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ニュートン著 鳥尾永康訳 「光学」
岩波文庫(1983年11月)

太陽の白色光が屈折率を異にする色光の複合であることを発見した「ニュートンの光学」の集大成

ニュートン      ニュートン望遠鏡
     ニュートン            ニュートンの望遠鏡(レプリカ)

岩波文庫の"自然科学"関係でニュートンの著書としては、この「光学」しかない。万有引力の証明となった「プリンピキア」は膨大なことと難解なことで一般読者向きではないと思われたのであろう。だが「光学」が誰でもわかる簡単な内容かと言えば、そうでもない。確かに数学的推論は影を潜めてはいるが、証明なしでその結果だけは採用しているのでかえって理解に苦しむ。数式を使わなければ理解が容易というほど科学は単純ではない。本書は職人芸的な実験に満ちているが、本書の実験を教材としてビデオ化するという企画が持ち上がったとすると、その実験を再現するのは容易なことではないだろう。精緻な観察、道具作り、レンズや鏡、反射鏡の研磨などニュートンならではの技能が必要で、果してどこの大学の監修が得られるであろうか。むしろ光学メーカー(オリンパス、日本光学、理化学機器メーカーなど)の協力が必要である。回折現象の実験にも用いられた二つのナイフエッジを研磨しセットするニュートンの職人的力量には舌を巻く。反射型望遠鏡の製作において、凹面鏡の研磨方法でドイツの職人の技を非難するニュートンは研磨職人以上の技量を持っていたようである。実験装置の瑕疵が観測を台無しにしてしまうことは、よくあることである。そういった精緻な技量が研究結果の信頼性を左右する時代であった。ニュートンの光学は、@プリズムによって生じた色、A天然物(物質)の色、B透明薄膜の色(干渉)、B虹など気象学的現象、C回折(物質と光の相互作用)の色を扱う「色の科学」である。ニュートンは流率法と逆流率法(微積分学)によって近代数学を創造し、力学を公理化して重力論的宇宙像を樹立し、太陽の白色光をプリズムで分離し近代科学としての光学を確立した。とくに太陽の白色光の複合性の発見は、前人未到の独創的な研究であったと言われる。最初から技術と科学が一体化した成果であった。ニュートンが色の研究へ向かったのは、ケンブリッジ大学の学生のころからで、デカルト「屈折光学」、ボイル「色についての実験と考察」、フック「顕微鏡観察誌」に刺激されたためと言われている。ニュートンが学生時代から書いていたノート「哲学的疑問」には、異なる色の光線(射線)は屈折率の度合いが関係するプリズム実験が記されていた。ニュートンは非球面レンズを用いる屈折型望遠鏡の色収差を改善することは不可能であることを察知し、凹面鏡型望遠鏡の製作を行ったことは有名である。それにはプリズム実験による白色光の色分離を知っていたからである。それは1662年の頃であったとされている。射線の色により屈折率が異なる事を確認した。1669年には反射型望遠鏡を制作した。口径2インチ、焦点距離8インチ、約40倍の倍率を持っていた。木星のの4つの衛星や金星の相変化を観察できたという。これには主鏡の研磨法が成否のカギとなった。1671年改良型の模型を(上右の写真)を完成した。1699年微積分の論文が認められ、ケンブリッジ大学ルーカス教授に任命された。そこで1670年より光学の講義を行った。反射型望遠鏡は高い評価を受け、1672年ニュートンは王立協会会員に推薦された。王立協会にニュートンは「光と色についての新理論」を送ったが、フックとホイエンスから反論され、5年間論争が続いた。当時の色理論は「光の改変説」が主流で、光が媒質を通過するときに様々な色に改変されるという説である。アリストテレス依頼、デカルト、フック、バローなど17世紀の学者はこの立場に立っていた。ニュートンの「白色光はあらゆる色光の混合である」という理論に対して「改変説」からの抵抗は大きかった。ルーカス講義の数学的部分を除いた部分の1672年論文が本書の第T篇、1675年の光の干渉と天然物の色を扱った第2の光学論文が本書の第U篇、1685年の回折実験が第V編になった。1690年ニュートンは「光学の基礎」と題するラテン語の草稿を書いたがこれが第T篇となる。1704年2月「光学」英語版が刊行された。