150603

重田園江著 「社会契約論ーホッブス、ヒューム、ルソー、ロールズ」
ちくま新書(2013年11月)

政治社会秩序を考える際の、思考実験装置「社会契約論」を読み解く

本書を読むきっかけは、坂井豊貴著 「多数決を疑う―社会的選択理論とは何か」(岩波新書 2015年4月)を読んだからである。第3章「正しい判断は可能かー正しい民意とルソーの理想」において、『真実は神のみぞ知るとしても、人間の理性による判断が正しい確率が0.5以上ならば、多数の人間による多数決は真実に近づくことができる。それには2つの条件が必要である。一つは情報が適切に与えられて理性が働くことができる、2つは自分の頭で考え、その場の他人の考えに影響されないことつまり統計的に独立であることである。このコンドルセはルソーを踏まえて書かれていることは確かである。ルソーは「社会契約論」において「人民集会に法案がかけられているとき、人民に問われているのは彼らがそれを認めるか否かではなく、問われているのはその法案が人民の意志である一般意思に合致するかどうかである」という。ここで「一般意思」を人々の共存と相互尊重を志向する意志」と捉えると、コンドルセとルソーの意図は一致する。だから多数決においては結果に従うべき正統性が求められる。ジャン・ジャック・ルソー(1712−1778)はフランス革命の思想的な象徴であり、「社会契約論」を著して人民主権の原理を突き詰めた。互いを対等の立場として受け入れ合う社会契約は共同体に発展し、共同体にすべての権利を委託して結束する。これが契約行為である。この共同体を人民という、そして束ねた権利を主権という。人民に主権は属するのでこれを人民主権という。一般意思とは、個々の人間が自らの利害を離れて意志を一般化したもので、多様な人間からなる共同体が必要とするものは何かを探ることである。熟議的理性の行使それを意志の一般化と呼ぶ。一般意思を全体主義や国家主義的に捉えるのは誤りである。主権とは立法権のことである。人民とは社会契約によって生まれた分割不可能の概念上の共同体を指すのであって、一般意思とは人民のなかに存在するものではなく、個々の人間が、自らの精神の中に見つけてゆくものである。立法とはそのような行為であり、構成員全員が参加する集会で、各自がたどり着いた判断を投票し多数決で判定する。一般意思は自らの意志である故、それが定める法に従うことは、自ら定めた法に従うことである。これがルソーの展開した、少数派が多数決で決めたことに従う正統性の根拠である。』 民意とはルソーが言う市民の「一般意思」ではないかという。そこでルソーの「社会契約論」を読もうと思ったが、坂井氏は巻末の読書案内において、ルソーの考えは彼の書いたものだけ読めばわかるというものでなくて、やはり社会契約論の流れを十分把握しなければ、分からない点が多い。ということで推薦されたのが本書の重田園江著 「社会契約論ーホッブス、ヒューム、ルソー、ロールズ」であった。この社会契約論の流れにジョン・ロックが入ってないことに疑問を抱いたのだが、重田氏は又巻末の「注」で、ロックを入れない理由を説明しているが、これも理解困難である。重田氏は「ホッブスからルソー、ロールズの思想の特徴は1回限りの契約が社会の近代化の源泉である。ロックは権力に委託を与える側(人民)は、個人の意思や合意を超えた連続性を持ち、歴史的な実在としての集合体としての人民を言っているようだ」と言って、ロックを退ける。ジョン・ロック著 加藤節訳 「統治二論」(岩波文庫)においてロックは政治社会の源泉について人々の合意を重視して 、『政治社会が存在するのは、その成員のすべてが自然法の権利を放棄して、保護のために政治社会が樹立した法(フッカーは理性の法という)の支配下に入ることを拒まない限り、それを共同体に委ねる場合だけである。公平で平等な規則に従って共同体が審判者となるのである。よって絶対王政は政治社会と全く相いれない。絶対王政は統治下にある人々と自然状態(フッカーは闘争状態という、ロックは戦争状態という)にあるからだ。絶対王政の利己的、恣意的な支配についてロックは長々と述べるが、ほとんどは前篇で論じたので割愛する。人々が自分の自由を放棄して政治社会の拘束の下に身を置く唯一の方法は、他人と合意して、自分の固有権と大きな保障と安全を享受することを通じて、互いに快適で安全で平和な生活をおくるために一つの共同体に加入し結合することである。この合意は多数の人々を結びつけ政治体をなし、立法部(議会)の多数派が決定しそれ以外の人を拘束する権利を有する。その共同体が結束して行動する権力を持つ団体にするには、多数派の意志と決定が不可欠である。