルを採用すると結果は似て非なるものになることをリチャードヘンダーソンは指摘した。元の形を推測するための情報が足りないことを「不良設定問題」と呼ぶ。X線回折法に代わり、凍結したたんぱく質を電子顕微鏡でたくさんのイメージ画像をとり、ベイズ推計で元の構造を予測する方法がある。その時あるモデルはあるデーターをフィルターする。ビッグデーターを扱うときには、データーがおかしなフィルターを受けていないかどうか検証する必要がある。ヘンダーソンはサンプルの品質とノイズを減らす努力が予測の制度を上げると主張する。アベノミクスの最大の特徴は第1の矢である異次元の金融緩和にある。2012年黒田日銀総裁は国債などを購入することでベースマネーを138兆円から270兆円に倍増し、2年後に消費物価上昇率2%と名目経済成長率3%以上(実質経済成長率 3−2=1%)を実現するという目標を立てた。1960年代初めの池田首相による所得倍増計画と同じ分かりやすい目標で、メディアはこれを絶賛してこの2年間紙上はこの期待でいっぱいであった。だが2014年の消費者物価上昇率は2.8%で消費税増税分を引くと0.8%の上昇に過ぎなかった。消費者物価上昇率は円安による輸入物価の影響を受けやすい食料とエネルギーを除くと2.2%で消費税増税分を引くと0.2%に過ぎなかった。こうしてみると物価上昇のほとんどは消費税増税と円安による輸入物価の上昇分であった。また2014年度の実質経済成長率はマイナス0.9%になった。2015年前半の実質経済成長率は0%程度にとどまっている。金融緩和はさらに80兆円を追加している。2015年の物価目標は漸次下方修正され0.1%、2016年は1.4%に修正された。それでも2015年の物価上昇率はゼロからマイナス0.1%で推移している。これが民主党政権であったならメディアは袋叩きするであろうが、メディアは批判しない。実質経済成長率はマイナスなのに大手企業は法人税減税を受けて史上最高益を上げている。大手企業ばかりが儲けてもいわゆる「トリクルダウン」はおきていない。インフレターゲット論は物価上昇期待から消費が増えるというものであるが、消費が増えるどころか消費者は警戒観を持ち消費市場は縮小しつつある。

日銀は好景気観を株価で演出するため、ETEを購入し、年金積立金管理運用GPIFと3つの共済年金資金をリスクの高い株購入に投入する操作が繰り返された(官製株価操作)。GPIFの国内株式運用比率は2014年6月で20%に、2015年6月には23%になった。年金基金運用を国債投資から株式投資の比重を挙げている。経営者は株価上昇を歓迎し買収から遁れることを望む。金融資本主義はバブル循環に変質しているので、株価上昇は景気上昇の期待を抱かせる。政権にとって株価上昇が自己目的化するようになった。アベノミクスの失敗が年金や日銀による膨大な資金投入を招き、株式市場は国家信用に依存した「官製相場」になっている。アベノミクスの失敗の連鎖は、膨大な金融緩和政策によって円安になると、外国人投資家にとって日本株は下落したことになり、買収しやすくなる。だから株操作によって株価維持を図らなければならない。もしアメリカがゼロ金利政策離脱をはかるなら円安および新興国の軽罪減速となる。ますますアベノミクスは異次元金融緩和を止めることはできなくなる。偽薬が麻薬に変わる瞬間である。安倍政権は、自らの政治的目的(戦前体制への復古)のために、国民の財産である年金を利用し、リスクの高い株式に投入する愚策を延々とやっているのである。「官製相場」によって実体経済がよくなるわけではないので、株式相場の値幅調整機能は働かなくなっている。中国経済の停滞や欧州危機の外来ショックに対する耐性はないので、2016年2月より株価暴落が始まった。この官製相場に支えられて外資系の金融機関や外国人投資家の比率が高まった。外国人投資家にとって円安は株価下落と同じことである。これに米国のゼロ金利解除でさらに円安は進行するので、日銀は年金を投入してまで株価維持を図らなければならない。2014年には外国人株主の株保有率は31%、売買に占める外国人のシェアーは60%を超えた。外国人の株保有率が三分の一を超えた企業を「外資系企業」と呼ぶなら、名だたる大企業はほとんど外資系企業になった。外国人株主が40%を超えた企業をあげると、三井住友FG,りそな、第一生命、東京海上日動、損保ジャパン、三井建設、三井不動産、三菱地所、日産自動車、スズキ、コマツ、日立製作所、ソニー、ファナック、栗田工業、オムロン、住友重機、村田製作所、任天堂、コニカミノルタ、中外製薬、アステラス製薬。オリックス、セコムなどが外資系企業である。アベノミクスの「日本を取り戻す」のスローガンは「日本を売り飛ばす」政策なのであった。長期衰退のメカニズムとは金融資本主義での企業行動の変化が大きい。景気循環を「バブル循環」に変え、企業自体も売買の対象とするようになった。こうした仕組みを「グローバリーゼーション」の下で受け入れてきた。国際会計基準やBIS規制(バーゼル規制)が国際ルールとなった。国際会計基準ではバランスシートではなくフリーキャッシュフローが重要視されるので、持ち株会社方式が普及し、株主配当重視の短期利益優先の米国型経営となった。このため企業は内部留保を積み立て、デフレ期には国内市場の設備投資はしない。2014年の内部留保(利益剰余金)は354兆円に増加した。企業は純利益の40%を株主還元をしている。自己利益率ROEが追求される結果、Tんぎん総額は抑制され労働分配率も低下し続けた。2015年6月までの実質賃金指数は26か月連続マイナスとなった。実質賃金の低下は確実に家計消費の現象をもたらす。2010年を100とすると2014年にはどちらも96%に低下している。異次元金融緩和による物価上昇効果で起きているのは消費税増税の影響と円安にともなう輸入物価の上昇分だけである。国内市場がやせ細ってゆく状況では、大手企業は国内に投資せずに、いまや企業買収M&Aや外国投資で稼ぐようになった。輸入原材料に依存し国内市場を相手にする中小企業は経営を圧迫されている。円安による貿易収支の悪化は2012年を境に急激に赤字幅を増やした。かっての半導体、スパコン、液晶パネ、テレビ、携帯音楽プレーヤ、太陽光パネ?等で日本製品は競争力を落とした。そして「選択と集中」の名のもとに不採算部門の切り捨て、新興国への移転、技術者の海外流出を招き、日本の電機産業の吹田の一因となった。

