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管直人著 「原発ゼロの決意」 
七つ森書館(2014年2月) 

3・11原発事故対応にあたった元首相の決意 「原発は人類と共存できない」

朝日新聞DIGITAL 2014年2月15日9時57分に、『管元首相 「根本的に間違い」 浜岡原発審査申請に』という見出しの記事があった。これは2月14日に朝日新聞の取材に応じた、管元首相の談話である。この管元首相の発言の本質は、「浜岡原発を停止させるという超法規的措置は、地震発生の可能性の高い場所に原発を設置したこと自体が誤りであったということである。浜岡原発が事故を起せば100万人単位の人の避難を必要とし、かつ新幹線、東名高速など日本の大動脈が大打撃を受け、国がつぶれるようなリスクは負いきれるものではない。高波対策をしたからと言って再稼働を申請するというのは根本的に間違っている。廃炉が最善の対策である。」ということである。原子力規制委員会が判断するのは安全技術的な面だけであって、原発事故対策や避難は政府の判断である。政府が止めた原発を安全技術面の審議だけで再稼働するのはお門違いである。安倍政権は福島原発事故から何も学ばず、原子力ムラの要求どおり再稼働に向けて動いている。という要旨を管元首相が話した。2014年2月9日の東京都知事選において、もし細川・小泉・管の3人の元首相連合で戦えば時局は大きく変わったかもしれない。都知事選と原発問題は別という、1極集中の旨さ(東京の地方収奪体制)を満喫する東京都民の身勝手さの壁は厚かった。そのような情勢の中で2月15日に本書「菅直人原発ゼロの決意」(カバーは上の図に示す)が出版された。本書の結論は実はこの2月15日の新聞記事の談話に表現されている。詳細はこれから述べるにしろ、キーワードは大体出尽くしている。日中戦争・朝鮮植民地問題に関する「河野談話」や「村山談話」を見直そうとする自民党保守本流が、この管元首相の「浜岡原発停止」という超法規措置をも見直そうとするであろう。2014年2月現在、54基全部停止している原発の再稼働問題は楽観できない情勢である。さらに安倍首相の出身地である山口県上関町原発建設計画も再燃している。上関町原発建設計画反対運動については、山秋 真著「原発をつくらせない人びとー祝島から未来へ」(岩波新書 2012年12月)で紹介した。本書の冒頭に掲げられた言葉「人工的にプルトニウムなど放射性物質を出す(核分裂型)原発は、人間とは共存できないというのが福島原発事故の教訓である」ということが、管元首相という事故当時の最高責任者であった人の反省と教訓である。管直人著 「原発ゼロの決意」という書は菅氏が書き下ろした書ではない。講演会・トークイベント・国会事故調議事録の3つの章からなる。第1章「脱原発の決意」は、2013年11月29日の「現代を聞く会・3周年記念大会」のメディア関係者を集めた講演会の記録である。第2章「3・11の首相として語ることが、私の天命」は、2012年11月10日新宿で行われた菅直人・中川右介・平野悠三氏の3人によるトークイベントの記録である。このイベントは、菅直人著「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」(幻冬舎新書)刊行記念として企画された。第3章「日本の病根を照らし出す」は2012年5月28日に行われた国会事故調第16回委員会「参考人質疑」の議事録から起された。内容量からいうと第3章の国会事故調議事録が約半分を占めています。この部分を除けばとにかく読みやすくできた本です。

さて菅直人氏の政治思想にもちょっとふれておこう。民主党が「政権交代」を果たした2009年9月16日に鳩山民主党内閣が誕生した。鳩山首相が沖縄米軍基地の県外移転問題で失敗して、2010年(平成22年)6月2日に就任9か月で退任したあと、6月8日管氏が第94代内閣総理大臣に就任した。翌2011年3月11日に東関東大震災と津波と福島第原発事故が発生した時点での内閣総理大臣であった。2011年9月2日の野田内閣発足に伴い、在職1年3か月で内閣総理大臣を辞職した。民主党政権誕生後に菅直人氏が著した菅直人著 「大臣」増補版 (岩波新書 2009年12月)があり、管氏の経歴や政治思想を知ることができる。民主党はイギリスの議院内閣制を理想としていたようであるが、民主党政権が目指すものは官僚内閣制から国会内閣制へという政治主導であったといわれる。菅氏は国民主権への道 を目指してた。民主党は2009年夏の総選挙を「国民主権」と「地方分権」を掲げて闘い、具体的政策を「マニフェスト」にして自民政権に圧勝した。現在の日本は官僚主権であるだけでなく、中央集権国家である。地方分権の最大の障害物は官僚主導政治にある。新政権の最大の政策決定システムは「国家戦略局」にある。国家戦略局は予算編成の骨格をきめる、省間の調整をする、国家の中長期目標を立案することが期待されているが、最大の目的は官僚主導、官僚内閣性となっていた内閣と政府を、国民主導に改めることである。鳩山内閣は内閣に「国家戦略局」と「行政刷新会議」という二つのエンジンを設けた。従来内閣官房長官の政策調整機能は戦略局に、それ以外の広報や危機管理・情報管理は従前通リとなった。国家戦略室は内閣官房にあり、行政刷新会議は「内閣府」にある。