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ホーキング著 林一訳 「ホーキング、宇宙を語る」 
ハヤカワ文庫(1995年4月)

一般相対性理論と量子力学の融合で新統一理論をめざし、宇宙の始まりと構造を問うービックバンとブラックホールの謎に迫る

1982年スティーブン・ホーキングスはハーヴァードで講義をしたあと、空間と時間に関する一般向けの書物を一切の数式を使わないで書こうとした。そしてそれは1988年に出版され、単独翻訳権を得た早川書房が1995年林一訳で邦訳版を出版した。ホーキングは1942年生まれ、オックスフォード大学とケンブリッジ大学で物理学と宇宙論を専攻、早くから理論物理学の第一人者と認められ、1974年史上最年少の若さ32歳で王立協会会員に選ばれ、1979年にはケンブリッジ大学ルーカス記念講座教授に任命された。この職はかってニュートンやディラックも就いたことがある名誉ある職位である。筋委縮性側索硬化症ALSと闘いながら、奇跡的にも命を長らえ(2015年で73歳)、多くの優秀なスタッフに支えられて現在も独創的な研究・執筆活動を行っている。ホーキングの研究の歴史は、第T期は、ロジャー・ベンローズ、ロバート・ゲロッグ、ブランドン・カーター、ジョージ・エリスらを共同研究者とする「時空の大曲的構造」論であった。第U期は1974年から始まった「量子論」では、ゲーリー・ギボンズ、ドン・ページ、ジム・ハートルらが共同研究者となった。本書は重力の一般相対性理論と原子の量子力学を基礎として、自然界及び宇宙の起源の始まりと未来を語るものである。宇宙には始まりがあるのか、なぜ存在しているかという本質に迫る、哲学と科学の境界の書であり、多くの人にとって人間の知性の限界をさらけ出すことになり話題にしたくない領域である。そのためかどうかは定かではないが、ホーキングを適切に評価してノーベル賞を与えるという動きは無いようだ。業績をまとめておこう。一般相対性理論と関わる分野で理論的研究を前進させ、1963年にブラックホールの特異点定理を発表し世界的に名を知られた。一般相対性理論が破綻する特異点の存在を証明した特異点定理をロジャー・ペンローズと共に発表した。一般相対性理論と量子力学を結びつけた量子重力論を提示している。この帰結として、量子効果によってブラックホールから粒子が逃げ出すというホーキング放射の存在を予想している。1971年には「宇宙創成直後に小さなブラックホールが多数発生する」とする理論を提唱、1974年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論(ホーキング放射)を発表、量子宇宙論という分野を形作ることになった。いまなお現代宇宙論に多大な影響を与えている。ホーキングのサイエンスフィクション好みは有名で、本書の各所に面白い想像話が埋め込まれている。例えば時間順序保護仮説によって過去に戻るタイムマシンは不可能という立場をとっている。これは「我々の時代に未来からの観光客が押し寄せたことはない」ことからも裏付けられるとしている。タイムマシンが将来的にできるかどうかに関しては「私は誰とも賭けをしないだろう」とした。また2010年4月25日にアメリカのディスカバリーチャンネルのテレビ番組にて、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到着した時、アメリカ先住民が征服されたことを引き合いに出し、人類と宇宙人との接触は人類にとってよい結果をもたらさないとして宇宙人とのコンタクトを試みるべきではないと主張した。またホーキングは宗教界とは無縁の人で、2010年9月7日「宇宙誕生に神は不要」と主張し、宗教界から批判を浴びたとされる。さらに人工知能批判としては2011年5月、人間の脳について「部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人の架空のおとぎ話だ」と否定的な見解を述べたといわれる。

1) 私たちの宇宙像序論ー宇宙に起源があるのか、終わりはあるのか。

宇宙はどこから来たのか、どこへ行こうとしているのか、宇宙には始まりがあるのか、あるとすればどのようなことが起ったのか、時間とは何か、時間には始まりと終わりがあるのか、宇宙には涯がないのか、・・・私たちは宇宙について何を知っているのだろうかという「何故」から本書は始まる。紀元前340年のギリシャの哲学者アリストテレスは「天体論」を著し、地球は丸い球だと見抜いていたが、地球は宇宙の中心であり、円運動は天空に最もふさわしい「完全な運動」だと信じていた。紀元2世紀プトレマイオスはアリストテレスの考えを完全な宇宙モデルに仕立て上げた。地球を宇宙の中心として、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星、恒星の順に円軌道を描いているとしたモデルである。彼のモデルは今から見ると矛盾だらけであったが、広く受け入れられ教会もこのモデルを聖書に一致する宇宙像として採用した。しかし1514年コペルニクスはもっと単純なモデルを異端裁判を恐れて匿名で発表した。太陽がが中心に静止し地球と惑星がその周りを円運動するというものであったが、1世紀のあいだ誰からも注目されず放置された。その後1609年イタリアのガリレオ・ガリレイは望遠鏡で観測し、コペルニクス説では軌道が観測とぴったり一致しないが、コペルニクス説を支持した。同じころドイツのヨハネス・ケプラーはコペルニクス説を修正し、惑星は円軌道ではなく楕円軌道を動いていると主張した。しかし惑星の運動を生じる力については磁力説を考えた。1687年イギリスのアイザック・ニュートンは「プリンピキア」を著して、太陽との距離の二乗に反比例する万有引力を仮定して楕円軌道をえがくことを証明した。月に地球を巡る楕円軌道を描き、惑星に太陽を巡る楕円軌道を描かせる力が万有引力(重力)だとする説を唱えた。ニュートンの重力理論が常に引力として働くような条件では、無限大の静的宇宙モデルはあり得ないことが示唆された。20世紀になるまで宇宙が膨張するとか収縮するとか考える人は誰もいなかった。遠方の星が太陽の表面と同じように輝いているのは、有限の時間に光りはじめたと仮定する以外にはない。すると星の灯りを最初に灯したのは何かという問題となる。宇宙の起源については太古の昔より宗教によって論じられてきた。宇宙の第一原因として「神」が設定されたのである。聖アウグスチヌスは「神の国」で宇宙創造の時期を紀元前5000年に設定した。アリストテレスは神の関与が大きすぎるとして天地創造説を取らなかった。カントは1781年「純粋理性批判」において宇宙の時間的な始まりや宇宙空間に限界があるかどうかを検討した。どちらにしても矛盾(二律背反)があるとして、結論は出さなかった。宇宙は静的であり変化がないと信じていたころは、宇宙に始まりがあったかどうかは形而上学あるいは神学の問題であった。しかし1929年エドウィン・ハッブルが遠方の銀河が我々から急速に遠ざかっているという画期的な観測を行った。宇宙が膨張しつつあるのだ。初期には天体の物質密度は高かった。ハッブルの観測は、宇宙が無限に小さく、無限に濃密だったビックバンと呼ばれる時点があったことを示唆した。それは現在に何も影響を与えないのだから、それ以前の観測可能な結果は存在しない。それ以前の時間は定義不能であるという意味で、ビッグバンが時間の始まりであった。宇宙について語る科学理論とは、@恣意的な要素を小数しか含まないモデルで多くの観測結果を正確に説明できること、A観測の結果について確定的な予測を行うものと理解される。どのような物理理論も仮設であり、暫定的なものであることを免れないが、観測によって原理上反証すなわち否認できるような予測をこなうことができることが、良い理論の条件である。科学理論の最終目標は、全宇宙を記述できる単一の理論を提供することであるとされる。これまで宇宙の起源を検証することは形而上学の問題であった。宇宙を一掴みすることは非常に困難である。したがって部分理論を構築して攻めることになる。ニュートンの重力理論、一般相対性理論、量子力学が部分理論として存在する。一般相対性理論と量子力学を統合して重力の量子論を作ることが精力的に進められてきた。これが今日の物理学の主要な課題である。宇宙の規則的な進化の方法という推論能力をダーウィンの自然淘汰原理に求めることは妥当性がある。

