151113

柿崎明二著 「検証 安倍イズム」 胎動する新国家主義
岩波新書(2015年10月)

安倍流国家介入型政治(国家先導主義)は、戦前型政治体制へのノスタルジア その情緒的イメージ戦術に惑わされるな

異次元金融緩和、賃上げ税制などのアベノミクス経済政策から教育、集団的自衛権行使と憲法改正、安全保障法制整備まで、安倍流の国家介入型政治に通底(通奏低音)するのは、「国家の善意」である。その思考と意志を安倍自身の言葉から検証してゆくことが本書の目的であるという。政治思想史家丸山眞夫の手法に似た、政治家個人の信念や心情から読み解いてゆくやり方である。普通は個人がどういう気持ちであろうと、「結果責任」が政治家の評価であるとする考えからすると、客観性、歴史性、社会状況から遊離した手法であるが、しかしより深く安倍の政治的行動を理解できるという利点がありそうだ。しかし安倍の行動がぶれていないことが必要である。また安倍の行動が全くの個人的心情から出ているわけだはなく、周辺の取り巻きブレーンや官邸官僚の意見を完全にコントロールしているのか疑問が持たれる。でなければこれだけ多くの内外の問題を正確にかつ迅速に処理するという超人的判断力と政治力を仮定しなければできそうにない。そして首相の権限が高まったのは、一人安倍の能力と政治力にあるのではなく、歴代首相の官邸機能強化策が功を奏してきたから(それだけ議会の力が弱くなった)である。安倍政権の目指している政策を見ると、「戦後日本の歴史的転換期にある」ということはよくも悪しくも言えるのではないだろうか。現代日本を形作っている「戦後体制」は1945年からサンフランシスコ講和条約の7年間に出来上がって継承されてきた。安倍が抱いている究極の目標はその戦時体制から抜け出すことである。それを安倍は「戦後レジームからの脱却」と名付けている。歴史的転換点とはこの安倍の意志とその背景にある思考法である。2006年に成立した第1次安倍内閣は声高に「戦後レジームからの脱却」を叫んで、内外の反発を受け、とくにアメリカからの真実の独立(米軍撤退要求)と捉えたアメリカ保守層の懸念を招いて短期で失脚した。その反省から2012年の第2次安倍内閣はこのキャッチコピーを封印し、「デフレからの脱却」という看板を掲げた。経済の安倍(アベノミクス)というイメージ戦術が成功した。しかし安倍はA級戦犯が合祀される靖国神社参拝、教育改革、日本版NSC(国家安全保障会議)の設立、特定秘密保護法制定、武器輸出三原則とODA見直し、集団的自衛権の行使容認の閣議決定と安保法制整備などの政治的安倍カラーの政策を着々と進めた。日本はアメリカの言うことを聞く範囲内(集団的自衛権行使)において米国保守層はある程度の安倍カラー(戦前回帰と歴史修正主義)を許すことで合意したようである。この本では、歴史的認識や外交・安保・教育などの安倍カラーと呼ばれる政策と、経済政策を分けないで「国家先導」という構造から一体化して考えている。その背景にある思考と意志を「安倍イズム」と名付けている。安倍イズムつまり安倍晋三首相の「思考と意志」を読む上でのキーワードは「国「、「国家」である。安倍第2次内閣八足直後、2013年1月「新しい国へ 完全版」を出版している。その年の暮、作家の百田尚樹と「日本よ、世界の真ん中で咲きほこれ」を出版した。著作に関わらず安倍は国または国家という言葉を多用する。パスポートの意味を「外国である個人を、ある国の国民たらしめ、その個人が所属する国家であり、保護を受ける個人には、納税、投票、公共への奉仕などの応分の義務が生ずる」というのが安倍の国家感、国民感である。」これは国家と国民の一側面を捕らえた言葉で奇異感はないが、安倍に特徴的な点は、国家の肯定的な役割を高く評価し、一方否定的な面には決して触れないことである。この国家性善説みたいな論理が安倍の「思考と意志」の根底をなしている。その国家感を国民全般に求めると、「応分の義務」、「交響への奉仕」面が強調されてくるのである。日本人が愛国心をなくした戦後の歴史認識の最大の原因が、占領期に制定された憲法にあるとみなして、憲法改正は失われた価値観やほこりを「取り戻す政治」課題となる。安全保障法整備は安倍にとって国家の権限の本来の形を「取り戻す」ことになる。さらに経済分野で国家がより広い分野に直接的関わってゆく(介入)政治を展開することになる。国家による個人的生活や民間活動への介入をできる限り限定的にしようとする政策は前の故イズム首相の新自由主義的政策であった。いわゆる規制緩和のスローガン「民がやれることは民へ」がそれであった。ところが安倍は小泉と違って、民間活動兎への国家の関与を強めている。こうした「取り戻す政治」、「かかわってゆく政治」は心情レベルでの国家主義ということもできる。国家主義の教義の定義は国家の権威と優位性、国家への国民の服従を求めるものである。安倍の「関わってゆく政治」政治手法は、先頭に立って関係者あるいは国民を目指す方向へ導く、「国家先導主義」と名付けよう。本書は100%事実に基づくノンフィクションというアプローチではない。資料に基づいて著者の推察力・洞察力が強力に働くのである。

「いま私たちは歴史的転換点に立っているが、その未来は厳しく難しいものであるかもしれない。」という書き出しで本書は始まる。プロフィールから著者の柿崎明二氏の思想信条を探るには難しいが、プロフィールだけは簡単に記しておこう。1961年秋田県生まれ、早稲田大学文学部卒業、毎日新聞社を経て、共同通信社に入社。政治部で首相官邸、外務省、厚生省および政党などを担当した。政治部次長を経て2011年より編集委員、2013年より論説委員を務めている。著書に「空白の宰相 チーム安倍が負った理想と現実」(共著 講談社)、「次の首相はこうして決まる」(講談社現代新書)がある。Kyodo Weekly 2014年5月12日によると共同通信社の柿崎明二論説委員は、「安倍晋三首相が祖父の岸信介元首相と同じ北一輝の影響下にある国家社会主義者と指摘した」とある。著者が安倍晋三の心情まで立ち入ってその政策と行動を裏付ける試みである本書が読者にどんな心証をあたえるか、若干心配なところがある。安倍に免罪符を与えることではないことは明白であるとしても、「気持ちはわかる」式の許容を与えてはいけないからだ。気持ちはどうあろうとも私たちには理解できない支配者の論理に一抹の同情は不要である。安倍の発言集から、支配者の論理に見え透いた文学的・情緒的粉飾を施したキャッチコピーの数々を示しておこう。
