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むのたけじ著 「99歳一日一言」 
岩波新書(2013年11月) 

99歳のジャーナリストによる示唆に富む知恵のことば 365の箴言

むのたけじ氏を紹介する。大正4年、秋田県生まれ。旧制県立横手中学校から東京外国語学校卒業。報知新聞記者を経て、1940年朝日新聞社に入社、中国、東南アジア特派員となるが、1942年ジャカルタ支局に移動し「ジャワ上陸作戦」に従軍した。敗戦を機に戦争責任を感じて退社。1948年秋田県で週刊新聞「たいまつ」を創刊、反戦の立場から言論活動を続けた。1978年「たいまつ」は休刊。2011年8月14日NHK BSプレミアム放送の『100年インタビュー「96歳のジャーナリスト・むのたけじ」』にてジャーナリストとしての思いを直言し、鋭く雄弁に語った。2012年、花巻市の「宮沢賢治学会 イーハトーブセンター」から第22回イーハトーブ賞を受賞した。2013年5月10日放送の報道ステーションに出演し、自ら体験した戦前・戦中の表現の自由、言論統制を振り返りつつ、憲法改正の議論に対してジャーナリストの立場から意見を述べた。主な著書に「たいまつ16年」(理論社1963年)、「ボロを旗として」(イズミヤ出版2003年)、「歩みだすための素材」(三省堂1968年)、「開放への十字路」(理論社1973年)、「戦争いらぬやれぬ世へ」(評論社2007年)、「戦争絶滅へ、人間復活へ」(岩波新書2008年)、「いのち守りつなぐ世へ」(評論社2008年)、ほか「詞集たいまつ T−Y」などがある。私は同じ岩波新書でむのたけじ氏の本を読んだことがある。むのたけじ著 「希望は絶望のど真ん中に」(岩波新書 2011年8月)は次のような内容であった。
『「ジャーナリズムは死んだか」という問いにむのたけじ(武野武治)氏はこう答える。「誤魔化してはダメだよ。ジャーナリズムはとっくの昔にくたばった。ジャンーナリズムを生き返らせるためにみんなで命がけでがんばろう。アルカイダのビン・ラディン氏が米軍に射殺される前に誰が命がけでインタビューをしにいっただろうか。ラディン氏はテロと呼ばれていたが、その組織の目的や弁明を聞きにいった人はいるのか。9.11後10年目の切りのいい年にラディン氏は口をふさがれた。発言させないで殺すことを望んだ人がいるのではないかと疑った人はいるのか」と。ではジャーナリズムの本質とは何だろうか。「ジャーナリズムは世の中に続発する動態についてその原因と過程と結果を明らかにして、さらにその結果が次の原因となる道筋を明らかにすることが任務です」という。ところが報道企業は本来の性質や任務から離れてしまい、社会情勢はますますこんがらかっていった。日本国民が国家の主権者として社会生活を立て直す決意があるならば、ドイツのように戦争にまつわる一切を自分達の手で徹底して裁かなければならなかった。1945年当時の日本の支配者は戦争責任は東京裁判で終ったことにして一切の責任をあいまいにして、米国の従属国として自分らの支配を認めてもらう方向でごまかした。米軍は占領後、共産中国の成立と朝鮮戦争によって冷戦構造に日本を巻き添えにする方針に転換した。日本国憲法第9条は今から考えると、戦争に勝った連合軍が日本国に下した「死刑判決」であった。これは未来永劫に日本の心臓を抜き取る死刑作業であった。すくなくとも占領軍の意図はそのつもりであった。日本は格別に欧米諸国から嫌われていたのだ。この歴史的事実を前に、戦前回帰(憲法改正・再軍備)を企てる支配者の代理である歴代自民党政権が怠った戦争責任の反省を徹底し、戦争を廃絶する闘いに日本の市民が先頭を切る決意をすることであるということが本書の結論である。』  当時97歳にして反骨のジャーナリストの精神がほとばしる。