なんと1687「自然哲学の数学的原理 プリンピキア」刊行から17年後のことである。同時に1703年ニュートンは王立協会会長に上り詰めていた。本書は伝統的な光学の中に、近代科学としての色の科学を打ち建て、「王リンピキア」と並ぶニュートンの2大著書になった。この「光学」はラテン語ではなく、近代英語確立期の英語で書かれた点も見逃せないし、18世紀を通じて実験科学のバイブルとして愛読された。今日読んでも実験詳細の記述は臨場感にあふれ、その魅力のゆえに科学の古典として親しまれてきた。では次に本書の構成を見てゆこう。第T篇だけは「プリンピキア」のように、ユークリッド形式に倣い、定義、公理、命題、定理、問題という順に書かれている。その公理とは幾何光学の法則である。実験によって新たに確立した事実は命題となって記されている。第U篇は光の干渉、つまりシャボン玉のような透明薄膜やニュートン環の色の現象を扱う。今日では膜厚みが光の色の波長の整数倍で強め合い、その他の間では弱め合うことによる干渉現象のことと理解される。薄膜の色に関連して、天然物の物質構造が論じられ、透明な微粒子がある色の射線を反射し、他の色の射線を透過(吸収も入れるべき)することが、その物質の自然界での色を決定するという。ニュートン環の研究より光の本性に周期性があることが発見され、反射の発作とか透過の発作という仮説概念が導入されているが、今日では問題にされない概念である。第V編の始めに、わずか19頁であるが回折現象の観測事実が述べられている。光が小孔を通りぬけるときや、物体の鋭いエッジを通り過ぎるときに射線が曲げられる現象を扱った。ここでは光の本性が物理的に何であるかについて追及はしていないが、第V篇の大半は「疑問」という様式によって、「光の粒子性」による光学現象の仮説的解釈をこなっていて面白い。「光の粒子説」は光の直進性や幾何光学には適しているが、19世紀は「光の波動説」が優位を占めた。ニュートン光学の粒子説は19世紀には忘れられた観があったが、20世紀になるとアインシュタインの「光量子説」以来、光の粒子論は「光子の量子化」の波に乗って復活した。がそれはニュートンの光学ではなく、全く別の量子電磁気学としての展開であった。従って本書「光学」の今日的意味とは、ニュートンの仮説にあるのではなく、実験と理論形成と思弁からなるニュートンの科学的創造活動を学ぶという点にある。ニュートンは「光学」に第W篇を計画し、「光の本性と、光を屈折、反射させる物質の力に関する第W篇」と題したらしいが、それは実らず本文には入らなかった。その要点は第V篇の「疑問」に現れているようである。ニュートンは「光学」の本文は、数学的、実験的に確立された事実のみ記述し、仮説的、思弁的なものは排除した。それでも書き留めておきたかったことが「疑問」という形になったのである。ニュートンは「光学」の改版ごとに「疑問」を追加し最終的には31問となった。圧巻は疑問31で、疑問全体の半分を占め、物質構造論(化学構造論)の当時の知識によって化学結合力のことを考えている。今日の化学術語でいえば、共有結合、イオン結合、ラジカル結合、分子間力、水素結合などを広範囲に扱っている。「疑問」は系統的に記述されたものではなく、根本的に異なる科学セオリーが混在している。例えば「エーテル説」の復帰などである。

ちょっとニュートンの光学から飛び過ぎているようだが、量子電磁気学が見る光の本質を概観することで、ニュートン光学と波動論と量子力学の橋渡しをしてみたい。波動論は光を電磁波とするが、量子論は光子という粒子と考える。ファイマン氏は物質の性質を決定するのは原子核を取り巻く外殻電子だと考えている。すると物質と光の関係とは、電子と光子の相互作用関係にあり、ニュートン光学と量子力学の相関が想定される。光子と波動的性質は確率論的関係が橋渡しをする。R・Pファイマン著 釜江常好・大貫昌子訳 「光と物質の不思議な理論ー私の量子電磁力学」(岩波現代文庫 2007年)は、光子と電子の相互作用を解き明かす量子電磁力学QEDが描く物理学的世界像を提案する。この書は4章で構成されている。1)初めに(確率論) 2)光の粒子 3)電子とその相互作用 4)未解決の部分であるが、ここでは第1章から第3章までが問題の部分で、第4章は素粒子論の概要であるので、これは省いて見てゆこう。ファイマン氏はニュートン光学の徹底した見方の変革を迫ります。図なしで解説します。