@ 美しい国 日本 A 美しい国へ B 日本を取り戻す C 瑞穂の国の資本主義(市場主義) D 慎みを持った政府の関与 E 女性の活躍 F 戦後レジームからの脱却 G 最高責任者は私です(国会答弁で連呼した) H 先の戦争が侵略かどうかは歴史家の判断にまつ I 現行憲法は正常ではない。恥ずかしい状態である J 国家が危機に瀕するとき、国民の皆様にも協力をしていただかなければならない K 愛国心とは両親の対する愛に似ている L アメリカのリベラルではない、開かれた保守主義が私の立場である M大切なものを守るためには、時には思い切って勇気をもって変えてゆく などである。安倍に文学趣味があるとは思えないが、チーム安倍のコピーライターが発案したものであろう。徹底した合理主義計画経済主義者の岸信介のおじいさんと違って、おじいちゃん子の孫の安倍はやたら情緒的な甘い言葉を好んで公的な場で発言する。三代目の気恥ずかしくて言えないような言葉のオブラートに騙されてはいけない。その言葉の裏には必ず支配者の論理が隠されている。「きれいごとには眉唾を」これが庶民の知恵である。
私は安倍政権の施策について、いろいろな本を読んできたが、中でも直接安倍イズムを総括する本を三冊を紹介したい。いずれも岩波新書です。中野晃一著 「右傾化する日本政治」(岩波新書 2015年7月)服部茂著 「アベノミクスの終焉」(岩波新書 2014年8月)豊下楢彦・古関彰一著「集団的自衛権と安全保障」(岩波新書 2014年7月)です。本書の安倍政権の捉え方は他の著者と較べると、ずいぶん異なる。そこで本書に埋没する前に、いろいろな安倍政権評価を知っておくことは必要である。3冊の本の概要と主張を概観しておこう。

中野晃一著 「右傾化する日本政治」
本書を読んで、安倍第2次内閣の急速な右傾化政策は彼個人の信念によるものか、それとも時代の流れによるものか、時代の流れによるとすれば右傾化を推進する原動力はなにかについて、初めて正面向った議論を聞いた気がする。右傾化は1980年代に始まる新自由主義の世界的潮流の特徴であり、1990年ごろの東欧とソ連邦の崩壊による冷戦構造の消滅によって一層加速されたとされる。それは「資本主義の勝利」という歴史的ターニングポイントを経て、グローバル(全世界的)資本主義の時代に超独占資本の寡占支配が確立すると、政治と経済(労働と生活)の全面で右傾化が進行した。日本では中曽根、小沢、小泉、安倍が右傾化の代表選手といわれるが、中曽根の時代は保守本流に縛られて口ほどには右傾化は進まなかったが、バブル崩壊後のデフレの中で保守本流の55体制が弱体化し、湾岸戦争、9.11アフガン戦争・イラク戦争をへて小泉時代から破壊的に右傾化が進行した。その流れを受けて安倍政権が右傾化を促進したということになる。では安倍という個性の問題かというと、ヒトラーが政権を奪取してナチスというファッシズムを作ったことをヒトラーという個性の問題に閉じ込めて反省しないのと同じ過ちを犯すことになる。ドイツを取り巻く第1次世界大戦後の世界情勢とドイツ経済の要請がヒトラーを生んだと言わなければならない。連合軍の勝利もヒトラーの殺害で終わるのではなく(中東の戦乱がラディンやフセインの殺害で終わらなかったように)、そのまえにドイツ社会経済そして軍部と産業の徹底破壊によって得られた勝利である。安倍が怪物か名門お坊ちゃん政治家かどうかは知らないが、安倍がいなくても誰かがやったに違いない。名門三世政治家はパワーエリートを自任する寡占エリート(少数の支配的指導者と官僚機構)に取り囲まれているに過ぎない。しかもそのエリートたちは経団連の言いなりであるとするならば(まだ日本では軍部エリートが重要なアクターでないことは不幸中の幸いであるが)、結局右傾化推進の原動力は財界(超独占企業家)ということになる。そもそも昔も今も企業内に民主主義がるわけではない。企業を支配しているのは激烈な才能競争(市場原理)とパワーハラスメントの忠誠のみである。社会生活で自由と民主主義を謳歌しても、「企業に入ったら民主主義もへったくれもない」といわれる。その同じ原理を社会に要求するとすれば効率のいい社会となるという理念は、必然的にファッシズム支配が最高に効率のいいシステムにつながる(アテネの民主制よりスパルタの軍事独裁制が強力であったように)。だが寡占エリート独裁制になったらすぐに腐敗し、民衆の支持はなくなる。社会構成員(人民)から常にコントロールを受けない体制(西欧的王侯貴族性、東洋的皇帝・天皇制、ドイツ的ファッシズム・軍部独裁制)の腐敗・転落は早い。しかしどうしたら右傾化を阻止できるかについては本書は答えていない。これらの問題はロック、ルソー、トクヴィルらの政治学の永遠の課題である。詰るところ人民の支持にもとずく政治を目指すことになるが、選挙制度、議会民主主義、3権分立などの諸問題に解答をしなければならない。右派の質的転換とは、政策面のみならず格差社会、市場原理、個人の権利や自由の制限、日米安保条約の米側の要求の対応、近隣外交と歴史修正主義への変化を改革と標榜することに現れる。右派とは「不平等や改装間格差の是認」、「国家による秩序管理の強化」、「軍事力による抑止重視(積極的平和主義)」、「歴史修正主義(大東亜共栄圏の正当化)」とみて、左派とは「平等志向・個人の自由尊重・反戦平和・植民地の反省と謝罪」という価値感で位置づけた政治座標で捉えてきた。この考えは国際的にも受け入れられている。中曽根から始まる右傾化はその流れにあることは事実である。それでも日本政治はまだまだ左にあるので「改革」の必要があると叫ぶ人もいるわけである。現在は十分右に傾いていると思うなら、安倍政権の復古主義は「極右」となる。新右派転換によって政治座標が右にシフトする傾向は、日本のみならず過去30年ほどの世界的な潮流にあると言える。そもそも「新右派(ニューライト)」という言葉はマーガレット・サッチャーが1979年イギリス首相に就任し、ロナルド・レーガンが1981年アメリカ大統領に就任してから1980年代冷泉末期の保守政治家を指して使われ始めた。むろん日本の中曽根首相も3本の指に入る。伝統的な勝ち規範や社会秩序の復権を声高に提唱し、規制緩和や企業減税で企業の経済活動を自由にする経済政策の文脈では「新自由主義」とも呼ばれた。又軍事力増強で共産圏に勝つことではタカ派的な安全保障政策を追求した。このように新右派転換は世界的に展開しているが、選挙制度としては小選挙区制を用いる英米によってグローバルな新右派転換は推進されてきた。さて日本における新右派転換は大きく捉えると「新自由主義(ネオリベラル)」と「国家主義(ナショナリズム)」によって形成されている自由経済を標榜する新自由主義と対になって新右派連合を形成したのは、その政治面では「強い国家」を思考する国家主義であった。市民社会でも国際社会でも、国家の権威を高めようとする保守反動勢力の失地回復運動が合流したことである。国家主義と言っても、国民の統合、主権よりも国家の権威や権力の強化を目指す動きである。国民意識や感情を煽る政治手法が用いられる。