本書「99歳一日一言」はガラッと変わって、99歳という死をまじかに感じる年齢で、知恵に満ちた言葉を残そうとしている。著者はこの本の冒頭に「この本の中には、これこそ人生の真実、歴史の証言と言える言葉があると確信します。この本をポケットに入れて、生活の隅々を清めれば、人々はきっと自分の言葉、自分の叫びを発します。」と述べている。氏は自分たちの言葉に自分たちの生命と生活をぶち込もうという精神で、5年ほどまえから大判ノートに「語録」を書き溜め、またスローガンを色紙に書き殴って言葉学習に努めてきたという。大判ノートの語録集は10冊、色紙は1100枚を超えたので、息子の大策氏が編集の労にあたった。語録と色紙から抜き出した語句2000句から、
冬 (夜が朝を産む)
春 (いざ 三歩前進)
夏 (自分を鮮明に生きる。それが美しい)
秋 (死ぬときそこが生涯のてっぺん)
の4つのイメージで編集し、さらに各々3つの中心的なテーマを与えて、合計12か月に分けたという。そして365の語句を充てたのである。季節と月、日にちはイメージであるので、実際の暦ではない。内容的に類似する語句を編集したまでである。親子の編集作業で出来上がった本はそのまま息子への遺言集になっているように思える。大策氏は「先の世代が後の世代にその経験をキチンとした情報として残すことができるのは、あらゆる生き物でおそらく人間だけが持っている能力です。この能力を存分に利用することが大切です」と述べている。内容的には難しいことは何もなく、前書に比べて鋭い切込みや政治的批判は影をひそめ、示唆に富む知恵のことば集となっているので、数時間で読み切ることができる。そして時間をかけて反芻し味わって欲しい本となっている。そこで本書を12か月(12のテーマと理解してください)に分けて、印象に残る言葉を纏めてゆきたい。とかく箴言とは反語で練られた持って回った言い回しになるのが普通だが、むのたけじ氏は比較的すなおな言い方で淡々と語っている。真理は多面で矛盾するものだ。だから相反する格言も存在するが、それは状況ごとの真実(実存主義)かもしれない。

1月

「自分こそ一切の原点、最悪の敵も自分、最善の味方も自分」に始まる、自分を見つめる章である。
「自分を救うものは自分であって、他の誰でもない」
「1個体、そこが人間存在の意義と誇りの土台だ」
「一人の力、それを軽視するものは、自分の人生の岐路で自分に裏切られる」
「たった一人の決意から歴史が動くことがある」
「安定と変化を貰いたがる、わがままと怠けの克服」
「チャンスは待って来るものではない。自分で作り出せ」
「人間の希望は努力を必要とする」
「あきらめるな、もうひと踏ん張り、それが人間だ」
「私は私の人生を生き抜かなければならない」
「自分を見切ってはいけない、自分に期待して自分でやれ」
「自分は弱い人間だが、一人ぼっちでさみしいと思ったことはない」
「人間の存在は限定だらけ、だから開放のカギがある」
「喜怒哀楽は生きる信号だ、怒れないものは逃げる」
「かけがえのない命、人間であることに喜びと誇りを感じる」
「自分を大切にしないで、他人を大切にする人はいない」
「他人が存在しないと私もいない」
「自分の人生を自分で工夫してやり直すことは何度でもできる」

2月

「明けない夜はない」に始まる、つらい時に耐える章である。
「負けることは恥ではない、負けることに負けはしなかった」
「失敗、反省、改善、そして前進」
「絶望したらとことん絶望しよう、絶望から希望が生まれる。絶望はと希望は一対の結びつきだ」
「失敗、しくじり、悲観は成就へつながる」
「落ちたならとことん落ちて出直せ、辛いならもがけ、とことん自分に問い詰めることだ」
「喜怒哀楽にブレーキをかけるな、人の涙は意味が深い」
「幸福は去ってから実感する」
「人の世の夜明けは人間が明るく生きることから始まる」
「他人との連帯を求めるなら、なぜを連発せよ、この苦しみはなぜ」
「人の四季は人それぞれ」
「今進行中の現在だけが一番高い価値を持つ」
「やるべき仕事とやってはならない仕事のけじめをつけよ」

