150416

デカルト著 谷川多佳子訳 「方法序説」
岩波文庫(1997年)

近代科学思想の確立を告げる、新しい哲学原理と方法 「理性を正しく導く方法」

おそらく大昔、そう高校生の頃に、このデカルト著 「方法序説」は読んでいたと思う。なぜ今頃「方法序説」を読むのかというと、吉田武著 「虚数の情緒ー中学生からの全方位独学法」(東海大学出版部 2000年)という大著(全体で約1000頁)にも、これと同じ「方法序説」という時代がかった言葉を見たからである。この本は第T部「方法序説」、第U部「数学」、第V部「物理」からなり、第T部「方法序説」には何のためにこんな大著を書くのかという、著者が本書に掛ける思いのたけを述べている。そこでは、次のような著者の考え方が披露されている。要約すると、巻頭言には「自分の頭で、他人の干渉を許さない絶対の意志の下で、基礎的な数学の訓練を受けておく必要がある」という本書の趣旨が書かれている。何故なら今日頼りになる大人が全くいない情けない状況であるからだ。現在の日本型教育の最大の問題点は「教え過ぎ」である。知識に溺れる者は、考えることを放棄するものである。詰め込み教育は浅薄な訳知りの「10歳の老人」を生み出す事を目的としているようである。必要なのは「驚く能力」を持つ「百歳の少年」である。時間に余裕があり、先に進むことを目的とせず、じっくり数学の古典を学ばねばならない。本書は好奇心溢れる健全な精神を持った人間を作ることを目指している。では第1部「方法序説ー学問の散歩道」に入ろう。吉田武著 「オイラーの贈物」には、この方法序説という内容はない。なぜ数学を学ばなければならないのか、数学を学ぶと何が変わるのか、吉田氏はここから数学教育を論じたかったようである。むろん知識の体系から言うと数学は一部に過ぎない。すべての学問の中の数学という「全人的数学」を学ぶ意志があるのかということが求められる。第1部は全1000頁の本書からすると120頁に満たない、約1割強である。だから気楽に読んで著書の気持ちを知っておくことが重要である。数学教育の問題点は公式を暗記すると考えると、もう万事休すである。公式はいつどこでも自分の力で導出できるようでなっていなければならない。そのためには概念の定義を知り、そこから導かれる定理の展開に目を見張ることから数学への興味が始まるのである。公式はメモ程度の備忘録である。そうでないと前提条件を忘れたり、適用範囲を誤り、無益な演算をやることになる。数学から生徒を遠ざけたのは、教師の怠慢であり、おそらく自分で導くことができない公式を無暗に生徒に憶えさせたからである。定理や公式よりまず定義が大切なのである。そうでないと問題設定ができないからだ。数学教育の目的は出来上がった公式を使って計算させることではなく、定理を証明する論理を学ぶことである。そのためには初等幾何学は格好の演習の場となる。2次方程式の解の公式を使って、解を計算することは計算機(電卓)に任せておけばいい。文部省式教育指導はお題目のように「選択の自由と個性の重視」を謳ってきた。読み書きそろばんの最低限度の知恵が身についていれば、大学教育はそうであってもいいのだが、小学生や中学生にそれは通用しない。勉強は服装のファッションではない。論語の素読と同じように数学の基礎は訓練を施さなければ身につかない。個性とは自分自身で考え、他人になりえない精神の独自性をいう。個性とは精神のことである。個性化教育とは付和雷同の流れやすい人間を作ることでしかない。自己と必死に格闘した精神が個性になる。自由とは何かからの逃避に過ぎず、その逃避の仕方を個性と言っているようである

