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白井 聡著 「戦後の墓碑銘」 
金曜日(2015年10月)

永続敗戦レジームのなかで対米従属路線と右傾化を強行する安倍政権の終末

この本は、今となっては懐かしいくらい、かなり過激なアジ演説集である。この本は基本的には時事評の集成であり、政治理論を説き起こすにしては余りに短編ばかりで、彼自身の政治思想からその都度の政治的事件を解説するという本である。雑誌、週刊誌、新聞、講演会原稿などに既出した記事・論文を集成したものである。評論の基になる政治論は私はまだ読んでいないが、「永続敗戦論ー戦後日本の核心」(太田出版 2013年)である。この本で論壇デビューした若手政治思想史家である。著者白井聡氏のプロフィールを紹介する。1977年東京生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士で、日本学術振興会特別研究員、多摩美術大学非常勤講師、文化学園服飾学部社会学科助教を経て、2015年4月より京都精華大学人文学部専任教員となった。2013年「永続敗戦論ー戦後日本の核心」で第4回いける本大賞、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞を受賞した。他に著書として「レーニン―力の思想を読む」(講談社選書メチェ」などがある。カール・マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」にはこのような名高い記述がある。「ヘーゲルはすべての偉大な世界史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる。そしてこう付け加えた。一度は偉大な悲劇として、もう一度は惨めな笑劇として」という言葉を引用して、著者は「歴史における反復」という観念を「序」において述べている。このヘーゲルの言葉は、フランスの歴史を総括して、絶対王政ー民主革命ー皇帝制が二度繰り返された事実を踏まえて言っているのである。著者はこの言葉をちょっとひねって、「否認」のメカニズムの例証として用いる。大変革は起るべくして起こる。つまり社会の行動的変化のために発生する。しかしそれが一度目に起きたとき、特に支配層の人間はそれを「偶然だ」と言ってやり過ごそうとする。あるいはそれはなかったこととするための努力を払う。しかしその出来事が強い必然性をもっている場合、構造上の変化要因として類似の出来事が不可避的に発生する。そうなったとき人々はようやく出来事を事実として認めざるを得なくなる。実に「否認」の定義とは「認知しているが現実として認めない」という心理状態である。一度の出来事で事の本質を見抜く力を持った人が多数いれば、教訓として悲劇は二度繰り返さないための努力を行う。反省のない人、あるいは事実として認めたくない人は何度でも過ちを繰り返す。例えば東電福島第1原発事故は、津波の可能性を認めたくない人は対策コストが経済的釣り合わないという理屈で、地震学界と土木学界の警告を否認し無視した。その悲劇的経験に学ばない原子力ムラの権力は、原発再稼働の準備を進めている。原子力規制委員会の基準は世界一厳しいと自惚れ、電力会社は厳しすぎると骨抜きを狙っている。全く事故前の体質でやっている。二度目の惨事がいつやってくるかは偶然の問題であるが、若し起ったら笑いごとでは済まされない。被害を被るのは現地の住民であって、東京に住む官僚や電力会社や東京都民ではないので、地元を犠牲にすれば済むと思う精神構造は、沖縄の米軍基地問題と同じである。権力者とそのお膝元は地方の犠牲(収奪)の上に立っている。その苦しみは一顧だにしないで「金目の問題でしょ」と高みの見物である。その金は国民の税金や国債発行である。

そして「反復」といえば、安倍晋三は2度も首相になった。一度目は政治色(反動性)を露骨に出し過ぎて1年を満たず惨めな退陣となった。そして政権交代した民主党が東電原発事故に直撃され、原発を推進してきた自民党政権の責任を一手に引き受けさせられて窮地に追い込まれ、石原慎太郎が仕組んだ尖閣諸島国有化で中国の反発を受け、消費税増税の先鞭をつけ国民の総スカンを食い、ほとんど野垂れ死に状態で2011年12月の総選挙で惨敗した。第2次安倍内閣は衆議院での圧倒的多数の議席と翌年の参議院選挙で安定多数を獲得し政権運営を確かなものにした。第2次安倍内閣は発足当初は政治問題を避け、もっぱら経済問題で国民の目をさらった。日銀の黒田総裁は異次元の金融緩和政策、株高、円安誘導政策を実施し、アベノミクスなる経済政策の実施となった。ここまでは安倍政権は順風の滑り出しであった。しかし1年もたたないうちに2012年12月には靖国神社参拝をおこなって米国を失望させ中国。・韓国の猛反発を招いた。これ以降の動きは本書に沿って順次述べてゆくことになるが、どうしてこのような反動的な安倍第2次内閣の出現を許してしまったのか。「安倍なるもの」が、日本の政治に大きな勢力となってきた要因については、中野晃一著 「右傾化する日本政治」(岩波新書 2015年7月)柿崎明二著 「検証 安倍イズム」(岩波新書 2015年10月)に述べられているように、安倍はこれまでの保守政権による日本の政治の右傾化傾向の総仕上げを狙ったものと見なされる。これは強さの証明ではなく、日本の支配層の最期が近いことを物語るものである。要するに彼らの愚かさは戦後日本社会が行き着いた愚かさの象徴なのである。「ポツダム宣言」を読みたくない安倍の基本的エートスが永続敗戦レジームの中核たる「敗戦の否認」にある。今日の保守政権での「敗戦の否認」は「在特会」のヘイトスピーチに最も先鋭に表れている。安倍の「我々はあの戦争に負けたわけではない」という歴史意識は、サンフランシスコ講和条約の戦勝国英米やロシア・中国の最も嫌うことである。「一度目は悲劇、二度目は茶番」とマルクスは行ったが、二番目の茶番につき合わさせられる日本国民は笑うに笑えない悲劇である。第2次安倍内閣はその持続が長ければ日本社会に対して深刻な傷を残すことになる。安倍は祖父岸信介の遺志を継ぐと度々明言しているが。岸と安倍の能力さは歴然としているうえ、岸はCIAとの取引で巣鴨プリズンから放免された経歴の持ち主である。そして安保改定をおこなって不平等のまま占領政策を固定化した人である。反復する出来事の茶番性が最初の出来事の悲劇性を歴史遡及的に侵食する。悲劇はそこから何の教訓をも汲み取れなかった単なる愚行となる。ここで本書の構成を見ておこう。第1章「戦後の墓銘碑」は2014年2月から2015年7月までに「週刊金曜日」に連載されたコラムである。これが本書の書名にもなっている。全体の1/3を占め、現在起こっている出来事の本質を見る上で重要なので、17篇からなるが一つ一つ見てゆこう。第2章「永続敗戦レジームの中の安倍政権」は7篇の投稿記事からなる。筆者の政治理論である「永続敗戦レジーム」を解説しているので丁寧に読んでおこう。第3章は戦後と対峙した人の思想を伝記風にまとめている。元首相の石橋湛山、文学者で良識保守派の論客江藤淳、不能者の倫理を説く野坂昭如の3人を取り上げている。石橋湛山賞を貰ったいきさつから行ったお礼講演会の原稿から起している。第4章「生存の倫理としての抵抗」は主に新聞寄稿12篇を収録したもので、原発事故関係が多い。

1)  「戦後の墓銘碑」 2014年2月から2015年7月までの出来事

@ 対米従属路線が抱えるディスコミュニケーション