1) 初めに(確率論の手法)
光とは振動数で規定される電磁波で、普通は振動数の小さい(波長の長い)順にいうと、ラジオ波、テレビ波、赤外線、可視光線、紫外線、X線、ガンマ線という風に呼びます。太陽の光というと、スペクトルの強弱はありますがこれらすべての光を含むものです。可視光は赤から紫までの色からなります(虹)が連続した色を含み、単色光はレーザーのように人工的に作り出せます。ニュートンは光が粒子から成り立つと考えましたが、結論的に正しいのですが部分的には間違っています。光は放射線検知器(ガイガーカウンター)のように、粒子がぶつかるときの音として実感できます。この装置を「光電倍増管」といいます。一個の光が入るとそれが何段もの電圧をかけた電極で増幅され「カチン」という音を出す仕掛けです。光の強い弱いという尺度はカチンという音の強さではなく、音の出る間隔(頻度)できまることから、アナログではなくデジタルつまり光が粒子であることを証明しています。これから光のごく普通の性質である、直進、ガラス屈折、鏡面反射、虹の分光、レンズの集光といった、ニュートン光学で光線として幾何学的に作図される現象を見てゆきます。まず光は光源から発せられ四方八方(球の全方位)に放射されますが、なぜかニュートンは光源と観察者の目を結ぶ直線にしか注目しません。光は目的意識的に直進するわけではありません。そして反射の場合も光学では光源と観察者の鏡面の中間位置で反射されるように描き、それが最小距離であることは容易に幾何学で証明できますが、光は観測者を意識して着地点まで計算して進むものではないでしょう。あらゆる光線の方向が組み合わされて反射光の分布があるべきなのです。最小光路が一番強いだけなのです。繰り返しますが、自然がなぜそのような振る舞いをするかはだれも説明できません。ニュートン光学は近似的な説明であって、光学機械「カメラ、分光器など)の設計にはそれで十分なのでしょう。当たり前の部分反射という現象を考え出すと、ニュートンもだいぶ悩まされたそうです。たとえばガラスの表面による光の部分反射とは光源から出た光(レンズで集光され平行光束となって直線的に進むと仮想してください)100という明るさの光がガラスの表面で4だけ反射されて戻り、あとの96という光はガラスの中へ入ります。なぜ4%の反射なのでしょうか。しかもその反射率はガラスの材質や表面によって異なります。(ナトリウムガラス、白ガラスの透過率は各86%、92%というふうに) これを説明するため物理学者はいろいろな珍説(穴あき説など)を出しました。結局物理学者は確率という概念にたどりつきました。それが真実かどうかは別にして実験結果を見事に説明してくれました。ガラスは厚みを持った板として、表と裏の二つの表面で反射を考えなければなりません。そこでガラスの第2面(裏面)での反射も考慮して、透過して出てくる光の強さを透過率といい、2回の反射によって戻ってくる光の強さを反射率とする。するとガラスの厚みによって、反射率は0-16、透過率は100−84という実験結果でした。しかもガラスの厚みの薄さによってこの反射率の値は繰り返しサイクル(周期関数のように)しています。ごく精密な実験が必要ですが、反射率は0から16まで(平均を8%として)を振幅とする三角関数なのです。ニュートンは反射の場という境界を考え「光の気まぐれ」と言いましたがこれは間違いです。現在でも2つの表面による光の部分反射を説明できる良い物理モデル(説明すること自体が無意味なのでしょうか)はありません。我々は確率を計算するしかないのです。
ニュートン光学が述べる部分反射を考え直すにあたって、確率統計学が提供する手法の約束事を2つだけ述べます。この手法はほかの物理問題を扱うQEDにおいても重要な方法となります。一つ一つの事象の連続過程(または平衡現象)を→でたどってゆき最終矢印を得ること(矢印の足し算)が基本となります。
@ 一つの事象の起る確率は矢印の自乗に等しい。つまり4%ということは0.2という長さの矢印(最終矢印)のことです。16%ということは0.4という長さの矢印のことです。酔歩でいったでたらめの方向を統計的に合算すると最終矢印は(ゼロ)元に戻ることです。