又内閣府には特命担当大臣がおかれ、菅氏は「経済財政政策」と「科学技術政策」を担当した。行政刷新会議は鳩山首相を議長とし、仙谷氏が副議長で、予算や行政制度の在り方を刷新するとともに、地方自治体や民間の役割のあり方の見直しをすることである。国家戦略局のあり方も時限性にするかどうかが問題となる。時限を設けないと官僚の侵食を許して、巨大な国家戦略を牛耳るモンスター組織になる恐れが残るからである。自民党政権下で官邸機能強化を言いながら、官邸が官僚に占領された経緯もあるので慎重にならざるを得ない。 国家戦略室の体制は、菅副総理・国家戦略担当大臣、内閣府古川元久副大臣、内閣府津村啓介政務官、荒井聡総理大臣補佐官でスタートしたが今後政治家民間人の拡充をするようである。国家戦略室の仕事は予算の骨格を作ることである。民主党政権では総理大臣・大臣・政権党の一体化による国会内閣制の大改革を目指した。最後に菅直人氏の憲法解釈の基本は松下圭一「市民自治の憲法解釈」(岩波新書1975年)からきていることを付記しておく。 本書の趣旨からして、ここではあまり政治改革については深入りしないで原発問題に戻ろう。民主党内閣が行った改革と挫折については、山口二郎著 「政権交代とは何だったのか」 (岩波新書 2012年1月)に、当時民主党のブレーンであった北海道大学教授山口二郎氏の反省が述べられている。菅氏の心底には、こうした官僚主導の行政機構に対する不満と不信が渦巻いていたようで、それが原発事故で露わになった無作為・無能な官僚機構への絶望的なまでの不信に向かったようである。

3.11が日本の政治に突きつけた問題は、日本が地震国であると云うあたりまえのリスクを認識し、それに対する幅広い防災対策をたてることであると同時に、人間の生活を支えてきたソフトな社会基盤(資源)つまり医療、教育、年金、雇用システムなどを強化しないと被災地は復興できないことである。もちろん日本全体が復興できないことでもある。そういう課題に答えるのが政府であり、「小さな政府論」では格差拡大になるだけで政府には存在意味が無い。世界ではこれだけの大規模災害と原発事故を抱えて、日本社会が冷静に動いている事を不思議に眺めているようだが、日本にはこれまで培ってきた社会連帯に基づくコミュニティを形成する能力があり、我欲を抑えて隣人を助ける尊い精神があった。欧米などでは間違いなく暴動に発展するだろうが、日本では地元の人間が必死に歯を食いしばり、他の自治体やボランティアも助けている。地元自治体、警察、消防、自衛隊の方々の職務意識は高く志は高い。3.11で大きな問題となったのは人災といわれる福島第1原発事故とその処理であった。原発事故と原子力行政の歴史を見ると、業界と官僚の結託による利益共同体のごり押しは、国家権力の所在にも係る重大問題であった。アメリカの軍産複合体を例に引くまでもなく、日本版産官学複合体の暴走の結果であった。異なった意見・政策を持つ者を徹底的に排除した「原子力村」による民主政治に対する蹂躙であった。原発のみならず現代において専門的科学技術が急速に発達し、市民が判断がつかない状態で市民に替わって官僚と専門家の都合だけで政策が決められていることを「民主主義の欠乏」という。それが結果的にすべて正しい政策なら結構なのだが、官僚が学者の権威を利用して、専門的知見の裏付けのない政策を正当化し、そこに資源をつぎ込むということが原子力行政では常態化した。官僚が国民に代わって政策を立案・実行するという体制が数々の過ちを生んだ。民意の偽装が日常化し官僚と専門家が民主主義の仕組みを無視していることの反映であった。そこにメディアの癒着が加わって、原発による電力供給を至上命令(国体)とする大本営体質が形成されたのである。ここで官僚主義の悪弊をまとめると、@設定された目的に対する献身と無誤謬神話、A外部からのフィードバックの遮断、B多様性の否定、異論の排除である。3.11も8.15も同じ体質で過ちが繰り返されてきた。

私がこれまで読んできた原発事故関係の書物を時系列で示そう。私は以下の原発事故関係の書物を3年間で約30冊を読んだわけだが、世の中で出版された関係書物の氷山の一角に過ぎないかもしれないが、一定の傾向のある(岩波書店中心なので)原発反対論で占められている。本書管直人著 「原発ゼロの決意」を読む人は、同じ管内閣の一員であった福山内閣官房副長官がみた原発事故記録である、福山哲郎著 「原発危機ー官邸からの証言」 (ちくま新書 2012年8月 )をぜひ読んでほしい。この時原発事故を政治的目的に利用しようとする勢力がメディアを使って策動した動きがよくわかるし、内閣と言えど事故当時には門外漢でよく現場が見えなかった様子が示されていて、当事者の状況がよくわかり参考になる。またこの原発事故を契機に政治家として急成長した人物も多数おり、ある意味で民主党内閣が最も輝いた時期だったのではなかろうか。
@ 日野行介著 「福島原発事故 県民健康管理調査の闇」 (岩波新書 2013年9月 ) 
A 朝日新聞経済部著 「電気料金はなぜ上がるのか」 (岩波新書 2013年8月 ) 
B 山秋 真著 「原発をつくらせない人びとー祝島から未来へ」 (岩波新書 2012年12月)
C 日本科学技術ジャーナリスト会議著 「4つの原発事故調を比較・検証する」 (水曜社 (2013年1月)
D 淵上正朗/笠原直人/畑村洋太郎著 「福島原発で何が起こったかー政府事故調技術解説」 (日刊工業新聞B&Tブックス 2012年12月)
