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坪田耕三著 「算数的思考法」
岩波新書(2014年3月) 

今 小学校の算数教育の現場では ー共生・共創の楽しさ

この本を手にするまでは、人の生活の中で「数」がいかに大切かということや、自然界で「数」が持つ哲学的意義のことや、数学でいう「数論」のことかなと想像していた。本書を一瞥して、本書は小中学校での算数教育のことであったが分かった。そのことは著者坪田耕三氏のプロフィールを紹介すれば一目瞭然である。著者は1947年東京生まれ、青山学院大学文学部教育学科卒業、直ちに教育大学(現 筑波大学)付属小学校教師となり、以降40年間教壇に立った。筑波大学付属小学校副校長を経て筑波大学教授となった経歴現在はの教師である。現在は青山学院大学教育人間科学部教授、早稲田大学教育学部にも籍を置く。教育活動としては元全国算数授業研究会会長、ハンズオンマス研究会代表、NHK学校放送算数番組企画委員などを勤め、教科書の著者や学習指導要領作成協力者の活動があった。著書には「算数楽しく授業術」(教育出版)、「算数楽しくオープンエンド」(教育出版)などがある。主として小学校での算数教育一筋の経歴であった。私たち理科系の人間にとって当たり前のように通過してきた小中学校での算数から数学へ、さらに高校の数学を振り返ると、どうして理解してきたのだろうかと逆に不思議な思いに駆られる。私たちの時代には確か計算は寺小屋式の「算盤」から教わったと思う。それが今では電卓があるので、算盤は教育しないらしい。算盤式計算(4つ玉)には足し算には位の繰り下げ繰上げがあって、掛け算・割り算も筆記式計算と同様なので、違和感なく計算のメカニズムは通過してきた。今でも役に立つのは頭の中(手のひら)に算盤を置いて暗算をして素早く計算できることである。これは一生の宝であった。算盤を習っていない人に対して、少し鼻が高いと感じるケースが多かった。思うに小学校の算数とは四則演算のことなのだろうか。そういえば、小学校の算数の指導要綱を読んだことはないので、どこまで履修することになっているのかわからない。本書を読むときに注意しなければならないことは、大人の頭で考えたら、ルール違反になることである。何も知らない子供たちが(どこまで知っているか、体得しているか不明として)、どのような思考過程を経て正解に至るかに思いをめぐらすことであろう。算数とはなにやら文法を理解することに近い。あの無味乾燥な文法の規則を習うことで、日本語の文章が嫌いになることが多いように、計算の手順だけを棒暗記(九九表)してしまう術に長けた秀才には創造性がない。本を読むことが文章理解の導きとなるように、数に親しむことで算数が好きになるということが結論であろうが、むしろ引っかかって立ち尽くす子どもの方に思わない才能があるのかもしれない。そこが教育の難しさといえる。教育学とは知育発達学(精神面は別にして)だとすると、理解、認識、創造性といった科学的な側面が強い社会科学である。

本書は学習指導要綱(算数)を読まないと、クリアーには納得できない。要綱(要領)のポイントを付録に付けておいてくれればもっと本書の趣旨を理解できたのにと悔やまれる。1年生はここまで、2年生はここまで、・・・・・・というように、どのような教材を使ってどこまでを理解の達成目標とするという記述である。そうしないと本文のレベルの違う計算問題に対処するとき、どこまでのステップから高度な問題に進むのか、理解できない子どもはどこの知識でつまずいているのかが分かってくる。小学校では「算数」といい、中学校・高校では「数学」という学科は、現在の数学の体系の中の初歩と考えた時に連続性はあるのだろうか。算数はリテラシー(実用性)だけであればいいとすれば、抽象を旨とする現代数学とは無縁である。だけど数の不思議はそこにあるのだから、人の脳細胞の構造までさかのぼらないとその面白さは分からないといわれる。本書のまえがきに「算数は考えの泉」という。すなわち論理的思考法(1+1は2、ゼロでも3でもない)を養うことにある。論理学は立派に数学の一部である(バートランド・ラッセル卿は哲学の論理学者であったが同時に数学者とみなされていた)。そういう意味で考えると、本書で扱っている問題には多少問題がある。論理だけで詰めてゆけない、試行錯誤で一つの答えを出す(本当は答えはたくさんある不定問題を扱っている)「足したら10となる数字の組み合わせ」といった類である。注意力・集中力を養うというらしい。答えは一つではないことをわからせるのが目的である。パズルのようなトリックのような数の問題が多数採用されている。ハッとするような発想の仕方(ガウス少年の例で、1から100までの数字の和は101×100÷2=5050 頭と尻をひっくり返して足す有名な例だが、公式や応用性はない)も教育の一つらしい。
子供の興味を惹きつけ、アイデアを促す良い問題を作るには教師側に次のような注意が必要であるという。@ 誰にでもわかる表現 A 難しいこと Bやって価値のあること である。
また算数的思考を促す要点を次のようにまとめている、@体験が納得を深める A 疑問を持つ・疑問に答える Bあきらめずに頑張る B解決のタネは自分の中にある D助けを借りて磨くということだそうだ。
算数的思考法とは、発見的な物の見方・考え方、そして創造的な心であると著者は結論します。問題を解く楽しさだけでなく、考える事のすばらしさを体得するすることが算数教育の目的です。本書は第1章から第5章までが上に書いた「算数的思考法」の養い方の要点です。終章が「心に火をつける」となっています。算数問題の解き方は大人にとって(特に理系の人間には)解説の必要がないくらい自明なことなので省略し、子どもが学ぶ点のエッセンスのみを書き止めます。