A 想像上の時計の針がまわっていて、針の角度が時間もしくは速度に比例する。そこでガラスの全面で跳ね返る光の時計の針の向きは逆(180度)にむけて描くことです。光の進む方向であれなおなじ向きで→を描き、反射は反対方向に→をむけます。だからガラスの第1面と第2面での反射の合計は、0.2という長さの→(第1面)と0.2という長さの←(第2面)の頭と尻を結んで合成するので、非常に薄いガラス厚みでは針はほとんど進まないので最終矢印の長さはゼロとなります。次第にガラスが厚くなると光の時間(光路)差が出てくるので、→足す←の合成は三角形の1辺となりその辺(合成事象)の長さはガラス厚みとともに変化します。第1事象(第1面での反射)の針は固定すると、第2事象(第2面での反射)の針はガラス厚みとともにくるくる回転します。合成された3角形の1辺が最終矢印となり、その最長の長さは→足す→で、180度の位置で長さは0.2+0.2=0.4です。確率は@より0.2×0.2=0.16(反射率16%)となり、ガラス厚みと連動して反射率は(ゼロを最小とし、16を最大とし、平均を8とする)周期関数となります。またこの矢印は確率論では「事象の確率振幅」と呼びます。つまりある事象の確率振幅を計算していることになります。この反射の周期現象は、可視光の波長(波動論の波長という言い方をそのまま採用するとして)による分光を行うことになり、虹現象、あるいは油膜現象(シャボン玉)と呼ばれ美しい玉虫色が周期的に現れることを説明しています。

2) 光の粒子(光子)
前章で光のガラス面での部分反射を一例に取り、確率振幅という手法を説明した。第2章では同じ原則で鏡面反射、回折、屈折、レンズ集光、透過、直進といった光子の振る舞いを説明する。これらの結果は驚くべきもので、今までのニュートン光学の見方をすっかり変えることは間違いない。しかしニュートン光学の教えるところは別に間違っているわけではなく、今もそのまま使って計算できるのであるが(近似的には正しい結果を与えてくれる)、部分的には説明不可能という点があるだけのことである。鏡面反射、回折格子、屈折、不確定性原理、レンズ集光、透過(多段連続事象)、独立事象といった事象説明する。
鏡面反射: ニュートン光学は鏡面での反射は、入射角と反射角が等しい時が一番短距離であるといいます。いわゆる鏡面に対する観測点の虚点を考えれば光源と虚点を結び、幾何学的に鏡面にぶつかるところが最短距離の入射点をなし、入射角と反射角が等しいことが証明できます。ところが光源から光は四方八方に拡散しますので、狙いを定めて光束が入射点をめがけて進むと考える方が滑稽です。しかも最短距離を計算しながら進むとは不可能です。そこで光源Sより発した光が鏡面のすべての点の到達し反射して光電子倍増管Pに至る道を考慮する。鏡面を等間隔のに分割し、各点のS→Pの長さ(光の時間)は真ん中でフラットになる凹曲線を描く。→を頭と尻で結んでゆくと大体C点からK点までが最終矢印に寄与している。それ以外の離れた点からの光は打ち消し合っているとみられる。最短時間の経路とは入射角と反射角が等しい点であることは幾何学からわかる。矢印が同じ方向を向いているのは、矢印の表す各径路を光子が通過する時間がほぼ同じだからです。此の光路周辺の光は重なって強めあいます。こうしてQEDは鏡の中央が光の反射に関して大切な部分であり、周辺の部分の反射は結局打ち消し合い事になる多数の矢印を足しているだけになります。
回折格子: 反射鏡面を等間隔に分割し、分画面を一つ置きに削除した鏡面を考えましょう。反射面のある分画での矢印は大体同じ方向で、削除した部分では反対方向の寄与がありません。その繰り返しですので、入射角を変えるとある方向への反射光が非常に強くなります。この原理を回折格子といいますが、光ではなくX線を使い、入射角をスキャンしながら反射光をフィルム上に焼き付けます。その干渉縞を解析して結晶の格子の幅や傾きを計算する。虹もこの原理です。これは分光という原理ですが、見る角度によって空気中の水分によって屈折した色(分光)が強められることです。こうして鏡の中央部だけでなく全面からの反射があることを考慮することに意義があります。それはある事象の起り方一つ一つに振幅(矢印)があるということで、矢印を全部加えなければならないということです。