北朝鮮拉致問題、中国・韓国・ロシアとの領土問題(尖閣諸島・竹島・北方4島)で被害者ナショナリズムの宣伝である。軍事面では明らかに大きな政府主義であった。明治維新以来の国家の価値秩序を優先させる国家保守主義が徐々に復権を遂げてきた。戦後の55体制は日本帝国の敗北から出発する「戦後レジーム」からの脱却が至上命題に掲げられた。「自主憲法」の制定や9条憲法改憲論、国連平和維持活動PKO参加、非尖塔地域への自衛隊海外派遣、集団的自衛権の行使容認(これまでの政府見解は、権利は認めるが行使は憲法上できないとしてきた)を進め、有事法制、治安立法の整備が行われてきた。次には歴史認識や道徳教育に関する問題である。教育基本法の改正、君が代と日の丸法制化、戦前のすべての戦争を自存自衛の平和のための戦争と正当化する「靖国史観」という歴史修正主義が図られてきた。教科書問題、靖国問題、慰安婦問題は国内のみならずアジア隣国との国際問題へと発展してゆく。こうした明治以来の「日本近代化」の正当化への情念が新右派連合に合流して、復古色の濃い国家主義が特徴となった。日本の新右派連合は、新自由主義(経済的自由主義)と国家主義(政治的反自由主義)の2本の柱で成り立っている。

服部茂著 「アベノミクスの終焉」
政府と日銀によって「アベノミクスによって日本経済は回復しつつある」という「物語り」は真実なのだろうか。2013年4月から始まった日銀の「異次元金融緩和」の大合唱からすでに1年半が経とうとしている。アベノミクスという「神話」はすでにあちこちでほころび、つまずきが明らかになっている。それを回復基調の中の一時的な些細なことといって片づけていいのだろうか、そうではなくアベノミクスの本質が暴露されたというべきなのだろうか。経済と政治は科学ではない、価値観に基づいた政策なので、やり直しもできないし、もしやらなかったらどうなっていたかという検証も厳密にはできない。そこで思わしくないことが起きても、様々な言い逃れや弁解が可能である。結局経済政策と権力は一致していなければ、犬の遠吠えに過ぎないとよく言われる。経済学者は政治権力者と一体化していなければ、政策の実行と成果の享受は不可能である。そこで経済学者は権力奪取を図れという過激な言説も出てくる。経済を富と定義するなら、金の力で政治権力を意のままに動かすことは容易であり、アメリカでは金融資本が国策を決めているといわれる。アメリカの経済学者キンドルバーガーは、経済のブームが「詐欺需要」を作り出し、詐欺需要が詐欺供給を生み出すと論じている。「供給は自らの需要を生み出すというセイの法則よりも、需要は自らの供給を決定するというケインズの法則にしたがうと我々は信じている。ブームの時、詐欺師たちは欲張りで目のくらんだ人々を丸裸にしようと虎視眈々と狙っている」という。需要があってこそ供給手段が講じられるという健全な経済活動から、金融資本の貨幣供給能力から需要が惹起されるという逆立ちした論理に埋没して、1997年と2008年の金融恐慌が発生した。権力者とそれを取りまく経済界と主流派経済学者はあの忌まわしい記憶を忘れさせよう努め、何度でもブームを再来させることで儲けようとするスクラップ&ビルド破壊戦略である。バブルと金融恐慌がセットになった過ちは何度でも繰り返される。それは貨幣の量で価値を評価するからである。キンドルバーガーは、経済のブームが「詐欺需要」を作り出し、詐欺需要が「詐欺供給」を生み出すと論じているが、長期的な経済停滞もまた詐欺需要を作り出す。ブームの時の詐欺需要は金融の分野で拡大するが、長期停滞の詐欺需要は政治の分野で拡大するのである。2012年11月まだ首相になっていなかった安倍氏は日本のデフレを解決するために日銀による無制限の金融緩和を訴えた。安倍氏が政権に就いたのは21012年12月末のことで、日本のリフレ派を代表し日銀攻撃の先頭に在っていた黒田東彦氏と岩田規久男氏が日銀総裁、日銀副総裁の就任したのが2013年3月のことで、「異次元金融緩和」は2013年4月より始まった。岩田氏と並んでリフレ派の経済学者浜田宏一氏が指南したといわれるアベノミクスは3本の矢からなるといわれた。@異次元金融緩和(日銀マネタリズム、ニューケインジアンの金融政策)、A公共事業拡大による内需拡大(政府債務拡大、土建ケインズ主義)、B成長戦略(民間企業、新自由主義経済)のことである。3本の矢には軽重があり、第1に無制限金融緩和、脇役が土建公共事業、そしてまだ形も見えない成長戦略の順である。2012年11月、安倍氏が無制限金融緩和を訴えてから急に株価上昇と円安が進行した。円安で儲けたのは自動車を中心とする輸出産業、大きな損出をだしたのは石油を中心とする輸入貿易で、外貨準備金の減少と貿易収支赤字をだしそれは物価上昇となった。つまり消費者が大きな痛手をこうむったのである。株価も円安も金融緩和が始まってしばらくすると停止した。政府支出と、2014年4月の消費税増税前の駆け込み需要である民間住宅投資、耐久財消費財を除けば13年後半の経済成長はゼロかむしろマイナス成長であった。円安と輸入コスト増、インフレ気分と物価値上げ、消費税増税と企業減税の付けを消費者に回す政策はかならず消費者の疲弊となり経済の縮小という代償を払わなければならない。 そこから導かれる論理は「もっと、もっとショック的に効果の出るまで無制限にサプライする」という「アグレッシブ」な金融政策です。理論なしの事実無視のやけくそ論理です。失われた20年において日銀は手をこまねいたいたわけではありません。相当な量の長期国債を買い込んでいます。金よりも仕事がほしい銀行にさらに金を流し込もうとするものです。中央銀行による準備の大幅積み上げは安心感を与え、金融システムの安定化に寄与したことは評価されますが、結果として実体経済に好影響を与えたという確固たる証拠は存在せず、理論的な根拠も難しいというのが一般の理解です。もともと短期金利はほとんどゼロであって、準備金の金利をさらに引き下げることによってさらに金利が下がる余地はないと思われます。すでに銀行間の短期金利市場金利はゼロとなり、市場の機能は消滅しているとみられます。おそらく日銀当局は米国のFRBのバーナンキ議長の手法に注目しそれをフォローしているようですが、市場のモラルハザード(リスク無視、無責任感覚)が心配されます。黒田総裁下の金融政策は古典的なマネタリスト・アプローチに従っているように見えて、中央銀行が思い切った大胆な金融政策(なんとかっこいい言葉でしょう、いつも正義はこちらにありというような)行う姿勢にあることを強く打ち出すことによって醸成される「期待」が、株価や為替相場あるいは不動産価値に及ぼす影響に重点が置かれているようです。

豊下楢彦・古関彰一著「集団的自衛権と安全保障」