最後にアベノミクスの化けの皮が剥げていることを指弾した、服部茂幸著 「アベノミクスの終焉」(岩波新書2014年8月)を紹介する。アベノミクスの早々とした萎縮に疑問を呈し、検証作業をおこなったのが服部茂幸氏の本書である。客観的に評価するのはまだ早いというのではなく、こんなまずい政策は早急にやめるべきというのだ。これは経済学上の立場の違いからくる。筆者はアベノミクスが始まる前からその批判者であった。筆者はポスト・ケインジアン派(ジョーン・ロビンソン、ミハウ・カレツキが代表格で、ヨーロッパに多く存在しアメリカでは非主流である)に共感するようである。服部茂幸著 「新自由主義の帰結」(岩波新書 2013年5月 )において、服部氏は新自由主義のもたらす金融危機は実体経済を破壊するという。アベノミクス1年半の成果を検証 して、4つのアベノミクスの失敗を挙げている。
@ マネタリーベースの増加はリフレ派が考える経済成長の手段であって、目標ではない。日本経済がマネタリーベースの数値に比例するわけでは決してない。マネタリーベースはいわば虚数であって実数とはなりえない。マネタリーベース量と経済成長率の理論関係が何もないからである。景気づけの花火と言いってもよい。そのために失うものが莫大であることを日銀は知って知らぬふりをしている。安倍氏が無制限金融緩和を主張してから株価と円安が急進行した。2013年上半期の経済成長率は4%を超えた。金融緩和が実施されたのは4月であり、効果が出るとしたら数か月後のことである。従って13年上半期の経済成長率の増加は異次元金融緩和とは全く関係のない事象である。株価と円ドルレートのチャートを見ると、2012年10月から2013年5月の株価大暴落までの期間は直線的に両者は上昇した。しかし5月23日を期にして2014年5月までの1年間は両者はほとんど停滞している、株価(日経平均)14000円、円ドルレートは100円/ドルであった。5月23日の株価大暴落は日銀の長期国債の大量買い付けが国債価格を不安定にしたためである。これを期に株価も円ドルレートも全く動かなくなった。これがアベノミクスの第1の失敗である。
A 初期の段階で円安と株価上昇はなぜ起こったかというと、政策の効果では全くあり得ない。人々の期待に乗った投資家たちの「偽薬効果」である。円安の狙いは輸出を拡大させることであった。日本の経常収支黒字は1997−2010年の間10兆円を超えていた。円安で輸出産業が拡大するというのは必ずしも当たらない。ところがリーマンショック後伸び悩む輸出に比べて輸入は堅実に増加の一途をたどっている。円安の不利な条件下でも輸入は増え続けている。これは原発停止によるエネルギー価格高騰の為というのは言いがかりみたいなもので、大震災にもかかわらず輸入は増加し続けているのである。経済構造の大きな変化が背景にあるようで、電子家電の不振に象徴される製造大国日本の地盤が大きく浸食されているのが原因であろう。2011年3月の大震災を期に日本は貿易赤字(貿易収支マイナス)になり、経常収支(投資、金利収入などを含む全収支)も2013年末には赤字となった。日銀の金融大緩和が始まると皮肉にも経常収支が悪化した。これは金融政策ではどうしようもない産業構造の沈下こそが大問題なのである。アベノミクスの第2の失敗は輸出拡大による経済復活に失敗したことである。
B アベノミクスが始まっても実質賃金は変化がないか減少している。実質賃金と可処分所得、実質消費の3者は基本的に同内容であるためほぼ連動して変化するものである。実質消費は物価値上げや消費税増税を受けて上昇し、2013年下半期の消費の増加が急激であった。賃金や可処分所得が増加しないで、消費額が見かけ上上昇するとどうなるかは、生活の圧迫以外の何物でもない。貯蓄の取り崩しから始まって次第に生活レベルの低下となり、消費の減少すなわち需要の減少となることは説明を待たない。2014年の春闘では2%程度もベースアップをする企業もあったというが、厚生省の2014年4月の所定内給与は0.2%低下したという。実質賃金は3%も低下した。勤労者家計の消費の減少は名目で3%、実質で7%だという。内閣府の消費者動向調査では13年度末より各指標は急速に悪化している。アベノミクスの第3の失敗は、賃金が低下し、消費が落ち込んだことである。
C 2014年4月の消費税増税を前に耐久財消費、民間住宅消費、政府支出を合わせるとGDP の4割を占める。駆け込み時需要の反動で2014年度第1四半期の経済成長率はマイナスとなり、第2四半期になっても回復していないという。景気の底だった2009年から計算するとアベノミクスまでに日本経済は7%成長した。2013年前半にはさらに2%成長した。ここまではアベノミクス効果とは関係ない日本経済の回復期の効果である。異次元緩和が始まってから経済成長率は低迷した。低迷する経済はアベノミクスの異次元緩和の第4のそして最大の失敗である。

