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湯本雅士著 「金融政策入門」  
岩波新書 (2013年10月 ) 

デフレ脱出の処方箋において、量的緩和政策は有効か

2012年12月に成立した安倍政権と2013年4月に就任した黒川日銀総裁は、金融政策という観点からみて一つの大きな転換点を設定しました。本書は題名通り「アベノミクス」という政策を議論するものではありませんが、政府と日銀は一体であるという認識(日銀の自立性はありますが)にたてば、日銀は政府の金融政策面を担うといってもいいでしょう。ですからまず日銀の仕組みから見てゆこうと思う。日本銀行には、最高意思決定機関として政策委員会が置かれています。政策委員会は、通貨及び金融の調節に関する方針を決定します。日本銀行には、役員として、総裁、副総裁(2名)、審議委員(6名)、監事(3名以内)、理事(6名以内)、参与(若干名)が置かれています。このうち、総裁、副総裁および審議委員が、政策委員会を構成しています。任期は5年で身分は保証されており途中で罷免することはできません。2013年4月の日銀役員は以下です。
総裁     黒田東彦     元財務官僚。財務官を最後に退官し、一橋大学大学院教授、アジア開発銀行総裁を経て現職。長年、日本銀行を批判してきた黒田は、15年にわたる日本のデフレーションの責任の所在を問われると「責務は日銀にある」と明言している。物価について「中長期的には金融政策が大きく影響を与える」と述べ、金融政策のみで物価目標達成は可能との見方を示している。量的緩和拡大が人々の期待物価上昇率を引き上げる経路を強調している
副総裁   岩田規久男   学習院大学教授時代より積極緩和派の急先鋒で、小宮隆太郎門下である。日本銀行に批判的な論客として知られ、日銀の国債買いオペレーション、インフレターゲット、政府に総裁解任権を付与する日銀法改正、規制緩和を主張している。本書でも言及している岩田-翁論争(マネーサプライ論争)の当事者で、リフレ派の棟梁と目されている。
副総裁   中曽宏      小宮隆太郎門下  金融システム、市場取引、国際金融に精通している。
審議委員 宮尾龍蔵     神戸大学名誉教授 専攻は金融・マクロ実証分析。2010年3月日本銀行政策委員会審議委員に就任 継続委員
 同上   森本宜久     実業家 東京電力取締役副社長、電気事業連合会副会長を歴任した東電の生え抜き。2010年7月1日日本銀行政策委員会審議委員に就任 継続委員
 同上   白井さゆり     慶應義塾大学教授 専門分野は国際経済学、マクロ経済学、アジア経済論、通貨政策。国際通貨基金(IMF)エコノミストを経て、2011年4月より須田美矢子の後任として日本銀行政策委員会審議委員に就任。継続委員
 同上   石田浩二     実業家 住友銀行常務執行役員を経て三井住友フィナンシャルグループ代表取締役。2011年6月30日 日本銀行政策委員会審議委員 継続委員
 同上   佐藤健裕     経済学者、実業家 モルガン・スタンレー証券エグゼクティブ・ディレクター 2012年7月24日  日本銀行政策委員会審議委員 継続委員
 同上   木内登英     日本のエコノミスト 野村証券金融経済研究所経済調査部長 2012年7月24日 日本銀行政策委員会審議委員 継続委員
ということで、2013年3月白川日銀総裁の辞任に伴い、新たに就任した政策委員会委員は、総裁、副総裁2名の3名のみで、ほかの審議委員は全員白川時代からの継続委員である。交替した総裁及び副総裁の3名は「デフレの責任は日銀にあり」として量的緩和を説くインフレターゲット論者とみられる。
著者は本書の「はじめに」において「昨今の金融政策の運営に起きては、個人・家計・企業といった経済活動の主体が抱く期待(先行きについての予想)に依存するところが大きくなっており」と述べて、そうした期待が思い込みや誤解からなっているとしたら、重大な結果をもたらす可能性を指摘している。だから本書は伝統的な金融論の枠組みを踏まえたうえに、ゼロ金利時代に入って行われたさまざまな政策運営の試行錯誤と、それを裏付ける理論の経過を丹念にたどることからスタートするという。金融政策については、政治論争と同様にさまざまな意見が出るのが当然だとしても、少なくとも解説者の誤解や思い込みに基づくバイアス(歪み、偏り)、あるいは意図的な世論誘導の影響は受けたくないと、事実にもとずく論点の展開を念頭に置くという。本書の目的は、あくまで問題を考えるための糸口をみつけることです。著者はそのために気をつけなくてはいけないポイントを次のように整理しました。
@ 自分の気に入らない情報は拒絶する態度は改め、白紙の状態で臨むこと。特にメディアの論点には十分注意が必要である。
A 金融政策の基礎から積み上げること。データを見てその意味するところを自分お頭で考えること。
B 全体像を見失わないこと。
C 因果関係の方向(どちらが因でどちらが果なのか)を見極める。因果関係と相関関係は似て非なるもので、因果関係が恒等式に過ぎないことがよくある。言葉の言いかえで同じことを言っているに過ぎないことに注意。
D 言葉の定義を明確に。
E 視点の違いに要注意(事前に予測か事後のことか、長期的か短期的か、マクロかミクロか、フローかストックか、実物世界か名目世界かなど)。
湯本雅士氏の立場を明らかにするため、本書末にある著者略歴を見ると、1937年生まれで(2013年で76歳)、60年東京大学法学部卒業、同年日本銀行に入行。65年ペンシルバニア大学ウォートンスクールでMBA取得。IMF出向後、日本銀行の国際金融・政策関連部局等を経て、91年より東京証券取引所に勤務。99年杏林大学社会科学部(現・総合政策学部)・同大学院国際協力研究科教授、2003年同客員教授、2010年より2012年3月まで、同大学講師として引き続き金融財政論を講義。現在、衆議院調査局財務金融調査室客員調査員としてスタッフの指導にあたっている。つまり彼は定年まで日銀に勤務し、その後にアカデミックに転じた人である。だから日銀の金融政策に精通しているのであろう。