安倍首相が提唱する「積極的平和主義」とは具体的には「積極的軍事主義」をめざすものであり、知れを象徴的に示すのが、武器輸出禁止3原則の撤廃である。1967年佐藤栄作首相が、共産圏、国連決議で禁止された国、国際紛争の当事国またはその恐れがある国の3つのカテゴリーの国への武器輸出を禁止した。1976年三木首相は実質的にすべての国への武器輸出を認めないことになった。それ以来自民党内閣の国是として守られてきたが、野田内閣が我国と安全保障面で協力関係にある国と共同開発した場合については輸出を認めるという原則緩和に踏み切った。ところが2014年4月安倍内閣は過去半世紀間守られてきた武器輸出3原則を撤廃し「防衛装備移転3原則」なるものを策定した。「武器を輸出して平和を促進しよう」というもので、「積極的平和主義」とおなじ武力で平和を勝ち取るという言葉の綾というより、転倒した論理を平気で使う支離滅裂さである。美しい日本がイコール戦前レジームである論理もそうである。言葉の魔術師というより、言葉の矛盾を無視して収まる脳の構造を見てみたい。武器移転が禁じられる新たな3原則とは、@条約や国際約束の義務に違反する国、A国連安保理決議に基づく義務に違反する国、B紛争当事国である。禁止対象国の定義が曖昧になって、解釈次第で裁量できる。それは国内企業が部品を供給するステルス戦闘機F35の米国政府の一元管理での輸出を可能とするための措置であった。つまりイスラエルにF35を輸出できるようにしたがための屁理屈に過ぎなかった。欧米の兵器産業の最大のお得意先は紛争国や独裁者の国であった。湾岸戦争ヲ引き起こしたイランのフセインは実はイラン戦争でアメリカに養われた独裁者である。これを「イラク・ゲート」と呼ぶ。米国がフセインに多額の債務保証を付け軍事独裁政権に育て上げたのである。イラクは格好の兵器市場となりフセインはモンスターに変身した。中国の強大化を背景として、インド、韓国、ベトナム、マレーシア、シンガポールなどのアジア諸国で文尾増強が進んでいる。そこに日本の兵器産業(三菱Gを中心とする重工業企業)が目を付けたのであろうが、日本の兵器輸出国家への道は、安全保障のジレンマを一層深刻なものとし、アジアの軍備拡張に火をつけかねない。安倍政権が狙うものは米国の「統合エアー・シー・バトル構想」に一体化したいのである。衛星攻撃ミサイル、無人機攻撃機、ロボット兵器、サイバー戦争などの全次元戦争への参加である。 憲法は人権擁護であり、安保条約は軍事同盟である。「万機公論に決すべし」の明治維新以来憲法は世界に開かれた窓であった。今憲法を考えるとすれば、どのような国の開き方をするのかということであるが、国際社会と地方自治の問題に集約されるだろう。自民党の憲法改正草案の、軍事力の強化、人権の制限、天皇制復権の3点セットはあまりに閉ざされた国家像である。明治憲法に戻そうとする時代感覚ゼロの国家像である。安倍首相の「積極的平和主義」と言った無内容なご選択を止め、平和のうちに生存する権利や外国人の人権を取り入れた開かれた国にするべきであろう。東京1極主義という首都圏収奪体制(財源を首都圏に集中する)の下では、2040年には半数の地方自治体は消滅すると増田元総務大臣は述べている。自民党の憲法改正草案は地方自治に何ら改正点はない。そのまま放置すれば地方は壊滅するというのに。明治憲法の下で「富国強兵策」が押し進められ、太平洋戦争に突入した。現在日本のGDP は世界第3位、軍事費は世界第6位となり文字通り「富国強兵」は実現されている。しかし人権は世界での底辺を歩んでいる。国連は1993年国内人権機関の設置を決める決議を出したが、日本は未だに設置を決めていない。女性の就業率は先進国中第20位、裁判の法律扶助費は最低レベル、GNPに占める教育費はOECDの最下位、外国人の参政権は否認したままで、世界に冠たろうとする姿は傲慢である。 戦後レジームからの脱却から戦前レジームへの回帰に執念を燃やす阿部首相は歴代自民党政府の国是を捨て去ろうとしている。しかも国際情勢は大きく変貌しつつあり、阿部首相が言う脅威は実は冷戦時代以前の古ぼけた脅威である。中国と米国のパートーナーシップは強まり、イランは欧米諸国との対話路線に舵を切っている。米国と北朝鮮に直接対話も裏では進行している。時々北朝鮮があげるミサイル型線香花火は交渉の行き詰まり打開の合図である。イラクでは親アメリカ政府はISIS過激組織による攻撃を受け、イランとアメリカの提携交渉が始まったといわれる。イランは核開発も交渉のテーブルに乗せたという。日本がイランを敵視すると、宗教宗派争いに巻き込まれるおそれがある。日本人には宗教は全く分からないため、不可解なりといって内閣崩壊になる事も有り得る。百年一日のごときイランによるアメリカ攻撃という荒唐無稽のシナリオしか描けない安倍首相とその周辺の頑迷さは驚くばかりの時代錯誤に満ちている。世界情勢の変化と日本の位置という政治の現実から目を離して、集団的自衛権行使だけが自己目的化していることが問題なのである。国を誤るとはこのことをいう。戦前レジームへの回帰とは、青年が誇りをもってお国のために血を流すという超国家主義の国家体制を作り上げることになる。国防軍の創設、天皇復権、国民の権利制限の3点セットが自民党保守派の願望なのである。集団的自衛権と憲法改正の問題は日本の国家の在り方と日本の針路の根幹にかかわる問題である。ここはしっかり議論しなければならない。

1)  国家先導主義(国家介入型)政治とは

安倍の国家先導主義政策の端的な例を、賃上げ、女性の活躍、人口政策、異次元金融緩和策、旅券返納事件と拉致被害者問題の5つについて見てゆこう。
分野、領域を問わず、国家が直接かかわって問題解決に当たるべきだとする安倍内閣の国家先導主義が、国民の目に分かりやすい形で現れたのが民間企業の「賃上げ」である。それも一流企業の正社員に限ったことで、全日本の雇用者の所得が増加したという統計に表れた数値ではないので、安倍内閣のパフォーマンス倒れで終わる可能性も大いにある。2015年6月に経団連が発表した春闘の最終集計では、定昇を含む賃上げは8665円で実に1998年以来の8000円越えとなった。これには2つの要素が働いた。一つは「所得拡大促進税制」と「経済の好循環実現に向けた政労使会議」の後押しがったからである。「所得拡大促進税制」とは丘陵の増加分のいTTっ割合の税額控除をするというもので、賃上げ分の税負担というものである。これは雇用促進税制都のいずれかの選択となる。2015年2月12日安倍は経団連ら経済三団体のトップ意見交換会で「業績が改善している企業は報酬の引き上げに取り組んでほしい」と協力を求めた。2013年6月政労使会議の設置方針を盛り込んだ2つの文書が閣議決定された。一つは経済財政諮問会議がまとめた「骨太の方針」と経済再生本部産業競争力会議がまとめた「日本再興戦略」である。2013年9月政労使会議の設置が閣議決定された。10月には所得拡大促進税制と復興特別法人税の1年前倒し廃止の政策パッケージを閣議決定した。そして政労使会議12月に「経済の好循環実現に向けた政労使の取り組みについて」を取りまとめた。好循環とは、企業収益の拡大が速やかに賃金上昇や雇用拡大につながり、消費の拡大や投資の増加を通じて、さらに経済の好循環を図るものである。順番がまず企業の収益拡大によるという条件付きである。「デフレからの脱却による経済再生」という安倍内閣の目標から導かれている。賃上げという労使間の懸案を政府がお願いして税金面の優遇策を用意するという、国家先導型の修正資本主義(あるいは国家資本主義)を安倍は「瑞穂の国の資本主義」という名調子で飾ろうとする。これは伝統的な自由主義経済ではない。麻生副総理は「企業の内部留保が増えてもGDPは増えない」と見ていた。
