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杉田 敦著 「権力論」 
岩波現代文庫(2015年11月)

ミッシェル・フーコーの政治理論と権力論の系譜

著者が本書あとがきに述べているように、本書は岩波書店から刊行された単行本二冊を一冊にまとめたものであるという。本書の第T部「権力」(思考のフロンティア 権力 2000年)はいわば総論で、第U部「権力の系譜学」(権力の系譜学ーフーコ以後の政治理論に向けて 1998年)は諸政治学説の各論である。第T部はひとつの権力中心から権力が放射する主権論的な権力論は権力のあり方に影響せざるを得ないというのが筆者の持論である。主権に従属する権力行動様式を再生産する。第U部はフランスの歴史家・哲学者ミッシェル・フーコーら、権力のあり方をめぐって思想家たちの言説をたどったものになっている。私にとって著者杉田敦氏、ミッシェル・フーコーについては皆目知らなかったので、両者のプロフィールを理解の序としたい。杉田敦氏は1959年群馬県伊勢崎市の生まれ、日本の政治学者である。1996年より法政大学教授。専攻は、政治理論、政治思想史。主な著書(単著)には、『権力の系譜学――フーコー以後の政治理論に向けて』(岩波書店, 1998年)、『権力』(岩波書店, 2000年)、『デモクラシーの論じ方――論争の政治』(ちくま新書, 2001年)、『境界線の政治学』(岩波書店, 2005年)、『政治への想像力』(岩波書店, 2009年)、『3・11の政治学 震災・原発事故のあぶり出したもの』(2012 かわさき市民アカデミー講座ブックレット)、『政治的思考』(岩波書店[岩波新書], 2013年)がある。本書 杉田敦著 「権力論」は、具体的な政治機構や政治行動様式を扱うものではなく、もっと抽象的な政治理論の学説史となっている。フーコ学説を中心とした文献学といってもいい。
つぎにミッシェル・フーコ氏のプロフィールを述べる。ミシェル・フーコー(フコ)(Michel Foucault、1926年10月15日 - 1984年6月25日)は、フランスの哲学者。『言葉と物』(1966)は当初「構造主義の考古学」の副題がついていたことから、当時流行していた構造主義の書として読まれ、構造主義の旗手とされた。フーコー自身は自分が構造主義者であると思っていたことはなく、むしろ構造主義を厳しく批判したため、のちにポスト構造主義者に分類されるようになる。1945年、高等師範学校の試験を受けるも不合格、翌年同校合格。フーコーの学生生活は、同性愛者としての苦しさと、エリートとしての息苦しさにより不安定であった。1950年大学教員資格試験に失敗。この前後に何回も自殺未遂事件を起こす。この時のフーコーは、この時期の失意と精神的混乱にあった。フーコーは、大学教員資格試験に合格し、1951年にリール大学の助手として採用される。スウェーデンのウプサラ大学でフランス語を教えるかたわら、ウプサラ大学図書館(「ヴァレール文庫」と呼ばれる近代医学史関係の重要書を網羅したコレクションがある)に通いつめ、博士論文である『狂気の歴史』を著した。帰国後『臨床医学の誕生』で医学的言説の転換を指摘した。1966年『言葉と物』で近代人文諸科学の知の編成を批判的に検討した。チュニス大学へ行ったのち、パリ・ヴァンセンヌ実験大学の哲学教授に就任する。1970年コレージュ・ド・フランス教授となる。「主権権力」と対比される「規律訓練型権力」の徹底的な分析である『監獄の誕生』を著した。その後、『知への意志』(『性の歴史』第1巻)において精神分析を批判する。その後、コレージュ・ド・フランス講義で「統治性」「生政治」などの試行的な概念を次々と扱う。やがて、(『性の歴史』第2巻、第3巻)『自己への配慮』、『快楽の活用』でギリシャ・ローマ時代の「自己への配慮」の研究を行う。1984年、道半ばにしてエイズで死去。57歳没。フーコーの思想においては、「絶対的な真理」は否定され、真理と称される用語や理念は、社会に遍在する権力の構造のなかで形成されてきたものであると見なされる。フーコーの思想においては、知の役割は「絶対的な真理」を証明することではなく、それがどのようにして発生し、展開してきたか調べる(知の考古学)ことにある。フーコーの思想は、ニーチェとハイデッガーの影響を受けている。特に、ニーチェの「力への意志」や伝統的価値の無力化の指摘と、ハイデッガーによる「技術的存在理解」への批判をもとに、フーコーは、社会内で権力が変化するさまざまなパターンと権力が自我にかかわる仕方とを探究した。フーコーの主な業績は次の3つである。
@狂気の歴史・言葉ともの:フーコーは『狂気の歴史』(1961年)で、西欧世界においては、かつて神霊によるものと考えられていた狂気が、なぜ精神病とみなされるようになったのかを研究する。彼が明らかにしようとするのは、西欧社会が伝統的に抑圧してきた狂気の創造的な力である。知の変化についての考察は、もっとも重要な著書である『言葉と物』(1966年)に示されている。
A監獄の誕生:「監獄の誕生―監視と処罰」(1975年)は、近代以前における刑罰は、権力者の威光を示すために犯罪者の肉体に対して与えられるもの(公開の場で行われる四裂き刑、烙印、鞭打ちなど)であったが、近代以降の刑罰は犯罪者を「監獄」に収容し精神を矯正させるものとなった。これは人間性を尊重した近代合理主義の成果と一般に思われているが、フーコーはこうした見方に疑問を呈する。監獄に入れられた人間は常に権力者のまなざしにより監視され、従順な身体であることを強要されている。功利主義者として知られるベンサムが最小限の監視費用で犯罪者の更生を実現するための装置として考案したのが、パノプティコン(一望監視施設)と呼ばれる刑務所である。さらに近代が生み出した軍隊、監獄、学校、工場、病院は、規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として同一の原理に基づいていることを指摘した。本書は監獄の状況を調査し、その状況の改善を要求するフーコーの実践活動とも結びついていた。社会が個人の肉体を訓練することによってその個人を規律化する方法を論じている。
B性の歴史:未完に終わったフーコー最後の著作は、『性の歴史』である。第1巻『知への意志』(1976年)、第2巻『快楽の用法』(1984年)、第3巻『自己への配慮』(1984年)の3巻が刊行された。第4巻『肉の告白』の完成直前にフーコーが死去し、遺稿が残されたが、遺言により刊行されていない。この一連の著作においてフーコーは、西洋社会の人間が自分たちを性的存在として理解するようになる諸段階を追究し、性的な自己概念を個人の道徳的・倫理的な生活に関係づけた。


T部  権力

1) 権力とは

国民が主権者であることを疑う人はいないはずなのに、国民が最高権力者であることを実感する人はいない。むしろ一番権力から遠いところにいると感じている。すると権力は頂点にあるのか、それとも底辺にあるのかという対立軸が設定される。権力は厭うべきなのか、尊重されるべきなのか、権力は暴力的なのかそうでないのかという設定も意味がないことではない。権力を一義的に定義するのではなく、権力の多義性としてとらえ、権力と付き合うことが必要である。権力はなぜかくも混乱しているのかという疑問から本書が始まるのである。権力を考える時まず最初に問題となるのは、権力者である誰かが他の誰に対して権力をふるうかという、主体間関係としての捉え方である。スティーヴン・ルークスは三つの権力説を挙げておいる。@ロバート・A・ダ―ルの一次元関係論: 顕在的パワーハラスメント A→B 主体Aが主体Bに意図をもって何かをさせることである。観察可能な(検証可能な)政治学の行動主義に対応する。ダールは問題ごとにAが複数入いるという「多元主義者」と呼ばれた。 AP・バララックとM・Sバラッツによる二次元的権力論: 不都合な争点についてAもBも自分の意図を隠し(決定回避権力)、AがBの意図を叩き潰すことである。隠微な権力である。Bルークスによる三次元関係論: AがBの意図を洗脳して紛争そのものを消し去ることである。問題を闇に葬る権力である。 @からBに移行するにつれ、権力は知能犯になってゆく。つまりその思考や欲望の制御を通して服従させることが、至高の権力行使と言われる由縁である。するとBはもはや明確な意図を持つ存在ではなくなり。暗愚な主体もしくは、それでも生きて行ける曖昧な存在になる。ルークスの三次元的権力は、マルクス主義における「虚偽意識論」の系譜にあると言える。これは支配階級が自分の都合がいいように労働者階級を誘導する権力と言える。権力はある特定の主体が行使するものであるという考えは、欧州の近代における主権論からきているようだ。すべての権力の源泉として「主権」という特権的なものを想定する考えである。いわゆる絶対主義とは様々な権力を超える一人の主体(国王)に権力が集中したとするときに成立する。この主権論はジャン・ボダンによって確立された。王の権力は神に由来するという「王権神授説」に見られるように、主権の絶対性が強調された。境界的秩序における無過失性は、国家的秩序における主権と本質的には同じである。つまり教会的秩序に倣って世俗的政治秩序が成立した。これに対して多元主義を守ることが自由の内実という考えも存在し、17世紀のジョン・ロック、18世紀のモンテスキューから19世紀のトクヴィル、20世紀のジュブネルに受け継がれてゆくのである。王権神授説に激しく反論し、統治の根拠を社会契約に求めるジョン・ロックの主張は、ジョン・ロック著 加藤節訳 「統治論二論」(岩波文庫)に詳しい。貴族主義の立場から多元主義に基づきアメリカの民主主義に懸念するトクヴィルの憂鬱は、トクヴィル著 松村礼二訳 「アメリカのデモクラシー」(岩波文庫)において、境遇の平等化がもたらした弊害と大衆社会を指摘した。自由は特定の社会状態を定義できるものではないが、平等は間違いなく民主的な社会と不可分の関係にある。自由がもたらす社会的混乱は明確に意識されるが、平等がもたらす災いは意外と気がつかないものだ。平等化は自らの判断のみを唯一の基準と考えるが、自らの興味とは財産と富と安逸な生活に尽きる。そこで個人主義という利己主義に埋没する。民主化は人間関係を普遍化・抽象化すると同時に希薄化させる。民主主義は平等を徹底させて、矮小化した民衆を画一的な個人主義に埋没させ、その管理しやすい民衆を支配する政府という中央集権制官僚主義の専制を招くというものである。 国家権力の社会契約説は、ホッブス、ヒューム、ルソー、ローンズの系譜において解説した重田園江著 「社会契約論」(ちくま新書)そして徹底した主権在民を説くルソー著 桑原武男訳 「社会契約論」(岩波文庫)に詳しい。権力中心の複数性が制度的に保証されることが、自由の条件とされる。権力中心の複数性は、もろもろに社会集団や個人はいずれもが権力中心となる潜在的な可能性がある。伝統的な自由主義者は、中間団体が独特の特権を持つものとして制度化されることを望んでいる。法学的な権力理解と、社会学的な権力理解が相克しているのである。ここで伝統的な自由主義者の見解は、J・Sミル著 塩田孔明・木村健康訳 「自由論」(岩波文庫)には、市民的・社会的自由とは、社会権力がどこまで個人的自由に正統に介入しうるかという権力の本質と限界について法的根拠から説明している。

