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守屋淳現代語訳 渋沢栄一 「論語と算盤」  
ちくま新書 (2010年2月 ) 

日本実業界の父が説く経営哲学―利潤と道徳を調和させる道

この頃私はなぜか渋沢栄一づいている。三井や三菱といった明治政府の御用商人(政商)・財閥になじめない私にとって、渋沢栄一氏を発見できたことは一服の清涼剤以上のものであった。その渋沢栄一関係の本(と言っても彼が書いたものではなく、口述や講演を記録した人が起こした本である)の最初が、渋沢栄一自伝 「雨夜譚」 (岩波文庫 1984年版)であり、次が渋沢秀雄著 「渋沢栄一」 (公益財団渋沢栄一記念財団 1998年3月 第24版)で、3番目が本書である。雨夜譚には明治政府出仕、財政改革と大蔵官辞任まで しか書かれていない。明治5年当時の政府の財政は、政府予算拡大問題では大久保卿は各省の言う通り支出するいわゆるつかみ出し勘定という方針で、井上大輔と渋沢は「量入為出」(収入に応じた各省定額制)を主張して対立した。収入(租税)さえつかめない現状では租税統計調査を先行すべしと渋沢は建言した。明治5年大蔵省の事務は井上が全権で、渋沢が次官であった。大蔵と各省には一種の権力闘争のような状態となった。租税の基礎をなす民間の商工業に人が居ないこれでは国家の態をなさないので辞任したいといったが井上の慰留に会った。井上と渋沢は財政改革の意見書を提出し二人は大蔵官を辞任した。渋沢は三井の第一国立銀行創立に従事する約束をえて、官吏から商人への転身を図った。 実業界に出た渋沢氏は大隈侯の許可を得て明治6年第1銀行総監に就任した。三井と小野組の調整が主な役割であったが、以来43年間(35歳―78歳まで)銀行に勤務した。渋沢氏の実業会での活躍は銀行を中心とした、企業家活動である。日本銀行の設置は明治15年のことで、明治29年より私立銀行として再出発することになった。政府が国債を発行すると、各種銀行が中央銀行(日銀)の旨にしたがって応分の引き受けをなすという慣例が固定化した。銀行間の決済に融通をしあう体制も出来上がった。さらに手形交換所(為替手形、約束手形など)の取引を第1銀行が明治8年ごろ、大都市にに開き大いに銀行業務が発達した。
渋沢栄一が生涯を通じて貫いた経営哲学とはなんだろうか。「利潤と道徳を調和させる」という、経済人がなすべき道を示した「論語と算盤」という本は、新自由主義経済、金融グローバル経済が席巻する今の状況において、帰るべき地点かもしれない。明治初期から資本主義の本質は株式会社にあるとして、約470社の会社を興した渋沢栄一はまさに日本の株式会社制度の父である。かれが終生経済人としての行動の反省の原点としたのが「論語」であった。ただ渋沢は「論語」というが、それはあえて根拠づければということで、普通人としての常識的道徳と考えておこう。というのは渋沢と同時代人である福沢諭吉は日本の文明開化を、渋沢と同じ実学の振興に求めている。二人は日本の進むべき道として同じことをいっているのに、福沢は儒学を固陋な武士道とののしり、渋沢はそれを行動の指針としている。福沢諭吉著 「学問のすすめ」、「文明論之概略」 岩波文庫 (改版1978、改版1962年 )において福沢は、徳より智を重んじて、日本の儒学を批判した。儒道学問も最初から政府の公営事業としてスタートしている。平安時代嵯峨天皇がが勧学院を貴族子弟教育のために作って漢学を学ばせた。鎌倉室町時代に至るまで、民間で文字を読める人はいなかった。文学は全く僧侶が担うことになった。京都五山の禅宗は一大学問の府であり、学問のみならず宋、明貿易によって栄えた。僧侶の学問独占体制によって人民を暗愚の位置に押し込んだのは、仏教と儒学のせいである。日本の学問はいわゆる治者の世界の学問で、しかも政府の一部分にすぎなかった。江戸時代に在って、民間に国学者神学者が現れたが、学者の団体結成はなく学者間の議論の場所もなく人民の力となることはなかった。徳川時代に学者の志を得たのは政府諸藩の儒学者であった。彼らが官位を得ていること医者(典医)と同じであった。大学者とはもっともよく政府に用いられた者のことで、学識功績をいうのではない。幕府の儒学を独占した林家、藤原家みたいな御用学者をいう。学芸(学問や芸術)というもっとも才能のきらめきを尊ぶ分野においても、血筋に伝習される家芸となって権威を獲得した。梨園とおなじ形式である。これらは幕府を頂点とする権力権威のプピラミッド構成をなしている。いわゆる精神の奴隷として、今にいて古の道を学ぶのみで、その古道をまた伝えて今を支配し、「人間社会に停滞の害毒を流したのは儒学の罪というべし」と福沢は糾弾する。私も儒学のことは不明にして「論語」、「詩経」を読んだぐらいのことなので、渋沢と福沢の儒学に対する態度の差異を論じることは避ける。渋沢は儒者の言う言葉を本書の各所で渋沢は採用しているが、儒教=道徳という理解をしておこう。