2) 空間と時間- 一般相対性理論

ニュートン力学と相対性理論の時空の捉え方の相違を考えよう。物体の運動に関する概念は、ガリレオとニュートンまでさかのぼる。アリストテレス的な見方ではもっぱら思索することで宇宙を支配する法則を捉えることができると考えたが、ガリレオは実験によって、物体はその重さに関わらず同じ割合で落下速度を増すことを明らかにした。ニュートンはガリレオの法則を運動法則の基礎として利用した。力の効果とは物体の速さを変えることにある。アリストテレスとガリレオ・ニュートンの慣性の考え方が違う点は、力が加わらない時アリストテレスは静止すると考え、ニュートンは等速度運動であると考えたことである。ニュートンの運動の第一法則は「慣性の法則」であり、第二の法則は力が2倍になると速度も2倍になるという「力の法則」である。そしてニュートンは「万有引力の法則」を発見した。重力は物体間の距離の二乗に反比例することを発見し、惑星の運動は楕円運動となることを証明した。出来事の位置と出来事の間の距離は観測者の座標(移動する列車内か車外か)では異なっており、アリストテレス的絶対的静止が不可能なことは、ニュートンはガリレオの相対論から絶対空間(絶対的位置)が存在しないことを知っていた。しかしアリストテレスもニュートンも絶対時間は信じていた。しかし光速に近い速度で動くものについてはこの考えは通用しない。光が大きいが有限の速さで伝わるということを発見したのは、1676年デンマークのクリステンセン・レーメルであった。木星の衛星から届く光の間隔の測定から、木星と地球の距離の測定が不十分な時代に光の速さを14万マイル/秒(現在の光速は18万6000マイル/秒)と計算した。光の速度に関する理論は1865年マックスウエルの方程式ができてからのことである。マックスウエルは電磁波のさざ波が伝わる速さを可視光の波長より計算し光速とした。1887年アルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーは精密な測定を行って、地球の運動方向とそれに直角な方向での光速を比べたところ、二つは同じであった。これがアインシュタインの光速一定の公理に結び付いたのである。1905年スイスの特許局の職員であったアルバート・アインシュタインは、絶対時間の概念を放棄すればエーテルの概念は不要になるという論文(特殊相対性理論)を書いた。フランスのポアンカレは数学的にその考えと同じ結果を得た。相対性理論の前提は、等速で動いているすべの観測者に対して、その速度がどうあれ科学法則は同一であるべきだとする。そしてすべての観測者にとって光速の値は同じである。アインシュタインの有名な式E=mc~2に要約される質量とエネルギーの等価性と光速以上の速さで運動することはできないということがアインシュタインの理論の功績である。光速の90%の速さで動く物質の質量は普通の時の2倍となる。こうした理由で通常の物体は相対性理論によって光速以下の速度で動くよう制限されている。光あるいは電磁波のような固有の質量を持たない波だけが光速で動くことができるのである。光速一定の制限下では絶対時間の概念は修正される。光速c=dx/dtの定義から距離x、時間tは絶対概念ではなくなる。時間は空間から完全に切り離されるのではないし、またそれと独立なものではない。時間は空間と結びついて時空と呼ばれる。事象(物事の発生)は空間と時間の関数であるという意味で「時空ダイヤグラム」と呼ぶ。事象は空間のある一点と時間のある一点で起きる何らかの事柄である。空間を三次元の座標(x,y,z)で表現すると、時空は四次元空間(t,x,y,z)の中での出来事の位置を指定する。しかし四次元空間を描くことは難しい。マックスウエルの方程式は、光源がどのような速さで動こうとも光の速さは同一であることを予測するがそれは精密な測定で確認されている。出来事の光が波紋状に伝播されると考えると、四次元空間では一つの円錐を形作る。従って現在の事象で発せられる光を1点にして未来光円錐、過去光円錐が時間という縦軸について纏わりついている。光は常にその円錐の内部に存在するし、それ以外の領域は現在に何も影響しない。例えば太陽が消滅したという事象の未来円錐内に地球が到達するのは8分後である。つまり8分後に我々はやっと気が付く。重力の影響を無視するとアインシュタインとポアンカレの特殊相対性理論ができる。特殊相対性理論は光源がすべての観測者にとって同じに見えることをいい、ニュートンの重力理論とは両立しない。重力は特殊相対性理論が要求するように光速あるいはそれ以下で伝わるのではなく、無限大の速度で伝わる。1915年アインシュタインは一般相対性理論を提唱した。アインシュタインは重力が他の力とは異なり、時空が平たんなものではなく、その中に質量とエネルギーが分布しているため湾曲しているという革命的な考えを打ち出した。一般相対論では物体は常に四次元時空の中で直線に沿って動いているようだが、三次元空間では湾曲した経路をたどっている。これは言い換えると、太陽の重力は時空を湾曲させており、そのために地球が四次元時空の中でまっすぐな経路をたどっているにもかかわらず、三次元空間では円軌道に近い軌道をエアがいているように見える。これはニュートンの重力理論の予測した惑星の軌道と同じように見えることである。ところが太陽に近い水星の楕円軌道の長軸が1万年に角度にして一度の割合で太陽の周りを回転していると一般相対性理論は予測する。光線もやはり時空の光路をとると、時空の湾曲の為、光は空間の中では直線的に伝わるようには見えなくなる。つまり一般相対性理論は、光は重力場によって曲げられると予測する。これは1919年イギリスの観測隊が日食を観察し光が曲げられることを実証した。惑星から来た光が太陽によって曲げられ見かけの位置が変化することであった。一般相対性理論から導かれる予測は、地球の重力の強さによって時計の進み方が違うことである。1962年高さの異なる二つの時計の差を測定し、地表に近い時計は遅れることが実証された。いまでは人工衛星から送られてくる信号を利用した精度の高い航行システムに利用され、実用性の高い理論となった。こうして相対論は絶対時間を排除してしまった。本質的に不変な宇宙は存在せず、有限な過去にはじまり、未来の有限な時間に終わりを告げるかもしれない動的な膨張する宇宙像に取って代られた。