多数派の決議が全体の決議として通用し、自然と理性の法によって全体の権力を決定するのである。もし多数派の同意が全体の決議として正当に受け入れられないならば、全個人の同意以外に何が全体の決議になろうか。構成員が多数であれば全個人の同意はほとんど不可能に近い。多数派をどう定義するか(過半数、2/3以上とか)は別にして、一つの政治社会に結合すると同意することは、多数派の同意に従うという契約がすべてである。これが合法的な統治を誕生させた。』といっている。重田氏のこだわりは私には理解できない。ヒュームを排除する必要はないが、ロックを入れるべきかと思う。すると本書の量は新書本にして300頁でこれでもかなり分厚い本であるが、おそらく350頁は超えるだろう、かなりの分量になり新書本の範疇を超えるかもしれない。

私たちが暮らすこの社会は、そのそもどうんな風に生まれたのか。社会の形成、維持に不可欠なルールとは何か。政治的秩序の正当性はどこにあるのだろうか。社会契約論とはそのような問いを根源まで掘り下げて考える思考実験装置である。普段は誰も意識しないで、その必要性も感じないし、誰がいつ定めたのか誰も知らない、実証性・実在性の極めて乏しい社会科学である。科学の分野でいう「定義・公理または仮定」かもしれないが、定理ではない。証明のしようがないからだ。しかし間違いなくヨーロッパ近世からフランス革命を経て近代の中心的的思想であった。ここから今では当たり前と思っている民主主義や主権在民を前提とする近代社会国家が生まれてきた。本書はこの「社会契約論」という近代思想を切り開いた巨人達、ホッブス、ヒューム、ロック、ルソー、ロールズの思索の軌跡をたどろうとする現代思想・政治思想の歴史である。まず社会契約論とはどんな思想なのだろうか。それは社会の起源を問う思想である。そして社会契約論は、社会が作られ維持されるために最低限必要なルールを問う思想である。そして社会は自然に成立したもので動かしがたいという考えを捨て、秩序はルールは人工的で状況次第でご破算でき新たな社会を創造しうるという前提に立つ思想である。従って社会契約論は人工物として社会をどうやって作るか、何によって維持されるのかを問う思想である。自然状態を出発点として「約束だけが社会ウ来る」この約束が社会契約で、それを通じて秩序が生まれるとする。戦後の日本では、新たな日本を作るという気概で、社会契約論は民主主義の理念を体現する思想として考えられた。そこでは国家対個人という2元設定がなされ、戦前の軍国主義への反省から、民主主義は国家権力の抑圧から人権を守る、議会制度、3権分立などの制度作りがなされた。これを「戦後啓蒙思想」と呼ぶらしい。ところが1980年代の新自由主義的風潮のなかで、戦後啓蒙思想は急速に魅力をなくしていった。全体が安定の軌道に乗ってしまうと、現実秩序への不満はあっても、ゼロから社会をつ作り直す思想へのニーズは減退した。社会契約はホッブスでは「信約」、ルソーは「合意」、ロックは「社会契約」と呼んだ。筆者重田氏は、何もなかったところに人々が集まり、約束する、そこに関係が生じる時が秩序生成の瞬間であるという観点である。現在の市場秩序はグローバル資本主義の時代になり、資本と労働の関係(個々の作り手、流通者の顔)が見えなくなり、市場社会を擁護する人々は合意に基づく交換を理由にこの秩序を正当化してきた。金融市場社会では金融工学の進展とともにその動きは投機的・怪奇である。その裏で動いている思惑は予測不可能である。約束の思想は、人が社会で取り結ぶ関係とその条件を、約束を交わす人々の目に見えるようにする。約束の思想は秩序の条件を明瞭にし、現にある不平等や不正を、等価交換の神話で隠すことをできなくする。社会契約を政治的秩序と共同体をつくる始まりの瞬間における約束として考えようと重田氏はいう。約束は人に何をさせ、約束がなければできない関係とは何だろうか。社会契約は、「一般性」という社会的ルールの正しさを考える上で重要な理念となる。個々の利害から超越した自分が、集団のために社会ルールを思考することが「一般性」である。でなければ、今の政治秩序は利害の闘争を抜けることはできない。社会契約というぼろぼろの思考実験装置を持ち出してくる重田氏のプロフィールを見ておこう。重田氏は1968年兵庫県生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業後日本開発銀行を経て、東京大学綜合文化研究科博士課程取得、現在明治大学政治経済学部教授である。専攻は現代思想・政治思想史、統計の応用史などである。フーコの思想を中心にして権力や統治を研究をしている。著書に「フーコの思想」(ちくま新書)、「連帯の哲学Tフランス社会連帯主義」(勁草書房)、「フーコの穴ー統計学と統治の現在」(木鐸社)など。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第1章 ホッブス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ホッブス