ところで経済と道徳についてはアダムスミスの有名な著書 アダム・スミス著/水田洋訳 「道徳感情論」(岩波文庫 2003年)がある。堂目卓生は「アダムスミス」(中公新書)において、「道徳感情論」を「国富論」の思想的基礎として重視する解釈が主流になりつつあるという。政府による市場の規制を撤廃し、競争を促進することによって経済成長率を高め、豊で強い国を作るべきだという経済学の祖アダム・スミスの「国富論」はこのようなメッセージを持つと理解されてきた。しかしスミスは無条件に自由放任主義をそういったのだろうか。前著「道徳感情論」をあわせ読むと、一貫して流れる、「社会の秩序と繁栄に関する一つの思想体系」を提示しているようである。。「道徳感情論」では社会の秩序と繁栄を導く人間本性に関する考察、「国富論」では社会の繁栄を促進させる一般原理、重商主義と植民地主義の歴史、今英国がなすべき事が検討されている。「国富論」は「道徳感情論」の考察に基づいて展開されている事が明白である。「道徳感情論]の主な目的は、社会秩序を導く人間本性は何かを明らかにすることである。私達は、自分の感情や行為が他人の目に晒される事を意識し、他人から是認されたい、或いは他人から否認されたくないと願うようになる。スミスはこの願望は人類共通のものであり、しかも最大級の重要性を持つものだと考える。秩序へ導く人間本姓として、「胸の中の公平な観察者」を置いた。経験によってすべての感情、行為が、すべての同朋の同意・是認を得られるものではないことを知る。そこで経験的に自分の中に公平な観察者を形成し、その是認・否定にしたがって自分の感情や行為を判断するようになる。「胸中の公平な観察者」はこの一般的諸規則への違反を自己非難の責め苦によって厳しく処罰することで、心の平静が得られるのである。この一般的規則を「正義」という。スミスは社会を支える土台は正義であって慈恵ではないと考える。私達がこのような動機から法を定め、それを遵守することによって、平和で安全な生活を営む事ができるのである。そして繁栄を導く人間本性 を「徳への道」として、私たちは他人といっしょに悲しむ事より、他人といっしょに喜ぶ事を好む。富は人間を喜ばせ、貧困は人間を悲しませる。社会秩序の基礎と同様、野心と競争の起源は、他人の目を意識するという人間本性にある。人の幸福とは、心の平静と享楽にある。心の平静のためには「健康で、負債がなく、良心にやましいことが無い」ことが必要である。これを「最低水準の富」という。「賢人」にとって最低水準の富さえあればそれ以上の富は自分の幸福に何の影響ももたらさない。一方「弱い人」は最低水準の富を得た後も、富の増加は幸福を増加させると信じている。経済の発展は最低水準以下の生活「貧困」にいる人の数を減らす事である。しかし「弱い人」の心情は自己欺瞞ではあるが、経済を発展させ社会を文明化させ、他人をも豊かにさせるのである。自分の生活必需品以上の富を生産する事で幸福が平等に分配され、社会は繁栄する。富と地位に対する野心は,社会の繁栄を押し進める一方、社会の秩序を乱す危険性がある。下流と中流の人々は「財産への道」を進む事によって、「徳への道」も身につけることができる。これを「衣食足りて、礼節を知る」という。ところが「徳への道」を忘れ「蓄財」にのみ走ると、それを獲得した手段や過去の犯罪をも隠蔽する腐敗の道を歩む。「フェアプレイ」の侵犯である。
アダムスミスがいう。「胸中の公平な観察者」をキリスト教の神とおけば、マックス・ヴェーバー著 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 (大塚久雄訳 岩波文庫 1989年改訳)となる。自己の貪欲を抑制して「企業法人」の営利のために尽くす人間が存在しなければ、産業的経営的資本主義はなりたたない。「キリスト教的禁欲」とは修道院の非行動的(没世間的)な生活態度をいうのではなく、「祈れそして働け」といった行動的禁欲をさしている。神は最後の審判でその人のすべてを見ているという強制力である。日本ではさしずめ閻魔大王であろうが、日本人は最後の審判なるものを相手にしない現世利益指向である。功利ではなく天職義務として自己を抑制するという非合理的な意識は、マルチン・ルターの聖書翻訳から生まれたという。天職(beruf)という思想は、世俗の職業は神の召命であり、我々の職業は現世においてはたすべき神から与えられた使命(ミッション)であると云う思想である。厳しく身を律するということも、日本人にはなじみがない。それにタガをはめてくれたのが武士階級の儒学であろう。

