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ルソー著 桑原武夫ら 訳 「社会契約論」
岩波文庫(1954年12月)

徹底的な主権在民論を説くルソーは「社会契約論」でフランス革命の理論的指導者となった

イギリス労働党のキングスレイ・マーチンは人間の精神に最も大きな影響を与えた本として、「聖書」、「資本論」、「社会契約論」をあげている。日本でも明治初期に、中江兆民ら自由民権運動の理論的支柱となるべく「民論訳解」として翻訳された。しかし日本ではルソーの社会契約論の精神は十分広がったとは言い難い。私が本書ルソー著「社会契約論」を読む気になったのは、坂井豊貴著 「多数決を疑う―社会的選択理論とは何か」(岩波新書 2015年4月)を読んだからである。そこに正しい民意とはルソーの「社会契約論」の精神でいえば、社会の一般意思であり、多数決に従うことと一般意思が矛盾することがあるという。民意とルソーの理想とのギャップについて、坂井氏は『ジャン・ジャック・ルソーはフランス革命の思想的な象徴であり、「社会契約論」を著して人民主権の原理を突き詰めた。互いを対等の立場として受け入れ合う社会契約は共同体に発展し、共同体にすべての権利を委託して結束する。これが契約行為である。この共同体を人民という、そして束ねた権利を主権という。人民に主権は属するのでこれを人民主権という。一般意思とは、個々の人間が自らの利害を離れて意志を一般化したもので、多様な人間からなる共同体が必要とするものは何かを探ることである。熟議的理性の行使それを意志の一般化と呼ぶ。一般意思を全体主義や国家主義的に捉えるのは誤りである。主権とは立法権のことである。人民とは社会契約によって生まれた分割不可能の概念上の共同体を指すのであって、一般意思とは人民のなかに存在するものではなく、個々の人間が、自らの精神の中に見つけてゆくものである。立法とはそのような行為であり、構成員全員が参加する集会で、各自がたどり着いた判断を投票し多数決で判定する。一般意思は自らの意志である故、それが定める法に従うことは、自ら定めた法に従うことである。これがルソーの展開した、少数派が多数決で決めたことに従う正統性の根拠である。しかし人々の利害対立が鋭く、意志が一般化できない(容易に共通見解に達しない)対処は、そもそも投票の対象にはならない。それは闘争の対象である。では多数決による少数者の権利の侵害を抑えることは可能であろうか。防御策として多数決により上位の審査機構を持つこと、複数の機関で多数決を掛けること、多数決のハードルを高く(2/3以上の賛意を必要とするなど)することである、民主的手続きを踏んでいても多数派の暴走により社会的分断がおきることがある。これは民主主義ではなく、多数派主義である。多数派はフリーハンドを持ったと誤解し、横暴な立法・行政を行う。これにより自由の侵害が起きる。社会契約により共同体の構成員は、道徳的自由と市民的自由を得るが、欲望による支配と力への服従という契約以前の状態の戻ることがある。その時社会は分断され、立法は一般意思に根拠を持たなくなる。「代表制民主制において〈議会民主主義)自由なのは議員を選挙するまでで、選挙が終わると人民は奴隷になる」とルソーは警告する。ルソーの社会契約と代表制は矛盾関係にある。この代表制の下での道徳的不平等は、社会契約の根本的特徴である対等性に違反するのである。ルソーは人民主権の辺性原理を徹底的に追及して、代表制とは非妥協的になった。』と述べている。この本の巻末に読書案内があり、ルソーの「社会契約論」を読むことを勧めていたが、ルソーの文章は難解で正確に把握しがたいところがあるので、まず重田園江著 「社会契約論ーホッブス、ヒューム、ルソー、ロールズ」(ちくま新書 2013年11月)を読んでおくことを勧めていた。

