140928

日野行介著 「福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞」
岩波新書(2014年9月)

政府・官僚によって奪骨された被災者生活支援法と被災者支援政策のありかたを問う

著者日野行介氏とはどこかで聞いたことがあると思って調べると、日野行介著 「福島原発事故 県民健康管理調査の闇」 (岩波新書2013年9月)という東電福島原発事故の被災者の健康調査を突っ込んで取材したルポの著者である。本書「福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞」(岩波新書 2014年9月)はその続編にあたる。むろん本書は福島県民健康管理調査の続編ではなく、2012年6月21日に成立した民主党政権時代の議員立法「子ども・被災者生活支援法」を巡って、原発事故の被災者、避難者支援の在り方を問題とするルポである。この2書が姉妹編に相当すると考えるのは、ともに政府・官僚の政策の進め方が住民と被災者・避難者の目線に立っているのではなく、相も変わらず「天皇の僕」としての官僚群の傲慢・秘密主義・サプライヤー(この場合は原子力ムラ利益共同体)重視政策で貫かれており、生殺与奪権を握られた被災者は何時も見棄てられることを告発する2書であるからだ。戦前なら秘密主義は天皇の権威で守られていたが、戦後70年もたった現在では、秘密主義がつねに国民の知る権利と透明性と衝突する運命にある。政府の定義がいつも混乱するのは、戦前からの官僚内閣制と戦後に始まった議院内閣制の力のバランスが未だに官僚優位・政治家無能のあたりを彷徨っているからである。普通政府というと首相と衆議院多数派内閣が構成する内閣府のあると思いがちだが、2009年9月に政権に就いた民主党内閣で、官僚の権力と内閣の権力にアンバランスが生まれた。内閣府と言ってもほとんどは省庁官僚の独占物であり、誰が主導しているのか国民の目にはよく見えない。本書の主題である議員立法「子ども・被災者生活支援法」を完全に無視することも官僚機構には可能であることが分かった。これを官僚の「不作為」という。サボタージュといってもよい。議員立法だから官僚が敵視するというのは短絡的な見方で、田中角栄氏の場合、議員立法で重要な法案を次々と成立させ、官僚機構もこれをよくサポートした。この「子ども・被災者生活支援法」法案自体に何か大きな欠点があったといえる。この法案は俗にプログラム法という手順を示しただけの法で、内容や基準はすべて政府(官僚)にお任せという法案であった。無視することを含めて、骨抜き、趣旨変更も自由自在というあまりにお粗末な議員立法だったという矛盾が内在していた。途中で自民党議員らは抜けてしまうのでますます官僚機構は舐めてかかったのではないだろうか。そして政権交代で2012年12月自民党が政権に復帰すると原発事故対策自体が大きく変更され、原発再稼働に立った原子力行政が主流となった。