次は「女性の活躍」を経済的視点から成長戦略からとりあげた例である。2015年8月「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」が成立した。国、地方自治体に採用者数や管理職に占める女性の割合の数値目標の設定・公表を義務づけ、民間で対応している企業には入札など受注機会を増やすというものである。民間企業の人事のあり方に国家が関与する制度で「画期的」である。2014年時点で民間企業では課長以上の管理職は8%、国家公務員では3%である。女性問題という「社会政策」の関連からではなく、「成長戦略の中核」と位置付けている。女性を労働力として活用していかなければならないという観点であり、女性を家庭に縛り付けておく性別任務分担論からするとそれは画期的である。安倍は経済三団体のトップに「指導的地位に占める女性の割合を2020年までに30%とする」政府目標を説明した。そして安倍は大企業の役員に一人は女性を登用してほしいと要求した。2013年6月「日本再興戦略」で2020年目標として、25-44歳の女性就業率を73%を掲げた。指導的地位の女性を30%は小泉内閣時代の2003年「男女共同参画社会基本計画」に織り込まれていた。現状は国家公務員で3%であるので、全く努力されてこなかったと言える。それに対して無反省のまま安倍は再度目標を掲げ、そして民間企業まで女性の登用を呼びかけた。政府の高官に女性を採用することは首相の権限でできるので、2013年6月厚労省事務次官に村木厚子氏、山田真貴子氏を首相秘書官に抜擢した。2014年9月の組閣では経済産業相に小渕優子し、法相に松島みどり氏を起用したが、政治資金問題で両氏は自任することになった。そして社会保険の第3号被保険者制度について、2014年3月の経済財政諮問会議で、女性の就労促進にブレーキがかかってはいけないということで配偶者芙蓉控除見直しが提案された。しかし党内で反対論が多く見直しは先送りされた。「女性の職業生活における活躍の推進に関する法案」を審議する厚労省労働崔作審議会雇用均等分科会で、異論が相次いだ。男女平等という観点がなく、労働略不足を補うために女性を働かせるだけではないかとか、安倍応援団の女性からも反対論(筋違い論)が出た。保守系団体「日本会議」の長谷川美千代氏は少子化問題との関係で女性を家庭から剥奪するに等しく、ますます子供を産む女性はいなくなるという反対論である。保守系論客の櫻井よしこ氏も長谷川氏と同じ意見であった。ちぐはぐな政策を批判したのである。
次は「人口問題」で、1億の人口維持政策である。「当事者からの提案・提言を起点に、経済財政諮問会議などを舞台にして、本来政府が介入してこなかった分野、領域に直接関わってゆく」国家先導型政策が、最も紆余曲折しているがゆえにその構造が鮮明に(滑稽に)浮かび上がってきたのが、人口目標の設定である。そもそも人口目標を設定するということは、「産めよ増やせよ」といった戦争中の近衛文麿内閣の「人口政策確立暢康」以来73年ぶりの出来事である。「約20年後に人口を1億、出産数は5児」という国家目標の為には個人の選択の尾自由を制限、人権侵害も辞さない国家主義や全体主義、軍国主義国家の典型であった。2014年骨太の方針で「50年後に人口1億程度」と明記された。しかし森雅子少子化対策担当相が主宰するタスクホースでは「出生率を設定するというのはあまり意味がない。女性に出産を押し付けるようで危険である」という反対論が噴出し、数値目標は先送りとなった。経済財政諮問会議の「選択する未来委員会」でこの目標が記載され、閣議決定にこぎつけた。出生数に言及せず人口1億人維持という文言で決着した。しかしこれとてどうするのかという具体案があるわけではなく政府の希望に過ぎないが、2015年9月24日安倍は記者会見で「出生率を1.8程度の回復させる(現状は1.4)」という踏み込んだ発言を行った。
デフレ脱却のための日銀の「異次元金融緩和」政策は「関わる政治」の始まりであった。第2次安倍内閣の発足以前に、安倍自民党総裁は第1次内閣で不評であった「戦後レジームからの脱却」の政治色を引き下げ、「デフレ脱却」のための経済政策を前面に押し出した。2012年9月「日本経済再生本部」を設置し、@日銀法快晴も視野に入れた政府と日銀による協調体制の確立、A年2%程度の物価上昇率の設定を検討項目とした。12月16日総選挙で自民党が圧勝したことを受け、組閣前の18日、日銀の白川総裁に目標アコードを要請し、日銀は受け入れ政策協定を結ぶことになった。2013年1月9日、日銀と政府は共同声明を出し異次元の金融緩和を謳った。その代償として日銀を政府のコントロール下におくという日銀法改正は見送られた。日銀法改正が脅しという政治的なツールに使用された。この成功が、第2次安倍内閣のあからさまな民間や個人への国家介入政策の序章となったのである。
フリーカメラマンのシリア入国旅券返納事件は、安倍の思考と意志が特定の個人の移動の自由制限という人権侵害問題に発展した。2015年2月外務省は、シリアへの旅行を計画するフリーカメラマンに旅券の返納を命令した。旅券法19条に基づき生命、身体及び財産の保護のため渡航を中止させることができるというのが菅官房長官の説明であった。イスラム国ISによる攻撃を考慮して、安倍の国家安全保障の判断が入った例外措置であったようだ。個人の意思を無視してまで、国家の安全を優先す政策の一例であるが、これは2002年10月の拉致被害帰国者の国内とどめ置きの判断でも国家優先政策があった。安倍が本人の意志を後回しにして日本にとどめ置き、北朝鮮に残っていた子供や夫の帰国を要請するという政策を取ったという。莫大な機密費が裏で北朝鮮に提供されtことは想像に難くない。それに北朝鮮が乗ったことで無事救出できたというが、もしISのように人質を殺したらと思うと、安倍は国家のメンツの為、危険なかけに出たものである。