重田氏は「社会契約論ーホッブス、ヒューム、ルソー、ロールズ」において、歴史的に社会契約論のホッブス、ルソー、ロールズの思想の流れを説明し、ルソーの社会契約論について、『ルソーが描く「社会契約」のハードルは高く理想的で次の条件を満たすものであること。第1に契約は限りなく強いこと、第2に普遍的でシンプルでなければならない、第3に政治社会には寿命があるが社会契約は持続性がなければならない、第4に社会契約は拘束を生むが個人は依然として自由であることである。契約の条項は「我々は身体とすべての能力を共同のものとし、一般意思の下に置く。それに応じて我々は団体の中で各構成員を分割不可能な全体の一部として受け入れる」というものである。これは「全面譲渡」に相当する。自由と平等と相互性の理念は、一般性あるいは一般意思と不可分に結びついている。ルソーは主権者が第3者(絶対主義的国王、官僚など)であることは絶対に忌避されなければならない。命さえ守ってくれるなら誰でもいいとするホッブスのようなあいまいさは避けるべきだとする。主権者は人民でなければならない。「社会構成員」とは「一つの精神的で集合的な団体」とされる。そしてその構成員は共同の自我と生命、意志をもつという、抽象的な内容に昇華される。社会契約を結んで新しい社会を作ろうと考えた瞬間、その人は契約当事者で政治体の一員としての自己となる。その内部で自分を含む全体との間で結ばれる契約が「社会契約」なのである。さらにこの共同体、政治体が担う意志が「一般意思」なのである。一般意思とは法を作る意志であり、個々の意志の総和ではないのだ。ルソーの政治体の内部にいる人は3つの名称で呼ばれる。第1は法を作り政治に参加し、共同体を動かす「市民」、第2に自ら進んで法やルールに従う「臣民」、第3に政治体参加者である市民の集団を全体として見たら「人民」と呼ばれる。人民を国家のアクターとみると「主権者」となり、主権者が人民である時人民主権(主権在民)が成立している。このような「一般的な自分」が特殊存在としての自分と約束を結ぶのだ。人は政治体の参加者あるいは主権者としては、一般的な視点に立ち、一般意思に従って行動しなければならない。「一般意思」はルソーが言い始めた概念ではない。そこで「一般意思」の概念の歴史を繙こう。一般意思とはアウグスティヌスを通じて中世神学に流れ、マンブランシュによってフランス哲学に影響を与えたとされている。中世キリスト教は当然ながら神の完全性から創造主の意志を意味した。神は一般意思としてはすべての者の救済を意図し(建前上)、だが原罪以降は神の特殊意志は特定の者の救済を拒んだ(実情)。ここで一般性と特殊性の対比が、マンブランシュからモンテスキューを経てルソーに受け継がれたと見ることができる。永遠不変の一般意思に対する、個別事象の「特殊意志」という対比である。ルソーは一般意思は自分の特殊な利益に左右されてはならないとして、一般意思は特殊意志と鋭く対立する構図を描いた。モンテスキュー(1689−1755)は「法の精神」において、法を作る事、立法権力は一般意思に属するが、司法権力は個々の事件を裁く特殊意志であると考えた。この3権分立の考えはルソーに継承されている。ルソーはそれを「人民主権」といい、どうしたら人民の意志である一般意思を発見できるかに苦心した。ルソーは一般意志には神を必要としない近代性を徹底させたのである。人間が自由意思によって社会を形成し、人間が約束する力によって一般意思が現れると考えた。一般性は、多様性と自由を抑圧するものではなく、自由を実現しまた多様性を尊重するためにあるということである。社会契約においてこそ政治が生まれり場所であり、人民が政治的自由を手に入れる場所である。そしてルソーは一般意志は重力の法則と同じレベルにおいて成立する普遍性を持つので、過つことはないと確信した。』とまとめた。

本書ルソー著「社会契約論」(岩波文庫)は、1954年京都大学人文科学研究所他の13名の共訳によるもので、訳者の中で著名な人をあげておくと、桑原武夫、前川貞次郎、河野健二、鶴見俊輔、多田美知太郎らがおられる。若き俊英が揃った良き時代の仕事である。なお京大人文科学研究所は1951年「ルソー研究」(岩波書店)を先に刊行していた。桑原先生は「ルソーの考え方そのもののむつかしさは、どうにもならない。考えながら読んでほしい」と言われる。生身の人間でありながら個人は、個別と一般に分離し、一般の考えをすべきだという。公私を峻別し公の考えに真実があるというのだ。この本の巻末に河野氏の解説があり、そこでルソーの思想形成の過程を論じている。(余談だが、私は京大教養部時代に河野先生の「社会学」を受講したので、なぜか親近感がある。) ルソーが道徳や宗教の問題から進んで、社会や政治の問題に関心を移しはじめたのは彼が31歳のころからだと言われている。「告白」で彼は「あらゆる事物は結局、政治によってさゆうされる。