屈折: 光の水面での屈折を示します。光電子倍増管は水中Dにあり、光源Sからのすべての光線を考えます。水中では光の進む速さが遅くなりますので、Dに達する時間凹曲線が一番低いところ所要時間が一番短いという光線です。その水面への突入点は光源Sから検知器Dを結ぶ直線(最短距離)が水面にぶつかるところより少し右にあります。空気と水と言った媒質の光学特性によって決定されます。蜃気楼(逃げ水)という現象は、地表と空気の温度差があるとき、空の景色が入射して地表空気で屈折した光を見ていることです。地表を見ているのではなく上空の揺れ動く光を見ているのです。
直進性(不確定性原理): 均質な媒質の中を光が通るとき、必ずしも光は直進するわけではありません。幅のない1直線の光だけでは振幅が足りません。光源から検出器に達する確率が足りません。その近くのほとんどまっすぐな経路の光を寄せ集めて一定の確率が必要なのです。これを光束といいます。光源に絞りをつけて開閉度を変えてみましょう。開度が十分にあるときは直進線の周りの光束を集めて中心部は強い光を検出し、周辺部の光は打ち消し合って検出されません。つぎに絞りを十分絞りわずかな経路の光しか通れないようにすると、弱いですが周辺部の光が中心部の光と同じ位に光ります。これは光量(経路の数)が少なすぎて、打ち消し合うほどの矢印がないからです。時間的な差もなくなるので最終矢印(確率振幅)が出てくるのです。光が遮蔽物のどこを通るかということと、通った後どこへゆくかということは予測できないという意味で「不確定性原理」という恐ろしい名前が与えられました。確率の概念を使えば「不確定性原理」などは考えなくてもいいのです。光の直進性に対して、光の周辺部の「回り込み現象」ともいいます。昔は波動論で説明されていました。光が直進するという言い方は、身近な世界で起こる現象の近似に過ぎません。
凸レンズの集光: 光は媒質の中を通るとき空中(真空という方が正確です)よりも速度が落ちます。巧みに研磨された曲面を持つガラスを考えましょう。光源Sから検知器Pまでにかかる時間がすべての光線に対して同じように設計された曲率を有するレンズを考えているのです。そこでは所要時間は同じですので、矢印は単純の加算され最終矢印の一直線となり振幅は途轍もなく大きくなります。これを凸レンズの集光作用と言います。ところが光は波数によって波長が異なりますので、所要時間に差が出てきます。これを色収差と言います。
透過(連続事象の確率の足し算): ガラス板を通過する光の事象を考えよう。連続事象の確率の足し算となります。第1:空気中(回転のみ短縮なし) 第2:ガラス第1面での反射と透過(短縮0.98) 第3:ガラス中の通過(回転のみ短縮なし)、第4:ガラス第2面での反射と透過(短縮0.98)、第5:空気中(回転のみ短縮なし)の通過という5段階のステップを考えます。(ガラス第1面での反射、ガラス第2面での反射をも考えると10ステップになるが、ステップごとの矢印の回転と短縮を考える。繁雑になるのでここでは省略する) つまり透過の確率はは0.98×0.98=0.96となるがそれは平均であって、反射光は0-16%であるので透過率は100%-84%である。ここで回転は加えるもの、確率は乗じるものである。
独立事象(ハンブリ―・ブラウン・トウィス効果):  2つの光源と検出器があるケースを考える。独立した事象がいくつか付随的に含まれる場合にも矢印は乗じる必要があります。光は全方位に拡散するので光強度は球の表面積4πr2で割ることになります。すなわちある距離を透過する光の量はその距離の2乗に反比例することです。XからA(YからB)へゆく光の振幅を0.5とすると、XからB(YからA)の振幅は0.5である二つの事象は独立して起る。この2つの事象の光路差によっては事象の確率は打ち消し合ったり強めあったりする。この現象は「ハンブリ―・ブラウン・トウィス効果」と言われ、宇宙の遠くにある電波源が一つか二つかを判別するために使われる。

3) 電子との相互作用
