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斎藤 憲著 「ユークリッド『原論』とは何か」-2000年間読み継がれた数学の古典
岩波科学ライブラリー148(2008年9月)

ギリシャ数学史に輝く幾何学の公理主義の確立

  
ユークリッドの想像画と、ユークリッドの『原論』の最古の写本の断片。描かれている図は第2巻命題5のもの。

エウクレイデス(ユークリッド)は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。ユークリッド幾何学の祖で、原論では平面・立体幾何学、整数論、無理数論などの当時の数学が公理的方法によって組み立てられているが、これは古代ギリシア数学の一つの成果として受け止められている。エウクレイデスの生涯についてはほとんど何もわかっていない。ユークリッドの活躍した時代は前3世紀中頃で、これはアルキメデスの活躍時期と同じころである。ただエウクレイデスの著作がアルキメデスの著作より数十年古いことは確実とされている。時代はローマが次第に勢力を拡大するころで、シチリアはローマ軍の圧迫を受けアルキメデスは侵入したローマ軍兵士によって殺されたという。ポエニ戦争でローマ軍は地中海沿岸にあったフェニキア人国家カルタゴのハンニバルと苦戦していた。そしてエジプトを「ローマの食糧庫」と呼び植民地化してゆくそのような時代である。アルキメデスはシチリアで、ユークリッドはアレクサンドリア(エジプト)で、地中海を挟んで対面していたが、両者には交流の記録はない。主要な文献はエウクレイデスの数世紀後のプロクルスやパップスの著作から伺うしかない。現存する初期の『原論』の写本にはエウクレイデスへの言及がなく、多くの写本には「テオンの版より」あるいは「テオンの講義集」とある。また、バチカンが保管している第一級の写本には、作者についての言及が全くない。エウクレイデスが『原論』を書いたとする際の唯一の根拠は、プロクルスの注釈本である。『原論』にある幾何学体系は長い間単に「幾何学」と呼ばれ、唯一の幾何学だとみなされていた。今日ではこれを「ユークリッド幾何学」と呼び、19世紀に発見されたいわゆる「非ユークリッド幾何学」と区別している。さて今回岩波科学ライブラリーで、斎藤憲氏によるギリシャ数学の金字塔である、ユークリッド「原論」とアルキメデス「方法」の数学史的研究の書2冊を読んだ。斎藤氏のプロフィールを紹介する。氏は1958年生まれ、1980年3月東京大学教養学部(科学史)卒業、1982年3月:同文学部(イタリア語)卒業、1990年3月:東京大学大学院理学系研究科科学史科学基礎論専門課程修了、1992年4月:千葉大学文学部助教授、1997年4月:大阪府立大学総合科学部助教授、2011年4月同人間社会学部教授の経歴である。専攻はギリシャ数学史である。エウクレイデス(紀元前3世紀前半から半ば)、アルキメデス(紀元前3世紀.前212年没)、アポロニオス(紀元前3世紀から2世紀にかけて)の3人のギリシャ数学者に注目して、1.論証数学の成立 2.数学著作の伝承と改訂 3.ギリシャ数学と近代数学との相違の面から研究を進めている。
1.論証数学の成立
 世界のどこにも類を見ない論証数学が、なぜ,どのように古代ギリシャで成立したのだろうか。紀元前6世紀の前半に活躍したタレスや、同じ世紀の後半に活躍したピュタゴラスがギリシャ数学の創始者であるとされてきましたが、これは間違いです。論証数学は紀元前5世紀半ばの民主政のアテナイ(アテネ)で成立しました。ただ『原論』を数学的・文献学的に分析しても,そこから分かるのは後世の校訂の跡であって、『原論』以前の数学の痕跡を知ることは困難だということが分かりました。
2.数学著作の伝承と改訂
 すると,今度は現存写本の内容の分析から、エウクレイデス以降に追加・改訂された部分を特定し、紀元前3世紀に存在したもともとの『原論』の内容を可能な限り復元することが課題になります。つまり『原論』の分析は,『原論』成立以前でなく,成立以降に起こったことを知るためにおこなわれることになります。
3.ギリシャ数学と近代数学との相違
 ギリシャ数学の最も高度な展開は、アルキメデスとアポロニオスの著作に見ることができます。大雑把に言うと、アルキメデスの面積・体積の決定は近代の微積分学を準備することになり、アポロニオスによる円錐曲線(放物線・楕円・双曲線)の扱いは、デカルトが発明した解析幾何(座標による図形の扱い)を準備することになりました。しかしギリシャ数学はそこに現れる幾何学量を図形から切り離して計算の対象するという、近代数学の特徴である私たちに馴染みのある発想が完全に欠如していることです。それがギリシャ時代の制約となり、著述がいたずらに複雑で飛躍が多く、現代人には理解困難といわれる原因です。