3) 対症療法の効かない日本経済―バブルとショックの悪性化

1990年代のバブル崩壊後、経済政策は、規制緩和中心の「構造改革」路線と、財政金融政策による景気対策の間を揺れ続け、次第にスケ−ルをエスカレートさせてきた。金融自由化とグローバリズムがもたらしたものは「バブル循環」であった。バブル崩壊がもたらすリスクを回避すると称する金融イノベ―ションが開発され、次のバブルを用意する。企業と官僚は責任を回避するために当面の景気を持たせる対策を取り続けるが、本質的原因(厳格な債権査定と経営責任)は隠蔽したままであるため、かえって対症療法は経済停滞を長引かせ、そしてますます政策手段はエスカレートさせるだけであった。大手企業は株主優先の短期的利益追求によって、不良採算部門の整理統合、事業のリストラ、国際会計基準の導入と相まって内部留保をため込み配当を増やし、株価上昇を期待する。その一方技術開発、人材養成、設備投資を怠ることになった。金と時間のかかるものは敬遠し、現在の経営資源の切り売りで経営体質を脆弱にし蝕んでゆくのである。「アベノミクスの3本の矢」とは、金融緩和、財政出動、規制緩和と旧来の手法の焼き直しに過ぎない。だがそこには出口はなく、長期衰退への入り口が待っていた。つまり日本病を生み出した重要な要因は、不良債権を処理せず、当面の景気対策として財政金融政策という薬を投与し続けて、それも効かないとなると、よりスケールを拡大し(異次元の・・といっても本質的に何も変わらない)、ついには体力(実態経済)を衰弱させるプロセスに入っていくのである。これは抗生物質と耐性菌のイタチごっこである。強い薬ほど体を痛めつけるように、体力のなくなった日本経済には、中国バブル崩壊、欧州経済の停滞、米国のゼロ金利離脱による新興国経済の悪化といった外的ショックに耐えられない。資本主義経済が周期性をもって変化してゆくプロセスでは、間違った予測に基づく介入の結果が次のサイクルの原因となり、間違いが増幅される。日本病は土地バブルの不良債権処理の失敗に始まった。不正会計と経営責任を問わないま公的資金注入を行い、財政金融政策と構造改革が繰り返され、100兆円に及ぶ不良債権が公的債務に付け替えられた。国の借金は21015年6月でおよそ1057兆円に達した。これだけの借金を平時に返金した例はない。戦争かハイパーインフレに頼りたくなるのは第2次世界大戦の前であった。国内貯蓄が1400兆円あるので、国内暴落はおきないとされてきたが、日銀が財政赤字を拡大するとそのリスクは確実に高まってゆく。異次元の金融緩和策は出口のない行き着くところまで行く政策である。日銀が量的金融緩和を行っても、銀行から先に金は流れていない。銀行の当座預金勘定が増加している。2015年10月で銀行全体でおよそ246兆円の当座預金勘定が積みあがっている。2015年の銀行預金残高は656兆円に対して、貸付金は454兆円にとどまっている。国内市場が停滞しているために銀行信用が拡大しないのである。銀行経営もまた官製相場に依存しており、収益を上げるには海外しかない状況である。日銀の2015年の買い入れ額は年間110兆円で、2015年国債発行額計画126兆円の90%近くを買い入れている。こうして日銀の国債保有残高は326兆円を超えた。近いうちに日銀が国債の最大保有者になるだろう。もしアベノミクスが物価上昇率を押し上げてゆくならば、金利が上昇し、日銀が天文学的な評価損出を被るリスクを負う。つまりアベノミクスはもし成功したとたんに破綻する矛盾を抱えている。実質マイナス金利の状況でしか成り立たない日銀の金融緩和政策なのである。何らかの不測の事態で物価上昇が起き、国債価格の下落と金利の上昇が起きそうになると、日銀は国債を大量に買い入れる金融緩和策を止められなくなる。アベノミクスは出口のない政策なのである。赤字財政を削減するために、社会保障費の自然増を抑制するならば、労働法制の改悪とあいまって格差と貧困を一層深刻にし、国内市場を縮小させ経済再生が遠のくだけである。「グローバル資本に国境はない、国内市場がだめなら外国で稼ぐだけだ」というなら何をかいわんや、絆は断たれ日本社会は崩壊する。インフレターゲット論や原発安全神話は、「主観的な事前予測」と言い換え自分の都合のいい結論を最初のモデルとし、都合のいいデーターのみで議論する成功シナリオしか描かない。インフレターゲット論は日銀が供給するマネーの多くが当座預金勘定に積みあがったままでは、実体経済に何の効果もないので、官製株バブルは日銀と年金基金が価格暴落のリスクを負うのである。都合の悪い情報にはメディアに圧力を加えて抹殺することは、日本経済を死に至らしめる大きな危険を秘めている。2016年2月高市総務相と安倍首相はテレビ放送局の電波停止権を振りかざして、「公正」を判断基準として政府に非協力的な言動を抑え大政翼賛会的な放送局にしようと画策した。これは自分自身の死を早めることである。「非国民」という死語がゾンビのように復活するのだろうか。

4) 「主流派」経済説と実感のずれー金融資本主義と実体経済・社会

アベノミクスは、当初「株価上昇」、「史上最高の企業好決算」、「有効求人倍率の上昇」など政権にとって都合のいい経済指標だけが繰り返し報道され、そして安倍内閣の支持率が不支持率を上回ってきた。メディア報道が安倍政権を支えてきたのである。トリクルダウンという言説は富は上から下へ流れるということで、サプライヤ〈企業〉重視政策であって、社会福祉政策を取らないということの裏返しであった。米国型の金持ちのお恵みで貧乏人救済を行うことである。この言説は一般庶民の生活実感と大きくかい離している。世だから政府統計はいつも違和感をもたらす。2015年の失業率は3.1%で、有効求人倍率は1.24とされるが、新規雇用のほとんどが非正規雇用である。実質賃金上昇率は26か月連続マイナスであった。政府統計や報道内容に違和感を感じる時、「予測のずれ」の原因を考える必要がある。安倍政権はまず、黒田日銀総裁人事と籾井NHK会長人事に介入した。中央銀行と国営放送を同時に独善的な内閣の支配下に置くやり方は、後進国の開発独裁政権や軍事政権のやり方に近い。NHKは公共放送というより政権主流派の利益代弁の機関と化してしまった。情報公開と民主主義的政策論議が消えてしまうことに、アベノミクスによって長期停滞から長期衰退の日本病になってゆく大きな原因が潜んでいる。この3年間、アベノミクスが掲げた目標値から遠ざかってゆく姿や失敗の原因追求はついに報道されず、アベノミクス報道は国民の経済期待を煽るだけで、実際の生活は困難になるという「予測のずれ」に直面した。ここでアベノミクスによる生活の実情を検証しよう。まずは働き方の崩壊である。各種世論調査では「景気回復の実感はない」が圧倒的に多い。この間の経済政策の連鎖は、次第に人間の生活基盤と社会の存立基盤を奪ってゆくようになった。若い人の非正規雇用は40%を超え、それが格差や貧困問題をもたらした。派遣制度の無原則的適用拡大によって、労働のあり方自体が壊れ、人間労働が商品化していつでも取り換え可能な存在に落とされ、若い世代は月収10−20万の収入では生活難から、結婚もできず子供を持つことは到底不可能となると、少子高齢化が加速されるという悪循環に陥る。このような生きずらさの実感は社会全体の問題として、まず年金や社会保障制度の問題を提起する。年金問題は少子高齢化(高齢者が多いことを原因とする)だけにあるのではなく、雇用や家族の解体が年金制度の基盤を掘り崩しているからである。若い世代のほとんどが非正規雇用であるため国民年金が空洞化しており年金制度の持続可能性を奪っている。国民年金の未納や滞納は3−4割になる。現実の年金制度は実質的に現役世代の保険料でまかぬ賦課方式であるためである。非正規雇用者は国民年金・国民健康保険に加入せざるを得ないので、企業は拠出金を負担しないですむ。それで企業はできるだけ非正規雇用者を増やそうとする動機となる。スキルが要求される職業領域が無くなりつつあり、その場の労働の切り売りで済まされる企業活動は、飲食店のアルバイト程度の労働の質に低下し、創造的労働(研究開発、企画部門、市場開発など)を積み上げないため企業活動が脆弱化し、その結果競争力が無くなるという悪循環になっている。もはや最低保障年金を伴う年金制度の一元化なしには、社会保障制度は持続不可能である。次の労働法制の改悪を見よう。非正規労働者に割合は全体で2014年には40%となり、15−24歳ではなんと50%を超えている。こういう状況でホワイトカラー・エグゼンプション(残業代ゼロ政策)や労働者派遣法改正(一般派遣の職場を変えれば無制限化)を行えば、状況は一層悪化する。派遣労働の固定化である。労働法の改正趣旨の見え見えのきれいごとの嘘はいつ聞いても唖然とする。悪いことをやろうとする奴ほど美しいウソを言うのである。労働市場には取り換え自由な日本版レイバープールが形成され、ブラック企業が横行した。非正規雇用のままだと年収200万円が精いっぱいである。これでは結婚も子供を作ることもできない。年収300万円を超えようとするとブラック企業が待ち構えて、命させ奪ってしまう。労働の非持続性(奴隷労働)は雇主にとっても利益にならないことを承知の上で、短期的な利益優先策を取るのである。企業はそこまで非情なのである。今や格差・貧困問題は労働の破壊にまで進んだ。