3月

「普通が人のありかた、偉そうなのはみんなペテンだ」
「なんのためにどのように自分の一生を生きるか、そこで結んだ絆は地震にも津波にもゆるがない」
「いのちほど重いものはない、いのちは支え合う骨組みがあってこそ生き続ける」
「幸福か不幸かで人生の意義を考えるな、幸福・不幸は人によってさまざま、スタンダードな幸・不幸の物差しはない」
「人生は勝負事でない、勝てないこともある、苦しくとも負けない力こそ人間の喜び」
「嘆き、苦しみ、悲しみを嫌がるな、受け止めて克服することで夜明けがやってくる」
「真剣に本気で決意すれば、おのずと結果が見通せる」
「にせものは騒がしい、虚栄は有害だ」
「強風を恐れるな、風に逆らって立て」
「この世の出来事は必然と当然の因果によって発生する。偶発・奇跡・神は権力者の言い訳だ、努力する範囲でしか物事は起らない」
「人の世のほんものは必ず万人の役に立つ」
「現実の人生は誰のものだって単純には割り切れない」
「若者よ、いつでも開拓者であれ」
「惰性に流されると生活意識は腐ってゆく」

4月

「出発の意意思表示ははっきりと、あいまいな出発は結果もあいまいとなる」
「人間の考えは二つに分かれる、人間を資源として利用するか、人間を人間そのものとして完結させるか」
「まず一を産もう、まず立ち上がれ、やれるところやりたいところからどんどんやれ」
「自分の道は一つ、他の人はさまざま、きょろきょろするな腹を据えて備えろ、他人の目を気にして自分の方針を変えるのは自己否定だ」
「月には熱がない、太陽の力で花は咲く、人生で花を咲かせるにはエネルギーと情熱を自分で持っていなければならない」
「世の中の出来事の真実をつかむには、執念深くないとできない」
「言葉は正直、同じ目的で進むとき言葉は弾む」
「仕事は楽しくなければ苦役だ、自分で楽しくなるように作るべきだ」
「人間の前にある事柄を選択し切り捨てることこそ、人間の存在である」
「賢いのは物知りではなく、知り分ける能力(思慮分別)である、だから老人は賢い」
「ものはあるからいいのではなく、よく用いるから役に立つ、万里の長城もお金も用いて役に立つ、持っていればいいのではない」
「学校でのいじめ問題の前に、多くの親たちが社会でいじめられている、そこをえぐってこそ問題の根本的解決に進む」
「物事は途中が勝負を決める、何事も途中に全力を注げ」

5月

「主流派表層で走り騒ぎ立て、本流は底層で流れを導く」
「失敗したら自分にもどれ、成就したらなおさら自分に戻れ」
「通常を通常と感じて、異常があれば対処する、何が通常かを知っておきなさい」
「人生の歩みと旅の歩みは違う面がある、道草を食ったり、豊かに経験することが人生である」
「やる気のないことをやるなんて決して言わない、うそをつくと命が縮まる」
「怒りを鎮めてから、普通の声で怒りを言え」
「過去は常に習作である、人生の岐路は曲がってから気づく」
「人のきずなは自ずとなるという自動詞である。成らせるものではない」
「目的が方法を生み、方法が効果を生み、降下が次の目的を産む」
「日本語のいい加減なごまかしは外国人には通じない、信用、信頼、友情、愛情について根本から性根を据えて学び直さないといけない」
「自然こそ人類の師だと受け止めると、人類は致命的な過ちは犯さないだろう」
「失意、落胆、失望は決して途中でやめるな、底の底まで行け」