1) 金融政策とは

まず金融政策に入る前に金融とは何かをおさらいしておきましょう。金融とは「経済主体がお金を必要な主体に融通することである」。貸し出し(借り手は期限を決めて資金を返済する。債権など)と出資(成功報酬を期待するので、一定期間後の返済は予定されていない。株式など)の場合に別れる。金(資金)は通貨のことである。通貨(貨幣)の起源などについてはそれはそれで面白いのだが、岩井克人著 「貨幣論」 (ちくま学芸文庫 1998年3月)に次のように述べている。「需要縮小に伴う過剰生産、デフレや不況、恐慌を資本主義の危機というが、本当に恐ろしいのは、貨幣から人々が逃げ出すハイパーインフレこそ貨幣を貨幣として成り立たせる構造を破壊し、資本主義に本質的な危機をもたらすのである。」という。つまり貨幣は信用から成り立つ名目(虚構)の世界のことである。だから金融のことは難しい。江戸時代の金融業者とは「預かり証」を発行する両替商の事であった。明治時代に入ってから貨幣発行権を持つ銀行が設立された(第1銀行などナンバー銀行のこと)である。銀行と株式会社の生みの親といわれる渋沢栄一の自伝、渋沢栄一自伝 「雨夜譚」(岩波文庫 1984年版)にその苦労が描かれている。「明治9年に銀行紙幣は政府紙幣で兌換するというように条例が改正された。併せて士族や華族の「秩禄」を公債証書で一度きり支払うことにして廃止し、この公債をもって銀行を経営させるということになった。明治9年国立銀行条例(銀行券発行権をもつ民間の銀行のこと)が改正され、一挙に152の銀行ができ銀行の組織がようやく普及することになった。中央銀行すなわち日本銀行の設置は明治15年のことである。」という。ここで貨幣の発行権は日本銀行に移るのである。日本の中央銀行設立はスウェーデンやイギリスに比べると2世紀ほど遅れるが、イタリア、アメリカよりも早いのである。殖産興業を急ぐ明治政府の意気込みが伺える。中央銀行による銀行券発行権については、通貨を発行する権利は国家主権の一部(税徴収と同じく)であり、それを持つのはあくまで国であり、受け取る側はこれを拒否できないとされる「法定通貨」といわれる。日本銀行は「銀行の銀行」といわれ、会計処理でいうバランスシートを持ちます。普通の民間銀行では預金は負債(いつでも要求があれば貨幣に変える義務があるから)であるように、日銀が印刷した銀行券は負債に計上されます。2013年6月末の日銀のバランスシートの資産部の内訳は、
資産の部: 国債(長期、短期)148兆円、CP(短期社債)2兆円、社債2.8兆円、信託(株式)1.3兆円、信託(EFT)1.9兆円、信託(J-REIT)0.15兆円、貸付金24兆円、外国為替5.1兆円 諸勘定0.471兆円
負債の部: 発行銀行券83.9兆円、当座預金84.7兆円、その他預金1.26兆円、政府預金1.26兆円、売現先勘定−0.25兆円、引当金勘定3.5兆円、資本金(1億円)、準備金2.7兆円
通貨に対する国民の信認こそが通貨の円滑な流通ひいては経済活動に絶対的必要な条件であることはいうまでもない。日本で金本位制を脱して管理通貨制度になったのは昭和初期1931年12月、高橋是清蔵相の時代でした。国家によって通貨の量が適切に管理されていることが前提です。通貨とは政府の発行するコインと日銀が発行する銀行券(現金通貨)だけではなく、預金通貨があり、圧倒的に預金通貨のほうが多い。カードの時代になると現金通貨は金銀制の遺物みたいなもので、最終的にはペーパーレス時代になると思われる。ですから現金通貨発行量を決めているのは日銀ではなく、それを使う人の利便性から発行量が決まります。通貨の主たる機能は交換決済手段であり、価値保蔵手段です。家計や法人間の債権債務関係は、それぞれが取引している金融機関相互間の債権債務関係に振り替わります。そこで決済が行われるのです。そしてこの銀行間決済は、最終的には主要金融機関が日銀に持っている預金の口座振替の形で行われる。これが日銀ネットと呼ばれる決済システムです。預金取扱金融機関が日銀に持っている預金は準備(リザーブ)と呼ばれ、決済だけで金融政策上重要な意義を持ちます。日銀当座預金イコール準備ではなく、証券会社も決済も含まれますので2012年の準備預金残高は32.5兆円でした。決済リスクを避けるためある時点で全体を相殺するのではなく、即時・直接決済が行われています。預金は銀行にとっていつでも引き出される債務であり、預金をはじめ金融商品は債権債務の連鎖にあって、どこかで金融システムがつまずくとシステム・リスクとなります。アメリカの住宅バブルの最中にサブプライムローンのつまずきが2009年のリーマンショックを引き起こしました。従って金融政策は物価の安定を図るだけでなく、一つの経済主体の安定を図るミクロプルデンシャルポリシーと、全体の金融システムの安定を考えるマクロプルデンシャルポリシーつまり金融機関の監督・規制という分野が重要です。