国民はその政府の性質によって限定されざるを得ないのである」という。政治への関心は1753年になって「不平等起源論」や1755年「政治経済論」(「百科全書」に発表)に結実した。フランスの百科全書派(ディドロ、ダランベールらの啓蒙家)戸は次第に不和となって交際を断った。1761年「新エロイーズ」という小説を完成したのを機に、書き溜めていた「政治制度論」の草稿を再検討した。しかしこの仕事は何年かかるか分からないので、この仕事を放棄して、書き溜めた原稿から捨てられない部分を集めて「社会契約論」という形で仕上げようとした。1762年「エミール」と同時に「社会契約論」は発刊されたという。個々の彼の名前を不朽にした2冊の名著が誕生したのである。10年以上かかってなお完成しなかった政治体制論は「社会契約論」に変身した。これがルソーの思想の到達点であることは間違いない。「不平等起源論」ではルソーは、自由で平等な孤立人である自然状態を構想し、この原始自然状態から社会状態に移行すると、財産の不平等が起き私有財産が生まれたとした。現状の社会がいかに矛盾に満ちた救いがたいものであるかを描いたのだ。鋭い社会批判となるのは当然であった。これに対して「政治経済論」は政治の問題を取り上げ、「社会契約論」で論じる理論のすべてはこの「政治経済論」に含まれていた。しかし「政治経済論」では政治体制または国家組織論としては未完成であった。主権在民の非拘束性、絶対性は「社会契約論」で初めて確立された。ルソーが革命的民主主義の国家理論をとなえた初めの人となったのはこの点である。人は生まれた自然状態では自由であるのに、社会状態では奴隷になるのはなぜだろうかという「社会不平等起源論」の問いは、社会契約論において約束することで自由と平等を取り戻すことができるという革命的展開を遂げた。それには個人的な意思ではなく「一般意思」という観点で約束することであるというのが社会契約論のミソである。この人民の一般意思は、絶対的であり、誤まることもない普遍的原理である。主権は他人に譲り渡したり分割したりすることはできない。一般意思の行使が主権であるとする主権の絶対性理論はルソー独自というよりホッブスを引き継いだものであるが、ホッブスが絶対君主でもいいとしたのに対して、ルソーは人民権力の絶対性を主張した。権力の絶対性は無制限ではなく、あくまで共同利益の範囲内である。こうしてルソーが構想した国家は、権力分割の上に立つブルジョワ的な立憲君主制ないしは議会主義的国家ではなく、全人民を主権者とする直接民主制、人民独裁制の国家構想であった。そうすると革命や、人民の抵抗権を理論上正当化するものにならざるを得ない。自然権としての自由と平等を最大限確保できる約束(契約)をする以外に政治体形成のみちは考えられない。社会契約論の流れの中でルソーの著しい特徴は、従来の支配者との服従契約説を全面的に退け、社会契約を主権者たる個々人相互の間の結合解約として捉えたことです。現状の権力と一切の妥協を排して、一般意思が最高の指導者であるということだ。ルソーが直接批判の対象としたのは、百科全書派の政治思想であったといわれる。ルソーは1755年ごろから百科全書派から離れたが、その政治思想は人間の自然状態の自由と平等を認めると同時に、人間尾自然的性質として「社交性」から国家の形成を説くものであった。この契約は主権者(当時の絶対君主制)と人民の間の服従契約として捉えられている。これによって自然権としての人民の財産所有権が保障され、国家統治の基本法が定められたとされる。百科全書派の思想を発展させたのはジョン・ロックの自然法理論であった。ホッブスは自然状態を個人間の敵対関係として、奪われ殺されるよりは絶対権力の下で統治される方がましだと考えた。ルソーはホッブスの主権論を覆して人民主権論に転化したのである。「エミール」と「社会契約論」の出版後のルソーは苦難に陥った。エミールの宗教論が断罪され逮捕状が出された。2つの書物は禁書とされ、スイスからロシアに亡命せざるを得なかった。「社会契約論」はこのような迫害を受け、その上多くの人々に受け入れられなかった。ところが、社会家や論の公刊後27年後(1790年)フランス革命がおこり、革命議会は「エミール」と「社会契約論」を讃えて銅像を建て、ロベスピエールはルソーに革命の栄誉を与えた。

第1編 「社会契約の本質的条件」

