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宮崎勇・本庄真・田谷禎三著 「日本経済図説」 第4版 
岩波新書 (2013年10月 ) 

激変する国際・社会環境の中で日本経済を読む

私は2013年の3月に宮崎勇・田谷禎三著 「世界経済図説」 第3版 (岩波新書 2012年2月)を読んだことがあり、宮崎勇氏の明晰な頭脳に感嘆し、その記述と構成の平易さと、データーを淡々と話す素直さに惹かれたことを記憶している。「世界経済図説」は1990年に第1版、2000年に第2版、2012年に第3版が出版され、大体10年を一時代としてレビューするという性格の本である。「世界経済図説」があるのだから当然「日本経済図説」が姉妹本としてあるのだろうと思っていたら、2013年10月に本書「日本経済図説」 第4版(岩波新書)が発行された。さっそく取り寄せて読むことにした。「日本経済図説」の歴史をみると1955年に大内・有沢・脇村・美濃部・内藤の共著で発行され、1971年の第5版まで続いた。1989年に宮崎勇・本庄真共著で第1版が発行され、同3版が2001年に発行された。3版から12年を経過した2013年10月に本書第4版が発行された。発行のインターバルは12年であった。本書の序章で今回は抜本的改定となり、ほとんど書き直したという。それほど経済の情勢は変化しているのである。日本経済は世界経済の中にあるので、本書をレビューする前に世界経済図説を振り返っておくことは有益であろう。つまり「世界経済図説」と「日本経済図説」は相互に同じデーターを相互乗り入れしているのである。21世紀初頭は第2次世界大戦後40年以上続いた東西2分体制と冷戦が終って、「争いから平和」へ、世界グローバル市場への期待が高まった時期であった。しかし経済的には日本で言えば1990年代初めの土地バブル崩壊から、不良債権処理に始まる長期デフレ不況がいまだに尾を引き、アメリカでは金融構造改革で一時好況を呈したが、21世紀なると日本の後を追って土地バブル(サブプライムローン問題)から金融商品(債券など)の信用に疑問が発生し、2008年にはリーマンショックによる世界金融危機が勃発した。その影響は2012年のいまでも株価低迷、消費減退などが続いている。政治的経済的に東西二大陣営の対立の構図の軸がなくなったかわりに、世界中で民族紛争が活発化し、経済ブロックの分裂と再構成、新興国中国の躍進に見られる世界の多極化が進行したといえる。政治軍事経済の絶対的覇権国家アメリカのゆっくりとした衰退過程に、アジアの龍「中国」の台頭とヨーロッパ統合「EU」、さらにその財政問題に発する欧州危機が重なり、機軸通貨ドルに替わる通貨も存在しないまま世界経済の不透明感は増している。グローバル市場経済の出現と同時に世界経済の多極化の進行も著しい。 経済活動は人間が生活するための活動であるので、政治と密接に連動しており、経済の覇者が思い通りの収益を上げるために政治や政府を利用しているのか、主権国家と政府が生き残りをかけて総力戦をやっているのか、我々素人にはすっきり理解することは難しい。人間活動を経済というなら、人口や環境問題・資源問題も経済的に考えなければならない。石油資源の有限性からその消費にチェックをかけるため、地球温暖化問題がクローズアップされ原子力発電に導く勢力がこれに乗っかって現在の地球規模の人口・資源・環境問題がグローバル化したといえる。これらもすべて経済とは無縁ではなくなってきている。日本経済も今大きな転換期に来ている。バブル崩壊で昭和はおわり、平成となってずっと長期デフレ不況に苦しんできた。経済の空洞化による日本沈没も懸念される中、2011年3月11日「東日本大震災」と「東電福島第2原発メルトダウン事故」が勃発した。「泣き面に蜂」とはこのことである。復興事業に莫大な国債が発行されようとしている。国家財政の半分を赤字国債にたよる財政不健全化は長く続いておりそれがこの震災の復興事業で加速されるであろう。世界市場への対応と不況脱出(雇用回復と内需拡大)に向けた構造転換が求められている。

「世界経済図説」の目次は、
1)世界経済の輪郭、2)国際貿易、3)国際金融、4)多極化と地域統合、5)指令経済と「南」の市場経済、6)人口・食糧・エネルギー・資源、7)地球環境保全、8)軍縮の経済と「平和の配当」、9)経済危機、10)世界経済の構造変化 
「日本経済図説」の目次は、
1)経済発展の軌跡、2)人口・国土・環境・国富、3)食生活と第1次産業、4)変貌する第2次産業・第3次産業、5)雇用・労働、6)金融・資本市場、7)財政、8)国際収支、9)国民生活、10)日本経済の展望
日本経済図説の目次構成はオーソドックスで、土地から入り、産業(第1次、第2次、第3次産業の順で)、貿易、労働と資本、国民生活、財政、展望という構成であり、全くそつがない。
では本書「日本経済図説」に入ろう。2013年において日本経済の課題は、デフレが長期化したのは、@中国を中心とした新興国経済の隆盛により世界的な経済競争が激化したこと、A少子高齢化の進展が日本経済の構造を大きく変えてきたことなど、日本経済が経済環境の変化に対応できなかったことである。少子高齢化に対応した社会保障、税制、雇用の改革が遅れたため、需要不足となったのである。需要の減退はマイナスの需給ギャップとなって物価の上昇を抑制してきた。そのうえ経済のグローバル化は日本人労働者の賃金を抑制し、それもデフレ的状況を継続させてきた要因であった。そこで本書は次のような懸念をしめすのである。
1) 内外の環境変化への対応を早める以外にデフレ的状況からの脱局は難しい。
2) TPPへの参加が難しいことになれば、貿易立国日本の存続は難しい。
3) 貿易・経常収支の黒字幅は、競争力の低下や円安政策によって縮小しつつある。東関東大震災を契機に貿易収支は赤字になった。だからかってのような意図的な黒字縮小政策は必ずしも必要ないのではないか。
4) 世界第2の経済大国になって国民生活はかなり改善したが、労働時間や内外価格格差も縮小したが生活実感が伴わない。
5) 1990年代中ごろから日本の名目GDPは横ばいを続けた。税収など歳入が減っているのも関わらず歳出を維持するための国債を大量に発行してきたせいである。その結果財政赤字が膨れ上がり、いつ破綻が来てもおかしくない状況になった。楽観論を戒める必要がある。
6) 政策金融が最低水準にある状態が続いているが、金融政策のみでデフレ的状況が解決されるとは思えない。
7) 財政再建が喫緊の問題であるが、社会保障費削減など歳出抑制策のみではなく、所得税および消費税など歳入の引き上げがなければ再建はできないであろう。
8) 決められない政治あるいは政治の不安定は経済活動に大きな影響を与える。政治と経済の関係が問題となろう。
宮崎 勇(1923年生まれ、2013年でなんと90歳 )は、日本の経済企画庁の官僚だった。今はエコノミスト、インターアクション・カウンシル事務局長である。東京大学経済学部卒業後、経済安定本部、経済企画庁事務次官を経て、1980年に退官後は、1982年から大和証券経済研究所代表取締役理事長を務め、民間エコノミストとして活躍。1995年8月から翌年の1月まで村山改造内閣の経済企画庁長官を務めた。本書の主著者は宮崎氏である。