金融政策とは「政策担当者が、一定の意図をもって通貨・金融面から経済主体の行動に働きかけ、その意図を実体経済に実現することである」とされています。日本銀行法は「通貨及び金融の調節を行うことによって、物価の安定を実現し、それを通じて国民経済の健全な発展に資する」と日銀の使命を述べています。通貨・金融が実体的な存在ではなく、観念の次元の操作に深くかかわっているので、期待や信用が経済活動に大きな影響を与えます。金融機関はいわば情報だけが動く産業といえます。預金とは信用創造であるといわれます。金融仲介機関は預金を扱う金融機関(銀行、郵貯)とそうでない機関(証券、保険)に別れ、預金は間接金融に属し融資先を特定せずに預金します。そこでは金融機関(銀行)のバランスシートが動き負債が計上されます。株式や社債のように融資先を得する金融を直接金融といいます。そこでは金融機関(銀行・証券会社)は仲介に過ぎずバランスシートは動きません。国内非金融部門(家計・民間非金融法人・政府・海外機関)が資産を運用する主体となり、金融仲介機関(預金取扱機関・保険年金基金・投信・政府系バンク・日銀)を介して、国内非金融部門(家計・民間非金融法人・政府・海外機関)に金を融通する資金の流れを日銀は「資金循環表」と呼びます。家計の150兆円という金融資産は実はタンスにあるのではなく、すでに国債となっていたり銀行預金、年金積立金の形をとっていますので、間接的に国債を保有していることになります。家計は長年資金余剰部門であり、民間非金融法人(企業)も1995年以降資金余剰部門となった。一般政府と海外だけは常に資金不足の状態です。金融商品は預金だけではありません。貸出、株式、債権、派生商品(オプション・スワップ・ワラント)などがあります。プロ向け短期金融市場・債券市場、市民向けの預金・保険・信託市場、プロアマ混合の株式市場、外国為替市場などを金融市場といいます。預金をすると流動性を失なうことによるリスク・プレミアム(利子)が付きます。期間中先行き短期金利が低下する金融緩和が進むと予想される時は金利は下がり、先行き金融引き締めが予想される時は金利は上昇する。これをイールド・カーブと呼ぶ。中央銀行は短期金利をほぼ完全にコントロールできますが、長期金利はこれをコントロールすることはできません。中央銀行の金融政策決定会合で出された方針は実行に移され、中央銀行が働きかける場所が短期金融市場です。それによって政策金利日銀が望む水準に近づけ、主として銀行が中央銀行に有する預金金利(その大部分がリザーブ)を支配します。金融機関同士が一夜の短期取引で融通しあう際の金利を政策金利という。これをコールレートといいます。預金取引金融機関は準備預金法により、顧客預金残高の何%(法は0.8%を求める)かを準備として中央銀行に預金しておくことが義務付けられています。2013年6月で法定準備預金平均残高は8兆円、準備預金総額は約76兆円で大幅な余剰準備状態です。この上回っている部分には中央銀行が政策金利並みの金利(保管当座預金適用金利 現在は0.1%)をつけます。法定準備率には現在では金融調節機能はありません。短期金融市場に影響を与える外部要因に銀行券の出入りと財政資金の出入りがあります。政府の支出入も政府と金融機関がそれぞれに持っている預金の振り替えによります。そこで短期金融市場で資金が不足すると、日銀は金融機関の短気証券を買い取りその金融機関の預金準備を増やします。逆に資金が増えると日銀保有の短期証券を売却して、その金融機関の中央銀行預金を減らすという金融調整(オペレーション)を行います。このように中央銀行が最終的な貸し手としての短期希有市場の価格決定権を持っていることが、日々の金融調節を可能としているわけです。日銀は特定の金融機関からの申し出にたいして金利(政策金利0.1%に対して0.3%)を取って直接貸し付けることによって短期市場へ資金供給が可能です。これを補完貸付制度といいますが、現在あまり使われていません。銀行が日銀からの直接買入れは信用にかかわるとして嫌がるからです。こうした金融政策が実体経済に波及させるアプローチには、金利を重視するケインジアン・アプローチと、通貨量を重視するマネタリスト・アプローチがある。ケインジアン・アプローチは短期金利操作によって長期金利・債券金利・為替相場に働きかけ、資産形成に寄与して実体経済の改善(物価・賃金)を行うものです。金利をマネージメントする方法にテイラールールがありますが、合理的期待仮説が成り立つかどうかで中央銀行のメッセージ(コミュニケーション)の出し方が問題となります。マネタリスト・アプローチとは準備量を変えることで通貨量を変え、為替相場や実体経済に働きかけるものです。準備の供給がその何倍かの通貨を生む、信用創造に期待するものです。通貨量と実物経済との関係を通貨量仮説(通貨量×通貨回転率=物価×取引量)に基づくと考えます。すなわちマネタリストは通貨量は生産額を押し上げると主張します。デフレ脱却の政策論としてはまず中央銀行がまずベースマネーを増やす量的緩和を行うことでなければならないとします。そのために中央銀行のコミュニケーション戦略に帰着します。つまり中央銀行の姿勢を信用させ、期待を通じて資産価格が上昇すると為替相場を変化させるわけです。その際中央銀行がマネーを増やすメリットだけを強調し、その副作用(短期金利の混乱、バブルなど)には決して言及しないというメディ戦略も必要なのです。まさに薄氷を踏む思いでマネージメントが必要になります。心理作戦と言ってもいいでしょう。それで実体経済を改善できるかどうかは保証の限りではありません。

2) 金融政策の軌跡

戦後から1990年代末の金融自由化までの日銀の金融政策はいわゆる「護送船団方式」という徹底した規制の下で、金融システム全体の安定化を図り、高度経済成長に必要な資金の供給に齟齬をきたさないことが目的でした。終戦直後のインフレの防止と貿易経常収支の均衡回復が喫緊の課題でした。金利が政策的に低く抑えられているため、企業の投資活動が刺激され、経済規模が急テンポで拡大する原動力となった。対外的には厳しい為替管理が敷かれ、1ドル=360円の固定相場制時代でしたが、1971年金交換を停止したニクソンショックで、円はかなり安く設定され油種産業は潤い経済が拡大する要因となった。こうした規制の下で政策金利はコ−ルレートとして操作され、銀行準備金の供給はもっぱら銀行に対する日銀貸付という形で行われた。公定歩合は規制金利体制下で各種の金利へ波及するきっかけとして日銀当局は慎重にかつ秘密裏に操作した。これはいわば「ケインズ・アプローチ」に沿ったものといえます。主要中央銀行でマネ―サプライ・ターゲットを設定しなかったのは日銀と米国のFRBでした。銀行の企業に対する貸付も四半期ごとに日銀に貸付計画を提出する形で、実質的には日銀が決定するに等しく、これを「窓口指導」と呼んでいました。当時の日銀総裁は陰で「法王」と呼ばれ銀行に対して絶大な権限を持っていました。経済が高度成長期から成熟期に入った1980年代から、急速な国際化と大量の国債発行が続き、自然の自由な債券市場取引が発達したので、自由金利が進展しすべての金融商品に及びました。変動相場制と経済の国際化によって為替管理が廃止され、取引の自由化が進んで金利自由化を進めました。1985年お裏座合意、1987年ルーブル合意は、為替相場の変動が国内景気や金融に大きな影響を与えるため、主要国が足並みをそろえて為替相場に協調介入すれば相当程度コントロールできることを示した。そして1991年には銀行貸出について窓口指導は廃止され、1995年政策金利による操作に移行しました。1996年に短期金融市場における金融調節手段は証券の操作に代り、日銀貸出は補助的手段とされました。1990年初め株価や不動産の上昇はバブルとなり破裂し、以降はスパイラル的に下降しました。このバブルは急速な円高によって財政支出や金利引き下げをたびたび繰り返したため、全般的な資産価値のバブルの発生に至ったものと解釈されている。この間消費者物価が比較的落ち着いていたので、急速な金融引き締めは躊躇された。証券の大幅な評価損、銀行の企業貸付の回収不能(不良債権)によって、銀行の財政内容が悪化した。政府は2000年初めに銀行の資本を強化するため公的資金の注入措置を講じた。1999年2月から2000年8月mでいわゆる「ゼロ金利政策」の時代となった。なおこれは量的緩和とは異なります。結局日銀は「最後の貸し手」となって、損失のリスクを負うことで国は財政赤字の拡大要因となった。こうしてかろうじて金融システムの危機は回避できたものの、経済の大幅な縮小と国際競争の激化によって、日本経済は3つの過剰(過剰設備、過剰債務、過剰人員)を抱えたデフレ状況に陥れました。世では「失われた10年、または20年」と呼びます。金融政策に長期的なデフレ政策と緊急対応的な措置が混在すると、副作用が激しくコントロールの難しい状況が続きました。デフレとは何かという定義には@恐慌:物価と経済成長率が同時に下落、A物価と経済成長率の鈍化が長期化する、B物価上昇率が長期にわたってゼロ前後にとどまる、がありますが政府はデフレ状態を認めたくなかったのでBの解釈を取り続けました。ミクロ的には物価上昇率の長期低下を安定と言っていいとするかよくないとするか見解が分かれますが、長期的な物価の低下は、いつも投資の減退・経済成長率の低下・賃金の低下・失業の増加となってマクロ的にはよくないことである。特に債務超過部門である企業と政府は、企業活動の低下と財務状況の悪化を招く。また日本で物価上昇率が低く、海外で物価上昇率が高いと「購買力平価説」が予測する通り円高に導かれます。逆にインフレの時は円安となります。