人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鎖につながれている。そのくびきの連鎖は留まるところを知らない。それがこの世の現実であろう。このことに気が付き自由を奪い返すことは人々の権利である。社会秩序は他のすべての権利の基礎となる権利である。この権利は自然に発生するものではなく、約束に基づいている。その約束がどんなものであるかを知ることが第1編の目的である。グロチウス、ホッブスの考えは、全人間は少数の人間に従属している奴隷と見るのである。最も強い者は力を権利に、他人の服従を義務に変える。そして権利を生み出すのは力だという堂々巡りの論理を持ち出す。人々は暴力に対して服従の義務はない。服従は意志ではなく命を守る慎重な態度に過ぎない。そこで、力は権利を生み出さないこと、また日とは正当な権力にしか従う義務はないことを主張しよう。平等に生まれてきた自然状態の人間にとって、力はいかなる権利を生み出すものでない以上、人間の間のすべての権力の基礎としては約束だけが残る。このルソーの論理の進め方は、ひとつづつ証明を積み上げるのではなく、一挙に命題を提出するので納得がゆかない場合が多いので注意が必要である。グロチウスは、自分の権利の放棄、人間たる資格や人間の権利並びに義務の放棄の代わりに、専制君主は彼の臣民に社会の安寧を確保するという。これは奴隷状態である。戦争で人を殺す権利は人間と人間の関係ではなく、国家と国家の関係からくる。宣戦布告は他の権力者に対する宣言というよりは、自国の臣民の財産と生命を奪うという警告である。戦争に勝った者は負けたものを殺す権利は決して有するものではなく、負けた国民を奴隷状態にする権利となりうるわけではない。生殺与奪権は無効である。それが国際法の基礎になる。一人の主人と奴隷しか認めない社会は集合であっても約束ではない。そこには公共の財産もなければ、政治体もない。もし約束ができていない社会で、選挙が全員一致でなければ少数者は多数者の選択に従わなければならないという義務はどこに基礎を置くのだろうか。多数決の原理は約束によって打ち建てられたもので、最初に約束があったことを前提としている。こうして、「各構成員の身体と財産を、共同の力をすべて結集して守り保護するような結合の形式を見出す事、そしてそれによって各人が人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず自由であることが根本的な問題であり、社会契約がそれに解決を与える」というルソーの命題が宣言される。社会契約の本質的なことは「われわれは身体とすべての力を共同のものとして、一般意思の最高の指導の下に置く。そしてわれわれは各構成員を全体の不可分の一部として、ひとまとめのものとして受け止める」であるという。この結合行為からその統一、その共同の自我、その生命、その意志が生まれるのである。その結合体を、「共和国」、または「政治体」と呼び、国家、主権者とも呼ばれる。構成員は「人民」、主権に参加する者は「市民」、国家の法律拘束される者は「臣民」と呼ぶ。ここで各個人は二重の関係で、主権者(人民)の構成員でありかつ国家の構成員(臣民)で約束している。自分に対して義務を負うことと、全体に対して義務を負うことが発生する。各個人は人間として一つの特殊意志を持ち、彼が市民として持っている一般意思とは異なる。一般意思へ服従するよう強制される。自然状態から社会状態への移行は、各人に正義と道徳、理性に従った行為をすることを要求し、また自分が自分であるという道徳的自由(奴隷状態でない)を獲得できる。社会契約によって自然的平等が破壊されるものではなく、かえって肉体的不平等に替えて道徳上及び法律上の平等に置き換えること、契約によって権利が平等になることである。

第2編 「立法」