1) 経済発展の軌跡

@ 近代化
明治政府以来第2次世界大戦直前までのおよそ70年間、日本経済は年平均4−5%の成長を遂げた。これは列強が自分の国のことに忙しく、ほとんど外国の経済援助も受けずに高い成長を記録し、近代的な銀行や製鉄業、造船業などを建設したことは東洋の奇跡として賞賛されている。これには指導者の英明で開放政策の下で、先進的な技術・制度を採り入れ、人材と費用の投入を惜しまなかったことが要因として挙げられる。むろん手本のある後発の効率のよさもあったであろう。「殖産興業」の経済政策はキャッチアップには効率的であったが、かならずしも国民生活の向上には至らなかった。また官主導の経済運営は戦後の官僚制に根強く残存し、日本の国体となってしまった。
A 戦前と戦時中
第1次世界大戦の漁夫の利を得た日本経済は、1918年(大正7年)の工業生産構成比が57%となり立派な工業国に変身した。軍事化と急速な工業化は、資金の優先的(傾斜的)動員は社会の発展を遅らせ、格差(とくに農村と都市)を拡大し、労働者と農民の不満を募らせた。関東大震災、世界恐慌は日本経済を直撃し、銀行取り付け騒ぎなど深刻な社会不安を引き起こし、農村の荒廃を背景とした軍部の台頭を招いた(忍び寄るファッシズム)。世界各国はブロック経済を形成し、遅れたドイツにはナチスが台頭し、日本では軍部が政権を握った。軍備費は1934年以降一般会計予算の半分を占め、「大東亜共栄圏」を目指して無謀な戦争に突入し、官僚主導の統制経済はやがて破滅を迎えた。
B 戦争被害
1945年8月ポツダム宣言の受諾により終戦を迎えた。国富の被害は653億円(22%)、戦死者が186万人、一般市民の死傷者67万人であった。610万人の軍隊は解散させられた。膨大な戦費は増税と国債で賄われた。その代償は国民生活の切り下げと猛烈な(3桁以上の)インフレーションであった。日本国民は日中戦争と太平洋戦争で7558億円の軍事費を負担した。戦争は何も残さず、すべてを奪い去った。政治的、経済的、文化的遺産を根こそぎ無に化し、「過ちは繰り返しません」という懺悔の教訓のみを残した。ほとんどの工業生産設備の30−60%は被害を受けていた。戦後残った産業資産は、発電所168万KWH、石油精製能144万Kl/年、電気銅1万トン/月、自動車生産能1,850台/月、セメント567万トン/年などであった。ここから戦後経済は再出発した。
C 復興から自立へ
生産設備及び原材料・エネルギーも途絶えていたが、復員した700万人の労働力をもとに日本経済は困難な復興の途に就いた。インフレは1949年のドッジラインで収束しデフレの方向に向かったが、これを成長に切り替えたのが朝鮮戦争特需であった。戦後10年たった1955年には経済成長率は平均して8.5%を維持した。1955年は政治的には「55体制」の始まりで安定期に向かい、「もはや戦後ではない」と経済白書で宣言され、戦後の独立国家にふさわしい経済自立の達成という目標に変わった。
D 高度成長
1960年代に始まった高度経済成長は1973年の第1次石油ショックまでに、年平均GNPは10%を超える成長率が続いた。設備投資が盛んで国際競争率も強化され輸出がGNPの2倍近い勢いで伸びた。池田内閣の低金利政策と所得倍増計画によって推進され、安定成長を唱えた佐藤内閣時代も継続して経済成長が続いた。1964年にはOECDに加盟し先進国の仲間入りを果たした。1971年には国民総生産がアメリカ・ソ連に次いで第3位となった。高度経済成長は完全雇用を達成し、労働者の賃金を上げ国民生活は向上したが、消費者物価の上昇、生活環境の悪化、公害の多発などひずみも拡大した。
E 石油危機
高度成長によって国際競争力を増し、輸出が増えて貿易収支の黒字が1960年代終わりから1970年代初めにかけて定着した。戦後IMFは固定平価制度が維持されていたが、通貨調整に失敗し、1973年変動為替相場制に移った。通貨の強さは市場で決まるようになった。産油国はOPECにより石油価格のつり上げが続いたため、1978年末から第2次石油ショックが起こった。石油価格の大幅値上げは消費国にインフレと経常収支悪化をもたらし、石油依存度を上げていた日本経済は激しいショックに見舞われた。
F 国際化と円高
石油価格上昇で物価が上がり経常収支が悪化すると心配されたが、変動相場制の下で日本経済は活力を取り戻した。景気の落ち込みと貿易収支黒字に対してはマクロ政策を実施し、インフレについては賃金と物価安定に努力し、コストプッシュインフレを克服し、企業は市場原理を生かして省資源・省エネルギーを推進して石油資源輸入を節約した。こうして日本一早く石油ショックから立ち直ったが、この成功は貿易経常収支黒字を拡大して新たな世界経済の不安定要因となった。1985年ごろから円高が急速に進展し、東京市場のスポットは100円/ドルを切った。1990年代は110円程度の円安となったが2000年代に再び円高となり2013年には70−80円/ドルまで続いている。最近の円高はスポット市場のことで、実質実効為替レートは100円/ドルで維持されており、それほど円高になったわけではない。
G バブル経済の崩壊とデフレの長期化
1980年代日本経済は資産価格バブルを経験した。それは1985年のプラザ合意後の円高不況に対処するために金融緩和策が長く続いたことに一因がある。銀行の貸し過ぎによる信用の膨張が地価や株価を維持出来ない水準まで上昇させた。バブル崩壊後日本経済は深刻な景気不振に見舞われた。3つの過剰(企業債務、設備と雇用)が日本を襲った。金融機関の不良債権問題処理は2004年まで続いた。90年代に入って日本経済の最大の特徴は低成長とデフレ的な物価低下であった。少子高齢化の対応の遅れが需要の減退をもたらし、経済のグローバル化は日本の労働者の賃金抑制となり、サービス価格の抑制に働いている。90年代からの経済成長率は2%以下であり、もしくはマイナスとなることもしばしばあった。消費者物価指数は1995年以降ほぼマイナス傾向が続き物価低迷である。賃金が下がった分物価も下がるのである。
H 現段階
日本経済の現段階は、復興期(8.5%)、高度成長期(11%)のあとも80年代まで国際的には高い成長を示した。世界に占めるGDPも15%を超えた。しかしその後1990年代後半から2000年代に入っても日本のマクロ経済指標は停滞したままである。工業生産の分野では70年代に鉄鋼・自動車・造船では世界トップクラスとなり、90年代には半導体・エレクトロニクス分野で世界をリードしたが、2000年代に入ってこれらの分野で新興国のキャッチアップを受け激しい競争時代になった。テレビ・半導体など一部分野では競争に負けて撤退した企業も多い。他方国民生活の面では、耐久消費財・情報など豊かさがもたらされ、「企業の独り勝ち」という経済力と生活実感との格差も縮まってきた。
I 経済発展の諸要素
戦後経済の復興と経済成長の要因については関心が集まっている。国際的には武力紛争に巻き込まれず、IMF・GATTのメリットを受けたことが大きい。つまり平和と自由の尊さの恩恵によるところが大である。国内的には戦後の非軍事化と民主的制度改革のメリットが一番大きい。独占禁止法、労働3法、農地改革はそれぞれ経済に活力を与えた。資本・労働・技術開発は一体となって生産性を高めた。労使関係、政府と民間の関係もおおむね良い方向へ働いた。経済の目的が国民の生活向上を目指す限り、自由と民主主義はこれからも経済発展の土台である。再度国民生活優先の原理に立って、経済によって一層の生活の質を高め、国際化の中で自国本位ではなく世界に貢献するために経済発展をどう生かすかである。

2) 人口・国土・環境・国富

@ 人口と人口動態
人間は感情と理性を持った生命体であり、文化の創造者である。経済的には生産者であり消費者である。経済活動の究極的な目的は人類に豊かさを与えることであるという格調高い文章で始まる。日本の人口は明治維新時に3480万人であったが、2012年現在で1億2780万人となった。日本の人口は2008年をピークに減り始め、この傾向は向こう30年は変わらない。その原因は出生率の低下である(合計特殊出生率は1.4となった)。人口論については統計学的に確実なことである。河野稠果著 「人口学への招待」 (中公新書 2007年8月)では、「2007年以降日本の人口は減少傾向になり2055年には総人口は9000万人をきる。65歳以上の高齢化人口は2040年まで上昇し、14歳までの未就業人口は一貫して減少し続ける。100年後には日本の人口は4000万人以下となる。何らかの人口抑制策を講じて2025年にもし人口置き換え水準に恢復したとしても、2080年に人口は8000万人に一定化する。」という結論であった。 日本人の平均寿命は死亡率の低下によって2012年で女性86.4歳、男性79.9歳である。15歳から64歳の生産性人口は63.6%、労働力人口はそのうちの59.4%である。これだけの労働力で狭い日本で生活しなければならない。労働力の配分、地球全体の中の人口と経済発展を視野に入れなければならない。
A 少子化と高齢化
日本の人口構成はかってないスピードで高齢化・少子化が進んでいる。65歳以上の高齢者人口比率は2011年に23.3%となって、賃金・雇用・年金・医療制度・教育などに大きな影響を与えている。またこれまでの出生率低下によって14歳以下の年少者人口比率は13.1%に低下した。人生50年という生活設計を「人生80年」方に早く切り替えなければならない。行政のレベルにおいても社会保障制度、財政制度をはじめとした改革をしなければならない。
B 変わる世帯と家族
平均世帯の世帯員数は1960年で4.1人、1975年で3.2人、2011年で2.5人に減少した。いわゆる核家族化の進行である。世帯数の増加も頭打ちである。近年において特徴的なのは単独世帯の増加である。老人あるいは老人夫婦世帯が増加している。高齢者世帯は20%を超えた。結婚はしたが子供はつくらないとか、独身者や離婚者の単独世帯も増えている。この背景には女性の地位と生活力の向上などの社会的要因がある。一般的な傾向として結婚年齢が上昇している。若者の価値観の変化によるものであろう。1970年代に100万件あった婚姻件数は2011年には年間70万件と減少し、併せて離婚件数は20万件を超えた。社会の価値観が急速に変化しているのである。
C 国土と土地利用
日本の国土の面積は37.8万平方Kmで世界1国平均の半分である。その6割が私有地、4割が国有地である。森林原野が67%を占め、農用地が12.4%、可住地は21%にすぎない。可住地比率が西欧諸国に比べ(イギリス88%)て極めて少ないのが特徴である。自然が多く残されているという言い方もできる。そのため都市部での人口密度は極めて高くアメリカの22倍となっている。過密と過疎の格差が著しいといえる。したがって国土利用計画法(1974)は2008年で第4次全国計画を立てた。海外移住は困難であり、国土は増えないのは自明であるので、産業構造変化と自然環境の保全、地域別経済格差の是正を勘案しながら、効率的な国土開発利用が望まれる。
D 過疎と過密―東京一極集中
現代社会では高度経済成長による産業の立地に従って人口の移動があり、特に都市部(東京首都圏)への集中が著しく、地方は過疎ないしは取り残され現象が生じている。その特徴は農村から都市へ、地域では県庁所在地の地域中核都市へ、全国的には東京・名古屋・大阪の3大都市圏へ、大都市の中では東京圏に人口集中が著しい。重厚長大型産業の時代には企業城下町的な地方都市が各地に発達したが、1990年代以降情報化・サービス化が進む中で東京一極集中だけが進んだ。東京圏のGDP比率は全国の32%を占めるようになった。東京は政治経済の中枢機能が集中し有利性を持つので、かっての首都機能移転構想も立ち消えとなった。名古屋圏の人口はほぼ横ばいであるのに対して、大阪圏の人口は減る傾向にあり、1975年からその地盤沈下の傾向が著しい。
E 水資源
日本列島は四方を海に囲まれた島国で雨がよく降る。年間降水量は169cmと世界平均の2倍である。(人口密度が高いので一人当たりの降水量は世界平均の1/4であるが) 日本は水に恵まれているので水田農業に適し、その伝統は今も受け継がれている。高度経済成長期には農業用水のほかダム発電開発、工業用水の急増、都市人口も膨張による生活用水供給と、水の利用が多様化した。その過程で渇水対策、水質汚濁、河川氾濫などの問題が発生した。近年工業用水の節水・再利用が進み、水の使用量は若干減ってきている。2009年の水利用量は800億立方m近くに下がり、内訳は農業用水に65%、工業用水に15%、生活用水に20%であった。1999年全国総合水資源計画がスタートし、雨水貯水、需要の安定や地域間協力体制の整備を進めている。
F 自然災害
自然災害とは暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震、津波、噴火、異常自然現象による被害のことである。日本の自然災害発生数は世界でも高いほうである。太平洋プレートが大陸とぶつかるので火山列島とも地震列島ともいわれる。またアジアモンスーン地帯に属して集中豪雨がおおい。また急峻な地形は洪水地すべりをもたらし、最近の大きな被害は阪神・東日本大震災で発生した。もし大地震が首都圏を襲うなら想像を絶する被害が発生することが予想される。異常発生は自然現象であるが、被害は人的現象であるといわれ、減災の準備が最大の対策である。
G 海洋国家
日本は海に囲まれた海洋国家である。200カイリ経済水域の面積は広大である。臨海地域には人口と商業・産業施設が集約して設置されている。高度経済成長期には資源の輸入陸揚げに便利な臨海地帯に、重化学工業コンビナートや製鉄所が建設され、造船業や運搬業も同時に発展した。1980年代以降条項長大産業は情報通信金融にとってかわられたが、運輸方式も船舶から航空へ置き換えが進んだ。2007年「海洋基本計画」が発表され、沿海地域を漁業のみならず海洋資源の開発、海洋観光、風力・海洋エネルギー基地化、海洋空間の利用など総合的な開発が期待されている。
H 環境問題
1960年代の公害問題は騒音、悪習、大気汚染、水質汚濁、地盤沈下などの狭い地域での環境問題であった。その後生活廃棄物・産業廃棄物も環境汚染の発生源となった。1980年以降はオゾン層破壊、酸性雨、有機塩素化合物の海洋汚染など発生源や汚染地域とも広範囲になり「地球規模の環境問題」となった。さらの熱帯雨林の破壊、森林資源の減少、生態系での希少生物種の絶滅など人間を取り巻く生活環境の劣化が深刻な状況であることが認識された。ただ環境問題が南北問題・資源問題と絡んで、国際的合意の形成は非常に難しい。
I 国富とその構成
経済規模や経済力はGDPや国民所得で示すことができるが、それは金の流れフローであり、国富は蓄積ストックであり、国民資産といわれる。家計ではいえば収入に対する個人資産に相当する。国民資産は実物資産と金融資産からなる。資産に負債がついている分(住宅資産にたいする住宅ローンなどの借金)は国全体としては資産とならない。そこで国としては実物資産と対外純資産が問題となる。2011年末の国富は2996兆円(対外純資産残高は約270兆円と増加傾向)であるが、1990年には3531兆円あったのだから、失われた20年で国富は大きく減少したことになる。アメリカと日本の固定資産総額はGDPのほぼ3倍で同じレベルであるといえる。ただ日本では住宅の価値が低いのが特徴である。