次に、ユークリッドの「原論」とはどんな本か、概略を知ろう。「原論」は前3世紀に成立したギリシャ語の著作で、歴史上もっとも有名な本といえます。「原論」の前半は初等幾何学と初等整数論に比較的平易な内容となっていますが、後半かなり難解で複雑な理論を含んでいます。真の命題の証明を積み重ねてゆくというスタイルは現代数学にも生かされています。2000年読み継がれてきた数学の基本命題集であるだけでなく、現代数学のスタイルを決定した著作です。「原論」が伝承された歴史を見ますと、9世紀に他のギリシャの文献と一緒にアラビア語に翻訳され、さらに12世紀にはアラビア語からラテン語に翻訳され西洋に戻ってきました。中世西洋の大学では「原論」の一部は必ず学習されていました。15世紀中頃印刷術が発明され、1482年には「原論」の最初の印刷本が発行されました。そのラテン語版はカンパース版と呼ばれ広く利用されました。17世紀になるとさまざまな翻訳版が出版されました。17世紀の近代数学の成立によって、数学の重点は論証から計算へと移行し、「原論」は数学者の研究対象ではなくなりましたが、「原論」を数学の基礎と理解する伝統は19世紀まで受け継がれてきました。「原論」は全13巻からなるが、最初の6巻だけを簡略版として出版することが多くなった。「原論」のオリジナル本は存在しません。写本によって元の姿を読み取ることになる。写本の原点は1883‐88年のハイベア版(ギリシャ語)です。これは19世紀初頭に発見されたヴァチカン図書館所蔵の9世紀写本(アラビアに行く前の写本)を基本としている。このヴァチカン所蔵写本をペイラールが発見したのでP写本と呼ばれている。「原論」は第T巻から第]V(日本語訳で原稿950枚)の長大な著作である。本書で斎藤憲氏は最初の第X巻までを検討するといいます。内容的に5部構成になっていて、第T−Y巻:平面幾何学、第Z−\巻:整数論、第]巻:非共測量(無理数)とくに無比線分の理論、第]T−]U巻:立体幾何と2重帰謬法、第]V巻:正多面体論であるが、概要を見ておこう。
第T−Y巻:平面幾何学: 第T巻は3角形の合同条件、平行線、ピタゴラスの定理、第U巻は幾何学の代数的表現に少し踏み込みます。第V巻は円に関する命題で接弦定理や方冪定理を含む。第W巻は円に接する3角形や正多角形の作図を扱い、第X巻は比と比例の基本定理を扱う。第Y巻で3角形の相似や相似図形の基本命題です。
第Z−\巻:整数論: 第Z巻では約数、倍数、公約数(ユークリッドの互除法)、素数などの性質が扱われる。第[−第\巻は整数論の続きで、等比数列がテーマです。偶数・奇数の命題、完全数に言及します。
第]巻:非共測量(無理数)とくに無比線分の理論: 第]巻が一番長大で全体の3割を占める。ピタゴラスが悩んだ非共測量(無理数)に立ち入ります。そして2重根号のアロゴス直線に及びます。
第]T−]U巻:立体幾何と2重帰謬法: 第]T巻立体幾何の初歩です。円や円錐の求積は今では積分や無限級数でできますが、これを2重帰謬法で確定します。この方法は後にアルキメデスが大きく発展させる。
第]V巻:正多面体論: 第]V巻は正多面体論です。プラトンが取り上げた5種の正多面体を作図し、辺や球の直径と比較する。第]巻の無比線分を分類する。
以上の「原論」には命題とその証明は記述されているが、その目的や意義、発展の方向は読者の読みに委ねられている。それがさまざまな解釈を生み、「幾何学の代数化」といったことが取りざたされる理由になっている。また当時の数学の教え方には、現物の図を書きながら論じる対話形式だったらしく、図の記号の付け方に統一性がなく(AがいつやらBといっていたり)本を読む人には非常に分かりにくい。「原論」は「書かれた数学」であると同時に「語られた数学」でもある。