トマス・ホッブス(1588-1679)はイングランドのマームズベリの貧しい牧師の次男として生まれた。オックスフォード大学に学び、大貴族のお抱え教師として一生を独身で過ごしたといわれる。ルネッサンス以降の人文主義的教養を身につけ、政治の問題を宗教から切り離して、独立の問題して考える習慣を受け継いだ。彼の生きた17世紀は「科学革命の時代」と呼ばれ多様に、自然科学が飛躍的に発展した。主著「リバイサン」は数学的証明の方法で、政治社会の法則を解き明かそうとした点で斬新であった。社会科学はホッブスから始まる。政治に関する著作として、1640年に「法学原理」、1642年に「市民論」、1651年に「リバイサン」、1755年に「物体論」、1658年に「人間論」が出版された。すべての著書は晩年の書である。その理由は1941年にピューリタン革命がおき、国王と議会の確執が頂点に達し、何かについて発言することが身の危険にさらされることであり、発言を控えたとみられるという。その間自然から人間社会を独自の視点で捉える政治理論が熟成するまでに時間がかかったということも発表が遅れた理由の一つである。そういう意味で、ホッブスの「リバイサン」とマキャヴェリの「君主論」の2書は、毀誉褒貶の激しい過激でエキセントリックな近代政治思想の中で異彩を放った書物であった。ホッブスの主著「リバイサン」のタイトル「リバイサン」とは恐ろしげな海の怪物という意味である。秩序の無い状態を「自然状態」と呼び、自然状態では人と人は闘争状態にあるという。そこで他人に殺されないために互いに殺さないという契約を結ぶ。これが社会契約でsる。そして全員の武装を解除し、約束を守らさせるために、武装する権利を第3者の誰かに譲る。それが国家であり、「夜警国家論」ともいわれる。ホッブスの人間像は、性悪説にもとずく醜悪さで代表される分かりやすい理解である。分かりにくいのは創ろうとする政治社会の像である。ホッブス評価が定まらないのはこのためである。ホッブスが政治秩序を始めるその瞬間に約束があるという点が独創的で「約束の思想家」と言われる由縁であった。彼は全く新しい言葉で政治秩序を語り、人間社会のルールを説明し始めた。彼は結論が見え透いている合目的論なアリストテレス的哲学に我慢がならなかった。歴史的あるいは既存の集団を前提とする秩序像を一切否定した。自然科学的な手法によって、政治社会の成立の瞬間つまり「約束」が発生する場所を究めたかったのである。ホッブスは「個人主義的ー原子論的世界像」と言われるように、世界を個人より小さな単位に分解し、その物体の運動と理解するようである。物理運動のように衝突と作用反作用の力関係と類似な、社会関係は2つ以上のものの関係となる。個人の情念が行動の指針とすると、実にくだらない「熟慮」の結果が最終的な意志的行為である。何が起きるかはその時に状況次第で、運動論的世界では、当事者は何が起きるか予測不能で恐ろしいのであるという。ホッブスは政治を論じる際に個人を単位とし、意志的行為の単位を個人とみた。ホッブスにおいては意志とはコントロールできる能動的なものではなく、意志は「最終的な欲求」に過ぎなかった。神の意志から離れて、人の行為の自由と必然性は「脱構築」され、「関係」だけが残るのである。この個人の意志という問題は、ショーペンハウエル(1788-1860)は個人よりずっと根源的な生の原理としての力とする考えに通じるものがある。それはニーチェに引き継がれ、力には方向があるという権力の問題となる。さらに他者関係としてニーチェの論点を突き詰めたフーコ(1925-1984)は、権力に対して特異な見方をする。人間の活動を個人には還元できないさまざまな力の集まりと考え、それを運動として他者に向かい他者の運動との衝突する力、すなわち権力とする発想はホッブスからフーコまでの300年の系譜として捉えることができる。