本章は光と電子の相互作用について述べるものであるが、最初からこのQEDは重力と原子核に働く力については論外であることを宣言している。前章で述べた事象を再度定義しなおすことから始まる。事象としては前章と重複する。できることはある事象が起きる確率を計算することである。前章で述べた反射の確率(直角に入射するときの反射率は4%であるが、斜めに入射するにつれ反射率は増加する)の考え方は、電子との相互作用でも通用する。これを「合成のルール」と呼びます。 @事象がいろいろな経路を経て起こりうる場合には、その一つ一つの経路について出した確率を加える。 Aいくつかのステップにわたって起こる一連の事象の場合や、独立していくつものことが付随して起る事象の場合は、そのステップ(付随的な事柄)の一つ一つについて出した確率を乗じる。 QEDに成功の秘密は、確率を1本の矢印(最終矢印)の長さの自乗として計算することであった。矢印の長さが確率につながり、確率を乗じることを「矢印」を乗じるのである。矢印の角度をどう計算するかは本書には書いてないが、平面上の矢印は、頭と尻をつないでゆく行くことで「加える」ことができ、短縮と回転を続けてゆくことで「乗じる」ことができる。この矢印は大きさを持ち、代数の法則(A×B=B×A、A+B=B+Aなど)に従うことにより数学的には「数」とみなせる。大きさと方向を持つことから「複素数」と呼ぶことができ、「事象の確率は複素数の絶対値の自乗」である。つまり確率とは複素数の代数法則のことである。前章で論じた光学現象を光子と物質の電子の相互作用という観点で前章の結果を深めてゆこう。まず光子の性質のひとつ「干渉」について見ておこう。
干渉: 本論に入る前に、光の振る舞いのひとつ「干渉」という事象を考えてみよう。非常に弱い単色光が一度に一個光源Aより発射され、穴の開いたスクリーンの反対側の検出器Dに達する場合です。(A-Dの距離が1mなら穴の径は0.1mm程度、光子は1%の確率で穴を通過する) こうしてBの穴をふさいでも、反対にAの穴をふさいでも検出器はカチカチと音を立てます。すなわち光は直進するという考えは成り立たないのです。両方の穴を開放して測定すると、音を出す回数が予想されるより0−4%増加する場合もありますが、穴の間隔によっては音が出なくなります。両方の穴を開放した場合の干渉とは2つの振幅(確率)を加えることです。どちらの穴を光が通るかという問題ではないのです。ところがAとBに信頼できる検出器を置くと、干渉は全く観測出ません。これは観測系でしか現象を判断できないためによるものです。下の図の右に検出器Dの干渉を示す。両方の穴を開放した場合の光の量は0-4%の振幅を持つ(a)、AとBに信頼できる検出器を置くと干渉は消え振幅は2%一定(1%+1%)である。検出器の感度によってc,dのケースとなる。こうして振幅(最終矢印)の自乗を計算するということが干渉の確率を与えるということである。
粒子の量子力学的行動:3つの作用: 電子は1895年に粒子として発見された。1個の電子のマイナス電荷も測定され、電子の移動が電流であることもわかりました。1924年ルイ・ド・ブローイが電子に波の属性を発見し、X線と同様な波長をもつことが分かりました。前節「干渉」で、光の量が少なくなると光の直進説は破れ、干渉が現れることが分かりました。このことは電子についてもいえ、大きな空間(マクロ)では粒子として振る舞えるが、原子のような小さい規模(ミクロ)では空間が小さいため電子はいろいろな振幅(確率)でいろいろな方向へ動くようになり干渉という現象も重要になってきます。光子も電子も波のようにも、粒子のようにも振る舞うのです。光子・電子のみならず原子核の素粒子など自然界の存在する粒子はかならずこの量子力学的行動をとります。そこで光と電子に関するすべての現象の基になる3つの基本作用を次に示す。
@ 光子がある場所から他の場所へと移動する。その振幅をP(A→B)とする  Pとはphotonのこと
A 電子がある場所から他の場所へと移動する。その振幅をE(A→B)とする Eとはelectronのこと
B 電子が光子を吸収あるいは放出する。