次にデフレに対応するための金融政策を考えましょう。ケイジアン・アプローチ(伝統的金融政策)で金利をほぼゼロにしても経済は活発化せず、デフレ状態が長引いている状況を前にして、はかばかしい効果が得られない場合、金融政策はどう対応したらいいか。これはサブプライム危機以降世界の中央銀行が頭を抱えている現状です。ここで世界の中央銀行は試行錯誤的にいろいろな措置を講じてきました。それを非伝統的(非政党的)金融政策といい、次の4つが特徴的です。@ 中央銀行の資産内容を重視する政策(信用緩和、資産として中長期債券の大量買い入れ) A 中央銀行の負債規模を重視する政策(量的緩和、証券買入 預金準備を拡大) B 銀行貸付側面支援政策(成長基盤支援資金供給) C 中央銀行のコミュニケーション戦略(フォワード・ガイダンス) 各々の政策は独立または並立して採用されている。
@ 中央銀行の資産内容を重視する政策(信用緩和、資産として中長期債券の大量買い入れ): 日銀は短期金融市場において主に銀行を相手にして短期の証券の売り買いをすることで日々の金融調整を行ってきた。その範疇を超えて中長期の債券を計画的に大量に買い入れるというのがこの政策の特徴である。中央銀行が最後の貸し手ならぬ最後の買い手になって出動することである。これによりその証券の市場流動性が回復し、他の証券にも及ぶ(ポートフォーリア・リバランス効果)というのが描かれたストーリーです。これが長期的なデフレ対策として行われた場合、その証券の利回り(イールド・カーブ)は低下します。中長期債権の金利の低下は投資を刺激し景気回復の支援材料になる。買い入れ対象としては中長期国債です。米国のFRBは国債のほか住宅貸付担保証券やエージェンシー債を買い込んでいます。日銀の場合はすでに「輪番オペ」と称して中長期国債の買い入れを行って来ました。これには枠を設けて年間21兆円ほどです。これを日銀券ルールと言いました。2010年10月日銀白川総裁は「包括的金融緩和措置」という「金融資産買入等基金」を設けて長期国債の買い入れを行いました。当初35兆円だったのが、2012年12月には101兆円ほど買い入れました。2013年春黒川日銀総裁はこの基金を廃止し通常のオペとして国債購入を行うことに統合しました。
A 中央銀行の負債規模を重視する政策(量的緩和、預金準備を拡大) : 中央銀行が中長期国債を買い入れると、バランスシートの資産サイドが膨らむと同時に、負債サイドの預金準備が増大します。日銀は金利ゼロ政策を解除し、2001年3月より日銀当座預金に目標値を定める方法を取りました。積立金は2004年の春には30−35兆円まで膨らみました。この結果短期市場金利はほぼゼロになったので2006年にこの措置は停止されました。日銀の名目GDPに対する資産規模に比率は30%を超え、欧米に比べると最も大きな数値となった。名目GDPに対する相対的マネタリーベースもマネタリーストックも一番高く、日本は最も緩和した状態にあるといえます。量的緩和政策がもたらす問題点は、短期資金の利子はゼロに張り付き短期金融市場が潤沢過ぎる準備のために麻痺してしまうことです。
B 銀行貸付側面支援政策(リファイナンス 成長基盤支援資金供給): ところがいくら準備を増やしても銀行貸出に結び付かない(投資の活性化にならない)問題に対して、銀行貸出に対して日銀がその資金を政策金利で供給する考えです。2010年4月に採用された「成長基盤支援資金供給」というものですが、日銀は「量のみ関心を持ち、質には介入しない」方針を変更し成長基盤支援を支援するのは筋が違うようですが、デフレ脱却には生産性向上が欠かせないという認識になってきたためである。さらに日銀は2012年12月に「貸出増加支援のための資金供与」制度を導入しました。さてどれくらい貸出促進策になるのか今後を見守ることになります。
C 中央銀行のコミュニケーション戦略(フォワード・ガイダンス): 1990年代中ごろから金融自由化に沿って、金融政策運営の透明性が次第に増加してきました。金融政策決定会合後、毎月声明や記者会見・議事要旨が発表されます。これは当局の「説明責任」と言えますが、目的はそれだけではありません。これは期待への働きかけ(フォワード・ガイダンス)の一つです。「この政策はいつまで続くから安心せよ」というコミットメント(約束)を関係者に与えることです。米国のFRB や欧州のBOEもたえず政策についてアナウンスしています。この期待への働きかけ(フォワード・ガイダンス)はメディアを通じての世論操作と紙一重です。下手をすると雪崩をうって誤った方向へ流れ悲劇を生みかねません。官僚の無誤謬性を信じる人はいないでしょうが、金融を操作することは世論を操作する以上に難しいことを考えると、国民が政府を信じるかどうかにかかっています。今の日本では3.11以来政府は信を失っていますので、「金はいくらでもありますから、みんなで買い物に走りましょう」と言っても買うものがない状態ではどうしようもありません。ゼロ金利をいつまでも続けるというメッセージは、かえってっ経済を低成長・低物価上昇率にくぎ付けしてしまうという「複数均衡論」からの批判が強い。低位の均衡から高位の均衡へジャンプするには人心一新(レジームチェンジ)が必要です。バブルに懲りている国民が、軽薄にも飛び出すでしょうか。