国家を作った目的となる公共の幸福とは何かの約束に従って、国家の諸々の力を指導できるのは一般意思だけでである。個々人の利益の対立から社会の設立を必要としたのだから、社会が出来上がったのは個々人の利益の一致点があったからである。だから主権とは一般意思の行使にほかならないので、これを譲り渡すことは決してできないことだ。もし人民が簒奪者に服従することを簡単に許すなら、主権者としての人民は消滅し、人民たる資格を失うのである。支配者ができた瞬間にもはや主権者はいない。主権は譲り渡すことができないのと同じ理由で、主権は分割できない。主権は人民全体の意志であるので、この意思の表明は主権の一部であり法律となる。現在の政治学者は主権を対象によって分割している。立法権、執行権、司法権、交戦権、外国との条約締結権などに分割している。しかし諸々の権利はすべて主権に従属していて、その意志の執行をなしている。全体意志と一般意思に分けられ、全体意志は私的意志の総和であるが、その相違点をすべて除くと一般意思となる。一般意思が十分に表明されるには、国家の内に部分的社会が存在しないことが必要である。社会契約によって、各人が譲り渡す能力、財産、自由は、その使用が共同体にとって必要な全体の部分に限られる。それを決定するのは主権者のみである。我々を社会全体に結びつけている約束は、この約束が相互的であるがゆえに、拘束的である。一般意思の権利の平等、正義の観念は常に正しい。構成員全員が正しいとおもったからこそ契約したのである。それを覆すことは一からやり直す事になる。政治体とその構成員の各々との約束である。それは侵すべからざるの、絶対的な共同体の理念である。社会契約において個々人の権利の放棄があるうるというのは誤りである。契約は一層有利な交換をすることであって、権利を奪われることでは決してない。社会契約は、構成員の生命の保存を目的にしている。だから政治体は構成員の生命を奪うことは、政治体自身を亡くすることである。社会的権利を侵害する悪者は政治体への反逆者である。犯罪者の処刑は主権者が委託することはあるが、自ら行使しえない権利である。政治体は契約によって存在を約束された。そこでは理性による普遍的正義を実現しなければならに。そのためには約束は相互的でなければならない。国家の法がここから発生した。全人民が法の取り決めをする対象は、取り決めをする意志と等しく一般的である。人間を個人として、また行為を個別的なものとして考えるのではない。主権者すら個別的対象に命じたことはもはや法ではなく命令である。主権の行為ではなく行政機関の行為である。法は一般意思であり約束であるが、行政(裁判を含む)は個別的対象を取り扱う。そのギャップがあるとすれば、まま官僚機構の「裁量」と呼ばれる。立法者の知性は、全体と将来を見通したもので、法により新しく獲得される力は一層大きく、永続的で、その制度も一層確実で完全でなくてはならない。従って法を支配する者は、個別の人々を支配してはならない。ローマの歴史で内部に共和政から専制の支配が現れたのは、立法の権威と主権(国)が同一の人の手に落ちたからであった。法律を作るものは、何らの立法権を持たないし、持ってはならない。立法権は人民にあり、人民が一般意思に従って同意を与えるのである。(現在の日本においては国民は直接立法権にアクセスすることはできない) ルソーは国家の大きさについて、小さいほうがいいと言っています。大きな政府は何もかも押しつぶして、臣民を枯らしてしまう。支配者たちは事務に圧倒されて、自分お目では何も見ていない。国務を担っているのは小役人たちである。自分お大政に比べてあまりに大きすぎる政治体は自分自身の重みに耐えられない。そして近隣国の人民を犠牲にして大きくなろうとする。政府の必要性が国家体制そのものの内にく組み込まれており、自分を維持するには膨張するしかないように作られている。繁栄の終局とともに、没落の運命は免れない。国家の大きさは人民の数と相関する。そして土地の生産力がキーポイントである。貿易か侵略戦争かしか選べない国民は本来弱い国民である。政治体が抵抗力をなくした時が、新たな契約を結ぶ時期である。簒奪者はいつもこの時を狙っている。(しかしこの繁栄の期間は歴史上、数十年から数百年は続くものである。人民の抵抗力、政治体の軍事力などで長短はあるが) あらゆる立法に体系の主要な目的は、最大の正義すなわち自由と平等の2つに帰す。ひどい社会の格差(貧富の差)は認めてはならない。暴君の出現に直結し、公共の福祉にとって有害である。国家の体制を永続的でゆるぎないものにするには、法が自然の関係を確実なものにし、両者の関係を正しくするようになるべきである。

第3編 「政治の法ー政治の形態」