2013年12月安倍晋三首相の靖国神社参拝以来、日本政治の状況は悪化した。参拝後即座に米国大使館より「失望した」のコメントが発せられた。翌年1月22日安倍首相はダボス会議の記者会見で「現在の日中関係は第1次世界大戦前の英独関係に似ている」という日中関係の緊張を高める発言をした。また1月25日NHKの悪名高き籾井会長は「従軍慰安婦は戦時どこにもあった」という問題の本質(軍隊の関与)をそらす発言をして顰蹙を買った。今や政治も経済も二流になり果てた感が強い。戦後日本のフィクションが急速に崩れつつある。「第2次世界大戦での敗北を受けて、日本は全中の全体主義を払しょくし、自由主義と民主主義を尊重すべき価値として受け入れた」という物語が崩れつつある。それを崩しているのが昨今の安倍政権である。虚構が崩れる過程で露わになってきたのが、対米従属支配層の可換えるディスコミュニケーション(日米間の齟齬)である。2013年10月米国のヘーゲル国防長官とケリー国務長官の千鳥ヶ淵墓苑訪問に現れたように、米国は靖国問題に関して正解例を実地で示した。一連の歴史修正主義的発言と靖国神社参拝強行に対して米国は「ノー」といった。2014年1月26日米国は研究用とした貸し出ししている300Kgのプルトニウムにたいする返還を要求したと共同通信が伝えた。
A 安倍首相が筆頭、権力者に蔓延する反知性主義
カール・マルクスは1843年友人に宛てた手紙に「愚物だらけの船は、しばらく風のまにまに漂流させておくがいい。それでもその船は自分の運命に向かって流れるだろう」と匙を投げるような捨て台詞を残した。現在日本の危機をつくりだしている重要な要因の一つが安倍首相と官邸の「反知性主義」である。これは元首相の漢字が読めないという矮小なことを言うのではなく、「知性の不平等」が「富や権力の不平等」によって生み出されつつあることを、政治権力がこれを利用していることである。むろん権力者が知的ではなく、大衆に蔓延した反知性主義感情と一体化し、それに政治経済ジャーナリズムといった全分野において反知性主義によって満たされている事態の深刻さを言う。安倍首相のお友達に右翼的発言を吐く輩ばかりを集めていることは、リベラル穏健派自民党員も目をそむけるという。その反知性主義の筆頭は安倍首相である。彼は尊敬する政治家は岸信介であるという。岸は戦前には軍部クーデタの理論家北一輝に心酔し、みずから国家社会主義ファッシズムを理想とした右翼政治家の代表であった。安倍首相も未だに反共主義者で、自分に反対するものは左翼だと信じているようだ。官邸はこれらの反知性主義者で占められている。「立憲主義なんて聞いたことがない」とうそぶく磯崎陽輔補佐官、NHK籾井会長、NHK百田経営委員など右翼心情はもう倫理の問題である。これらの人物群が官邸においてその知的・倫理的低劣さゆえに珍重されているのは、正に末期的腐敗状況である。
B 対米宣戦布告 アベノクラシーのアンビバレンス(面従腹背 二枚舌)
2014年4月22日、オバマ大統領来日を直前にして、147人の国会議員が大挙して靖国神社に参拝した。このなかには高市早苗政調会長や江藤首相補佐官も含まれていた。昨年来米国は日本の歴史修正主義的傾向は米国の虚する範囲内でしか認められないと繰り返し伝達してきた。首相の靖国参拝に対して米国は「失望した」と表明したが、それに歯向かったことはある意味では対米宣戦布告みたいなものであった。オバマ大統領の今回の訪日は日本を通過するだけのものであったが、外務省は何とか2日滞留を確保したという。この面従腹背ぶりは毎度のことである。安倍首相が言う「戦後レジームからの脱却」とは「永続敗戦レジーム」の対米従属路線の強化に過ぎない。反対に、この安保体制強化を背景に虎の威を借りた狐のように、中国・韓国への挑戦的態度が強調されてきた。アベノクラシーの本質は、「敗戦の否認」であり、ひいてはサンフランシスコ体制、東京裁判、ポツダム宣言受諾の否認に行き着くことである。
C 改憲の道筋がはっきり姿を現した
2014年5月15日の首相記者会見において「集団的自衛権の行使容認」へ向けて内閣は強行突破を図るつもりであることを表明した。中国を仮想敵国としもしに日中衝突なれば、中国との経済関係を強めている米国から見捨てられる公算の方が強い。米国が中国封じ込めに転じる可能性は極めて低いと言わざるをえない。しかし戦前日本の軍部が独走して日中戦争が始まった経緯を見ると、米国が日本に引きずられる可能性は全くゼロとは言えない。憲法改定はハードルが高いと見た安倍首相は「閣議決定による解釈改憲」という立憲主義の観点からして狂気の沙汰というべき手法に訴えた。集団的自衛権の行使容認によって日本がアメリカの戦争に付き合わなければならなくなる可能性は、首相の二枚舌に惑わされるまでもなく明白な論理の帰結である。戦後初めて日本の軍事組織が他国と「殺し、殺される」関係になることは必至である。こうして改憲の道筋がはっきり見えてきたいま、終戦の両義性、憲法9条の両義性もまた問題にされる。敗戦は終戦と呼び変えられ、平和と繁栄のストーリが謳歌した戦後の虚構性は今崩壊の危機にある。平和憲法と天皇制存続がワンセットで取引された戦後の虚構は、戦前の権力者集団の続投を許した。第2次世界大戦後、米国は朝鮮戦争からベトナム戦争と冷戦を戦い抜いた。ソ連の崩壊後はわが物顔に世界の憲兵を演じ、湾岸戦争、対テロアフガニスタン戦争からイラク戦争、「イスラム国」戦争とほとんど休みなく戦争を続けている。国連を無視した、大義の無い有志連合の戦争である。そのファイナンスと沖縄基地提供によって米国を支えてきた。それが日本繁栄の裏付けであった。日本の平和と繁栄はアメリカの戦争と表裏一体である。なお集団的自衛権の問題については、本書には詳しく述べられていないので、豊下楢彦・古関彰一著 「集団的自衛権と安全保障」(岩波新書 2014年7月)を参考書としてあげる。
D 揺らぐ象徴天皇制というシステム
2014年5月の「正論」に安倍首相のブレーンと目される八木秀次氏による平成天皇・皇后批判「憲法めぐる両陛下のご発言公表への違和感」が出された。ここで八木氏は「両陛下のご発言は安倍首相が進めようとしている憲法改正への懸念の表明となっている」と書いて、両陛下は安倍首相の憲法改正の邪魔をするなという内容であり、強い批判を招いた。この問題にはまず昭和天皇の戦争責任と戦後の天皇制維持のいきさつが深く関与しているので、そこから説き起こしてゆこう。天皇免責は日米支配層の効率的統治のための合意であり、優れて政治的措置だった。昭和天皇の戦争責任は追及しないというアメリカの政治判断である。昭和天皇が果たして大権を持っていたのかどうか、いや憲法上は天皇には無限責任があるという三島由紀夫氏は断じる。昭和天皇の免責と象徴としての生き残りは、戦後日本の従属国化と引き換えになされた以上、天皇制の復活はありえない。しかしまた天皇制を隠れ蓑として権力を恣にしようとする支配権力がいる限り、油断はならない。2013年12月平成天皇は「憲法の遵守」を自らの責務として強調された。美智子皇后も民主的原則に言及された。これらのご発言は戦後憲法への高い評価と信頼を表明する言葉であった。戦後派無頼を自任する文学者坂口安吾は「最も天皇を冒涜する軍人が天皇を崇拝するかのように見せかけ利用してきた。我々はこのからくりに騙されてきたのである」と述べている。これは日本人の深い虚偽意識であった。
E 不穏さに慎重に応答する今上天皇
2013年10月園遊会での山本太郎参議院議員による天皇直訴事件があった。「天皇の政治利用はけしからん」という左右両派の非難があったが、この行為は戦後の終わり、つまり象徴天皇制の揺らぎという意味で捉えるべきではなかろうか。下村博文門科学大臣は「田中正造に匹敵する不敬罪」と批判したが、不勉強による誤解があったとして謝罪した。そして2014年5月天皇・皇后は栃木県佐野郷土博物館を訪れ。田中正造の直訴状を閲覧した。じつに113年ぶりに天皇が直訴状を読んだことになった。国民の歴史意識は、黒船による国難の発生→徳川幕府の無能の露呈→天皇を担ぎ上げて西南諸藩の勤皇攘夷運動→明治維新という動乱・大政奉還といった流れを再現するかのようであった。もう一度天皇制に戻ることは将来まずないであろうが、自身を戦前の権力集団の後継をもって任じる安倍首相がこれを利用しないとは言えない。山本議員の軽率なパフォーマンス的行動は、このアナクロサンディカイズム(時代錯誤性)を正夢に変える可能性はゼロとは言えない。