@とAについて、この作用は時間と空間という場(時空)において考えるのであるが、今は簡単に空間は一次元にしておき、横軸に空間(X軸)を、縦軸に時間軸とする。光が進むということはA(X1,T1)→B(X2,T2)と表し、(T2-T1)の間に(X2-X1)だけ移動することです。この振幅の大きさをP(A→B)と呼びます。アインシュタインは光が1メートル進むに要する時間を時間の単位とせず秒という時計を単位としたため、光速cという定数をやたら多く書かなければならなくなった。(どうもファイマン氏はアインシュタインをあまり良く評価しない。相対性理論はニュートン力学のごく小さな修正であるという) アインシュタインの相対性理論は4次元の距離I=(3次元空間の移動距離の自乗−移動時間の自乗)だけに依存すると教えてくれる。下図の右図に示すように、P(A→B)の最終矢印の長さに主として寄与するのはI=0の時(光の速度c)であり、I>0またはI<0は互いに相殺しあう場合が多い。光が光速に等しい速度で進むとき、振幅は最も大きく、光が通常の光速より早く進むとか遅く進む場合の振幅も存在する。光は直進する場合だけでなく、光速だけで進む場合だけではない。電子の移動の振幅はE(A→B)で表す。電子の移動する経路が直線的にA→Bと進む場合には、E(A→B)はP(A→B)と全く同じ式になる。ところが電子がさまざまな経路をたどってB点に行く時、経路のステップごとに振幅を加算する。2段階ならE(A→B)=P(A→B)+P(A→C)×n2×P(C→B)となる「n」という数をファイマン氏が導入した。
光子の交換: ここでは量子力学的作用のB 電子が光子を吸収あるいは放出することを見てゆく。この場合吸収でも放出でもどちらでも「分岐」または「結合」と呼ぶ。時空を移動する電子は直線で、光子は波線で表し電子が光を吸収し放出することを示します。この事象の振幅は定数j(-0.1)で、10分の1の短縮と半回転を意味します。この値は電荷(e-)と呼ばれる。ここで2つの電子と光の相互作用という複雑な状況を見てみよう。2個の電子が1から3、2から4へ移動する経路は第1経路が1E(1→4)×E(2→4)、第2経路がE(1→4)×E(2→3)ですが、直進以外の経路では、最初と最終状態は同じでも途中で光を交換することもありうるのです。ここで光を放出・吸収するので、第3経路はE(1→5)×j×E(5→3)×E(2→6)×j×E(6→4)1×P(5→6)となります。放出され吸収される時点の位置により一番右端のように光子は時間を後ろ向きに進んだということもできますが、ただ「交換された」といいます。その振幅はj2=0.01です。寄与は小さくなります。コンピュータを使えばjの6乗くらいまでの確率を計算できます。
光の散乱: 散乱という事象は、(a)光子が電子に吸収され、別の光子が出てくることですが、(b)その順序が逆転したり、(c)電子が光子を放出してから時間を後戻りし、やってきた光子を吸収して再び時間を前進する奇妙な経路も考えられます。時間を逆に進む電子のことを正の電荷をもつe+(jが正)といいます。このような電子は陽電子(ポジトロン)を呼び、「反粒子」の一例です。(ディラックが1931年に予言し、翌年アンダーソンが実験的に発見した) この現象は一般的なもので、自然界の粒子はどれも必ず時間を逆に進む振幅をもち、それぞれ反粒子を持っている。粒子と反粒子は衝突すると互いを打ち消し合い、別の粒子を作る。陽電子と電子が消滅しあうとふつう光子が1,2個生まれます。原子の中の電子の振る舞いは、重い原子核の中に少なくとも1個ある陽子と相互作用をしながら原子核の周りを回っています。たとえば水素原子は1個の陽子と1個の電子からなるもっとも単純な原子です。陽子は周りを回っている電子と、光子を交換することによってそばに引きつけている(弱い結合)。光子交換の振幅は(-j)×P(A-B)×(j)すなわち2個の結合と光子が移動する振幅の積である。陽子が光子と結合する振幅は(-j)である。電子が光子を吸収する振幅は(j)である。ガラス層で光を部分反射する事象は前章の始めに述べたが、光子が原子核の電子により散乱させられる現象である。水素原子中の電子が光を散乱させる場合、電子と原子核が光子を交換しているところに、原子の外から光子がやってきて電子にぶつかり、吸収されてから新たな光子が1個表出される。電子が光子を散乱させる全部の可能性の振幅をSとして矢印でまとめることができる。Sの大きさ物質の原子の中の電子の配置によって決まる。本当は光子は表面で反射させられているのではないのです。ガラスの中の原子核の電子によって散乱されて、新しい光が検出器に向かって放たれるのです。