現在の我々にとって政府という言葉の意味は十分分かっているようだが、もう一度根源において考えよう。政治体には力と意志が必要である。力とは執行権のことで、意志とは立法権のことである。立法権は人民に属し、それ以外のものに属することはない。執行権は主権者としての人民には属さない。だから公共の力にとっては、それを一般意思の指導の下で動かし、国家と主権者の連絡をおこなうには適当な代理人が必要である。これが国家において政府が存在する理由である。しかし政府(日本でいえば内閣府と行政府の官僚機構)は主権者ではなく、主権者の公僕に過ぎない。まとめると、政府は臣民と主権者との間の相互の連絡のために設けられ、法律の執行と市民的及び政治的自由の維持・調整を任務とする仲介団体であるとルソーは言う。政府の構成員は「行政官」または「支配者」と呼ばれる。政府全体を統治者とも呼ぶ。その政府の首長(日本では総理大臣)は主権者の役人として、主権者から委ねられた権力を主権者の名の下に行使しているのであって、主権者はこの権力を制限し、変更し、取り戻すことができる。執行権の合法的行使を「統治」あるいは最高行政と呼び、この行政をゆだねられた人間あるいは団体を「統治者」または「行政官」と呼ぶ。政府、主権者、人民の力関係がバランスを失うと、無秩序状態になり一般意思がもはや働かなくなる。こうして国家は崩れ、専制政府か無政府状態に陥る。このバランスの中心にあるのが政府で、主権者と人民は外にある梃子の重石である。国家(官僚機構の行政府)は自分自身で存在するのに、政府(内閣)は主権者(選挙で選択)がなければ存在しえない。統治者は一般意思、法のことであり、統治者に集中された公共の力に過ぎない。もし統治者が主権者の意志よりも積極的な個別意志を持ち、この個別意志を遂行するために公共の力を使うならば、直ちに社会結合は消滅し、政治体は解体するだろう。政府あくまで従属的で、主権者の意志を超えた特定の意志を持ってはいけない。国家と主権者の関係は上に述べたとおりだが、統治者と政府も区別される。つまり統治者(行政府官僚機構)=政府(内閣府政治家団体)ではないのだ。政府が行政府の構成員に国家の力を費やすればするほど人民全体への働きかけは弱くなる。行政官が多ければ多いほどそれだけ政府は弱くなる。行政官に働く意思とは、一つは個人的利害(立身出世と良いポジション取り)、二つは行政官の共同(団体)意志(省益優先、予算分捕り合戦)、三つは人民の意志に沿った公的意志に従って、行政官は行動することである。その優先順位は残念ながら本来のあるべき順序とは正反対の、個人>団体>公益という順である。だから最も強力な政府とはただ一人の政府だというパラドックスとなる。各々の行政官はほとんど政府のなんらかの職務を委託されているが、主権者は蚊帳の外である。行政官の数がフェルト政府の処理は緩慢となり効率は激減する。国家(行政府)が大きくなるほど政府はますます収縮するであろう。主権者が行政府に送り込む市民の数によって多い順にいうと、多くの行政官を擁するのが民主政、少数の行政官であると貴族政、たった一人の行政官なら君主政、または王政という。そして世界中にはその発展段階に応じて多くの「混合政体」が生まれる。ここでルソーは直接民主政は小国の都市国家に向いており、貴族政は中くらいの郡邦侯国、大官僚群を擁した絶対君主制は大国に向いているという。次に民主政、貴族政、君主政国家、混合政体について、レビューしてゆこう。

「民主政」について、法律を作る人(立法権)が、それを執行する権利と結合している方が、効率的であるようにおもわれrるが、実はこれは危険である。なぜなら立法者は一般意思を法にするわけであるが、執行するのは個別の利害に関係するのである。立法スアが私的な見地に立つことは当然の結果として腐敗するのだ。民主政という言葉を厳密に解釈すると、多数者が少数者を統治する本当の民主政は存在しなかった。公務の度に多数の人民が集まること事実上不可能である。政府が多くの役職に別れると、最も人数の少ない役所(日本でいうと大蔵省)が最大の権力を握るようになる。民主政は人民を集めやすいこと、習俗が均一化されて処理が容易であること、人民の地位と財産が平等であること、最後に奢侈や贅沢の習俗が少なく虚栄が憂くないことが民主政の条件となる。同一の原理が普く浸透している組織された国家は容易には見出し難い。民主政または人民政治ほど、内乱や内紛残り易い政治はない。もし人民が神様なら民主政を取るだろうが、事実は完全は期し難いのである。