こういった官僚機構=政府の政策に異議申し立てかける日野行介氏の奮闘ぶりには自分にはとてもできない相談なのでまず敬意を表する。氏のやり方はいわゆる「真実は詳細に宿る」と言う様に会議議事録やインタービューなどの事実関係から推測を組み立てることである。さすが新聞記者と言いたいが、氏が所属する毎日新聞は朝日新聞、東京新聞と並んでスクープで社会問題化することに長けている。毎日新聞は、1971年の沖縄返還協定にからみ、政治部の西山太吉記者が漏えいした沖縄密約スクープが有名である。記者の臭覚が敏感で、探偵まがいの術を弄する執念深い取材力、そして政府に対して致命的な打撃を与える記事などでいつも権力から本気になって攻撃をされている。新聞魂が感じられる新聞社である。著者が属していた大阪社会部は、1882年 「日本立憲政党新聞」として大阪で創刊された歴史がある。戦前は朝日新聞と並ぶ2大紙と言われたが、現在は読売・朝日につぐ3大紙といわれている。本書を書く契機となった事件は、復興庁で福島第1原発事故後の被災者支援を担当するキャリアー官僚(前総務省入省、船橋市副市長出向から復興庁)水野靖久参事官の600回に及ぶ暴言ツィート(本書ではその一部が明記されているが、余りの低俗ぶりにここに記すことははばかる。そしてこのツイッターが水野氏であることを突き止めた著者のスリルとサスペンスにあふれた記者魂とそのやり方も省く。本書で読んでいただきたい。)であった。「左翼のくそどもから、ひたすら罵声を浴びせられる集会に出席」とかいう口汚く罵るツィートは、被災者を見下し小ばかにする傲慢な意識がむき出しにされていた。水野参事官は「子ども・被災者生活支援法」の中身に当たる「基本方針」の取りまとめをしていたそうである。ツィッターが中傷する対象は、支援法の成立を主導した国会議員や、市民団体が含まれていた。問題は水野氏の個人的資質ではなく、復興庁被災者支援センターを占領する経産省官僚の「真意」が共有されているのではないかという疑われた。毎日新聞は2013年6月13日にこの問題を特報した。同日午後復興庁の谷副復興相と岡本統括官は謝罪会見を行ったが、個人の問題を強調した(水野氏への処分は6月21日付で、信用失墜行為による停職30日間、出向をやめ総務省へ戻し、近畿管理区へ降格人事)。「子ども・被災者生活支援法」は2012年6月21日に、議員立法によって成立した法である。その仕組みは、一定の基準以上の被ばくが見込まれる地域を支援対象地域とし、住民が避難・滞在・帰還のいずれを選んでも等しく支援することである。この法は理念だけの法で、一定の基準となる被曝線量や、支援対象地域はどこか、何を支援するかという中身を決める「基本方針」の策定は復興庁に任された。ところが制定から1年もたつのに、基本方針は示されなかった。そこへこの暴言ツィートが暴露されて、支援法に対する疑念が燃え広がった。これに反応したかのように2か月後復興庁は基本方針を発表した。その案では、一定の基準は示さず、避難指示区域周辺の33市町村に限定し、盛り込まれた119施策(ほとんどは他の法で実施中)のうち自主避難者向け支援はは4つに過ぎなかった。見事に法の趣旨を無視した「基本方針」はどのようなプロセスで生まれたのかを検証することが本書の目的となった。