次にアベノミクスの社会保障制度の切り下げを見る。2014年4月に公布された「地域医療介護総合確保推進法」によって、一定の収入以上だと利用者負担の増加が進められる。また陽気五度3以上でないと施設入所が認められず、要支援以下の訪問介護は市町村に任せることになった。又病院のベッド数管理厳格化で、在宅医療や在宅看護に移すというものです。その上21015年の介護報酬改定では全体でまいなす2.27%の切り下げが行われた。介護報酬を引き下げながら(実態)、介護職員の報酬を上げる(建前)という政策は官僚の常套手段的矛盾である。社会保障制度が持続可能性を失いつつあることは誰しも気付いている。「社会保障と税の一体化」と言って2014年4月に消費税は5%から8%に引き上げられた。しかしこの3%分の増収はほとんどが財政再建に回され、1/5だけが社会福祉に回るのである。政治家の真っ赤なウソであることは分っていたはずなのに、民主党野田内閣に国民は手も無く騙されたのである。増税で内閣がつぶれることはしばしばあったし、選挙時には増税はタブーであった。その困難を民主党政権でやってもらい、安倍内閣をその恩恵を受けている。増税と裏表の関係で法人税減税と公共事業のためのに消費税増収分は消えた。名だたる大手企業で史上最高益を上げながら法人税をほとんど払っていない企業も存在する。アベノミクスは法人税減税と公共事業型の旧来型の財政構造に逆戻りをしている。アベノミクスで一部大企業だけが減税の恩恵を受けるという消費税増税方法は、財政支出と税負担の間にあるフィードバック関係を破壊した。税負担の普遍性モラルの崩壊である。安倍政権内ではもはや財政規律を云々する政治家も官僚もいなくなっていた。昔アメリカが風邪を引いたら日本は肺炎になるといわれた。現在は中国が風邪を引いたら日本は死ぬかもしれないほどの影響を受ける。さらに米国がゼロ金利政策片脱出すると、新興国からマネーが引き上げられ、新興国の軽罪の悪化は避けられない。だから財政金融政策という偽薬に頼らずに、確実な内需を作りだす政策が必要なのである。特に地域において新たな産業と雇用を生み出すことが望まれる。アベノミクスの第3の矢は経済成長すなわち新規産業の創出であったが、これまで何の手も打っていないというより無策なのである。2014年6月に「規制改革実施計画」が閣議決定された。残業代を支払わないホワイトカラー・エグゼンプションや保険外診療を大幅に認める混合診療などは小泉時代からの焼き直しに過ぎず、格差と地域疲弊をもたらすだけである。400にのぼる経済特区からは新たな産業が生まれた事例は何一つない。法人税減税で企業が新事業に乗り出すどころか、内部留保を増やすだけい終わっている。アベノミクスの第3の矢「成長戦略」は、ほとんど新味がなく、過去の失敗の検証もないままスローガンが繰り返されているだけである。第1次安倍内閣の時に打ち出された「原発ルネッサンス」の復活がある。日本の原子力産業は海外展開で巨額の損出(サウステキサス原発、ヴォーグル原発、サンオノフレ原発、ベトナム原発受注中断、台北第4原発)を抱え、東芝にとってはウエスティングハウスの原発部門買収は不良債権化している。3.11福島原発事故以降、発電コストが高くなり、コストの秘密が暴露され、世界の原子力産業はつぎつぎと原発から撤退している。フランスのアレバの倒産、ドイツのジーメンスの撤退、米国GEも原発から撤退した。安倍政権が原発受注を進めた結果、世界で不良債権化している原発の損失を日本の原発メーカーがかぶっている。その中で日本の原子力規制委員会は次々と原発再稼働を進めている。電力不足も原発低コスト論も全くの嘘であることはだれの目にも明らかである。こうしてアベノミクスの3本の矢は完全に失敗した。ひょっとすると安倍政権が狙っていたのはアベノミクスの経済政策ではなく、それは国民の目をそらす隠れ蓑であったかもしれない。安倍政権が最優先でやってきたことは、むしろ政治面における特定秘密保護法制定、集団的自衛権の行使容認の閣議決定、武器輸出3原則の見直し、安全保障関連法案成立、原発再稼働、TPP合意などであった様だ。だから安倍政権の経済政策だけを議論して検証しても、安倍首相は「息を吐くように嘘をつく」ことで暖簾に腕押しになる。2015年9月自民党総裁選無投票選出後の記者会見で、経済優先で一億総活躍社会を目指すと宣言し、「名目GDP600兆円」、「希望出生率1.8」、「介護離職ゼロ」という新3本の矢を打ち出した。これまでの政策の検証もなく、又きれいなウソを言っていた。最も笑えたのは「希望出生率1.8」である。これは希望なのか、実現可能性のないたわごとなのか、政策目標なのかさっぱりわからない。出生率目標を首相が言及したのは世界史上安倍だけである。