E 東京電力(株)著 「福島原子力事故調査報告書 概要版」 (東電ウエブサイトより 2012年6月)
F 原子力災害対策本部著 「IAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書 概要」 (官邸ウエブサイトより 2011年6月 )
G 東京電力福島原発における事故調査・検証委員会著 「政府事故調 最終報告書 概要」 (官邸ウエブサイトより 最終報告2012年7月23日 )
H 東京電力福島原発事故調査委員会著 「国会事故調 報告書」 (徳間書店 2012年9月30日 )
I 福島原発事故独立検証委員会著 「調査・検証報告書」 (日本再建イニシャティブ  ディスカバー21 2012年3月 ) 
J 松本美和夫著 「構造災ー科学技術社会に潜む危機」 (岩波新書 2012年9月 )
K 脇坂紀行著 「欧州のエネルギーシフト」 (岩波新書 2012年6月 )
L 町田徹 著 「東電国有化の罠」 (ちくま新書 2012年6月 )
M 山岡淳一郎著 「原発と権力」 (ちくま新書 2011年9月 )
N 福山哲郎著 「原発危機ー官邸からの証言」 (ちくま新書 2012年8月 ) 
O 津久井進著 「大災害と法」 (岩波新書 2012年7月 ) 
P 千葉悦子・松野光伸 共著 「飯舘村は負けない」 (岩波新書 2012年3月)
Q 外岡秀俊著 「3.11 複合被災」 (岩波新書 2012年3月)
R 大澤真幸著 「夢よりも深い覚醒へー3.11後の哲学」 (岩波新書 2012年3月)
S 徳田雄洋著 「震災と情報」 (岩波新書 2011年12月)
(21) 大島堅一著 「原発のコスト」 (岩波新書 2011年12月)
(22) 海渡雄一著 「原発訴訟」 (岩波新書 2011年11月)
(23) ウイルリッヒ・ベック 鈴木宗徳 伊藤美登里編 「リスク化する日本社会」 (岩波書店 2011年7月)
(24) 長谷川公一著 「脱原子力社会へ」 (岩波新書 2011年9月)
(25) 佐藤栄佐久著 「福島原発の真実」 (平凡社新書 2011年6月)
(26) 広河隆一著 「福島 原発と人々」 (岩波新書 2011年7月)
(27) 石橋克彦編 「原発を終らせる」 (岩波新書 2011年7月)
(28) 室田 武著 「原発の経済学」 (朝日文庫 1993年8月)
(29) 内橋克人編 「大震災のなかで」 (岩波新書 2011年6月)

第1章 「脱原発の決意」

3月11日から15日にいたる福島第1原発事故の事実関係は隠されている部分も多いといわれているが、菅首相と言えど技術的事実関係を完璧に把握しているとはいいがたいので、あえて本書の第1章で述べている「あの日何が起きていたのか」は割愛する。それは上に示した書物で表面的な大筋は判明していると考える。特に国会事故調報告書、政府事故調報告書、東電事故調報告書、IAEA閣僚会議政府報告書などが詳細を論じているので参照してください。ただ管元首相が戦慄を覚えた想定事態とは原子力委員会近藤俊介委員長に委嘱して作った「最悪のシナリオ」である。第2号機のサプレッションチャンバーの一部破裂による圧力容器減圧という偶然に助けられたことや、停止中の第4号機の使用済み燃料プールに定期点検中の圧力容器上の水が隔壁が壊れてプールに流れ込み冷却が保たれたことも偶然に助けられたことなどを管元首相は強調している。もしこれらの偶然の重なりがなかったなら、米国が最も恐れていた膨大な量の使用済み核燃料の暴露放出という事態が起きた場合その影響は半径170KM内の人の避難、半径250KM(首都圏をすっぽり覆う範囲)の屋内避難を招き、5000万人が避難しなければならない。それによって国家機能を完全に失い、静岡から名古屋あたりに政府を置くことになるという点である。日本の国土の1/3を失うという事態に恐怖した管元首相は、「原発を使わないで済む社会を作るべきと考えて、舵を切った」と述べています。この3.11以来菅氏の態度が決まったのです。菅氏は総理として最後の仕事は、2011年8月に「再生エネルギーの固定価格買い取り制度」を作ったことです。総理を辞めてから菅氏は@いかに原発をなくするか、A再生可能エネルギーを拡大すること に全力を注いでいるそうです。原発廃止を決めたドイツでは再生可能エネルギーを電力全体の23%にまで上げました。日本はまだ1%に過ぎませんが、だからこそ飛躍的な拡大が期待できる分野なのです。太陽光発電の買い取り価格は1KW当たり42円でスタートしましたが、将来10円程度に下げることが目標となります。ここから菅氏は世界のエネルギー事情や再生可能エネルギー開発状況を探るために海外に出ることが多くなります。サハラ砂漠での太陽熱発電計画、トヨタ自動車の水素燃料電池開発、アメリカアのサンオノフレ原発廃炉運動(2013年カルフォニア・エジソン社は廃炉を決定)、インデアンポイント原発廃炉運動などを視察・応援してきました。台湾の原子力監視ママの会による、4・5・6運動、小泉元首相のオンカロ視察と「原発ゼロ」運動を紹介し、10万年も保存しなければならない使用済み核燃料最終処分地を作ることに驚愕し、そんな危ないものを次の世代に残していいものか、直ちに原発を廃止し使用済み核燃料のこれ以上の蓄積を防がなければならないと小泉氏は決意したようです。2013年2月現在で日本で動いている原発は一つもありません。