2) 何を取り戻すのか

民主党内閣のお粗末な政権運営の後を受け、自民党の圧勝が予想される2012年12月の総選挙において、安倍の「日本を取り戻す」という選挙ポスターがやたら目についた。その意味が釈然としないまま第2次安倍内閣が誕生した。次第に2つのメッセージが鮮明となった。一つは2013年4月28日政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、安倍首相は「サンフランシスコ講和条約の発効によって占領が終了し、主権を取り戻した。日本を日本人自身のものとした記念すべき日である」と位置付けた。多くの国民にとって終戦記念日とは8月15日であったが、1945年9月2日から1952年4月までは主権を奪われた「歴史の断絶」であったという意味だ。その間に出来た現行憲法、教育基本法、極東軍事裁判、戦後民主改革などは認めないというのが安倍の基本的立場である。それは等は狭い意味での「戦後レジーム(占領レジーム)」からの脱却に対象となる。もうひとつのメッセージとは2014年2月11日の建国記念日の安倍のメッセージである。美辞名文で飾られた情緒的な挨拶である。「建国を偲び、国を愛する心を養う日です。瑞穂の国と言われた美しい日本を、より美しい誇りある国にして責任を痛感し、決意を新たにします」 建国記念日は1966年い制定されたが首相がメッセージを出すのは安倍が初めてであった。無内容な言葉であるが、あえて言えば占領の時代に失われた日本の誇りと日本の心を取り戻すという意味である。情緒的と一笑に付してもいいくらい無内容な言葉の羅列であるが、天皇制軍国主義者(今では右翼)の心根と言える、そのような首相の下で日本の右傾化が一層加速され、責任ある要職に右傾化した安倍チルドレン(安倍応援団)の人々が任命されていった。それまで片隅に居た古い右翼的傾向の人々が日本の全面に出てきた。
2014年7月1日に行った「集団的自衛権」の行使を容認する歴史的な閣議決定は安倍イズムの端的な強硬論である。豊下楢彦著 「集団的自衛権とは何か」(岩波新書 2007年)や、豊下楢彦・古関彰一著「集団的自衛権と安全保障」(岩波新書 2014年7月)に集団的自衛権の歴史と憲法の関係が述べられているので、ここで多くは繰り返さない。自民党歴代内閣と内閣法制局は集団的自衛権はこれを有するが行使しないことを国是(憲法との整合性)としてきた。これを憲法改正の手続きを経ないで、解釈変更を内閣の閣議決定で行い、首相の見解は内閣法制局の見解に優先するというのである。今から20年前に安倍は1995年に「集団的自衛権について今後の審議してゆかなければならない」と提案した。実はこれには1960年岸信介首相の国会答弁に「憲法は集団的自衛権を禁止しているわけではない」とあるのを踏襲しているようである。安倍は集団的自衛権の行使を昨今の日本を取り巻く安全保障環境の変化とアメリカの要請を理由にはしていない。「集団的自衛権を行使できてこそ、まともな国家たりうる」というのが安倍の真意である。内閣法制局と憲法解釈が異なる点については、安倍は「最高責任者は私です。法制局は一部局にすぎない、私が責任をもって答弁をしてる」と強弁を張った。首相がコントロールの効かない独裁者に変身した瞬間であった。
日本を取り戻すメッセージにおいて戦後レジームからの脱却は思想的には「歴史認識」(歴史修正主義)に及んだ。安倍は2015年8月14日戦後70年に当たっての首相談話を発表した。戦後50年の1995年村山富市首相談話にあった「侵略」と「お詫び」が踏襲されるかどうかが注目された。安倍は自分がお詫びするのではなく、他人事を評するように歴代内閣の立場を言うのみであった。「我国は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表してきました」 我国に自分は含まれるのか一向に明確ではない。指導者である首相が謝罪をするか否かという問題であるのに、子どもや孫を引き合いに出し「もういいだろう」といわんばかりに、安倍は謝罪することに終止符を打とうとした。過去に村山首相や河野官房長官、加藤紘一官房長官が示した歴史認識の言葉について、安倍は政府答弁書において「侵略の定義が定まっていない」とか「慰安婦に対する強制性や軍関与について明確な証拠がない」、さらに「歴史については歴史学者に任せよう」と、断定させないようにして間接的に否定して逃げ回るような児戯に等しい答弁を繰り返している。歴史に対して責任ある発言とは程遠い。これでは関係国の理解は得られない。従軍慰安婦問題については、吉見義明著 「従軍慰安婦」(岩波新書 1995年)に、村山談話については村山富市、佐高信著 「村山談話とは何か」(角川oneテーマ21新書 2009年)に纏めてあるので、詳しくは繰り返さない。ただ安倍の姑息な点は、河野談話で従軍慰安婦の強制性を認めた発言について、狭義、広義の強制性と使い分けて、軍や官憲による連行といった狭義の強制性に明確な証拠がないという疑義を挟んで曖昧にしようとすることである。一方安倍は2006年下村官房副長官をして「河野談話の再検討」に言及した。この発言に対して韓国や、米国から猛反対を受け、2007年1月31日米国下院本会議で「明確な形で歴史的責任を認め、謝罪する」ように求める決議案が可決された。第2次安倍内閣でも河野談話を継承するとは言わず、国会での答弁で河野談話をどうするか官房長官が検討するといった態度に韓国が反発し、2014年3月の日米韓首脳会談を前に結局「見直さない」と言わざるを得なかったという醜態をさらした。その直後の国会で河野談話は具体的な拘束力を持たないという否定的な答弁を行った。米国の見えにくいところで態度を二転三転させる女々しい安倍の態度にはあきれ果てる。その態度はどこから出ているかというと、またも安倍のお爺さんである岸信介の存在である。岸は太平洋戦争は正義の戦争であったといい、侵略戦争ではなかったと言っている。それを継承しているのである。だから安倍は東京裁判にも疑義を呈するのである。安倍は2013年衆議院予算員会で東京裁判について「連合国側が勝者の判断によってその断罪がなされた」という。しかし歴代首相は「サンフランシスコ講和条約により極東軍事裁判の判決を受諾した」という見解を継承している。だのになぜ安倍が「勝者の断罪」という言葉を使って極東軍事裁判を否定したのか、衆議院の圧倒的議席数におごったというべきであろう。極東軍事裁判については、日暮吉延著 「東京裁判」(講談社現代新書 2008年)に裁判の趣旨が詳しくかかれているの繰り返さない。さらに2006年2月の衆議院予算委員会の答弁で安倍は「A球戦犯者は東京裁判で平和に対する戦争犯罪人として裁かれたのですが、国内法的には戦争犯罪人ではない」と訳の分からないことを言っている。東京裁判は連合軍側が国際法に基づいてさばいているだから、さらに日本の国内法に戦争犯罪があるわけでもなく、支離滅裂な論法である。つまりA級戦犯には国家指導者として戦争責任を免罪したいようである。2015年6月「ポツダム宣言」について「無条件降伏の定義が不明確で、異議がおおい」とやはり定義問題を出して断定できないという曖昧戦術で糊口をぬぐっている。こうして安倍は2013年12月靖国神社を首相として参拝した。これには米国の日本大使館が「失望した」とコメントを出した。アメリカは安倍の歴史修正に神経をとがらせている。アメリカにしてみれば自分たちが作った戦後体制に対する挑戦と映るのである。ここに安倍のジレンマがある。安倍としてはおじいちゃんが始めた戦争を無碍に否定されると沽券にかかわるのであろう。そんな歴史観は容認できないと考えているようだ。