5) 21世紀日本経済の長期衰退傾向

2008年米国のサブプライムローン住宅バブル問題に端を発するリーマンショックでは、関わりの少なかった日本で最も深刻な実体経済の落ち込みを経験し、ギリシャなど欧州諸国の一部ではソブリンリスクという国家存立の危機を迎えかねない事態となった。国内経済のメカニズムとグローバル経済の変動がどこかでリンクしたのである。これを線形では理解できない「複雑系の制御システム」と呼ぶ。予測の操作と言われる金融工学手法の暴走を検討すると、今のグローバルな超低金利政策と異常な金融緩和策は、リーマンショックの解決策ではなく、異なった形での経済危機の繰り返しとその深刻化ではないかという可能性が浮かび上がってくる。アベノミクスの帰結を予測するには、戦争中を除いて例を見ない日銀の異常な金融緩和の本質的な危険性を直視なければならない。国家信用だけが頼りの金融緩和策は信頼の相互関係が崩れた瞬間に信用は縮小しショックを引き起す。本書はここで共著者の児玉龍彦氏による遺伝子発現制御機構としての「エピゲノム」の働きを説明する。個別遺伝子の制御よりは上位に存在し、全体のホメオタシス(生命維持や世代交代)よりは下位の中間的な制御システムである。詳細は省くが、「制御系の制御」であるエピゲノムは複数の条件が整って準安定的なスイッチが入る。複数の情報が支配されるとエピゲノムは固定化されやすくなる。制御系の制御が変化し、情報支配を通じて格差が固定化されると、情報とルールを支配する勝ち組と、ルールで支配される負け組に別れて固定化される。「日本病」は1980年代後半のバブル以降の大きなエピゲノムの変化から生まれた。膨大な不良債権を責任を問わないままに政府債務に変え(国民に支払わせる)て経済の制御系を制御する。ここでルールを変えたのである。それによってエピゲノム制御系が傷ついたのである。規制緩和というフィードバックの解体を唱える「小泉構造改革」によって社会の解体が進み、リーマンショックによってさらに制御系のルールがおかしくなった。リーマンショック以降世界中でゼロ金利と未曽有の量的金融緩和の事態の中で、「予測(期待)を操作する」アベノミクスになると、マネタリストの経済学者と経済官僚らはあらゆる手段を動員してその場しのぎの方策が繰り返された。こうしてエピゲノム病と言える「日本病」が日本全体を蝕んだ。経済制御系の制御の変化は直接的な生活からは把握しずらいので、経済情報をさらに隠すためにあらゆる手法、とくにメデァ統制が行われ、偏った情報しか流されなくなっている。エピゲノム病は外的因子への耐性が弱いため、ショックで傷つきやすい体質、すなわち衰退的傾向が顕著になる。アベノミクスの下で、日本はいよいよ長期衰退期に入った。それはいままでの失敗の年長だけではない本質的な衰退への道である。失われた20年の間日本のGDPはほとんど停滞していた。それは安倍政権になっても同じであるが、経済成長がないまま円安を演出したため、ドル建てで見た日本のGDPは充足に縮小した。2012年と21014年のGDPの変化を見ると、米国は7.8%増加、中国は24%増加、日本は22.5%減少となり、GDPの大きさは今や日本は中国の半分以下である。一人当たりのGDPは2014年度は世界の27位まで落ち込んだ。日本製品の国際競争力は電子家電・半導体・液晶パネルなどで急速に低下した。一方相対貧困率は2012年に16%に増加し、生活保護世帯数は2015年度に162万世帯、受給者数は216万人に増加した。子供の貧困率は21012年いは16%に増加し、6人に一人は貧困児童となった。母子世帯の貧困は顕著で、年収平均は180万円以下である。地域の衰退もひどい状況である。公立病院の破綻、工場の海外移転で雇用が減少し、少子高齢化と過疎化が同時に進行した。同時に地方の主張選挙や地方議会選挙で無投票当選の割合が高まった。首長選挙の無投票選挙率は2014年に17%に、都道府県議選挙では33.4%が無投票であった。無投票選挙の増加は地域の問題を民主主義的に解決する能力の低下を意味している。

長期衰退はなぜ生じたかというと、バブル崩壊と不良債権処理に失敗による信用収縮(クレジット・クランチ)が直接の原因である。その後の構造改革路線によって雇用の流動化(非正規雇用の増大)と賃金抑制が恒常化したことでデフレが定着した。新しい産業を創出するどころか、日本製品の国際競争力を失い(スペック上のガラパゴス的進化はあったが)、結局財政赤字で幻の需要を作っていたため、ひたすら金融緩和政策をエスカレートさせてゆくしか方策はなかったようだ。不良債権処理における銀行及び企業経営者による粉飾決算の責任を問わなかったという「モラルの崩壊」に最大の原因があった。企業の失敗(民間債務)は国民の税金(公的債務)に付け替え、さらに銀行は合併を繰り返して「大きくて潰せない」規模に肥満させた。こうして「日本病」は、バブル崩壊後の不良債権処理から福島第1原発事故まで、経営者も監督官僚も責任を取らないという、日本の国体の根幹にある権力者集団の「無責任体制」が為せることであった。グローバルレベルにおける国際通貨制度の変動相場制への移行と金融自由化は、財政政策(財政規律)よりも金融政策(キャシュフロー)を景気対策の基本とさせた。そして米日欧の中央銀行は政策金利をゼロとし、異常な金融緩和策を取るようになった。ドルと金とのリンクが無くなって以来、実体経済共結びつきを失い、通貨制度は「紙本位制」となった。論理的には貨幣は信用が失われない限り、中央銀行はいくらでも紙幣を印刷してもいいことになった。変動相場制と為替交換によって、相対的に自国の通貨価値が決まるという究極の全地球的資本主義となった。市場には中央銀行が印刷する。投機マネーが溢れ、金融資本主義はさまざまな金融デリバティブ商品を提供した末に2008年リーマンショックに行き着いた。企業そのものが売買の対象になるような金融資本主義の下で、量的金融緩和が繰り返されると、実は貨幣が国家の信用に支えられているというパラドックスが表面化した。金を銀行に預けると利子が生じ、銀行は預金を運用して、預金者と借入者の間を仲介するという通常の経済学から離れて、政策金利がゼロとなり、マネーがあふれだすと、金利というフィードバック機能もなくなって当然未来の先取りという虚のバブルが発生する。貨幣の信用の背後にある国家の信用を前提に、いけるところまで行くという政策は、資本による国家の独り占めという、妙なナショナリズムと結合する。それが新自由主義経済では自由市場と強い国家の結合となる。「市場に任せる」という新自由主義イデオロギーは、国家が人々の期待や意識をコントロールできるというパラドックスの上に立っている。日本経済が再生するためには、米国における情報通信産業などの先端産業からの遅れ、他方で従来型産業における中国・韓国など新興国の追い上げという挟みうちにあっている状況を客観的に把握しておかなければならない。日本では「信用」を先に拡大し、実体経済をけん引させて経済成長を図ろうとしたインフレターゲット論は完全な失敗に終わった。