F 文科系全廃を視野に入れた大学改革の愚
2014年8月文科省が「国立大学の組織及び業務全般の見直しに関する視点」をリリースし、教員養成系学部、尋問化学系学部と大学院の組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換などを含む見直し計画を発表した。文化全体のバランスある発展なくして、理科系学部のみの片肺大学するとは恐れ入った暴論である。これは2014年5月OECD閣僚理事会で安倍首相の演説を踏まえている。「大学は学術研究を深めるのではなく、社会のニーズに沿った実践的職業教育を行う」という反知性的政策を公言していた。ノーベル賞受賞は今後ゼロにするという、耳を疑うとはこのことであろう。大学は学術研究をしないで、すぐ役に立つ職業訓練校にしろというのである。「科学技術だけが日本の根幹」というテーゼは、2011年3月の大震災原発事故によって打ち砕かれた神話である。あの大事故を起こした原因は「国会事故調」報告に見る様に、原発村組織の傲慢さと安全神話にあった。科学技術テクノクラート(専門家・官僚)による社会の支配が、正しい警告を無視し、独善的な管理体制がもたらした惨事であったと国民は理解した。ドイツの脱原発の決定は「倫理委員会」の広汎な分野の人々が参加し、決して自然科学者だけの議論ではなかった。本当に安倍首相はめちゃくちゃなことを平然と言ってのける愚か者であることを世界にさらした。
G 基地を抱擁することはない沖縄のプライド
2014年9月半ば、著者白井氏は嘉手納基地とその周辺を訪問した。基地への抵抗と依存という沖縄の苦悩を象徴する基地の街である。米軍基地と原発は典型的なNIMBY施設(迷惑施設)である。それは日本の首都が安全で快適な生活を、特定地域の犠牲の上で享受するための必要悪という構図である。米軍基地が戦後日本の「平和」を、原発が戦後日本の「繁栄」を可能にしているという強い観念が日本を支配している。原発立地自治体は脱原発を志向していない。共存と引き換えに過疎の市町村から財政的に裕福な自治体へ約束される。それと同じように沖縄経済は米軍基地に深く依存している。沖縄に米軍基地があるおかげで世界の平和が保たれ、日本は一流国として尊敬されるという思考回路は安倍首相の頭の中では「積極的平和主義」というらしい。
H 護憲ではない、制憲を
2014年10月矢部宏治著「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」(集英社)が発刊された。日本ではある分野の政策はどれほど合理的な反対や批判があっても、民意はぜったに尊重されず、政策は強行されるのだろうか。その分野とは米軍基地(日米安保体制)と原子力である。原発事故の惨事を引き起こした東電は解体もされず訴追もされない。そして次々と再稼働が申請されている。米軍基地も基本構造は同じである。基地反対の声がどれほど高まろうとも政府は一顧だにしない。訴訟はいつも玄関払いである。事実上米軍は日本全土の空を支配している。オスプレイの飛行ルートさえ日本政府は容喙できないことを当時の野田首相は明らかにした。矢部氏の著書で、基地と原発を止められない理由を同一のものであるという。俺はアメリカの意志と、アメリカに自発的に隷従することで国内の権力基盤を強固なものとし、対米従属利権をむさぼる官僚と政治家が日本の中枢部を握っているという構造からである。基地の場合は日米安保条約と地位協定、原発は日米原子力協定のこれらが日本の国内法の上位に位置し優位に立っている。2012年の原子力基本法改正によって、「安全保障に資する」という文言が入れられ、原子力政策の基本が電力供給だけでなく安全保障という点から必要であるという、とんでもない原子力の軍事利用というこれまで隠されていた意図が全面に出てきたのである。表向きの憲法を頂点とする法体系と、国民の目から隔離された米日密約による裏の決まり事の体系という二重性が明らかになった。これらを正すためには、護憲ではなく革命による制憲をと著者は訴える。
I  永続敗戦レジームと闘う沖縄の政治
2014年12月翁長雄志氏が沖縄県知事に選出された。戦後日本政治の代議制民主主義において、政権交代はあくまで米国の許容できる政権交代でなければならない。そのため米国の意図を忖度する日本側の勢力(親米保守、日米安保マフィア)は、危険な動きは萌芽の内に摘み取る。こうした日本の政治空間の傀儡性、従属性は沖縄の米軍基地問題でいみじくも凝縮した形で現れる。翁長知事の誕生によって安倍首相の敗北が予見されたからこそ、安倍首相は解散総選挙を打つという争点不明の不可解な選挙が行われた。政策を問うというよりは、追い込まれた安倍首相の権力維持の合法化と長期政権化を狙った賭けであった。民主党政権が無残にも自壊した本当の理由は、永続敗戦レジーム(対米従属を原理とする)と本当に戦う気概がなかったからである。そして野田内閣では進んでこのレジームと一体化してしまった。民主党の中には安保マフィアもいるから当然の帰結であったのかもしれないが、民主党政権の崩壊により自民党の圧勝を許した責任は重い。
J 安倍政権が変更しようとしているもの
2014年12月 衆議院総選挙が終わり安倍政権は大勝を収めた。衆議院総選挙はその本質上政権選択選挙である。それにしてもこの投票率の低さ(52%)は日本国民の消費者化の進展をまざまざと見せた。投票に行かない原因は消費者化した有権者にとっておいしい候補者や政党がないからである。しかしその結果権力のいいようにされひどい目にあるのは国民の愚かさの報いと言い捨てるには、安倍政権はあまりに危険なことを計画している。特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、武器輸出解禁はワンセットで用意されていた。さらに原発再稼働、TPP、格差社会の固定、メディアへの政治介入(朝日新聞への言論統制)、ネトウヨ的ヘイトスピーチの横行などなど。この転換は確かに「戦後レジームからの脱却」と呼ばれに値する。戦後「消極的平和主義」は保守本流でも継承された基本方針であったが、それをかなぐり捨てて「積極的平和主義」に転換したのである。この「戦後レジームからの脱却」は同時にというか表裏一体になって「対米従属路線」を純化し強化することである。これは米国隷従によって権力を維持する政治勢力が強いのではなく、追い込まれた権力集団の「断末魔の凶暴性」を意味している。
K 人質事件を奇貨とする安倍政権の狙い
2015年2月週刊ポストによると、湯川遥菜氏は2014年8月に、後藤健二氏も11月にイスラム国によって拘束されていたことはン本政府は把握していた。2015年1月17日安倍首相が訪問中の中東イスラエルで、イスラム国対策支援金25億ドルを記者会見で公表した。これに反発するようにイスラム国は二人を殺害した。安倍政権は真剣の人質救出に取り組まないでいたばかりか、軽率にも敵の面前で挑発行為を行ったのである。1月25日国会を控えた記者会見で安倍首相は「海外で法人が危害に遭った時、自衛隊が救出できるよう法整備をしっかりする」と発言した。しかし人質奪回作戦は米国が何度も失敗しているように、困難な特務である。軍艦を遠くで巡行させても事態は解決しないことは関係者なら熟知している。情報収集能力を米国に依存し、軍隊の特殊訓練もできていない自衛隊がおいそれとできることではない。反対にテロ組織は対抗措置として人質を殺すだけの簡単な行為で終結する。それより安倍首相の敵前でのIS殲滅援助の表明により、日本はISの敵としてはっきり宣言され、日本でISのテロがいつ起きても不思議ではない状況を作り出したのである。安倍首相はその対米従属路線からどうしても対テロ戦「有志連合」に加わりたいのであろう。そのための状況作り「改憲のまえに参戦を」を狙って、このIS人質事件を利用する(奇貨とする)策動を行ったのである。
L 桑田圭祐氏とともに闘う手段を見つけ出す