人の行為がいいとか悪いとかはさておいて、ホッブスは最も重要な基本的な事柄として「自己保存」を置く。生身の人間の激しいぶつかり合いからどうして秩序が生まれるのか。ホッブスは必ずしも明確に語っていない。後世これを「ホッブス問題」と称する。ホッブスは自然状態を「万人の万人に対する闘争」と考えた。自然状態を脱して法が強制力を発揮する政治社会に至る道、きっかけを考えるのが「ホッブス問題」である。人々が一斉に武装解除をするのでなければ、いつまでたっても契約は成立せず政治社会が現出することはない。ホッブスはここで「理性の命令」という概念を出してくる。これは別名「囚人のジレンマ」と呼ばれる問題に等しい。ホッブスは「ホッブス問題」をどう解決したのだろうか。リバイサンの記述は不明瞭である。ホッブスは「人々が戦争状態を脱して平和と安全を手に入れる唯一の方法は、自分たちの権力と強さを、一人に人または一つの合議体に与えることである」と考えた。構成員が相互性をもって、この合議体に権威を与え、私自身を統治する権利を与えることが条件である。ずるいやつがいて権力への距離が異なる場合、約束する人々の間で非対称性は許されない。そんなことがどうして可能になるのか、ホッブスは何も言及していない。ホッブスにおける政治とは、人間がその共存の条件を自分たちで決め、共同性の行く先をその都度修正してゆく初めもなければ終わりもない永遠の活動である。ホッブスの条件付き政治社会の再構成とは、社会契約論の典型であろう。永遠に鉄砲を放棄できないアメリカ人には社会契約論は今もなお不要である。この自己防衛の権利を放棄した秩序は、人間たちが結びつくという社会の中でしか根拠を持てない。すべての人が自分押し全権を譲り渡して、主権者は同意した全員の力の総計と同じ力を得る。ここに権利は主権者に結集し、国家権力が成立する。当事者ではない主権者が登場する。主権者との契約には、結合契約と、支配服従契約の2種類の契約が続いて発生する。この契約は何らかの集団を単位とする契約ではない(部族社会の長老支配)、だから個人はお互いにそれぞれ別々に無数の契約をすることになる。ホッブスは二人の人間が結ぶ「信約」をもとに、社会的結合へ時間と拘束力を導入することで「契約」を説明する。信約は契約の一種である。契約とは当事者双方が利益を見出す時のみ交わされる約束である。二人の当事者が自分お利益を互いに譲渡しあうと「契約」が成立する。即時履行の場合である。ところが将来履行するという約束では「信約」という。延期された約束履行(信約)に不安が生じたとき消滅する性格である。信約が反故にされる理由として「合理的な疑い」があげられるが、平和と安全に対する脅威から結ばれた社会契約は無効になることはない。社会契約には強い義務が発生する。ホッブスは契約が法とは違うことを強調している。法とは上下関係に基づく命令であり、これに対して社会契約は自由意思に基づく対等な人間の約束なのである。自由な合意と約束を通じて当事者双方を未来に向けて拘束する。その強い力は契約の中にある。つまり約束は約束する人間を時間制を伴って拘束の内に引き込むのである。これは個人間を互いに引きつけ合う引力である。契約とは人が何かを譲ることである前に、人と人とが約束を通じて関係の内に入ることである。それは政治的共同体の始まりだけではなく、それが維持されるためにも力を与え続けるのだ。「約束だけが政治社会に力を与え続ける」これが社会契約論の核心であり、ホッブスが社会契約論の創始者である由縁である。ホッブスを近代政治理論の創始者と呼んでも過剰評価ではない。ホッブスの政治理論は近代人権思想であるかもしれない。ホッブスは、人間は崇高で冒すことのできない存在であるとは一言も言わなかった。むしろ誰でも等しくくだらないものだという認識からスタートしている。本当の意味での近代的平等の深さと強さがあるのではないだろうか。それでもなお作られる秩序があるとするならば、それはすべての人を受け入れる秩序となるであろう。碌でもない人間から秩序を作るために、ホッブスは人間同士の約束と当事者の対等性という関係に着目したのである。人間に対するこれほどの信頼の思想が他にあるだろうか。親鸞の「悪人なおもて往生す、いわんや善人をや」という平等性に通じるのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第2章 ヒューム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒューム

