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中村仁一著 「大往生したけりゃ医療とかかわるなー自然死のすすめ」
幻冬舎新書(2012年01月)

高齢者は病院に行ったら悲惨なことになる、穏やかな死を望むなら病院やがん検診・人間ドックに行くな!

医療の過誤、過剰診療と健康保険保険財政、医療神話と医療ムラの利益についてはよく議論されるが、それでも医療は人の命を救うという前提条件があった。ところが次の2書はそうでもないことを示唆している。必ずしも延命や治療効果は期待できないまま治療が行われている場合や、むしろ治療が患者の命を縮める場合もあることをいう。岡田雅彦著 「医療から命をまもる」(日本評論社 2005年12月) はこう言います。『非常な難病であること(ガンなど)が分かった場合、本当に助かる見込みがあるなら医者に全力を尽くしてもらっていいのだが、そうでない場合無駄な治療を無理やり行ったために、逆に命を縮めることがありはしないだろうか。病院や医者の経営のため検査や治療を安請け合いするのなら御免こうむりたい。比べることをキーワードに、現代医学の常識と誤りを指摘し、自分の健康を守ることを説きます。題して「医療から命を守る」です。著者が10年前から一家そろって止めたことが2つあると書かれています。一つは自動車、もう一つはがん検診だそうです。自動車をやめてよく歩くようになり、家族全員がすっかり健康になったといいます。がん検診をやめた理由は本書のテーマでもあり、がん検診から治療の流れは、決して寿命の延ばすことにならないからです。社会学的にこれを「無用」といいます。結果の出ない徒労の作為だからです。』 そして次の9の内容を検証してゆきます。@医療の統計学(くじ引き試験、比較試験)、A医師の落とし穴 、B治療で命の縮むことの事例、Cがん検診の罪、D思い込みで医療が行われ、実は根拠がない 、E医者は苦し紛れの言い訳をする、F早期発見・早期治療のウソ 、Gなぜ医療は変わらないのか、H自分の健康は自分で守るということです 。近藤誠著 「医者に殺されない47の心得」(アスコム 2012年12月) はこう言います。『「がんは切らずに治る」、「抗がん剤は効かない」、「健診は百害あって一利なし」、「がんは原則として放置する選択肢がある」というものであって、医療業界が嫌がることばかりである。だから近藤氏は医療業界から激しいパッシングやニグレクトを受けてきたらしい。本来患者さんが選択する権利がある治療法を専門家という医師機構が奪ってしまった。パターナリズムという押しつけがましい脅迫や誘導によって、サプライヤーである医療側に有利なようにインフォームドコンセント・情報公開・リスクコミュニケーション・セコンドオピニオンが歪められてきた。聞こえのいい言葉は形式化し形骸化している。医療側の責任逃れに使用されているのが現状である。著者らが開拓した「乳房温存療法」が乳がんの標準治療法になったのは、患者さんが切りたがる外科医に反乱し勝ち取ったからである。「がん放置療法」が次第に広まりつつあることは、これも切ろうとする医師に抗して、治療しないという患者さんの革命的な決意と選択と実績のおかげである。その背景には、「人はいつかは死ぬべき運命ある」死の遅い早いは人生の価値には関係しないということを身をもって悟りつつあるからである。』というものである。そして次の47の心得をまとめました。上記二書は医療の盲点を突く本で、医者に向かって言うと猛反撃を食らうことは必至です。だけどこっそり読んで知恵をつけ、病院にはゆかないことです。
心得1 「とりあえず病院へは医者のおいしいお客様」
心得2 「老化現象ですよという医者は信用できる」
心得3 「医者によく行く人ほど早死にする」
心得4 「血圧130で病気なんてありえない」
心得5 「血糖値は薬で下げても無意味で、副作用がひどい」
心得6 「世界中で売れているコレステロール薬の効果は宝くじ以下」
心得7 「ガンほど誤診の多い病気はない」
心得8 「早期発見は実はラッキーではない」
心得9 「ガンだったらしかたないと考えてはいけない」
心得10 「健康な人は1回のCTでも発がんのリスクを高める」
心得11 「医者の健康指導は心臓病を招く」
心得12 「一度に3種以上の薬を出す医者は信用するな」
心得13 「軽い風邪で抗生物質を出す医者を信用するな」
心得14 「抗がん剤で寿命が延びるという医者を信用するな」
心得15 「ガンの9割は治療するほど命を縮める。放置が一番」
心得16 「医者から薬を貰うを習慣づけてはいけない」
心得17 「痛みは怖くない、モルヒネを正しく使えば安心」
心得18 「ガンの痛みは完璧にコントロールできる」
心得19 「安らかに逝くとは自然に死ねるということ」
心得20 「がん検診はやればやるほど死者を増やす」
心得21 「乳がん検診の結果はすべて忘れなさい」
心得22 「胃を切り取る前に知っておきたいこと」
心得23 「1cm未満の動脈瘤の破裂の年間確率は0.05%以下」
心得24 「断食、野菜ジュース、免疫療法は医者の詐欺行為」
心得25 「免疫力でガンは防げない」
心得26 「よくある医療被害 ケーススタディ」
心得27 「体重、コレステロールを減らさない健康法」
心得28 「100歳への体力つくりは毎日卵と牛乳から」
心得29 「ビールは一日1リッターなら百薬の長」
心得30 「昆布やわかめを食べすぎるとガンになる」
心得31 「コラーゲンやグルコサミンは効かない」
心得32 「高血圧に塩はだめはウソ、精製塩なら安心」
心得33 「コーヒーはガン予防や長寿に効く」
心得34 「早寝早起き健康法」
心得35 「石鹸シャンプーを使わないほど髪や肌は健康を保つ」
心得36 「大病院にとってあなたは患者ではなく被験者」
心得37 「手当でストレスを癒す」
心得38 「しゃべって笑って食べて口を動かす人は元気になる」
心得39 「よく歩く人ほどボケない」
心得40 「インフルエンザワクチンは打ってはいけない」
心得41 「ほっときゃ治るをいつも心に」
心得42 「ぽっくり逝く技術を身につける」
心得43 「喜怒哀楽が強い人ほどボケない」
心得44 「100歳まで生きる人生設計をする」
心得45 「いきなり進行ガンが見つかったらどうするか」
心得46 「ろうそくが消えるような転移ガンの自然死」
心得47 「リビングウイルを書いてみよう」