ユークリッド「原論」の前の初期ギリシャの数学の歴史を繙いてみよう。ギリシャ数学の特徴は、それが証明を伴う論証数学である点です。紀元前5世紀以前、プラトンの「国家」に書かれた教育カリキュラムや学校アカデミア(幾何学を知らざる者入るべからず)では数学の学習は必修科目でした。また対話篇「テアイテトス」では、非共測量の存在が常識とされています。非共測量の発見は論証数学なしには不可能ですので、紀元前400年以前に論証数学はすでに確立していたことが分かる。論証数学がいつから始まったのかには、アリストテレスの弟子エウデモスが前320年に編集した「幾何学史」によると、紀元前6世紀のタレスがエジプトから持ち込んだと書かれ、それ以来論証幾何学のタレスーピタゴラス起源説が定説になっていた。ソクラテスが影響を受けたイタリアのピタゴラス派の教えとは、輪廻転生を主とする秘密宗教の一派です。従ってピタゴラスの知とは宗教家の権威のことであり、ピタゴラスの実像さえ明確でありません。その後のギリシャで発生した学問的な知とは異質であったといわれます。ピタゴラスの定理(直角三角形の斜辺の2乗は対する2辺の各々の2乗の和に等しい」ということですが、ピタゴラスが知っていた三角形の辺は整数で(5,3,4)の一例だけであったとされます。前440年ごろ数学の基本命題集を編集したヒポクラテスの「原論」はタレスから150年、ピタゴラスより100年ぐらい後のことです。このヒポクラテスが証明という概念を持ち込み、論理的な連関を明らかにしようとした最初の人であったというのが最近の定説になっています。ソクラテスの晩年、プラトンの若き頃には論証幾何学は相当盛んになっていたようです。アルキメデスは一人で放物線、回転放物体、球などの求積を行い、ギリシャ数学の方法で解ける問題はアルキメデスが全部解いてしまったといわれています。ユークリッドはアレキサンダー大王の跡を継いだプトレマイオス1世(前367−323)のころアレクサンドリアで活動したという説があります。これでは時代が古すぎます。ユークリッドについて初めて言及した数学者はアポロ二ウスです。彼は「円錐曲線論」の序文で、軌跡問題のユークリッドは不完全であると述べています。「円錐曲線論」第2巻が発表されたのは前195年より後といわれ、紀元4世紀の数学者パッポスはアポロ二ウスはユークリッドの弟子だと言っていますので、ユークリッドの年代は前250年前後が最も妥当な年代といえそうです。紀元前250年というとアルキメデスが自分の論文をアレクサンドリアに送っていた時期です。そしてアルキメデスは前212年ローマ軍によって殺されました。ところがアルキメデスの著作にユークリッドの名前は一度も出てきません。実用数学者のアルキメデスは、幾何学基礎論のユークリッドに興味はなかったと言えば聞こえはいいですが、ユークリッドの時期はアルキメデスの時期よりかなりずれているのではないkという一抹の懸念はあります。これぐらいユークリッドに関して分かっていることは少ないのです。ユークリッドの著作は「原論」だけではありません。「デドメナ」(数学基礎定理)、「オプティカ」(透視図法)、「ファイノメナ」(天文学、地動説ですが)、「カノンの分割」(音楽音程、協和音)などがあり、「ユークリッド全集」も刊行されています。

「原論」は書かれた数学です。「原論」のテキストの独特なスタイルは今日の読者を混乱させることが多い。むろん当時の「原論」は私のような一般読者を想定して書かれているわけでなく、ごく狭い専門集団の、当時にしてとてつもなく優れた頭脳を対象としていることは事実であろう。だから一読しただけでは分からなくて当然ではあるが、その分かりにくさに特徴があり検討する価値があるのだ。「原論」独特のスタイルで問題となる事項を次に述べると、
@命題の最初に「言明」がある。これは命題を一般的な形で述べたものであるが、図の位置や記号を一切述べないので、少しでも命題が複雑になると、この言明は何を言っているのか判断しづらい。一つだけ例を挙げると、「接弦定理」という、円の接線と接点からできる内接3角形のなす角は、その内接3角形の円周角に等しいという定理であるが、「原論」の言明によると「もし円に何らかの直線が接し、また接点から円の中心へ何らかの直線が引かれてこの円を切るならば、その直線が接線に対してつくる2角は円の反対側の切片の中の2角に等しい」というもので、大変わかりにくくなっています。ところが言明のすぐ後に、「提示」、「特定」を読めばだいたい分かるようになっている。
Aもう一つ不親切なのは、以前に証明した命題を使って証明をするが、その時どのような命題を使っているのか分からないことがある。命題に番号をつけて、「命題何番」によって明らかなように、という表現がない。
B次に第3番目の問題は、「原論」では命題の後に提示、提示で使った名前や記号が、その後の証明では名前の使い方が場当たりで一貫性がないため理解しずらい。A点がいつの間にかB点になっていたら面食らうのが当たり前である。同じ対象に複数の呼び方をするため、呼び方の一貫性ということにはユークリッドは全く無頓着である。また複数の密接に関係する命題間でも対応する点の名前が同じようにはなっていない。このスタイルは、後世紀のバッポスの「数学集成」という本でも、その命題のみに使う補助定理で付けた名前が本命題では違う名前になっているのです。これではせっかく理解した頭が混乱すること間違いなしです。
書かれた数学でひとつの命題では、一般に図の名前や点の記号は一貫して揃えるのが当たり前と考えがちなのですが、ユークリッド「原論」はそうではありません。プラトンの対話篇でも一つの概念を複数の言葉で言い換えることが頻繁に起こります。厳密な議論を展開するには、別のことを言っているのかと迷うことになります。プラトンの「メソン」でソクラテスは少年に対話で数学を教えました。そして目の前の砂に図形を描き、「この点は、この線は、この角は・・・」という風に指さしで説明しています。こうした場合呼び名の一貫性は問題になりません。当時の紙はパピルス紙で高価であり、講義や説明にパピルス紙を用いることはまれだったでしょう。ほとんどの人の知識は記憶と対話に頼っていたと考えられます。命題の「言明」は複雑な命題では解説なしに理解することは不可能だった。命題は一般的な表題程度の理解で記憶するものであったようだ。提示以降は現に説明に入るところで用いられる表現である。そもそも「原論」は書物として独習するために書かれたというより、「知識を持った人にそれを思い出させるために」存在したといえます。また命題番号も記さないのは、全体的な体系性を期すより、どこからでもアプローチできる点が望まれ、かつ「原論」が規範的なテキストであるという自覚がなかったといえる。今日でいう不特定多数むけの「数学書」ではなかった。しかしギリシャ数学は命題の形で記録され書かれたからこそ、現代にまで伝わったが、その書かれた命題の独特なスタイルから、当時もっぱら口頭で数学の議論が行われた様子が、窺い知れるというわけです。