第1章 体験が納得を深める

手を動かして算数を学ぶlことは、算数を体験することです。本当に価値のあるアイディアは試行錯誤の中からうまれるといいます。試行錯誤を楽しめる人は、学びを楽しみながら理解から納得へ深まってゆきます。試行錯誤の例(教材)として、ひも(紙でもいい)を2つ折り(3つ折り、4つ折り・・・・)にして真ん中を切ると断片はいくつでしょうかという問題、典型的な三角定規(45度直角、60度30度直角三角形)の2つを組併せて、15度、35度、75度、105度、120度、165度、180度、150度の作り方を試行錯誤で求める問題です。ところで小学校で三角形の内角の和は180度、4角形の内角の和は360度という平面幾何学の公式は習うのでしょうか。これは教師の後付なのでしょうか。「中学校学習指導要領解説数学編」には@機能的な考え、A類推的な考え、B演繹的な考えが算数的思考の基本だと解説されている。級数式はn=1、2で確認し、nを含む式を一般化し、n=n+1でも成立することを確認すればその式は正しい。前半は帰納の考えで、後半は演繹の考えです。

第2章 疑問を持つ、疑問に答える

なぜという疑問を持ち答えを見つける過程で、論理的思考は養われるといいます。そして人に向かって説明をし、一緒に共有できることで初めて完成する。これはコミュニケーションの基本でもあります。共通の言葉で語って分かり合える内容でなければならない。小学校1年生に足し算と引き算の概念教えます。まずは繰り上げや繰り下げのない一桁で終わるケースをおしえ、次に足したら桁がくり上がる、引いたら桁がくり下がるケースを教える。そのための教材として昔は数え棒を、今はおはじきやブロックや絵本が使われているそうです。次に小学校5年生で学習する台形・長方形・三角形の面積公式を辺の長さという代数式を使って公式化するという、本格的な算数的思考を学びます。ここで具体的数値ではなく、代数という記号を用いて一般化(公式化)することのすばらしさ(便利さ)を会得します。立体幾何学の初歩として、展開図の折り方(折り紙の延長として)を理解します。私的なことを言うと私は立体幾何学の複雑なレベルは頭に描くことが不得手であった。この辺の訓練ができていなかったのだろう。良い教材に巡り合わなかったのだろうと思う。

第3章 あきらめずに頑張る

解き方もいろいろ、答えもいろいろ、一筋縄で行かないことは世の中と同じ。どんなに時間がかかっても、集中して考え、答えの一つが見つかった経験は何にも代えがたい経験となります。答えはいつもひとつとは限らない問題を「オープンエンドの問題」という。多様な答えを期待してつくられているからです。解析的な答えは一つですが、代数問題でも不定問題があり、微分方程式は境界値をしっかり決めないと求まりません。宝くじの末尾一桁(金額は少ないですが)の当選は多数あるようなことです。九九の表の数列(縦・横・斜め・対称など)の順に見てゆくとさまざまな決まりが出てきます。おそらくそれは1,2,3,4,5,6,7,8,9の数しかないからで、そこから出てくる結果のパターンに限りがあるということだろうと思います。割り算においても一度同じ数の余りが生じると永遠にパターンが繰り返します。それを教育現場ではジオボードという教材を使うそうです。私は見たことはありません。面白い治具にようなものを使います。次の例は正方形を数個つないでできる平面ブロック形状のパターン認識を教育現場では「ポリオミノ」というそうです。まず子供のブロック遊びと同じです。1個のブロックなら1個のパターン、2個のブロックなら1個、3個のブロックなら2個、4つのブロックなら5個、5つのブロックなら12個などねずみ算式にパターンは増えます。回転や対称形の認識もして省いてゆかなければなりません。立体の正方形ブロックですとさらに複雑になります。ここではどんな法則を導くかではなく、持続力・集中力をもって一つのことを考える訓練です。数理統計学で学生にサイコロを投げ続けさせる演習みたいなものです。またジオボード(輪投げの受ける方)を使って、平面幾何学のお遊びもあります。