上の説で古典的な権力論の概要を見てきた。ここで一挙にミシェル・フーコーの権力論に入る。フーコ-はフランス革命以前に行われていた「公開処刑」に関することで、王政的な権力のあり方の特徴を暴いた。近代以前における刑罰は、権力者の威光を示すために犯罪者の肉体に対して与えられるもの(公開の場で行われる四裂き刑、烙印、鞭打ちなど)であったが、法に背いた犯罪者は王の身体に傷をつけたことになるので、犯罪者の身体を傷つけたり殺すことで王の威信を保とうとするものであった。王がパレードなどで自らを誇示し、人々の視線を集める権力を行使する存在であった。だから王の威信を傷つける犯罪者は公開で極刑に処することであった。王の権力には一つに「視線を集める権力」、「規律を求める権力」であるとフーコーは指摘する。王権はこのように権力が事実上の力関係に依存することが明白で(むき出しの暴力性)、その意味では本来的に脆弱であるといえる。フランス革命で王の首を切り落とすと、権力は下降し民衆が主人公となる「主権在民」が成立した。フーコ『監獄の誕生―監視と処罰』(1975年)は、監獄に入れられた人間は常に権力者のまなざしにより監視され、従順な身体であることを強要されている。功利主義者として知られるベンサムが最小限の監視費用で犯罪者の更生を実現するための装置として考案したのが、パノプティコン(一望監視施設)と呼ばれる刑務所である。さらに近代が生み出した軍隊、監獄、学校、工場、病院は、規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として再教育・規律という同一の原理に基づいている。社会が個人の肉体を訓練することによってその個人を規律化する方法を論じている。人民主権の下では、人民はあらかじめ理性を備えたものとは必ずしも想定されていない。ルソーは人民主権を展開し、人民の意志としての「一般意思」に最終的な審判を任せたが、「一般意思」なるものはどうして確定できるのか曖昧である。人民は主権者であって、権力を行使するまえに権力を及ぼされる「主体化」されていなければならない。フーコーはこれを「臣下=主体化}と呼んだ。人に力を与える面と、人から力を奪う面の人民の二面性である。こうした主体形成権力は国民化の権力である。学校・軍隊の教育がそれである。マルクス主義は主体化権力を特定の集団の企てと見なしている。この「主体化権力論」には問題が多い。ロバート・A・ダ―ルの一次元関係論(二者間関係論)は明快なようで、複雑である。スティーヴン・ルークスが言うように明確な意図を持つ主体を想定することには問題が付き纏う。外から見るだけでなく当事者間(AとB)にとっても曖昧である。陰謀説のように、出来事がいつも誰か特定の主体によって引き起こされるものかどうかが問題である。行政的措置は法的に適当であっても、人々の抵抗が大きければ制度が無力であり、行政側に権力がないことが暴露される。社会的環境が整ってタイムリーに実施すると自分たちの権力があるかのように装うことも可能である。こういった「波乗り効果」に依存している場合もある。二者間関係論では明確な意図を持って権力を行使する主体を想定するが、それは困難である。アベノミクスの企業に賃上げを要請することは、本来できない相談であるが、首相が経団連にお願いする形で、大企業が努力する姿勢を示したが、これも社会的雰囲気づくりであって主体が存在しない格好の例である。政局の場ではそれを「神の声」と呼ぶ。それでもなおかつ二者間関係論が根強いのは、人間的な主体を特定できない場合の「神」という便利な起因がいたのだが、神なき時代に宗教と切り離された形で道徳・秩序を維持するがためである。しかし本当の権力者は責任を回避するだけの権力を有するのが常である。刑法学で「人格形成責任論」というものがあるが、犯罪を犯した主体の責任と社会の責任との間で、折衷的な対応を取って問題そのものが顕在化するのを防いできた。その典型が極東軍事裁判であった。天皇を免責しつつA級戦犯を断罪するというのは、明治欽定憲法で天皇を軍隊の最高責任者と定めたことに矛盾している。「統帥権侵犯」と騒いだ戦前の軍人の主張はウソだった。天皇は真実無力であったから免責したというべきだった。そこで編み出されたのが、できるだけ小数の主体に責任を帰すことで因果関係を単純化しする法的なやり方は戦争裁判の特徴である。とにかくだれかに責任を帰することが、神なき時代において道徳意識を維持するためには必要だったのかもしれない。

2) 権力をどう変えるか

1) 権力は上からくるのか下からくるのか

権力は長い間上から降りてくるもの、あるいは中心からパワーが放射されるイメージで語られてきた。それは権力が神学的な起源をもっているためかもしれない。王権神授説は神から授かった権力で世俗の国王に下降しても、権力が一つの中心を持つ発想で継承された。主権者(国王)は領域内のすべての事項に最終決定権を持ち、領域外のだれからも指図されないものとされた。市民革命を経て人民が主権者となっても、主権のこうした絶対的な性格は継承された。中心は人民というがその実体は見えにくいものになった。人民主権は下からきているかのように見える。しかしルソーのいう「一般意思」という抽象的な中心を持ち、君主制と同じように絶対的である。この様に君主制であれ人民主権であれ、主権論は単一の権力中心を前提としているようである。そうした一元論的な権力を修正する議論を多元主義的論という。権力が複数の権力に分有されている点で自由な体制だといわれる。そのため多元論者は自由主義者と呼ばれる。中世では貴族主義(ノーブルオブリ―グ)、または近世では立憲主義である。こうした自由主義=多元主義=立憲主義は、権力中心に対する批判勢力として重要な意味を持ってきた。英国では20世紀初めのハロルド・ラスキラの政治的多元主義もまたそうである。自由主義者は主権を攻撃する根拠は特権に在った。規制緩和論で主権論の欺瞞性を雄弁に突いてくるが、自分たちの利益には口をつぐんでいる。自由主義の存立根拠は、ある名指し可能な権力中心(行政官僚)に対抗することにあるので、もし主権が分散し中心が見えないなら彼らの主張も根拠を失う。「権力は下からくる」というフーコ的な命題に関しては、自由主義者は沈黙または警戒する。しかし自由主義者は正統的マルクス主義のブルジョワ階級権力主体論は受け入れがたいのである。従来の権力観念が法的・制度的な観念と結びついてきたことに、フーコーは「未だに王の首を切り落としていないのだ」といって、出発点として国家の主権とか法の形態とか支配の相対的統一性を前提としてはならないと警告する。フーコーは権力の統一性が生まれるとしてもそれは「終末的形態」(結果)であって、権力はさまざまな場所に発生するとして、権力は戦略的状況(力関係)に与えられる名称であるという。フーコは権力の命題を5つ上げている。@権力は誰かが所有するのではなく、無数の点を出発点とする。A権力は経済的・知的・性的関係を外部から規定するのではなく、それらの関係の内部でそれらを生み出す。B権力は下からくる、二項的な支配関係を想定すべきではない。C権力は意図的であっても、被主体的である、全体をコントロールしている主体は存在しない。D権力のあるところ抵抗がある、つまり個別の権力に対する抵抗しかできない。 監獄に入れられた人間は常に権力者のまなざしにより監視され、規律を要求される。それを「規律権力」と呼ぶ。監視カメラに埋め尽くされた現代管理社会、学校、企業、軍隊、教会などがそれである。フーコーは「狂気の歴史」(1961年)で、西欧世界においては、かつて神霊によるものと考えられていた狂気が、なぜ精神病とみなされるようになったのかを研究する。彼が明らかにしようとするのは、西欧社会が伝統的に抑圧してきた狂気の創造的な力である。西欧では集団を管理する技術・施設テクノロジーが発達した。地域を囲い込んで外部と隔絶し、ペストなど疫病の管理、そしてそれが展開して「病気」として意識される狂気や犯罪にも適用された。いわば羊の群れの管理は、人々の心を管理する教会の使命であった。フーコー最後の著作は、「性の歴史」である。この一連の著作においてフーコーは、西洋社会の人間が自分たちを性的存在として理解するようになる諸段階を追究し、性的な自己概念を個人の道徳的・倫理的な生活に関係づけた。これをフーコーは「生―政治学」と呼んだ。具体的には国民全体の繁殖や出生率、健康、寿命などを管理する厚生省の役割を言う。キリスト教では性行動についての告白が重視された。性道徳や公衆衛生であるべき性の姿が説かれた。同性愛、離婚、婚外子、人口受精、ヒト遺伝子操作の倫理などは、権力に由来するものではないが、法的な制度と深く関係している。フーコーは社会内で作用している権力のかなりの部分が、主権の一元的決定に還元できないことを示そうとした。権力(主権)を動かして全体的な開放としての革命は不可能であり、それぞれの場所で作用している権力を、個別的に変えてゆく以外はないというのがフーコの主張である。フーコの理論では社会システムの権力拡大を重視することで、18世紀以来の西欧の絶対主義王政や産業革命後の国家主義の隆盛を説明することはできない。フーコーは社会集団の間の力関係から権力が発生する、すなわち権力は下からくるという、「主体なき権力論」である。マルクス主義は上部構造としての政治権力構造を、経済的社会階層的な生産関係の「下部構造」が規定する「経済決定論」を取る。

2) 権力と暴力

主体間関係として、暴力によって人を脅していうことを聞かせることと、権力によって人を動かすこととどう違うのだろうか。これは2者間関係論としての権力論に付き纏う問題である。権力論として非常にわかりやすい論であり、法が罰則を設けて施行を実効あるものにするのも最終的には説得ではなく暴力であるという論が成り立つ。暴力によって意図を遂げるというのは刑法学上のことだけであろうか。権力がむき出しの暴力を振るうのはクーデターとか革命、あるいは治安維持法による特高の拷問、赤とか非国民呼ばわりによる差別・弾圧、植民地における強制労働や強制連行・拉致など、権力が暴力を伴う事例は数えきれない。働きかけられる側のBにとっての選択の自由と言っても、かなり巧妙に仕掛けられた働きかけにおいては難しい問題である。典型的な権力と言える国家権力そのものが警察、自衛隊においてそもそも暴力的である。法的な暴力を権力作用(公権力)と称して権力の領域に含めること、それ以外の暴力は権力から排除するというダブルスタンダード(二重基準)でいままで国家権力はやってきた。金という権力資源について、「札束で頬を叩く」という言葉は行政権力の常套手段である。原発立地、沖縄米軍基地問題などはその分かりやすい例である。その金の出どころは権力者のポケットマネーではなく、国会で承認された国家予算つまり国民の税金である。湯水のような国債発行で無制限に使うことが可能である。ハイエクは市場は自由な関係であるというが、人間関係における交換関係は自由であっても、市場が本来持つ非対称性(知識情報、価値の不平等)は深刻な問題である。掠奪に近い貿易も重商時代には存在した。主体Aが言葉によってBを動かすことは暴力から最も遠いと見なされている。ハーバーマスらはコミュニケーションによる合意形成を秩序形成の政治を見なしている。暴力は政治ではないということである。正統マルクス主義は「国家は暴力装置」を持つと考え、コミュニケーションの背後にある圧倒的な非対称や暴力を見逃さない。マルクス主義陣営でもグラムシらは言語による政治的アイデンティティ形成を強調した。このように二者間関係論に立つ限り権力と暴力の間に境界線を引くことは難しそうである。これに対してアレントは「権力とは他人と協力して行動する人間の能力に対応する」ものと考えた。公的(権力)と私的(暴力)の対比として、両者は相いれないとした。一種共同体的な空間の可能性を示したといえる。アレンとが「公と私」の関係で捉えたとしたら、シュミットは「友ー敵」関係で政治を考えた。命令や施策にしたがうことに何の動機を見出せず、命令に抵抗するような構成員が一定の割合を越えれば、組織は機能しなくなる。従って権力は実際はむき出しの暴力を振るうことはできない。命令と服従の問題は、意見によって決まる。すべては権力の裏にある暴力ではなく、暴力の裏にある権力にかかっているのであるとアレントは言う。