小平邦彦著 「幾何への誘い」によると、山武太郎著「わかる幾何学」に書いてある定義には線とは、位置と長さがあって太さのないものである。まっすぐな線を直線という。曲がっているのを曲線という。点とは、位置だけあって大きさのないものである。面とは、位置と広さがあって暑さのないものである。平面とは平らなものである。平面上のどの2点を取っても2点を通る直線がこの平面上にある。立体とは、位置と容積とを有するものである。立方体、直円体、球をあげて説明している。幾何学とは、形、大きさ、位置の3つに関する真理を研究する学科である(こんなことは哲学の先生に任せておけばいい) 平面幾何学とは1枚の平面に描いた図形について研究することである。公理とは、いくら突き詰めても説明がつかないところをいう。平面幾何の公理は次の4つからなる。
公理T: 図形はその形と大きさを変えないで、ただその位置を変えることができる(平行移動、回転、裏返しなど)
公理U: 2つの平面を重ねれば一つの平面となる。
公理V: 2点間の最短距離はこの2点を結ぶ直線であって、ただひとつだけある。
公理W: 直線と外の点が与えられたとき、外の点を通って直線に平行な直線はただ一つしかない。(平行線の公理)
これに対して、小平邦彦氏は、厳密な公理的構成を与えます。
公理T:図形はその形と大きさを変えないでその位置を自由に変えることができる。平面幾何学では図形の代わりに3角形に限定してもよい。
公理U:2点を通る直線は一つあって、ただ一つに限る。2本の直線A、Bが1点Oで交わるとき、∠AOBを角度と表す。
公理V:同一直線状にない3点A,B,Cを結ぶ線分AB,BC,CAからなる図形を3角形といい、僊BCにおいて、AB<AC+CB ここから2点間の最短距離はこの2点を結ぶ直線であることが導かれる。
平面幾何で最も重要な文献は、ユークリッドの「原論」と、ヒルベルトの「幾何学の基礎」です。19世紀に入ってから数学の批判的精神の発達に伴って、「原論」の平面幾何の公理的要素の不備が指摘されてきた。1899年ヒルベルトは「幾何学の基礎論」において、平面および立体幾何の論理的に完全な公理的構成を考えた。ヒルベルトはユークリッド幾何学の全公理を、結合・順序・合同・平行・連続の5種の公理群にまとめ、相互の無矛盾性・独立性を完全に証明したといわれ、数学全般の公理化への出発点となった。D.ヒルベルト著 中村幸四郎訳 「幾何学基礎論」は、「幾何学の論理的構成は、少数の簡単な基本命題(公理)のみから始まる。ユークリッド以来、幾何学の公理を設定しその相互関係が論究されてきた。この問題は我々の空間的直観を論理的に解析することに他ならない。以下の研究は、幾何学に対し完全な、できる限り簡潔な公理系を設け、種々の公理系の意義と各個の公理から導かれる結論の限界とを明確にしようとする一つの試みである」と実に簡潔な「序」を述べている。次の五つの公理群から出発する。
T結合の公理(A,Bを結合する直線は1本だけある)
U順序の公理(直線状の3点のうち一つは間にある)
V合同の公理(線分の合同、三角形の合同)
W平行の公理(交わらない2本の直線が存在する)
X連続の公理(アルキメデスの公理 直線の長さの測定可能性、分割性)