3) 金融政策と財政・為替政策

金融政策が財政政策と為替政策とどう関係するかを検討します。まず財政政策ですが、政府は国民に市場原理では通用しない公共財を提供します。公共財には当然費用が必要ですが、資金は税金と借金である国債で賄います。国の歳出は原則として(むなしく響く言葉だ)国債を発行してはいけないことになっています。しかし国の資産形成にかかわる建設国債の発行は認められています。またなお財源が不足する場合には、年度ごとに国会の承認を経た「特例国債」も発行できます。国債発行の基本原則(これもむなしい言葉だ)は国債の日銀引取りの禁止であって、「市中引き受けの原則」と呼びます。これはそうしたことによって過去に激しいインフレが起きたことに起因します。なお日銀による短期証券の引き受けは禁止されていません。これは一時的な資金繰りに対応するためです。また財政法により、日銀は国会の議決の範囲内で国債を引き受けることができるとされ、国債の満期が来て現金償還を受けずに他の国債に乗り換える「借換債」を認める趣旨である。実際日銀は相当額の国債を保有しています。金融市場の調節目的で各種の証券を民間金融機関から買い入れているので、国債の日銀引き受けと日銀による国債の市中買い入れとの間で準備金が増えることに変わりはありません。2013年度当初の国債発行額は総額170兆円、うち借換債が一番大きく112兆円、建設国債43兆円、復興債2兆円、財投債11兆円です。国債の保有者別では2012年末で総額960兆円のうち、銀行が43%、生損保が19%、日銀が12%(115兆円)、公的年金7%、年金基金3%、海外8.7%等となっています。金融調節手段としての国債買い入れは自主規制として日銀券ルールを設けていますが根拠はありません。一般に長期債で金融調節を行おうとすると、短期債に比べて市場かく乱要因になりやすいので自主的に抑制をかけているのです。なんてことはない、金融当局が設けた禁止原則は当局のご都合でことごとく破られているのである。財政規律と金融規律は情勢の都合であってもないような状況で、なんでもありといえる。昨今累積国債残高の問題は棚上げにして、国債を除いたプライマリー・バランス(基礎的収支)の均衡だけで財政を論じることが多い。それもプライマリーバランスの赤字を2020年までに黒字化するという目標は、消費税の10%増税でもっても困難な状況である。しかし問題はこのバランスがとれたとしても国債が減少するわけではなく、国債残高の利子払いは黒字でもって補われるべきはずのものである。従って名目経済成長率が長期金利を上回ることが必要になる。だから財政の健全化には長期金利水準を低く抑え、名目成長率を高めに維持することです。マネタリストの言葉でいえば「インフレターゲットを設けて大量の国債を買い入れ、それによって長期金利を低下させ、物価上昇率を高めて名目成長率を引き上げる金融政策をとるべきだ」ということになるのでしょうか。インフレは所得移転を伴います。国民が債権者である国債はインフレによって資産価値が下落します。日本の財政状態の改善にはインフレが一番手っ取り早いといわれても、国民は簡単には納得できません。大幅円安は輸出にとって朗報だとばかり言えません。輸出産業はエネルギーと部品を輸入していますので時間差で自分の首を絞めるのです。円安の結果としての物価上昇はデフレ脱却策として朗報とも言えません。円資産全般の価格低下は金利の上昇を意味し、金利上昇は経済活動を委縮させます。こうしたインフレターゲットのマイナスの連鎖の結果を想定知っておくことは公平な見方です。マイナス面は無視してプラス面しか宣伝しないことは、とんでもない悲劇を起こしかねません。

次に為替相場と金融政策の関係を見てゆきましょう。白川日銀総裁の時代(2008年ー2013年)はひたすら円高に悩まされた時期でした。金融取引には期待の要素が強いものですが、株式に比べて為替相場はとりわけ顕著な分野です。外国通貨は決済手段であるだけでなく金融資産でもあるので、資産価格バブルも起こります。為替相場はどうして決まるかは、理論づけからの乖離がはなはだしくどうもよくわからない分野です。購買力平価説と金利平価説とがよく言われています。なんおために為替相場があるかというと貿易決済をバランスさせるためにあるといわれます。一方的赤字国から金融資産が流出し続けないように、決済交換比率=為替相場でバランスを取るといわれますが、完全に各国同志が自由市場であるわけはないので、そういう目的では失敗しているといわざるをえません。同一価値のものを交換するには、為替相場と物価指数は逆の関係にあります。マネタリスト・アプローチでは通貨量は金融政策によって決まる立場ですので、金融緩和(通貨増発)→物価上昇→円安という構図を描きます。さらに為替相場は両国の通貨量やその増加率によって決まるという人もいます。日本の政策当局の金融緩和の姿勢が米国に比べて不十分だという見方を信じるとそれだけで円高になるという。為替相場の変化に影響を与えるもう一つの要因は両国間の金利差だとする金利平価説があります。国内で円で運用するか、円をドルに換えて外国で運用するかどちらが得かという問題には、もしどちらも同じ運用結果を出したとして、ドルの利益を円に換える際の為替の先物相場を予測しなければなりません。為替リスクを避けるため先物でカバーする場合とカバーなしの場合があります。カバーなしの場合先物の動きに依るため期待・予測が大きな分かれ目です。ドルプレミアムがあるかどうかの見極めです。円ドルレートと日米2年もの国債利回り格差には乖離が大きすぎて何も言えません。またソロス・チャートという日米マネタリーベース比率と円ドルレートの関係は2002年以降乖離が大きすぎて理論的根拠はありません。「期待の自己実現」という言葉があるようにそう信じれば現実がそう動くという時期も確かにあるので、ますますわからない世界です。たまたまの相関関係を因果関係と言っているだけのことかもしれません。政策論として円高を何とか円安に持ってゆきたいと考えた場合、日本の金融緩和が格段に進んでいることを世界に印象付けることが必要です。そして金融緩和の進み具合は中央銀行の資産規模またはベースマネーの量で決まるということを主張し、その方向で日銀当局ががんばっていることを示すことが戦略となります。先進国が競争するように金融緩和を進めると、潤沢な資金を高利の新興国へ投資する動きが支配的になります。これを「キャリー取引」と呼びますが、先進国の通貨は下落します。新興国の通貨は上昇してバブルを引き起こし、1990年代末の国際通貨戦争となります。世界がグローバルとなって先進国の金融政策には当然のことながら他国への配慮が必要です。一般に為替政策は為替介入となります。異常な相場の乱高下を防止するための介入は国際的には是認されていますが、各国が共通の意図に基づいて歩調を合わせて財政金融政策の運営に当たり、市場がそれを十分理解して信頼する場合に行われる協調介入は、1985年のプラザ合意という数少ない成功例です。介入は財務省が管理する「外国為替資金特別会計」で、日銀はその代理人として業務にあたります。円高、円安にはミクロ的にはメリット・デメリットがありますが、長期にわたるデフレ傾向が続いている日本にとって円高はやはり問題であるといわざるを得ません。輸出産業を中心とする日本経済にとって急激な円高はやはり深刻な影響を与えています。