それは菅氏が暫定的安全基準を厳しくしたからだといいます。いわゆる「ストレステスト」を実施し、再稼働可能かどうか首相を含む4大臣が最終決定するルールを作った。そして事故後約3年間原発がなくても、日本はやっていけることを証明しました。日本はアメリカとNPT (核拡散防止条約)によってプルトニウム所有を認められた国ですが、高速増殖炉も青森県六ヵ所の核燃料再生工場も動いたためしがなく、70トンものプルトニウムを保有するプルトニウム大国をNPTが見逃してくれないだろうという心配があります。あと2,3年で使用済み核燃料の保管場所もなくなります。原発を止めるのは今でしょう!しかし原子力ムラの圧力は執拗で巧妙です。メディアを制することは電力会社のCM宣伝費を動かせば極めて容易です。また学界の専門家たちを研究費で操ればこれまた容易に言うことを聞いてくれます。研究費を絶たれることは研究者の死活問題ですので原発反対を表だっていえなくなります。この社会そのものをいわば同調圧力でもって、脱原発を言えないムードをあらゆるところで作りあげています。原発設置地元にも電源3法による補助金で言葉は悪いですが「シャブ漬け」にしています。この同調社会は戦前の軍部が戦争を煽った時期と似ています。治安維持法と言った強権は現在ありませんが、アメリカ式のロビー活動による巧妙なムード作りと圧力によって世論を再稼働に向けて動かす策動が続けられています。油断は大敵です。

第2章 「3・11の首相として語ることが、私の天命」

この章は事故当時の心境などがストレートに吐露されている興味深い内容となっている。首都圏を巻き込むような大規模な事故にならなかったのは幸いなことであるが、それが偶然の重なりによってなされたということ、原発コスト検証委員会のこと、プルトニウムの問題、メガバンクの東電融資問題、最小不幸社会、東電撤退問題と政府・東電総合対策本部設置のこと、官僚機構の問題、官邸を支えた人々、海水注入と再臨界問題と管パッシングなどについて、菅氏は当事者として語るのである。当事者の弁よりもメディア(読売新聞と産経新聞を中心とした)の管パッシング・管おろしが先行したことは、ある種の政治的意図を感じさせるものであった。
@ 第1号機から3号機は条件によって時間の差はあるものの、全電源と配電盤の喪失から圧力容器内の冷却水の喪失となり核燃料棒が露出し、崩壊熱によって核燃料棒のメルトダウンがおこり、圧力容器の底にたまった燃料塊が圧力容器の底を溶解するというメルトスルーが起り、格納容器のコンクリート底部を侵した。第1号機は11日午後8時頃には(冷却水喪失から4時間後)メルダウンしていたとみなされる。第2号機ではベントが遅れて格納容器内の圧力が高まり爆発の危険性があったがサプレッションチャンバーに穴が開いて減圧され爆破を遁れたという偶然によって、外気への大量の放射能の排出を免れた。チェルノブイリ事故の1/7 程度の放射能放出で済んだのは僥倖としか言いようがなかった。さらに4号機核燃料用プールの冷却水枯渇が心配され、大量に蓄積された核燃料棒の熔解という最悪の事態をアメリカは指摘した。これが実は大気に露出している状況なので、放出されると放射能の量では莫大なものとなる。なぜかプールの冷却水は無くなってはいなかった。それは4号機は停止点検中であったので格納容器の上を水でシールして点検は行われる。その際に隔壁を設けて水を張るのである。地震でこの隔壁が外れ大量の水が、格納容器のそばにある使用済み核燃料プールの方に流れ込んでたためであった。これは偶然によって救われたのである。この辺の事情は淵上正朗/笠原直人/畑村洋太郎著 「福島原発で何が起こったかー政府事故調技術解説」 (日刊工業新聞B&Tブックス 2012年12月)に図解されているので一読ください。
A 原発推進者は、原発がとまったら電力料金があがるとか、失業者があふれるとかいう説を流すが果たしてそうだろうか。そこで管氏は国家戦略室のなかに「コスト等検証員会」を立ち上げた。原発コストはいろいろなことを外部化して計算されキロワットあたり5円と言われている。これは水力発電なみで、火力発電は11円である。被害額の算定を官僚が行うと6兆円と計算する。そんなもので済むわけがない。朝日新聞経済部著 「電気料金はなぜ上がるのか」 (岩波新書 2013年8月 )や、大島堅一著 「原発のコスト」 (岩波新書 2011年12月)などを参照してください。原発のコストは諸経費(避難などの被害額を含めて)を内部化すれば120円/KWHとなり、とてもペイするコストではない。民間企業ではとても手が出せない事業だから国家事業として国策民営化でやってきた。だから東電というおそろしく官僚的で国家依存的な電力会社が存在できたのである。
B 日本は使用済み核燃料の一部をイギリスのセラフィールドに送って、ウランとプルトニウムを取りだし、プルサーマル用のMOX燃料に加工したり、高レベル廃棄物にすることを依頼してきた。日本中には原発内に留められた使用済み核燃料は1万7000トン存在する。反応性の高い使用済み核燃料だけで40トンも存在する。そこへ核拡散防止条約NPTの観点からすると、日本は平和利用するからプルトニウムの取り出しを認められているのだが、欧米が開発をあきらめた高速増殖炉「もんじゅ」は動いたためしがない。これでは国際的同意は難しい局面を迎えるだろう。だからMOX燃料にして普通の炉の燃料としている。