3) 膨張する宇宙ービッグバン以降の宇宙像

何を隠そうか、私は宇宙のこと特に天文学のことは小さい時から今までからっきし無関心であった。恒星、惑星、衛星という区別は、家族関係に例えると、太陽を親として恒星と呼び、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星は子供で太陽の周りを回転するので惑星と呼び、各惑星には数個の衛星が回っている。地球の衛星は月である。人工衛星は含まない。というぐらいしか知らないし、星座は今でも見分けがつかない。もっと遠方の星のうち、最も近いのはケンタウルス座プロクシマと呼ばれる星で約4光年であり、肉眼で見える星も多くは数百光年内の距離にある。現在の宇宙像は、望遠鏡にその名を冠するエドウィン・ハッブルが1924年銀河が唯一の銀河ではないことを証明したときから解明が始まった。極めて遠い銀河はあたかも天空に固定されているように見える。星の見かけの明るさは、放射される光の量(光度)と、距離によって規定される。ある特殊な方の星は全て同じ光度をもつために、近くの星は距離が測定できることに注目して、ハッブルは9個の銀河の距離を決めた。現在の望遠鏡で見ることができる何千億個とある銀河の一つに我々が住んでいる。訳10万光年の大きさを持ちゆっくり回転している一つの銀河である。それぞれの銀河は何千億個という星を含んでいる。星からくる光の色をスペクトル分光すると、連続した黒体輻射(熱スペクトル)に、星には特徴的な形でスペクトルが欠けている。これによって星の大気中の元素を同定できる。1930年代そのスペクトルの欠けている部分が赤い方の端に向かって相対的にずれていることが観測された。遠ざかる可視光電磁波は波長が長く(振動数は小さく)なり赤い方へずれ、近づいてくる電磁波の場合は波長は短く(振動数は大きく)なり、青い方へずれるというドップラー効果によって、大部分の銀河は赤方偏移しており我々の銀河から遠ざかってゆくことが分かった。そして銀河の赤方偏移は無秩序ではなく、我々との距離に正比例していたのである。宇宙が膨張しているという発見は20世紀の偉大な知的発見であった。ニュートンらの静的宇宙像では、重力の影響で宇宙は収縮すると考えていたが、もしこの膨張速度がある臨界速度を超えていたら、大きくはない重力では膨張をおしとどめることはできない。静的宇宙への信仰はアインシュタインをして一般相対性方程式に宇宙定数を導入し静的なるように補正したほどである。時空には膨張する傾向が内在しており、これが宇宙のすべての物質の引力と釣り合うようにできているとアインシュタインは信じた。1922年ロシアの数学者アレクサンドル・フリードマンは宇宙について非常に簡単な仮説を設け、どの方向を眺めても宇宙は同じように見えること、別のどんな場所から見ても同じことが言えると仮定した。この仮定は1965年ベル研究所のベンジャスとウィルソンが鋭敏なマイクロ波検出器の雑音の原因を考察する研究で確認された。雑音は太陽系の彼方からきており、どちらを向いても同じであることからフリードマンのモデルが実証された。これを銀河が遠ざかることに適用すると、どの二つの銀河もその間の距離に比例した速さで離れ去ってゆくことである。これを「宇宙の一様な膨張」と呼ぶ。1935年ロバートソンとウォーカーは宇宙モデルを考え、@ゆっくりした膨張では重力でやがて収縮に向かう(ビックバンからビッククランチへ)、A宇宙は急速に膨張し止まることはない、B宇宙の膨張に重力が抑制要因として働くが収縮はしないという3つのモデルを提案した。Aのモデルではあらゆる空間には境界がないことを意味する。空間は無限である。膨張し再崩壊する@のモデルでは空間はそれ自身に折り曲げられ広がりは有限である。臨界的な膨張速度を持つBのモデル出は空間は平坦で無限である。現在の膨張速度は、宇宙が10億年ごとに5-10%の割合で膨張している、膨張を止めるのに必要な銀河の質量は1/100にさえ満たない。目には見えないが我銀河のなかにも「暗い物質」が存在するに違いない。この暗い物質をかき集めても膨張を止めるのに必要な量の1/10であろう。宇宙がたとえ再崩壊に向かうにしてもあと100億年以上先のことであろう。その前にあと40億年くらいで太陽が燃え尽き人類も消滅している。ビックバンという時点を数学者は特異点と呼ぶが、時空の湾曲率が無限大であったためすべての理論は破たんするので、時間の始まりはビックバンにあったと言わなければならない。1963年ソ連のリフシッツとハラトニコフは一般相対性理論が正しければ、宇宙には特異点、ビックバンがあり得たことを示した。1965年ベンローズは一般相対性理論における光円錐と、重力が常に引力であることから、自分自身の重力で崩壊してゆく星はある領域内に閉じ込められ、表面は大きさがゼロになるとした。これを星だけのことでなく宇宙全体にも当てはめるなら、ブラックホールと呼ばれる時空のある領域の中に特異点が生じるのである。1970年ベンローズとホーキングの論文は、一般相対性理論が正しく、かつ宇宙が現在と同じ程度の物質を含んでいさえすれば、ビックバン特異点があったはずだということを最終的に証明した。しかし量子効果を考慮すると特異点は消えるのだである。その理由は、一般相対性理論は一つの部分理論にすぎず、特異点が示していることは宇宙のごく初期に宇宙は非常に小さく、同じく部分理論である量子力学が扱う小さな世界での効果が無視できない状況であったとすれば理解の端緒が開けるのではないだろうか。ビックバンの特異点を理解するには一般相対性理論と量子力学の協力が必要な理由が存在する。

4) 不確定性原理ー量子力学の本質

19世紀の始めフランスの科学者ラプラスは宇宙は完全に決定論的であると論じた。イギリスの科学者レーリー卿は暑い物体が発する電磁波のエネルギーが無限大になるという計算結果を発表した。どの振動数でも同じように放射するという仮定では、大きな振動数ではエネルギーが無限大になってしまう。この結論を避けるたっめ1900年ドイツのマックス・プランクは電磁波(光、X線、可視光、電波)が勝手な配分で放射されるのではなく、量子とよぶ一定の塊として放射されるとした。従ってエネルギー準位に従って振動数の高い量子は抑制されるのである。量子仮説は放射の比率をうまく説明したが、決定論的な意味合いでは、1926年にハイゼンベルグが不確定性原理を発表した。粒子の位置と速度を決定する測定法は、粒子に光を当てることである。当たったところから光が散乱される。より正確に粒子の位置を知るには波長のより短い光を使わなくてはならない。光の量子は粒子に当たると粒子をかく乱し、その方向を変えてしまう。ところが短い波長の量子はエネルギーが大きくなる。ハイゼンベルグは粒子の位置の不確かさと速度の不確かさと粒子の質量を掛けたものは、プランク定数という数値より小さくはできないことを示した。この限界がハイゼンベルグの不確実性原理であり、微小な世界の避けられない性質である。不確実性原理は完全に決定論的な科学理論、宇宙モデルの終わりを告げるものである。ハイゼンベルグ、シュレージンガー、ディラックらは1920年代に力学を不確実性原理に基づいて、量子力学という新しい理論を創り上げた。量子力学は科学の中に予測不可能という避けられない要素を持ち込んだ。アインシュタインは量子力学に強く反対したが、量知り?器楽はずば抜けて成功した理論であり、20世紀の科学を根本的に作り替えた。物理のなかで量子力学がまだ適切に取り入れられていない分野とは、重力と宇宙の大局的構造だけである。粒子もある面では波としてふるまうし、粒子は確定した位置を持たない。量子力学には粒子と波動の二重性が存在する。光の干渉現象は波動論で説明されるが、粒子にも干渉は起り得るのである。有名な「二重スリット実験」がそれである。一つの電子が両方のスリットを同時に通過しているのである。1913年二―ルス・ボーアは原子核の周りの軌道を運動する電子があるという原子模型を作ったが、複雑な原子では特定の軌道は説明できなかった。量子力学は原子核の周りを廻る電子を、その速度に応じたある波長をもつ波だと見なした。いくつかの軌道は電子の波長の整数倍が許された軌道である。波動・粒子二重性を目に見える形でせつめいしたのが、リチャード・ファイマンの「経歴総和法」である。2点間を行く粒子はあらゆる経路を取ると考え、その経路に特定の数を割り当て、すべての経路の確率値を総和すると、最もあり得る電子の軌道が計算されるというものである。ファイマン著「光と物質の不思議な理論ー私の量子電磁気学」(岩波現代文庫)にその斬新な考え方の基本が説かれている。宇宙の大局的構造を支配するのは、アインシュタインの一般相対性理論だといわれているが、この理論は古典的理論でと呼ばれている。この理論は量子力学の不確実性原理を考慮していない。重力は弱い力であるを前提としているからである。しかしブラックホールとビックバンでは非常に強い力が働くはずである。このような強い力の場では量子力学の効果が重要になる。古典的一般相対性理論では無限大の密度では自分自身(物質)の崩壊が予測される。一般相対性理論と量子力学を統一した完全に矛盾のない理論はまだ完成していない。