さらに吉田氏の「方法序説」は次のような教育論を展開しています。子供を一律に無邪気ととらえる見方は誤っている。子供も生存競争に曝されており自己防衛本能の虜になっています。これを正しく教育することが「躾」であり「教育」の役割なのです。子供は極めて利己的な存在で、早く大人になりたいという憧れを持っています。子供に「民主主義」を教えることは、次期尚早です。大人の論理である極めて政治的な概念は理解できないでしょう。教えるべきは言葉であり、文化そのものでなければならない。文明は物質・技術であり、文化は精神です。読書こそまず始めなければならないことです。読書とは言葉を仲介として他人を理解することで、それを鏡として自身を知る行為です。どのような人でも先人の肩に乗っていろいろなことを見渡すことができます。資源を持たない日本では科学技術を国是としていますが、科学者は専門を持たないことが普通です。「科学的な考え方」を唯一の武器として、困難に立ち向かいます。そういう意味で科学者は「狩猟民族」で、専門性を持つ技術者は「農耕民族」といえます。アインシュタインは「理解できることこそ不思議である」と言い、朝永振一郎は「不思議だと思うことこそが科学の芽です」といっている。数式が出てくると拒否反応を示す人が多い。数式の効用は筆舌に尽くせないほどあります。文章だけですと曖昧になり、一目瞭然という理解ができません。式の簡潔性は言うに及ばず、概念、数値などの情報が手に取るようにわかります。「方程式はその作者よりも賢い」と言われます。もしその物理的意味合いは異なっていても、数式が同じなら裏のからくりは同じとなります。たとえば電気と磁気の関係で、マックスウエルは電磁波という概念で両者を統一しました。あらゆる無駄を省き研ぎ澄まされた表現こそ数式の醍醐味なのです。これを嫌っていては一歩も前に進みません。概念が演算できるのです。すると目に見えなかったからくりが形を表します。例えば万有引力の法則とケプラーの第2法則(面積速度一定)を数式に表して、推論を重ねてニュートンは微分積分法を作り上げ、さらに角運動量の保存則に発展した。数式とは「抽象性の高い言語」に翻訳することで、その本質を抉り出すことが出きるのである。物理学は実験科学の側面だけでなく、論証科学としての能力を持っている。論理学の方法には「帰納法」と「演繹法」があることはよく知られている。現象から法則を導くのは帰納法によるが、法則から現象を説明するのが演繹法である。文章だけでは帰納と演繹の能力は低く、数学的に表現することが不可欠である。青年期には帰納すべき具体例を楽しむ根気が必要である。膨大な天文学データーからケプラーは天体運動の3原則を発見したし、ガウスはたゆままず循環小数の動きを計算することから整数論を発展させた。小中学校時代の計算は馴れることで便利なやり方を考案する「数覚」を磨くことになる。天才少年ガウスの級数の和の求め方は今でも公式となっている。努力や忍耐なしには達成感や満足感は起りえない。こうした手間や努力を厭うとどうなるだろうか。私は文系だから数学は敬遠したいという人は人として大成しない。ナイチンゲールは天使とあがめられた人だが、実は衛生の統計学を収め、英国陸軍病院の死亡率を半減させたことは意外に知られていない。森鴎外は陸軍医統監に上り詰めた人だが、脚気による死亡率を激減させた人手でもある。文系・理系とか、東洋・西洋とかいう2分法はほとんど益がない。だから中庸がいいということも浅薄である。また理系の人が人文を嫌ってはいけない。読む能力、書く能力、文の内容を掴む能力はすべての学問に必須の要件である。数学的に自然および文化の諸現象を見ることが本質的理解には求められている。著者はここで宇宙の誕生ビックバン(太陽系の誕生を含め)から生命のの誕生、人類の誕生、文化(4大文明)の誕生に至る150億年の歴史を概観する。そして我々とは何かをという質問をする。「歴史とは何か、それは私である」という結論をだす。人間が知性という営みを身につけ、情緒を下支えとして人間的な意義を持つ、それが本書の題名の由来である。そこで若者の旅立ちを応援する教育の意味を授けたのである。ニーチェの言葉は「高く上りたければ、自らの脚を用いよ」という。さていよいよ本題に入ろう。