4) 中央銀行(日銀)が直面している諸問題

1950年以降中央銀行が現代的な意味で金融政策の目標を物価の安定において以来、その運営に当たっては可能な限り時の政治的圧力を排除したいという、いわゆる中央銀行の独立性の尊重という原則が生まれた。しかし中央銀行の金融政策は財政政策や為替政策と並んで国の経済政策の一環です。1997年の新日銀法では日銀の「自主性」という言葉で表現しています。会計検査院の独立性とは意味が違います。日銀はいわば認可法人で、銀行券の独占的発行権を付与され、内閣によって人事権と予算権を掌握されている限り、日銀の独立性はあり得ない。日銀法では金融政策が国の経済政策の一環であることを踏まえて、政府の経済政策との整合性を図るため、政府との間で連絡を密にし十分な意思疎通を図ることを求めています。2012年10月、2013年1月政府・日銀の「共同声明」を表明して一体感をアッピールしました。政府は日銀の金融政策決定者会合に財務大臣(代理も可)を出席させ意見を述べることができ、政府から議案提出および議決延期請求を出すことができます。インフレターゲット政策とは、物価上昇率を目標として掲げ、その実現をめざす中央銀行のコミットメント(フォーワード・ガイダンス、コミュニケーション戦略)である。インフレターゲット政策は1988年ニュージランドで採用されたのが始まりとされる。その政策の一般的に受け入れられている定義とは、喫緊の目標達成よりは中長期的な物価と経済の安定化を目指す政策という理解で、これを「フレキシブル・インフレターゲット政策」と呼びます。欧米で弾力的に取扱い、ゴール、目途、閾値と呼び、物価安定の定義を+2%未満で、2%に近い値といいます。2013年3月に就任した黒川日銀総裁は、安倍首相の3つの矢である機動的な財政運営、成長戦略、大胆な金融緩和を受けて、「出来るだけ早く2%の物価上昇率を実現することを目標」にし、実現できなければ辞任することを匂わせていますが、日銀のインフレ・ターゲットはやや異質な感じを受けます。ここに至るまで日銀は2006年、2009年、2012年と見解を発表していますが、物価上昇率2%を目指して少しづつ強い表現となってきました。2013年3月黒川日銀総裁就任においてインフレ・ターゲットを実現できなかったら、日銀当局にその責を問うというような、中央銀行に対する鞭の役割を果たすことになります。ところがここ十数年日本の消費者物価上昇率は1%未満でした。黒川総裁のインフレターゲット設定は、コミュニケーション手段としての期待形成力と、日銀当局の意志と能力があるということについての信頼と信認にかかっています。インフレ・ターゲットの設定責任は政府にあります。次にターゲット実現過程で何が起こるかが問題となります。円安が進行しエネルギー価格が上昇し、それが電気料金、食料品などの波及してゆくことは必至です。そしてもし物価が上昇したら、直ちに景気が良くなるものではありません。雇用や賃金は景気の遅行指標ですから、物価が上昇して賃金が取り残されると働く人は悲惨です。首相が賃金を上げるようにお願いしても、それは個別企業の業績と経営者次第です。物価の上昇は、それを上回る金利の上昇を招きます。国債金利が上がると政府の国債費の増加すなわち財政の悪化となります。長期金利の上昇は、銀行のみならず国債を多量に抱え込んでいる日銀自他の財務内容を悪化させます。最後に金融を引き締める段階になって日銀が国債を売るときに売却損(キャピタルロス)となります。現在の日銀法には損失に対して政府の補てん措置はありません。

2013年3月白川日銀総裁から黒田総裁へ体制交替があった。白川総裁時代は金融緩和の消極的過ぎたという批判が出ていますが、実は白川総裁時代(2008年ー2013年)には様々な緩和措置が繰り返されたので、そういう批判は当たらない。ただ作用と反作用に慎重かつ良心的に対処してきたのでインパクトが弱く、市場の反応がなかっただけのことです。「マイルドな金融緩和措置」から「思い切った金融緩和措置」の黒川総裁のパフフォーマンスと(強い意思表示による)フォーワードガイダンスに市場が応じて、円安が進んだことは事実です。黒川総裁は「物価安定目標(2%)を2年程度の期間を念頭に置いてできるだけ早期に実現し維持するため次のような緩和策を実施する」と表明した。
@ 金融市場の操作目標をこれまでの政策金利からマネタリーベースに変更する。年間60−70兆円のペースで銀行の準備+現金残高を増加させる。
A 長期国債の保有残高を年間50兆円のペースで増加するよう金融市場調節を行う。
B 買い入れる長期国債の残存期間を問わない。買い入れ国債の平均残存期間を3−7年程度とする。
C ETF、J-REITの買い入れを、それぞれ年間1兆円、300億円のペースで増加する。
として、その結果2013年度末にはマネタリーベースは200兆円、2014年末には270兆円規模に拡大するという、途轍もなく規模の大きさに驚かされる。そのため2103年度中に発行される国債の7割以上は日銀に買い取られることになる。すると中央銀行による財政赤字のファイナンス(日銀による国債の引き受け)ではないかという疑問がでてくる。金融政策の財政政策化になってしまうのである。国債のマネタイゼーションとは日銀が国債を引き受け(国債の市中引き受け原則の無視)あるいは金融機関から買い入れると、政府預金がが増え、それを取り崩して民間の預金が増えることを示します。どこまでが金融政策でどこからが財政赤字のファイナンスなのか明瞭な線引きは不可能ですが、すでのに満杯に近い国債市場において、日銀による国債引き受けしか方法はなかったということです。つまりインフレ・ターゲット2%設定と、日銀による国債購入額の大幅拡大は表裏一体の政策だった。国債を大量に買い入れると中央銀行のバランスシートは極度に膨張し、それを反映して短期市場金利はほぼゼロになっている。もし2%物価上昇が可能だと判断したとき、どのようにしてマネタリーベースを圧縮するのでしょうか。短期証券や長期国債を売却して準備預金を吸い上げる必要があります。長期国債の売却は長期金利が急騰すると予想されます。緩和政策をもとに戻す政策は「出口問題」と呼ばれ極めて困難な政策です。インフレを煽っておいて、適当なところで引き締めに入る場合、金利の乱高下で大混乱が起きることは歴史の証明するところです。インフレや資産価値バブルがコントロールできなくなるというリスクが潜んでいます。2013年米国FRBバーナンキ議長は今後の中長期国債の買い入れ計画の変更を発表しました。それを受けてというよりそれを予想して株式は急落、長期金利は上昇、ドル高という波乱が起き、それが新興国を含む世界中の金融・為替・証券市場に波及しました。そこでバーナンキ議長は「ブレーキをかけるのではなく、アクセルを緩めるだけだ」というくるしい声明を出しました。白川前総裁やバーナンキ議長は現在とっている政策の効用とデメリットについて言及していますが、黒川総裁は副作用について語ることは効用に水を差すので極力避けるという姿勢です。まず当面のデフレ脱却が絶対命題で、副作用は起きた時に対処するということなのでしょうか。