3) 食生活と第1次産業

@ 食生活と栄養水準
世界には慢性的に栄養不足にある人は8億5000万人いるといわれ、アジア・アフリカに集中している。今日でも食の確保は人類にとって重大事である。日本の戦後直後の食は貧弱であったが、高度経済成長の始まる頃から農業生産力も向上し、食料供給・栄養状態は著しく改善した。2010年度の供給熱量は2458Kcalとなり過剰摂取気味である。食の内容は炭水化物は58%、タンパク質は13%と多様化してきた。エンゲル係数は1960年に42%であったが2009円には23%に低下し食生活内容は変わってきた。栄養水準の向上は国民の体位・健康の改善、長寿命化に著しい貢献をしている。
A 経済の中の農業
人の生活が多様化する中で食料品が占める割合(エンゲル係数)が低下し、経済に占める割合はGDPの3%に低下した。農林水産業全体の生産額は11.5兆円で、GDPの1.2%に減少した。食品加工製造産業や飲食店産業、食品流通業を加えると合計79兆円(対GDP11% )で決して少ない産業分野ではない。食産業全体は人口に比例するのでそれほど変わりないが、ただ日本の農業だけはじり貧となっている。農林水産業就業者数は314万人で全就業者数の4.9%である。農家戸数は2010年で253万戸(主業農家は40万戸)に激減した。農業専従者は減少し、女性だけの農家も多くなった。この間農産物の輸入が5.4兆円と急増し、まさに日本の農業は絶滅の危機に瀕している。
B 農業生産の構造変化
1960年と比較すると米の消費量は半分に減り、逆に肉類・鶏卵・牛乳・油脂類の消費は3倍から4倍に増加した。魚介類は10%ほど増加し、果実は2倍近く増えたが野菜は減少気味である。全般として米・麦中心の食生活から肉類畜産物へシフトし、このような構成の変化は、価格・嗜好・輸入動向で左右されるが、今後も継続すると思われる。
C 米の需給変化
米は日本人の主食であるといわれてきたが、米の需給には大きな変化が起こっている。米の一人当たりの消費量は減り続け、過去10年で約10%以上の減少となった。ところが生産技術の向上で潜在生産力は高まった。1アール当たりの平均収量は1965年に390Kgだったものが、2012年には530Kgに向上した。1987年以来転作奨励や在庫米調整さらには大幅な減反政策を実施した。そのため政府備蓄米量は減り続け2012年で91万トンとなっている。最近自由化により輸入米が増加し、食管制度も自由化された。米価の国際比較は容易ではないが、2012年度で内外価格比は1.3−1.4倍とみられる。完全自由化により国際的に競争するなら、さらに作付面積をふやし、経営規模の拡大と担い手の養成が必要である。
D 食料の内外価格差
一般物価水準も個別品目の価格も、その国際比較は難しい。国によって関税率も異なり、補助金制度も異なるからである。特に急速な円高の時代には国内の食料の割高感は否めなかった。為替レートが円高になるにつれて物価水準は高くなった。高関税率の維持がFTAやEPAの障害となっている。内外価格差の存在は一層輸入をもとめる声になり、国内農業の生産性向上の要因となる。また国内的には政府財政負担を軽減し、国際的には政府保護の透明化を求める要因となった。日本の関税率は平均4.9%で農産物が21%、非農産物が2.5%である。欧米や中国と比べても農産物の関税率は高いといえる。
E 農産物の輸出入
需給の変化や内外価格差もあって日本の農産物輸入が増加し、輸出量と輸入量の比は2011年度で20倍ちかい。日本は1984年以来世界最大の農産物純輸入国となった。輸入相手はあめりかが26%と最大でEU、中国の順である。輸入品目はタバコ、トウモロコシ、豚肉、野菜・果実、小麦、牛肉などである。飼料用も含めると穀物の自給率は27%で、主要穀物の自給率は59%である。しかしカロリーベースの総合食料自給率は90年後半以降40%程度であった。自給率の低い食品の代表は、豆類8%、小麦9%である。FTAやEPAで貿易自由化が進むと農産物需要が増えるので、農産物の価格上昇傾向となるだろう。
F 農業の構造改革
1961年の農業基本法の目標は耕作地の規模拡大による農家所得の向上にあった。1995年まで続いた食管制度のもとで米の価格維持政策が行われた。しかし食管制度の赤字が拡大し、食管制度の根本が揺らいだ。減反政策が続けられる中で、少しづつ米の自主流通ができるようになった。日本の農業経営の伝統的小規模零細農業構造は少しも改善されなかった。北海道の農家1戸当たりの耕作面積が27haであることは別格として、全国平均でいえば5haに過ぎない。そして全国の耕作面積は減少を続け、2011年で456万haとなった。農業が自由貿易協定FTAやEPAが進まない原因の一つとされた。近年農水省は欧米にならって、価格メカニズムに介入する食管制度から、2007年より所得補償へ転換する姿勢である。
G 林業
国土の66%(25万平方km)は森林である。国公有林が42%、私有林が58%である。戦後手入れが進まず森林の荒廃が進んだが、現在10万平方Kmの人工林が造成され、21世紀に国産材で需要をまかなう予定である。人工林樹は杉43%を中心に、ヒノキ25%、カラマツ10%である。ところが高度経済成長期の住宅建築物の木材需要の追い付かず輸入材に頼った。自給率は20%に過ぎない。日本は中国、アメリカについで木材輸入国である。林業経営の問題は、人件費、人手不足、間伐保育など管理面で問題が多い。
H 水産業
国民一人当たりの魚介類供給量は最近減少気味であるが2009年で54Kgで、中国・アメリカ・EUの23−31Kgよりは多い。水産業の形態は高度経済成長期に沿岸から沖合・遠洋漁業へ主力が拡大した。1973年の200カイリ水域設定により漁獲量は減少した。水産業のフローは国内生産が474万トン、輸入が484万トンであり(食用自給率は62%)、消費は国内で680万トン、輸出73万トン、あとは非食・在庫用である。国内での動物タンパク摂取量は魚類が減った分肉類へ移ってきている。乱獲によるマグロなど希少資源絶滅が心配され、養殖などに力を入れているが水産業を取り巻く環境は厳しい。
I 畜産業
2010年の農産物(8兆円)の内訳は、畜産31%、米19%、野菜28%、その他となって、畜産業の比率が高い。畜産業(2兆5000億円)の内訳は鶏29%(卵17%)、牛乳26%、肉用牛18%、豚21%である。畜産業は高度経済成長とともに成長してきたが、80年代湖畔頃から家畜頭数は成長が鈍化した。それには生産者が零細農家のため経営基盤がぜい弱で、畜産業では広い土地が必要なため大規模化の投資ができないことであった。廃業が続いたため、牛肉・豚肉・鶏肉の生産量は1985年以来減少傾向にある。第2の理由は自由化の進展によって輸入畜産物が増加したことである。また穀物飼料のほとんどを輸入に依っているため、為替変動や気候条件によって生産コストを押し上げている。牛肉は高脂肪食品であるため、中高年の需要を抑制し消費が伸び悩んでいることである。