ではデカルト著「方法序説」に戻ろう。「方法序説」は1637年(デカルト41歳)のとき、無署名で出版した本「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法序説、加えてその方法の試みである屈折高額、気象学、幾何学」という、全体で500頁を越える大著の最初の78頁(この岩波文庫本で約100頁)が「方法序説である。つまり3つの科学論文の短い序文という位置づけである。吉田氏の方法序説も123頁を占めている。かなり長い序文であり、それ単独で独立しても存在できるという内容がある。デカルトがなぜ著者名なしで出版したかというと、ガリレオが法王庁宗教裁判所で異端判決を受けたばかりで、ガリレオを尊敬していたデカルトは筆禍の難を遁れるため無署名で出版し、同じく「世界論」という書物を書き終えていたが、生前は出版を見送ったといういきさつがある。デカルトの「方法序説」にはその第5部に「世界論」のエッセンスが示されているので、大きな危険性を孕んでいたというべきであろう。また本書はラテン語ではなくフランス語で書かれ、学術書ではなく一般教養書として出版した。デカルトの哲学関係書として、デカルト著 「哲学原理 第1部 人間認識の76の原理」(ちくま学芸文庫 2009年)より、デカルトの業績をまとめておこう。デカルトの「哲学原理」は全4部からなるが、本書は「人間的認識の原理について」と題する第1部の形而上学のマトメだけを対象としている。これまで刊行された訳書は第1部の形而上学と第2部の自然学を紹介し、第3部と第4部の自然学各論は省略する場合が多かった。本書がなぜ第1部だけなのか、その趣旨はスコラの形而上学との関連を捉えることであった。当時の優れたスコラ哲学の教科書は、ユスタッシュ・ド・サン・ポールの「弁証論、道徳論、自然学および形而上学にかかわる事柄についての哲学大全四部作」(1609年)が有名である。デカルトは明確にこのスコラ哲学大全を読んでおり、かつその形式を踏まえたうえで自身の著書「哲学原理」を書いたものと考えられる。デカルトはスコラ哲学から大きな影響を受けており、多くの点でスコラ哲学を痛烈に批判した。
デカルトの形而上学の研究の歴史をたどると、
1.「方法序説」 1637年
2.「省察」 1641年
3.「真理の探究」 1641年
4.「哲学原理」 1644年
5.「情念論」 1949年
というように、哲学原理は形而上学研究の最終版である。これでデカルトは形而上学を打ち切った。哲学原理の中で第1部形而上学の比重は小さく、第2部以下の自然学の記述が圧倒的である。形而上学的主題に関する議論や量的な点では「省察」の方が明らかに優っている。しかし「哲学原理」は「省察」の単なるマトメではない。記述の順序や証明の仕方が異なっており、「省察」が分析的に追っているのに対して、「哲学原理」は分析と総合の絡み合いによって特徴的な記述となっている。内容的には自由意志や思惟(コギト)の解釈に新しいものがあり、誤謬の原因論は数段詳しいとされる。デカルトの40年後にニュートンが「自然哲学の数学的原理」を書いた。ニュートンはデカルトの「哲学原理」をよく読んでおり、デカルトの「哲学原理」も形而上学というよりも「形而上学に基づく自然哲学の原理」といった方が正しい。デカルトの「哲学原理」の狙いはスコラに代わる新自然学の体系的な展開にあったというべきであろう。「哲学原理」で一番重要な原理をまとめている。まず「哲学」とは何であるかについて述べられている。てつがくとは知恵の研究であり、自分の生活を導くためにも人が知りうるあらゆることについての完全な知識を知る事である。完全な知識とはそれ自体極めて明晰で明証的であって疑いようがない第1原理である。つまり原理の探求から始めなくてはならない。他の事物の認識がそれらの原理に依存し、したがって原理は他の事物なしに知りうるが、逆に他の事物は原理なしには知りえないということである。そしてこの原理から、それに依存している事物の認識を演繹することが出来るということです。(数学における公理だけから定理を導くことを想定すれば理解できる。) どの国に住む人々もよりよく哲学していれば、文明開化されているといえる。人間はその主要な部分が「精神」にあるので、精神の真の栄養である知恵の探求に主要な関心を払うべきです。最高の善をは信仰の力なしに自然的理性によって考察される限り第1原理による真実の認識に他ならない。それが知恵であり、知恵の研究が「哲学」なのです。これまでの哲学はソクラテスに始まり、その弟子プラトンとアリストテレスが引き継いだ。プラトンは自分は確実なものは何一つ見出していないと告白したが、アリストテレスは原理を説く仕方を変えてしまった。この二人の権威のあとは懐疑派と感覚派に分かれたが、哲学者の大部分はアリストテレスに盲目的に従い、しばしば曲解した。結局間違った方向へ大きく移動してしまった。ここにデカルトはアリストテレス以来の「近代哲学の祖」といわれる哲学の原理を著わす。 第1原理に必要な要件は@それらの原理が極めて明晰であること、Aそこから他のすべての事物が演繹できる事である。原理が極めて明晰であるということは、少しでも疑わしい事はすべて排斥することが必要である。疑っても疑ってもなお疑っている自分が存在する事は疑い得ない。デカルトはその疑っている精神を思惟といい、思惟があること、つまり存在することを第1原理として立てたのである。「コギト エルゴ スム」それが形而上学上の原理の全てである。本書では道徳、論理学は必要だがオミットして、哲学の第1部に形而上学(認識の原理)を扱い、第2部以下は自然学を扱うとデカルトは本書の構成を説明している。そしてデカルトは「これらの原理から、そこから演繹しうるすべての真理を演繹するにはあと数世紀かかるだろう。」と近代科学の幕開けを宣言した。デカルトだけのおかげではないにしろ、今や近代科学の成果は花開き、人類はその恩恵を謳歌している。それほど重要な文明の原理を説き明かしたのが「コギト エルゴ スム」という二元論であった。もちろんデカルトが第2部以下で展開した自然学はいまでは間違いだらけであるが、それは科学的認識の浅い時期での推論であるから、デカルトだけを責めても仕方ない。しかし重要な力強い1歩が始まったことは確かである。