実を言うと私は最近まで渋沢栄一という人については、東京北区の京浜東北線王寺駅西にある桜で有名な飛鳥山にある渋沢資料館と製紙博物館を昔に見学したことがあり王子製紙を始めた人という認識ぐらいしかなかった。ところが渋沢栄一という人は「近代日本の設計者の一人」に数えられている偉人であることが分かった次第である。政治の世界では大久保利通、伊藤博文、教育の世界では福沢諭吉、実業界では渋沢栄一である。明治維新後渋沢栄一は民間企業の興隆なくして国家は成り立たないと自覚して、福沢諭吉と同様に、官に依らずして民の自立を説いた。上からの改革と民の自立は車の両輪のように発展しないといびつな国家になるといって、日本に実業界、ひいては資本主義の制度を設計した人である。岩崎の三菱や三井が深く政府に取り入って政商として利を独り占めしようとしたのではなく、渋沢は産業を興すにはまず銀行を起し、紙幣を製造するために製紙業と印刷業を起しという具合に、三菱や三井のような一族会社ではなく株式会社という制度を設計し、次々と会社を起した。卓越した、類まれな起業家であった。彼が設立に関わった会社は約470社もあり、また本書の経済と道徳を振興するための、慈善事業、福祉事業、学校事業では約500の事業を手掛けた。後に「の本資本主義の父」、「実業界の父」と呼ばれ、ノーベル平和賞の候補にもなったといわれる。渋沢栄一記念財団の資料によると、渋沢栄一が役員を務めたり、株主であったり、助言・援助をするなどの関わりをもった会社 を渋沢栄一関連会社として521社を挙げている。銀行・保険などの金融関係が103社、交通・通信関係は81社、繊維関係が30社、製紙業が8社、皮革関係が8社、製糖・ビールなどの食品関係が11社、窯業関係が24社、鉄鋼関係が11社、車両・造船など輸送機器関係が16社、肥料など化学会社が18社、電力・ガス関係が22社、建設関係が17社、証券取引所が17社、倉庫が8社、ホテルが6社、貿易会社が10社、電気機器会社が4社、印刷業が2社、その他商工業関係が25社、鉱業関係が16社、農林水産関係が28社、海外事業が43社、新聞雑誌社が3社、経済団体が11社である。著名な現存する会社名を拾い上げると、銀行では第1勧銀、三井銀行、日銀、東京海上火災、朝日生命保険、大和生命保険、JR東日本、京阪電鉄、サッポロビール、秩父セメント、日本鋼管、石川島重工業、三共、日本化学工業、東洋紡績、電気化学工業、東京電力、東京ガス、大阪ガス、大成建設、東京証券取引所、大阪証券取引所、渋沢倉庫、帝国ホテル、大日本印刷DNP、沖電気、東宝、足尾鉱山古河工業、大日本水産、東京商工会議所、東洋経済新報、実業の友社などであろうか。
渋沢の偉いところは、100年以上も前に資本主義が内包する問題点を見抜いて、その対策を本書の道徳に求めていた点である。1980年以降世界的に新自由主義経済とグローバル化が進み、バブル経済や金融危機をもたらした。2008年のリーマンショックによる金融危機からなかなか立ち直れない。日本は20年以上デフレと不況、財政悪化、格差社会に悩んでいる。だから渋沢は資本の暴走に歯止めをかける枠組みが必要だと考えていた。経済活動特に金融に関する規制を次々と撤廃していった新自由主義経済を前に、果たして渋沢の言う道徳(規制とは人の道を外さない道徳的感情が法という形になったもの)が力を出せるかというと心もとない。金融資本が利潤マシーンと化すことに歯止めができるのか。労働の人的資源を極小化し利潤を最大化する格差社会に「仁」はあるのか。先物取引やリスク商品や投機的株取引などに本書のように論語で有効な規制をかけられるのか疑問は多い。しかし「論語と算盤」とはユニークな命名である。複雑に技術化し人格を失った(ないほうが自由である)企業体の営利活動は、渋沢が理想とする経営を葬り去り、資本活動の邪魔をする一切の規制を緩和した。「仁義なき戦い」に陥った社会に、渋沢のような1服の清涼剤はたとえそれが論語の道徳であろうと、立ち止まって考えさせてくれる機会となろう。戦後の日本経済の発展の源と言われた、日本的経営の3本の柱である、終身雇用と年功序列、厚生福利、労使協調といった伝統は、経営者自身が弊履のように捨て去ったのである。なお本書は渋沢栄一を慕う「竜門社」の編集者である梶山彬が大正5年(1916年、渋沢75歳のとき)、渋沢の講話・談話を90項目に整理したものである。渋沢が時、場所、機会TPOに応じて話したことであるので、内容の統一や連続性や論理的な整合性は重視していない。かつ繰り返しも多い。渋沢の信条を論語の言葉で当てはめるとこういう表現になる。論語自体が孔子の言行を弟子たちが収録したもので、孔子が思想を展開した書ではない。では渋沢の名言録を味わってゆこう。