1) 子ども・被災者生活支援法

3月11日夕刻に始まった東電福島第1原発の事故は3基(1,2,3号機)の炉心溶融メルトダウンと圧力容器溶融メルトスルーとなり、炉心で発生した水素ガスは格納容器に漏れて爆発限界に達し、3回にわたる水素爆発を引き起こした。そして核分裂生成物である各種の放射性物質が大量に格納容器から放出された。政府は最終的に20Km圏内の住民に退避指示を出した。ところがSPEEDIシステム動作不能で、当日のプルーム拡散予測ができず、20Km圏外(浪江町、飯館村)でも高い濃度の放射性物質が流れたにもかかわらず、多くの人が被ばくした模様である。こうして政府は1か月後の4月11日新たに「計画的避難区域」(飯館村、浪江町、葛尾町、南相馬市の一部、川俣村の一部「と「緊急時避難準備区域」(広野町、楢葉町、川内村、田村市の一部と南相馬意の一部)を指定した。政府が避難指示の基準としたのは「年間累積線量20ミリシーベルト」であった。東大小佐古敏荘教授は20ミリシーベルトでも危ないと言って文部省の方針3..8ミリシーベルト(政府の20ミリシーベルトを1日の生活パターンで逆算した値)に反対し内閣参与を辞任した。なを一般人の被ばく限度は年間1ミリシーベルトである。放射線職業従事者の被ばく限度は5ミリシーベルトである。福島で働き続ける父親を残して避難する母子を中心とした県外への自主避難者は最大時3万人であったといわれるが正確に把握もできていない。自主避難者の孤立無援ぶりが報道されるにつれ、支援の必要性が議論された。県や市町村の役人や有力者は自主避難者を故郷を捨てた人という冷たい態度をとった。国の原子力損害紛争審査会は一定の範囲から(23市町村)自主避難した日?都にも賠償金を支払う賠償方針を決めた。ただ東電が支払うのは一人当たり8万円のみであった。そこで「子ども・被災者生活支援法」の制定に向けた議論が国会で起こったのは2011年秋ごろであった。この法案の拠り所は「チェルノブイリ法」にあった。そして超党派議員立法が提出され、2012年6月21日「子ども・被災者生活支援法」が全会一致で成立した。支援法の特徴は「年間20ミリシーベルト」を下回るが、「一定の基準以上の放射線量」が計測される地域を『支援対象地域」と名付け、避難・残留・帰還のいずれを選択しても等しく支援するとした点である。本書の巻末に子ども・被災者生活支援法の条文が掲載されている。極めて短い法律であるが以下に纏めると、
第1条(目的)、第2条(基本理念)、第3条(国の責務)、第4条(法制上の措置)、第5条(基本方針)、第6条(汚染の状況ン着いての調査)、第6条(除染の継続的かつ迅速な実施)、第8条(支援対象地域内で生活する被災者への支援、残留組)、第9条支援対象地域以外で生活する被災者への支援、避難組)、第10条(支援対象地域以外から帰還する被災者への支援、帰還組)、第11条(避難指示区域から避難している被災者への支援)、第12条(措置についての情報提供)、第13条(放射線による健康への影響に関する調査、医療の提供)、第14条(意見の反映)、第15条(調査研究及び成果の普及)、第16条(医療及び調査研究などの人材の養成)、第17条(国際的な連携協力)、第18条(国民の理解)、第19条(損害賠償との調整)
この法律の項目と内容を見て唖然とするほどお粗末であることに気が付くのは私一人ではあるまい。あったらいいなというお題目が並べられているに過ぎない。これでは官僚にバカにされるのは仕方ないかな思う。第1条から第11条までは本法の趣旨に則る内容であるが、第12条から第19条までは他のすでに実施されている法との整合性をどうするのだろうか。例えば「福島復興再生特別措置法」、「東日本大震災復興特別措置法」がすでにあったし、福島県はむしろ「福島復興再生特別措置法」に期待をかけて動いていた。この特措法と支援法はいずれも復興庁管轄である。特措置法は制定から3か月後には基本方針が取りまとめられたが、支援法は1年たっても基本方針は定まっていなかった。復興庁も県庁も特措法にかかりきりで、支援法は放置されていたといえる。

支援法はそもそも残留組や帰還組は所属市町村や県が面倒を見るのは当然として、孤立無援の他府県への自主避難者の生活支援を目的とすることは明白であった。2012年12月自公連立政権が誕生し安倍第2次内閣が成立した。この政権交代がどう影響したのか支援法について方針が出ないまま2013年を迎えた。2013年3月7日原子力災害対策本部の会議で根本匠復興相が「支援法の線量基準を検討する方針」を示した。それには原子力規制委員会が科学的・技術的に協力するようにお願いしたのである。指名を受けたを受けた田中俊一規制委員長は受諾した。突如として微妙な線量基準値問題に規制庁が関与してきた。そして3月15日には「原子力災害による被災者支援施策パッケージ」を記者会見で発表した。100近い施策が列記されていたが、これが基本方針とどう関係するのか言及はなかった。しかもその施策は各省庁がすでに実施済みのものがほとんどを占めていた。自主避難者をすべて福島県へ戻したうえでの支援策であった。頭の規制委員会の放射線審議会が2012年12月から全員が任期が切れたまま空席状態となっていた。これも放射線審議会委員を任命して放射線審議会が任に当たるのかも不明であった。2013年6月23日田村市で除染についての住民説明会があった。田村氏は避難区域解除のトップバッターと見込まれていたが、秀田環境省参事官は「無尽蔵に予算があるわけでないので除染はとても納得できまるでやりきれない。希望者には線量計で一人ひとり判断してほしい」という驚くべき内容が含まれていた。朝日新聞は6月29日の記事で「政府、被ばく量の自己管理を提案」と、暗に政府は除染と危険線量管理を放棄する姿勢だという。線量基準には、復興庁、内閣府支援チーム(経産省出向者)、環境省、規制委員会の4つの省庁が絡んでいる。原発事故から2年経って政府は避難指示の解除や避難者の帰還促進の方向で動き始めたようである。しかし復興庁は線量基準については規制委員会で専門的技術的検討をお願いしたいとボールを投げ、規制委員会は低線量の線量基準は科学的には決められないと渋っている。とはいえ線量基準値問題の検討期限は1年である。2013年4月関係省庁の線量基準を決める会議が水面下でスタートしたらしい。顔ぶれは復興庁、内閣府被災者性生活支援チーム、原子力規制委員会、環境省である。線量基準を考えるにあたって、山下長崎大学医学部教授の100ミリシーベルトは除外して、次の3つの基準が存在する。一つは避難基準の年間20ミリシーベルト、環境省が除染目安の5ミリシーベルト(これは放射線従事者の職業被ばく許容量でもある)、最後に一般人の被ばく許容量の1ミリシーベルトである。ということで支援策検討は2013年7月21日の参議院選挙の後に先送りされた。