3) つくる権力と作られた権力

権力には非対称性(力の圧倒的な差)は無視できない要因であるが、ある程度持続的な関係にある権力空間という側面もある。それは主体間の契約によって秩序が形成されるという法学的な「社会契約説的」な考え方である。社会の形成、維持に不可欠なルールとは何か。政治的秩序の正当性はどこにあるのだろうか。社会契約論とはそのような問いを根源まで掘り下げて考える思考実験装置である。普段は誰も意識しないで、その必要性も感じないし、誰がいつ定めたのか誰も知らない、実証性・実在性の極めて乏しい社会科学である。科学の分野でいう「定義・公理または仮定」かもしれないが、定理ではない。証明のしようがないからだ。しかし間違いなくヨーロッパ近世からフランス革命を経て近代の中心的的思想であった。ここから今では当たり前と思っている民主主義や主権在民を前提とする近代社会国家が生まれてきた。本書はこの「社会契約論」という近代思想を切り開いた巨人達、ホッブス、ヒューム、ロック、ルソー、ロールズの思索の軌跡をたどろうとする現代思想・政治思想の歴史である。まず社会契約論とはどんな思想なのだろうか。それは社会の起源を問う思想である。そして社会契約論は、社会が作られ維持されるために最低限必要なルールを問う思想である。そして社会は自然に成立したもので動かしがたいという考えを捨て、秩序はルールは人工的で状況次第でご破算でき新たな社会を創造しうるという前提に立つ思想である。従って社会契約論は人工物として社会をどうやって作るか、何によって維持されるのかを問う思想である。自然状態を出発点として「約束だけが社会である」この約束が社会契約で、それを通じて秩序が生まれるとする。ホッブス以来の近代政治理論は、社会契約説的な構成を前面に立てることによって、国家成立の暴力性を隠ぺいする結果となった。契約によって権力空間を作るという考えに魅力を感じない人は、共和主義に向かう。共和主義は多義的な概念であるが、絶対王政に反発する点では人民主権論に近いようでもある。共和主義を特徴づけるのは「主体の道徳的な能力の共有を重視する」点である。それぞれの共同体において基本的な価値観が共有されていることである。シビックヒューマ二ズムという古代の共和主義思想がジェームズ・ハリントンによって継承され、アメリカ合衆国の建国に当たって大きな影響を与えたという。これはJ・G・A・ポーコックの命題として今なお有力な見解である。コミュニタリアン(共同体主義者)と呼ばれる。共和主義者は個人の内面が主体化権力の所産であることを認める。あらかじめルールを内面化した市民が自発的に作る権力空間は対称的な構成員による自治を維持することができると信じられている。共和主義者は共和国の制度化に熱心である。共和国の体制について決定権力を持つ主体の範囲を変更することは共和主義者の最も恐れるやり方である。連続性の維持に最も神経を使うのである。こうしてみると共和主義が国民主義ナショナリズムに共鳴しやすい体質であることは明らかである。従来国民として囲い込まれたのとは異なる単位に対して排除と拒否反応を示す。日本人だから「日本国憲法」を持ちたいと願い「自主憲法制定」に熱意を示す人々がいるが、良い憲法を改める理論的根拠を示す事ができない。そこで恐るべき懐古趣味が台頭する危険性がある。法が暴力によって事実上形成されたという命題を提出したのは、ヴァルター・ベンヤミンであった。カオスから秩序を通りだす時は暴力が働く。しかし秩序が成立すると、権力は「刀狩り」を行い、暴力の根を断ち法を全面に展開する。毛沢東は露骨にも「鉄砲が革命を生む」といった。秩序を形成する暴力を「法措置的暴力」と呼び、できた秩序を守る暴力は「法維持的暴力」とよび適法で、秩序を壊すことは不法という。秩序は自己目的化される。ベンヤミンはこうした「法措置的暴力」と「法維持的暴力」を総称して「神話的暴力」と呼び、その暴力性を告発するのである。この「神話的暴力」はジャック・デリダも指摘するように、抑圧的な支配を脱出する最終的な一撃となる解放のドグマとなる。するとどのいつ所も最終的ではなく、何時でも作り直すことができることに他ならない。フーコ的な権力論も同じ見方である。では人々は権力空間を支持する動機はどこに置くのだろうか。一つは「勝ち組」つまり権力空間の中で何らかの意味で優位を占め得ると考えるからだ。こういう人は権力の解体よりは維持に関心を持つ。第2の動機はたとえ勝ち組でなくとも、どんな秩序でも無秩序よりはましだとする比較ベター論である。第3の動機は知の役割、つまりイデオロギーの主体形成機能である。ナショナリズムはその典型である。その社会で負け組の人でさえ、その国民性を守るために立ち上がる。教育や欺瞞的思想がかなり有効に機能している場合である。ナチの反ユダヤ主義がその典型である。スラヴォイ・ジジェックは「イデオロギー的幻想」の中で、荒唐無稽なイデオロギーでさえ喜んで受け入れる事実を暴きださなければ幻想はなくならないという。

4) 権力と自由

権力という一筋縄ではいかないものを考えているとき、さらに「自由」という対立軸を持ってきたらどうなるのだろうか。権力を二者間関係だけでなく、権力空間という側面から考えるにしても、自由という概念との関係で権力を考えないと片手落ちになる。バーリンは自由観には「消極的自由」と「積極的自由」という二つの系譜があると言った。何かをしようとして意図を妨害されないという自由が「消極的自由観」であり、二者間関係的な権力に対応している。この見方では権力と自由は相容れない。これに対して「自分自身の主人であろうとする」ことを自由の本質と環あげる「積極的自由観」がある。たとえば国民的アイデンティティへの欲求にはこうした積極的自由観がある。マルクス的社会主義体制での積極的自由観と市場経済体制での消極的自由観と対比もある。こうした自由の二つの動機は権力の2側面と対応しているようだ。個人の意図を尊重するという意味での消極的自由観は寛容な考えのようである。しかしバラバラの意欲の集団では秩序は生まれない。人間のあるべき姿(規範観)を想定しないと消極的自由観では秩序は形成できない。積極的自由観は、権力空間論とりわけ共和主義的な秩序と深くかかわる。それは主体形成権力を明示的に評価する考えに他ならない。従って消極的自由観は二者間関係的権力観に対応し、積極的自由観は権力空間の共有を強調する権力観に対応している。一旦成立した権力は暴力をもってしても守るという保守的な態度ではなく、権力空間の成立そのものは認めながら、その内部の非対称性を隠蔽しないで新たな権力空間を考えるフーコの自由な権力観からは、「権力に対する抵抗権」を設定する。彼の抵抗は、権力の外からの解放のプロジジェクトに対する批判となる。マルクス主義の階級による権力打倒(解放論)に組しないのである。フーコーの考えに対する批判は「権力のあるところ抵抗がある」という「反権力論」(権力の否定的な面だけを強調する)であるという批判がある。ニーチェやフランクフルト楽派による近代批判と受け取る人々からの反論であった。企業や学校に働く権力全般にわたる闘争宣言と見たわけである。フーコの抵抗論に対する批判の第2は、かれの主体化権力論と抵抗論の整合性に向けられた。フーコは権力と支配を区別し、選択の余地のない権力(支配)では権力は影響力をなくしている、自由があるからこそ権力は作用するのであるという。すんわち西欧では人間は何かに従属すると同時に、自ら主体となるという二重性を帯びている。フーコーは権力の不完全性に根拠を求めている。フーコーの抵抗論に対する第3の批判は、それぞれの場所で抵抗はローカルに行われることに向けられた。批判の主張は、ローカルな現場での抵抗は無力であり、法という形でルールを制度化する国家レベルの闘いであるという。現実はむしろフーコの認識に近い。あらゆる権力の源泉である特権的な主体のようなものが見つけにくいことが多いからである。経済のグローバル化によって、国民経済が自己完結しないし、企業の命運の方が法的な国家の命運より火急性が要求される。EU(ヨーロッパ連合)の主体性は各国の国民経済との相克に未だに迷走しているのである。原発訴訟では法的には原発が国是である限り、いつも玄関払いで国側の100%勝訴になっている。これに対しさまざまな形での住民投票が行われつつある。従来の法制に対するローカルな現場からの異議申し立て(抵抗)に他ならない。今の権力が気に入らないので抵抗するが、かといって権力の外には出ることはしない、また別の権力に対しては抵抗を永遠に繰り返すというのがフーコーの考えである。いわば永久革命のようなイメージで語るが、実際は脱政治主義、ないし静寂主義に?がりかねないという批判がある。マルクス主義から出発した解放をめぐるラクラウの議論は、権力関係の非対称性は、それが階級対立という形をとるとは限らず、いろいろな対立軸を示すとした。文化的な対立を重視する多文化主義に近い。ラクラウはそもそも解放というものは原理的に不可能であるという点から出発している。解放と言っても軸の移動に過ぎないのでないか、改革や抵抗と言ってもいいのではないかという。多元主義はもともと普遍性を信用しない。ラフラウはこれを「等価性」と呼んだ。