ディヴィッド・ヒューム(1711-1776 )はスコットランドの弁護士の次男として生まれた。エディンバラ大学で学んだ哲学者・政治経済思想家、歴史家である。ヒュームが生まれた時代は、1688年の名誉革命後の立憲君主制と議院内閣制による政治運営ががようやく固まった頃であった。思想や政治制度に関しては、スコットランドは啓蒙思想の先進地域であり、ヒュームとスミスの経験主義哲学を生んだ地であった。彼らは理性よりも感情や感覚に道徳の根拠を求め「大陸自然法学」を生んだ。世界に先駆けてイングランドは産業革命期を迎え、商業や産業にふさわしい新しい道徳を探究したのが、ヒュームとスミスであった。ヒュームの主著「人間本性論」(1739年・1740年)は大部であまり反響が良くなかったが、1741年の「道徳政治論集」、1754年の「イングランド史」で評価を得られたという。ヒュームとルソーは全くの同世代で、フランスの啓蒙哲学者と険悪になっていたルソーをイギリスに呼び寄せたが、1760年代に被害妄想気味のルソーと仲たがいになった。「約束の思想」の批判者ヒュームはホッブスの批判者であった。著者重田氏は、ここでロックを持ってこないで、ホッブスとルソーの間に反社会契約論者ヒュームを挟むことで、社会契約論の特徴を際立たせることを狙ったのである。ヒュームが社会契約を批判した最も鮮明な文「原初契約について」を見てゆこう。論点の一つは契約が現行の統治の起源にあった事例は一度もないということである。二つは誰もが持つ傾向や能力といった原理的観点から統治や支配の起源を説明できるかということである。ヒュームは支配者を決定するのは合意ではなく、軍事力や政治力によるとした。力による支配と恐怖による服従を支配の起源とする考え方である。このリアリスティックな見方はそれは結果であって、統治と支配の正当性をめぐる疑問は解消されるわけではない。社会契約論は正当性の根拠に約束をあげた。ヒュームの言う約束とは商業や貿易、社会的必要性に限定され、約束に代えて「コンヴェンション」を統治に始まりに置く。約束と統治という仕組みは社会の「一般的利益」に合致している。商取引を念頭に置いて、約束の利益に人々が気付くことが、約束という制度の導入の第1歩である。これをヒュームは「利益の感覚」とよぶ。コンヴェンション(合意と訳されることがある)とは「共通の利益に全員が気付くこと」である。約束の前にコンヴェンションがあるのだ。そのためには何らかの共同性が成り立っていなければならない。したがってコンヴェンションの背景には、一定の社会的な共同性というか、相互利益を生み出す取引が成り立つ前提としての平和が成立しているはずである。社会契約せつでは、約束は一度きりの飛躍が必要で、それは瞬間的に成就するというのに対して、ヒュームのコンヴェンションでは社会の共同の前提にして時間をかけた秩序の生成が見られるという説である。ホッブスはみんなが疑心暗鬼では秩序は出てこないが、約束という始まりが最後の一歩を進めるという。ホッブスの契約とヒュームのコンヴェンションの違いは、秩序の最初のきっかけとしてヒュームは「約束」を必要としない点にある。秩序生成論における「ホッブス問題」(秩序が成立しない可能性)は、ヒュームのコンヴェンションにおいても発生するが、これは問題としない。自己の利益と他者の利益を共存させる道が、全くの見知らぬ人々の間にある程度認められることを前提としている。統治や政治的支配にも約束は不要であるとヒュームは考えた。ヒュームはスミスと同様に、産業革命の時代に文明化された社会に生き、経済と富の時代を予感した人であった。産業社会の社会政治構造が複雑化すると、「一般的な観点」に立って自分を見ることが困難になってくる。個人個人の利益の長期的安定的実現を目的とした統治機構が求められる。約束を守らせるために統治は必要だが、統治その者は約束によって生まれるのではないとヒュームは断じた。ヒュームは支配秩序を尊重し、支配するものと支配される者が台頭であるとは考えていなかったようだ。こうして習慣が形成され、人々は忠誠の義務を受け入れ、初めの約束や原理的な正当性に訴える必要はないという保守的考えに傾いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第3章 ルソー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ルソー

ジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)はスイスの時計職人の次男として生まれた。15歳で出奔し放浪生活を始めた。ルソーはフランス革命の思想的な象徴とされてきたが、その波乱に富んだ人生は場当たり的で放浪癖がやまず、女関係はでたらめであったこととは、「告白」という自伝に描かれている。1749年処女作「学問芸術論」、1753年「人間不平等起源論」、1762年「社会契約論」を著した。社会契約論はフランスで出版禁止となり、1766年ヒュームに誘われルソーはイギリスへ亡命した。ところが半年後ルソーはヒュームと仲たがいをしふたたびフランスに戻った。