2) 理念が骨抜きの「基本方針案」

参議院選挙が終わり、安倍内閣はねじれ現象を解消したので、2013年8月よりこれまで水面下で進められてきた検討会を表での議論に移すことになった。つまり2014年春に避難指示解除と住民帰還へ向けたシナリオが表面化した。2012年9月1日に発足した原子力規制委員会は3条委員会の高い独立性を持つ委員会である。同委員会は2013年9月17日より線量基準検討チームを立ち上げた。8月7日には原子力災害対策本部会議があり、避難域再編成が完了した。被災者支援団体「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」は復興庁を相手取り、基本方針案の想起策定を求める行政訴訟の準備を進めていた。基本方針の策定を規定する法律150本のうち、140本は1年以内に基本方針が策定された。1年以上も放置するのは異常である。そして8月22日東京地裁に提訴した。すると提訴から1週間後の8月30日復興庁は基本方針案を明らかにしたが、内容はお粗末でおざなりである。線量基準はあいまいなまま、施策110本はすでに他省で実施されている政策の相乗りに過ぎなかった。支援対象域を33市町村に限定した。自主避難者への配慮は微塵も見られない切り捨て方針であった。支援法の第1条は「放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていないなどのため」と記されているのは、科学的に解明されていない事項でも危険を及ぼす恐れがあるときは「予防原則」により規制を加えることができるとする。低被曝線量は「健康被害が科学的に実証されていないから被害はない」というのではなく、現実的な健康リスクと捉えて対処すべきというのが欧州では常識化している。宮城県丸森町の1マイクリシーベルで「被害はあり得ない」といって「不安に過ぎない」と根本復興相がいって住民の要求があるのに丸森町を切り捨てるのは間違っている。根本大臣はグレーゾーンには「準支援対象地域」を新たに定めるというが、具体的言及はない。官僚的言いなだめに過ぎないかもしれない。この基本方針に対して9月13日までの2週間パブコメを受け付けると発表した。そして基本方針の説明会を福島県で行うことを決めた。2013年9月11日福島文化センターで基本方針説明会が行われた。住民は冷ややかにこれに対応した。また福島県の佐藤雄平知事の反応は、評価しているのかどうか曖昧である。基本方針に対する被災県福島県の反応は日野行介著 「福島原発事故 県民健康管理調査の闇」に書かれたように、県民側というより国側と一緒に事態を収めようとするに態度が滲んでおり不透明である。復興庁は10月10日パブコメの内容説明会を記者向けに行った。4963件のパブコメで基本方針を可とするは2件だけで、支援地域を限定したことに対する批判は2700件もあった。最初から政府はパブコメを参考にする気はなく、環境影響評価と同じくやったというアリバイ作りに過ぎなかったようだ。そうして11日午前に予定通り基本方針を閣議決定した。