2014年大晦日の「紅白歌合戦」においてサザンオールスターズ桑田佳祐氏が「ピースとハイライト」という歌で政権批判を行って、大騒動になった。これにネトウヨ(ネット上の右翼)が「反日」だと言ってアミューズ事務所前で30人のデモをかけた事件が起きた。2015年1月15日桑田氏が反省と謝罪の声明を出し一件落着した。桑田氏にとってこれが初めてのゲリラ的パフォーマンスではなく、2010年桑田氏が食道がんを患っていらい、彼は被災地支援に尽力する中で時の政権に批判的なスタンスを明確に出してきた。桑田氏の音楽は「社会派」なのである。社会派のシングソングライターは多数いる。1996年沖縄米兵少女暴行事件を契機とした「平和の琉歌」、2002年対米従属政権を痛烈に批判した「ロックンロールヒーロ」などに見られる彼の批判精神は継続していた。皮肉では伝わらない国民の文芸的リテラシーの低下によって、彼の言葉がより直接的になっただけのことである。
M 70年談話が出現させうる「敗者なき光景」
2015年3月21日ドイツのメルケル首相が来日し講演した中で、「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目である」といった。歴史修正主義者の安倍首相には耳の痛い話であった。さらに3月21日に行われた日中韓外相会議の共同声明にも「歴史を直視し、未来に向かう」の文言が盛り込まれた。こうして安倍首相の歴史修正主義(日本は侵略していない)は国際的な包囲網で監視されている。戦後70年記念安倍談話作成の諮問会議の有識者会議座長代理の北岡伸一(国際大学学長)は3月9日「私は安倍首相に日本が侵略したといってほしい」と発言した。大東亜協栄論の日本がアジアの解放のために闘ったという論は徹底的に間違っている。日本は、英米蘭仏の植民地をかすめ取り、日本の植民地にしたかっただけの事である。首相の歴史認識はほとんどネトウヨレベルで誰の理解も得られていない。もし70年談話が安倍の歴史修正主義的主張が露骨に現れたら、国際的な壊滅的悪影響は避けられなかったが、これらの包囲網にかろうじて避けられた(ただし安倍自身の言葉での謝罪はなかった。歴代政府見解で解決済みと他人事のように言っただけ)。それに代わって強調されたのが「積極的平和主義」であったとは、安倍首相も懲りない奴だ。
N 戦後清算のために原爆投下の意味を考え直す
2015年4月10日に、クリミア半島併合の際にロシアが核兵器を用意したというデマとも謀略ともわからない情報が世界を流れ、広島と長崎の両市長がロシアに抗議したことにたいするロシアの見解が発表された。「ロシアはNPT体制の擁護者であり核兵器のない世界を目指している。米国のミサイル防衛システムの脅威に対してロシアが国際社会の注意を喚起していたことを日本は見落としている。先の大戦で3000万人が犠牲になったロシアはどれほど平和が大事かを熟知している。広島・長崎に原爆を落とした国はアメリカです。」という内容だった。ロシアに抗議することは被曝の経験という抗弁困難な錦の御旗によって米国の破壊的核戦略に協力するものとして機能することを見抜いていた。日本は100%米国の核の傘の下にいて、核兵器を嫌悪すると言いながら米国の核戦略を支持してきたではないかというロシアの指摘は的を得たものだった。3月初旬米国のABC放送は「2009年11月オバマ大統領訪日時に、米側が広島を訪問し原爆投下を謝罪することを打診したが、日本の外務省薮中事務次官はこの提案を時期尚早として断った」とニュースで報じた。米国の広島・長崎原爆投下に際して当時の米内海相はこの事態を「天祐」と叫んだという。次元を超えた兵器によるによる攻撃は日本を犠牲者にして、国体を維持したまま敗戦受諾を可能にすると読んだのである。「原爆を落としてくれてありがとう」という権力勢力を戦後ずっと日本人は支持してきた。この国民の愚かさ、哀れさはやはり情報を知る能力に格差がありすぎることからきている。都合の悪い真実は権力側は徹底して隠匿するのである。
O 本来の敵を見定め真っすぐに憤る生業訴訟
2015年5月半ば著者は「生業を返せ、地域を返せ」福島原発訴訟の口頭弁論のために福島県を訪問した。浪江、双葉町など帰宅困難区域を視察したそうである。この訴訟の特徴は、政府と東電に責任の所在を明確して、謝罪させることにあるという。賠償請求の前に原状復帰がなければならないという論理である。だから原子力損害賠償法ではなく普通の民法が選ばれた。2014年6月廃棄物中間貯蔵施設建設を巡って、石原伸晃環境大臣は「最後は金目でしょう」と言って物議をかもした。政府の原発行政の原則は従来通りのままであった。札束で相手の頬をたたく路線である。この屈辱に対して、本来の敵を見定め、真っすぐに憤り、「侮辱の中で生きる」ことを断固として拒否する人が確かに存在している。四大公害訴訟では政府と企業は最終的には責任を認めざるを得なかった。しかし原発訴訟はいつも敗訴であった事実を認識し、敵の砦原発に向かう訴訟は始まったばかりである。
P 卑屈・矮小な為政者への我慢を止められるか
2014年7月の集団的自衛権の行使容認の閣議決定、そして2015年9月19 日 安全保障関連法が参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決され、成立した。国民の反対の声には一切耳を傾けず、全く内容の無い質疑応答に終始したうえ強行採決された。国会参考人3人が新安保法制を違憲と断じたにもかかわらず、立憲主義も無視して権力はブルドーザーのように反対意見を踏み倒した。どうしいてこんな暴挙が可能かというと、日本国憲法という最高法規がある中、日米間の無数の密約の非公然(裏)の法体系が存在するためである。アメリカの言うことを守るためには、憲法などどうでもいいという構造を赤裸々に露呈した。ほとんど日本はアメリカの州のひとつになったようである。日本国憲法と停止あるいは冬眠させたようだ。世界中にアメリカの傀儡政権は多く存在し、対米従属政権も数多いが、日本の対米従属の異様な様相は、この従属が温情主義のパートナーシップの夢想によって隠そうとする点にある。このなんという情緒的な夢の中に居るように国民に偽装しているのである。ネオコンのアーミテージは2013年に「私は米国の国益に沿って、日米同盟の仕事をやってきた」といった。米軍駐留基地への「思いやり予算」などは笑ってしまうような甘いオブラートで包まれているではないか。日本の対米従属の特殊性が戦後の国体になっている。それが冷戦の終了後もかえって強化されてきた。安倍首相の米国に対する約束は「朝貢外交」そのものであった。金銭面のみならず、軍隊までどうぞお使いください、殺されても文句は言いませんというイデオロギー面での完全屈服であった。

2)  「永続敗戦レジームの中の安倍政権」

@ 「永続敗戦レジーム」はどうして壊れてゆくのか
2014年「ワセダアジアレビュー」15号に掲載された論文である。内容は2013年末の安倍首相の靖国神社参拝と沖縄仲井間知事による辺野古沖埋め立て許可の問題を取り上げて、「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍首相のの目論見が明確な形となった事態を考察するものである。ここで安倍首相の掲げる「戦後レジームからの脱却」と著者が言う「永続敗戦レジーム」とは同じことであると断っておく。主体が異なるだけで実質的には同じことを指している。この国の支配的権力層における「戦後レジーム」の内的本質に対する無理解こそが問題であった。権力側はこれを「米国との緊密な友好・同盟関係」と呼び、批判的な国民はこれを「対米従属」と呼ぶ。安倍政権が目指してきた対外政策は、東アジア地域での日本の孤立性を高める一方、集団的自衛権行使の解釈変更によって、日米の軍事同盟をより緊密に、対米従属的性格を強めるものであった。1960年安保改定において、岸首相(安倍のお爺さん)は前任の石橋湛山政権の第3極的相対政策を切り捨て、文面での日米対等性を潤色するだけで米国との無条件的連携を深め、米軍基地(沖縄だけでなく)の駐留継続を決定づけることになった。