5) 素粒子と自然界の力ー重力と4つの力 

この章は素粒子論である。この分野については、2008年にノーベル賞を受けた南部洋一郎著「クオーク」(講談社ブルーバックス)と小林誠著「消えた反物質」(講談社ブルーバックス)の2冊の本が現代の素粒子論をよくまとめている。20世紀初めには、原子はそもそも本当に分割が不可能なのかという疑問が出されていたが、すでにトムソンが電子の存在を証明していた。1911年にはラザフォードは原子核と電子からなる原子構造を示した。放射性原子の崩壊で飛び出す正の電荷をもつ粒子であるアルファ―粒子を原子に当てる際に進路が曲げられることからこの構造を推論した。このアルファ―粒子の軌跡をラザフォード散乱と呼ぶ。原子核は当初、負電荷の電子と正電荷の陽子からできていると考えられたが、1932年チャドウィックが陽子と質量が同じで電荷を持たない中性子を発見した。陽子と中性子が基本粒子であるとされてきたが、陽子も中性子も加速器で高エネルギーとなった粒子を衝突させるとさらに小さな粒子に分解することが、マレー・ゲルマンによって発見され、「クォーク」と命名された。そしてクォークの分類が始まり、6つの「香」とさらに香りは3つの「色」に分けられた。陽子や中性子は1色につき1つのクォーク、つまり計3つのクォークからできている。原子も、原子核の中にある陽子と中性子も分割可能であることが分かった。量子力学によるとすべての粒子は波であるので、エネルギーは波の波長に関係する。この粒子エネルギーは「電子ボルト」という単位ではかる。アルファー粒子は数百万電子ボルトというエネルギーをもつ。クォークが最小の粒子(分割不可能)かどうかはまだ判断できない。波動/粒子二重性からすると、宇宙のすべてのものは光と重力を含めて粒子という捉え方ができる。これらの粒子はスピンという性質を備えている。1925年パウリは異なる方向から見たときに粒子がどう見えるかによって、宇宙の物質を作り出しているスピン1/2の粒子と、物質間の力を作るスピン0, 1, 2の粒子のいずれかである「パウリの排他原理」を発見した。スピンとは回る独楽という意味ではなく、スピン0の粒子とは点に似ておりどの方向から見ても同じということである。スピン1の粒子は矢印のように完全に360度回転させたとき同じに見える。スピン2の粒子は反回転させると同じに見える。もっと大きな番号のスピン粒子は1回転の何分の一かで同じように見える。スピン1/2の粒子は2回転させて同じように見えるという。パウリの排他原理とは二つの同じような粒子は同じ状態(位置と速度)を取ることができないということである。パウリの排他原理は、物質粒子がスピン0,1,2の生み出す力の影響を受けながら、なぜ非常に高い密度まで崩壊しないかを説明する際に決定的な重要性を持つ。1928年ディラック理論は、スピン1/2粒子(2回転して同じ状態になる)を数学的に説明した。この理論は量子力学と特殊相対性理論のどちらとも整合性のある理論であった。そしてこの理論は電子のパートナー「反電子(陽電子)」の存在を予測した。1932年に陽電子は発見された。今日では全ての粒子には反粒子があり、粒子と反粒子が合体すると消滅すると考えられる。量子力学ではスピン0, 1, 2の粒子は、物質粒子間の力あるいは相互作用を運ぶ粒子とされる。電子あるいはクォークのような物質粒子が力を担う粒子を放出しているのである。この力を担う粒子はパウリの排他原理には従わない、「仮想粒子」と呼ばれる。実在粒子と異なり直接検出することができないからである。スピン0, 1, 2の粒子は、ある状況では測定が可能で実在粒子として存在できる。古典物理学が光波または重力波と呼ぶものである。電子がすれ違う時、実在光子が放出されることがあり、それを光波として検出することができる。力を担う粒子は持っている力の強さおよびそれと相互作用する粒子によって4つの種類に分類されている。これは仮説である。重力を除く3つの力を統一する試みは成功した。そこで4つの力を見てゆこう。

@ 重力: 普遍的な力で、あらゆる粒子がその質量すなわちエネルギーに応じて重力を受ける。重力は4つの力の内で一番弱い。しかし重力には遠距離まで作用すること及び常に引力であるという二つの特徴を持つ。他の三つの力短距離力で、斥力も働いて打ち消し合うこともある。重力を量子力学的に見ると、二つの物質粒子間の力は重力子と呼ばれるスピン2の粒子が担っている。重力子はそれ自身の質量を持たないので長距離力である。例えば地球と月の間で重力が働くということは、この二つの物体を構成する粒子の間で重力子が交換されるということである。重力子とは古典物理学で重力波と呼ぶものと同じである。
A 電磁気力: 電子やクォークのような電荷を帯びた粒子には働くが、重力子には作用しない。二つの電子の間に働く電磁気力は重力の10~24倍も大きい。電荷に正と負の2種類があるので、同じ電荷では斥力が、異なる電荷では引力である。大きな物体例えば地球や太陽では正と負の電荷を等量含むので実際の電磁気力は打ち消し合い小さい。原子や分子という小さな世界では、支配的なのは電磁気力である。負に帯電した電子と原子核内の陽子に働く電磁気の引力は、光子というスピン1で質量の無い仮想粒子を交換することで生じる。一つの電子が許された軌道(エネルギー準位)から別の許された軌道に遷るときにエネルギーが開放され実在光子が放出される。
B 弱い核力: これは放射能にかかわりのある弱い力である。スピン1/2の粒子に作用するが、光子や重力子のようなスピン0,1,2の粒子には働かない。弱い核力が十分理解されるのは1967年サラム=ワインバーグ理論が出てからのことである。光子以外にも重いベクトル・ボース粒子とまとめて呼ばれるスピン1の粒子が3つ(w+,w-,z0)あって、100ギガ電子ボルト程度の質量を持ち、弱い核力を担っていると考えた。この理論は「自発的な対称性の破れ」と言われる性質があることを示唆した。サラム=ワインバーグ理論ではエネルギーが100ギガ電子ボルを遥かに超えると3つの粒子はすべてに多様なふるまいを示すが、もっと低い粒子エネルギーではこの粒子間の対称性は破れ、w+,w-,z0は大きな質量を獲得する。大きな加速器の出力をもつCERNのカルロ・ルビアチームが1983年に3つの粒子を発見した。
C 強い核力: 原子核の中で陽子と中性子をまとめている強い核力である。この力はグルーオンと言われるスピン1の粒子が担っていると信じられている。自分自身とクォークとしか相互作用をしない。この力はクォーク粒子を結び付ける際、「色」がなくなるような組み合わせをする。3つの組み合わせが陽子あるいは中性子を構成する。これを「封じ込め」とよぶ。中間子も色のない粒子の組み合わせだが、これは非常に不安定である。グルーオンには「色」があるが封じ込めのため単独では現れない。グルーオンも全体として白色に見える集団を作り、「グルーボール」と呼ばれる不安定粒子を作っている。通常のエネルギー状態ではクォークは強い核力で結び付けられている。しかし巨大な加速器で実験すると、高エネルギーでは結合力は弱くなっており、クォークやグルーオンはほとんど自由粒子のように飛び回っている。
電磁気力と弱い核力の統合に成功したことに刺激され、この二つの力と強い核力の「大統一理論GUT」といういささか誇張された理論が注目された。GUTの考えは、強いエネルギーでは強い核力は弱くなり、電磁気力と弱い核力は逆に講演江ルギーでは強くなるので、この3つの力はすべて同じ強さとなり単一の力と見なせるというものである。GUTの予測では1000兆ギガ電子ボルト程度になるというが、これは太陽系と同じくらいの加速器を必要とする。現行の粒子加速器はほぼ100ギガ電子ボルトで衝突させている。GUTを地球上で実験するのは不可能である。また理論は陽子が自発的に崩壊して、反電子のような軽い粒子になるというが、実験的に実証することはできないだろう。すべての銀河は反クォークではなくクォークでできていると信じられている。なぜ初期宇宙の粒子が同数のクォークと反クォークで出発しながら、クォークが圧倒的に多くなったのだろうか。逆説的に言えば同数のクォークと反クォークがぶつかって互いに消滅してしまうなら放射(光)で満ちているが、物質がほとんど存在しない宇宙が残されるからだ。そこには銀河も太陽も地球もそして人間という生命が発生する可能性のる惑星はなかったことになる。ごく初期の宇宙には高温の時期があった。クォークと反クォークではは働く物理法則が異なっていたと考える。その物理法則とはC.P,Tの別々の対称性である。対称性Cとは粒子にも反粒子にも同じ法則が働くとする。対称性Pとはいかなる状況でもその鏡像について法則が同一である。対称性Tとはすべての粒子と反粒子の運動の向きを逆にすれば、系はもとあった状態にもどる。1956年3人の中国系アメリカ人であるリーとヤンとウーは弱い力は対称性Pに従っていないと唱えた。放射性原子の核を磁場の中にならべてすべてを同じ方向に自転させるようにすると、電子がある方向に多く放出されることで実証された。つまり弱い力のために反粒子で構成された宇宙は、我々の宇宙とは異なったようにふるまう。さらに1964年アメリカのクロ―ニンとフィッチがK中間子の崩壊はCP対称性にも従っていないことを発見した。数学理論では量子力学と相対論に従う理論は、組み合わされた対称性CPTに常に従わなければならない。時間の向きを逆にすると、前向きでは宇宙は膨張し、後ろ向きでは宇宙は収縮するので対称性Tに従わない。宇宙が膨張するにつれて電子が反クォークに変わるよりもさらに多数の反電子がクオークに変わることができたのである。この大統一理論には重力が含まれていない。しかし十分な量の物質粒子があれば、重力は他のすべての力を圧倒することができる。重力が宇宙の進化を決定しているのはこのためである。