本書 中村仁一著 「大往生したけりゃ医療とかかわるなー自然死のすすめ」は、前二書とは話かける相手が違います。前二書は老いも若きも同時に対象としますが、本書はすでに老人になられている方に当てはまる書き方です。この観点の違いは著者中村氏が特別養護老人ホームの配置医師だからです。看る対象が異なるからです。とはいえ岡田雅彦氏はH自分の健康は自分で守るでに似たようなことを言っていますし、近藤誠氏も心得2 「老化現象ですよという医者は信用できる」、心得19 「安らかに逝くとは自然に死ねるということ」 、心得41 「ほっときゃ治るをいつも心に」 から心得47 「リビングウイルを書いてみよう」までのことは本書とかぶってくる。そういう意味ではこの三者には「年を取ってから、病院にゆくと碌なことはない」という点で一致するようです。著者は老人施設で12年勤務して、一茶の治療をしない「自然死」の例を数百例以上見てきて、病院死の無残さを痛感したそうです。病院では何もしないことができないので、いわば概念上も「自然死」はあり得ないのです。だからほとんどの医者は「自然死」を知りません。医療が濃厚に関与することで、死はより悲惨に、より非人間的になります。老人のガンさえ、何の手出しもしなければ全く痛まず、穏やかに死んでゆくことができるそうです。高齢者(老人)には「ガン死」画一番のお勧めだそうです。これを「手遅れの幸せ」と呼び、老人はがん検診や人間ドックなどを受けてはいけませんという。「年よりはどこか具合の悪いのが正常なのです。不具合のほとんどは老化がらみです。老いは病気ではありません。なぜ病院に相談に行くのでしょう。まして薬で治療してどうなるモノでもありません。生活のQOLに我慢できない支障をきたすなら、痛みを対症療法で取り除く程度にとどめましょう。年よりの最期の重要な役割は、できるだけ自然に死んで見せることです。それが今日という日の生き方なのです。老人がぼけるのは逝く前の当然の姿なのです。みんなで笑いながら老人を包み込みましょう。そして見送りましょう。」と著者は結論します。このような見解を吐く著者中村仁一とはどんな人物なのでしょうか。プロフィールを紹介します。1940(昭和15)年長野県杭瀬下(くいせけ)村(現千曲市)生まれ。京都大医学部卒。財団法人高雄病院(京都市右京区)の院長、理事長を経て、2002年から社会福祉法人・老人ホーム同和園(同市伏見区)付属診療所長である。「同治医学研究所」を設立、有料で「生き方相談」を行う。1985年より京都仏教青年会の協力で、毎月「病院法話」を開催、医療と仏教連携の先駆けをなす。1996年より市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰し、「生前葬」や「事前指示書」などの実践活動を行う。本書は1章から3章、そして5章が老人医学からみた「自然死」の勧めを説き、4章と終章は「自分の死を考える集い」の実践活動と「生前葬」ショーを描いている。4章と終章はパフォーマンスもあり、宗教的なので割愛する。従って1章、2章、3章、5章の医学的部分をまとめる。