6月

「勝敗は結論ではなく、そこからの出発点だ」
「忍耐は褒めるべき美徳ではない、我慢してはならないことに我慢する必要はない、よい状況を作るために我慢しなさい」
「人生は重荷を背負って山道を行くが如しなんて句は受け入れるな、人生は自分をゆっくり味わうものだ」
「しくじったら、負けたら、間違ったらその原因をじっくり考えろ、反省こそ人生の宝になる」
「ゴーサインを出すだけで、ストップさせないものは(バブル)何であれニセモノだ」
「他人の信頼を裏切ることは自分を卑しめることになる」
「あまり自分をがんばれと言い過ぎるのは問題だ、自分の人生は自分の流儀でやることだ」
「優しい心配りから生まれるエネルギーは温かい。そのぬくもりは人々を安心させて元気づける、強がる人、冷たい人は失敗しやすい」
「人の身体は有限でも、その想いは無限である。どちらも切り離せない要素である」
「東北社会は1300年間国内植民地として搾取され続けてきた、いかなる地方差別も根絶させるよう力をあわせようではないか」
「東日本大震災と津波と原発事故の被害地域の立て直しが進まない、原発を金の力で東北に押し付けた社会事実は東北人の心を自責の念で蝕んできた」

7月

「人の人生は一日づつの集積だ、その日で終わる生命もある、幼い命は大人の保護なしでは生きられない、つまずけば一生は終わりである」で始まる子供と教育の章である。
「非常事態には、近くの人が即座に手をつないで助け合おう、それが人類のモラルだ」
「子供を比べるのはやめよう 比較は選別、区別、差別への入り口である、全国一律の価値感を持つ子供なんて軍隊かロボットかモノクローン羊か」
「この世を生き抜く知恵は、祖父母、父母から孫へ伝えられた、今の生活共同体(ムラ)は荒廃してしまったのか」
「子供は年少である大人として受け止めよう、さあよく目を開けて世の中の有様をよく見なさい 教育は子供の能力を引き出すことである」
「世が乱れるとき必ず教育の乱れが先行する、人的資源、愛国心、教育の市場化を叫ぶ文部省が教育を破壊してきた」
「若いのが誇りなら、老いも誇りだ 人間尊重こそ万人の心がけ」
「脱皮しない蛇は死ぬ、成長しない人は自分を殺す」
「宗教は人間の創造物だ 神にぬかずくことは愚かである」
「人は太陽と他人からエネルギーを貰い続けて成長した、自分で作った熱を人に世の中にさし上げない手はない」
「私たちは何かで名も知らない人たちに助けられているのではないだろうか」

8月

「古事記はロマンだ、男と女の出会いだ」に始まる愛情論が本章のテーマである。
「人と人の連帯を育てるなら最初から一筋に連帯を通さないといけない、同情心は禁物である」
「人に好かれようとするな、嫌われないように心がけよ、好きか嫌いかは人間関係の出発点でゴールだ」
「相手の心情で相手の問題を考える、それが友情だ、それが深まると自分のことより友人のことを重く思うようになる」
「人と人の相互関係は1対1が原則です 人と人のつながりは相手に合わせることから始まる」
「相手に責任を持たせない、責任は全部自分が背負う、子の決意が愛することだ」
「人間は本気になると姿勢がまっすぐになる、相手と真正面から向き合う、男女の仲も同じだ」
「個人いじめ、部落差別、民族差別という問題は社会が公然とはっきりした言葉でしょりしなければならない」
「自分は一貫して革新の立場であったが、学習する保守は尊敬する 敵とまともに対応する保守には望みがある」

9月

「指導者と称して多くの人に君臨するのは、人間に対する冒涜である」に始まる社会関係論が本章のテーマである。
「みんなの力で解消できる悲しみを、一人一人みんなが背負っている」
「人間は一人では喜べない、友がいて喜ぶのが本当の人間である」
「地球規模だ、グローバルだといいながら、足元の社会状況は分裂、根っこからやり直しだ」
「人類はホモサピエンス(賢人)という名称を付けてから愚かになった、愚人と改名したらよくなるだろうか」
「戦争のない社会の実現、戦争で殺されてたまるか」
「日本は車を売るために農業を荒廃させた」
「多数決、選挙は本当の民主主義から遠くなっている、あらゆる領域が反デモクラシーゆえの荒廃にあえいでいる、まさに全面の根本改革が必要です」
「地域の学習会は40人前後で、対等に学び合うことだ、先生はいらない進行役一人でいい」
「人間は誰もが個人であって、同時に社会人である、個人は自主独立・独立独歩、社会人は共同して連帯する」
「市町村合併は中央官僚の経費削減策、人口2万人くらいの生活共同体がコミュティとして機能する田舎生活を守ろう」
「国際連合は機能しない 国際連合は融合ではなく区別・辺境のいがみ合いを促進している」