さてデカルトに関する前置きはこれくらいにして、本書の「方法序説」の内容に入ろう。本書の序にデカルトが内容の概要を語っている。100頁ほどの「方法序説」を6部に分けて、
第1部は、学校で学んだ人文学やスコラ学などの諸学問を検討し、それらが不確実で人生に役立つものではないことが確認されたという。学校を卒業後書物を捨て旅に出るまでのことを述べている。
第2部は、ドイツにおいて思索を重ね、学問あるいは自分お思想の改革の為の方法が4つの規則として提示される。すなわち、@明証、A分析、B総合、C演繹である。これらの規則は数学の難問を解く際に効力を発揮し、自然学の諸問題にも有効で、数世紀先のことかもしれないが諸学問の普遍的な方法になりうることが期待できる。
第3部は、真理の全体は把握できな状態でも人として守るべき行動の原理、すなわち道徳の諸問題についてである。3つの規則として述べられている。ストア派の道徳は暫定的な仮のものとして位置づけているが、デカルトは道徳の問題をこれ以上発展させることはしなかった。
第4部は、形而上学の基礎である。方法的懐疑をへて、「精神としての私」、「神」、「外界の存在」を示し、哲学史上有名な「コギトエルゴスム」、心身二元論といった重要な概念が語られ、誤りなき最終真理としての神の存在の証明が述べられる。
第5部は、公刊することができなかった「世界論」のエッセンスが述べられている。宇宙や自然の現象、機械的な人体論として心臓と循環器系の説明(今では間違いであるが)、動物と人間の本質的な違い(知性の存在)が論じられる。
第6部は、ガリレオ宗教裁判断罪事件に発するデカルトの心境がみられ、「世界論」の公刊を中止したいきさつとこの論文を後世に残す理由が語られる。学問の展望、人間を自然の支配者と見なす哲学、自然研究の意味を語る。
デカルトの歩みは慎重かつ確実である。学問の真理に至る道筋を、提示している。出発点は「私」であり、体系の基礎となる二元論、精神と神の形而上学、宇宙や自然、人体の見方が述べられた。当時例外的にフラン語で書かれたこの作品は、近代フランス精神の魁となった。普遍的な学問の方法、新しい科学や学問の基礎を示す広い意味での哲学の根本原理、自然学の展望と意味を述べた序説である。本書は、近代の意識や理性の原型、精神と物質(主体と客体)の二元論、数学を基礎とする自然研究の方法、科学研究の発展といったデカルト精神が近代合理主義の普遍的原理となった記念碑的作品である。


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