6) 周期性のコントロールが消える時−制御不能のスパイラル

経済活動は通常景気循環という周期性を持つが、毎回同じことを繰り返しているように見えて、少しづつ変化が蓄積してゆく。景気循環を繰り返して経済の構造が変質してゆき、それが世界経済のレベルに影響を与え、時には大きな危機的変化となって現れる。それが再び国民国家のレベルに跳ね返って、その国の経済構造が自体が大きな変化を迫られる。ヨーゼフ・シュペーターは大きな産業の交代の波を50年周期の「コンドラチェフ循環」と呼んだ。周期関数のように波が高まるとブレーキがかかり引き戻す力が働く。これをフィードバック制御と言ってもいい。1960年代の日本の高度成長期にはいろいろな景気の波はあったが1980年代を頂点として、日本産業はやがて行き詰った。こうした事態を新しい産業構造への転換で乗り切るか、それとも旧来型の産業構造を維持するため無理な政策を重ねて衰退の道をたどるのか、日本は岐路に立たされた。結局金融自由化の流れの中で、日本経済は土地投資のバブル経済にのめり込み、それが崩壊すると大量の不良債権が発生し、日本はその本格的な処理を誤ったため後者の衰退の道をたどることになった。日本病のメカニズムを見るとき、サイクルを通して時間軸で現象を見ることが重要である。長期の周期性は、エピゲノムのような制御系の制御をになうメカニズムの変動が重要である。外部の環境の変化が内部に複数のシグナルを誘導する。イグナルの条件が整ったときにエピゲノム変化制御系のスイッチが入るのである。それは原子力ムラ(産官学複合体)の利益協同体には、制御がかからないとの同じである。首都圏に原発がないのは、原発の危険性がよく認識されていたからである。都会への資源の集中と、地方へのリスクの分散は表裏一体である。東京都は子供を産む数が最も少ないという事実は、東京では若い人の生活の持続可能性が見出しにくいのである。その裏返しの原発・基地に依存させられている地域の問題こそが「日本病」の症状の一つである。戦後日本経済の周期性の変質を見てゆこう。経済活動には基幹的に3つの周期性が考えられる。第1は2−3年ごとの在庫調整である。第2は10年ごとの設備更新を軸とした景気循環である。第3は50年ごとの産業構造の変化がもたらす周期性である。1950年代半ばから1970年代の石油ショックまでの高度成長期は設備投資主導型の高度経済成長の時代であった。高度成長期の景気循環はGDP成長率を上回る設備投資の高い伸びにけん引された。GDPの伸びを後追いする形で賃上げが実現し、それが大量生産・大量消費の経済を支えた。累進的所得税と法人税などの直接税中心の税制は、高度成長に従って高い税収の伸びを示した。ただし日本製品の国際競争力はまだ不十分で、材料は輸入に頼っていたので、GDP成長率が上昇すると貿易収支が赤字になるという状況であった。それを設備投資がけん引し、春闘で賃金伸び率を調整して再び景気が回復する党サイクルを描いてきた。1960年代末あたりから日本製品が競争力をつけてくると、この国際収支の壁はとれてきた。日本企業はパックスアメリカーナに依存して市場を増やし、アメリカの産業基盤を脅かすようになった。製造業において日本とドイツの挑戦が始まり、アメリカはベトナム戦争の敗北によって貿易収支を悪化させた。それが1971年のニクソンショックにつながったのである。ニクソンの新経済政策は、ドルと金の兌換性を廃止し為替レートの切り上げを求めた。スミソニアン合意は破棄され先進国は変動相場制に移行した。円高に対して田中首相は「日本列島改造論」に基づいて大規模公共事業計画で内需主導経済に切り替える政策に転換した。しかし2回の石油ショックで狂乱インフレが発生し、さらに賃上の急速な上昇が起こった。国際競争のついてきた日本経済は円高によって再び行き詰まった。企業は減量経営を行い、賃上げ率は製造業の生産性に張り付くことになった。こうして生産性向上に労働者を協力させることによって、輸出競争力を維持しながら、日本経済は輸出主導型に変わった。1985年のプラザ合意で円高不況が発生する時、企業は減量経営、借金返済と内部留保によって、安全資産として不動産を購入した。「土地神話」がまことしやかに、借金をしてまで土地を購入するバブルに陥った。世界的な金融自由化によって海外でも資金調達ができるようになり、銀行は次第に貸出先を失った。中曽根政権は規制緩和と民活路線、リゾート法によって後押しした。その後の日米構造協議に基づく公共事業拡大の公約がこうした動きを促進した。1990年代に入るとアメリカ経済は製造業をあきらめ、金融と情報を中心とする産業構造にシフトした。金融資本主義の誕生である。金融資本主義は、足の速い証券化を普及させ、グローバリズムが闊歩した。株価や不動産価格が上昇し、景気循環はバブル循環に変わった。