U部  権力の系譜学

1) 政治における「近代」と「脱近代」

1) 近代とは

近代とはどの様な生き方であったのだロウという問いで本章は始まる。規律権力の権化である、軍隊と工場と監獄はよく似ている。フーコ―は「監獄の誕生―監視と処罰」(1975年)において、近代における監獄制度の誕生を解説する。そもそも18世紀までの西洋には監獄は存在せず、刑罰は公開処刑が一般的であった。人民主権を謳うフランス革命では国王でさえ断頭台の露に消えた。18世紀末の出現した監獄制度はまたたくまに西欧に広がった。これは近代の人間主義の成果であろうか。フーコ―はそうとは見ない。改革の主眼は経済性に在った。凶悪犯罪者を矯正して再度労働力として使うことであった。こういったエコノミーの導入が、つまり権力のあり方の変容を意味すると考えた。フーコ―が注目したのは、19世紀ベンサムが考案したと言われる監獄の監視塔(パノプティコン」)である。中央の監視塔の周り、あるいは放射線状に牢獄をの建物を配置することである。これによって囚人からは見えない監視人の目にいつも曝されていると感じさせることである。実際監視人がいるかどうかは問題ではなく、現在でいえば監視カメラで24時間監視されているのも同じ効果である。殺す権力から生かして使う権力に変化したとフーコーは見たわけである。日本でも明治以来、富国強兵策に役立つ「リテラシー教育」を重視した。軍隊でも歩き方から教育した。こうして近代に数多く作られた施設、学校、監獄、工場、兵営等は共通の原理で貫かれている。空間・時間・身体の徹底した管理が行われた。産業革命では流れ作業(アダムスミスが言う分業化あるいは科学的管理法)が開始され、生産能率は向上した。このような人間行動の規格化が進行すると、ナチや社会主義にみられる画一化された一斉行動に快感さえ生まれるのである。分業化がもたらす大量生産は当然大量消費によって支えている。アルバート・O・ハーシュマンのよると、19世紀の大量消費生活に対して、知識人層の反発・侮蔑があったという。安価な製品を偽物と呼んだという。生産現場において労働者に加えられた権力が、消費者にも同様に作用した。大量生産の規格品がブランドに転化したのである。トヨタの車、マクドナルドのハンバーガーでなければならなくなった。スーパーマーケットとコンビニという制度が、商品の生産者と販売者の行動を管理するのみならず、相補者の行動をも管理している。近代は時間空間そして人間の身体を徹底して規格化ないし標準化する衝動と共に我々は生活している。

2) 近代の政治

トマス・ホッブス(1588-1679)はイングランドのマームズベリに生まれ、ルネッサンス以降の人文主義的教養を身につけ、政治の問題を宗教から切り離して、独立の問題して考える習慣を受け継いだ。彼の生きた17世紀は「科学革命の時代」と呼ばれ多様な自然科学が飛躍的に発展した。主著「リバイサン」は、政治社会の法則を解き明かそうとした点で斬新であった。社会科学はホッブスから始まる。政治に関する著作として、1640年に「法学原理」、1642年に「市民論」、1651年に「リバイサン」、1755年に「物体論」、1658年に「人間論」が出版された。すべての著書は晩年の書である。その理由はその間自然から人間社会を独自の視点で捉える政治理論が熟成するまでに時間がかかったということも発表が遅れたといわれる。ホッブスの「リバイサン」とマキャヴェリの「君主論」の2書は、毀誉褒貶の激しい過激でエキセントリックな近代政治思想の中で異彩を放った書物であった。ホッブスの主著「リバイサン」のタイトル「リバイサン」とは恐ろしげな海の怪物という意味である。秩序の無い状態を「自然状態」と呼び、自然状態では人と人は闘争状態にあるという。そこで他人に殺されないために互いに殺さないという契約を結ぶ。これが社会契約である。そして全員の武装を解除し、約束を守らさせるために、武装する権利を第3者の誰かに譲る。それが国家であり、「夜警国家論」ともいわれる。ホッブスの人間像は、性悪説にもとずく醜悪さで代表される分かりやすい理解である。分かりにくいのは創ろうとする政治社会の像である。ホッブス評価が定まらないのはこのためである。ホッブスが政治秩序を始めるその瞬間に約束があるという点が独創的で「約束の思想家」と言われる由縁であった。人の行為がいいとか悪いとかはさておいて、ホッブスは最も重要な基本的な事柄として「自己保存」を置く。生身の人間の激しいぶつかり合いからどうして秩序が生まれるのか。ホッブスは必ずしも明確に語っていない。後世これを「ホッブス問題」と称する。ホッブスは自然状態を「万人の万人に対する闘争」と考えた。自然状態を脱して法が強制力を発揮する政治社会に至る道、きっかけを考えるのが「ホッブス問題」である。人々が一斉に武装解除をするのでなければ、いつまでたっても契約は成立せず政治社会が現出することはない。ホッブスはここで「理性の命令」という概念を出してくる。社会契約には強い義務が発生する。ホッブスは契約が法とは違うことを強調している。法とは上下関係に基づく命令であり、これに対して社会契約は自由意思に基づく対等な人間の約束なのである。自由な合意と約束を通じて当事者双方を未来に向けて拘束する。その強い力は契約の中にある。つまり約束は約束する人間を時間制を伴って拘束の内に引き込むのである。これは個人間を互いに引きつけ合う引力である。契約とは人が何かを譲ることである前に、人と人とが約束を通じて関係の内に入ることである。それは政治的共同体の始まりだけではなく、それが維持されるためにも力を与え続けるのだ。「約束だけが政治社会に力を与え続ける」これが社会契約論の核心であり、ホッブスが社会契約論の創始者である由縁である。ホッブスを近代政治理論の創始者と呼んでも過剰評価ではない。ルソーが描く「社会契約」のハードルは高く理想的で次の条件を満たすものであること。第1に契約は限りなく強いこと、第2に普遍的でシンプルでなければならない、第3に政治社会には寿命があるが社会契約は持続性がなければならない、第4に社会契約は拘束を生むが個人は依然として自由であることである。契約の条項は「我々は身体とすべての能力を共同のものとし、一般意思の下に置く。それに応じて我々は団体の中で各構成員を分割不可能な全体の一部として受け入れる」というものである。これは「全面譲渡」に相当する。自由と平等と相互性の理念は、一般性あるいは一般意思と不可分に結びついている。ルソーは主権者が第3者(絶対主義的国王、官僚など)であることは絶対に忌避されなければならない。命さえ守ってくれるなら誰でもいいとするホッブスのようなあいまいさは避けるべきだとする。主権者は人民でなければならない。「社会構成員」とは「一つの精神的で集合的な団体」とされる。そしてその構成員は共同の自我と生命、意志をもつという、抽象的な内容に昇華される。社会契約を結んで新しい社会を作ろうと考えた瞬間、その人は契約当事者で政治体の一員としての自己となる。その内部で自分を含む全体との間で結ばれる契約が「社会契約」なのである。さらにこの共同体、政治体が担う意志が「一般意思」なのである。一般意思とは法を作る意志であり、個々の意志の総和ではないのだ。ルソーの政治体の内部にいる人は3つの名称で呼ばれる。第1は法を作り政治に参加し、共同体を動かす「市民」、第2に自ら進んで法やルールに従う「臣民」、第3に政治体参加者である市民の集団を全体として見たら「人民」と呼ばれる。人民を国家のアクターとみる「主権者」となり、主権者が人民である時人民主権(主権在民)が成立している。一般意思とはかくも厳しい自己規制制度を要求するのであるが、その実態はやはり曖昧である。

これについてアダムスミスは、アダムスミス著 水田洋訳「道徳感情論」(岩波文庫)において、社会秩序を導く人間本性は何かを明らかにした。私達は、自分の感情や行為が他人の目に晒される事を意識し、他人から是認されたい、或いは他人から否認されたくないと願うようになる。スミスはこの願望は人類共通のものであり、しかも最大級の重要性を持つものだと考える。経験によってすべての感情、行為が、すべての同朋の同意・是認を得られるものではないことを知る。そこで経験的に自分の中に公平な観察者を形成し、その是認・否定にしたがって自分の感情や行為を判断するようになる。同時に他人の感情・行為も判断する。人間による他人に対する行為について、賞賛や非難は行為の動機と結果の両方を考慮してなされる。我々は動機よりも結果に眼を奪われがちで、その意図しない結果は偶然に影響される事がある。世間が結果に影響されて賞賛や非難の程度を変えることは、社会の利益を促進し、過失による損害を減少させるとともに、個人の心の自由を保障するのである。意図しない結果を恨んで「神」にすがったり、「良心の呵責」に苦しんだり、「自己欺瞞」でごまかしたり、「濡れ衣」に苦しめられたりする。基本的に胸中の公平な観察者の判断に従う人を「賢人」といい、常に世間の評価を気にする人を「弱い人」と呼んだ。適切であるかどうかの一般的諸規則は他人との交際によって、そして非難への恐怖と賞賛への願望という感情によって形成されるのである。自分の行為の基準としての一般的諸規則を考慮しなければならないと思う感覚を「義務の感覚」という。この「義務の感覚によって、利己心や自愛心を制御するのである。「胸中の公平な観察者」はこの一般的諸規則への違反を自己非難の責め苦によって厳しく処罰することで、心の平静が得られるのである。この一般的規則を「正義」という。スミスは社会を支える土台は正義であって慈恵ではないと考える。私達がこのような動機から法を定め、それを遵守することによって、平和で安全な生活を営む事ができるのである。 こうしてアダムスミスは心の中に、「公平な観察者」とよぶ自己規制装置を置くのである。神が死んだので、すべては人間が決定しなければならない。スミスの市場に働く「神の手」は需要と供給の比喩にすぎない。この近代政治の「世俗性」をどう評価するかは近代の評価につながる重要な論点である。近代社会の素晴らしい発展は産業革命後の資本主義の台頭と、労働こそ人間にふさわしい行為であるとする意識、人間の労働こそ価値創造の源であるという考えによって成し遂げられた。マックスウエーバー著 大塚久雄訳「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(岩波文庫)には、労働が人間の活動の総体に占める比率が高まり、労働は人間にとって本質的な行いと見なされるようになったと述べている。ベンジャミン・フランクリンの信仰白書(資本主義の精神)が端的な生活規律を示している。利を私にしない厳格な倫理をもち、経営体の利の増殖のみを優先して追い求める企業家が必要であった。これらの労働と資本の精神を暫定的に「資本主義の精神」となずける。資本主義の個人にもとめる道徳的資源とは(教育上の求められる人間像)、厳格な生活のしつけと教育を受け、市民的なものの見方と原則を身につけ熟慮と断行力を持ち、とりわけ冷静に合理的に物事に打ち込んでゆけるような人々である。それにはある時期宗教的な禁欲的特徴を持つ人々が適格であった。 この考えがマルチン・ルターの天職観念と結びついたとウエーバーは考えた。政治学の流れの中で労働を真剣に取りあげた人物としてジョンロックがいる。ジョン・ロック(1632年ー1704年)は、17世紀末に「社会契約説」を唱えた政治思想家である。人間の自然状態をホッブスは戦争・闘争状態と考えたが、ロックの自然状態は、他人の生命・財産・自由をむやみに損ねてはいけないという程度の自然法が守られているとした。労働価値説の源泉といわれるジョン・ロックの労働説では、当人の所有物となるのは当人の労働の果実として自然界の共有物から切り離されたものであるといわれ、必要の限度を超えた財産の私有は、貯蔵を可能とするところの貨幣の価値に承認を与える社会契約にその根拠を有するとされた。こうしてロックは近代の支配的原理の一つである私的所有権を導き出した。労働する存在としての人間を、所有する存在としての人間に置き換えた。マルクスの「労働価値説」は自然物に価値を付加するのは労働であるとした。同時に投資した金が商品に変わりさらに高い価値を持つのマルクスの議論は労働の為であるという。労働こそ人間にとって本質的であるという前提に立っている。これに対して労働の優位を批判したハンナ・アーレンがいる。アーレンは人間の行動様式として、活動、仕事、労働を区別し、活動=政治、井事=芸術文化、労働=生産と考えた。政治の純粋性を経済活動から切り離した高次な活動だとした。国民が投票によって国制の代表者を選出する議会民主主義という制度は近代になって確立したが、公民が国の全体に関わる事項を、構成する公民が決定することが共和制である。普通選挙法に依る代表民主制である議会が、政治にかかわるあらゆる問題を解決したかいつも問題となる。議会が有効に働かないと、寡占エリートによる独裁制に移行する。レスリー・スティーヴンは労働者の影響力を立法から排除するのが議会であるとさえ言っている。ハシューマンは普通選挙法を、革命という暴発から守るための「安全弁」であるという考えを述べている。我国の普通選挙法が治安維持法と抱き合わせで成立した経緯がそれを物語っている。ハーバーマスは討論する大衆が失われ、マスコミを通じて世論が形成される大衆社会では、政治について日常的に考得る大衆はいないとという。又ヨーゼフ・シュペンターは、民主主義的方法が腐敗し、人民による支配ではなく政治家による支配にほかならないという。これらのシニカルな議論は、議会民主主義を革命への防波堤として受け入れ、それが愚民政治(多数者の専制)につながることを恐れているようだ。