3) 規制委員会の「帰還に向けた安全安心対策検討チーム」

原子力規制委員会の田中俊一委員長は、2013年8月28日「帰還に向けた安全・安心対策に関する検討チーム」の設置を決めた。3月の原子力災害対策本部会議の要請を受けた形である。しかし規制委員会の委員からは「これは規制委員会の役割から踏み出した内容である。規制機関が安全安心の広報活動を行うのはいかがなものか」という批判が出た。検討チームのメンバーは明石放射線医学総研理事、春日国立医薬食品衛生研究所部長、丹波福島県立医大特命教授、星北斗星総合病院理事長、森口東大教授の5名である。明石、春日、星氏の3名は県民健康調査検討員会の委員であった。県民健康調査検討員会の批判があるので、委員会の事前すり合わせ会は行わない、シナリオを根回ししないことが確認されたという。こうして2013年9月17日検討チームの初会合が行われた。帰還に向けた除染がほとんど進んでいない中、個人線量計の普及を図る案が浮上した。これにたいして学習院大学の赤坂教教授は「除染を放棄して、避難している人の首に個人線量計をぶら下げて自己責任の下で町村に帰還させることが企てられている。原発難民から原発棄民へ、生存権が脅かされている」と抗議した。しかも個人線量計はなぜか航空機モニタリングの結果より低く出ることが明白であるにもかかわらず、このゆがんだ帰還方針が安倍内閣の参議院選勝利後に決まった。欺瞞の上に欺瞞の上塗りが政府官僚の手で行われようとしている。9月17日検討チームの初会合では帰還に向けた各省の政策取組状況報告会の観を呈した。「故郷帰還準備宿泊」、「早期帰還・定住プラン」などである。春日委員は「最初から安心感ありきではなく、被災者一人一人の不安に基づく選択尊重すべきである」と言った支援法の趣旨に基づく意見がだされた。関係省庁は「帰還ありき」の姿勢である。森口委員は「安心だから帰りなさいと云っているように聞こえる」帰還以外の選択肢を提示するように復興庁に求めた。第2回会合は10月3日に行われた。復興庁は復興公営住宅を説明したが、建設予定戸数は3700戸に過ぎなかった。また個人線量計と航空機モニタリングの結果が比較された。個人線量計の被ばく量は4分の1(1/3-1/7)となっていたので、森口委員は「何か意図があってこういうデータの作り方をしているのか」と不信感をにじませた。春日委員や森口委員は「この検討チームでどこまでの議論をしていいか明確でない。当事者の要望を聞き取っていない」と食い下がったが、事務局は「時間がない」と逃げて、結論在りきのアリバイ作りに過ぎない検討チームの位置を匂わせるものであった。11月11日に第4回会合が行われ最終会合となった。わずか2か月の机上検討で官僚の資料だけ議論したに過ぎない検討チームは恥ずかしくも最終提言をまとめた。そしてその提言とは、20ミリシーベルト以下になった地域の避難解除を妥当と結論付けた。個人線量計を重視することなど最初からの政府の方針通りに決められていった。このような提言に手を貸した田中規制委員長の政治的立場は明確となった。これでは政府の宣伝マンであり、原発再稼働認可のはんこを次々押してゆくことだろう。審議会や検討委員会などの委員になられる学者や専門家の良心的な意見は何一つ採用されないことは、昔からの常識である。原発事故が起きても相変わらず官僚のやり方は変わっていない。この国は腐敗している。