1) 処世と信条

* 論語と算盤はとてもかけ離れているようで実はとても近い。これは道理と利益は必ず一致するものであるということである。国の富をなす根源は、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富である。そうでなければそれは持続性がない。菅原道真は「和魂漢才」といったが、「士魂商才」と言おう。武士の精神で商人の才覚を併せ持つことである。渋沢は「社会で生き抜いていこうとすれば、まず論語を読みなさい」と勧める。
* 民間より官がえらいとか、爵位が高いということはそれほど尊いことではない。渋沢が官を辞職したのは、当時の我国では政治も教育も着々と進歩してゆく必要があった。中でも日本では商売が一番振るわない。商売を振興することが自分の天職だと思ったからだ。 孔子の教えは実用的で卑近に思えた。
* 渋沢は穏やかな男だといわれるが、争いを避けているわけではない。必要で譲れないときは争いもいとわなかった。世の中の動きは理由があって決まっているときは、争って形勢を変えられるものではない。人が世の中を渡ってゆくためには、成り行きを広く眺めつつ、気長に時節の到来待つことが必要だ。
* 人を使う立場の人は多少なりとも適材適所を心がけなくてはいけない。しかし自分の派閥を作る意味で人を配することは自分のよしとするところではない。渋沢は渋沢の心をもって、自分と一緒にやってゆく人物を遇するのだ。しかもその人とは平等の精神でやる。
* 世の中では、敵と争って必ず勝って見せる気概がないと、決して成長しない。後輩にたいしても保護するだけでは本人は成長しない。むしろ厳しく当たるぐらいでなければならない。
* 人には順境と逆境の時がある。対処を誤って作る逆境もあるがそれは良く考えて頑張れば何とかなるものだ。しかし人にはどうしようもない逆境がある。その時は自己の本分に与えられた中での役割分担と考え、覚悟を決めるしかないのだ。
* 良心的で思いやりのある姿勢で通してきた。「忠恕」を一貫するという。己を知り、身の丈を守るlことを「蟹穴主義」というが、冷静に出処進退(仕えるときと辞めるとき)の決断が大事である。
* 得意な時、失意の時も、いつも同じ心構えで、道理を守り続けるように心がけている。些細なことに神経を使うと疲れる。名声とは常に困難で行き詰った日々の苦闘から生まれる。失敗は絶頂の時が原因で発生するのである。「人間万事塞翁が馬、あざなえる縄のごとし」というではないか。