3) 脱近代の構図

脱近代(ポストモダン)と呼ばれる思想的系譜は、ニーチェの影響下にある。その代表的理論家であるフーコーは、人間が自分も他人も一定の型に当てはめることを告発した。フーコーは、そもそも人間には本質なぞはない、人間を特定の類型に整理することは不当であると言いたかったのだろう。アドルのとホルクハイマーは、野蛮からの解放を目指す啓蒙が、かえって新たなやばんを生むという逆説を示した。人間が労働を通じて自然を隅々まで支配する主体になろうとしてきたが、それが自分自身を疎外(抑圧)するのである。ウィリアム・コノリーは自己というものが他者との対比で初めて成り立つことを問題にした。合理的主体になれという要求を自らに課し、自分の中でそれに逆らう非合理な部分を服従させ(抑圧し)ようと努力する。そしてそれを他人にまで要求し、枠をはみだす存在は排除するか矯正しようとする。ホッブスとルソーの社会契約的理解は、それぞれ自己利益と協同体の徳というアイデンティティを人間に押し付けるものであったし、マルクスの類型存在という理想は他者の抑圧となった。さらにコノリーは現在のアメリカの保守化を労働者におけるアイデンティティの過剰が生み出したという。自らの労働にただ乗りする移民や貧困層の排除を考えているからである。人種問題や福祉政策の後退につながった。このような近代批判に対し、近代を擁護する側からの反論もなされた。共同体論者(コミュニタリアン)であるチャールス・テイラーはフーコーを批判して、フーコーは近代のもたらした良い面を過小評価していると指摘した。規律化の悪い面だけではなく、人間の生命や日常生活を優先する面を評価すべきであるとした。人間はある伝統の中で生まれてくるもので、それがアイデンティティであるのだという。テイラーは近代化の延長線上に、平等な個人の自由な結合という、彼の理想とする政治の実現を夢見ている。ハーバーマスも人間と人間との自由で平等な関係としての「相互行為」の可能性も近代によって開かかれたと主張した。これら近代派の主張は端的に言うと「近代は監獄に似ているが、監獄ではない」というが、脱近代派は「近代は監獄ではないにしても、監獄に似ている」という平行線で推移してきた。脱近代派の近代派への深刻な批判は、彼らが近代を救済するために、労働の問題を棚上げにしていることであるという。ハーバーマスへの批判は、一方で工場労働の幻術をそのままにしておいて、他方で強制の無い自由なコミュニケーションを実現するということは果たして可能なのかという点である。脱近代派のフーコー労働する存在としての人間観をわれわれが否定できるかどうかについては沈黙している。コノリーについても経済成長を至上目的とする「生産力文明」的近代を批判するが、では規律・規格化を緩めて、労働と消費を減らす覚悟はあるのかと問われるのである。西洋哲学の行き詰まりは、哲学自体があまりに近代の権力と一体化してきたため、社会における規格化の波をおしとどめる論理を構成しえないことにある。日本の近代化も、追いつき追い越せ式の効率重視の不格好なまでに誇張された西洋的近代化を再演してきたことこそ、日本の近代史の悲喜劇であった。

2) ミシェル・フーコーと政治理論

1) フーコーの仕事

フーコーは従来の政治学の主流を占めてきた学派とは全く異なる視点で権力観を示すことによって、政治学に深刻な衝撃を与えてきた。フーコーは自分の方法について最初は「考古学」と呼び、その後「系譜学」と呼んだ。「考古学」時代の著作は、「狂気の歴史」、「言葉と物」、「知の考古学」、「系譜学」時代の著作には「言語表現の秩序」、「監視と処罰」、「性の歴史」がある。考古学時代にはフーコーは「エピステーメー」(ある時代のあらゆる知識を秩序付ける構造 パラダイムに近い概念)を軸に解説している。言語表現の間に存在するルールの発見という意味で、知を規定するルールを明らかにしようとした。まだこの時期は知を規定するルールと社会実践を規定する権力の関係の問題ははっきり述べてはいない。「系譜学」の時代になると、フーコーは権力/知の相互関係について注意を向けるようになる。「真理は権力なしには存在しない」という。社会は固有の真理体制を備えていて、これは真理は権力によって生み出されることを言っている。フーコーは構造主義からもマルクス主義からも離れた。マルクス主義の解放理論の否定に関して歴史の法則というものを「系譜学」は拒否するのである。歴史とは偶然性の積み重ねに過ぎないというニーチェ主義を前面に立ててマルクス主義とは一線を画するのである。「狂気の歴史」においてフーコーは、産業育成のためには非合理的存在に対して基本的に「排除としての権力」を前提としたが、「系譜学」時代にはフーコーの権力概念は大きく変わった。犯罪者の身体と魂の改造・矯正・再生に重点を置くようになった。権力は排除であったが、今やそれは「規律」となった。規律のテクノロジ−は監獄に限らず学校、工場、病院などの施設に適用され、我々の社会を広く覆っているという。続いて「性の歴史」においてフーコーが描くのは、客体としての成立過程と相補的な主体としての人間の成立過程であった。これをフーコーは「牧人・司祭型権力」とよぶ。人間は従属的な存在でありながら、自分の真理を語る主体でもある。こういう意味で、支配者も被支配者も両方とも「主体化」の権力を及ぼされていると考える。こうして新しい権力は生命に対して積極的に働きかける権力となる。これを「生の権力」と呼ぶのである。近代からの人文科学の進歩は、法学を始め心理学、統計学、犯罪学など人間を客体化するテクノロジーとして、国民を統治する技法の開発によって、生権力の理論は支援されてきた。そこでは権威システムや規律などはいらない、個別的な「生の技術」が必要とされる。普遍的な真理に基づく革命ではなく、アド・ホックな抵抗の問題に転換された。限定的な分野で現実的・物質的・日常的闘争についての知を提供する「特定領域の知識人」こそが必要なのであると説く。

2) フーコーの評価

ジョン・ライクマンはフーコーを懐疑主義者と呼んだ。フーコーはカント以来の哲学的人間像の独断的統一性に我慢ならなかった。フーコーの手法は「唯名論」(中世スコラ哲学において、普遍的類・概念・カテゴリーは存在しないという個別相対論)で、切り捨てた実体論からは激しい反発を受けた。フーコーが政治学者の注目を集めるのは、権力という現代政治学にとって重要なカギと言える概念が行き詰まっていたからである。1950年代はロバート・ダールの定義に見られるように、ある主体が別の主体に及ぼす権力観念が一般的であった。マルクス主義的権力観念もその典型であった。ダールはアメリカのコミュニティ調査を行い、権力は一人の手に集中してはおらず、多元的に分散しているという結論を下した。1970年代にバクラックとバラッツは、政治的争点の範囲そのものを管理する権力の存在を指摘した。紛糾しそうな争点はあらかじめ権力によって排除されているという論である。スティーブン・ルークスはさらに客体Bは自らの新の利害について認識する(アプローチする)ことを権力によって阻まれていると主張した。それはマルクス主義の「虚偽意識」論と類縁であった。権力側による抑圧が、権力を行使される側の意識を歪曲するという考えである。フーコーの系譜学は、主体なるものがそもそも権力の所産であって、なお主体の意志に還元できない戦略の存在を指摘した。ホッブス以来の近代政治理論においてもマルクス主義政治理論においても、権力はもっぱら国家のみに集中していると見なされてきたが、フーコーは権力は我々の社会の隅々まで見られるとした。そして権力全体との対決は、国家においても社会においても不可能とされ、解放の方向は否定された。フーコーの政治の歴史は絶対王制時代から近代への移行は何ら進歩ではなく、権力の移動に過ぎない党近代批判を展開した。これに対して様々な人の批判が出た。テイラーはフーコーの近代批判は度を過ぎていると反発し、近代の日常重視や平等参加は少なからぬ利得をもたらしたという近代化擁護論を主張した。ハーバーマスも近代のもたらしたものには正負両面があるとしたうえで、近代のもたらした社会化はフーコーは権力に奉仕するものと見なしているが、社会化は個人の自立性を促進したと主張した。ウォルツァーはソヴィエト社会よりも西欧社会の方が権力に対して自由度があると反論した。ナンシー・フレイザーはフーコーの近代の人間主義に対する厳しい態度は、主体―客体の関係ではなく主体も客体も人間の属性であることからきていると解説した。一方ウィリアム・コノリーはフーコー擁護の論陣を張ったが、主体を相対化するフーコーの議論を支持した。これらの批判に対してフーコーの一貫した立場は、規律する権力に抵抗することを前提とするものであった。フーコー自身はかっれの歴史記述対象はいかなる意図にもよらない恣意的なもので、彼の告発という実践的意味の表象である。テイラーは、フーコーが言う様にすべての言語表現はある真理体制に属しているから、いかなる知も権力から派生し権力に奉仕するものでしかないとするならば、フーコーの立つ位置はどこなのかを問題とした。フーコーは権力から自由な特別の位置を占めているのか。自分の批判の根拠さ絵失っているのではないかという主張である。相互に際限なく否定し合うこの言及関係のパラドックスは、フーコーの権力/知の間にも働いているようである。フーコーは我々は権力/知関係の外側には出られないという。これは我々は言語ゲームの外側には出られないとしたヴィトゲンシュタインの見解と同じになる。またローカルな抵抗として政治の観念についてもさまざな批判がある。マイケル・ウォルツアーは、フーコーは権力中心としての国家を否定し、社会内の権力作用を強調しすぎていると批判した。フーコーの権力は徹頭徹尾ばバラバラであると指摘している。社会主義国では今なおミクロな抵抗さえ全面的に否定され監視されている。では西欧において本当に国家が度外視しうるようになったのか。トム・キーナンは、フーコーのローカルな抵抗論は、真理体制には外部はないとするフーコーの理論からきていると考え、諸々の解放理論が「いつか外へ出られるから革命せよ」とするのであれば、フーコーは「出口はないから抵抗しろ」というものである。テイラーはそれでは抵抗の根拠さえ失い、保守的な諦観ではないかと反論している。支配/被支配、主体/客体、規律/自由もすべて人間内部から出ているとすれば、全面的解放とはまやかしであり、賢明に人はよりベターな権力を目指すべきということかもしれない。