4) 復興庁支援チームのチェルノブイリの教訓無視

支援法は、第1条、第8条、第13条のそれぞれの「一定の基準以上」の放射線量という言葉があり、支援対象地域を「避難指示が行われた基準を下回っているが一定の基準以上」と書かれているの、「一定の基準」とは年間20ミリシーベルト以下でなければならない。支援法のモデルは旧ソ連のチェルノブイリ原発事故後1991年にロシア、ウクライナ、ベラルーシ3国で成立した「チェルノブイリ法」がモデルであったといわれる。被災地を4つのゾーンの区分し、条文で具体的な線量基準で規定している。法の基準値を政令などで決める官僚裁量主義の天国である日本とは大変異なる。支援法第5条は「政府が基本方針を定めなければならない」としているが、これでは政府官僚にフリーハンドを与えたようなもので理念法の甘さである。チェルノブイリ法の4区分とは@疎外ゾーン:原発付近30km圏内と事故時避難が行われた地域、住民の定住は禁止、A義務的移住ゾーン:年間5ミリシーベルトを超える地域、原則居住を認めない、B自主的移住ゾーン:年間1−5ミリシーベルトの地域、移住か居住か本人が選択、C放射線生態学管理ゾーン:年間0.5ミリシーベルト以上の地域、妊婦、18歳以下の児童に移住権利がある。議員立法を推進した国会議員にも政府と論戦する気概が必要だが、あっさり政府に基準設定を預けてしまった。戦わずしての敗北である。そして支援法の趣旨さえも官僚に方向をねじ曲げられてしまった。いろいろな住民の選択肢を尊重するはずが、帰還ありきの(帰還しない人を差別、棄民する)方針にねじ曲げられた。政治家・議員の責任は重大であった。政府は2011年11月「低線量被ばくの健康管理に関するワーキンググループ」を設置し、長瀧長崎大名誉教授、前川東大名誉教授らの放射線研究者を委員とし、細野豪志原発自事故担当大臣・内閣府・環境省・復興庁が参加して1か月と10日で8回の会合を開いて、12月22日には報告書をまとめた。内容の骨子は、@政府が避難指示基準とした20ミリシーベルトの被ばくの健康リスクは十分低く妥当であった。A除染は長期的な目標として1ミリシーベルトを目指すというもので、これを受けて野田首相は12月16日事故収束宣言を出した。如何にも結論(収束宣言)ありきのアリバイつくりの審議会で、1か月の短期間で結論を出すとは、調査もなく従前知識を確認しただけで報告書作成のための会合であった。この会合での重点は、エートスプロジェクト、リスクコミュニケーションにあって、線量基準にこだわらず、放射線汚染のある地域で暮らすにはどうしたらいいかという点である。線量基準(一般人は年間1ミリシーベルト以下)を恣意的に無視、または規制緩和し、福島の被災地住民は帰還したければ高い線量でも我慢すべきだというに等しい議論ではないか。しかしその前の2012年2月28日から3月7日に内閣府の被災者支援チームは現地調査に出かけ、「チェルノブイリ出張報告」が8月に作成されていた(5か月近くもたってたった30ページの出張報告とはあまりにお粗末ではないかという疑問が残る)。支援チームの菅原事務局長以下復興庁の官僚ら10名で、ロシア訪問班とウクライナ・ベラルーシ訪問班の2班に分かれた。報告書の内容は「チェルノブイリ原発事故によって6000人以上の小児性甲状腺がんが発生したが、白血病など他の疾病との因果関係は確認できない」という証言を採用している。そして福島原発事故の放射性物質の大気放散量はチェルノブイリ事故の数分の一だということから甲状腺ガンの発生は少ないだろうとしている。一方チェルノブイリ法の5ミリシーベルトや1ミリシーべルト基準は過度の厳しいものとしてこれを否定している。チェルノブイリ事故を他岸の火事とみて、そこから有意な教訓を汲む姿勢は全くなく日本の福島原発事故だけは別もので、根拠もなく影響は少ないだろうと推測している。では何をしに支援チームがたった1週間のチェルノブイリ調査に出かけたかというと、自分たちの目と耳でチェルノブイリ事故を見て判断し、福島原発事故はたいしたことはないと言わんがための作文作成の為であろう。原発推進元の官僚たちがわざわざチェルノブイリ事故を真摯な気持ちで学びに行ったのではなく、チェルノブイリ事故の教訓を否定するがための欺瞞工作である。この報告書は公開されていなかったが、経産省など原子力ムラの機関のあちこちに配布されていた。なぜなら支援チームのメンバーは一時100人を超えたがいまは30人ほどで、ほとんど全員が経産省出向者で占められていた。内閣府と言っても各省庁官僚の出向者で構成されており、政治家を官僚が封じ込める伏魔殿といってもよい。