第T巻ー数学の論証スタイルの確立

以降の説明では図は極力用いないことを宣言しておきます。幾何学の楽しみは自分で図を描いて補助線を引いて論証を楽しむものであり、その楽しみを奪いたくないからです。図形なしの幾何学なんて、ワサビのない寿司みたいなものですが、その精神だけを伝えようと思います。本書には「原論」のそっけない図以外に読者の理解に供する図がたくさん掲載されています。だから興味を持たれたひとは自分で本書を読んで図を書いて楽しんでください。一つ二つ自分の頭で理解できない命題の証明があったとしても飛ばせばいい。それで人生が変わることはないから気楽に幾何を楽しめばいいのです。ユークリッドの「原論」はまず点と線の概念を与えること(定義)からスタートする。序論も「はじめに」もないそっけない書き出しである。アリストテレス(前384−322)の「自然学」は自然界の基本原理を求めることだと宣言しています。アリストテレスの時代にはすでに論証数学は成立していた。だから哲学者アリストテレスは、頻繁に数学の論理や論証を引いてくる。前5世紀にヒポクラテスが数学定理集「原論」を編集していたので、ユークリッドがアリストテレスやプラトンから影響を受けたのではなく、当時の常識として論証数学のスタイルは存在していたとみるべきでしょう。ユークリッドの「原論」はすでに哲学的自然観から独立していました。アルキメデス学派やプラトンのような数は自然の構造である(プロクロスの正多面体と宇宙の構造)という夢想的な考えからは自由であった。あたかもルネッサンスにおいて人文文芸が宗教から独立したように。点と線の定義は後の展開において使われることはなかったのは、具体的な議論と結びつかない「操作的でない」定義です。定義より共通概念(公理)で使えるものにしています。むろん「原論」には「操作的」で使える定義があります。つまり「原論」には両方の定義があるわけです。「原論」は20数個の定義に始まり、次に証明なしで承認を求める「要請」と「共通概念」になる。「要請」jは「公準」、「共通概念」は「公理」と理解できる。上に山武太郎氏の公理、小平邦彦氏の公理、D.ヒルベルトの公理を記したが、ユークリッドの要請を記すと、次の5つである。ただし第5公準のユークリッドの表現は難しく、現代風に解釈すると平行線のことである。
@ すべての点からすべての点へと直線が引けること
A 有限な直線を連続して一直線をなすこと
B あらゆる中心と距離をもって円を描くこと
C すべての直角は等しいこと
D 平行線公準
この要請は論証数学の確立の証拠とされ、その後の数学のスタイルを規定した画期的なものである。ところが「原論」はヒルベルトの第V公理(順序、大小関係)などは暗黙の裡に仮定して使っています(隠れた要請)。定義・要請・共通概念のつぎにいよいよ命題が始まります。命題は伝統的に定理と問題に別れます。何らの性質を証明することが「定理」です。何らかの条件を満たす対象を具体的に得ることが「問題」です。幾何なら「作図」、整数論なら数を求める手続きです。