3) 啓蒙と批判ーカント、フーコー、ハーバーマスについて

1) 啓蒙主義者フーコー

フーコーは「言葉と物」でカント人間学を激しく攻撃したことは周知のことであるが、ハーバーマスは、フーコーらニーチェ主義者はアポリア(哲学上の行き詰まり)に陥らざるを得ないと主張した。ところがフーコーは最晩年「啓蒙とは何か」においてカントの再評価を行った。このことがハーバーマスを大いに当惑させたのである。このことは必ずしもフーコーの回心〈変心)ではないようなので、この章ではカントを巡ってフーコーとハーバーマスの対立と接点を考えることにする。カントの「啓蒙とは何か」における定義を見ると、「啓蒙とは、人間が自分未成年状態から抜け出ること」である。つまり他人の指導を離れて自立することでる。カントは啓蒙を成し遂げるには、自分の理性をあらゆる点で公的に使用する自由が保障されなければならないと強調する。理性の公的な使用と私的な使用という二分法を導入する。本来の意味における公衆一般に向って自説を述べる学者の行為であり、これは何物によっても制約されてはならない。宗教は私的な行為であるが、人間が理性を自由に使用する公的空間というべきものを想定している。明治維新の五か条の御誓文の「公議公論」がそれに近い。啓蒙こそが長期的に統治を安定させるものであって、不安定にさせるものではないとカントは確信した。こうしたカントの言葉についてフーコーはコメントしている。18世紀末にカントが言うような社会的政治的分化的転換期はなかった。カントは「啓蒙」という実践を行うだけであるとフーコーは考えた。実体がなくてもそれを実践することで過去の何かが変わるという差異だけに注目するのである。現在を受け止めるにあたって、普遍的な秩序の中でそれが占める地位や段階といったものを想定しない態度こそ、フーコーによれば近代人の態度である。フーコーは「啓蒙は批判の時代なのである」という。批判的吟味としての「啓蒙」は今後我々にとって重要であるという。フーコーにとって批判対象であったカントの人間学とカント的啓蒙は異なるのであり、カント再評価はフーコーの回心ではない。人間主義という哲学的立場は、人間とは何かを説明するための、様々な分野の人間観を借用するやりかたである。これに対して啓蒙とは、常に自らの同一性の必然性を疑い自己批判を繰り返してゆくことである。カントは確かに人間学=人文科学への道を切り開いたが、このような人文科学は、人間のあるべき姿を規定することによって、人々を規律化する権力と共犯関係にあった。人間学的な眠りから目を覚ます役割は、もっぱらニーチェに期待された。神を殺した人間たちは、人間だけに依拠する意味体系を目指したが、それは成功せずやがて人間学は破綻するとニーチェは予言した。自らの現在を批判的に吟味するカントの態度は、ヘーゲルからニーチェとウェーバーを経てフランクフルト学派に受け継がれたが、フーコー自身もそれに連なると自分を位置づけた。

2) 道徳と討議倫理

ハーバーマスはその「近代の哲学的ディスクルス」において次の3点からフーコー批判を行った。@歴史著述を客観的に眺めようとして現在主義に陥っている。A相対主義を導くが、権力との関係で自身の立場は不明である。Bフーコーの抵抗はひとつの規範的判断を伴うが、その内容は彼自身何も語らない。反対のための恣意的な党派性のそしりを免れない。前節でも述べたが、カントの啓蒙と人間主義との分離にハーバーマスは留意していない。むしろ絶えざる自己批判としての啓蒙は近代を未完のプロジェクトとして捉えるハーバーマスの論点と共通する。しかしフーコとハーバーマスの決定的な違いは、人々の間の道徳的合意の必要性を強調するか、其れとも個人の?ン理的な自発性を強調するかの対立であった。ハーバーマスは「コミュニケーション的行為の理論」などの著作で、人々の合意形成の可能性を追求してきた。近代において「神の死」という形で従来の目的論的な秩序が失われたこと明らかであるとしても、それに対応する近代思想の態度は二分された。ニーチェらは普遍性の喪失は動かし難いとして、倫理学における価値判断は話手の情緒に過ぎないとする。フーコーもニーチェの末裔であろう。これに対して道徳の普遍性を保持しようとする立場の人は目的論的な秩序の回復を目論む。レオ・シュトラウスのようなアリストテレス主義者やマッキンタイアーらのような共同体論者(コミュニタリアン)がいる。ハーバーマスは道徳の合意はもはやあり得ないとしながら、正義についての合意は必要としており、義務論にも近い。人々の間で対話的な決定過程を求めるのである。自分に有利な戦略的行為(策略)の人と理性的に説得するコミュニケーション的行為の人の対話が成り立つかどうかは疑問であるが、自然科学者や専門家間で行われてきている「討議倫理」が可能でるとハーバーマスは期待する。ハーバーマスは「道徳と倫理的生活」のなかで、種としての人類の脆弱性とそこからくる二面性を明確に考慮したヘーゲルに注目する。二面性の問題とは、個人の不可侵性と相互的な主観性をどう折り合わせるかという問題である。個人のアイデンティティは集団のアイデンティティと相互依存性がある。ヘーゲルは「人倫」の概念を示した。ハーバーマスが構築した「討議倫理」はヘーゲル的意図を取り上げ、カント的手段で再興するものに他ならない。これに対してはアリストテレス主義者から形式的な合意に過ぎないという批判もある。ニーチェ主義者からの反論は、ハーバーマスは自律性に西洋的自由観を持ち込むだけのことだという。ハーバーマスは道徳的普遍主義自体がルソーとカントによってもたらされた歴史的産物に過ぎないと認めながら、普遍的な意味合いを持つことが可能だというのである。

3) 自由の実践としての倫理

ハーバーマスは道徳についての合意可能性を主張するが、フーコーは道徳規範と個人的な倫理とを峻別し、個人的倫理を強調する。個々人が自分が振る舞う流儀について決定する倫理と道徳規範が葛藤することが実践なのである。道徳規範が単に抽象的に存在することはあり得ず、かならず具体的な実践として現れるのである。倫理が普遍的なものではなく、様々な形を取り得る偶然的であることを強調する。ハーバーマスは倫理の普遍性を追求するがゆえに、権力を悪いものとみなしそれをなくそうと努めるが、権力関係は決してなくならないというのがフーコーの考えである。フーコーはコミュニケーションの中で権力関係を解消するのではなく、権力ゲームを最小限の支配ですることが、「新しい倫理」だとする。この抑圧―解放図式への反論はフロイト主義者にも向けられる。ここでフーコーは権力と支配を区別する論理を展開する。二項的な主体間の対立は支配とされるが、権力とはある社会に存在する諸々の戦略的な関係全体をさし、誰かが保有するものでもないし、誰かの意図に還元できるものでもない。すなわち「生ー権力」への転換を為した。「生ー権力」はそれぞれの人間の身体の振舞をある特定の形態に規律化するミクロな側面と、人口全体の維持や増殖を管理するマクロな側面で働くものとされる。これを「牧人―司祭権力」なる概念で呼ぶ。国家理性とは国民という群れの管理について国家が責任を持つという考えである。社会のユーティリティから福祉国家にまでわたる幅広い現代の福祉国家論につながる。フーコーは「性の歴史」でヘレニズム期に回帰して、ギリシャ的な自己への配慮から、キリスト教的な他者への配慮に取って代られた過程を描いた。晩年のフーコーはこの失われた個人の自由な倫理の復活を夢見たようである。

4) 倫理と権力

フーコーは絶対王政までの時代には人間は存在しなかったとのべ、「人間」とはカントにつながる人間主義の所産に過ぎないといった。そういう人間観を作り出すうえで人文科学は権力と共犯関係に入ったとすることに対して、R・バーンシュティンは、自由な自らを修めるフーコーの倫理・道徳観はあり得ないと批判した。コノリーは、アイデンティティの虜になることなく、自分のアイデンティティの偶然性を認識し、それを相対化することがフーコーのいう倫理の実践に他ならないと理解した。権力は主体を固定化し自由な実践を阻むのかについては、フーコーは人間を主体かつ客体という二重性によって、権力が主体を形成するだけでなく主体が自由に振る舞える面を強調したのである。どんなに閉鎖的な状況でも、常に変化の可能性があることをフーコーは示唆した。しかしフーコーは人々の自発性に期待する裏付けは何も取っていない。人間が超歴史的・普遍的な本質を持つという「原理主義」に対してフーコーは最も遠い位置にいる。フーコーの倫理は我々に何らかの本質があるという前提を持たず、人間の確定的な定義を拒否するものである。イラン革命に賛意を表明したフーコーは、イラン革命が持つ現在の深刻な状況を受け止め、そこの歴史を動かす力を見出そうとした。カントはアプリオリに人類の恒常的進歩を前提としたが、フーコーは相対主義者としてあるいは道徳懐疑主義者としてふるまった。フーコーの「自己への配慮」と自由な抵抗が自己満足的な独善的なものにならないために実践は必須なのである。実践を行っていれば自由は実現するもので、自由という原則に同意すれば自由が実現するのではない。これまで見てきたハーバーマスとフーコーは、ニーチェ以後の思想家として、カントが言う普遍的な道徳をアプリオリには信じられない点で一致している。批判としての啓蒙が自らを批判する「自己言及性」に常にさらされているのである。フーコーは個人の自由な倫理の実践に重きを置き、ハーバーマスは道徳について透明な合意を目指す点で異なっている。ハーバーマスのアプローチはハイデガー思想の政治的合意に強く影響されていた。ハーバーマスはドイツの政治的後進性を強く意識し、ドイツがともすれば唯我独尊の戦略的行為に走りかねないという認識から、彼はコミュニケーション的理性に必要性を叫んだのかもしれない。彼にとって近代は壊れ物のように危ういので、個人の自由な実践に任せていては破滅するかもしれないという危機感を持っていたといわれる。生活や倫理を少しでも変えると、社会的・経済的構造に影響を与えることを心配していたのだが、フーコーは近代の構造的安定性を信頼しているようである。フーコーはハーバーマスのような二者択一的な強迫観念には無縁であった。