5) 被災者支援政策の欺瞞

2013年12月6日「特定秘密保護法」が成立した。「情報公開法」がある中で、それと完全に矛盾する法が成立する日本という法治国はいい加減なのもである。どちらの法を優先して全面にだ出すかは官僚の裁量ひとつという危い国なのである。最近安倍第2次内閣は警戒すべき反動性を露わにしている。参議院選挙勝利で安定多数を確保した自民党政権は国民の権利の制限に乗り出したとみられる。そして2014年夏ごろから、政府とメディアは従軍慰安婦証言問題と吉田所長撤退命令問題で、ここぞとばかり朝日新聞を攻撃している。吉田所長が撤退禁止命令を出したかどうかを巡る問題で、現実には10数名の保安要員を残して大多数の所員が第2原発に避難していたのである。これを人命重視の避難というか命令違反の逃亡というかは推測の表現の問題であるとして、2014年9月27日に表現と報道の自由を侵すものとして日本弁護士会は朝日新聞に対して「記者を処分しないこと」を求めた。原発事故被災者支援政策も住民の要求に応じた対策から、政府のご都合主義的な強権政策へ最近大きく方向性を変えてきた。国民の権利を制限し、有無を言わせない中央集権的強権政策は官僚が最も好む性癖、本性と言ってもよい。復興庁は2012年8月より避難者に足して意向調査を行ってきた。選択肢から選ぶ調査法にはおのずと誘導がつきものである。世論調査と同じ思惑が仕組まれている。その時点では戻りたいとも戻らないとも判断がつかないが30−40%を占めていた。戻りたいという意見が上位を占める自治体はなかった。帰還に必要な情報としては、放射線量の低下、社会インフラ復旧のメドが一位で、帰還しない人の理由の第1は放射線量に対する不安が一位であった。もともと何ミリシーベルト以下という基準については設問を避けていた。一方早稲田大学辻内准教授の「深刻さ続く原発被災者の精神的苦痛」と題する調査研究がある。東京都と埼玉県への避難者と福島県内の仮設住宅に住む避難者に対する2012年と2013年のアンケートを2回実施した。2012年度は490回答/1658世帯、2013年度は499回答/4268世帯であった。この調査で避難者は心的ストレス障害PTSD症候が極めて高いことがわかったという。避難解除に当たって許容できる年間被ばく量を尋ねたところ65−70%の人は、追加線量ゼロか1ミリシーベルト以下を選んでいる。政府避難基準の20ミリシーベルト未満を選んだ人はわずか2-6%に過ぎなかった。専門家は住民に線量基準を聞くことは避けているが、知識を与えるという尊大な態度の裏返しに住民をモルモット視しているためで、住民は明確に新たな線量負荷を拒絶している。元に戻せと言いているのであって、どこまでなら辛抱するではないのである。2014年3月9日毎日新聞でも帰還が最も早いと噂される田村市全世帯を対象とした調査を行った結果を記事にした。回答87世帯/全117世帯で帰還に当たって被ばく線量は66%が1ミリシーベルト以下であった。しかし政府は2014年2月23日田村市の住民説明会で4月1日をもって避難解除をすると発表した。富塚市長らは賛成の立場で説明したが、これ以上森林除染はやらないということであった。はたして住民の何割が戻ることになるのだろうか。親子2重生活のまま帰還扱いになるのだろうか。支援チームが2013年9月に実施した田村市での個人線量計調査は「想定以上の高い数値が出たため、検討会には提出しなかった」として未だに公表されていない。田村市の林業では6.6ミリシーベルト、標準シナリオでも4,4ミリシーベルトであり、一般人の許容線量である1ミリシーベルトよりかなり高い。これでは不安を与える逆効果となるので公表を渋っているのであろう。それでも田村市の帰還を推進するということはどういう神経をしているのであろうか。政府復興庁支援チームは帰還第1号という成果を上げるための危険な賭けのリスクを黙って帰還住民に背負わせるつもりである。