命題1は「与えられた有限直線上に正3角形を作図する」です。線分ABが与えられた有限直線とすると、Aを中心にして半径ABの円を描き、同様にBを中心に半径ABの円を描き円の交点をCとすると三角形ABCは正三角形となるという簡単な命題です。命題の基本的構成は、言明(一般的表現)、提示(図形を導入する)、特定(命題を図に付けた名前に則して言い換える)、設定(作図の手順を決める)、証明、結論からなります。証明法では(∴)という「Aである、ゆえにBである」式に進めます。証明の途中に「というのは」という言葉で説明が入るのは、後世の注釈者の言葉であってユークリッドの言葉でない可能性が大です。テキスト中の命題も後世の注釈者が付け加えたり補足したものが混じり込んでいます。とにかくユークリッド「原論」の命題はそっけなく、かつ図は特殊例に過ぎない一般性のないものであったりとか、理解に苦しむメモ程度の記述しかないのが普通です。まして本命題の意味や目的についてとか、次のどこで使用するとか、本命題は補助命題を使ってとかという記述を全く配慮していないもので、全体的な命題間の連絡がわからないものである。作図で描かれた交点などが果たして一般性を持つかどうかという論理学的あいまいさはあるが、「原論」では「存在証明としての作図」という考えが認めらる。特殊例かもしれない作図で存在を証明したことになるかもしれないという疑義を残して厳密性を欠いている。
命題2は「与えられた点に与えられた直線(線分)を置く」という何のことやらわからない命題ですが、Aを始点とする直線ALで、与えられた線分BGを作図することです。
命題3は「Aを通る直線AB上に、与えられた直線Gに等しい線分AEを作図する」という問題で、デバイダー(コンパス)があれば誰にでもできることですが、なぜユークリッドは命題としたのだろうか。どうやらユークリッドは線分とは大きさと方向を持つベクトルと同じ考えであったようで、かつ中心から離れてある長さの直線を半径として円を描くことができるとは思わなかったようです。こうして命題1、2、3同じ範疇の線分を描く問題です。
命題4は3角形の合同条件の一つ「2辺と夾角が等しい3角形が合同である」という定理です。ユークリッドの議論は直感に全幅の信頼を置いているかのように、もう一つの3角形の一辺を重ねます。夾角も等しいので対辺は重なりの長さも等しいので3角形の3兆点は一致します。この定理をあえて証明しようとすれば、帰謬法で対辺が重ならなければ夾角は等しくないはずだという矛盾に導けばいい。やはりユークリッドは命題1、2、3の線分の作図法を念頭に入れていることになる。直線の移動、重ね合わせという操作を保障するものでした。線や円は点の運動(軌跡)によって生成することを自明としています。それはエレア派という哲学の万物は変化しないという考えへの反論であったといえます。こうして定義・要請を最初に置くことで、哲学的立場に影響されないで証明が展開できるわけです。
命題5は「2等辺3角形の底角は等しい」という定理です。ロバの橋という図を引きます。2辺の延長上にまた同じ長さの点を設定します。すると命題4の2辺と夾角が等しいので合同条件から容易に2つの底角が等しいことが証明されます。そこには共通概念「等しいものから等しいものを引くと残されたものは等しい」を使っています。
命題6は「3角形の2角が等しい時とき2等辺3角形になる」ですが、これは命題5の逆定理です。証明は容易です。
命題7は「底辺を同じくする2つの3角形の2辺がそれぞれ等しいなら、2つの3角形は重なり合う」というもので、次の命題8の予備命題です。これは重なり合わないとすると背理するという帰謬法へ持ち込みます。
命題8は「三辺が等しい3角形は合同である」これはほとんど定義に等しいが、帰謬法で証明がつきます。
命題9は「角の2分法」の作図法、命題10は「与えられた線分の2分法」の作図法、命題11、12は「直線に垂線を立てる」の作図法です。命題9−12によって、角や直線の2等分や垂線の作図という基本的な操作ができるようになります。命題間には順序と論理的依存関係が明白です。こうして「原論」第1巻は48の命題を含むが整理しておくと、命題13では2本の直線が交叉して成す角の和は2直角であること、命題14は二つの角の和が2直角なら一直線をなすという命題13の逆命題である。命題15は対頂角は等しいこと、命題18−20は一つの3角形の角と辺の関係(大小関係)、命題27−29は平行線の基本的性質、命題32は3角形の内角の和は2直角であること、命題33−41は平行4辺形の性質、命題44は平行4辺形の面積に等しい3角形を作図すること、命題45は任意の多角形を3角形に分解してひとつの平行4辺形に変形すること、命題47はピタゴラスの定理、命題48はその逆定理です。円に関する定理は第V巻です。比例は第X巻で、相似と比例に関する定理は第Y巻になります。