ルソーは文芸作品「エミール」、そして晩年には「孤独な散歩者の夢想」を書いた。表現力は天才的だが、いつも言葉がついてゆかず不評であったといわれる。ルソーはヒュームに抗して、ホッブスを引き継いで「約束」を社会秩序形成に必要不可欠なものとして捉えた。ホッブスが開いた契約論的世界を、人民こそが主権者であるという民主主義へ結び付け、契約論を主権在民という形に引き上げた。「約束が一般意思を形づくる」ことはルソーの思想の核心である。学問と技術の進歩は人間を堕落させてきたという「学問芸術論」の視点は、ヒュームの社会経済文化の進歩史観から見ると時代錯誤に見えるかもしれない。このことはルソーが「百科全書」に書いた「政治経済論」にも見られる。ルソーは、国家の力の増大のための行政的な介入を強める政治経済という意味で用いている。ヒュームは商業社会を肯定し、その秩序を乱さないような国家の介入を認めるアダム・スミスの「国富論」(1776年)の考えに立っている。この方が近代的経済の意味に近い。政治経済は主権国家の誕生と国家間の競争、重商主義的経済財政政策など一連の近代国家誕生の動きを反映している。経済に政治を冠することで、国庫や財政運用、殖産興業といった、国家の統治と管理という側面が強化される。国家の力とは短絡的に金銀の貯蓄量を見なされる。ルソーはこの発想に強い違和感を抱いた。政治の正しさが、行政の効率や財政的な豊かさで測られる危険性が、近代国家の発達とともに強くなってきたからである。ルソーは政治が経済的豊かさにすり替えられることを警告した。ルソーはかたくなに政治とは何に基礎づけられるか、正しい国家とはどんな基準で判断すべきかを問い続けたのである。ヒュームの国家の技術論・富国策よりも、ルソーは国家の正当性を論じた。そういう意味では、ルソーはマルクスに先駆けて私有財産の弊害と資本主義における不平等を告発した先駆的思想家だともいえる。人間社会の不平等は何によって生じるかを、1753年に「人間不平等起源論」において明らかにした。人間の能力が生来平等ではないから、私有財産と貧富の差が生まれ、固定され、拡大される。そして社会が腐敗し相互不信と憎悪によって社会が分裂し、最後には王者と奴隷からなる専制政治に陥る。腐敗と分裂が行き着く先の破壊された社会は、新たな政治社会を合意し(革命)再度社会の形成に向かい、繁栄と腐敗と破壊が循環する。いわば盛者必衰の循環的史的社会の歴史観である。新しく誕生する政治体を根拠づけるのが「社会契約」、すなわち約束である。「社会契約論」は破滅の後にやってくる新しい政治体についての構想なのだ。秩序そのものを約束という行為によって生み出す事ができるとした。

ルソーが描く「社会契約」のハードルは高く理想的で次の条件を満たすものであること。第1に契約は限りなく強いこと、第2に普遍的でシンプルでなければならない、第3に政治社会には寿命があるが社会契約は持続性がなければならない、第4に社会契約は拘束を生むが個人は依然として自由であることである。契約の条項は「我々は身体とすべての能力を共同のものとし、一般意思の下に置く。それに応じて我々は団体の中で各構成員を分割不可能な全体の一部として受け入れる」というものである。これは「全面譲渡」に相当する。自由と平等と相互性の理念は、一般性あるいは一般意思と不可分に結びついている。ルソーは主権者が第3者(絶対主義的国王、官僚など)であることは絶対に忌避されなければならない。命さえ守ってくれるなら誰でもいいとするホッブスのようなあいまいさは避けるべきだとする。主権者は人民でなければならない。「社会構成員」とは「一つの精神的で集合的な団体」とされる。そしてその構成員は共同の自我と生命、意志をもつという、抽象的な内容に昇華される。社会契約を結んで新しい社会を作ろうと考えた瞬間、その人は契約当事者で政治体の一員としての自己となる。その内部で自分を含む全体との間で結ばれる契約が「社会契約」なのである。さらにこの共同体、政治体が担う意志が「一般意思」なのである。一般意思とは法を作る意志であり、個々の意志の総和ではないのだ。ルソーの政治体の内部にいる人は3つの名称で呼ばれる。第1は法を作り政治に参加し、共同体を動かす「市民」、第2に自ら進んで法やルールに従う「臣民」、第3に政治体参加者である市民の集団を全体として見たら「人民」と呼ばれる。人民を国家のアクターとみると「主権者」となり、主権者が人民である時人民主権(主権在民)が成立している。このような「一般的な自分」が特殊存在としての自分と約束を結ぶのだ。人は政治体の参加者あるいは主権者としては、一般的な視点に立ち、一般意思に従って行動しなければならない。