安倍首相の「積極的平和主義」とは、戦後の吉田首相に源を発する消極的平和主義(自国が加害者にならないことと、軍事より経済優先政策で保守本流の基本スタンスとなった)を戦後レジームといって、これから脱却することを基本テーゼにする安倍首相は、具体的には「非核三原則など防衛政策の見直し」、「米軍再編への協力と集団的自衛権の行使容認」、「武器輸出三原則の見直し」、「情報体制の強化」を挙げている。どこの国でも戦争を掲げる国はいない、平和という価値を尊重しそれを侵す「他国の脅威」によって自国の軍事行動を正当化するのが常である。つまり積極的平和主義の「戦争することを通じた安全の確保」への変換を、安倍首相や保守権力者は狙っている。冷戦終了後は国連主義は後退し、英米の「有志連合」的な同盟で戦争にあたることが主流となった。すなわち日米同盟の強化である。積極的平和主義と日米同盟の強化は必ずしも論理的につながらない。これは米国=世界という短絡がその原因である。欧州やアジアが入ってこないひどい視野狭窄症である。安倍が言う「戦後レジームからの脱却」とは「永続敗戦レジームの究極的純化」を通じた自己破壊につながることを認めたくないようだ。これは戦争に負けたということを認めたくない「否認」と深く関連した二重性を持っている。国内およびアジアに対しては敗戦をできる限り曖昧にし、一方米国に対しては敗北を無条件降伏として対米従属を無制限に認めざるを得ないという二重性である。しかし冷戦構造が終わった1990年初めに、経済成長が終わってバブル崩壊後のデフレが日本を覆った。この二つの事象は本来直接的な関係はない(冷戦需要で経済が高回転していたとするなら関係性は出てくるが)はずである。この時を契機に米国は「年次構造改革要望書」やTPPに代表されるように、米国にとって日本は収奪の対象に変化した。冷戦崩壊後の歳月と経済的な「失われた20年」はほぼ重なっている。この失われた20年は経済成長だけでなく、日本型企業社会の崩壊、格差拡大、非正規労働者増大、少子高齢化の進行、財政破綻、東アジア近隣友好関係など全面的な変化が起きていた。
A 「戦後レジーム/永続敗戦レジーム」からの脱却
2013年「現代思想」12月号に掲載された論文である。3.11東の本大震災と東電福島原発事故は自民党の保守権力にとってまさに「天祐」となった。時の政権が民主党政権だったことが、図らずも天が自民党に味方したようであった。大災害についても法則として、従来の権力、そして社会からの信頼を失いつつあった権力が力を取り戻すケースが多い(致命傷になる場合もあるが)。これまで原発をしゃにむに推進してきたエネルギー資源庁の官僚は無能を装って緊急対策をサボタージュし、民主党素人政権は沖縄基地代替え策で失敗し、それに加えて原発事故対応で右往左往しただけで国民の信頼を一気に失った。それが安倍第2次政権のカムバックに強力な支持を与えた。3.11を契機に戦後日本の国家と社会の本質が露呈した状況を「永続敗戦レジーム」と筆者は呼んだ。本質とは日本の戦後は「民主主義と平和」を表看板とする体制であるが、実は戦前戦中の権力構造が温存された「封建遺制」のことである。核燃料がメルトダウン・メルトスルーした福島原発事故の深刻性は日々否認され、そして2020年東京オリンピックで完全にお祭り騒ぎにして忘却の彼方に追いやろうとする権力の意図がひしひしと感じられる。国家指導権力者は行かなう手段をもってしても、自己の階級の温存継続を図るものであり、この自己保身のためには膨大な国民の命などは歯牙にもかけない連中の後継者が権力中枢を占拠している日本の支配体制を厳しく見つめなければいけない。
B 面白うてやがて悲しきアベノクラシー
2014年「世界」5月号に掲載された論文である。日本の右傾化は安倍首相に始まるものではなく、戦後の歴史と共に常に底辺でうごめいてきた日本保守権力層の策謀であったことは、中野晃一著 「右傾化する日本政治」(岩波新書 2015年7月)に詳しく描かれている。安倍首相の「戦後レジームからの脱却」の軌跡を検証する。今回の第2次安倍内閣の誕生において強烈であったのは、まず「異次元の金融緩和」を中核とする経済政策兎=アベノミクスである。第1次内閣の時の失敗の轍を踏んで、政治イデオロギーの次元よりも経済的次元を前に出した点にある。2014年よりイデオロギー政策に重点が移ってきた。情報公開法を骨抜きにする特定秘密保護法、日本版情報局NSCの設置、靖国神社参拝の強行、など「戦後レジームからの脱却」政策が矢継ぎ早に打ち出された。日本の右傾化と対米従属路線は1960年岸首相の安保改定から始まり、佐藤首相の核密約付きの「核抜き本土並み」の沖縄返還、中曽根の「総決算」に至っては「不沈空母」発言に見られるように露骨な対米従属路線の強調にあった。安倍政権は戦後レジームの本質を理解していなかったという惨めな歴史認識問題と領土問題をさらけ出した。歴史修正主義とは日中・太平洋戦争における「日本の侵略性の否認」にある。ロシア。中国・韓国との3つの領土問題とは、「サンフランシスコ講和条約の否認」である。これはアメリカの許容する範囲内になければ、戦後の支配関係を否定することになりアメリカは黙っていないことになる。この歴史認識はよほど頭の混乱した知性のかけらもない人々でなければ、安倍首相と認識を共有できない問題である。この顕著な反知性主義を「アベノクラシー」と著者は呼ぶ。2013年12月安倍首相は靖国神社参拝を強行して、アメリカをして「失望した」と言わさせた。また従軍慰安婦問題でも軍の関与を否認した。そして「河野談話」、「村山談話」の見直しを匂わせて、訪米時にオバマ大統領から冷遇を受けて、2014年3月14日になって河野談話の継承を明言して初めて軌道修正した。こうした歴史問題の政治イデオロギーの次元において日米関係はまさに戦後未曾有の危機が生まれた。それに対して軍事面おいて日米緊密化の度を上げることでカウンターバランスを取った。2014年12月の「新防衛大綱」は日本版海兵隊を目指したもので、3つの領土問題の諸島での機動的体制の強化を企てている。緊密化の核心は、米軍と自衛隊の一体的運用であり、実質的には米軍の指揮下への服従である。しかるに米軍の軍事的プレゼンスの低下に歯止めがかからず、アメリカは「世界の憲兵である」ことを降りるというほどになった。アメリカにとって日本は軍需産業の買い手であるが、歴史修正主義でサンフランシスコ体制を否認することはアメリカは許さないだろう。安倍の「敗戦の観念的否認」という隠微な情緒は、アメリカにとって価値観を共にできる相手ではないと感じさせた。その証拠に安倍がオバマ大統領から冷遇を受けた後に、2014年6月の中国の習近平主席との会談が対照的に長かったのは偶然ではなく、アメリカは本当に中国と対話する姿勢に傾いているを示している。
C 3.11と戦後70年の歴史意識ー暴かれた平和と繁栄の欺瞞
2015年は戦後70年となるが、その戦後の体制が70年も継続してきたことは、世界を見ても尋常なことではない。70年も日本は戦争を行わず、平和な経済発展を続けたのである。これを安倍首相は「消極的平和路線」と蔑み、自分は「積極的平和」に変えると意気盛んなようだが、「積極的平和」とはアメリカンの虎の威を借りた戦争準備のことである。戦後物語の「平和と繁栄」はアメリカに依存する欺瞞に過ぎなかった。2011年3月11日の東電原発事故はこの戦後体制の欺瞞を露わにした。国民の安全や身体を守る事より、その場を取り繕い被害を過小評価することで、責任を回避し原発推進システムを温存するという行動様式は、先の大戦の指導者層の行動様式と全く同じであった。右傾化ということがを定義すると、「むき出しの権力の行使」のことである。つまり権力の暴力性が前に出ることである。それは権力の秘密が露呈した時に、権力側が追い詰められむき出しの暴力性を出さざるを得ないことである。彼らは強いのではなく、終焉を迎えつつあるのだという現状認識である。
D 日本は近代国家なのか?