「貴族政」にははっきり違った精神的人格、つまり政府と主権者とがある。2つの一般意思が両立できるわけがない。行政府の内部は容易にまとまるが、人民の一般意思まで整合性ある統制は取れない。最初の政体は部族家長という貴族政であった。制度の不平等から次第に選挙制に替わった。財産と権力が世襲されるに及んで政府も世襲となった。つまり貴族政には、自然的、選挙制、世襲制の3段階がある。政体としては選挙制による貴族政が一番透明性がよく、行政官が少なくて効率的な場合がある。国家の信用は尊敬すべき元老院によって維持されるのである。最も賢明な人が多数者を支配するという秩序である。法の執行において公共の意志を聴いて回る必要性はなく、人民はそれほど成熟していなくてもやってゆける体制である。政府執行者には報酬は支払われない、格差を前提としたあるため、財産の多寡によって貴族政が腐敗することはロックが指摘したとおりである。
次に「君主制」については、統治者を法の力によって結合され、国家の執行権を委任された精神的にして集合的な人格を想定してきた。この権力がたった一人の個別人の手に統合された場合「君主」または「王」と呼ぶ。この法律の統合は同一人の中に結合されて一切の職能が譲り渡されるのである。ある意味では最も少ない労力で以て大きな働きを起させる制度と言える。だが、個別意志がこれほど大きな力で国家を害することも絶大で、かつ目的は公共の福祉ではない。君主制は大国に向いた制度である。国家の行政にあたる人の数が大きくなるほど、ますます統治者と臣民のひらきは減少し、平等に近づく。その極大が民主政で、その別の極が君主制となり、その中間に王侯、有力者、貴族政が存在する。共和政では世論が最も見識ある者を統治者に選ぶが、君主政では品性劣る人間が世襲され悪は拡大するばかりである。他人に命令するために生まれてくる人間は正義と理性に乏しく、帝王学を学ぶ能力もない。長期に一定した目的も一貫した方針も持ちえない国家となる。王の周りには金権主義者と諂い者しかいない。
次に「混合政」について見てゆこう。現実には単一形態の政府はなく、一般に時間、歴史において、かつ統治の部署においてさまざまな統治形態が見いだされる。統治者(執行者)が人民ににたいして強い場合、治めやすいように政府を分割することも可能であるが、全体として主権者への支配は弱まるものである。政府が緩慢な時には、強力な執政官(大統領のようなもの)を設けて力を集中することも可能であるが、間違いなく独裁政に移行し、人民は疎外され国家は崩壊する。民主政と独裁政はコインの裏表の関係にある。
この民主政の宿命というか、陥り易い弊害については、トクヴィル著 松村礼二訳 「アメリカのデモクラシー」 (岩波文庫)にも詳しく解説されている。トルヴィルはアメリカのデモクラシーにおいて、境遇の平等化がもたらした弊害と大衆社会を指摘した。自由は特定の社会状態を定義できるものではないが、平等は間違いなく民主的な社会と不可分の関係にある。自由がもたらす社会的混乱は明確に意識されるが、平等がもたらす災いは意外と気がつかないものだ。平等化は自らの判断のみを唯一の基準と考えるが、自らの興味とは財産と富と安逸な生活に尽きる。そこで個人主義という利己主義に埋没する。民主化は人間関係を普遍化・抽象化すると同時に希薄化させる。そして人は民主と平等の行き着く先で孤独に苛まれるのである。平等が徹底されるにつれて一人の個人は小さくなり、社会は大きくみえる。政治的に言えば、個人は弱体化し中央権力が肥大化するということになる。中央権力も平等を望み奨励するが、それは平等が画一的な支配を容易にするからである。ここに新しい専制の可能性が生まれる。小さな個人にたいして巨大な後見人(政府)が聳え、個人の意識をより小さな空間に閉じ込め、しだいに個人の行動の意欲さえ奪い取ってしまう。アメリカの民主制は個人主義を克服する手立てとして、公共事業への参加によって個人の世界から出てくる機会を与えたという。民主主義は平等を徹底させて、矮小化した民衆を画一的な個人主義に埋没させ、その管理しやすい民衆を支配する政府という中央集権制官僚主義の専制を招くというものである。