2) 立志と学問

* 明治時代のはじめ、日本には物質文明、科学的教育もほとんどなく、国の経済活動に必要な知恵や見識などそれ以上になかった。明治の末になると日本には物質文明はできたが、逆に精神教育が全く廃れた。渋沢は精神の向上を富の増大とともに進めることが必要であると思っている。強い信念をもってただ現在において正しいことをやれば、人として立派なのだと信じている。
* 人はどんな優秀な人でも、きっかけがないと力量を発揮する場所がない。上司に認められるにはまず些細なこと(勘定の帳尻をあわせるなど)をしっかりやらなければならない。水戸光圀公は「小さなことに分別し大きなことに驚くな」と言われた。
* 目の前の風潮に流されたり、一時の周囲の感情に縛られたりすると、自分の本領でもないことに首を突っ込むことになり進退窮まるのだ。自分がその志をやり遂げられるかを熟慮し、生涯を通じて大きな志からはみ出さない範囲の中で工夫することである。志を立てるということは人生という建築の骨組みである。小さな成功はその飾りである。
* 信じて正しいと思うことは、いかなる場合でも譲ってはならない。
* 社会での経験が少ない若者は、全体図を見て分かったつもりでも現場に行くととんでもない失敗をする。とにかく社会の出来事が複雑になると、事前に分かったつもりで備えをしていても不意を突かれるものである。これは学問と社会の関係に当てはまる。
* 渋沢は若い時17歳で勤皇攘夷の志士を気取り京都に出た。これがとんでもない時間の無駄使いで、明治5年大蔵省を辞め実業界で身を立てようと志した。欧米諸国が強いのは、商工業と科学の発達にあったからである。だから実業を民の中で興すのことをその後40年も一貫してやってきたのである。人の失敗を見て教訓としなさい。

3) 常識と習慣

* 常識とは中庸のことで「智、情、意」のバランスが取れていることである。智に働けば角がたち、情に掉させば流される」という漱石の言葉のように、動きやすい情をコントロールするのは強い意志より他にない。強い意志の上に、聡明な知恵を持ち、これを情愛で調節するのである。
* 社会で生きてゆくうえで自分の栄達はもちろん、社会全体のためにも働き、善行を植え付けて、世の中の進歩を図りたいという気持ちでやってきた。自分のところに援助をお願いに来る人々にも、その人の希望が道徳に叶っているならば。、多少の欠点は分かっていても援助するのが渋沢のやり方である。そのためたくさんの人に面会し、機会を与えるのである。
* 習慣も少年時代が最も大切で、それが身につけば一生離れないものだ。青年時代に覚えた悪い習慣でも努力すれば改めることはできる。
* 偽善で人を欺く人は多い。実社会でも、人の心の善悪は分かりにくいが、振る舞いの善悪に目が行ってしまう。しかし善いことをまねすることは善いことである。
* 勉強をしない国民によって支えられている国は繁栄も発達もおぼつかない。生涯学んで勤勉や努力の習慣を身に着けよう。
* 是非の判断基準を持っている人は、すぐに常識的な判断はできる。言葉巧みに誘導されると自分の道を踏み誤ることがある。常日頃から「意志の鍛錬」をしておかなければならない。常識に照らし合わせて実践してゆことで意志の鍛錬が可能である。不意に判断を求められるとこには機転を利かす鍛錬をしておかなければならない。

4) 仁義と富貴

* 実業は利潤をあげてゆくことが必要である。しかし自分だけが儲けて他人はどうなってもいいわけではない。本当の経済活動は、社会のためになる道徳に基づかないと、信用を無くし長続きしないのである。利益を得ることを卑しむようでは、国の活力は亡くなり、生産力は下がるのである。自分の仕事であればこの事業を成功させたいと思い、実際に成長してゆくには、事業の利益が出ていなければ次に投資する資本がないのと同様である。物の豊かさを実現したいという欲望は、その欲望を実践してゆくために道理をもたなければならない。道理がないと略奪資本主義となる。
* 孔子は決して経済活動を否定していたわけではない。道理を伴った富や地位でないなら、貧賤でいたほうがいい。正しい道理を踏んで富と地位を得るなら問題はないといいたかったのではないか。
* 貧しい人を救うことは、人道と経済の両面から処理しなければならない。貧しくなってから保護するより、むしろ貧しさを防ぐ方策が重要である。そういう精神で渋沢は慈善事業を興した。富を愛する富豪はその分社会に貢献しなければならない。
* 論語と算盤は一致すべきであるといい続けてきた。経済と道徳がともに手を携えて発展するために必要なのである。利を得たいという欲望に走り、人の道を外す人がいる。まっとうな富は、正しい活動で手に入れるべきである。
* 貨幣がなぜ便利なのかというと、いろいろなものを代表できるからである。そして細分することができる定量性を持つ。従ってお金は良く集めよく使い、社会を活発にして、経済の成長を促す。お金は寝ていたり隠していてはいけない。お金はリスクに備えて保持することも必要で大切な資である。無駄に使うことはいけないが、守銭奴はもっといけない。