4) 変貌する第2次産業・第3次産業

@ 殖産興業
日本の近代化はイギリスの産業革命に後れること1世紀で始まった。その原動力は手工業的な生産方式から、新しい技術と機械による工場生産方式に移ってきた工業を中心とした。日本は近代化に努め1915年には工業生産高の割合が50%を超えるまでになり、いち早く工業化を成し遂げた。日本の上からの産業革命は政府の「殖産興業」にのって、民間産業は工業化を推進したが、工業力が「富国強兵」によって過度に軍事目的を志向したために墓穴を掘った。先進国に追いついた工業も、戦争・敗戦によって壊滅状態となりゼロから再スタートを余儀なくされた。戦後は軍事的色彩は無くなり、上からの育成も民間企業が力をつけてきたので、通産省の産業政策はエネルギー分野を除いて影を薄めた。
A 製造業の高度化
資本蓄積が未熟で労働力が安い時代は7、労働集約的な紡績・織物などの繊維工業が発展した。資本蓄積が進むと労働力の技術水準が高まり鉄鋼・造船・化学工業が台頭してきた。戦後は重点的資本投資(傾斜的生産方式)によって石炭・機械産業の復興が進み、高度経済成長期には資本が資本を呼ぶ工業化が全面的に開花した。鉄鋼・造船・化学工業・機械工業が輸出の主力となって、重化学工業時代となった。いまでは「重厚長大」産業といわれるが、インフラ整備時代に設備投資、建設投資、住宅投資を推進した歴史的役割は大きい。しかし産業は1980年代から、より付加価値の大きい知識集約的な産業に移り、「軽薄短小」の情報通信関連産業が主流となった。研究開発企業が伸び内外での需要も大きく経済の推進力となった。
B サービス産業
経済水準が高まり、衣食住の基本的・物的欲求が満たされると、教養、娯楽、文化などの非物的欲求が増してくるにつれ、サービス産業などの第3次産業が伸びてくる。供給面から見ると金融コストや流通コストを引き下げ、技術や情報の必要性が高まるのである。サービス産業の定義はあいまいである。電気や水道・運輸などインフラを含めた公的サービスも広義のサービスであるが、伝統的な分類に入らないサービス業が増えている。総務省の「就業構造基本調査」(平成19年)によると、電気ガス水道0.6%、卸売小売業16.7%、金融保険業2.6%、不動産賃貸業2%、運輸郵便業5.3%、情報通信3.1%、学術研究技術3.2%、宿泊飲食業5.9%、生活関連サービス娯楽業3.8%、教育学習支援4.4%、医療福祉9%などがある。ちなみに製造業は17.6%、建設業は8.3%である。
C 情報通信産業
1990年代から2000年にかけて、IT情報技術革新が発展し、経済社会生活のあらゆる面に浸透した。2011年にはインターネット利用者は9000万人、普及率は80%となった。情報通信業の市場規模は82.7兆円で、全産業の9%である。情報通信産業とは通信業、放送業、情報サービス、インターネットサービス、映像音声文字情報制作、情報通信関連製造業とサービス業と建設業及び研究業である。その雇用者数は389万人である。民間企業の情報化設備投資額は19兆円で、内訳はソフトウエア―に48%、電子計算機と付属装置に42%、電気通信機器に10%の順である。
D 建設業
産業分類上、建設業は製造業でもサービス業でもない特殊な分野である。建築(住宅、ビル)と土木(道路、治山、ダム)にわかれる。建設業はGDPの9%(2010年)を占めているが、1990年以降公共投資の削減に伴い低下してきた。資本金1億円以下の中小企業が99%を占め、地域性が強い。建設業では比較的新しい分野として、総合的エンジニアリング部門(原発、廃棄物処理場など)、都市総合開発・再開発、観光保養地のリゾート総合開発、海外建設工事などが脚光を浴びている。海外戦力、がいこく人労働者、外国企業の参加問題などが課題となっている。
E エネルギー
戦後復興期には石炭、水力発電が、そして高度経済成長期には廉価な石油が主役となってきた。2010年のエネルギー構成比は、石油が43%、石炭が22%、天然ガスが23%、原子力が4.2%、その他となっている。2011年の東電原発事故の影響で今後は原子力が増加することはないだろう。生産コスト、輸入コスト、使いやすさなどで構成比は変化する。エネルギー消費分野別では、産業用が44%、家庭用が14.4%、業務部門が9%、運輸部門が23%である。先進国では省エネルギーの技術開発、省資源型産業構造への移行、家庭部門の節約などで輸入する石油の比率は減少しつつある。新興国のエネルギー消費増大で輸入やコスト上昇は避けられないだろう。智恵の出しどころである。
F 大企業と中小企業
法人企業統計によると、資本金10億円以上(全体の0.2%)の企業5274社が、総資産の約半分を占めている。会社数の98.8%を占める中小企業が従業員の約7割を占める。戦後は財閥は無くなったが、会社の系列化がみられ、1997年には独禁法の規制緩和として「持株会社」が認められ、会社買収を防ぐためと称してグループ系列化を強化した。日本独特の株の法人所有は最近減少傾向にある。昔日本独特の「2重構造」と言われた、大企業と中小企業の格差共存路線(下請け)は依然変わりない。技術革新には身軽な中小企業の強みを生かした成長産業への傾斜を強めなければならない。大企業と中小企業の経営格差とは次のことである。企業の経常利益率は大企業では約4%であるが、中小企業では約2%に過ぎない。労働生産性(労働者1人当たりの付加価値)は大企業では1000万円/人、中企業では600万円/人、小企業では400万円/人と歴然たる差が存在する。
G 企業収益
製造業では利益は次のような定義であるので、収入を大きく、費用を少なくすることが基本であることは言うまでもない。売上総利益→営業利益→経常利益→税引前利益である。利益は輸出入産業では為替など外部環境に左右されやすいが、人件費や購入材料の節減、生産性向上など企業自体の経営努力が基本である。戦後の企業の栄枯盛衰は激しく、繊維―鉄鋼ー自動車ー家電ー情報通信と変遷してきた。技術革命の先端にいる企業、高機能高付加価値企業、海外事情に即応できる企業、確固たる経営戦略を持つ企業が収益を上げている。GDPは上下が激しくとも、企業収益は2000年以降、2−4%で推移している。
H 日本的経営
戦後好調だった日本経済を支えてきたのは、日本的経営の伝統、日本社会の伝統であったといわれる。労使協調、終身雇用、年功序列、ボーナス制度、企業別組合、企業内福利厚生の充実、所有と経営の分離、同族企業の少なさ、企業内人事、技術系経営者の増加、企業内訓練、年功熟練、稟議制経営、提案制度、生産性向上運動、地域との関係重視、企業系列関係、金融メーンバンク制などである。1990年以降これらの慣行は大きく修正されている。企業とは結局、経営を合理化し利益率を高め、より高い賃金と待遇を従業員に与えることが社会的使命である。国際的に理解される制度に改めながら、日本的伝統の良さは維持して、消費者、地域に受け入れられる企業でなければならない。
I 研究開発と新技術
経済発展のてこは技術革新であり、その基礎は企業の研究開発能力である。日本の研究開発費は2011年で17兆3791億円である。緩やかな増加傾向にある。対GDP比は1.7%で、アメリカの4%(軍事関係も入っている)に比べると低いが、他の先進主要国に比べると高い率である。負担割合は民間が8割、政府・大学などが2割である。産業別では製造業が9割、なかでも自動車の輸送用機器と情報通信機器が大きい。企業の売り上げに対する研究開発比は約3%である。日本の技術革新は高度経済成長期以降、数々のヒット商品を生み、最近では環境保全脱公害、省資源・省エネルギー機器が目立ち、そしてと意識集約化を進める電子機器、新素材、バイオなどに期待したい。

5) 雇用・労働

@ 就業構造の変化
産業構造が変化すると労働力の産業別配分も変化する。同時に職種・年齢・地域別の構成も変化する。日本においても長期的には第1次産業の就業者は減少し、2011年度で4.9%となり、第2次産業の就業者は高度成長期に大きく伸びたが最近は低下し始め23.8%に、第3次産業の就業者は一貫して増加し71.3%を占めている。国際的に見ても第3次産業に比率が高まりつつある。日本は先進国の中では製造業就業者比率はドイツに次いで高いほうである。この就業構成の変化は、@自営業、家族従業者が減少し、それが第3次産業へ移ったこと、A事務職員や専門職が増えたが、技能工・生産就業者が減少、若者の農業離れは一貫した傾向にあること、B第3次産業の主就労者は30歳以下の若年層と女性であるためである。就業構造の変化は社会的に重要な影響を持つので注意してみる必要がある。
A 就業条件
日本では戦後憲法と労働3法などの制度により、労働者の地位は向上し、就業条件は改善された。しかし若者の転職が多いことから、就業条件のミスマッチや労働環境が必ずしも良くない(ブラック企業)ことが考えられる。就業条件とは、賃金、労働時間、職場関係、安全性などもっと考えなければならないことがある。労働災害による死傷者は80年代以降は減少傾向にある。1年間1万件、死傷者数は11万人、死者は1000人程度の事故は発生している。先進国の中では災害死者数は一番少ないほうである。災害の多い産業は生活関連サービス業、卸小売業、医療福祉サービス業、運輸郵便業などである。
B 労働時間
日本の労働時間はまだ長いほうである。戦後労働基準法によって1日8時間、週48時間以内とされ、週休1日制と有給休暇制も導入された。日本人の年間労働時間は2011年度1728時間であった。アメリカよりは短いが、欧州先進国よりはまだ長いほうである。労働時間は景気変動にも影響されるが、労使の賃金重視(労働時間)姿勢によるところが多く、大企業では週休2日制が定着しているが中小企業やサービス業ではまだまだ労働時間は長い。そして年次休暇が取りにくいなどがあげられる。裁量性という無制限労働があるため統計上の労働時間が実情に合っていない可能性も指摘されている。
C 非正規労働
近年非正規労働者が大幅に増えた。非正規労働者とは有期契約労働者、派遣労働者、パートタイム・アルバイト労働者のことである。1980年あたりから増え始め、1990年後半から急激に増え2013年には36%に達した。最も多いのがパートタイマーでついでアルバイト、契約社員の順である。1999年、2004年労働者派遣法の改正によって派遣対象業務が一般に拡大されたためである。非正規社員は女性、若年層に偏っている。その人々の賃金は安く、退職金はなく社会保険料も支払われない、福利厚生教育(産休など)の対象とならないなど、労働条件の劣悪化に拍車がかかった。1990年以降の日本経済を取りまく環境が厳しくなったため、企業としては非正規労働者を雇う動機が高まったためである。労働者側としても雇用確保と労働条件改善が天秤にかけられ、低賃金(パートの中心年間賃金は100−150万円、派遣社員は200−300万円、正規社員は300−600万円)を飲んで雇用重視に傾いている。
D 女性労働と労働環境
女性の労働力人口は生産年齢人口(15−64歳)でいうと2767万人(63.4%)、男性は3789万人(84%)であった。日本女性の年齢別労働力率は子育て期の30台−40台に落ち込みがあるM字型を示す。欧米では女性の就労率は日本より高く、かつ落ち込みは見られない。さらに男女賃金格差が大きいことと、女性役員の少なさは儒教の国らしく男尊女卑の悪しき伝統を引きずっている。少子高齢化社会では、高齢者とともに女性の労働を重視する必要があり、女性の労働環境整備が喫緊の課題であろう。1986年の雇用機会均等法のもとで平準化は進んできているが、日本の男女格差はまだ国際的に理解できない程度であり、アメリカのかっての黒人差別を思い起こさせる。
E 高齢者の雇用
日本の高齢者≪55−64歳)の雇用率は緩やかに低下しているが2012年で63%で、OECD全体の平均である55%よりは高く、世界でも最も高い。60歳以上の高齢者の70%は働きたい意欲を持っている。公的年金の受給開始年齢が65歳以上に引き揚げられ、改正高年齢者雇用安定法(2006年)は企業に対して定年の引き上げ、継続雇用制度などを義務付けている。高齢者1世帯当たりの平均所得は308万円(2012年度)で、公的年金が占める率は70%であった。ただ高齢者の年金問題と雇用問題は別のことで、高齢者を優遇することで若年層が働く機会を奪ってはならない。ここにも世代間の軋轢が仕組まれている、
F 所得格差と賃金
日本の単位労働コストは1980年を100とすると、2012年の日本は90%に低下しているが、イギリスは270、アメリカは210、ドイツは150と上昇している。日本の労働価値だけが低下している。賃金は労働者の生活の資であり、経営にとっては経費コストである。賃金にはAいろいろな格差が存在し、年齢格差、男女格差、地域格差、企業規模格差である。日本では中高齢者、男性、大都市居住者、大企業二法が賃金年収は高い。賃金はマクロ経済的には、インフレデフレとの関係が強いとされる。高度経済成長期には賃金が物価を引き上げ、最近のデフレでは日本の賃金は低下したため、消費者物価指数特にサービス価格がほとんど上昇しなかった。日本だけがこの失われた20年で労働賃金が下がった国であり、生産性は向上したが賃金は向上しなかったので、物価抑制の原因となってきた。
G 労働組合と春闘
労働3法のもとで日本の労働組合は働く者の生活向上と権利確保の上で大きく貢献してきた。労働組合の組織率は製造業を中心に35%(組合員数1300万人)を最高に1980年以降は次第に下降気味となった。最近は生活水準の高まりやサービス業の発展で20%(1100万人以下)を切るようになった。労働組合の要求は賃金・ボーナスに関するものが多い。賃金はこれまで春闘で決められるのが慣例となってきたが、最近は賃上げだけでなく雇用の確保、労働時間短縮など労働条件の改善要求を組み合わせている。賃上げは1990年以降はほとんど定昇だけもしくはゼロ回答に低迷し、賃金はゆるやかに低下した。日本の労働組合は欧州のような職能別組織ではなく、垂直的な企業別組合であった。1989年に「総評」が解散し「連合」となった。
H 失業率と構造的失業
「働く意欲はあるが職がない」人を失業者という。完全雇用であったことはないが、高度経済成長以後は失業率1−2%台で推移してきた。失業者数は景気によって決まる。しかしバブル崩壊後の90年代は失業率は上昇し2−4%となり、2000年以降はさらに深刻化して5−6%台となった。それでも欧米に比べると失業率ははるかに低い。フランス、アメリカの失業率は10%台以上で、ドイツは東西融合以来高い失業率であったが、2012年には6%を切るようになった。産業構造の変遷などによる構造的失業率や、外国人労働者による労働環境の圧迫、産業間、男女間、地域間で労働力のミスマッチが生じる可能性がある。外国人労働者や聖人輸入による失業や産業空洞化は、市場開放、国際化促進の見地から処するベきであろう。
I 外国人労働者
日本の法律では特殊な技能技術を持つ外国人労働者は受け入れるが、単純労働者は受け入れないことになっている。在留資格を持つ在留外国人は2012年に203万人であり、永住者が半数、合法的外国人労働者は75万人、不法残留者は20万人だという。就労している外国人の総数は約95万人と推定される。調査によって不正確さは否めないので、実際は100万人を大幅に上回っていると考えられ、国籍別では中国人が圧倒的である(次いでブラジル人)。外国人労働者の問題は国内労働者の圧迫や社会問題を引き起こしているが、基本的には移動の制限は好ましくない。