第U巻ー幾何学と代数学

「原論」第T巻は直線図形の基本定理を証明し、第V巻は円に関する基本的定理を扱うもので、明確な目的と構成をもって編まれているが、この第U巻は長方形と正方形の面積の関係がテーマとなっているのであるが、なんとも不思議な命題を扱う巻で、その性格と解釈を巡って多くの議論がなされてきた。2直線(線分)よりなる長方形の大きさをr(a,b)と表し、線分aの正方形をq(a)として代数関係に持ち込むのが正当なのかどうかいつも問題となる。
命題5は「直線ABが点Gで2等分され、AB上に別の点Dが(内部に)取られているとき、AD,DBに囲まれる長方形r(AD,DB)に線分GD上の正方形q(GD)を加えたものは、全体の半分の正方形q(BG)に等しい」というものです。言葉では何のことかわかりませんが、本稿の冒頭に示した写本の図がそれを示しています。それでも不鮮明で分からないでしょう。面積は図の画分の足し引きで容易に証明できます。(a+b)(a-b)+b2=a2という代数関係式のことでもあるようです。命題6はAB上に別の点が線分ABの延長(外部)に取られる場合の証明です。(この分割は後世黄金分割と呼ばれます) 幾何学的には、2つの線分x,yの和とその面積xyが分かれば、x,yは求められるという意味ですが、代数的にはxy=Q、x+y=pの2次方程式を解くことです。「原論」には代数学的アプローチは一切述べられていません。命題1−10は代数でいう分配則a(b+c+d+・・・)=ab+ac+ad・・・のことが述べられています。こうして「原論」第U巻は「幾何学的代数」という風に解釈されてきました。命題5はバビロニアの楔形文字から、紀元前10数世紀前にすでに解かれていました。ギリシャ時代に無理数は知られていましたが無理数(非共測量)は使われていなかったので、代数学的考えは存在しなかったといえます。従って現代の解釈は、代数学を知って第U巻を解釈しているの間違いだとウングルという数学者の批判が1932年にだされました。現代の数学史の研究方法として、当時利用できた技法や概念で説明されなければならないというのが通説です。問題はこの命題が何の命題のために使用されたかということです。それは円錐曲線(2次曲線)の理論です。円錐曲線の面積と回転体の体積の決定はアルキメデスの功績です。そこでは近代解析学(座標による解析つまり微分積分)とは対照的な議論となります。つぎに第V巻の内容になりますが、円に交わる2つの直線は弦をなしますがこれが交わる分割の命題を方冪の定理といいます。命題35は2つの弦の交点が円内にあるときと、円の外部に交点があるときにも、交点Eから弦の円周上の点との距離(a,c)と(c,d)の間にab=dcが成り立つ。命題36は弦の一つが接線である、交点から接点までの距離をaとし、交点から弦の円周上の点までの距離をc,dとするとa2=cdという方冪の関係がなりたつ。代数式で書くとEBを接線と弦をAGとすると、r(EA,AG)=q(EB)ということです。証明は命題5の分割の定理から容易です。そして接線の時は直角3角形のピタゴラスの定理を使います。このように代数的に考えることもできますが、ギリシャ幾何学の特徴は、原野接線が交点で切り取られてできる線分の長さをa,c,dに置き換えたりはせず、線分の長さを図形から切り離さずに、与えられた配置の儘で取り扱うことです。この伝統は最近の幾何学の分野で「円論」といわれています。比例や面積によらない最も幾何学らしい理論です。円論については小平邦彦著 「幾何への誘い」(岩波現代文庫)を参考にしてください、

第V巻ー図版はどう扱われたのか

「原論」には特徴的なその分かりにくさがあり、前に「言明」の問題、どの命題を使ったか明らかでない問題、記号や名前はその都度変わる問題を挙げましたが、もう一つの問題として用いられた図版が必ずしも一般的な図形でなかったり、現代の図版を見慣れた読者には大変奇異な図版を見ることがあります。第V巻の円について見てゆきます。第V巻は円を扱います。接弦定理(命題32)、方冪の定理8命題35,36,37)は第V巻の最期に出てきます。第V巻の命題20は「同じ円弧の上に立つ中心角は円周角の2倍となる」というもので証明は極めて容易ですが、1553年のギリシャ語版の図形では、円周角や中心角をなす3角形が2等辺3角形で描かれています。写本の図版は命題の条件にない特殊なケースを扱っている場合が多いことです。特にP写本の図版では、対称ではなくても対称図形であったり、平行四辺形は長方形であったり、ピタゴラスの定理の直角3角形が2等辺2等辺3角形になっているのである。簡単に言えば、中世の図版は問題の条件に違反しない限り、できるだけ規則的な図形、長方形、2等辺三角形、対称図形を描くという方針に基づいているようです。写本のもう一つの特徴は、長さや面積の関係に無頓着なことです。P写本では平行四辺形が長方形に描かれているのは言うに及ばず、3角形は不釣り合いなくらい小さく、角は鈍角なのに鋭角に画かれたりしています。計量的正確さは意識していないようです。近代以降の刊本では、図版の一般化が常識となり、1820年代のアウグスト版では意識して図の一般化が行われ、それまでの写本の図版を一変しました。P写本で驚くべきは、方冪の定理(命題36)の図において2つのケース(中心を通る弦と通らない弦の場合の図)を別々の図に示すのではなく、一つの図に同時に描かれているのです。ちょっと見ると何の図かわからないのですが、別の見方をすれば図は図形と点の配置を示すだけで、長さや角度の具体的関係は全く無視されているようです。