2015年5月安倍首相は訪米し、米議会で演説した。情緒的な言葉で飾られた異様なまでの片思い的な演説は、あたかも日本国家とは米国の傀儡であるかのような印象を与えたという。それは「尖閣諸島問題は日米安保条約の適用範囲内」という見解をアメリカと共有したいという思いをにじませている。もし米国の言質が取れれば、それが日中有事の確率を下げることができるという期待にたいして、オバマ大統領は「付け加える新しいことは何一つない」という冷たい対応であった。アメリカは尖閣諸島問題では「極外中立」を堅持してきた。また日米安保条約第5条の参戦規定に定められた参戦規定が義務付けているものは、「参戦を議会に諮る」でしかない。その結果が日本に組しないものであっても安保条約に違反することにはならない。なお尖閣諸島問題については、豊下楢彦著 「尖閣問題とは何か」(岩波現代文庫 2012年10月)は、米国の戦略を次のように述べている。1972年2月尖閣諸島の領有権問題についてニクソン政権が「中立の立場」を固めて米中和解交渉に臨み北京政府を承認した。この中立政策は国際政治では「オフショア-・バランシング戦略」と呼ばれる。すなわち日中間とりわけ沖縄周辺に領土係争があれば、日本の防衛のために米軍の沖縄駐留がより正当化されるという深慮があったといわれる。ニクソン政権に在っては劇的な米中和解に踏み出す一方で、1969年の佐藤・ニクソン共同声明において、日本の安全と台湾の安全を結びつけた「台湾条項」を組み込んだ。ニクソン政権は日本向けには「中国の脅威」を植え付け、中国に対しては軍国主義復活という「日本の脅威」を掲げて、米軍が沖縄と日本本土に駐留することが、日中の相互によって承認される構図を作り出した。1974年の日中国交回復における田中角栄・周恩来会談では、尖閣諸島問題は棚あげとしたのである。米国が日本に仕掛けた火種が「尖閣問題」、「北方領土問題」、「竹島問題」である。世界中で3方に領土問題を抱えた国はない。両手両足を縛られた日本、アメリカの財布の役目を背負わされた日本、これらが日本の閉そく状態を規定している。 果たして日本が近代国家なのだろうか。前近代国家では国民は権力者の私的所有物であって、法は権力者の恣意的な判断に任せられる状態だとすると、近代国家は主権は国民に在って、権力者より法が上位に立つ立憲主義でなければならない。これらが踏みにじられている日本の状況はとても近代国家とは言えない。その権力者とは君主のように見えるものではなく、政官財学メディアを支配する巨大な対米従属利益共同体である。
E 「イスラム国」が日本の戦後を終わらせる
武装組織「イスラム国」による邦人人質殺害の声明は次のように安倍首相に宣言する。「安倍よ、勝ち目のない戦いに参加するというお前の無謀な決断のために、このナイフはケンジを殺すだけでなく、お前の国民を場所を問わず殺戮する。日本にとって悪夢が始まるのだ」 この在外邦人のみならず日本国内への宣戦布告、テロ宣言の実効性は不明であるが、9.11以来の対テロ戦争に日本政府と日本国民が完全に巻き込まれたことは確実である。二人の日本人がISによって殺害されたというのに、官邸では戦慄するというより何やら嬉しげにはしゃいでいる様子が伝わってくる。いよいよ戦争が近いというはしゃぎ様である。改憲より先に戦争することで、改憲がより容易にできるのである。米国と交渉して不平等安保条約を解消し日本の真の独立を勝ち取るより、戦争に持ち込んで国内問題を一挙に解決するのは権力者の常套手段である。国内問題とは財政破綻、経済成長、国防軍の創設、制憲等の解決である。人質救出のために自衛隊派遣する方向へ踏み出すかとどうか、それは曖昧なままである。2004年のイラク戦争当時の人質事件では政府主導で「自己責任論」が吹き荒れた。が今回の人質事件では湯川氏の怪しげな「死の商人」的商売のも関わらず、自己責任論は皆目出てこなかった。消極的平和主義から積極的平和主義への転換と、自己責任から政府責任への転換は相関関係にある。画期的な政策変更を行いながら、その転換の影響を最小限にとどめておこうとして、あの対応の曖昧さが出てきたのであろう。安倍首相は、「日本人には指一本触れささない」というその勇ましい言葉と裏腹に、やはり戦後レジームの実態のとりこ状態にあると見なければならない。
F 「永続敗戦国」の憲法に優先する「米国との約束」−安保法制が示した二重の法体系
集団的自衛権の行使容認は疑いなく参戦を意味する。単なる殺し文句ではないだろう。それは同時に自衛隊あるいは他国民を殺し殺される運命に日本人を追い込むことになる。明治維新以来日本は絶え間ない戦争をやり続けてきた。西南戦争から台湾併合、日清戦争から朝鮮併合、日露戦争、第1次世界大戦中のシベリア出兵と中国山東半島占領、満州国樹立から日中戦争、英米を相手とした太平洋戦争とほぼ10年に一度は海外派兵と侵略を行ってきた。それによって軍需産業よ運輸産業、資源獲得といった経済面の効果のみならず、西欧による植民地化を遁れた日本政府は、逆に途上国への侵略と領土拡大・植民地化を行った。戦後70年は全く戦争を行っていない。徳川幕府の260年間の平和に比べるとまだ短いが、近代化のスピードの速い時期に戦後70年間の平和と繁栄の歴史は極めて珍しいというべきだろう。今回日本政府は、集団的自衛権の行使容認と安保関連法案の成立によって、厳しい批判を招いている。一つは手続き論から改憲が先という批判、二つは本当に日本の安全保障に貢献するのかという批判である。安倍首相のやっていることは、米国のアーミテージ報告「集団的自衛権行使がないことが、日米同盟の障害になっている」という要請に忠実に答えることであった。「無制限対米従属レジーム」の支配層にとって、真に従うべきは日本の憲法ではなく、米国との約束以外の何物でもない。安倍首相らの権力側の本質がこの安保関連法制の整備において明白になってきた。安倍首相らは傀儡政権というと時代錯誤的な表現になるならば、すくなくとも米国の利益代理人エージェンシーである。安倍首相らは「戦後レジーム」の脱却の正統的な手法がなぜ取れないのだろうか。むしろますます対米従属を純化し深め「売国奴」的な役割に嬉々として従事している。明らかになったのは彼らの傲慢な態度の見かけに隠された、本質的な自信のなさである。彼らの権力とは、その起源において。敗戦を米国の庇護のもとにごまかすことで守らてきたものだ。日本国民への裏切りによって維持される権力である以上、権力を一度でも手放すと彼らは永久に立ち直れないことを知っている。だから彼らは正攻法を取る代わりに、詭弁そのものの憲法解釈をごり押しするほかないのだろう。

3) 「戦後に挑んだ者たち」

@ 抵抗者としての石橋湛山
「永続敗戦論ー戦後日本の核心」(太田出版 2013年)が石橋湛山賞を受賞した記念講演会が2014年10月17日経済倶楽部において行われ、その速記録から「自由思想」2015年1月号に寄稿した論文である。日本の場合1945年から今日にいたるまで戦後がずっと続いている。2009年政権交代があって民主党の鳩山由紀夫内閣が誕生しましたが、普天間基地移設問題で県外移転でつまずき退陣しました。日米は自民党内閣のときに辺野古移設で合意しているのに、ちゃぶ台をひっくり返すように白紙に戻ることに米国側は驚きを禁じ得ませんでした。つまりアメリカの国家意思と、選挙を通じて選ばれた日本国民の意志が衝突するような事態が発生したのです。結果はアメリカの意志の方が勝利したのです。実はこれまでアメリカが枠組みを作りその範囲内での日本のデモクラシーだったのです。本質的には米軍基地に関して日本の国民には選択の余地なるものは存在していなかったというべきでしょう。それを隠すために日本メディアは鳩山首相の個人的資質の問題にすり替えておしゃべりを続けていたのです。この問題に関してアメリカの意志はどこにあったかははっきりしません。おそらく外務官僚と防衛官僚がアメリカの意志を忖度していたのでしょう。鳩山退陣劇の後、2011年3月11日に日本に原子力震災という未曽有の危機がもたらされました。3.11によって姿を露呈したのは日本政治社会の「無責任の体系」でした。それは戦前の軍部政権だけではなかったのです。社会の中枢をこういった連中が未だに占拠していたのです。戦後「平和と繁栄」を達成し、民主主義的な社会を作ってきたという物語は全くの虚構だったのです。