4) リベラル・デモクラシーのディレンマーR・ダ―ルをめぐって

1) デモクラシーとリベラリズム

1980年代は世界の各地で民主化が大潮のように広がったが、同時に先進国では「新自由主義」という右傾化も著しかった。従来のデモクラシーの限界が急速に意識されつつある。すなわち投票による間接的な政治参加を軸とする議会民主政治が実は機能していないのではないかという危惧が広がったのである。現代の政治学はデモクラシー側に立つとしながら、デモクラシー批判に十分こたえていない。この章ではアメリカ政治科学を代表するロバート・ダールを取り上げ、デモクラシーのディレンマを問題とする。リベラル・デモクラシーとは、自由主義と民主主義の二つの原理に立脚している。極めて多義的で論点の多い課題である。民衆デモスによる支配としてのデモクラシーは古代ギリシャに発祥し古代ローマの共和制から寡占支配そして皇帝制に変質した。革命によって絶対王政を打破し、18世紀末ルソーによって人民主権論という形で国家主権となり、それから一貫して治者と被治者の一致(自己統治)をその主眼とした。リベラリズムの起源ははっきりしないが、近代国家が主権を標榜して個人の生活や思想までに干渉し始めた時に、自由の領域を確立しようとして生まれた。ジョン・ロックの議論に見られるように、自由の主体は基本的に個人である。従ってリベラリズムは個人主義と密接な関係にある。りベラリズムは中世以来の王権を制約する立憲主義の伝統を維持している。結社の自由に見る様に、リバラリズムは国家の下の中間団体としての社会層を重視する。今日では様々な圧力業界団体と同義となっている。この多元主義とも密接な関係にある。そういう意味で両者が合体したリベラル・デモクラシーは、中世の立憲主義と近代の人民主権論との結合であり、多元主義と民主制の結合であった。欧州大陸とは異なる独自のアイデンティティを模索していたアメリカ合衆国で最もラジカルに展開された。フランスの貴族アレクシス・ド・トクヴィルはアメリカを視察し著した「アメリカのデモクラシー」において、デモクラシーの行き先について思案を巡らした。トクヴィルの視点を、富永重雄著「トクヴィル―現在へのまなざし」(岩波新書 2006)によって見ると、「トルヴィルはアメリカのデモクラシーにおいて、境遇の平等化がもたらした弊害と大衆社会を指摘した。自由は特定の社会状態を定義できるものではないが、平等は間違いなく民主的な社会と不可分の関係にある。自由がもたらす社会的混乱は明確に意識されるが、平等がもたらす災いは意外と気がつかないものだ。平等化は自らの判断のみを唯一の基準と考えるが、自らの興味とは財産と富と安逸な生活に尽きる。そこで個人主義という利己主義に埋没する。民主化は人間関係を普遍化・抽象化すると同時に希薄化させる。そして人は民主と平等の行き着く先で孤独に苛まれるのである。平等が徹底されるにつれて一人の個人は小さくなり、社会は大きくみえる。政治的に言えば、個人は弱体化し中央権力が肥大化するということになる。中央権力も平等を望み奨励するが、それは平等が画一的な支配を容易にするからである。ここに新しい専制の可能性が生まれる。小さな個人にたいして巨大な後見人(政府)が聳え、個人の意識をより小さな空間に閉じ込め、しだいに個人の行動の意欲さえ奪い取ってしまう。アメリカの民主制は個人主義を克服する手立てとして、公共事業への参加によって個人の世界から出てくる機会を与えた」というものである。民主主義は平等を徹底させて、矮小化した民衆を画一的な個人主義に埋没させ、その管理しやすい民衆を支配する政府という中央集権制官僚主義の専制を招くというもので、実に憂鬱な厄介な見方を19世紀前半に予見した。」ということである。デモクラシーの諸制度は平等の情念を抱かせるが、これを完全には満足させることは出来ない。パスカルがいう「永遠の遁走」を繰り返す。想像上の平等は不満の増殖を繰り返す。「すべてが平準化するとき、最少の差異の不平等に人は傷つく」のである。これを「相対的不満」という。この状態で個人は常に他者と自分を比較している。「特権に対する憎悪感情」は特権が小さくなればなるほど先鋭化するという。トクヴィルの終生の主題とは「民主的な専制」である。「この人々の上には後見的権力が聳え立ち、生活の面倒をみる任にあたり、その権力は絶対で事細かく、几帳面で用意周到そして控えめである。それは父権に似ている。権力は市民のためによく働くが、単独の裁定者たらんとする」という。まるで今の日本の官僚の事を書いているようである。18世紀のフランス社会では平等の拡大にともない行政における中央集権化が進行し全能の国家が成長した。人間の他者からの孤立にほかならない個人主義は、社会に対して無関心に止まるため専制に都合よい条件を準備した。トクヴィルは「アメリカのデモクラシー」で「多数の圧制」と「民主的な専制」を主な議題とする。平等についてのトクヴィルの理解はひとひねりしている。つまり諸条件の平等から生まれる情念のなかで最大のものは、この平等へむけられる愛着であるという。一般的な平等が実現するや否や、人々は些細な差異に注目してこれにこだわる、平等という概念の虜になるという。平等のヒステリー現象なのだろうか。そしてしだいに個人は画一化されてゆく。皆がステレオタイプに成るまで平等への欲求は止まない。貴族制から民主制への普遍的な移行は何らかの運動と加速度を伴う。それでも平等への愛着は、各人の自由を損ないかねない可能性もあるとトクヴィルは指摘する。不自由は我慢できるが不平等は我慢できないという言葉はそれを現している。19世紀半ばから20世紀前半にかけてのリベラルデモクラシー批判には、大衆の政治能力への懸念であり、もう一つはリベラリズム批判である。パレートやモスカらのデモクラシー批判はエリート論に基づいており、知的・政治的能力は不平等であり統治の任に適した人は少ないという。革命とはある少数者支配から別の少数者支配に交代するだけのことであるという。マルクス主義の命題と違って常に少数者支配の展開となる。カールシュミットはリベラリズムについて、本来デモクラシーとは違うものであるという。道徳が善悪、美学が美醜に関わるものとすれば、政治派は敵味方の区別に関わるという。同一性の認識と排除の動機しかないという。自由主義が議会制度と権力の分立を推進するなら、それはお門違いだという。いずれもシニカルな見方である。

2) ダールと多元主義

トクヴィルがデモクラシーとアソシエーションとの結合を見たアメリカ合衆国の連邦憲法には事実としての多元主義があった。ロバート・ダールの「デモクラシー理論序説」1956年には、そういった議論の上にシュンペーター的な論理が加味されていた。ダールはアメリカにおける従来のデモクラシー論を二つの流れに整理する。一つはポピュリズム的なデモクラシー論であり、政治的平等、人民主権、多数決という3つの原理の上に成り立っている。このような論は政治的単位の確定には無力であり、国民国家の根拠も説明できないという。もう一つの論は連邦主義者のマディソンがいうように、外部からの抑制がない限り、個人や集団は他者に対して専制的になる。だから共和制すなわち議会制デモクラシーが必要だという説である。多数決制の下院で大衆の多数意見を知り、それが専制にならないように各州平等の上院を連邦レベルで設置することである。連邦形成によって州という小規模の政治的単位を相対化し、同時に憲法による立憲主義的な制約によって多元性を確保する。こういったマディソンの連邦制に対してダールが問題にするのは、それがあまりにも制度論的で立憲主義的であることで、果たして機能するのかという証拠はないとダールは考えた。ダールはポピュリズム的なデモクラシーに対しては懐疑的で、大規模の政治的単位ではシュンペーターと基本的には同じく、リーダーの競争と交代を基本とするものである。ダールはリベラ?デモクラシーの健全性を保障するには、制度よりも社会的条件であると考え、社会の数多くのアソシエーションを多元的に存在することであるとした。これを「諸小数者支配」と呼んだ。ダールのモデルはアソシエーションの多元主義を重視する基本的にリベラルなモデルであった。相対的多数派支配に陥りやすいポピュリズム型デモクラシーの毒を抜いて、リベラルデモクラシーを安定化する戦略を取ったといえる。これを「ポリアーキー」(複数支配)とよび、ダールの理論は1960−1970年代のアメリカの指導的地位を占めた。

3) ダールとデモクラシー

ダール1980年代に入って自らの立ち場を修正し、デモクラシーの実質化の必要性を強く意識したという。ダールは「多元的デモクラシーのディレンマ」1982において、アソシエーションの自律性とデモクラシーによるコントロールについて議論した。戦後諸々の国で社会的抑圧装置が無くなると次々と自律的アソシエーションが誕生したが、多くの弊害も現れた。政治的不平等を固定化させ、個別利益団体を反映するアソシエーション(業界ロビィースト)の存在は共同体全体の政治意識(一般意思)をゆがめてしまう。多元的アソシエーションによる「諸小数者支配」に一定の修正が必要である。過度の自由がデモクラシーと平等とを破壊していると主張した。トクヴィルが言う平等が権利を侵害するということは当たらないとした。1989年「デモクラシーとその批判者たち」にダールのデモクラシー論が集約されている。彼はあくまでそれまでの多元主義的なリベラルデモクラシー論を維持し修正を図るのである。現在のデモクラシーの危機の最大の原因は、経済的アソシエーションである企業が余りに我が物顔で振る舞っている点にあるとダールは考える。全体としてデモクラティックなコントロールを強めることである。ダールは企業内デモクラシーの強化を唱える。彼は「自治企業」という集団的な所有に基づく民主的に統治される経済企業を考える。働かない株主による企業の所有より、労働者自主管理による共同所有の方がロックの所有権起源論び適合するとみるのである。資本主義の終焉を予言する。この「自治企業」の実現可能性は別にして大いに意義がある。