6) 金融・資本市場

@ 日本の貯蓄
投資の資金は貯蓄からくるので、日本の高度経済成長の重要な要一因は日本国民の旺盛な貯蓄意欲にあったといえる。1955年ごろ戦後復興が軌道に乗り貯蓄は次第に上昇し、70年代に貯蓄率(可処分所得から消費を引いた)は10%となり、高度成長期に25%を超えるときもあった。80年代後半から90年代は10−15%で推移した。ところが90年代後半のデフレによる賃金低下を受けて、2000年以降日本の貯蓄率は低下を続け、先進国のなかでは低貯蓄(1−2%)を特徴とする国に変わった(アメリカは約5%)。ドイツは10%を超える堅実な貯蓄国である。貯蓄率は人口構成、社会保障水準、消費性向、景気などによって左右される。日本の最近の貯蓄率の低下は、若い人の貯蓄と負債が平衡していることと、貯蓄を多く持っている中高年齢者層の減少にあるようだ。貯蓄は景気が悪いデフレ期にはかえって景気の悪化に拍車をかけ(デフレスパイラル)、景気が過熱気味の時はむしろ貯蓄を推奨すべきである。しかし長期的に見れば貯蓄率が高いほど投資に回す金が増え、成長率は高い。
A 金融機関
資金の融通と仲介を行うのが金融機関である。日銀を別格とすれば、金融機関は財政投融資を行う政府系と民間系とに分かれる。むろんここでは民間の金融機関だけを考える。預金を取り扱う機関は、都市銀行、地方銀行、ゆうちょ銀行、信託銀行、信用金庫、信用組合、労働金庫、JAバンクがある。1990-2004年に預金取り扱い金融機関はバブル崩壊によって発生した約100兆円の不良債権を処理してきた。その過程での吸収合併で金融機関の数は減少した(都市銀行は4グループに集約された)。ほかの金融機関として生命保険、損害保険、証券、証券投資信託委託、投資顧問会社がある。このほか貸金業者として手形割引業、クレジットカード、信販、質屋なども含まれる。
B 間接金融
郵便局や銀行が家計部門から預貯金を集め、これを企業に貸し付けることを間接金融方式という。預金者は貸付け先を指定するのではなく金融機関が貸付先を決定する。預金金利は低い。間接金融方式は1970年代後半まで続いて高度経済成長を金融面から支えた。郵便貯金は政府の政策金融の財源になり、銀行貯金は財閥系の銀行資金として系列企業融資の財源となって銀行の企業支配の時代を築いた。これら都市銀行は日銀からの借り入れが多く、金融政策のかじ取りは公定歩合操作、日銀貸付規制、窓口規制を中心に効果が高かった。90年代後半には間接金融の借り入れが減少してきたが、これは企業の直接金融が増えたわけではなく、非金融企業の資金需要が減退してきたためである。
C 直接金融
企業の内部資金調達力が強まり、また証券市場から調達することが容易になると、直接金融の比率が高まる。直接金融が盛んになった背景には、@企業の自己資金を充実させてきたこと(利益の内部留保)、A国債発行が債券市場の発達を促した、B家計部門で国債購入のほか株式・債券も購入するようになった、C海外投資家が日本の株を買うようになった ことがあげられる。非金融法人の資金調達は、1990年代に借入金を返済し、2000年代に入ってから直接金融(証券発行)が間接金融(借入)を上回った。
D 公的金融機関の改革
国は特殊な金融機関(郵便貯金)を設置し、政策的に必要とする部門(道路建設)に資金を融通することを、財政投融資という。そのほかの財政投融資財源には保険金、国民年金、厚生年金の積立金など、公的な金融機関とは公庫、銀行、公団である。財政投融資は公共的なものであるが、中長期的には採算ベースに乗るものである。投資対象には高速道路、住宅建設、宅地整備、工業団地造成、中小企業融資などである。高度経済成長も終わりインフラ整備も一段落し、民間部門も力をつけてくると、公共部門の合理化が要請されるようになった。2000年代に財政投融資システムの見直しが行われ、@財源を金融市場から直接調達する、A郵政公社が民営化され、郵便貯金や簡保の財務省運用部委託義務がなくなり、自主運用されることになった、B国内向け融資機関は日本政策投資銀行と日本政策金融公庫の2つに集約された ことで財政投融資システムの民営化とスリム化改革が行われた。
E 証券市場
国債、社債、株式など有価証券の発行と取引の場と環境を証券市場と呼ぶ。有価証券は銀行借り入れより長期的で自己責任の強い性格を持ち、国債は政府の責任で発行される。これらの有価証券を国民が買うことで、国民の資産運用あるいは中長期の貯蓄手段として機能する。個人金融資産における有価証券の割合は1980年代末には20%を超えるくらいとなったが、金融危機などによって株式市場の低迷があり、2013年現在は14.5%となっている。2013年の国債・財融債の保有高は807兆円で、最大保有者は年金・保険・日銀である。株式の保有高は378兆円で、保有者は海外30%、個人家計が20%、非金融法人が20%ほどである。年金・保険関係も20%ほどである。証券市場は銀行や企業の新規株の発行市場と、投資家の間で自由に売買を行う流通市場がある。株式の価格は短期的には為替・金利・物価などによって決まるが、個々の企業の株価は期待値で決定される。従って証券市場が健全に発展するには、価格形成に関する情報が的確かつ公平に提供されることと、市場参加が自由平等であることが必要である。粉飾決算など不当な行為を排除するルールが不可欠である。
F 日本銀行
日銀は55%が政府出資で、1998年の日銀法改正によって政策委員会が意思決定者となり、総裁・副総裁・6人の審議委員は国会の承認による。金融政策以外の日銀の基本的業務は、@発券銀行(紙幣発行)、A銀行の銀行(預金・銀行への貸付)、B政府の銀行(国庫金・国債業務)である。しかし高インフレをもたらしかねない日本銀行による政府の信用供与は原則禁止されている。そのほか経済・金融調査、外国の中央銀行・国際機関との連携を行っている。
G 金融政策
金融政策は政策員会で議論され決定される。日銀法は「物価の安定を図ることを通じて国民生活の健全な発展に資する」ことを定めている。物価が安定していてはじめて経済主体は安心して経済活動が行えるからである。日銀は有価証券を売買することで短期市場金利(無担保コール翌日物レート)の高低を誘導する。それによって中長期金利、貸出、外国為替レート、資産価格の変化を誘導する。日米欧の先進国諸国では近年、短期金利はほとんどゼロに近いので、将来金利を引き上げないことを約束する(時間軸政策)も広く行われる。多くの中央銀行では国債の金融資産を大量に買うことで金融緩和の効果を強めることができる。こうして日銀のバランスシートの規模は拡大してきた。日銀のバランスシート規模のGDP比率2012年に40%に拡大し、アメリカ・イギリス・欧州中銀はほぼ25%程度である。
H 金融の自由化と規制
従来の金融政策は、@預金者保護、A金融機関の経営不安防止、B政府日銀の金融活動や金融機関に対する介入規制が強かった。しかし変動相場制移行以後は日本の金融自由化は急速に進んだ。民間企業が自己資金力をつけてきたこと、国債発行額が増えたこと、個人資産が金利が有利な金融商品をもとめてきたこと、外国の金融機関が日本市場参入が強まったことで規制緩和・金融自由化の動きが活発になった。金融自由化は預金金利の自由化からはじまり、銀行と証券との垣根がなくなったことである。しかし1990年のバブル崩壊や2007年金融危機によって、自由化の流れにブレーキがかかり、金融規制の強化が図られた。バーゼルルールT−Vによって、リスク資産に対して自己資本を8%以上とし、さらに上乗せする合意ができた。てこ原理も働ないようにする規制である。
I 東京の国際金融機能
世界の金融センターは、ロンドン、ニューヨークであるが、それに次ぐ国際金融センターとしての地位を東京が持てるかどうかである。1980年代に高まった東京市場の存在感は、1990年のバブル崩壊後後退した。世界第2位のGDP(2013年は中国に抜かれて第3位)を背景として、対外純資産額が世界1になったことと、経常黒字で貯蓄過剰になった資本の供給国日本が東京市場の位置を押し上げている。しかし伝統的なロンドン市場、総合力で優れたニューヨーク市場に比べると東京市場は今少し見劣りがする。2000年に入って経済停滞は日本の位置をさらに引き下げ、シンガポールや香港が差を縮めてきている。国際債円建て債はドルやユーロに比べて大きく水をあけられた。一層の国際化と自由化を進める必要がある。