自由の花はどこでも咲くものではないように、すべての統治形態はすべての国家においてまちまちである。それはその地の経済的剰余の上に成り立っているからである。土地、知恵の生産力は各国で差異があるからだ。だからすべての政府は同じではない。税金は必ず納税者に戻ってくるもので、納税額の多少は問題ではない。(北欧では消費税が20%を超えるが、人民はこれに不満を言うことはない。素晴らしい福祉が約束されるからである)ところが税がいつも払いっぱなしでは人民はほどなく力尽きる。だから人民と政府の距離が増すにつれ(執行官が大くなると)租税は重くなりやすい。民主政では租税負担が一番小さく、貴族政から負担は増大し、君主制で人民は最も重い税を負担する。専制政は臣民を幸福にするのではなく、臣民を統治するために不幸にしているのだ。負担に耐えられないと革命がおこり、物事を自然状態の秩序に戻すのである。政治的結合の目的は、その構成員の保護と繁栄であるから、良い政府とは、外部に頼らず、植民などによらずに人口が増大してゆく政府である。個別意志が絶えず一般意思に対抗して働くように、政府は普段に主権に対抗しようとする。これは政府の悪弊であり、堕落の傾向である。政府の堕落には、政府の縮小(小さな行政機能)する場合と国家が解体する場合の2つの道がある。国家が解体する場合、統治者がもはや法律に従って国家を治めることなく、主権を簒奪する場合がある。それは民主政は「衆愚政治」に。貴族政は「寡頭政治」に、君主政は「僭主政治」に堕落するという。政治体は生命がいつかは死ぬのと同じように、自らの内に破綻の原因を宿している。最もよく組織された国家にも終りがある。国家は出来上がった法律によって生存しているのではなく、立法権によって存続しているのである。法律は尊敬し大事にしなければならないが、法律を定めるのも廃止するのも立法権の発動いかんによる。この機能が力を無くするところいつでも国家の死が待っている。主権者は立法権以外の権力を持たないので、人民は集会に集まった時だけ主権者なのだろうか。ローマ共和国は人民全体が広場で頻繁に集い議論をし、市民であると同時に行政官であった。主権はどうして維持できるのだろうか。特別の集会以外に定期の集会が必要である。法によって集会の命令が出される。集会は各都市(地域)ごとに行うなら権力の分割になる。と言って多くの都市(地域)をひとつの大きな都市に統合すると、国家は衰退する。都市を作るということは地方を破壊するということである。(東京一極主義は地方の過疎を招き、地方を収奪する体制である) ローマの民会には代表者はなく、人民が合法的に集合するところでは裁判権も停止する。主権を持つ人民が貪欲・怠惰・小心・安逸を好むときは、増大する政府の力に抵抗しえなくなる。そして主権は消滅するのだ。市民が自分の身体を動かすより、財布で奉仕することを選ぶなら、国家はすでに滅亡の淵にあると言える。財政という言葉は、ローマ共和国の知らないことであった。自由な市民は自分の手ですべてを行い、金銭は動かなかった。ところが、国家の膨張、悪弊、征服、私的利益の拡大などが、国民の集会に人民の代議士、代表者というやり方を生んだ。主権は譲り渡せない、主権は代表されえない、主権は一般意思の中にあったのだ。人民の代議士は、一般意思の代表者ではない。彼らは人民の使用人(弁護士)に過ぎない。近世以降に代表者という制度が生まれた。古代の共和国ではこのような言葉はなかった。自由だと信じている近代人がなぜ代表者を持つに至ったか、人民は代表者を持つやいなや、もはや自由も失い、人民という主権さえ譲り渡したのである。立法権は人民の一般意思の契約から生まれたが、執行権者である政府は個別的行為のために設けられた機関である。主権者が政府を設立し、統治者に与えるのは、自分が行わないことを行う権利である。それは政治体の生命と力である。政府の設立の基礎となる思想は、法の制定(立法権)と法の執行(行政権)である。政府は法に基づいて設けられ、政府の首長を任命する。一般意思の行為によって、政府設けら得ることは民主政に特有な長所である。神の仰せでもなく(神権授与説)、世襲でもなく、主権者が首長を任命するのである。すると政府を作る行為は、決して契約ではなく一つの法に基づいている。執行権を任された人々は、決して人民の主人ではなく公僕である。人民は好きな時に首長を任命し解任することができる。国家は軍事上の権力を将軍に一任したわけではなく、政治上の権力を首長に委ねる義務を持たない。又定期的集会(ローマ共和国では民会、国会と呼んでもよい)の議案の第1は主権者は、政府の現在の形態を維持すべきか、第2に人民は現に行政を任された人々に今後もそれを任せたいと思うかを議論することである。


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