第W巻ー解析という方法

第W巻は第V巻に続いて円を扱いますが、円と三角形や多角形を内接、外接させる作図、また逆に三角形や多角形に円を内接、外接させる作図を行います。命題2は、与えられた三角形と円があり、与えられた三角形と等角で、与えられた円に内接する三角形を作図するものです。ハイベア版では円のA点で接線を引き、接線と弦の為す角が与えられた三角形の一つ頂角に等しいように弦を引いて、円との交点をBとすると、弦ABとの為す角を三角形のもうひとつの頂角に等しく弦BCを引き円との交点をC とすると、接弦定理より三角形ABCは与えられた三角形と相似である(対応する内角がすべて等しい)という解を与えます。命題3は与えられた三角形に円を外接させる作図です。また命題4は与えられた三角形に円を内接させる作図です。命題5は与えられた三角形に円を外接させる作図です。正方形に円を内接、外接させる作図が命題6−9で、正5角形に内接、外接させる作図が命題11−14です。正5角形の作図法は命題10の「2つの等しい角が頂点の角の2倍であるような2等辺三角形」の作図法を利用します。36、72,72度となる2等辺三角形のことです。「原論」全体から見ても正五角形の作図は非常に重要で、原論の頂点をなす成果であるといわれます。ギリシャ数学の作図問題では、作図法は別にしても作図すべき図形が描けた場合、どのような性質が成り立つかということを探究する技法が使われています。今日でいう分析、解析という手法です。ところが近世以降「解析」という言葉が誤解されて、方程式による幾何学の理解、そしてその後発展した微積分と同一視されるようになった。ギリシャ時代では解析とは「問題が説けたとして、そこからその性質を研究する」幾何学のことでした。たとえば正五角形が描かれたとして、対角線を引いていわゆるピタゴラスの星形ですが、各頂点の星形の角度は36度です。星形の対角線ABとDGが互いに切る点をGとすると、AB/AG=AG/GBとなり、方冪の定理からAG2=AB×BG、つまり黄金分割になります。「原論」では、比とか比例智う概念は第X巻からですので、第W巻の正五角形の議論で用いてはルール違反になりますが、しかし正五角形の作図にはどうしても三角形の相似と辺の比例が付き纏います。それをユークリッドは方冪の定理でうまく回避しています。すなわちr(AB,BG)=q(AG) (命題17)から得られます。「原論」には線分の積という概念はなく、代わりに長方形や正方形を使います。線分の分割も計算してはいけません。作図で求めなければなりません。線分には長さという計測の疑念がないからです。

第X巻ー比例の定義と非共測量

図形の相似とは、大きさが違っていても形は同じということです。「原論」には図形の相似という概念は一度も使われません。つまり大きさの比較 a:b=c:dという関係を定義できなかったからです。例えば正方形に一辺sと対角線dの比はピタゴラスの定理からd/s=√2です。ギリシャ人はこの無理数(非共測量)にプラトンの時代には気が付いていましたが、「原論」では整数の比(有理数)を前提としています。そこでユークリッドは非常に難解な回避策を考えた。エウドソス(前390−337年)が考案した比の定義(非常にあいまいな定義)を採用してこう定義します。X巻の定義3:比とは、同種の2つの量の、大きさに関するある種の関係である。X巻の定義4:2つの量が互いに対して比をもつというのは、多倍されて互いを超えることができるものである。定義3は操作的でない定義つまり使えない規定です。定義4は操作的です。比の定義はあいまいでも、比例の定義は厳密です。有理数が数の連続性の中で占める密度は希薄です。有理数の間を無数の無理数が占めています。ですから無理数はどんなm:nの整数比をもってきてもそれより大きいか小さいかが分かれば比例が成り立つ十分な条件となります。この辺は数論であってギリシャ時代には存在しませんが、理解のため述べているだけです。こうすれば分数(有理数)を考えずに済ませることができる。こうして比例関係a:b=c:dというものは、「任意の正整数m,nに対して、maとnbを比較し、またmcとndを比較して、この結果が常に一致すること」と定義されます。こうして「原論」第X巻の定義5:4つの量が、第1が第2に、第3が第4に対して同じ比にあるといわれるのは、第1と第3の等多倍が、第2と第4の等多倍とを比較して、それらが何倍であっても、大小関係(>、=、<)がそれぞれ成立することである。これは現代数学の集合論に相当します。この「原論」の比例の定義は中世の写本版では難解でだれにも理解されなかったと思われる。ガリレオはこの定義を嘲笑して、「新科学対話」において「原論」の定義Xは証明されるべきだとして、帰謬法を用いて証明し、「比は2つの量の大きさの関係であって、その関係が同一、ないしは相似である時に比例が成り立つ」と理解しました。ガリレオは「原論」の比例の定義は定義ではなく定理であると述べています。ガリレオは、直感的に了解されにくい定義は、もっと簡単な定義に還元して証明されなければならないと考えたわけです。ところが現代数学では直感的な定義を排し、もっと厳格で形式的なものでなくてはならないとされます。つまりユークリッドの定義の方が厳密だというわけです。で結局「原論」とは何だったのだろうか。「原論」の意義は、証明という概念、命題の連鎖という数学の様式を確立したと同時に、純粋な証明以外のメタ数学的(哲学的)な議論を数学から追い出したことでしょう。「原論」は、それぞれの時代の数学者が自分たちの数学思想を読み込むことができる著作であるといえます。


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