1) 医療が穏やかな死を邪魔している

著者が考える医療の鉄則は@死にゆく自然の過程を邪魔しない、A死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない、というものです。ところが日本人の医療に対する期待、思い込みは凄いものがあります。つぎに述べる項目に該当する数が多いほど重症だと言えます。@ちょっと具合が悪くなると、すぐ医者にかかる、A薬を飲まないことには病気はよくならない、B病名が付かないと不安、C医者にかかった以上、薬を貰わないと気が済まない、D医者は病気のことは何でも分かっている、E注射を打った方が直りは早い、Fよく検査する医者はいい医者だ、G医者にいろいろ質問するのは失礼だ、H医者はプロだから、間違った治療はしない、?大病院ほど信頼できる、J入院するなら大病院、大学病院がいい、K外科の医者は手術がうまい、Lマスコミに出る医者は名医だ、M医学博士は腕がいい、Nリハビリはすればするほど効果がある。私は2つでした。さてあなたいくつ該当しますか? 本書に限らずこういった書物は内容が経験的で脈絡なく事実を羅列していきますので、内容が雑駁に見えますが、そこは勘弁して頂いて読み続けていきます。内容的に区別できるものには改行します。
* 日本人は医療に期待を抱きすぎです。これにはテレビなどマスコミの影響が大きいと言わなければなりません。「あなたは確実にこうなる」と断言する医者はとんでもないはったりです。人は様々ですので、蓋然性でしかモノは言えないはずなのです。
* 病気やけがを直す力の中心は「自然治癒力」です。本人の身体が反応しなくなっているのを強引に治療で治るわけはありません。人口呼吸器、透析器などが病気を治すわけではありません。自助を助けるマシーンです。
* インフルエンザワクチンは打ってもインフルエンザにかかると厚労省は認めました。しかしインフルエンザによる死亡や重症化の予防には一定の効果があると言い張りますが、これにもどのような根拠があるのか不明です。言い逃れか、思い込みに過ぎないかも知れません。ウイルスは毎年抗原を変化させています。だからズバリ効かないのです。ワクチン接種で死亡する人の率も高い。この薬害は小児性肺炎球菌ワクチンにも、髄膜炎ワクチンについても言えます。インフルエンザによる死亡者が203人、ワクチン接種による死亡者が133人(0.0006%)、さて予防接種はすべきものなのでしょうか。
* 自然治癒力を妨げる解熱剤で熱を下げると、免疫力を下げることになり、治りは遅れる。著者は「治療の四原則」として、@自然治癒の過程を妨げない(発熱は免疫反応の結果)、A自然治癒を妨げているものを除く(膿の除去)、B自然治癒力が衰えているときは、それを賦活する(栄養状態の改善)、C自然治癒力が過剰である場合は、それを適度に弱める(アレルギー反応抑制)を実践しているそうです。
* もともと人に備わっている「恒常性(ホメオスターシス)」を側面から援助する方法を治療とします。それには@原因療法(最近を殺す抗生物質)、A補充療法(不足しているホルモン補充、インシュリン)、B対症療法(苦痛を取り除く) ということでバランスよく栄養物を食べることがなによりの薬です。
* 自然死とは枯れるように死ぬ「餓死」のことです。人は穏やかに死ねるように、脳内物質が働いてやすらかに死ねるようになっています。人工延命医療措置(胃瘻、点滴、昇圧剤など)は死にゆく人を苦しめるだけです。介護も柔軟性を失った関節を曲げることは、骨を折るような、拷問です。食べられないのに強引に口に食物を流し込むと吐き出します。過剰な介護はかえって苦しめる結果になるのです。誰にも邪魔されず、飢餓、脱水症状で穏やかに死ぬ自然死をしたいのです。北欧では食べられないなら食事は下げるそうです。水だけ少量飲ませるだけです。こうして看取る(見とる)のです。