C 東電の処理として、管氏は東電から送電部門を切り離すいわゆる発送電分離方式を主張する。また原発部門も切り離す(どこへ持ってゆくのか?、独立採算で消滅させるのか不明)して、民営会社として国策原発のくびきから解放すること、採算ベースで火力、水力、風力、太陽光発電のバランスを取るということであろう。メガバンクは東電がつぶれると経営者の責任を問われるので、東電がつぶれてはならないとばかり巨額の融資をしたが、あくまで投資対象として原発が適切か冷めた目で見る必要がある。
D 菅氏は、「最小不幸社会」、不幸を少なくすることが自分の政治信念だともいう。最大の不幸は戦争、国は戦争をもたらしてはいけない、貧困や病気といった不幸をできるだけ少なくすることが国の役目であるという。どんな幸福がいいかは各自の価値判断であり、国は関与しない。福島原発事故の時は「最小不幸」という発想が、最少の犠牲は覚悟しようという姿勢で、東電撤退問題に当たったという。でなければ国がつぶれるからと感じたからである。3月15日の朝、東電清水社長から3度閣僚に電話が入り撤退したい旨の打診があったという。そこで菅氏は15日朝東電本社に乗り込み「撤退はないよ」と宣言し、東電本社内に政府と統合対策本部を設置し、細野氏を送り込んだのである。東電の原子炉が事故を起こして放射能を出した時、それは自分自身のことであるのに危ないから逃げましょうでは、日本という国が本当に成り立つのだろうか。この統合対策本部を設置したことで情報の見晴らしがよくなった。それまでは原子力安全・保安院の寺坂院長は全く原発のことは知らない文系の人間であった。13日安井氏に代ってもらって、ようやく納得のゆく情報が保安院から上がるようになったという。とにかく保安院には原発のことが分かる人が皆無で、東電の言いなりなっていれば原発の専門家はいなくてもやってゆける部署であった。現場の情報の流れは、福島第1原発の現場→東電本社→安全・保安院→通産大臣→総理大臣(対策本部長)という筋書きになっていたが、どこかで情報が遮断され最初の3日間は何も情報が官邸に上がってこなかった。統合対策本部ができてから分かったことは、福島第1原発の現場→東電本社の間の情報は24時間7台のモニターテレビでつながっていたことである。すると東電本社での情報の判断の後れがあったのか、恐るべき事態を報告することをためらったのか、東電本社も保安院とおなじく、原発に関する実務者がいなかったかと疑われる。「事故が起きる確率は実質的に低いので起こりえないと考えられる」としてシビアアクシデントの備えをしてこなかった東電にとっても、目の前で起きている事態は想定外で手の打ち方も考えてこなかったためであろう。菅氏はもともと官僚任せしない人で、「いざというとき私は他人の判断に頼るより自分で判断します」という。そこで茫然自失の官僚機構を相手にするより、自分で有識者の意見を聞き官僚機構をこえて判断する手法を取ったため、官僚機構の恨みと執拗な無作為、メディア操作のための情報リークという反撃を受けた。管パッシングの主体はある政治的意図を持って、原子力ムラ関係者と保守勢力政治家と官僚が組んだ政治的謀略の一環であった。
E 事故当時民主党内閣でチームを組んで官邸を支えた人々として、管氏は枝野官房長官、海江田経産大臣、福山副官房長官、細野首相補佐官、寺田学、加藤公一らを挙げた。官邸の動きは、福山哲郎著 「原発危機ー官邸からの証言」 (ちくま新書 2012年8月 )に詳しいので参照してほしい。原子力安全・保安院や原子力安全委員会には各々数百名のスタッフがいたが、これら官僚機構は機能しなかった。だから官邸に安井保安院長、原子力安全委員長の班目氏、東電から武黒フロー(元副社長)らが集まり、事故対応にあたった。5月20日ごろ、現首相の安倍晋三氏のブログに「管氏が1号機の海水注入を55分間止めさせたためメルトダウンを招いた。謝罪して総理を辞めろ」という内容が書きこまれた。これは事実無根で第1原発の吉田所長に「海水注入を中断しろ」言ったのは東電の武黒フローであり、官邸筋の指示を誤解されたという。吉田所長は中断したふりをして海水注入を続けていたのであり、事実として海水中断はなかったから安倍晋三ブログ記事は事実無根の捏造である。後でわかったことだが、東電の広報の人が新聞社やテレビ局を回って上記のデマを吹き込んでいたという。そのデマに大々的に乗っかったのが読売新聞と産経新聞の2社で、管パッシングの主体となった。1号機のメルトダウンは11日午後7時過ぎとみられるので、12日夜の海水注入開始の一日前にメルトダウンが起きているので、事実として間違っている。5月7日の浜岡原発停止措置の後、5月20日の安倍晋三ブログ記事、6月2日の管首相不信任案上程と政治的流れが巧妙に仕組まれていた。

第3章「日本の病根を照らし出す」

第3章は国会事故調査委員会の第16回議事録である。これに管元首相が参考人として呼ばれた。東京電力福島原発事故調査委員会著 「国会事故調 報告書」 (徳間書店 2012年9月30日 )を求めると(余談だが、この大部な書物にして1600円という価格は非常に安いと思う) この本の裏表紙に、国会事故調報告書の参考資料・会議録・ダイジェスト版のCDROMが添付されている。もちろんこの書の末尾にも委員会会議録の概要が記されているが、議事録全文はCDROMに入っている。だから管直人著 「原発ゼロの決意」の第3章はCDROMを開いてみると、第16回議事録に同じであることを確認した。「国会事故調 報告書」は歴史に残る記録であり、日本人として必ず読むべき書であると考えるので、後日勉強会(読書会)を開きたいと私はひそかに考えている。それはさておき、事故調員会のメンバーを示す。経歴に注意してみると質問内容もおのずとわかるのである。するとノーベル化学賞受賞者田中耕一氏の人選が全く分からない。お飾りのパンダ的人選なのだろうか。本人も迷惑なことだろう。