6) ブラックホールー特異点の存在

「ブラックホール」という言葉は、1969年にジョン・ホィーラーが言い出したらしい。18世紀中頃には光について波動と粒子説論争があった。1783年イギリスケンブリッジ大学のジョン・ミッチェルは、光が粒子であるならば、十分な質量と密度を持つ星なら光が脱出できないほど強い重力場を持つかもしれないと指摘した。そういう星は我々には見えないが、その重力は感じられる。フランスの科学者ラプラスも同じようなことを言っている。19世紀に入ると光の粒子説は影を潜め、波動説が主流となってこのブラックホール説は忘れ去られた。光がどのようにして重力に影響されるかは、1915年のアインシュタインの一般相対性理論の出現まで議論されることはなかった。ブラックホールを考えるにあたって、星のライフサイクルをおさらいしておこう。星は大量の気体(水素)が重力で凝集し崩壊(核融合してヘリウムになる)し始めるときに形成される。気体が収縮するにつれて衝突する気体は過熱される。熱によって輻射が激しくなり星は輝くのである。気体の圧力(反発力で膨張する)が高まり重力(引力で凝集する)と釣り合って、星は長い間安定する。太陽はあと50億年ほどの燃料を持っているが、いずれ燃え尽きれば収縮する。パウリの排他原理は粒子が非常にまちまちの速度を持つため粒子の間で斥力として働き、星を膨張させる。熱と斥力の合計が重力とバランスする間は星の安定期である。1928年ケンブリッジ大学のインド人チャンドラセカールは排他原理の斥力の限界について考察し、星の密度が十分高くなると、速度が光速以下に制限されている粒子の斥力は重力よりも小さくなり、太陽の1.5倍以上の質量を持つ星は自分自身の重力に抗しきれないと計算した。この質量を「チャンドラセカール限界」と呼んでいる。もし星が「チャンドラセカール限界」以下であれば、収縮は止み「白色矮星」に落ち着く。白色矮星が一定の大きさを保つ力は電子間に働く排他原理の斥力であるとされる。もう一つの最終状態はランダウがいう「中性子星」であるものすごい密度をもつ。破滅的な重力崩壊についてエディントンやアインシュタインらは反対した。星の最終段階について一般相対性理論から説く試みが、1939年ロバート・オッペンハイマーによってなされた。当時の望遠鏡では検出できないという結論であったが、第2次世界大戦中は重力崩壊は忘れられた。1960年代になって天文学的観測は進歩し宇宙論の大局的問題に興味が集中した。星の時空図(時間を縦軸、星の大きさを横軸とする光円錐)では、星がある臨界半径以下に縮むと重力場が極めて強くなり、光がもはや脱出できなくなるほど光円錐を内側に曲げてします。この領域がブラックホールである。その境界は事象地平と呼ばれるが、脱出に失敗した光の経路のことである。1965年から1970年にかけてホーキングとロジャー・ベンローズが行った一連の研究(ホーキングの第T期研究 一般相対理論の研究)では、ブラックホールの中には無限大の密度と無限大の時空湾曲率をもつ特異点が存在するはずだということを主張した。特異点はビッグバンと対照的にビッグクランチと呼ばれる。消滅点といってもいい。ベンローズはこれを「宇宙検閲仮説」と呼んだ。運動している重い物体は重力波つまり光速で伝わる空間の湾曲の波を放出すると相対論は予測している。また重量波は光とおなじように放出した物体からエネルギーを運び去る。最後には変化にない定常状態に落ち着くことになる。地球が太陽に螺旋運動で落ち込み定常状態になるということであるが、当面心配する時間ではない。1967年ワーナー・イズレイアルは一般相対論によるとブラックホールは完全な球形でその大きさは質量だけに関係すると説明した。ホーキングらもそれを支持した。急速に運動する物体は放出される重力波のために完全な球形になるのである。1970年ブランドン・カーターは回転ブラックホールが独楽のような対称軸を持つならば、その大きさと形は質量と回転速度だけで決まると予測し、1971年ホーキングがブラックホールに回転対称軸があることを証明した。1973年デ―ヴィッド・ロビンソンはブラックホールの大きさと形はその質量と回転の速さだけで決まることそして元の物体の性質にはかかわりがないことを「無毛定理」と呼んだ。1963年マーティン・シュミットが発見した3c273の非常に遠方の星座が赤方偏移をしてみえることから、宇宙の膨張によって赤方偏移し膨大なエネルギーを放出する。銀河の中心部全体の重力崩壊である。これに似た「準星状天体 クエーサー」はいくつか発見されているが、これをブラックホールと言えるかどうか証拠は難しい。1967年ジョスリン・ベルは電波パルスを規則的に発する天体と発見した。これは回転する中性子星でその磁場が周囲と複雑な相互作用を越して電波パルスを放射する。臨界半径の数倍の大きさを持つ中性子星が初めて発見されたのであるが、さらに小さなブラックホールになり得ると考えてもおかしくはない。光を発しないことがブラックホールの定義だとすると、どうすればブラックホールを検出できるのだろうか。見える星が一つだけあって見えない相手の星の周りを廻っている点体系も観測されている。白鳥座X-1に強いX線源であるものが存在する。見えない天体が白色矮星、中性子星、あるいはブラックホールの可能性がある。質量計算からしてこれがブラックホールの可能性が高い。ホーキングはその確率は95%だと確信している。ブラックホールが存在する証拠は、わが銀河とマゼラン星雲の中にいくつか見つかっている。多数のブラックホールが存在するなら、わが銀河系が今見られるような速さで回転していることを説明できるかもしれない。見える星の質量だけでは説明がつかないからである。太陽の一億倍の質量を持つブラックホールがクエーサーの中心にあると考えられる。銀河の中心に非常に密集した電波源や赤外線源があるからである。チャンドラー限界以下の太陽よりはるかに小さい質量を持つブラックホールも存在する可能性もある。この「軽量ブラックホール」は物質が巨大な圧力で高密度に圧縮された場合にだけ生じる。