2013年10月放射性医学総合研究所と原子力機構は、避難指示のあった6自治体の調査を7月ごろから行ってきたが、特に解除の近い田村氏と川内村に絞って測定―データを中間報告という形で復興庁支援チームに提出した。ところがこの報告書は公表されていない。なぜかというと、住民の関心が強すぎて結果が思わしくないのでとても出せなかったというのが実情であろう。著者が2014年3月に入手した最終報告書では、「屋外8時間、屋内16時間」という標準的な林業の生活パターンをに替わって、NHK放送文化研究所がまとめた「国民生活時間調査」の生活パターンが採用され、屋外滞在時間が農業と林業で6.27時間と恣意的に短縮された。2013年9月に実施された田村市での個人線量計調査は、田村市の林業では6.6ミリシーベルト、標準シナリオでも4,4ミリシーベルトであったが、それが今回の最終報告では林業が4.8−5.5ミリシーベルト、農業では1.3−3.6ミリシーベルト、職業区分はサラリーマン・学生に替わって教職員となっていた。一旦推計した結果を伏せて、こっそり生活パターンをより暴露の少ない時間へ変更して計算をやり直すのは不誠実で恣意的であるといわざるを得ない。官僚に追随した専門家の先生たちの見識を疑う。こうして改竄した報告書さえ帰還住民から猛反発を受けると見た支援チームはこれを公表しなかった。そもそも官僚の習性は、自らの方針に沿った都合よい情報だけを選択して、都合よい時期に公表するということである。毎日新聞、朝日新聞、東京新聞などのメディアは2014年4月よりこの問題を取り上げ、様々な批判記事が掲載された。それを見た政府は田村市の避難指示解除が出た4月1日よりおくればせながら4月18日支援チームの記者会見を開催した。政府はメディア攻撃に終始したが、記者からは一番情報を知りたかった人(田村市の帰還住民)には知らせなかったのは許せないという批判が相次いだ。「自らの誤りは決して認めず(官僚無誤謬性の原則)、批判する報道は許さない(知る権利・批判する権利の制限)」という戦前の天皇制官僚体質がそのまま維持されていることに、むしろ記者は恐怖を覚えたと著者は書いている。4月23日規制委員化の定例記者会見で、田中委員長はメディアに対して不快感をあらわにしたという。規制側の機関の長も推進側の論理に迎合しているようである。彼は「正義の味方」なんぞではなく、推進側官僚の役者の一人と理解したほうが現実ではないだろうか。田村市に続いて、川内村は4月には役場機能を川内村に戻したが、2013年8月1日現在帰還者は1666人/全住民3000人にとどまっている。川内村内は避難指示解除準備区域と居住制限区域が混在する村である。川内村は帰還に向けた準備宿泊が何回か行われたが、だいたい対象者の1−2割の参加率であったという。2013年8月17日政府は川内村東部の避難指示を解除すると決定した。ところが6月16日石原伸晃環境大臣が「最後は金目でしょう」と発言し、「被害者を嘲笑い、愚弄するものだ」として被災地住民と国民の猛反発を受けた。オヤジと同じ暴言の輩であった。石原大臣の辞任を求める運動が巻き起こった。2014年7月3日原子力規制員会で「帰還に向けた安全安心対策検討チーム」の会合が行われ、「相談員制度」が話し合われた。これは政府のリスクコミュニケーションの一環で復興庁が2014年2月に提案していたものであった。森口委員は会合を欠席し、一枚の意見書を提出した。そこには「個人線量計を重視する方向に不信感が生まれている現状に鑑み、相談員制度よりも個人線量計など検討チームが本来求められている役割を果たす会合を開くべき」と主張した。もともと規制委員会が復興庁支援チームの提灯担ぎに過ぎない「帰還に向けた安全安心対策検討チーム」に参加すること自体、規制員会の職務を逸脱した行為だという批判が委員の中にあったことを受けている。


読書ノート・文芸散歩に戻る  ホームに戻る
inserted by FC2 system