委員長:黒川 清 (政策研究大学院アカデミックフェロー 元東京大学医学部教授) 
委員:石橋克彦 (神戸大学名誉教授 地震学者) 
    大島賢三(国際協力機構顧問 元国連大使 外務省出身) 
    崎山比早子(元放射線医学総合研究所主任研究官)
    桜井正史(弁護士 元名古屋高等検察庁検事長)
    田中耕一(島津製作所フェロー 2002年ノーベル化学賞受賞)
    田中三彦(科学ジャーナリスト 元バブコック日立原子炉設計技術者)
    野村 修(中央大学法科大学院教授 弁護士)  
    蜂須賀礼子(福島県大熊町商工会会長) 
    横山禎徳(社会システムデザイナー 都市計画専攻)
2012年5月28日参議院会館で開かれた第16回委員会の出席者は委員長:黒川 清  委員:大島賢三 崎山比早子 桜井正史 田中耕一 田中三彦  野村 修  蜂須賀礼子 横山禎徳  参与:木村逸郎  事務局長:安生徹氏であった。第16回議事録を読むと質問に立ったのは委員長の黒川氏、委員の桜井氏と野村氏の3名で、ほかの6名の委員は「寝ていなかったぞ」という程度の挨拶に過ぎなかった。つまり委員長を除けば質問者は二人とも弁護士である。なお前の15回委員会では枝野元官房長官が参考人として呼ばれていた。

質問内容は多岐にわたるが、管氏のあいさつから始まり、災害対策本部長としての権限と役割問題、避難区域の設定問題、管氏の福島第1原発視察問題、オフサイトへの権限移譲問題、海水注入中止問題、東電撤退問題、原子力災害措置法問題(以上桜井氏の質問)、国策としての原子力政策問題、管氏のセカンドオピニオン問題、情報伝達機能の不全問題、政府・東電総合対策本部問題、官邸助言チーム問題、アメリカの技術支援問題、協力体制問題、国民への発信問題、事態の予測と伝達問題(以上野村氏の質問)、学校の許容線量問題(崎山氏、横山氏の質問)、ターンキー契約問題(田中三彦氏)、東電撤退問題と叱責問題(野村氏、田中耕一氏)、事故の教訓(黒川氏)などであった。冒頭に委員長から促されて菅氏が挨拶に立った。そこで菅氏は原発事故は、「国策として続けられてきた原発によってひきおこされたものであり、最大の責任は国にある」と言い切り、「事故を防げなかった国の責任者として謝罪する」とのべて質疑応答が始まった。以下に質問に対する菅氏の答弁の概要を記す。
@ 災害対策本部長としての権限と役割問題: 緊急事態宣言の後菅総理は原子力災害対策本部長になった。しかし原子力災害において災害対策本部長にどのような権限があるのかをしっかり認識してはいなかったし、誰も詳しい説明はしなかった。東電から第15条報告があったのは16時45分(全電源喪失)、経産大臣から総理に説明があったのが17時42分、野党党首との会談が5分間あり、その後説明を受けて19時3分に緊急事態宣言をした。この間に1時間20分もかかりすぎでもっと早く出なかったのはなぜかという質問であった。これは対策を協議してたのでもっと早く出すことに異論はないと菅氏は答えた。
A 避難区域の設定問題: 11日21時23分に半径3KM圏内の非難を決定していた。これには現地のオフサイトセンターが機能せず、本来ならばオフサイトセンターの決定に基づいて本部長が指示を出すのだが、官邸において東電と班目原子力安全委員長、保安院と協議しながら避難を決定した。1号機の圧力上昇による爆発が懸念されるのでベントを指示した後、12日朝5時44分にさらに10KMの圏内避難を決定した。12日なって15時36分に1号機の水素爆発、2号機のメルトダウンや、3号機も危険な状態であったので12日18時25分に20KM圏内の避難と30KM圏内の屋内避難を決定した。
B 管氏の福島第1原発視察問題: 時間が許せば首相が事故現場を視察するのは当然なのに、なぜこんなことが問題になるのかが分からない。12日午前中に東電の現場の責任者である武藤東電副社長と吉田所長に会うことは首相の気持ちを伝えるうえで欠かせない。このことを問題視するのは保守政党の政治的意図である。東京にいたらなぜ現場に行かないかと非難し、現場へゆけば重大な時期に本部を空白にするのはけしからんと難癖をつける、どうしょうもない連中の常套手段である。
C オフサイトへの権限移譲問題: 本筋からするとオフサイトセンターにある現場対策本部に権限を委譲すべきだのにしなかったのはなぜかという質問に、管氏はオフサイトセンターが機能しなかったからであると答えた。存在しないのに移譲すべきという質問は愚である。問題とならない。