7) ブラックホールはそれほど黒くないーホーキング放射

1970年ロジャーズとホーキングはブラックホールの定義を「遠方に脱出できない事象の集合」とした。そしてホーキングは次のことに思いが至ったという。ブラックホールの時空間図においてブラックホールの事象地平付近において光は次の3つの経路をとるだろう。@光は地平を脱出できて輝く星となる。A光はブラックホール内部に吸い込まれ特異点に達する。そしてB光はブラックホールの境界のところを永遠にうろついて事象地平を形づくる。物質あるいは放射がブラックホールに落ち込むたびにブラックホールの面積は成長する。あるいは二つ以上のブラックホールが合体して単一のブラックホールになる時も面積は増大する。このようにブラックホールの面積は減少することはない。ブラックホールの面積が減少することがないということはエントロピーの概念(熱力学第2法則)に似ている。プリンストン大学のジューコブ・ベケットシュタインは事象地平の面積がブラックホールのエントロピーの尺度であるという考えを打ち出した。しかしエントロピーは温度を持たなければならないので、彼の考えは妥当ではないとホーキングは考えた。1973年ソ連の専門家スタロビンスキーとゼリドヴィッチは回転ブラックホールは量子力学の不確実性原理に従うと粒子を創生し、放出するはずだという考えを示した。ホーキングは放射の計算の結果、回転していないブラックホールでさえ一定の速さで粒子を創生することが判明した。つまりブラックホールはあたかも質量に依存するある温度を持った熱い物体であるかのように、放射するはずだということが確認できた。何も見えないブラックホールのに粒子を放出するということがあり得るのだろうか。それはブラックホールの中から放出するとするから矛盾となるのであって、ブラックホールの周縁で外部の空間から生まれると考えればよいのである。場の強さにはある最小限の不確定さ、量子的揺らぎが存在する。出現しては消滅する光あるいは重力の粒子の対である。粒子と反粒子といった仮想粒子がそれである。実在粒子は正のエネルギーを持ち、反粒子の仮想粒子は負のエネルギーを持つ。このような粒子の対がブラックホールの外側で形成され消滅する。そういう意味でブラックホールは真っ黒ではなく、少し明るさを持つのではないだろうかという「ホーキング放射説」が出された。ブラックホールは質量が小さいほど温度が高い(質量が大きいほど温度は低い)。ブラックホールは質量を失うにつれ温度が上がり、放射量も増すので一層質量を失う。こうして最後にはブラックホールは激しい爆発を起こして消滅するのであろう。太陽の数倍程度の質量をもつブラックホールの温度は1/1000万絶対温度であり、マイクロ波放射の温度は2.7絶対温度なので、ブラックホールは放射するより吸収する方が多い。宇宙が膨張し続けるとマイクロ波放射温度は下がり続けブラックホールの温度以下になる。その時点でブラックホールは質量を失い始める。しかしブラックホールが蒸発し尽くすには10^66年かかるので、宇宙の寿命とされる100億年や200億年よりもはるかに長い。最初の質量が10億トンくらいの原初ブラックホールであれば100億年程度の宇宙の寿命と同程度になる。之より大きな質量を持つブラックホールはX線やガンマ線(電磁波)の形で放射を続けるだろう。ブラックホールは白くて熱いエネルギーを放出しているのだ。ブラックホールを地球に近づけてエネルギー源にするという利用法はSF的空想かもしれない。ブラックホールからの放射という考え方は、今世紀の最も偉大な理論である一般相対性理論tと量子力学の両方に本質的に基づいた予測の最初の例である。