5) 理想と迷信

* ただ命令に従った仕事なら熱は入らないし疲れるだけだが、自分の好きな仕事(渋沢はこれを趣味という)には力がこもる。人間は命ある存在でありたい、年を取って満足に体が動かなくなっても、心だけは世の中に役立ちたいと思うなら、それは生命ある存在となる。
* 道徳は文明の深化に従って、自らも進化できるだろうか。論理の力によって道徳心や公共心が維持できるようになることを期待したい。人間は道徳を忘れたのだろうか。昔の聖人が説いた道徳は科学の進歩によって色あせず変化しないに違いないが。
* 日に新たな気分でいると、毎日元気がはつらつとする。ところが政治や官僚は形式的な規則が多すぎ、物事が停滞している。長い間の慣習が染みついた国は自ら滅亡の原因をつくっているのである。
* 加持祈祷や迷信は打ち破るべきだ。(福沢諭吉も同じことを言っている。これを啓蒙という)
* 本当の文明とは、国の体制と政治のすべての枠組みがキチンと備わり、そのうえで一般国民の人格と智恵、能力が揃うことである。(福沢の「文明論の概略」の主張に同じ)

6) 人格と修養

* 同じ人と人との間には何らの差もないはずなのに、その人の人格というものが出てくる。人間として最も優れた能力を持つ者だけが、人としての真価を持つ。人を評価するのは難しい。その人が何を実践しているのか、その動機を観察し、その結果が社会や人々にどのような影響を与えたのかを考えないと、人の評価はできない。
* 西郷隆盛に国家財政の規範「収入を把握して、支出を決める」を示したという話。明治初期の政府にはこれが全くなかったため、渋沢と井上は大蔵省を辞めることになった。
* 修養(学問)には際限がない。現実と学問の調和が大事である。頭でっかちな宋の朱子学をうまく利用して実学的な成果を上げたのは徳川家康であった。藤原惺窩、林羅山を用いて理論と現実を調和させた。江戸時代の儒者で見るべきは、熊沢蕃山、野中兼山、荒井白石、貝原益軒ぐらいであろう。
* 偽善ではなく、ありのままに自分を磨くことは礼儀という形式ではない。「格物致知」、「致良知」とは心を正しくして、魂の輝きを解き放つことである。
* 道徳がひどく混沌とした時代になった。社会に生きる人々の気持ちが利益重視の方向へ流れるようになったのは、世間一般から人格を磨くことが失われたからであろう。忠、信、孝、仁が最高の道徳でなければならない。

7) 算盤と権利

* 孔子は宗教家ではなく政治家であった。しかしキリスト教の「愛」と孔子の「仁」は一致する。義務と権利とは対照的に見えて結局は一致するのである。孔子は「神と鬼は関せず」と言って迷信を避けた。なんかこの節は講話型式特有の支離滅裂な内容である。
* 「仁」とは思いやりの精神である。資本家は「思いやりの精神」で労働者と向き合い、労働者も思いやりの精神で資本家に向き合うべきである。両者の利害得失は共通の前提に立っている。(昔の西尾氏の民社党の労使協調路線みたい)国民みんなが富めるものになれることが望ましいが、人には能力の差がある。常に貧しい人と富める人との関係を円満にし、調和を保つ努力をすることが、モノの分かった人間に課せられた義務なのである。(新自由主義者に聞かせたら、どう反論するか)
* 輸出商業において注意すべき「競争の道徳」とは、品物の品質を徹底して選びぬき、他の利益を奪うようなことをしないことが善意の競争である。
* 悪徳重役という言葉で不正直、嘘、秘密、私的行為、詐欺行為、悪事が付いて回る特性である。国家に必要な事業を合理的に経営するなら、楽しんで仕事ができる。1個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をするべきだ。