D 海水注入中止問題: 海水注入問題については第2章のEに書いたが、海水注入の必要性は菅氏は十分に認識していた。3月12日午後6時菅首相、海江田大臣、班目原子力安全委員長、保安院長、東電武黒フローで話をし、海水注入の準備に入った。準備に1−2時間かかるので、海水注入問題を議論した。塩分の影響や再臨界の可能性である。メルトダウンした燃料塊による再臨界については海水注入とは無関係な事象である。中性子を吸収するホウ酸を海水に添加することで一致した。海水を注入すると再臨界の恐れがあるので管氏は海水注入を躊躇したというのは全くのデマである。科学の初歩を知らないものがでっち上げた事実無根のデマである。19時40分に準備ができたというので開始を指示した。ところが東電の武黒フローが現場の吉田所長に「海水中を停止するように」と指示した。おそらく東電本社筋から海水注入によって原子炉の再稼働不能を前提とした処置はとりたくないという意向があったものと思われる。しかし吉田所長は海水注入は停止しなかった。海水中停止を官邸が指示したことは絶対ありえないと管氏はいった。
E 東電撤退問題: 15日午前3時に海江田大臣から東電撤退の意向が伝えられた。東電撤退問題は第2章のDに書いたが、その前に14日夕方から夜にかけて2度菅氏は吉田所長と電話している。その説き非常に難しい状態であること、そして海水注入が可能となったということを聞いたが、吉田所長はまだ頑張れるというといったので管氏は意を強くした。あけて15日の午前3時に海江田大臣の撤退の話を聞いて、管氏は清水社長を官邸に呼んで「撤退はありません」というと清水社長は「わかりました」といった。そのことで15日明け方に菅氏は東電本社に行き、総合対策本部を東電内におき細野補佐官を常駐させることを告げた。後日談として東電本社は「全面撤退とは言っていない、一部の人の移動だ」という言い訳をしているが信じられるものではない。
F 原子力災害措置法問題: 官邸地下にある緊急対策センター等オペレーションセンターをなぜ利用しなかったのかという質問である。菅氏は緊急対策センターは危機管理監がヘッドであり、総理は常駐することはないこと、そして報告は総理に上がってくると理解していた。原子力災害措置法問題は今回のようなシビアアクシデントを想定していないので、電力会社の能力を超えた事態には特別の対策が必要ということで、地震津波災害担当と原発事故災害担当を別にした。
G 国策としての原子力政策問題: 冒頭の菅総理のあいさつで、原発事故は国の責任として謝罪されたが、何の問題で謝罪されたのかという質問であった。菅氏はやはり安全性というものに対して備えが不十分だったということ、シビアアクシデントへの備えが全電源喪失事故はあり得ないとする電力事業側が無視してきたことであった。まさに国策民営事業として原発が推し進められてきた歴史的経過に問題があたことを謝罪したと菅氏は答弁した。水素爆発は避けられたかとか避難指示が適切であったかということは、委員会で検証して頂きたいという。できる範囲で必死になってやったことが結果論的に適切であったかどうかについて、謝罪できるわけもなくそれは検証の問題ですとボールを投げ返した格好であった。
H 管氏のセカンドオピニオン問題: 実に意地の悪い質問であるが、管氏は官邸に参与として専門家を数多く呼び、かつ知人として多くの人からセカンドオピニオンを求めたことを、個人的情報収集として素性のはっきりしない人を集めて意見を聞くのは、情報の混乱とか偏りであるとして問題視する質問である。官僚機構という組織からの助言や有識者を「懇談会」や「諮問委員会」方式で組織することだけが正統な意見聴収であるかのような権威主義に凝り固まった言い方になる。菅氏は原子力安全委員会、原子力安全・保安院、東電技術フローの3者から助言・意見を聞いた答弁した。それ以上は個人の情報収集の問題であるので議論の対象とはならない。政府筋の御用専門家が原発事故を前にしてうろたえている状況で、国民は専門家というものを信用しなくなった。それでもこのような質問が出てくるのには唖然とする。人にものを聞いて判断するのは自分である。ステレオタイプの権威ある人以外と口をきいてはいけないという考え方は破たんしたはずなのに、人の知る権利を阻害することになる。
I 情報伝達機能の不全問題: 現場から保安院を通じて官邸に指示を仰ぐというのが情報の流れであるはずなのに、官邸が直接現場に電話をしたのは情報の仕組みの機能不全ではないかという質問である。忙殺されているサイトに電話を変えるのは仕事の邪魔だといわんばかりの質問である。これに対して菅氏は少なくとも最初の3日までは保安院には原子力事故を説明できる人はいなかったとし、東電の武黒フローも現場のことをしっかり把握できているようには見えなかった。15日に東電内に政府東電総合対策本部ができたので、対策本部の情報把握はスムーズとなったと答弁した。法的な仕組みの完全性を主張する質問は、非常の際の知るべき権利さえ否定するように聞こえる。実質的に動かない組織から情報が流れてこないから、情報を得る努力をするとルール違反だというのはいかにも官僚的である。実質的に動く組織を作ることが最重要課題であるはずだ。死んだ人にものを聞いても無駄である。生きた人を介して情報を得ることが肝要なのに、法学万能者は実質死んだ組織から物を聞くのが筋だと言い張るのである。生きるか死ぬかの瀬戸際で行動する人ではない。
J 総合対策本部問題: Eの東電撤退問題の流れの中で説明してきたので書略する。これが事故対策本部として非常に有効に機能したというのが菅氏の結論である。