金融資本主義は企業そのものを売買の対象とするため1990年の国際会計基準はそのルールとなった。グローバリズムが席捲し世界中で中期の周期性は、1980年代後半は不動産バブル、1990年代末はITバブル、2000年代半ばは住宅バブルという様に10年ごとにバブルとその崩壊が繰り返される「バブル循環」へ変質した。株価や不動産などの資産価格が景気をけん引した。そして他方でレーガノミクスに始まる「新自由主義イデオロギー」に基づいた労働市場を含めた規制緩和政策が採られた。金融緩和と構造改革の政策バッテリーは資産を持つ者の地盤をより一層有利にし、非正規雇用者を貧困に落とし格差の拡大を猛烈に進めていった。1980年代末の世界的な不動産バブルが発生し、1990年代には投機マネーが襲い、金融通貨危機が次々と発生した。92年の欧州通貨危機、94年メキシコテキーラ危機、アルゼンチンの通貨危機、97年東アジア経済危機、98年ロシアのデフォルト危機、2000年アメリカのITバブル崩壊が起きた。東西冷戦が終焉した1990年代にアメリカの情報・金融産業の覇権が強まり、日本は90年代からバブル崩壊の不良債権処理に失敗して衰退した。ヨーロッパはEUを組織して独自経済圏の囲い込みに成功した。法制化された金融市場の規制の束が剥がされるたびにバブルは悪化し、パッチワーク式に応急策がとられ(BIS規制、バーゼル2)、量的金融緩和策が繰り返された。「影の銀行システム」と言われる金融規制を迂回する仕組みや、プログラムで取引をする「ハイフリークエンシートレーディング」のような情報技術を応用した金融工学が拡大した。その結果2008年サブプライムローンをきっかけに起きたリーマンショックのため世界中が経済危機に陥った。米欧日の中央銀行は政策金利をゼロにし、金利機能をすべて殺したため、金融市場は麻痺状態に陥った。経済の制御系が壊れてゆく過程をたどってゆこう。日本経済の長期衰退期は、市場経済の制御系が次第に破壊されてゆく過程でもあった。中曽根時代の新自由主義的政策にはまだバブルを引き起こす力が残っていた。バブルがはじけ大量の不良債権が発生す津と急激な信用収縮が進み、政官財の無責任体制で制御の仕組みが破壊された。素政府は低権利製作や財政政策で銀行の流動性を供給して当面の破綻を防いだものの、貸し渋りや貸しはがしが横行し中小企業の弱い部分から壊滅した。1990年代は「失われた10年」となり、長期停滞を産み落とした。21世紀に入り小泉政権は公共事業を圧縮しつつ、金融緩和により円安誘導政策が中心となった。また雇用や社会保障を破壊し、企業の労働コストの引き下げを図った。金融緩和による円安と労働コスト引き下げで、輸出主導企業は潤った。ともあれ大手企業の収益は改善されたが、ひどい格差社会と地域経済の衰退がもたらされた。小泉政権の金融自由化政策はリーマンショックで行き詰まり、原発ルネッサンス政策は福島第1原発事故で破たんした。安倍政権が採るアベノミクスは過去のバブル創出の手法の踏襲で、それ自体の新味はない。従来のマクロ政策を拡大してゆくと、金融市場は麻痺し、国家への依存度を深めるというパラドックスが表面化し次の破綻を用意する。第1次安倍政権下でリーマンショックを経験しているので、世界的バブルの再現は無理となり、世界中がデフレ期を迎えようとしている。その中で第2次安倍政権は、デフレ脱却と称してインフレターゲット論による異次元の金融緩和に踏み切った。日本の雇用・社会保障の崩壊、少子高齢化と地域の衰退にもかかわらず、法人税減税・労働者派遣法改正・社会保障削減策など、大手企業の利益増加のための政策だけは充実していた。財政赤字の無制限な拡大と異次元の金融緩和は同時進行した。さらに「官製」株価維持のための、年金基金の投入と日銀によるETF購入によって、株価による調整機能も失われた。円安政策は外国人投資を呼び込み次の外的ショックを用意している。産業構造の転換策は全くの無策で長期停滞は長期衰退に変化した。アベノミクスは既存の政策の総動員に過ぎず、成長戦略は小泉時代の焼き直しでしかない。不良債権化した原発を再稼働させる方向へ突き進んでいる。これによって情報通信技術IoTによるエネルギー転換と新しい産業構造への移行は実現できないし、世界の孤児になろうとしている。超低金利政策と量的金融政策は繰り返される中で、そこでも利益を上げるための新しい金融商品が生まれ、次のバブルを用意している。金利機能がマヒする中で、長短の金利差を利用した、金融による金融のためのビジネスが発達してくる。アービートラージ取引がそれである。これは国債と民間の債務の金利差を組み合わせ、長期と短期の金利差も併せて民間のスワップより国債の金利が高い時に、将来国債の金利が下がることを見越して儲ける商品である。ジョン・メリウェザーがLTCMというロケットヘッジファンドを立ち上げた。19倍のレバレッジを掛けたのである。デリバリーポジションは170兆円、スワップが95兆円、先物が64兆円という巨額になった。ヘッジファンドが「影の銀行システム」として100兆円以上の決済にかかわるなど、グローバル金融資本がシステミック・リスクの時代に入っていることが分かっている。米国には金融と証券を分けて統制するグラス・スティーガル法が制定されたが、クリントン大統領の時代にその境界が取り除かれた。2001年のITバブル崩壊後、金融デリバティブ商品の店頭取引への傾斜が強まった。金融のリスク変動に備えるヘッジファンドが次のショックを準備してゆくことが繰り返された。監督機関チェックを受けないヘッジファンドやSIVなどが、影の銀行システムとして金融デリバティブ商品を拡大した。異次元の金融緩和の弊害が、中国バブルの崩壊のような世界経済のショックのもたらす危害の幅を大きくするだろう。それとともに深刻なのが国内の格差の拡大と固定化である。成長なき金融緩和は多くの国民の資産と収入を減少させ貧困に追い込んでゆくのである。

7) 「日本病」からの出口

「日本病」がこれから先にたどるであろう奇跡を予測してみる。あるいは最悪のシナリオかもしれない。今の日本病の深刻さを理解するには、過去の履歴が大切である。市場や生命といった複雑系にあるフィードバックは周期性を生み出すが、フィードバックが多重に重なると周期性の波が重なり、非常に複雑なパターンを示すものである。まず過去の状態についての経験的なデーターからモデルを作り、そこで何が起こったかのデーターを加えて、何回かの繰り返しを行いモデルを改良するという道筋で予測が可能となる。アベノミクスの異次元の金融緩和は、雇用制度の規制を解体しながら行われている。消費税増税と法人税減税がカップリングして行われた。円安で輸出大企業の決算を史上空前の好業績に押し上げ、株価は上昇している。しかし実質賃金は伸びず家計消費は一向に増加しない。円安による輸入物価の上昇で貿易赤字が恒常化したまま、製造業の就労人口は増えず、企業の内部留保だけが増えた。大企業と資産投資家が益々富み、中小企業、非正規労働者、高齢者、地方はますます貧しくなってゆく。格差拡大の結果と消費税増税と物価上昇で国民は消費を削減してゆく。そこへ年80兆円の日銀による追加金融緩和が行われながら、それは日銀当座預金に積み上げられるだけで、信用(実物経済)の拡大にはつながらない。しかし年金基金、銀行などの国債は日銀に買い取られ株式投資が増える官製相場が作られる。株式市場は官製相場の尾ために調整機能を失っている。次々と制御機能が解体され、金融緩和が行われても物価は上昇せず、実質賃金も家計消費も増えないなかで、円安誘導を行っても国内市場が拡大しないため製造業の国内回帰もない。その結果痴呆の衰退も急速に進む。再び地方自治体の統廃合が行われるであろう。GDPは増加するどころか実質低下傾向になり、市場は麻痺し格差拡大と国民の窮乏化が加速される。半導体や情報通信産業など先端産業で後れを取った旧来型産業の権益を保護するため、原発再稼働、インフラ輸出を成長戦略とするが、失敗を繰り返すだけである。エネルギー転換と情報通信技術に基づく分散ネットワーク型産業構造への転換でますます後れを取るだろう。この中で最も被害をこうむるのが若者である。すでに4割の若者が非正規雇用者でスキルを積む道を閉ざされている。若者は過酷な奴隷労働にさらされ、低賃金で結婚もできない。母子家庭はさらに悲惨である。これらは少子高齢化という人口問題ではなく、労働と資本の分配の問題である。この状況で海外の経済情勢の変動が起きるとどうんるだろうか。2008年のリーマンショックにおいて日本はサブプライムローン関連の投資は少なかったはずなのに、ショックが実体経済に与えた影響はアメリカよりずっと大きかった。それは若者の雇用を切り、国内市場が疲弊していたからであった。今アベノミクスの下で中国のバブル崩壊が与えるショックを予測すると、これ以上の金融緩和策効果は全く期待できない。官製株価相場に年金基金をつぎ込んでいるため、新規の融資を行う余裕はない。実質賃金は上がっていないので国内市場は期待できない。インフレターゲット論に従って物価上昇に期待しているが、唯一の株高が崩れると、日本経済を再び大きく落ち込ませる。戦争やハイパーインフレだけがリスクではない。日本国家が破産するというソブリンリスクも起こりかねない。こうして1000兆円を超える国債価格に低下が始まり、長期金利が上昇する。国債返済で国家財政は破綻する。福祉・公的医療が維持できなくなり、国民負担が上昇しさらに投資が減少する。外国へのインフラ投資に依存する輸出策が重視しされているので、海外のショックは事態を悪化させる。制度やルールに関する軋轢が始まっている。TPPでアメリカのルールに協力している日本の選択肢は狭い。そしてアメリカの戦争の下請けとなって武器輸出をするしか道は残されていない。米国や中国の圧倒的な軍事力に勝てない日本に戦争を起す力はない。結局日米安全保障枠内で、中東での米国の戦争の下請けということになる。そして国内でテロの発生を見ることになる。アベノミクスは政治的にはマスコミ支配を通じて不安定な独裁政権を目指すことになるだろう。これは安倍政権の強さではなく、脆さにつながり早晩政権崩壊は必至である。