第4章 タネは自分の中にある

間違った経験に発想の転換を促すアイディアが詰まっています。「セレンディピィティ」とも言えます。例として分数の割り算で割る方の分母を割られる方の分子に掛け、分子を割られる方の分母に掛ける方式がありますが、これをまともに分子、分母同志で割った子供がいます。あながち間違いとは言えないのです。割り切れなかったのでどうしょうもなかったのですが、もし割り切れたならそれも正解です。8/15÷4/5がそうです。答えは2/3です。分数の割り算のやり方の簡単に言えば同じことをやっているのです。マッチ棒で4角形を横一列に並べて作るケースでは、100個の正方形を作るには何本のマッチ棒が必要ですかという問題です。これを実際に作ってゆく人はいないので、端から辺の本数を数えて、1,3,3,3、…という規則で作られるのでマッチ棒の数は(1+3×n)と置けばn=100を代入して301本となります。もちろんこの式の立て方にいろいろな解法があります。もちろん代数は小学校ではやりませんので、具体的数値で考えます。マッチ棒で作る三角形でも、(1+2×n)と考え、n=100を入れると201本のマッチ棒となります。本書では必ずしも小学校の問題ばかりではなく中学校の数学の問題も交じっています。断りがない場合、これは小学生に解けるのかなという疑問が出ますので、中学生の問題だと判断します。円の面積π×(半径の自乗)を使った幾何学の分画の面積計算やピタゴラスの定理などがそれです。

第5章 助けを借りて磨く

ほかの人の一言がヒントとなってたちまち答えが見つかることがあります。算数は、五感と心をオープンにし人の考えを認め大切にする気持ちを養う、社会性を獲得する場でにもなります。マッチ棒で正方形で作るケースで答えを先に言って、解法別のヒントを与えてこれはどうして求めたのかを質問することもできます。これこそ教室現場の問題です。これを「逆問題」と言います。こうした教材の仕掛けには工夫が必要です。良い仕掛けには次の条件から成り立ちます。@多様な考えを喚起する A面白い考えを共有できる B一緒の学びを体験できる「共同的思考体験」 C具体的体験から感得できる「ハンズオン・マスマティック」です。例えば平面幾何の問題で学習度到達速度調査(OECD-PISA)で、「L字型の部屋の面積を求めるのに必要な4か所の辺を示せ」という問題がありました。「わかるの段階」には@答えが分かる A違いが分かる B同じが分かる C仕組みが分かるの4つの段階があるそうです。特に幾何学では図形の違い、同じ、どう計算するか、図形を分解・合成・作図して仕組みを知るの4段階の「わかる」があります。

終章  心に火をつける

教師と生徒の信頼関係は良い環境を作ります。それには教える側の気持ちの余裕とユーモアが必要です。そして子供はやる気を起して煥発するのです。授業は誰のものかという教育論が終章で述べられています。教育現場では他の教師の授業を参観して評価し勉強する「授業研究」が盛んです。著者は授業を構想・観察する5つの視点をまとめます。@狙いを達成する A授業の導入 B指名・発表者 C多様な考えを取り扱う Dまとめるということです。辰野千尋氏は良い教師とは、「子ども好き、世話好き、勉強好き」な先生だという。東北大学の西澤潤一氏は「最高の教師は、子どもの心に火をつける」、つまり子供はどうすれば動きだすか、どのように動くかという子どもの動きに徹底的に付き合ってゆかなければいけません。そして著者の結論は「みんな違っていていいのだという共生の精神と、みんなで一つのことをという共創の精神を養うこと」が大切だ。これ算数の場合だけでなく、教育の理念でもあります。


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