2) できるだけ苦しめるな

* 死に際だけでなく、人間が極限状態に陥った時、脳内にモルヒネ様物質(エンドルフィン)が分泌されます。それは恐怖と苦痛という精神的及び肉体的な危険から守るための仕組みであるといわれる。
* 自然死の実体は「餓死」、「脱水」です。これは苦しみではなく、命の火が消えかかっているときには、空腹も渇きも感じません。だから余計な手出しは無用です。意識レベルが低下し、呼吸不足による麻酔作用が働き、死の苦しみは有りません。
* 胃瘻と鼻チューブ栄養や中心静脈栄養などの医療措置は、命が消えかかっている状態では、回復させることも生活の質を改善することも期待できません。親の年金で食っている子供が延命を期待するのは身勝手すぎます。親は静かに死なせてあげてください。
* 鼻チューブ栄養法は拷問です。ベットの老人は必ず手で抜こうとします。そして体がむくみ、四肢が硬直するそうです。水だけを与えるのが本人にとって安らかな道です。
* 点滴や酸素吸入は、本人が幸せに死ねる過程をかく乱する以外の何物でもありません。口から一滴の水も入らなくなってから、亡くなるまで7日から10日は生きられます。これを「老衰死」と言います。食べないから死ぬのではなく、「死に時」がきたから食べないのです。人はいつか死にます。明日死なれても後悔の少ないかかわり方をすることが大切です。フランスでは「老人医療の基本は、本人で自力で食事をとれなくなったら、医者の仕事は終わり、あとは牧師の仕事です」という。惜しくとも「死ぬべき時」にやすらかに見送るのが家族の愛情です。
* 象は死期を悟ると、群れを離れ森の奥に消えるといわれます。西行も予告通り「その如月の望月の頃」に死にました。自分のことは自分で分かるものです。老人の身体からいろいろなサインが出ます。恒常性を保てなくなったという警告です。少々のことでは医者にかからず、自分の身体に聞く(様子を見る)ことが必要です。年のせいと割り切って、様子を見ることです。
* 現在の年間死亡者は百十数万人ですが、これから団塊の世代の死亡は20−30年後がピークとなり160−170万人と予想されます。従って病院死よりは在宅死のケースが多くなります。「在宅自然死」を希望する場合、@本人に在宅で死にたいという意思があることと、A家族に看取りたいという意欲がある事、B理解ある医師や看護師の助けが得られること、C住宅環境、特に個室が必要です。在宅で看取らせるには、信念と覚悟が必要です。救急車を呼んではいけません。穏やかな死は期待できず、地獄の責苦が待つ病院に運ばれます。