経済の停滞によって「失われた20年」で「平和と繁栄」物語は終わり、戦後は少しも終わっていないという側面があります。だから安倍首相は「戦後レジーム」からの脱却を叫んでいるのですが、反面教師よろしく安倍首相は脱却どころか、この体制を強化しつつあるのです。これは皮肉な事態です。戦後実に長い間続いた日本の政治の保守勢力の支配は「敗戦の否認」からスタートしてし、権力構造の基盤としてきた。「敗戦」と言わず「終戦」と他人事のようにいって、敗戦責任をうやむやにして権力を握り続けることで、政体が断絶せずにやってこられたのは冷戦構造があったおかげでした。日本はアメリカのパートナーを演じ続けてきました。最前線ではなく裏方役として微妙な立場で非常に得をしてきたのです。冷戦構造は1990年でソ連邦と共に崩壊しました。するとアメリカは日本をパートナーとして見るより、収奪の対象として日本を利用しました。アメリカも衰退の道を歩んでいますが、その付けを日本に回してきます。これからは大変なことになります。アメリカが日本を収奪にかかっても、日本政府は唯々諾々と貢物を差し出すことになり、永久に負け続けることを「永続敗戦」と呼びます。こういう形でアメリカへの従属が永遠化される一方で、それは日本がアジアで孤立化するということのコインの裏表関係になっています。権力層が固執する「敗北の否定」は国内的には戦後復興と経済大国化によって贖うことは可能です。しかしそれはかっての対戦国あるいは植民地国に対する対外姿勢の表れとなり、敗北の否認を行うことになる。後ろにアメリカというバックがあるから居丈高な態度がとれたのです。まさに虎の威を借りる狐であり、それが露骨に現れるのは、歴史っ修正主義でした。安倍政権は中国敵視政策をやればアメリカの支持と対米従属のバランスがとれると信じています。しかし今や中国は冷戦時代の中共ではないのです。中国は経済大国となり日本を追い抜いて世界の工場を自負し、アメリカのドルと国際の重要な買い手となっているので、アメリカはもはや中国敵視政策には乗ってこないだろう、いや乗れないだろうと思われます。中国とアメリカは経済的にパートナーシップを築いています。戦後レジームの支配層は戦後の政・官・財・学・マスコミの権力中枢を掌握している。アメリカに対する自発的隷属で自身の権力構造を維持しており、戦前の天皇が戦後はアメリカになったという権力関係です。官僚と政治家はアメリカの意志を輔弼することに心を砕いています。この対米従属のメカニズムに異変が来ていることが現在の特筆すべき事態です。それに対して支配層は権力を維持するために、さらに対米従属を深めようとしている。これが安倍首相の姿です。だから安倍首相は極右ポピュリズムに頼ろうとする。それほど安倍首相の内心は不安でいっぱいなのです。いい気持にさせてくれるのが極右のヘイトスピーチなのです。在特会や右翼ガールズがかわいくて癒しになるようです。こうした権力の危機に真っ向から正攻法で臨んだ人がいます。それが石橋湛山元首相でした。

石橋湛山が首相になってすぐ病に倒れなかったならば、日本の戦後史は随分違ったものになっていただろうとよく言われます。石橋湛山は、一貫して対米従属路線一辺倒ではいけないというスタンスをはっきり示していた。だから命を全うできたかどうかはわからない。戦後の混乱期には暗殺・謀略事件が多かった。民主党内閣の鳩山由紀夫首相が、普天間基地移設問題でつまずいて辞任するとき、「安保問題について勉強すればするほど、沖縄に海兵隊がいることによる抑止力の大事さを知った」と言ったそうだが、これは全面降伏の自己の足らぬことを反省させられた形である。残念な辞め方である。むしろ「約束を実行できなくて国民と沖縄県民に対して申し訳なかった。力及ばなかったその責任を取って辞める」といえば、国民はそのことから多くのことを学んだはずで、鳩山個人だけが変な奴という印象を免れたはずである。石橋湛山氏は他の自民党政治家、歴代首相とはっきり異なったスタンスを持っていた。敗戦直後近衛文麿が一度復権しそうになった時、メデァアは「近衛公、再び立つ」とはやし立てていたが、石橋氏は近衛公に「戦争責任を取って「、自決せよ」と迫った。このようなラジカルな戦争責任論は敗戦直後の一時期のことで、鳩山一郎や辻正信らと会派を組んで、果たしてこのスタンスが持続できたかどうかは微妙である。不徹底ではあるが、対米従属に対する批判という点で石橋氏の活動には定評があった。GHQと国家予算の30%におよぶ「終戦処理費」に関して大蔵大臣として石橋氏は抵抗を行った。アメリカと対立することによって公職を追放された例は皆無である。長い物には巻かれろ式の保守支配層の面従腹背のつもりだった姿勢は卑屈な隷従へとますます傾斜していった。石橋氏の姿勢は、日本尾戦後支配層の主流をなすところの親米保守とは対照的なスタンスを持っていました。親米保守主流勢力はGHQの権威に寄りかかることで自身の権力基盤を確保するという、永続敗戦レジームに入ったのです。アメリカの意志という装いの下に、日本の官僚や政治家はそこに自分の利害を持ちこむということです。占領期間が終わって公職追放が解除され、石橋氏は戦後保守勢力の中で冷戦構造に本気で挑戦するという特異な活動を再開した。石橋氏が追求したのは、アメリカ一辺倒はだめで、内閣として親米姿勢はは堅持するが、中国とも付き合うという脱対米従属路線の提唱です。日米二ヶ国同盟から日中米ソ四ヶ国同盟にしようという冷戦構造を無くする考えでした。ですから岸首相が60年安保改定の強行については石橋氏は批判的でした。「何も急ぐ必要はないのに、岸君は強引な手をつかう」といい、岸が退陣したあと池田首相が岸路線を引き継いだ時も「こんな姿勢では日本はアメリカの州の一つのようなものだ」と批判しました。石橋氏は独立ということを現実的に思考した思想家・政治家であった。ただし本書の石橋氏のやろうとしたことの分析は、極めてお粗末としか言いようがない。この辺から著者の資質に疑問が湧くのは私一人だけだろうか。つまり著者の断定的能書きが先行し(結論が正しいとしても)、石橋氏の業績への分析・立証が不十分で、私にはこの論文は納得できないのである。

A 戦後の告発者としての江藤淳 「1946年憲法―その拘束」
江藤淳が残した仕事のうち文芸批評を除いて、戦後憲法批判と占領期検閲の研究が注目されているという。安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げているが、自民党はいよいよその悲願である憲法改正(自主憲法制定)に突き進もうとしている。提示された草案は、戦後憲法の柱である基本的人権の尊重や民主主義の原則を後退させる時代錯誤も甚だしい代物である。つまり「自主憲法」なるものは、あの占領による民主改革の成果を単純に否定するだけのもので、かっての日本帝国の亡霊を呼び戻し、対米従属のまま強権政治を行うという戦前支配者の末裔達の幻想に過ぎない。こういう精神分裂的傾向は権力中枢だけでなく、3.11原発事故によって突き付けられた「平和と繁栄」の時代の終わりへの支配者の不安の表現に過ぎない。安倍首相の取り巻き連中の目の余る右翼的言動は戦前の右翼的国体主義者の叫び声と同じレベルである。「戦後的なるもの」への不条理な憎悪が広範に広がっている。戦後民主主義が色あせたものにしか見えないとすれば、それは平和が米国の核の傘を前提とし、繁栄が米国の需要(軍需をふくめて)に頼った結果であったことをはしなくも認めたことである。3.11原発事故が象徴する支配者ムラの荒廃ぶりが露呈して、戦後の平和と繁栄に止めを刺した。江藤淳著 「1946年憲法―その拘束」(文春学芸ライブラリー 2015)は二つの論点がある。一つは戦後民主主義批判であり。二つは戦後憲法批判である。この本は1980年に書かれ、江藤氏の思考発展の流れが反映されている。戦後憲法批判は現在も受け継がれている「押しつけ憲法論」と同じものである。江藤の憲法批判は良くも悪くも、改憲/護憲論争を活性化したが、そのレベルは一歩も新味はなかった。1961年江藤氏は「戦後知識人の破産」という本で、8・15を悔恨の日、再出発の日と規定しているがこれは欺瞞でしかない。戦前の国家がたった一日で民主主義と平和の理想を掲げる日本に変身できるわけがない。政治的な敗北(敗戦)が直ちに民主主義という倫理に到達することは不可能であり欺瞞である。戦後知識人(丸山眞夫氏を想定しているようだが)の無力が1960年の安保闘争で破たんしたという論が江藤氏の描く戦後知識人論であった。戦後日本ではあらゆる政治的主張が所詮「ごっこ」でしかあり得ないのは、対米従属の構造であると江藤氏は断定する。戦後の思想空間が決して自律的なものでなかったことは、自分たちの歴史がその根幹において自立できないという厳しい現実がある。安保体制の下では日本の命運は自己決定できないのだと江藤氏は言う。公的な価値が起伏されるためには安保条約の発展的解消がなされなければならない。真の主体性回復を実現するためには、日米間の権力構造の変更という政治が必要だと説いている。安倍首相らの親米保守主義者と江藤氏が根本的に違うところは、自分の運命の主である立場を回復する時に、我々はまず「敗者である自己」を認識する点があるかどうかである。負けたということをごまかしてさらに従属を強めるという隠微な心では再生できない。この点が今日の対米隷従型改憲論者と根本的に違う点である。