光の反射: 光源というのも、光子が放出される振幅は時間とともに変化しています。白色光はさまざまな色の光が含まれ光源は無秩序に光子を放出します。単色光源とは振幅の角度が一定の速度で変化することです。そこでファイマン氏は前章で矢印の角度を決めていた「要した時間」というものは、実は特定の経路の振幅は、その光子がいつ光源から放出されたかに依存するという単色光源のことであったわけです。部分反射の新しい分析法をしめす(a)では、ガラスの上で最も重要な点は散乱の振幅が相殺しない光線の向かう中央にあることを示す。(a)ではガラス層を6枚に分けX1〜X6に中央を示す。「時空図」(X,T)の(b)ではこれを縦にして検出器がカチンとなる事象の確率計算を行う。6つの時間(T1-T6)で放出された光子が、ガラス層(X1-X6)で電子が光子を散乱させる。出てきた光子は検出器に向かって進むのである。6つの各径路には次の4ステップが考えられる。@1個の光子がある時刻に光源から発せられる。Aその光子は光源からガラス内の6点の一つに向かって進む。B光子はその点で、電子によって散乱させられる。C新しい光子が生まれ、検出器に向かって進む。第2、第4のステップの振幅の長さは一定であり、回転はないものとする。第3のステップのガラス内での散乱の振幅は一定で、必ずある量Sの短縮と回転ガラスでは(90度)がある。同時に検出器に到着するために6つの時間が6つの経路ごとに異なります。(b)に示すように単色光源がある時間に光子を放出する振幅は時間がたつにつれ少しずつ反時計方向に回転します。(c)に示すように6本の矢印を順々につないでゆくと最終矢印はこの弧に対する弦となります。この詩集野次る胃の長さに事情がこの事象の確率でとなり、0〜16%まで周期的に変化します。
光の透過: 反射しないで、光子が電子に吸収されずにガラスの層をすり抜ける(透過)確率もちゃんと存在するのです。ガラス層を透過して検出器に行く光の振幅の最大のものは(a)に示す透過光であることは実験的に自明である。ガラス層を6層に分け(X1-X6)各層で散乱させられる場合の6本の小さな矢印を加える散乱の長さは各層で同じで向きも同じである。従ってガラス層を透過する光の最終矢印は、ガラス層をまっすぐ進む矢印に比べてかなり回転している。ガラスの中を光が進む速度が落ちているように見える。光が物質中を通過するとき、最終矢印を余分に回転させる度合は屈折率と呼ばれる。凸レンズの原理もこれにより説明できます。ガラス層に吸収がある場合(b)のように最終矢印はかなり短くなることを示す。
光の「誘導放出」(干渉)と電子の「パウリの排他原理」: つぎに自然界の物質が多種多様になる秘密を光子と電子の性質から説明しましょう。2つの光子が別々のところに行くとしたら、最終矢印の長さは時空中の相対的位置関係でまちまちの値となるいわゆる「干渉」が現れます。もし2つの光子が同じ点に行くとした事象は、1および2の点から放出された光子が3に集まるとき、P(1→3)×P(2→3)もP(2→3)×P(1→3)は全く同じであり、これを加えると2倍の長さになる。その自乗は4倍となる。つまり光子は時空中で同じところに行きたがるという性質をもち(2個の光子間の干渉は常に正である)、これがレーザーの原理である。これはアインシュタインが「誘導放出」と呼ぶ現象で、量子論の確立過程で発見された。ところが電子の場合は偏極(スピン)があるため、2本の矢印は引き算される。2個の電子が地空中で一つの点に行こうとすると偏極のため干渉は何時も負となり最終矢印の長さはゼロとなる。2個の電子が時空中で同じ位置を占めることを嫌う性質は「排他原理」と呼ばれる。物質自体の存在に欠かせない性質である。同じ場所を占めないということが哲学的な物質観の基礎となっている。そこからさまざまな化学的属性が現れる。電子には2つの偏極状態しかありません。例えばリチウムという原子は3個の陽子と光子を交換し合っているので、核の近くを占領した2個の電子に比べ、第3の電子はずっと核から離れた位置にあり交換する光子も少なくなり、核から離れやすく飛び出しやすくなります。これが金属の特性の電流を流しやすい性質になるだけでなく、結合性(反応性)に富んだ元素を作り出します。化学には化学の言葉があり、周期律表による整理、原子価などという近似的な理解が進みました。そして無数の物質や分子を生み出しています。


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