3) ガンは完全放置すれば痛まない

* 著者は「がん検診」や「人間ドック」は受けない努力をしているといいます。死ぬのはガンがいいと宣言します。その理由は@周囲に死にゆく姿を見せるのが、生まれた人間尾最後の勤めだそうですので、じわじわ弱るガンが最適です、A「救急車は呼ばない、乗らない、入院しない」をモットーとしているので、比較的最後まで意識が清明だからです。がんの7割は痛みがないと言われる。手遅れは幸いで、医者に痛めつけられることもない。猛毒の制癌剤で半殺しにされる苦痛から免れます。
* がんは予防できるわけはありません。ガンになる最大の危険因子は加齢だそうです。
* 定年後「検診断ち」をして、医者に脅かされることもなく、晴れ晴れと人生を楽しんでいる人が多い。私もその一人です。がん検診は万全かというと、検診精度は100%ではなく見落としが結構多い。人間ドックでバリウムを飲んでパスした人がその数か月後ガンで入院する例は多い。またフォールス・ポジティブといってさらに精密検査をしてゆくとガンでないケースも多い。検査による身体損傷、放射線被ばくの問題もあります。放っておいても問題のないガンを切って治ったと称するケースも多い。治療費の無駄遣いになる。
* がんは老人病です。超高齢者社会では全員ががんで死ぬ時が来るかもしれません。それは自然免疫力が衰え、がん細胞を見逃すことが多くなるからです。だから高齢者のガン化は必然的に多い。これは繁殖も済んで時間もたつのだから死んでもいいよというサインです。自然界の掟です。鮭は繁殖後すぐに死にます。「早期発見の不幸」、「手遅れの幸い」で、がんは見つけてはいけません。所詮治るわけはないのです。楽しい余生を送るにはストレスは禁物です。抗ガン剤は理論的に選択性はなく正常細胞も殺す毒薬です。ガン細胞も小さくなりますが、ガンは治りません。ガンで死ぬより制癌剤で死ぬ人の方が多い。
* 「天寿ガン」という言葉があります。「さしたる苦痛もなくあたかも天寿を全うするように人を導く超高齢者(男85歳以上、女90歳以上)のガン」という概念です。そのためには、@人は皆産ま?多時に天授を授かっている、A病気は事故に合わず、超高齢まで生きたことは祝福されることである、B超高齢者のガンは長生きの賜物(税金)のようなものである、C超高齢者のガンは自然死の一種である、D天寿ガンならがんも悪くはない、E天寿ガンと分かれば、積極的治療も延命治療も行わないという考えを持つことが必要であるという。
* 胃がんで吐血した80歳の男性が、自分の意志で老人ホームに戻り(特別養護老人ホームは生活施設であって、医療施設ではない)、すこしして正常な生活げできるようになり1年後に亡くなったという例もあります。何もしなくても末期がんでも生きてゆくことができるのです。また79歳の男性で肺がんが見つかって、治療を拒否してから5年間は普通の生活ができたそうです。
* 一般にホスピスは肉体的苦痛を緩和する施設ですが、老人ホームの70名ほどのガン患者を診てきたが、ガンに対して何ら治療をしない場合、全く痛みがなかったのです。ガンに対して攻撃的治療を行った上、お手上げの患者を投げ込む先がホスピスになっているようです。いわば尻拭い施設です。老人のガンはあの世からのお迎えと考え、何の治療も施さないならホスピスは必要ありません。患者のほうもホスピスで時間稼ぎをするより、日ごろから死の準備とこの世への義理を果たしておかなかったツケの大きさに気が付くべきでないでしょうか。
* がんの末期は猛烈に痛むという医療界の「常識」は誤りです。体を切り刻んだり、制癌剤で体を痛めつけたために、末期になって体が悲鳴を上げているだけのことです。高齢者のガンは放っておいても痛みは生じません。「死ぬのは完全放置のガンに限る」という自信になりましたと著書は結論する。老、病、死は結局自分で引き受けるしかないのです。引き受ける覚悟が必要なだけです。

4) 医療は限定利用を心がける

* 人生を上りと下りに分けると、男も女も60歳前から下りに入ります。生き物は繁殖を終えれば死ぬのが定めです。下りの人生はいやでも老、病、死に向き合わなければいけません。老いに寄り添って生き、病には連れ添ってこだわらず、健康には振り回されず、死には妙に抗わず、医療は限定的利用を心がけるべきです。あたりまえが実はありがたいことなのです。これが本書の結論です。
* 日本人は若さにこだわり、年のせいを認めようとせず、近代医療に過度の期待を持ち、老いを病にすり替えています。体の故障はすべて老化で片が付くのに、不老不死を頑固に夢見ているのです。やれグルコサミンとか健康補助食品を大量に消費する国民性は度し難いものがあります。「健康の為なら命もいらない」というのは本末転倒です。
* 「生活習慣病」のほとんどが高齢化による機能低下であるのに、これを病気と定義して治療の対象とする医療側のすさまじさには恐れ入ります。基準値を根拠もなしに下げて膨大な患者を創出し、医薬業界の利益の源泉にしています。生活習慣病は悪い生活習慣が原因であると脅かして、老人病であることを隠しています。老人病なら治りません。「成人病(生活習慣病)検診」は受けてはいけません。医者の餌食になるだけです。どこも悪くはないのに病人にされるのです。2011年人間ドック学会が発表した集計表によると、異常なしは8.4%しかいませんでした。91.6%が医者のお客さんになる仕組みです。「早期発見」「早期治療」は肺結核で成功した手法であって、完治のない生活習慣病に適用する考えは間違っている。老化による機能低下は病名が判明しても手立てはありません。
* 大事なことは死ぬまでの生き方です。老いて死ぬことは医療の対象ではありません。症状軽減程度に医療を利用することにとどめましょう。


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