安倍の憲法改正論は2000年衆議院憲法調査会にはじまる。「現行憲法は正常ではなく、恥ずかしい状態である」と発言しています。占領期に制定された「戦後レジーム」の象徴である憲法を改正することは、国や国家を自らの手に取り戻すための究極の目標だと考えているようです。現行憲法は日本人の精神に大きな悪い影響(安倍から言えばそうなるのでしょうが、民主化と人権という観点からは日本人がなし得なかった革命的改革です。現行憲法は戦前の旧支配層から多くの権利を奪い、国民に再分配したのですから)を及ぼしているかな認められないという理屈です。安倍は要するに欧米の「基本的人権は人に生まれつき与えられている」という考えが気に食わないようです。国でさえ人権には触れてはならないことが安倍にとって憂うべきことに映るようです。基本的人権も国家のコントロール下に置きたいのです。自民党の憲法改正草案では、基本的人権を含む国民の権利は、「公益及び公の秩序」に反しないことを述べています。公益が基本的人権に優先することにしたいのです。安倍が厭う戦後レジーム(占領レジーム)は、経済重視で戦後復興を図った吉田茂以来の自民党内閣の「保守本流」そのものでありました。「全面的に検討して自主憲法を制定し独立を完成させる」とした祖父岸信介の考えを孫安倍晋三は受け継いでいる。「戦後、日本人の心性に国家=悪という方程式がビルトインされ、国家的見地からの発想ができない戦後教育の蹉跌である」と安倍は僻んだ根性を吐露している。第一次安倍内閣の時に、旧教育基本法が改正され、国づくりのために有効な人格形成が行えるように目指している。「国と郷土を愛する態度」、「損得を超えた価値」、「道徳心」、「公共の精神」という価値観を子供に植え付けたいのである。一方経済力を強化するために大学教育にも、2016年からの5年間の中期計画に、人文科学や教員養成などの文系学部・大学院の廃止や転換を行うという通達を出した。理科系以外の学部は不要だという暴論である。スパルタ教育で国力強化という考えは、スポーツ強化策で国力誇示を言うレベルの便宜策であり、近眼的国力強化策である。

3) 国家とは何か

外交、安全保障のみならず、経済、社会のあらゆる分野に国家が関わっていくべきだとする安倍イズムは国民と国家の関係を「国民の権利、自由、そして民主主義、これを担保しているのは、実は究極的に国家です」、「その国家自体の危機が迫るときに在っては、国民の皆様にも協力をしていただかなければいけない」(2002年5月衆議院特別委員会)という国家観を述べている。こうした安倍の国家観の口癖には、いつも他国からの武力攻撃や侵略が持ち出される。他国対日本国、国民という構図である。戦争時であれば説得力ある論理かもしれないが、しかし問題は平時である。国家と国民、個人が対峙することになる。国家賠償請求訴訟について安倍は「賠償金は税金で支払われる。だから国家と国民は対立関係にあるのではなく、相関関係にある」というが、国家が国民に対して抑圧装置になることとは、国家が自由や権利を制限したり民主主義を否定する場合である。戦前のように国家が個人の人権に優先していいものか空恐ろしい状況が想定できる。安倍の国家観はいわゆる擬人的「家父長的国家観」である。「従ってくれば悪いようにはしない」という口約束はいつまで有効か信用できたものではない。パターナリズム父権主義が安倍の国家観の基層にある。その観点から安倍は国家の権力はフリーハンドでなければならない、つまり国家の権力(最高権力者)を法律で縛るという立憲主義を嫌うのである。まるで明治時代に逆行している。国家はいつもや優しい父親の愛情で国民を包むのであるから、甘えてついてきなさいというのと同時に、国民には相当の義務があるという、飴と鞭で迫るのである。国家は悪でないにしても「不完全なもの」であり、かつ誤りを犯すこともあり得るので、権力、権限の行使は抑制的でなければならないという観点は安倍にはない。
安倍の思考の基層には、祖父岸信介の影響が濃厚(いやそっくり)である。だからこの節では岸イズムというものを復習しておこう。岸の国家観は国民の自由の敵である共産主義を撲滅する反共主義に貫かれている。安倍も岸の敵対的国家観を受け継いでいるが、安倍の場合は台頭する中国や拉致事件を引き越した北朝鮮が敵対的国家であり、国内では社会主義的思想を持つ労働組合や教職員組合である。1896年生まれの岸は戦前、戦争中の旧商工省、満州国の統制経済の主導者であった。商工省の官僚時代に国家社会主義者で2.26事件の理論的指導者とされる北一輝に「日本改造法案大綱」に強い影響を受けたとされる。岸は北一輝を自分の考えに最も近く、彼から組織的具体的な実行法を学んだという。岸又大岡周明の大アジア主義に影響を受け、満州国に夢を膨らませたという。岸は東大卒業後1920年に農商工ぢょうに入省し、1926年欧米視察で訪れたドイツで目にした国家主導の産業合理化運動に共鳴し、1930年に再度ドイツを訪れ統制経済を日本でも実施すべきだと確信したらしい. 1936年満州国国務院実業部総務司長として満州に渡り、統制経済である産業開発5か年計画の立案に加わった。1939年に日本に戻り商工次官となり、1941年には東条英機内閣に商工相として入閣、後に軍需次官国務相になって開戦の詔勅書に署名をした。戦争中は太平洋戦争遂行のための物資調達に当たった。敗戦後はA級戦犯として逮捕されたが起訴されなかった。1957年石橋内閣の後をついで首相の座に就き、日米安全保障条約改定(60年安保)の責任者となった。岸は自由民主党時代に、「自主憲法の制定と防衛体制の確立、東南アジアに経済外交の推進、計画的自立経済の確立」を推進した。岸の政策バッテリー(キシノミクス)は具体的には、中小企業団体組織法、中小企業信用金庫法、最低賃金制法、国民健康保険法、国民年金法などを制定した政策通でもあった。1957年の閣議決定した「新長期経済計画」では実質経済成長率を年6.5とした。岸内閣で立案した「所得倍増計画」を引き継ぎ、高度経済成長を謳歌したのが池田内閣であったと言われる。アベノミクスの国家先導主義はキシノミクスの経済計画の流れにあるといえる。