K 官邸助言チーム問題: 法律に定めのない制度、総理の動きを問題とする質問である。空本議員が組織したという助言チームを法律に基づかない行為であるという。また原子力委員会の近藤委員長が事故対応策(最悪シナリオの作成助言)で動くことも法律に基づかないと質問が出た。菅氏は助言チームを作ったことはないと退りぞけ、15日の総合対策本部を作って原子力員会も細野原子力担当大臣の下においたと答えた。少なくとも15日以前に様々なシビアな事態が突発する状況で、制度的な流れの中で行動する余裕はなかった。その経験は原子力規制庁という組織のデザインに生かしてゆきたいと述べて菅氏は締めた。
L アメリカの技術支援問題: アメリカから技術者を官邸に駐在させたいという提案があったがこれを断ったという問題に関する質問である。アメリカの支援には感謝しているが、官邸という政府執行部にアメリカ人の顧問を置くというのは、枝野官房長官の判断で国家主権にかかわるので辞退したということで、管氏には報告はなかった。この判断はそれでよかったのではないだろうかという。
M 協力体制問題: アメリカの技術支援に対する体制はどうなっていたのかという質問である。菅氏は外務省が窓口になり、細野補佐官が総合対策本部で対応したと聞いていると答えた。質問はさらにアメリカの原発メーカであるGEから技術支援を受けたかどうかになった。菅氏は官邸に日立と東芝の社長に来ていただき協力を依頼したと答えた。結局、安全・保安院はアメリカの技術支援に対してこれは必要ないという返事を出したようである。うまくアメリカの支援を吸収できなかった組織的問題として安全・保安院の体質が考えられる。今後の原子力規制組織を作る上で、いわゆる推進する立場と規制する立場ははっきり遮断する必要がある。そして高いレベルの能力を持った人材を備えた集団でなければならないと菅氏は語った。
N 国民への発信問題: 国民へのアナウンスをどうするかという質問で、2号機を例にとって事故の進展予想(爆発する可能性と避難の緊急性)を時々刻々とアナウンスする必要があったのではないかと問うのである。菅氏は「事実としてわかっていることを隠すことはしない。しかし事実として判明しないことをどこまで表現するかは枝野官房長官の判断として行っていた。東電自身が炉の状況について電気計測器がない状態でつかみきれていなかったので、首相として予測とか判断をすることはできなかった。質問の意図が後付で、誰も炉の状況が分からなかった時点で、見通しのいい予測をすることは不可能である。これは無理な要求である。
O 事態の予測と伝達問題: 最悪のシナリオ(事故の進展)の場合に避難はどうなるかについては、今後の検証課題であると菅氏は回答した。対応が非常に難しい複合的な災害・原発事故であったが、総理の権限はどうあるべきかという質問に対して、管氏は原子力規制庁なりシビアアクシデントにも対応できる能力を持った組織が必要であると述べた。
P 学校の許容線量問題: 4月19日に文部省が学校再開の目安として年間被ばく線量を20ミリシーベルトにしたのは、原子力安全委員会の指針である公衆の被ばく限界1ミリシーベルトに反するではないかという質問である。菅氏は文部省がかってに発表したわけではなく、各部署の調整があったように聞いていると答える程度で、管氏の管掌事項ではないので議論にはならなかった。
Q ターンキー契約問題: 1号機はアメリカのGE社製でICなど特殊な構造を持つので、最初の3日間の事故進展に関してGE社に問い合わせることはしなかったのかという質問である。菅氏は、東電はGEからターンキー契約で原発を買っている。自分が動かす設備について導入時に自分が作れるほどに精通していなかったのか、構造の詳細を東電は熟知していなかったのではないかと思われると答えた。シビアアクシデントのマニュアルも訓練もなかった。過酷災害に対する無防備が最大の原因であったという認識である。
R 東電撤退問題と叱責問題: 菅首相が15日朝東電本社に行かれて叱責をしたという問題で、東電のサイトの人々のやる気をくじいたのではないかという質問である。これに対して菅氏は叱責はしていない、言葉の問題として「撤退は考え直して頂きたい」と申し上げたという返答をし、ただはっきりものを言わなければならないときはある。それ以上は議論になりようがなかった。そして不思議なことに、15日朝の東電本社での管首相の発言部分だけが音が録音されていない。この消音措置は東電の判断でやったのであろうが、その理由は不可解である。真実は機微にある。
S 事故の教訓: 地震・大津波・原発事故という3つが重なった過酷な災害であった。質疑の終わりにあたって、事故の教訓をまとめるように委員長から促され、管氏は次のように語った。
「ゴルバチョフ大統領は、その回顧録の中でチェルノブイリ事故はソ連という国制全体の病根を照らし出したと述べた。戦前軍部が政治の実権を掌握していったプロセスは、東電と電事連を中心としたいわゆる原子力ムラと呼ばれるものに重なっていると私には見える。現在原子力ムラは今回の事故に対して深刻な反省もしないままに原子力行政の実権を握り続けています。こうした戦前の軍部に似た原子力ムラの組織的な構造、社会心理的な構造を徹底的に解明して、解体することが原子力行政の抜本的改革の第1歩だと考えます。根本的な問題は原発依存を続けるかどうかという判断です。今回の事故で稼働中の原子炉だけではなく、最終処分ができない使用済み核燃料の危険性も明らかになりました。今回の事故を経験して、最も安全な方法は原発に依存しないということ、脱原発の実現だと確信しました。」


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