8) 実業と士道

* 一般に封建時代には武士道と商才(経済活動)は相いれないと考えられてきた。武士道とは、正義、廉直、義侠、敢為、礼譲という精神である。欧州の商工業者は、互いの約束を守り、損害や利益があったとしても、一度約束した以上は必ずこれを実行して約束を破らない。これは「正義」、「廉直」の道徳心からきている。武士道とは実業道になる。
* 有無相通、つまりあるものとないものを、お互いに融通しあうことが経済の原則である。外国製品の偏重も国産品奨励も、保護貿易も干渉や束縛となる。(アダムスミスの重商主義批判やGATTのよう)
* 日本の商業道徳は進歩していない、個人での約束を尊重しないという批判がある。日本には契約思想が希薄で、伝統的に価値感が異なっていた。(これは東洋国の共通の悩みである)
* 「民は依らしむべし、知らしむべからず」という言葉は江戸時代の儒学の君子論であった。すると民衆は命令しか聞かなくなり、自主的に事業を興す気力もなくなるのである。明治以来利益追求にばかり目が向き、道徳はすっかり忘れられた。人からほしいものを奪い取ることに至った。人は悪なのではなく、商業道徳は信用に支えられたものでなくてはならない。
* 世の中は競争社会であるから「目的のためには手段を択ばない」という道義の観念もないようになった。すべての商売は罪悪なのだろうか。武力で国を作った治者が儒教で国を統治しようとした。その結果「財産を作ると仁の道から背く」と称して、治者は経済活動を卑しんだ。武士階級は扶養階級となり形式化して武士道も廃れた。商人も卑屈となって嘘が横行する世の中となった。契約精神と無縁の吝嗇経済に矮小化され、資本主義化の動きは出なかった。この節は東洋国家伝統の商業道徳が閉鎖的になったのは儒教のせいであるという福沢諭吉の論調となっている。本書の趣旨に矛盾する内容である。(これが真実なのだろうが)

9) 教育と情誼

* 親孝行を強制すると逆効果になる。「親に心配をかけるとしたら、自分の病気のことだけにしなさい」という論語の言葉がある。
* 昔の教育は偉い人を出すという天才教育であった。今の教育は多くのものを平均して教えるという常識的教育である。昔の儒学教育は心に関するものばかり、今は知識を身に着けることばかりである。普通の青年は小学校を卒業したら専門教を学び実際に役立つ技術を習得すべきである。この節も内容が支離滅裂である。講話形式なので、前と後ろの内容に脈絡がない。
* 女性を道具視してはならないし、人類社会において女性も男性同様重視されなければならない。女学校設立に尽力した渋沢なら当然のことばである。(しかし本人は多くの妾をもっていた矛盾は時代的で滑稽だ。このいい加減さは日本人特有)
* 中等教育の教科数が多くて、時間が足りないくらいである。人格や常識を習得することがおろそかにされるゆえんである。大体文明の進歩と云うものは、政治、経済、軍事、商工業、学芸がことごとく進歩して、始めて文明状態と言える。今の日本で必要なのは実業つまり商工業の教育である。自由に自主的に、知識偏重ではない常識教育が求められる。上も下も利益追求に走れば国は滅びるのである。
* 経済の原則に需要と供給のバランスがある。高等教育を受けた人の供給が多すぎると、船頭多くて頭でっかちの社会になる。実業・技術教育も必要である。

10) 成敗と運命

* ここの話は東京市養育院(貧窮者のための再生施設)の職員関係者向けの講話である。「仕事は地道に努力してゆけば精通するものだが、気を緩めれば荒れてしまう」、喜びの気持ちをもって事業に取り組めば成果が生まれるのである。救済事業のようなボランティアであれなお一層の注意が必要である。何よりも良心と思いやりの気持ちを基盤としなければならない。職員・医師・看護婦に訓示している渋沢の姿が見えるようだ。
* 人と社会の間に起こる出来事は偶然とは考えないで、天から下された運命だと感じて、恭、敬、信の精神で臨んでほしい。
* 順境、逆境と言っても自分で招いた境遇である。賢者と愚者の違いは学ぶと学ばざるにある。人に優れた知能があって、その上絶え間なく努力するなら、決して逆境などにいるはずはない。逆境がなければ順境もない。そんな運命はないのだ。
* 日本は社会の進歩があったとはいえ、すべてにおいて欧米より遅れを取った後進国の状態にいることは事実だ。今は特に自立した人にならなければならない。今日のような政府万能の時代で、民間事業が政府の保護に恋々としている風潮を一掃しなければならない。政府の助けを借りず事業を成長させてゆく覚悟が必要なのだ。民力の充実を説いた福沢の論に近い。
* 成功や失敗という価値観から抜け出て、自立し正しい行為の道に沿って行動するなら、価値のある生活をおくることができる。


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