「一般意思」はルソーが言い始めた概念ではない。そこで「一般意思」の概念の歴史を繙こう。一般意思とはアウグスティヌスを通じて中世神学に流れ、マンブランシュによってフランス哲学に影響を与えたとされている。中世キリスト教は当然ながら神の完全性から創造主の意志を意味した。神は一般意思としてはすべての者の救済を意図し(建前上)、だが原罪以降は神の特殊意志は特定の者の救済を拒んだ(実情)。ここで一般性と特殊性の対比が、マンブランシュからモンテスキューを経てルソーに受け継がれたと見ることができる。永遠不変の一般意思に対する、個別事象の「特殊意志」という対比である。ルソーは一般意思は自分の特殊な利益に左右されてはならないとして、一般意思は特殊意志と鋭く対立する構図を描いた。モンテスキュー(1689−1755)は「法の精神」において、法を作る事、立法権力は一般意思に属するが、司法権力は個々の事件を裁く特殊意志であると考えた。この3権分立の考えはルソーに継承されている。ルソーはそれを「人民主権」といい、どうしたら人民の意志である一般意思を発見できるかに苦心した。ルソーは一般意志には神を必要としない近代性を徹底させたのである。人間が自由意思によって社会を形成し、人間が約束する力によって一般意思が現れると考えた。一般性は、多様性と自由を抑圧するものではなく、自由を実現しまた多様性を尊重するためにあるということである。社会契約においてこそ政治が生まれり場所であり、人民が政治的自由を手に入れる場所である。そしてルソーは一般意志は重力の法則と同じレベルにおいて成立する普遍性を持つので、過つことはないと確信した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第4章 ロールズ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ロール図

ジョン・ロールズ(1921-2002)はアメリカのボルティモアの弁護士の次男に生まれ、プリンストン大学で学んだ。ロールズの主著「正義論」は1971年に書かれた。ベトナム戦争と公民権運動に触発されて、社会に生きる人々が自ら選択すべき正義の原理は何かという観点で書かれた。何が正しい選択かを問う風潮は、「規範理論の復権」、「政治哲学の復権」として語られる。ロールズは自身への批判に対して、生真面目に、丁寧に反論することに多くの時間と労力を費やした。これに対して同時代人の著名な学者であったミッシェル・フーコは自由奔放に批判を無視した。社会契約論はフランス革命において象徴的な役割を果たし、第2次世界戦後の民族独立に至るまで国民国家形成の理論的支柱となり続けた。国民国家形成が一段落した1970年以降社会契約論はもはや顧みられなくなった。新自由主義が謳歌した1980年以降は完全に凋落したと思われた。こうした時代にロールズは「正義論」で社会契約論復興を試みたのだ。社会契約論の現代的意義を最大限に示した思想家としてロールズがいる。ロールズの学究としての生真面目さは、「政治哲学史抗議」、「哲学史講義」の2著に端的に表れているように、テキストに正面から向き合い、その論理に没入するという姿勢であった。テキストの読み方はまずこうありたい、批判はそれからであろう。ロールズの「正義論」は、功利主義批判であるといわれる。19世紀以降産業化が進展する中で、個人が感じて行動する快・不快の道徳基準を是とする功利主義が支持された。ジョン・シュチュアート・ミルを代表とする古典的功利主義の理論背景にヒュームの道徳理論があった。だからロールズの功利主義批判はヒューム批判となる。ロールズはヒュームの「共感」と「一般的観点」を拒否したのである。ヒュームは共感が道徳の基礎として役立つとしたのだが、ロールズは全く同じ情緒を二人の間で成り立つとは考えられないとして、ヒュームの共感の定義をありえないとして、感情の多様性は乗り越えられない壁となるからこそ、最低限同意できる共通のルールの根拠を社会契約論に求めるのである。共感には著しい偏りがあることをヒューム自身認識していた。そこで一般的観点に立つ「思慮ある観察者」を登場させる。ヒュームは不安定な共感を補強するために、一般的観点に立とうと努力する思慮ある観察者が必要であるとする。古典的功利主義の道徳原理が「最大多数の最大幸福」という目標を掲げる点をロールズは批判する。社会全体の幸福の総和(GDPとみていい)が増えたとしても、反面貧富の差が拡大し、貧しい人々がさらにみじめになる社会を原理的に許されないと考えた。1%の富裕層を最大多数とみるか、GDPのみで富を量る価値感が普遍的かという疑問である。