7) 財政

@ 政府の役割
国家主義計画経済に間違いや失敗がある。自由主義経済とは民間企業と個人の自由な活動を基礎とするものであるから、ミクロな段階での自由競争には政府は介入しない方が望ましいが、自由主義経済がアプリオリに正しいという保証はないと考える方が無難である。つまり個々人の活動の結果が間違った方向へゆく「合成の誤謬」や「市場の失敗」と覚悟してかかり、近代国家では公共財やサービスの確保に関する責任は国家がもたなければならない。何故なら国民は税金を納め相応の生活と福祉を期待しているかである。国防や治安、基礎的教育、国民の福祉と健康、さらには国際問題の役割は政府に負うところが大である。政府はたんなる夜警国家ではない。政府の活動は時代の発展段階によって異なるが、民間の力や個人の正当な活動に介入しないことが望ましく、効率的であるべきである。現実の政府の活動は財政によって賄われている。財政の経済的機能は、@経済成長、A経済安定、B資源の適正な配分、C社会的公平、D国際協調の施策である。財政は小さいだけが能ではなく、GDPに適した規模でなくてはならない。
A 予算編成
政府は政策運営の指針として中期計画をもっているが、年次の経済見通しと単年度政府予算が作られる。経済見通しの作成と政府予算原案編成は内閣府と財務省が責任をもつ。民間団体も意見を聞かれるが、原案編成には関与できない。民間グループとしては経済4団体、労働団体、消費者団体、農業団体などである。実質的に影響力があるのは民間人の参加する政府の各種審議会である。財政制度審議会、税制審議会、産業構造審議会、食品・農業政策審議会などである。2000年以降政治主導で予算編成が強まり、内閣府の中に民間人が参加する経済財政諮問会議が重要な政策決定の要となってきた。
B 財政の規模と構造
財政の規模は国民の租税負担力、国債発行の歳入見通しと各方面の歳出要請の度合いによって決定される。高度成長期は一般会計歳出の伸びはGDPの10%台で推移した。1980年代は公共投資の拡大社会保障関係費の増加があって対GDP比は18%に達した。1990年から2000年代は景気減退もあって歳出は横ばいで抑制されていたが、2009年から2012年にかけて世界金融危機と東日本大震災のため大規模補正予算が続いて対GDPは20%を超えた。これに関連して国民負担率(税+社会保障負担)の対GDP比は高度経済成長期の20%から、1979年には30%、2013年には40%に達した。それでも欧州の45−60%よりは低い。一般政府支出(一般会計予算+特別会計予算)の対GDP比は近年40%近くになり、欧米の水準に近づいた。もちろん政府収支の対GDP比は1990年以降赤字を続けているが、200年以降はマイナス5−10%となりこれも欧米の水準と同じであるが、ドイツは±0で、韓国は+である。
C 歳出構造
一般会計ベースの歳出は、地方交付税、国債費、一般歳出に大別され、地方交付税は国税の1/4-1/3を地方自治体にの交付する制度的支出であり、最近は2割弱である。国債の利払いや償還にあてる支出が国債費である。国債費と地方交付税は制度による固定的な支出であるが、歳入が伸びない場合は一般歳出を圧迫する要因である。一般歳出をみると、最近社会保障関係費の増加が著しく、一般歳全体の50%を超える。公共事業費は大幅に減少し、80−90年代の半分程度になっている。2013年予算では国債費が25%、地方交付税が17.7%、一般歳出が58.3%(うち社会保障費は31.4%)であった。一般歳出の内訳をみると、社会保障費が54%、公共事業費が9.8%、文教科学振興費が9.9%、防衛費が8.8%、その他経費13%などである。日本の政府最終消費支出が対GDP比で15−17%であるが、欧米は20%前後であり、日本政府は欧米に比べて小さな政府と言える。
D 税制
予算の中心は通常は税金である。2013年の予算で見ると歳入総額92.6兆円のうち、税金47兆円、国債42.8兆円でかろうじて税金が借金を上回っていた。日本の税制は個人税・法人税などの直接税を基幹とし、物品税(消費税)という間接税で補うという形であった。直接税と間接税の比率(直間比率)は1995年ごろまで7:3で推移してきたが、デフレ期が長引くにつれ累進課税制の重税感に不平が出始め、所得減税・企業減税に傾いて直接税の落ち込み傾向はトレンドとなり、その不足分を補う形で消費税が導入された。1998年には直間比率は55:45となった。2010年の直間比率はアメリカで76:24、イギリスで59:41、ドイツで50:50、フランスで53:47となっており、社会保障の厚い国ほど直間比率は間接税に傾いているといえる。租税負担率は徐々に高まっているが2013年で23%であり、欧州諸国のそれが28−47%であるのに比べるとかなり低いといえる。税が高いかどうかは結局政府の施策と信頼感に依っている。日本では租税負担率がこれほど低くても重税感が強いのである。井手英策著 「日本財政 転換の指針」(岩波新書 2013年1月20日 ) は「政府はすでに信を失った」と宣言した。高齢化社会による財政需要の増大は間接税比と負担率の増大は避けられない。財政バランスの改善が求められる。
E 国債
日本の国家予算は高度経済成長期を通じて歳入・歳出の均衡予算であった。経済成長による自然増収を財源として減税を行うことができた。それまで少額であった国債発行額は1974年に3.1兆円、1984年に13兆円となった。1990年には国債発行額は減少し、財政収支は黒字化したが、バブル崩壊後の1995年頃から景気対策の為国債発行が増加した。2000年まで一般会計歳出は直線的に増加し、税収の落ち込みに反比例して国債発行が増加したのである。財政法によると国は赤字国債を発行できないことになっている。ただし建設国債はインフラ整備のためであり次世代も恩恵を被るとして「建設国債」は許可された。しかし赤字国債は毎年「特例国債」として国会承認を必要とした。その後国債発行の増加が続き、2012年度で累積国債残高は約739兆円、対GDP比で148%となり国際的にも一般予算の国債依存度49%は高い数値である。国債発行は、歳出の硬直性、景気刺激効果、国民貯蓄残高との関係、対外協調路の関係で考慮される必要がある。中でも日本の国家予算は、持続可能性があるのだろうか、どこかで破たんするのだろうか、心配は絶えない。
F 財政政策
財政には景気調整機能があるが、財政収支の赤字要因と景気の関係が重要である。2011年東関東大震災復興予算は、それまで萎縮していた歳出動機を一変して拡大補正予算に向かわせた。建設国債だとインフラ整備により景気浮揚効果の名分もあるが、一般政府経費を補う「特例国債」にはそれさえもない。また国債乱発はインフレ要因になることである。戦後国債の日銀引き受けは禁止されてきたが、日銀が既発行の国債を吸い上げれば結局日銀引き受けと同じになってしまう危険な行為である。アベノミクスの日銀当局はそれをやってインフレ率2%を達成するつもりである。また日銀の国債吸い上げにより民間資金が窮屈になり金利が上昇することも心配される。しかし日銀の国債発行は景気刺激策の目玉であり、国債は国民個人資産にもなるので、そのかじ取りは微妙である。政府固定資本形成の対GDP比率は、2000年以来公共事業の縮小で5%から次第に下がり2011年度には3%近くまでになった。それでもドイツ、アメリカ、イギリスよりは1%ほど高い。
G 防衛費
経済と軍事費の関係は昔はプラスに働くと考えられたが、今や一般的にはマイナス効果の方が大きいとされる。市場原理の働かない軍事費は財政赤字の要因であり、民間技術を圧迫するからである。日本は戦後、専守防衛・武器輸出禁止・非核三原則が基本方針とされ、防衛費もGDPの1%原則が慣行化されたので、米欧ほどに財政赤字要因とはならなかった。アメリカは日本の防衛費の11倍、中国は2倍である。防衛費の42.5%は人件費で、防衛生産額は全産業の0.6%程度にとどまっている。それでも日本の防衛費は欧州を上回る水準にあり、軍事技術もトップクラスにある。
H 地方財政と地方分権
政府は外交・防衛・経済協力を受け持ち、地方自治体は福祉・生活関連事業を受け持つ。地方財政の規模と政府の規模との比率は45:55になっている(2011年)。2013年度予算規模では中央政府が92.6兆円、地方自治体が81兆円であった。地方財政の構成は、歳入面で、地方税が41.5%、地方交付金が21%、国庫支出金が14.5%、地方債が13.6%などである。地方税としては県民税。自動車税、市町村税、固定資産税などである。歳出面では一般行政費が39%で最も大きく、職員給与が24%、公債費16%、投資経費13%などである。小泉政権は2001年以降「三位一体改革」と称して、国庫補助金の廃止、税財源の地方への移譲、地方交付税の縮減を進めた。
I 財政破綻の回避
日本ほど政府債務(2013年 750兆円)を積み上げた国はない。政府債務はGDP比で200%を超えて増え続けている。それでも国債価格は安定し、利回りは1%を下回っている。それは日本の経常収支が黒字、つまり日本は外国資本に依存せず国債を95%以上国内で販売しており、資本輸出国であるからである。また日本の歳出は外国に比べて大きいことはなく、問題は税収不足にあるが、日本は消費税などまだまだ増税余地(消費税率は日本5%→10%、欧州15−20%)があるとされるからである。しかし経常収支は悪化しており将来赤字になる可能性もある。赤字になる前に財政再建を図らなければならないが、消費税・所得税の引き上げが求められるだろう。