4) ダールと政治的なるもの

ダールは1980年代の議論においてリベラリズムからデモクラシーの側へ傾斜した。多元的に存在するアソシエーションに競争がある限り、それぞれのアソシエーション内部のデモクラシーが実現されることが、上位の政治的単位におけるデモクラシー実現にとって不可欠と考えた。だからと言ってダールがあらゆる局面において政治参加と自己決定を重視するラジカルなデモクラシーの転向したわけではない。最終的なデモクラティックコントロールッシュ体が連邦なのか州なのか、どの大衆によってなされるのかいわゆる「管轄争い」が起きるが、それを民主的に解決する方法は容易ではない。またダールはヨーロッパ連合のような、国民国家より大きな単位のデモクラシーの可能性についても懐疑的である。近代の政治理論の大勢は現状追認的に国民を特権的にデモスと認め、それによって国家間対立の意義を強調してきた。ダールは複数の主権国家が防衛上の見地から結合したものを連邦と呼ぶが、対外的に備えるためのものであるがため連邦内部の対立は避けなければならない。連邦内部に高度の同質性が必要とされるわけである。連邦という概念によって主権が相対化されることを恐れるシュミットは、主権国家が結合した結合体に国家以上に国家的に振る舞うことを要求する。ダールは決定権を小さな単位に委譲する連邦主義は、大きい単位のデモスの多数決を否定する「少数者の専制」につながると主張する。問題解決能力ではデモスは大きい方がいいので、両者のバランスを取り得る最適な単位こそが重要であるとする。それがコミュニタリアン(共同体論)とリベラルの論争と規を一にする。コミュニタリアンのロールズは「正義論」において、連帯を回復するのは共通の善を共有する濃密な共同体を復活するしかないという。コミュニタリアンのは、社会的財の配分基準は財の種類ごとに別々であるべきだとしたが、政治的共同体ごとの正義の基準(利益配分の基準)は同じでなければ名rないとした。ダールは正義の基準が違うことは悪しき相対しゅぎになり、政治的な対立を招くとして反対した。ウォルツァーの議論は、単位内の同質性と単位間の多元主義が相互に支え合うていう点で、リベラルデモクラシーの一つの典型かもしれない。これに対してダールは「管轄争い」を強く意識しており、コントロールの掌握を巡ってアソシエーションの間に対立が起る可能性がある。ダールの「自治企業」の概念は、産業企業の影響力がここまで強くなっている現状を見ると、政治経済体制つまり産業主義と主権国家体制との相互依存構造を変えることは容易ではないだろう。労働者=消費者と同じ論理で、労働者=投票者という考えも重要である。

5) アイデンティティと政治

1) リベラルーコミュニタリアン論争

20世紀末の10年はリベラリズムとコミュニタリア二ズムの対立が、アメリカの政治哲学、法哲学、倫理哲学の世界で華々しく議論されてきた。現在はポストモダニズム(脱近代主義)や多文化主義などの見解が、リベラル、コミュニタリアンの双方に論争を挑んでいる。この章ではポストモダニズム(脱近代主義)や多文化主義によって政治哲学がどう論議されてるかを見てゆこう。まず最初はリベラリズムとコミュニタリア二ズム論争をまとめる。現在北米の思想界で代表的なリベラリストと言われるジョン・ロールズ、ロナルド・ドゥオーキンや、コミュニタリアンと言われるチャールズ・テイラー、アラスデス・マッキンタイアーの間では直接手的な議論はないが、リベラル陣営とコミュニタリアン陣営の論議を対照的に捉えてゆくと、第1に個人と社会の関係について個人が社会に先立って主体として存在するとするリベラルに対して、コミュニタリアンは逆に個人は社会の中で人間となると強調する。リベラルにとって社会は選択的契約として成立する。コミュニタリアンによれば人間はある社会に属し、伝統の中で習慣的な行動様式を習得して人間となる。第2に共通善に関してリベラルはいかなるライフスタイルを選択するかは個人に委ねられており社会は干渉すべきでないとする立場である。リベラルとしても最低限度守るべき社会のルール(正義)はあるとして、正義の共有は「善」について各人の判断を保障する条件で干渉ではないという。コミュニタリアンは社会は一定の徳ないし善を満っていなければ、正義も定義できないとするのである。第3に価値痴女を巡る問題に対してリベラルは善相互の序列はなく、どの善を選択するのも自由であるという。コミュニタリアンは相対主義は有害であり、社会に共有された善の相互比較は可能であるとする。両者の差異は断絶的ではなく、強調点がずれているだけのことかもしれない。テイラーは「帰属意識」つまり社会の結合力をいかに確保するかの問題であり、リベラル派の選択が社会を破壊するわけでもないとしている。リベラル派の確信は「啓蒙された自己利益」という概念からきている。文明が進めば人はそれほどバカでなないということである。ちゃんとバランスを取っているから大丈夫というわけである。この20年ほど新自由主義の猛威により、自分自身の短期的利益だけを追求して負担は回避する風潮(ただ乗り)が進んだ。このため家族や地域共同体を失って、心がすさんできている。テイラーらは集合的なアイデンティティを回復する必要性を訴えた。共和制的な意識を植え付けることをしないと社会は破壊されるという。これは誰に向かって言っているのか分からないが、資本家や企業に向かっているのか、労働者や貧困層に向かっているのかそこが問題なのだが。

2) 多文化主義とリベラリズム

多文化主義という言葉は、今北米で勢いを持ってきた、極めて多様な思想的・政治的運動の総称である。それは大学のカリキュラムに様々な民族集団の固有文化を加えるべきだという運動から始まった。例えばアフリカ系の学生たちにとって、西洋異文化への同化を強いられるのは、学ぶ労力の点からも、自分たちの文化への無視という点からも不合理であるというものである。そこには西洋文化がそれほどのものかというポストモダニズム的な発想も混ざっている。あるいはフーコーが検証したように、西洋文明とは自然や人間を抑圧するだけのものではないかという反省からきている。西洋文化は植民地への反省が全くないことへの不満も存在する。多文化主義は西洋文明の相対化につながる。カナダのケベック州住民にように、地域的まとまりがより強い民俗的マイノリティからは、カリキュラム変換要求だけでなく、文化的な切断や分離要求がなされている。多文化主義は思想的にはまずリベラリズムを標的にする。ロールズの議論によれば、リベラルは人間を徹底的に抽象化する。人間の属性をすべて剥ぎ取って、個人としての情報を一切考慮しないのである。そうしないと個人間の利益がぶつかって正義のルールに到達することが困難になるからだとする。コミュニタリアンのマイケル・サンデルは一切のアイデンティティを持たない人間に倫理的能力があるのかという疑問が投げられた。コミュニタリアンの考えは、倫理能力はその人をはぐくんだ特定のアイデンティティによって形成されるのである。この批判についてロールズも、リベラリズムがその普遍主義的外観にも拘わらず、現代の北米の社会を前提としていることを認めざるを得なかった。北米社会の多数派であるアングロサクソン系市民の英語圏の文化的背景にほかならず、多文化主義からすると、リベラルの普遍主義とは実は多数派の専制に過ぎない。公民権運動を始めとして、アメリカ合衆国の反差別運動は普遍主義を旗印にしたものだが、リベラルが支援した反差別運動は最初から少数派が参加しやすいように特別枠を設けた。リベラル対保守派という対立軸で成立した。ところが、多文化主義者によると、今やリベラルは少数派の敵であることが明らかになったと主張する。リベラルはアフリカ系住民の同化政策をモデルとしているため、原住民や少数派移民など少数派を考慮していないとして、多文化主義は分離的運動を展開し、リベラル多数派主義者と反目するのである。

3) 多文化主義とコミュニタニズム

コミュニタリズムは一見多文化主義と相性がいい。伝統や文化の重要性を強調し、人間のアイデンティティが分化的共同体の中で形成されると説くコミュニタリズムは、少数派のアイデンティティを尊重するからである。実際テイラーはケベック州擁護運動を支持した。最近テイラーは本来性の概念の思想的対立に注意を喚起している。18世紀以降、人間は現世においても本来性を獲得しなければならないが、普遍性尊重の政治か、差異の政治かをめぐって対立しているという。前者はルソー、カント、ヘーゲルの系譜のように、平等な市民権を持つことに本来性を求める立場である。それに対して後者は独自性や違いを重視する立場である。テイラーは後者の立場を代表している。テイラーは帰属意識との関連でケベック州少数派の分離を主張しており、その限りでは多文化主義と同じ思想である。コミュニタリズムと多文化主義はあらゆる文化共同体をすべて尊重するかどうかで軌を別にする。そもそも多文化主義は、異なる文化を相互に比較する普遍的な基準なるものはないとする立場である。多文化主義者のキムリッカはすべての文化的共同体を尊重すべき理由があるとした上で、自由なライフスタイルの選択というリベラリズムの基本的原則を継承しつつ、多文化社会に合った形に修正するのである。彼はコミュニタリアンは文化的共同体の絆にこだわり過ぎているが、伝統的文化共同体は保護しなければならないという。テイラーの基本的な考え方は、「普遍的尊重の政治」に対置される「差異の政治」とは、それぞれの文化が承認を求めて激しく自己主張し合う世界である。多文化主義が保護を求めることは、ためにならないという。テイラーは文化を比較する基準を否定するフーコーやコノリーのようなニーチェ主義者を厳しく批判してきた。テイラーがキリスト世界とイスラム世界の「地平の融合」をどう試みるのか、しかし言葉通りの期待はできない。

4) ポストモダニズムとアイデンティティ

コミュニタリアンと多文化主義者は、文化的アイデンティティを積極的に意識して表現することの重要性では一致する。リベラルはアイデンティティの問題には触れないが、西欧文化のアイデンティティを自明の前提としている。第4の系譜であるポストモダニズム(脱近代主義者)はアイデンティティを相対化すべきであるとする。北米の代表的なポストモダニストであるコノリーは独自性と差異性との表裏一体の関係を注視して、アイデンティティはそれ自体で自立するものではなく、かならず自分とは異なる他者との関係において定義されるという。西欧思想はアジア的専制との区別を前提とする。社会契約論の系譜で、自然状態の闘争を説明するホッブスと共同体の一般意思を説くルソーはある意味では、リバラルとコミュニタリアンの論争ということができる。差異の意識無しにはアイデンティティは成立しないというコノリーの考えは、差異の政治を説くテイラーの場合と同じである。アイデンティティを持つことを積極的に評価するテイラーとは対照的に、コノリーはアイデンティティの危険性を指摘する。北米で広がっている小数民族や福祉受給者に対する保守層の反発はアイデンティティの過剰からきている。リベラルがアイデンティティの過剰について問題とするのは、少数派がアイデンティティを主張し始めたからである。コノリーのようなポストモダニストからすると、過剰なのはむしろ多数派のアイデンティティなのである。こういう観点から、正義の原則について一般的な合意を目指すロールズや、コミュニケーションの条件さえ整えば倫理的問題の合意は可能だとするハーバーマスの考え方をコネリーは批判しているのである。こうしてコミュニタリアンとリベラルの双方を攻撃するコノリーの議論は、アイデンティティ問題のジレンマとなっている。コノリーのニーチェ=フーコー主義的な議論は、あらゆるアイデンティティは、人間を一定の型に押し込む点で抑圧的だというのである。コノリーはアイデンティティの偶然性を意識するように説いているが、リベラルの寛容論に通じている。リベラルはロールズのように個人の属性の恣意性と共存を強調してきたからである。しかしリベラルは他者の存在は厭うべきだが受忍しなければならないとする。他方ニーチェ=フーコー=コノリーの系譜では、他者の存在はむしろ積極的に歓迎される。



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