8) 宇宙の起源と運命ー重力場と量子効果

アインシュタインの一般相対性理論の予測は、時空はビッグバン特異点で始まり、若し全宇宙が崩壊するならば「ビッグクランチ特異点」、星のような局所的領域が崩壊する時は「ブラックホール特異点」で終わる。物質はすべて破壊されその質量の重力効果だけが宇宙に戻される。ブラックホールは特異点もろとも蒸発し去り消滅するというストーリーを描く。しかし量子力学はこれくらいと同じ劇的な効果をビックバン特異点やブラックホール特異点に及ぼすのだろうか。重力効果が強すぎて量子効果が無視できないような宇宙の最初や末期に何が起きるのだろうか。いよいよ本書の最大のテーマについて考察しよう。量子力学が宇宙の起源と運命についてどのようにに予測できるかを、フリードマンモデルで予測することが一般的である。宇宙が膨張するにつれて粒子は冷却(断熱膨張)される。温度とは物質のエネルギーのことであるので、粒子は互いに引きつけ群れを成しはじめる。十分い温度が高ければ粒子の衝突によって粒子/反粒子を作り出せるほど大きなエネルギーを持っているが、低い温度では衝突する粒子数は減り、粒子/反粒子もそれほど創出されなくなり消滅の方が産出より多くなる。ブックバン時点では宇宙の大きさはゼロであって無限に熱かったが、宇宙が膨張するにつれて放射温度が下がる。ビックバンの1秒後に温度は約100億度に下がった。こでも太陽の中心温度の1000倍であるが、水素爆弾の高温レベルである。宇宙に存在する粒子は、光子、電子、ニュートリノとその反粒子、そして若干の陽子と中性子である。宇宙の膨張につれて温度を下げてゆくうちにン子るのは電子とニュートリノである。ニュートリノを観測できれば宇宙のごく初期の段階の情報が得られる。ビックバンの100秒後には宇宙の温度は熱い星の内部温度である10億度に下がる。陽子と中性子は核力を遁れるほどのエネルギーは持っていないので、結合して重水素の原子核を作る。さらに重水素は結合してヘリウムを作り始めもっと重いリチウムやベリリウムも作られる。宇宙の熱い初期段階の宇宙に関する描像は1948年ガモフとラルフ・アルファーが提唱したものである。ビックバンから数時間もたたないうちに、もはや新しい原子核は融合しなくなる。そして温度が数千度に下がり、電子と原子核が電磁気的引力に打ち勝つエネルギーを失うと、これらはやっと結合して原子を作る。宇宙は膨張と冷却を続けるが、密度が高い領域では重力の引力のため再崩壊が起り、領域が十分小さくなると重力と釣り合うほど速く回転するようになる。円盤状の銀河はこのようにして生まれた。回転を始めなかった銀河は「楕円銀河」という卵状の天体になる。さらに時間が経つと、銀河の中の水素ガスとヘリウムガスは自分自身の重力で崩壊し核融合が開始される温度となる。太陽は水素を燃やしてヘリウムに変え、そこから生じたエネルギーを熱や光として放射する。核融合は1億年ほどで水素を使い果たしヘリウムを炭素、酸素に変え、より重い元素に転換する。少量の重い元素は集まって天体を作り、今太陽の周りを廻っている地球などの惑星になった。地球は最初大気を持たなかったが、内部よ噴き出た物質が大気を構成した。原子が結合して巨大分子と呼ばれる大きな構造を持った。巨大分子は自分自身を再生産できる機構を身につけ増殖した。自己再生産する有機体の発達は進化と呼ばれ、生命が生まれた。大気は光合成細菌によって酸素に富んだ空気となり様々な生物を生んだ。非常に熱い状態から始まり、膨張するにつれ冷えてゆくという宇宙像は数々の観測の証拠から確実なのであるが、@初期の宇宙はなぜ熱かったのか、A宇宙は大局的なぜこれほど一様なのか、B宇宙が臨界膨張速度で100億年も膨張し続けているのはなぜか、C宇宙は一様かつ均質なのに、星や銀河のような局所的不規則性がどうして発達したのか、については謎のままである。一般相対性理論は宇宙がビッグバン特異点で無限大の密度から出発したと予測している。特異点ではあらゆる物理法則も破綻する。時空に境界があるとする一般相対性理論はこれらの疑問に答えることはできない。ここで神を出すわけではなく、何らかの秩序の反映であることを理解してきたのが科学の歴史である。宇宙創成のモデルは数多い中で、可能性のあるモデルは「カオス的境界条件」である。ビッグバン直後に宇宙の初期状態の確率は他のどのような状態の確率と同じでなければならない。不規則にかつ無秩序・無作為に選ばれるというカオス的状態であったとする。そしてそれが一様で均質な状態になるにはビッグバン後に何かの作用があるに違いあい。一様で均質な状態の領域だけに銀河や星が形成され高度な生命体が生まれるのに適した条件が存在すると仮定しよう。以下の議論はいくらか形而上学に踏み込んだ議論である。これは「人間原理」の適用であるが、「我々が存在するがゆえに、我々は宇宙がこのような形であることを知る」と言わしめるのである。人間原理には2種類あって、弱い人間原理と強い人間原理である。弱い人間原理はなぜビッグバンが100億年前に起きたかを説明する。初期世代の星が元素を創生し超新星として爆発し、そのかけらが他の星や銀河を生むもとになって、太陽系が50億年前にできた。30億年ほどかかって生物進化の過程が進行して高度な生命体が生まれ進化する時間が必要だった。それはビッグバンが起って100億年が必要だったという。強い人間原理説はそれぞれの初期状態あるいは物理法則をもっていると考え、なぜ我々が今存在するかについては、そういう経過を経なかったら我々は存在していないと居直るか問答無用の態度を取る。知的生命の発展を許すような物理的数値の範囲が、比較的狭いものであることは言える。強い人間原理には異なった宇宙がすべて存在することになり、科学法則はどの領域でも同一であることを認めない。また人間優位の強引さは歴史に反する。ある無作為な初期条件から発展した宇宙にも、一様で滑らかな知的生命の進化に適した領域がいくつか生まれているはずだ。その初期条件の値は想像もできないし予知不可能である。

異なる初期状態(配置)をもつ多数の宇宙が現在にような宇宙に進化しえるモデルとして、MITのアラン・ダースは初期の宇宙は非常に速い膨張期を持っていたとする「インフレ膨張説」を唱えた。現在のような減少しつつある膨張速度ではなく、加速度的に膨張していたという意味である。宇宙は非常に熱いが、かなりカオス的な状態(無秩序)のビッグバンからスタートしたとする。このような高温で高エネルギーでは強い核力、弱い核力それに電磁気力はすべて単一の力に統合され、宇宙は膨張した。冷えるにつれ相転移が起り力の対称性が破れた。3つの力が別々のものになった。ところが部分的には力の対称性が破れずに過冷却が起き、大量のエネルギーを抱えたまま不安定となった。この世分のエネルギーが反重力的効果を持つことが示された。一般相対論の宇宙項のように、斥力効果は宇宙の膨張速度を絶えず増大させた。斥力は重力を打ち破ってインフレ―ション的に膨張した。この膨張期の十分な時間によって宇宙にある不規則性はならされてしまった。こうして宇宙の一様性が出来上がったという。宇宙になぜこれほど多くの物質があるのかというと、量子論によると粒子はエネルギーから粒子/反粒子の形で作り出されるからである。物質はすべて正のエネルギーでできているが、近くの2つの物質は遠くにあるよりも小さなエネルギーしかもたないので重力場はある意味では負のエネルギーをもつ。1981年ソ連のアンドレイ・リンデは、グースのインフレーション理論の対称性の中から新しい相が泡のように湧いても合体しないで、別々の一様でない宇宙が取り残される難点を克服するために、「緩慢な対称性の乱れ」という考えを提出した。ホーキングはひとつの泡の中の出来事ではなく、宇宙全体で対称性の破れが発生したという考えを持った。リンデの考えを展開したボール・スタインハートとアルブレヒトは1983年に「新インフレーションモデル」を発表した。インフレーションモデルでさえなぜ初期配置が、現在の宇宙とひどく異なる宇宙を生み出さない理由に関しては何も答えてくれない。古典的一般相対論の特異点定理は、量子重力効果が大きな意味を持つほど重力場が強くなるということは説明できない。量子力学と重力を結び付けた整合的な理論はまだない。そこで注目されるのがファイマンの「経歴総和法」である。ファイマンの考えは、R・Pファイマン著 釜江常好、大貫昌子訳「光と物質の不思議な性質」岩波現代文庫にも書かれている。粒子は単一の経歴の代わりに、時空の中であらゆる可能な経路をたどる。これらの経歴に一つ一つに一対の数値(波の大きさ、位相 波の周期における位置)を割り当て、総和を計算することで、粒子がある点を通過する確率を求める。技術的には実時間ではなく虚時間と呼ばれる中に粒子経歴に対する波を加え合せるというやり方である。こうしてファイマンの時空は、興味深いことに時間と空間の区別がなくなることである。今日いう「ユークリッド時空」とは4次元で時間の方向と空間の方向には違いはない。量子力学において、虚時間とユークリッド時空を用いて計算するのは単に数学上の工夫に過ぎない。重力に対するアインシュタインの考えである、重力場が湾曲した時空にファイマンの経歴総和法を適用すると、粒子の経歴に対応するものは全宇宙の歴史を代表する湾曲した時空である。この湾曲した時空はユークリッド時空的で、かつ時間は虚数的で空間内の方向と区別できないとする。経歴総和法でいうユークリッド的で湾曲した時空が、宇宙の初期にはどのようにふるまっていたかが分かれば、宇宙の量子状態を知ることができる。実時空における宇宙の振舞は、無限の時間にわたって存在してきたか、でなければ過去の有限な時刻に特異点から始まったであるが、重力の量子論では第3の道が開かれた。時間の方向が空間の方向と同じでありながら、境界あるは縁を形作る特異点を持たないことが可能となるのである。宇宙の境界条件はそれが境界を持たないことになり、完全に自己完結しておりその外部に影響されない。これは宇宙は創造もされず破壊もされない、宇宙はただ存在するとホーキングの「無境界説」は説明している。時空間は大きさは有限だが境界も縁も持たない一つの曲面を形作っているという。カルフォニア工科大学のジム・ハートルととホーキングは時空に境界がない条件を発見したという。これはひとつの提案であり、形而上学的な装いをまとっている。実証はこれからのことである。経歴総和法が教えることは、経歴の中には他のものよりもはるかに起こりそうな特定の一群が存在することである。たとえば時空の図を地球の形で示すと、北極か?の距離は時間軸とすると北極から一定の距離にある円の大きさを宇宙の空間的な大きさとし、宇宙は北極から出発する。虚時間に沿って宇宙は膨張して大きくなる。最大の大きさに達したら虚時間が増すにつれ宇宙は小さくなる。南極ではゼロになる。しかし実時間ではリンデのいうカオス的インフレーションモデルで膨張し、最後には特異点に見えるところで再び崩壊するだろう。虚時間の宇宙には特異点はない。特異点定理の重要性は、重力場が量子効果を無視できなくなるほど強くなることであった。すると虚時間こそが基本的なもので、実時間は我々が冠あげる宇宙を記述するための考案された観念かもしれない。この無境界条件を用いれば、宇宙はまさしく不確定原理の許す最小限の非一様性から出発したに違いないとホーキングは主張する。