8) 国際収支

@ 国際収支とは
国と国との経済取引の勘定尻が国際収支である。内容は@商品貿易取引、A貿易外取引、B資本の取引の3つである。貿易外取引とは運輸・保険料・旅行・サービス手数料・投資利益などを含む。国際収支の均衡を論じる際、総合収支(@+A+B)か経常収支(@+A+移転収支)か基礎収支(経常収支+長期資本収支)かを区別する必要がある。国際収支は相手国ごとに問題にする必要はない。国際収支尻は敬愛発展段階と密接な関係がある(キンドルバーガー理論)。未成熟債務国→成熟債務国→債務返済国→未成熟債権国→成熟債権国→債権取り崩し国という発展段階のどの位置にあるかということである。アメリカは1982年以来債権取り崩し国であり、日本は1972年以来の未成熟債権国から成熟債権国へ移る段階にあり、韓国は1986年以来債務返済国である。日本は貿易収支黒字で資本収支赤字である。貿易収支赤字の債務国から債務を返済して貿易収支を黒字にする。そして貿易収支は赤字で資本収支は黒字という金をかして物を買う債務国へ発展するという理論である。
A 貿易と経済発展
日本は成長と発展のために輸出に力を入れ外貨獲得に重点を置いてきた。変動相場制の下では貿易不均衡は為替によって調整されるはずと思い込んでいたが現実はそうではなかった。それは自由市場の失敗である。日本は80年代から90年代にかけ黒字が拡大し、2000年代には貿易黒字は安定的になった。2008年の世界金融危機から日本の黒字は縮小し、2011年の東関東大地震があってから赤字になった。日本の産業は原材料を輸入し加工して製品を輸出するという垂直分業を特徴とした。ところが近年途上国の製品生産力が向上し、日本経済の構造変化が進み水平分業体制に移行した。家電分野ではそれが著しい。中国を先頭に世界の国々は製品をアメリカに売るという一極集中型になり、アメリカのみが経常収支が赤字である。
B 輸出
日本の輸出構造は鉄鋼・家電製品・自動車・工作機械・OA機器・コンピューター・半導体そして電子電気機器の部品など知識集約型高付加価値製品が増加した。日本の工業は生産性と技術水準の高さで優位性を保つという志向である。相手国別でみるとアメリカ・ヨーロッパが多かったが、1990年以降はアジア向けの比重が高まり2011年には56%を超えた。2012年の輸出相手国はアメリカ、中国、韓国、台湾、タイ、香港、シンガポールなどの順である。輸出の急増はいつも貿易摩擦を引き起こした。政府の貿易補助金も非難の対象となった。摩擦に足しては原則として内需の拡大と輸入の増加によるマクロな解決が望まれる。
C 輸入
日本の輸入構造は原材料。エネルギ―燃料が全体の6−7割を占める。つまり垂直型の輸入構造である。地域別にみるとアジア・中近東から輸入の半分を占めてきた。近年は東南アジアと中国からの輸入比率が高まった。輸入がエネルギ・原材料に偏っているため、貿易収支は中近東・オーストラリア・カナダに対して恒常的に赤字である。輸入相手国とは中国、アメリカ、オーストラリア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、韓国、カタール、マレーシアなどの順である。
D サービス(貿易外)収支
対外取引でも貿易に伴うサービス(運輸・保険)や旅行、所得収益(投資収支)が増えている。むろん貿易取引が依然大きい。貿易外収支の3本柱は輸送・旅行・所得収益である。貿易外収支は90年代後半から赤字から黒字の転換して以来2000年代になって黒字幅を拡大し10兆円を超えた。旅行・輸送などのサービス収支は1990年代に日本人の海外旅行が増えたたため赤字幅が拡大したが、2000年代になって縮小してきた。一方所得収益は日本企業の海外での収益を送金することで黒字幅が2000年以降急速に拡大した。2005年以降には15兆円を超すようになった。2011年以降貿易収支が赤字になったにも関わらず、貿易外収支の黒字幅が拡大したため、経常収支は黒字を維持している。
E 資本収支
国際収支の中で為替レートの大きく響くのが資本収支である。経常収支の黒字国と赤字国の間で資本取引が行われる。経常収支と資本収支はおおむね相殺しあう関係であるが、その差は外貨準備へ編入される。2000年代の平均でいうと日本の経常黒字は16兆円、資本収支の赤字は10兆円で、差額は外貨準備の増加となった。これは財務省の為替市場介入資金となり、それだけ資本が流出することになり7兆円であった。貿易で儲けた金でドルを買う関係である。資本収支は国内でいえば証券投資が最も多く、日本はアメリカ国債を中心とした外貨建て債券への投資である。次に直接投資であるが、アジア・北米・欧州が大きい相手国である。また近年外国資本の場合は日本株を積極的に取引している。資本流入している相手国は2010年以降欧州が急増している。資本流出している国は北米、中東・アジアである。資本の動きは長期的経済発展の可能性、市場の開放具合、金利や為替の動きに影響される。
F 貯投バランスと経常収支
国際収支構造からすると、経常収支と資本収支は相補関係にある(経常収支が黒字なら資本収支は赤字)。経常収支の黒字は国内の貯蓄過剰=資本流出に対応する。対外不均衡は国内不均衡のはけ口である。日本の状況は国内の家計部門は貯蓄過剰で、企業部門は貯蓄過剰であり、政府部門は赤字であるが、国内部門全体で見るとバランスは貯蓄過剰となり、それが資本流出となっている。何が出発点かはわからないが金の流れはに金利と同じように水の流れと同じ原則で動く。この状況をみて政策を発動することになる。2008年以降日本の経常収支黒字は小さくなり、かつ家計の貯蓄傾向は低くなった。したがって非金融(企業)法人と政府部門の貯蓄・投資バランスのかじ取りに注目される。
G 対外資産
フローの面で対外投資(流出)が続くということは、ストックの面でいうと対外資産が蓄積されることを意味する。2012年の対外純資産額は296兆円となり世界最大の債権国となった。アメリカが世界最大の債務国に転落したことと対照的である。2012年の総対外資産額は662兆円でその半分は米国債を中心とする証券投資であった。次いで直接投資の順である。アメリカの対外資産には含みが大きいといわれ、日本の米国債保有は米国の金利が高い時は有利であるが減価も恐ろしい。最近は日本の資産は直接投資、それもアジア地域のものが多くなっていてバランスが取れてきている。貿易摩擦に代って投資摩擦にも注意が必要である。
H 政府開発援助
日本の政府開発援助ODAは20世紀中は世界最大であったが、デフレの長期化で縮小し、2011年度のODA実績ではアメリカ・ドイツ・イギリス・フランスの次に位置している。対GDP比でも2010年度は0.2%以下となった。近年の変化として2国間援助が減り、貸し付けから贈与に移った。日本のODAは外務省が現地情報を得て政策を決め国際協力機構JICAが実施する仕組みである。
I WTOと IMF
戦後の世界經濟体制はIMFとGATTによって支えられた。IMFは80年代は累積債務国の救済、90年代は共産圏の移行支援、97年のアジア通貨危機支援、2010年には南欧州の通貨危機・財政支援に活躍した。WTOは1995年GATTに代って貿易秩序を担った。交易の自由化、紛争の手続きにあたった。21世紀は経済・金融の面ではIMFが、貿易の自由化の面ではWTOが中心となって国際秩序が確立されるであろう。

9) 国民生活

@ 経済力と生活の質
日本は1980年代までにマクロ経済指標を欧米先進国に匹敵する水準に引き上げたが、バブル崩壊以後の長いデフレが続いて国内総生産などは経済停滞期に入った模様である。しかしその間、国民生活の質の面で一定の改善がみられた。所得水準の上昇、所得配分の公平性、2重構造の解消、国民意識の中流化、耐久消費財の普及、食生活の向上と健康工場余寿命延長、犯罪の減少などを挙げることができる。また公害、環境破壊、消費者軽視などのひずみにも改善がみられた。その後円高や国際化の中で、生活の質の後れが意識されるようになり、住宅事情、労働時間の長さ、食生活の生計費の高さ、資産価値の格差などに不平等感が広がった。2000年以降これらの問題はある程度改善されてきた。生活の質の指標を外国と比較すると、世界一長寿国であるし、医師の数は欧米並みになったし、教育水準は高いし、犯罪件数は非常に低いし、失業率も低いが、生計費は欧米に比べると割高であり、社会保障はアメリカに比べると勝っているが欧州よりは低い、自殺率は高いというような結果である。一長一短があり、日本はさほど住みにくい国ではない。
A 消費の水準と構造
経済活動の最終段階は消費である。貯蓄も延長された消費である。高度経済成長後の家計費の内容の変化が著しいのは、食料などエンゲル係数の縮小(25%)である。そして住宅とその環境費用が大幅に増えたことである。娯楽レジャーや交通費も増えている。耐久消費財の普及状況を見ると家電を中心に1975年までに冷蔵庫・洗濯機・掃除機・カラーテレビが完全にいきわたった。次いで携帯電話・エアコン・電子レンジ・ビデオそして乗用車が1995年ごろに飽和した。2010年ごろにはパソコン・デジカメ・薄型テレビ・DVDなどが普及した。耐久消費財の普及はアメリカよりは低いが欧州よりは高い。衣服の輸入も急増している。今限りでは消費は飽和したかのように見えるが、最近は随意的選択的消費が増え、娯楽・レジャー・通信などの伸びが大きくなった。多様化個性化したといえる。
B 地価と住宅事情
戦後の日本の住宅事情は不十分である。木造・共同建など低質である。職場との距離も遠く、一人当たりの床面積は欧米に比べると最低である。引き続き住宅は堅調な需要があると見込まれるので、建築促進と土地価格の安定、周辺の環境整備が必要である。住宅問題の背後には地価問題が存在する。過去3回土地価格は上昇したが、1992年以降土地は長期低下傾向になるが、3大都市圏の土地価格はかなり高い。可住地が少ないとか、社会資本の立ち遅れなど問題が多い。
C 社会資本と環境
社会資本という言葉は狭義には間接的に生産に関与するインフラ(公共的資本)つまり道路や鉄道・発電所・航空などをいったが、広義には生活関連施設を含め、資金的にも公的資金だけだなく民間資金あるいはその組み合わせで賄われた。つまり公共的サービスを提供すれば社会資本と呼ばれる。2009年の社会資本ストックは約678兆円と推計される。生活関係資本とは下水道・廃棄物処理・水道・公園・文教施設などである。採算ベースに乗りにくいもの、長期間を要するものなどがあり、長期計画による整備が必要である。日本尾環境問題は地域的な騒音・悪臭・大気汚染・水質汚濁であった。1980年以降は地球規模でのフロン、有機塩素化合物の化学物質汚染が問題となりこれらは比較的規制と対策が功を奏した。1990年以降は地球規模での温暖化対策に取り組んできたが、各国のエネルギー政策が絡んで合意に達することができていない。
D 生活の安全性と消費者行政
生活の安全性とは、日常生活物質の安全性から、社会の安全性まで多岐にわたる。経済発展との関連で安全性とは犯罪、交通事故、公害が取り上げられる。日本欧米に比べて犯罪数がけた違いに少ない。犯罪の検挙率は35%程度であるが欧米と比べて低いとは言えない。また生活者を守る消費者行政は1968年の「消費者基本法」に始まり、安全性、選択の自由、消費者取引の適正化、政府による消費者支援を柱としている。1995年には製造者責任法(PL法)が施行され、2009年には消費者の利益を第1に考える消費者庁が設置された。
E 学校教育と生涯教育
日本の教育普及率は高く、進学率も高い。高校進学率は2012年で98.3%で、大学進学率は53%である。しかし今の教育問題は進学率など意味を持たないくらいに複雑である。学校教育費の伸び、親の教育費負担増大、財政における教育費用の増加といった経済問題から、受験主義の弊害、就職率の低迷、カリキュラム、学歴主義の弊害、国際化への対応など課題を抱えている。また人生80年時代の生涯学習の重要性が高まっている。大学通信講座、大学公開講座、民間教育事業による講座も広まった。社会教育は企業内教育も含めて一層重要になってきた。国際化、高齢化、災害多発化を反映してボランティア教育も盛んになってきた。
F 社会保障
社会保障とは、所得が何らかの理由で途絶えた時、生活を社会的・公共的に保障する制度のことである。社会保険(医療、年金、雇用、労災、介護など)、児童手当、公的扶助、社会福祉、公衆衛生、恩給、千歳犠牲者などをさす。1973年の「福祉元年」には老人医療制度が整備され、欧米とそん色ない水準までに達した。2012年の社会保障給付費は109兆円、GDPの31%となった。内訳は年金が54兆円、医療が35兆円、福祉が21兆円となっている。1985年ごろに年金が医療を追い抜いた。2000年代になってから福祉の伸びが目立つ。日本の給付は社会保険を主に税金を従としている。社会保障給付の国民負担率は2013年見通しで17.3%、アメリカやイギリスに比べると高いが、欧州に比べるとまだ低いほうである。今後高齢化で年金負担は増えることは必至で、公平と効率が求められる。
G 健康と医療と介護
2011年度の国民医療費は38.6兆円、国民所得比11.1%に達した。老人医療費の増加が著しく医療費全体の34.5%を占めている。国際比較では欧米より対国民所得比は低い。医療供給体制を見ると、人口当たりの医師数は欧米と比べて少なくはない、むしろ病院数や病床数では上回る水準にある。健康のために医療費であるから、その増加は高齢者比率が高まっているがやむを得ない面があるが、今後改善する課題は多い。終末医療、老人医療、健康保険の給付と負担の公平問題、新しい病気への対応などである。2000年に施行された介護保険制度の進展に伴う改善なども検討しなければならない。
H 年金問題
日本の年金制度は1961年にスタートし半世紀が経過した。国民年金制度は20−60歳の国民は強制的に加入しなければならない。民間の社員は厚生年金、公務員は共済年金組合に加入する。労使折半で拠出し、65歳になった時点で老齢厚生年金、退職者共済年金を受給できる。この他に個人は国民年金基金に、民間会社社員は企業年金に任意で加入できる。公的年金は基本的には世代間扶養の原則に立っている。この制度では少子高齢化の下では保険料の上昇と給付水準の引き下げが避けられない。公的年金の国際比較は私的年金積立者が多いアメリカなどとは比較が困難である。
I 個人金融資産
個人金融資産は戦後の高い貯蓄率に支えられて増加したが、2000年代に入って貯蓄率が低下し、2013年の日本の金融資産残高は1571兆円で、GDPの3.3倍である。アメリカはGDPの3.6倍、欧州は2.1倍であった。勤労者1世帯の貯蓄保有額は2012年度1233万円、平均年収691万円の約1.8倍であった。また負債残高は1世帯で695万円である。その93%は住宅・土地のローンである。個人金融資産の内訳で特徴的なことは現金・預金が多いことである。現預金比率は55%、保険・年金準備金は30%、株式は8%、投資信託は4%であった。金融危機以来個人株式投資は大きく減退した。