異常な金融緩和と硬直化する財政赤字の下で、格差が固定し社会基盤の解体が進んでいる。社会は深刻な亀裂と不安定に直面している。それを防ぐには格差や差別ではなく「共有」を基礎とする新しいルール作りが唯一の解決策である。年金と健康保険制度の一体化、社会保障を普遍的制度に統一すること、地域単位での子育て、社会参加を目指す雇用創出などの制度設計が求められる。そのためにはてょうに財源と権限を委譲することである。雇用制度と同じように産業政策の基本は地方の問題である。「逆東京問題」である。東京だけに建築ラッシュが起こり、東京オリンピックをやることはむしろ日本経済の衰退を加速化させるのである。東京で労働の集約を行い地方が過疎になり、東京のための発電所や基地を地方が負担するジレンマを解消しなければならない。いわゆる迷惑施設の地方への集約が、沖縄基地問題や福島・刈羽崎原発の過密化を招いた。東京への膨大な人口の集中は、雇用機会を失った若者が東京に吸い寄せられ、東京は若者の生活に不安定と困窮と過重労働を強いて、子どもの特殊出生率を最低にし、少子高齢化問題を悪化させた。TPPで農業破壊を進めて補助金漬け農業で保護し、不良債権化した原発の再稼働、原発輸出産業に東芝・日立・三菱といった電機・重工業メーカーを追いやる政策は長期衰退の速度を加速させるだけである。むしろ地域分散ネットワーク型の産業社会を目指さなくてはならない。市場経済も生命も多重なフィードバックで出来上がっており、すでに線形では理解できない複雑な仕組みとなっているうえに、時間的スケールで系の制御履歴が重なっている。エピゲノムという考え方は生命の発生と分化そして進化を解き明かすドグマである。実は今起きている日銀の異常な金融緩和による麻痺した経済はまさにエピゲノムそのものである。18世紀イギリスで生まれ、最後の貸し手としての中央銀行は、公定歩合、預金準備率、債権オペレーションなどの政策を手に入れ、マクロ経済をコントロールするようになった。しかし中央銀行は政府機関でもなく民間企業でもないという曖昧な性格のために、政治的圧力に弱く、抵抗する機能は期待できない。日本病を脱するためのアプローチは、情報を基礎とする新しい科学技術の方法論でなくてはならない。事前よくとしての現状の認知・認識が出発点である。そのためにはバイアスのかかっていないデーターを使って、民主主義的な議論で収斂してゆくコンセンサスの形成が求められる。だが、バブル崩壊後の25年の歴史は情報伝達の逸脱の歴史であった。姑息な官僚国家日本では、都合のいいデータから政策を決める伝統が依然根強く、無責任体制で失敗が繰り返される「失われた時代」が続いた。もっと根本的なところで情報の支配が行われている。アメリカのNSAを中心とするアングロサクソン国家群5か国(米・英.・豪・カナダ・ニュージランド)の情報機関は一体化したシステムでアップル、グーグル、アマゾン、マイクロソフト、フェイスブックなどを集め、通信メガデータ管理(人間の管理)をしようとしている。安倍政権はマスコミ対策に強権を発揮し情報を歪めている。こうしたデータ操作・マスコミ支配は後進国の独裁政権のような出口のない政策を暴力的に進めることに他ならない。出来上がるのは戦前の大政翼賛会か大本営発表のような閉鎖的なタコツボ社会であろうか。国際的には安倍政権「極右」として評価されている。科学を自然科学と人文科学に分けると、次の時代の価値を予測するには優れて人文科学・社会科学的な人間把握が必要である。歴史、倫理、哲学と美術、言語学や教育学が大きな要素である。フィッシャー統計は分散したデータを扱い危険率を設定して仮説の妥当性を計算するが、内部構造を持つものは正規分布には従わない。設問の分岐点の設定次第で決まるデータのねつ造はアンケート世論調査では常態化している。人間生活のための産業構造の転換は、理系人間のスペック(仕様)思考では限界がある。物と情報の結びつきはもっと人間的で、現場的であり当事者主権の予測の科学でなければならない。アベノミクスは歴史修正主義ノスタルジアに基づき、時代遅れの自己中心の愛国主義しか中身がないため、本質はファッシズムであり、人文科学を敵視する。文科省の「人文・社会系学部の削減統廃合」案は笑ってすまされないれい、まさにファッシズムである。歴史の全体をバイアスなしに経験として捉える文化が「日本病」の出口である。人の数だけ推論サイクルを繰りカスのが民主主義の根幹である。それがベイズ推定によって無秩序にならないで収斂するやり方である。アベノミクスはすでに危険水域にある。



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