9) 時間の矢

今世紀の初めまで絶対時間が信じられてきた。しかしアインシュタインの特殊相対論はどの観測者にとって光の速さは同じであるという仮説を置いた。光速に近いところ(決して超えられない速度)では時空が歪むのである。重力と量子力学を統一しようとすると、「虚時間」の考えを導入しなければならない。虚時間は空間の方向と区別できない。虚時間では運動の方向は関係ないのである。科学法則は過去と未来を区別しない。科学はC.P,Tという対称性を組み合わせて行っても変化しないことを意味する。すると熱理学第2法則はエントロピーは時間とともに増大すると述べている。時間とともに無秩序あるいはエントロピーが増大することを熱力学的「時間の矢」と呼ばれる。それ以外には心理学的な時間の矢、宇宙論的な膨張する時間の矢がある。宇宙に対する無境界条件は、弱い人間原理と一緒にすればこの3者の時間の矢の向きは同じ方向を向いていることが分かる。もし宇宙に足して無境界条件を想定すれば、熱力学的第1の矢と宇宙の進化の第3の矢の方向は同じである。なぜ無秩序は宇宙の膨張と同じ時間の方向に増大するのかは明らかであろう。心理学的な記憶の時間の方向については、コンピュータの進化を見ればこれまた自明である。膨大なエネルギーを費やして記憶装置が動いているからだ。コンピュータが過去を記憶しているときの時間に方向は、無秩序の増大するする方向と同じである(無秩序の同大する方向に時間を測るからである)。ある時間が経過したところから、宇宙の無秩序は、はっきり確定できる熱力学的時間の矢を持たずに、一定に留まるかあるいは減少するかである。ここで第1の矢と第2の矢が矛盾するように見える。そこで重力の量子化が求められる。経歴が無境界条件を満たしているときだけ、宇宙は大きさは有限だが境界はなくなり、時間の始まりは滑らかな一点であり、宇宙は滑らかな秩序ある状態で膨張を始めるだろう。宇宙はインフレーション的膨張の時期を経て、そして膨張が止まり星や銀河が形成される。時間が経つにつれて無秩序になり、熱力学的時間の矢と同じ方向になる。膨張期と収縮期は美しい対称性が保たれる。しかし無境界説は収縮期がかならずしも膨張期の時間反転ではない。ドン・ページらのモデルでは宇宙の崩壊は膨張とはがらりと異なるとしている。アインシュタインは静的な宇宙モデルを作ろうとして宇宙定数を導入したのだが、のちにこのことを「わが生涯の最大の失敗」と認めた。無境界説では宇宙のごく初期段階のインフレーションの存在は、宇宙が再崩壊を避けられる臨界速度にごく近い速度で膨張するはずであり、長い間再崩壊しないことを意味している。知的生命はそもそも食糧を燃焼してしか生きられないのであるから、膨張期の諸条件だけが知的生命に適しているのである。しかし石油の枯渇した状態で人類は生きることが困難になるかどうかや、経済的にGDPは増大し続けなければならないかどうかは、本節の考慮外である。

10) 物理学の融合ー大統一理論GUTと超弦理論

物理学の完全な統一理論を築く努力がなされてきたが、近似的な部分理論を積み上げることで物理学は進歩してきた。アインシュタインは晩年のすべてを統一異論の探求に費やしたがうまくゆかなかった。重力と電磁気理論に関する部分理論はあったが、核力については(素粒子論)はよくわからなかったからである。アインシュタインは「神はサイコロを振らない」といって不確定性原理をに認めようとはしなかった。20世紀初めのころと違って今日ではこのような統一理論を発見できる見込みは高まっている。中性子と核力についての発見がまた物理学の書き換えを要求している。弱い力、強い力、電磁気力の間の統一理論はいわゆる「大統一理論1GUT」に纏められるが、重力理論はまだ包含されていない。重力と他の力を統一する理論を見出すのが難しい理由は、一般相対性理論が量子化されていない古典理論であるからだ。特に量子力学の不確定性原理となじまないと言われる。不確定性原理によると、空っぽの空間にも仮想粒子と仮想反粒子の対に満ちたにぎやかな空間である。無限大のエネルギーを生む空間は無限大の質量を持つことになり、その重力による引力は無限小の大きさに湾曲させてしまう。くり込み理論は不合理な無限大を解消するため、ほかの無限大を導入して打ち消すという数学的手法で切り抜ける理論であるが、質量と重力の大きさは観測結果から選ぶという理論上の欠陥があった。不確定性原理を一般相対論に取り入れようとするときには、調整できる項は重力の強さと宇宙定数の値だけである。このことは1972年に確認され、1976年に「超重力」という解決法が提案された。その考えは重力を伝える重力子と呼ばれるスピン2の粒子を、スピン3/2、1、1/2、および0の粒子とと組み合わせることである。同一の超粒子の異なる側面と見なして、スピン1/2と3/2の物質粒子を、スピン0.1,2を持つ力の伝達粒子と統合するのである。これで無限大の多くは打ち消されるが、無限大が残る可能性を計算するのにコンピュータ計算が4年以上かかるので、誰も確認しようとはしない。この超重力理論が多分物理学の統一理論になるだろうとされていたが、1984年「弦理論」が一躍注目された。空間の一点を占めるものは粒子ではなく、長さを持つが他の次元を持たない無限に細い線または帯状の弦のようなものである。時空における経歴は世界面と呼ばれる二次元の面となる。弦理論では力は粒子ではなく弦を伝わる波として描かれる。粒子が放出されたり吸収されるのは、弦の分割と結びつきに対応する。粒子理論では太陽が地球に及ぼす重力は太陽の粒子が重力子を放出し、それが地球の粒子に吸収されることで生じるとされた。弦理論ではH型の太陽と地球の2本の管に対応し、両者を連結する水平な管が重力子に対応する。弦理論は1960年末に発明され、陽子や中性子のような粒子は弦の上の波と考えた。1974年フランスのジョエル・シェルクらは弦理論が重力を記述できるとした。いずれにせよ弦の張力は10^39万トンでなければならなかった。そのころは大部分の物理学者は弦理論に注目することなく、クォークやグルーオン理論に夢中であった。弦理論は1984年にヘテロティックな弦理論として復活した。弦理論の最大の困難は時空が四次元ではなく、10次元または20次元でないと無矛盾にならない。実際の空間では一つの時間と3つの空間次元の中でしか生存できないと人間原理から考えられる。ほかにも弦理論には多くの困難がある。弦理論については、大栗博司著「重力とは何か―アインシュタインから超弦理論へ」幻冬社がある。


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