強い国家をめざす安倍の政治改革について見てゆこう。いま日本社会の最大の変化は、少子高齢化と人口減少であろう。合計特殊出生率は1990年に1.57であったのが2014年には1.42まで下がっている。人口維持のためには2.07が生物的に必要だとしても、これでは遠く及ばない。そして2005年に日本は人口減少傾向に突入したと言われる。この状態が続くと2050年の人口予測では1億人を割り込むらしい。2060年には8700万人、2110年には訳4300万人となると見込まれている。また働き手となる15歳から64歳までの生産年齢人口は1995年には8762万人を最高として減少局面に入り、2013年は7900万人であった。これが年金問題と重なり国家的大問題視されている。欧州の先進国では人口が1億人以下は多くあり、人口が多いほうがいい社会とは言えない。人口が少ないと社会保障の負担も少ない。つまりどんな社会を作るかということとどの程度の人口数でソフトランディングさせるかという(人口減少社会)設計が必要である。人口を消費者と捉えると人口減少は経済市場縮小となると恐れる人も多い。外交問題では安倍は北朝鮮拉致問題を最重要視するが、北の再調査は一向に進んでいない。又仮想敵国と設定する中国のプレゼンスは日本を圧倒するものがあり、GDPは日本を抜いて世界第2位になり経済成長率はお今なお高い。軍事的な拡充が進み、アジア一の軍事大国である。その時点で日本は複数の領土問題を抱えるのはすぐれて得策ではない(中国と尖閣諸島問題、韓国と竹島問題、ロシアと北方4島問題)。こうした内外の変化に対して安倍が「強い指導力」を発揮できるのは、1990年以降の政治改革で官邸機能と権力が集中してきたからである。1998年に中央官庁等改革基本法(橋本内閣)ができ、首相に「閣議における発議権」は付与された。そして小泉内閣で経済財政諮問会議(骨太の方針)が設置された。しかし小泉は公共事業の縮小、郵政と道路公団など民営化、規制緩和で「民のできることは民へ」という構造改革によって、政府の仕事を縮小した。ところが安倍は規制緩和とは言うが、アベノミクスの2本目の矢「機動的な財政出動」で公共事業の拡大、3本目の矢「成長戦略」では政府が特定産業を育成するターゲットポリシーの計画(誘導)経済路線をとる。むしろ安倍は小泉とは正反対の路線であり、歴代で強化された首相権限を国家が関わる領域の拡大に使っているようである。小選挙区制度は小泉内閣と安倍内閣で実証されたように、圧勝した場合「選挙独裁」を生む。逆に自民党時代の第1次安倍・福田・麻生内閣の衆参ねじれ国会や民主党政権のねじれ国会は首相の権限を著しく弱めた。小選挙区制度は安定した二大政党の基盤を生むとして導入されtものであるが、二大政党どころか、一党独裁を生むことが分かった。やはり理想的には比例代表制が投票数に比例した政権となるが、過半数を取れないと必然的に連立政府になる確率が多い。だから選挙戦が旧態依然の地盤選挙または一点集中の派手な劇場型になるのである。
安倍の政治姿勢として「保守主義」があげられる。安倍自身は自分の立ち位置をアメリカ流のリベラルではない保守主義、あるいは「開かれた保守主義」と述べている。「保守とは日本の歴史的な良さを守ることであるが、閉鎖的ある類は排他的ではない」と付け加える。「フランスやロシアのような理性万能主義やイデオロギー主義ではない、知恵や経験や慣習が無理を伴わない仕方である」ともいう。つまり保守主義は理性中心に社会を作ることに対峙するのである。安倍の政治改革は、現状の変更を意味する「戦後レジームからの脱却」とは戦後体制の抜本的改革を目指す。そして広汎な国家の役割の期待は縦割り式官僚層の協力なしには実現しないので、首相官邸(それ自体が官僚機構である)の強化と官僚の行政機能の強化となる。戦後の伝統的な主流派保守主義とは一線を画する保守主義を安倍は志向しており、統制経済、計画経済路線を理想としている。この安倍イズムに対して各界の批判としては、経済学者の野口悠紀雄は「政治イデオロギーの観点からすると保守主義ではなく、社会主義です」といい、経済学者の佐和隆光は「国家資本主義の再構築を目指す」という。情緒的な国家観や社会像とっ計画経済の社会改革的な手法が混在するのが安倍イズムである。つまり経済官僚であった祖父岸信介の計画経済的観点を受け継ぎながら、三代目名門の坊ちゃん的な情緒的側面をもつのであろうか。
最期に安倍の「積極的平和主義と対米従属」の関係について考察しよう。アメリカとの関係は、どうしょうもなく日本の針路の決定要因である。米国との安全保障の関係において、集団的自衛権の行使容認、安全関連法案を中心とする安倍の外交・安全保障政策は「対米従属」との見方がつよい。占領期の戦後レジームからの脱却とは、アメリカが主導した戦後体制への挑戦とみられてしまう危険性がある。それに対して安倍は「集団的自衛権の行使によって双務性を高め、対等なパートナーになる」という。集団的自衛権の行使を認めない内閣法制局の考えを退け、多くの憲法学者の「憲法違反」の声を無視して憲法解釈を変更した安倍は、「戦後レジームからの脱却は戦後秩序への挑戦ではなく、真の独立、失われた誇り、価値感を取り戻す作業だ」と言いのける。市会その様な安倍に対して「国粋主義者」とか「歴史修正主義者」の批判が出る。法の支配、人権、自由という共通の価値観を持って、テロや世界の新たな問題に立ち向かうのが「積極的平和主義」だという。しかし保守派の京都大学佐伯名誉教授は「日米の価値観は決して共通ではない。アメリカの価値は自由と民主主義を人類の普遍的価値とみなし、世界中に実現することを使命としている。アメリカからするとテロや反米国家に対する世界戦略に、日本を位置づけているだけである」と警鐘を鳴らす。集団的自衛権を行使すれが、相手国から間違いなく攻撃を受けることを安倍は認めたくないのだろうか。ISは日本が十字軍に加わったとみなし、今後は日本は攻撃対象国になると警告している。安倍は日米同盟を「抑止力」を高めようとするが、そうすることで新たな敵を招くのである。そこを安倍は知ってか知らずか認めようとはしない。戦後レジームから脱却するには、まず沖縄の基地を縮小し、在日米軍の縮小に取り組まなくてはならない。これを安倍は左翼とか反体制派だとして攻撃する。すると安倍は親米右翼である。安倍は極東条項の日米地位協定を議論してこなかった。ほとんどアメリカの要求に対してイエスマンであった。


読書ノート・文芸散歩に戻る  ホームに戻る
inserted by FC2 system