そして共感能力のある公平な観察者の評価が全体を支配することが妥当かという問いである。一つの価値感(貨幣価値がすべて)が全体を支配する経済市場主義に警鐘を鳴らすのである。ヒュームは人間の感情は弦のように響き合うと見るが、ロールズにとって人は多様であることが原点であり、共感とは他者に入り込むのではなく、多様性の中で関係を探ることである。そこで人はある種の合理性と理性的な熟慮の能力を用いて、ロールズがいう「正義の二原理」を社会のルールとして選択する。ルソーのいう「一般意思」と同じ次元となる。一人一人の多様性(特殊)をいくらつなぎ合わせて行っても、「一般的なもの」には到達できないというヒューム批判である。

ロールズは、「原初状態」における「無知のヴェール」という思考装置を用いて「正義の二原理」という社会の基本原理を導こうとする。「原初状態」も「無知のヴェール」も同じ考えの表現が違うだけである。原初状態とは、社会メンバーが選択を行う初期状態で、そこには無知のヴェールが掛っているという条件がある。構成員のあいだに情報の非対称性(差異)があってはならず、全員が同じ状態にあることが必要である。一人抜けで特別な知識を持っている者がいては最初から不平等な社会となる。正義論でロールズが企てた思考装置は、こうした合意事項の発見、基本ルールの策定のためにある。端的に言うと知識の制約を通じて、実践理性の働きが情念を方向づけ、皆が合意できる基本ルールが発見されるということだ。原初状態つまり社会の基本ルールを選択する初期状態にある人から、自分についての特殊な情報をすべて取り去ることを要求する。自我私利(の多様性)を捨てて一般的な意志(視点)のために考えろということだ。これをロールズは無知のヴェールがかかった状態と表現するのである。ルソーやロールズにとって、一般性の次元に立つということは、実体験や歴史的経験とは全く別のことである。ラジカルな視点が要求される。人間の利己心と一般性との関係という、社会契約論にとって中心的テーマに関わる。利己心から自由でないことには秩序は生まれないということが、ホッブス、ルソー、ロールズの共通認識になっている。ではいったいどんな基準が必要かというと、ロールズは「原初状態では一人は全体のために選択せざるを得ない」ということである。そしてエゴイズムの制限という観点から、「正義の二原理」を規範とする。第一原理とは「自由の保障」、第二原理とは「機会平等の原理」のことである。調停不能な(譲ることのできない)究極の価値は人それぞれであるが、ロールズはその信奉する価値が何であれ、同じだけの自由つまり平等な自由を保障されなければならないと考えた。多様な自由を分け隔てなく尊重することだ。これが第一原理である。また多様性の尊重ということで人の優劣による差異が蔓延することは正されなくてはならない。これが第二原理である。「機会均等」と呼ばれる原理である。「格差原理」とも呼ばれる。自分が不利でないことは誰もが不利にならないことであり、誰もが不利にならない社会は公正な社会である。生まれつきからくる不平等を自然自体が修正できないなら、社会がそれを正す責任があるという。「正義論」では機会均等と原理と格差原理は不平等が許される条件として、@もっとも不遇な博人が期待できる便益を最大にする、A公正な機会均等という条件で全員に開かれた職務、地位を提供するということである。自分が他の人でもあり得る状況下での「一般的エゴイズム」に基づく思考プロセスが、社会的公正を選ばせる。ロールズは自分を、ルソーからカントへと続く契約論の最も正統な系列にいると考えていた。ロールズはホッブス、ロック、ルソーをかならず参照した。ロールズはロックを名誉革命がもたらした混合政体を擁護するという明確な政治的目標を設定した思想家として評価している。これに対してルソーに対しては格別の思想的親愛を抱いていた。自分はロックよりもルソーに近いと解釈していた。ルソーの一般意思論を原初状態に近づけて解釈し、ルソーの一般的利己心に相互性と自尊の基盤を見出した。ルソーは利己心を自然な人間本性からくるものとして、他者との対等な立場を確保したい欲求、あるいは自分の目的が他者と同様に尊重されたいという欲求であるとした。人は利己心を通じて初めて「相互性」の原理を受け入れることができる。ルソーの循環史観をロールズは評価して、ルソーの社会契約論を史実として読むのではなく、いつでも何度でもやってくる社会の堕落と破滅をやり直す、社会秩序再構築の起爆剤に利用できる思考装置とみているようだ。


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