5) デフレに対する処方箋

デフレ下の金融政策を巡って、様々な議論が執拗に繰り返されたが、2013年現在日銀当局の主流派は言うまでもなく岩田副総裁を代表とするリフレ派である。リフレ派自体は自分自身を古い意味でのマネタリストとは呼ばないが、ニューアンスに違い(重点の強調点)程度でやはりマネタリーサプライ万能論者であることに違いはない。金融政策者なのだからマネー以外のことは専門外と言わんばかりに実体経済に対する見方は楽観論者である。彼らが考えるセオリー通りに動くものだという自信に満ち溢れている。1992年ごろ岩田規久男氏〈当時上智大学教授、現日銀副総裁)は「最近の景況悪化の原因はマネーサプライの伸びが小さいためであり、その責任は日銀にある。景気浮揚のためにはマネタリーベースを積極的に増やすべきである」と主張しまし。これに対して日銀の翁氏(当時日銀企画調査課長、現京都大学教授)は「中長期的なマネーサプライ低迷の背景には、バブル崩壊後の資産価格の低迷という全般的現象がある。現行制度の下でマネタリーベースのコントロールを行うことは現実的ではないし有効性に乏しい」と反論し、これを岩田―翁論争といわれました。これに東大教授の植田氏が論評し、「中央銀行の金融政策の運営は、結果的に銀行の準備需要に、したがってマネタリーベースの水準に影響を与えることができる」というように長期的には、岩田氏の主張に同意しました。
2000年前後の日銀のゼロ金利策(政策金利をゼロ付近におさえること)により金融調節を行った時期とその後の5年間続いた量的緩和政策(銀行の準備に目標値を設け維持する金融政策)の時代に、再度リフレ派と反対派の論争が再燃しました。デフレ問題に対処するため実質ゼロ金利の水準に達した場合でも、「アグレッシブな金融緩和」を行えばデフレから脱却できるとして次のような政策を主張しました。つまり金融緩和の政策を実施してきても景気回復の兆しが見られないため、慎重派を押しのけてリフレ派はどんどんエスカレートしてゆきました。景気のいい強がり発言が主導権を握るという、昔の軍部が太平洋戦争の突入したやり方に酷似しているようです。リフレ派の主張は「期待論」一色で、じつに都合のいい論理の連結(理論から予測される確率は低いが)から成り立っています。すなわち、@潤沢なマネーを準備して政策金利をゼロ近くまで引き下げる約束(コミットメント)を行う。それによって金融緩和策への信頼が確保される。→Aそのメッセージが明快かつ断固たるものにするには、インフレターゲットを設定することである。→B準備を供給する手段として、長期国債、外国債券、株式などあらゆる資産を購入する。(投資信託のポートフィーリア効果)その一環として円安が進むはずである。中央銀行が思い切った行動に出ることが経済主体にショックを与え、その行動を変えることができる。いわゆるレジーム・チェンジである。リフレ派の期待に対する反対派は次のようなものであった。民間の資金需要がなく、すでに法定準備をはるかに上回る準備がサプライされている中で、さらなる積み増しは困難である。また中央銀行による長期国債の買い増しは財政当局の仕事であって中央銀行にはなじまない。物価上昇率引き上げのためにインフレ・ターゲットを設定しただけでデフレが解消されるわけではない。経済主体の期待はバブルを生み出す危険性がある。実体経済のデフレからの脱局を妨げている要因は多岐にわたる。マネタリー供給の面だけで一挙に事態が改善されることは難しい。実体経済から需要を喚起する力が働かないかぎり金融緩和も生きてこない。金融緩和が経済主体のインセンティブに働きかけてどのように変化するかを見極める必要がある。漠然とした期待だけでどうなるものでもない。アグレッシブな金融政策(一か八かの賭け)に出るにはリスクが大きすぎるというのが反対論の趣旨で、リフレ派と反対論の議論は平行線のまっま10年以上も経過したことになります。2013年3月以降黒川総裁体制の下でリフレ派が日銀当局を支配した事実により、今後「思い切った金融政策」が展開されることでしょう。そこでリフレ派を代表する岩田副総裁の主張を再検討しましょう。
@政策提言: 2%前後のインフレターゲットを最終目標にし、マネーサプライの伸び具合を中間目標とする金融政策に転換する。そのため長期国債の買い切り枠を拡大する。
Aマネーサプライ増加の効果について: マネーサプライの増加とそれによる物価の上昇が実質金利の低下をもたらし、ひいては消費や投資を活発化させる。株価の資産価値が上昇する。金利の低下により為替レートの円安化によって輸出産業が潤う。借り手の財務内容が改善し、消費・投資意欲を高め資金需要が増加する。
B長期国債買い切り操作が望ましい理由: 長期国債の買い増しは、マネタリーベースの増加要因であり金融緩和に寄与する。銀行の貸出意欲を高め、マネーサプライの一層の増加を促す。長期国債の買い切りは売却した際に売却損が生じるリスクがあるが、政府と日銀は一体であって日銀のキャピタルロスを問題とする必要はない。長期国債の買い増しは長期金利の低下を招くが、それ自体は目的ではない(。金融引き締めの出口においてインフレ期待による長期金利の上昇ということは認識しているが、その出口操作は大変なことに関する言及はない。長期金利の低下は我々の責任ではないといっているに過ぎない。)
反対派の言い分は次のようなものです。本質論としてゼロ金利政策の効果は市場参加者の期待に依存するなら、期待以外に理論的根拠を持たないため政策効果は予測できない。アグレッシブな金融政策の副作用として次のことを挙げています。マイルドな長期国債買い切りオペは効果が少なく、アグレッシブな買い切りオペは極めて不確実で一か八かの賭けに近い。長期国債買い切りオペが財政赤字ファイナンスか国債引き受けに等しいと認識されると、国債の信用リスクが高まり長期金利の上昇を意味する。これは景気悪化、財政悪化要因となる。日銀の国債評価損(キャピタル・ロス)は売却段階で実現損となり財政圧迫要因となる。そして金融機関の財務内容を圧迫し金融システムの安定性に影響を及ぼす。つまりデフレスパイラル(デプレッション、恐慌)に陥る状況では長期国債のアグレッシブな買買い切りは不確実でも賭けでも採用する意味はあるが、景気停滞で物価上昇率が若干マイナスという状態が長く続くような場合、アグレッシブ金融政策はリスクと不確実性が大きすぎ、反作用が深刻な影響を及ぼすので取るべき方策ではない。