4) 「生存の倫理としての抵抗」

@ 倫理から始まる連帯
マハトマ・ガンジーの言葉「あなたがすることのほとんどは無力であるが。それでもしなければならない。それによって世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないために」 原発再稼働反対デモに行っても国是は変わらないかもしれない。問題は行動しないことによって、自分のうちの大事なものが変わってしまうなら、人は行動しなければならない、自分を守るために。消極的行動論とか無抵抗行動論ともいう。人々に真の連帯をもたらすものは、有効な行動計画ではなく、倫理的連帯である。
A 「否認の国」の住民たちへ
認めたくないことはなかったことにする。これは心理学用語で「否認」と呼ぶ。2020年東京オリンピックは3.11を無かったことにするための膨大な無駄使いとお祭り騒ぎである。原子力行政そのものが「否認」であった。核廃棄物の最終処分法がないこと、最終処分地がどこにも設置できないこと、原子炉の下には活断層が走っていること、14メートルの高さの津波がいつ来てもおかしくはないこと、高速増殖炉の技術は非常にハードルが高く欧米はあきらめたこと、6か所村のプルトニウム再生工場は不要でコスト倒れであること、原発発電コストは事故のことや開発費そして立地費を考えると途轍もなくコスト高であること、首都圏に危険な原発は設置したくないこと、福島の原子炉は底が抜けてメルトスルーしていること、廃炉技術は未完である事など不都合な事実はなったことにして原子力ムラはしゃにむに進めてきた。彼ら政官財学メディアの心理は「生ける屍」である。
B 悪鬼と共に戦う方法
佐藤健志著「震災ゴジラ―戦後は破局へと回帰する」(VNC)は、繁栄する日本で今まさに進行している事態にほかならない。テーマは「否認」である。今まさに殺されようとする被害者の心の防衛機能である。危機に直面すると頭を砂にうずめるガチョウの行動である。厳然と存在する不都合な事実に、現実的な対応がなされなくなるからである。こうした状態は、第二次世界大戦末期の日本に酷似している。沖縄を失い二度も原爆を落とされても、神風が吹いて日本は勝利することになっていた。これを信じないものは非国民、アカであるとされ弾圧の対象であった。ゴジラはアメリカという説が有力である。
C 「犬死せし者」を救い出すために
A球戦犯者を神として祀る靖国神社問題は、参拝支持者らは「参拝しないことで死者を犬死させたくない」というらしい。戦前の戦争指導者は自らの致命的失敗、敗北を認めず、そのために状況をさらに悪化させた。敗北が決定的になった最後の一年間での死者は200万人を超える(全戦死者は300万人)。片道ガソリンだけで突撃した特攻隊飛行兵、食料も装備もなくロジスティック無視で戦地へ駆り出された兵士こそ犬死ではないか。
D 原発問題はそれで最大の争点だったー都知事選を終えて
都知事選はマスコミの言うとおり舛添氏の圧勝で終わった。「原発問題は争点にならず」とマスコミ各社はキャンペーンしていたが、争点にしなかったのはマスコミであった。テレビ局が持つ争点設定権力ハ依然として巨大である。投票率は50%以下、東京都民の倫理的破綻は隠しようがない。原発問題が重大であるからこそパワーエリートたちは原発問題を隠そうとした。「決定するのは我々であって、庶民ではない」とする明治以来の権力システムの原則である。明治神維新で権力を握ったのは西南諸藩の武士であり、市民革命的要素は皆無であったから、日本の権力システムは近代化を経由していない封建権力そのものであった。民主主義を近代化と考えると、日本は近代国家ではない。和魂洋才という言葉どおり、技術は西洋から借りて、知らせず拠らせずの社会システムは従来通りの封建性そのものであった。明治神維新は権力の簒奪に過ぎなかった。五か条の御誓文の「万機公論に決すべし」はむなしい理想だった。
E 幼い大人たちの楽しい戦争ごっこ
2014年5月5日集団的自衛権行使容認を閣議決定した。安倍首相は余裕たっぷりに穏当な記者会見を行い、憲法遵守を謳った。このシ二ズム(冷笑主義)は実質的改憲と閣議決定でやってのけるという独裁政治によって、深く深く国民を愚弄しているのである。安倍の言葉の薄っぺらさは別としても、気になるのはその幼児性である。絵で戦争ごっこをしている虚構性が漂っている。殺し殺されるという緊迫感など全くないように、得意満面で戦争関連法規を提出した。
F 奴隷が奴隷であることをやめるとき
どうも日本は尋常な近代国家ではないらしい。東京電力があれほどの原発事故の惨事を引き起こしながら、誰も刑事罰を受けていないし、災害賠償は国の仕事と言って免責されている。かつ原発の再稼働を申請している。明治期の政商のような手厚い保護を国から約束されているようだ。「官僚以上に官僚らしい企業」という言葉は事故前から聞いていたし、官僚を指導し一体となって原子力発電事業を推進してきた。民と官の融合体企業であった。安倍首相が集団的自衛権の行使容認を巡る国会審議で、邦人を救出する米艦を援護射撃するのが集団的自衛権だと言った。ところが米軍は規則では日本人の救出は任務には入っていないと報道している。第1番に救出するのは米国人、2番目に救出するのはアングラサクソン系人(英国、オーストラリア、ヌY−ジランド)となっている。ここまで日本国民は安倍になめられている。この国の国民は奴隷らしく扱うのが正しいと。
G 第2、第3、もっと多くの沖縄を
永続敗戦レジームの代理人仲井間陣営と、このレジームを拒否する翁長陣営の闘いは翁長の勝利となった。沖縄支配体制に対する根本的な異議申し立てに沖縄県民は答えた。翁長氏は辺野古問題にかんして「日本の民主主義国家としての品格が問われている」と述べた。安倍政権・仲井間元知事らは日本を統治することを米国によって許された傀儡政権に他ならない。
H 選ぶべき候補者、政党がない、というたわごと
2014年12月の衆議院選挙では公示二日後の各紙には「与党300議席を超える勢い」といったキャンペーンが打たれた。いとうせいこう氏はこういった報道が「ある種の政治不信というキャンペーンによって無力さを刷り込まれるために行われている」と指摘した。投票率が下がれば下がるほど、与党が有利になるのである。反対勢力を無理化し沈黙させ、あきらめムードで投票場から逃避させる意図が見えるのである。全有権者の20%程度の得票によって議席300が獲得できる選挙制度にも問題は多い。民衆は選挙に行って政治家を激励し、啓蒙しなければいけないのである。
I 国際政治学者とは何者か?
国際政治学である村田晃嗣同志社大学学長は2015年7月13日国会で政府が強行しようとする「新安保関連法案」に賛成意見を陳述した。多くの政府系学者が「違憲」意見を陳述する中で、何とか賛成意見学者の登場を図った。世界とはアメリカのことであり、米国の国益を最大化する学問が国際政治学という代物なのである。村田氏は安全保障の専門家となっているが、日本の最高法規を守る事より、米国との約束を果たすことを最優先する人物である。



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