10月

「ドラマチックでないドラマ、それが通常人間の一生だ」で始まる人生の終点に近い感慨がこの章のテーマである。
「老いたな、更に賢く、更に美しくなるぞ、老いの極みにいたわりながら鍛える」
「物事が一つも自分の思い通りならなかったから長生きしたようなものだ」
「転んだらすぐ起きるな、何か落ちていないかゆっくり起きよう」
「老いて身辺を片付けていると、味わったことのないさわやかさが体を走る、生きているって素晴らしい」
「老人と子供はいのちの深さで一体だ」
「我一筋に我を生き」
「人間は死ぬ直前まで、希望を手作りして自分を励まして生きないといけない」

11月

「自分たちが失敗した事実の終始をそっくりそのまま文章にして語り伝えなさい、それが何よりの財産贈与です」に始まる反骨のジャーナリストとしての締めくくりの言葉が本章のテーマである。
「原因をそのままにして結果を防ぐ手はない、人類の滅亡を防ぐには滅亡の原因を取り除かなければならない、それはペテンの支配関係なしの人間作りです」
「宇宙船地球号に勝手になわばりを張った奴らを追い出して、地球への再移住を許すな」
「中国、朝鮮、日本は兄弟だ、同じ絆で結ばれている」
「多数多様を認め合い生かしあう、翼賛体制、一致団結、五億一心みんなペテンだ。」
「ジャーナリズムは満州事変から滅亡した、迫害弾圧検閲で権力側との闘争を放棄し、事なかれ主義になり戦争賛美の道を選んだ」
「あらゆる犯罪手段を合法化する戦争そのものをくたばらせよう」
「幼子の笑い顔は生命の輝きだ、その顔を曇らせる行為は命の敵だ、武力行為は許さない」
「国家はもうごめんだ、居住地のコミュニティで十分だ」
「大正デモクラシーから軍国主義が国政を牛耳り、中国への侵略、対英米戦争になぜ進んだか、深刻な反省をしなければ日本は滅亡へに道を再び歩むことになる」
「多数決で議案を決めるやり方は人間の仕事の仕方ではない、ファッシズムの好むところだ、どれが物事の道理に合うか合わないかで決めなければならない、多数者の専制は許されない、決めればいいという首相はいらない」
「憎悪を掻きたて武力行使を認める社会主義は、自分で自分を殺した」

12月

「自分で納得して死のう、それまでは精一杯とことんまで生きる」で始まる死ぬべき人間の定めをテーマにした章である。
「生命は死ぬから生きることが大事だ、あの世へゆくのも産声もめでたいことだ、9万回も食事をさせていただいてただ感謝だ」
「老いを悔やまないために学べることは存分に学べ、言いたいことは全部言え、おいコラ人生やり残すな、やりとげろ」
「老いるにつれ、咲く花がいとおしい」
「高齢者という言い方は侮辱である、青少年は低齢者か、歴代政府の「侮老」の高齢者政策はみんな落第だ」
「疲れたら、おびえたら思い切り声を出せ、1回きりの自分の死を大切にしようよ」
「人間60歳でやるべきことはほぼ経験し終える。そこからが人間そのものの本番の人生が始まる、50,60歳は鼻垂れ小僧、そこから自分の流儀で人生を味わうのだ」
「朝体が目覚め、心が目覚めることは生きているいのちの証だ」
「死ぬことは嬉しくはないが、悲しくもない、自分の死に自分で備える、生きていることの証」
「一生の最後の言葉は、ありがとうございました」


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