ケインジアン・アプローチは金利政策、マネタリスト・アプローチはマネタリーベース規模拡大でした。マネタリスト・アプローチ中央銀行が準備金を拡大すれば、ストックが増えそれによって経済が活性化する、物価は上昇する、経済成長率が上がると主張しています。現在のリフレ派は古典的なマネタリストではありません。なぜならマネタリスト・アプローチのは2つの理論的欠陥があることが指摘されているからです。一つは通貨数量説MV=PTの通貨量Mとその回転率Vの上昇が、価格Pと生産量Tの増加をもたらすという説です。これはまさにインフレそのものです。=は→(恒等式の左が原因で右が結果)と理解されています。そこには理論的根拠はありません。第2の問題は信用創造説M=R/r(通貨量M、準備通貨量R、準備率r)において、中央銀行は準備Rを供給しますが、通貨量M増加の主役は預金者または預金を預かっている金融機関です。金融機関が信用を供与するにはそれなりの環境がなければなりません。1990年代から2000年代にかけての量的緩和政策の下で、信用乗数は極めて不安定で、マネタリーベースをいくら増加させても、それに見合うマネーストックが生み出されなかったという事実があります。これをリフレ派は不十分な金融緩和政策と呼んで当時の日銀を批判します。そこから導かれる論理は「もっと、もっとショック的に効果の出るまで無制限にサプライする」という「アグレッシブ」な金融政策です。理論なしの事実無視のやけくそ論理です。失われた20年において日銀は手をこまねいたいたわけではありません。相当な量の長期国債を買い込んでいます。金よりも仕事がほしい銀行にさらに金を流し込もうとするものです。中央銀行による準備の大幅積み上げは安心感を与え、金融システムの安定化に寄与したことは評価されますが、結果として実体経済に好影響を与えたという確固たる証拠は存在せず、理論的な根拠も難しいというのが一般の理解です。もともと短期金利はほとんどゼロであって、準備金の金利をさらに引き下げることによってさらに金利が下がる余地はないと思われます。すでに銀行間の短期金利市場金利はゼロとなり、市場の機能は消滅しているとみられます。おそらく日銀当局は米国のFRBのバーナンキ議長の手法に注目しそれをフォローしているようですが、市場のモラルハザード(リスク無視、無責任感覚)が心配されます。黒田総裁下の金融政策は古典的なマネタリスト・アプローチに従っているように見えて、中央銀行が思い切った大胆な金融政策(なんとかっこいい言葉でしょう、いつも正義はこちらにありというような)行う姿勢にあることを強く打ち出すことによって醸成される「期待」が、株価や為替相場あるいは不動産価値に及ぼす影響に重点が置かれているようです。まさに心理学の領域で勝負しているようです。本質的に脆弱な「期待」によりかかった政策が果たして実経済に影響を与える音ができるでしょうか。現在は本当にデフレなのだろうか。それもアグレッシブな金融政策でショックを与えなければならないほど深刻なデフレなのだろうか。平成バブル崩壊以来、円高、成長率停滞、経済規模の縮小、賃金低下、企業倒産、失業率増加、格差拡大、企業の海外移転、非正規労働者による労働条件の悪化などがリフレ派はこの間の不十分な金融政策によって引き起こされた総需要の減退がデフレの要因であると主張します。しかし日本だけが転落しているとみるのは間違っています。本書は金融政策を述べることであるが、実質経済の不況の様子は述べられていません。たとえば大瀧雅之著 「平成不況の本質」 (岩波新書 2011年12月)は平成不況の原因を金融資本の構造改革のせいであると述べています。平成不況の悪循環はマクロ的には次のようン構造であるとします。「日本経済停滞の初発的原因は金融危機を背景にした対外直接投資の増加による国内需要の減少からであるとする。アメリカのグローバル金融資本が故意に巻き起こした3度にわたる世界金融危機は世界不況となって、消費需要への抑制的効果を生んだ。こうして低下した有効需要は生産を鈍らせ失業率を上昇させた。雇用者の減少は企業内の職場教育環境を悪化させスキルの涵養に悪影響を与えた。この結果イノベーションへの意欲は失われ労働生産性を低下させた。一度解雇された低い生産性の労働者に支払われる賃金の上昇は低下し名目賃金上昇率はマイナスとなった。これは個人の消費に極めて悪い影響を与え消費の減退により有効需要はさらに悪化した。こうして悪循環が始まり経済は長期の手痛い状態へ落ち込んだ。なお直接投資の持つ円高傾向も経済を苦しめている。海外に移転した日本企業が利益をドルで扱っているうちは問題は起きないが、日本に本社をもつ日本企業であると云うことが、利益の円建て送金のためにドルを円に換金すると、海外進出企業の円買いによって為替レートは円高ドル安となる。とんでもない誤謬となった。」
本書の湯本雅士著 「金融政策入門」 では最後の章において、デフレ対策の処方箋として金融政策ではなく、経済社会構造の根本的な改革が必要であるという結論に達しました。「デフレの究極の処方箋は金融緩和などではなく、日本の経済・社会全般に及ぶ根本的な構造改革、それを通じての生産性の向上である」と述べます。なんということでしょう、本書では金融政策を長々と述べて、最後にデフレ脱却は金融政策ではできないというどんでん返しをくらわすのです。そこで安倍政権の3本の矢の3番目「成長戦略・産業構造の改革」に期待するというのです。2本の矢である金融政策は時間稼ぎに過ぎないといいます。金融政策とは金利の管理に過ぎない、経済・社会改革・財政改革のほうが先決だという結論でした。


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