10) 日本経済の展望

@ 未来論
日本の将来については、人口動態、国民の貯蓄率、そして重要な行為者政府の政策によってコースは変化するであろう。また国際環境という外的要因が劇的に日本の将来を決定づけるかもしれない。要はそれに対応できる姿勢と歴史の教訓を忘れないことである。その教訓の一つが平和であり戦争をしないことである。なかでも日本は核兵器を持たないことである。戦後復興から高度経済成長を経て、インフラ整備と国民生活の向上を成し遂げ、蓄積した資産が土地バブルを引き起こして、長期の不良債権処理とデフレ不況の時代が続いた。同時に世界市場の自由化と金融危機によって日本はその対応に苦慮している現在である。将来日本社会がどのようなものであってほしいか価値観が問われている。
A 経済計画
旧共産圏や新興国の経済計画は良く知られているが、西側の自由主義国でも全くの無計画はあり得ない。現在市場経済の下での経済計画が求められている。日本では戦後1955年に「経済自立5か年計画」(鳩山首相)、1960年に「国民所得倍増計画」(池田首相)、1965年に「中期経済計画」(佐藤首相)、1967年に「経済社会発展計画」(佐藤首相)、1970年に「新経済社会発展計画」(佐藤首相)、1973年に「経済社会基本計画」(田中首相)、1979年に「新経済社会7か年計画」(大平首相)、1983年に「経済社会の展望と指針」(中曽根首相)、1988年に「経済運営5か年計画」(竹下首相)、1992年に「生活大国5か年計画」(宮沢首相)、1995年に「構造改革のための経済社会計画」(村山首相)、1999年に「経済新生の政策方針」(小渕首相)が出された。時代によって計画の目標や政策手段は異なるが、民間主体の市場原理を中心とした経済運営の指針であった。
B 災害復興
2011年3月東日本大震災直後は経済活動が混乱し、実質GDPはマイナスとなった。しかし生産のためのインフラ整備が進み7月には経済成長率はプラスに転じた。その後は復旧復興特需に乗って経済成長率は高まった。それは日本の生産設備の破壊が東北の原発電力だけであったこと、その他の産業の中心が大都市にあり無傷であったことが大きい。つまりダメージは住宅、インフラといったストックであり、その復旧には時間がかかるが、その間フローとしての生産活動はかえって高まるのである。復旧復興に向けた支援には被害状況の把握が必要であるが、震災後12日に内閣府から大づかみの被害想定推計が出された。この経験が中央防災会議で予今後想される東海地震などの被害想定に生かされることが望まれる。支援には多額の資金が必要で、2011年度予算92兆円は最終的には106兆円となった。大震災関連経費は15兆円であった。その財源のほとんどは復興債と呼ぶ国際発行によって賄われた。
C 経済運営と規制改革
経済・金融のグローバル化や情報化、社会の少子高齢化など経済環境の変化が著しいときは、経済構造変化の阻害要因となりかねない制度の改革が必要となる。既得権に阻まれて改革ができないときは経済発展は困難となる。過去3つの大きな経済体制の変革が行われた。一つは中曽根内閣における日本電信電話公社の民営化と専売公社の民営化(1985年)、国鉄の民営化(1987年)であった。次いで日米構造協議(1989年)による大規模小売店舗法の規制緩和、独占禁止法の厳格化、公正取引員会の強化であった。橋本内閣(1996年から1998年)の下で6大改革があった。金融システム改革(ビックバン)、行政改革、財政構造改革、社会保障改革、経済構造改革、教育改革である。第3の改革は小泉内閣(2001年から2006年)での官から民への経済諮問会議の活用、郵政民営化、道路公団民営化、地方自治行政の三位一体改革である。民主党政権の下で、消費税の引き上げを中心とする財政再建の動き、社会保障改革、TPPへの参加問題が明確に課題とされた。
D アベノミクス
2012年12月自民党・公明党が圧勝して、第2次安倍内閣が誕生した。アベノミクスよ呼ばれるデフレからの脱却と経済成長率の引き上げを目指す経済政策が打ち出された。それは次の3つの柱からなる。@大胆な金融政策、A機動的な財政政策、B民間投資を喚起する成長戦略である。黒田日銀総裁は大胆な金融緩和政策を採用した。それは2%のインフレターゲットを2年程度で実現するため、長期国債を銀行から大量に買うことでマネタリーベース「お金の総量」を2倍にすることを目標とした。金融機関の投資を呼び込んだり、デフレマインドを払拭する心理作戦である。実体のない花見景気になりかねない危険性はある。金融緩和政策効果には時間がかかるため、財政的に即効性のある(呼び水)10兆円を超える2012年度補正予算を実施した。内外の経済環境に柔軟に対応できる体質を強化する規制緩和を中心とした施策には、実行力と決断力のある政権の安定が必要である。今見えているアベノミクスは金融緩和ムードを盛り上げることで期待感を煽ることであるが、規制改革や実体経済の需要拡大策などはこれからの課題である。
E 主要国間の政策協調
戦後の世界経済秩序はIMF国際通貨基金とGATT→WTO 世界貿易機関によって構築しようとしてきたが、自由な貿易の枠組みは必ずしもうまくいっていない。2001年に始まったドーハ―ラウンドは決着しそうにない。そこで地域別のグループ化が進んだが、やはり世界全体で貿易自由化が望まれる。国際的な問題を主要国の首脳で話し合うG7、G20 が重要な場となってきた。2010年でG7のGDPシェアーは50%、G20のシェアーは85%であるのでG20 が次第に重要性を帯びてきた。世界貿易を枠踏みを議論するにも2国間貿易が基礎となるため、その帰納法で結論を導くには気が遠くなるような努力が必要である。
F アジアの中の日本
地域別のグループ化が進んだといっても、アジアは多様であり、独自性を持っているので簡単にくくることはできない。そこでNIEsとかASEAN、中国の実力が向上するにつれて、垂直分業から水平分業に変わってきた。東アジアの域内貿易は圧倒的に部品など中間財が主流である。ここで最終製品が組み立てられ、欧米に輸出されるという構図である。韓国は債務を返済し、技術的にも優れた貿易立国として立場を固めつつある。香港は貿易金融面で発展を続けている。中国は世界の工場として、1990年代以降経済成長率は10%を維持し、GDPは日本を抜いて世界第2位となった。ASEAN5か国の経済成長も著しい。今やアジアの域内貿易は中国へ向かうパイプが太くなる一方、米国欧州への輸出も中国の独擅場となった。日本は中国の後塵を拝し、他のアジア諸国の急迫を受ける立場であるが、日本がアジアで周辺国化しないためにも、国際化に積極的貢献しなければならない。アジア諸国のキャッチアップ(日本も欧米のキャッチアップで成長したのだから)の時間は短いので、その経済発展を脅威と感じるのではなく、日本は互恵平等の立場から席亜平和と発展に貢献しなければならない。
G 「内なる国際化」
経済の国際化を円滑に進め、国際協調の実をあげるには、モノ・人・カネの交流を自由かつ頻繁に行わなければならない。日本の対内直接投資残高は主要国では最低(国内で投資する対象がない)で、外国人労働者の割合も最低である。モノの交流では市場開放を通じて自由に選択できる環境を作らなければならない。情報の交流では外国人を差別してはならない。人権・教育機会・労働条件・住宅・生活環境において外国人差別があってはならない。市場経済のグローバリゼーションにより、会計基準など「国際標準」が求められる。普遍的な共通基準・ルールを内なる基準にしなければならない。国・企業・地域のレベル、個人のレベルでも「内なる国際化」が求められる。
H 政治と経済
近年日本の政権交代が毎年のように繰り返されている。戦後の首相の平均在任期間は24か月(2年)である。比較的短いといわれるイタリアでも30か月、長いといわれるドイツでは90ヶ月(7年半)である。IMFのエコノミストは経済成長率と首相在任期間の関係を分析したが、内閣の変更は経済成長率を引き下げるというものであった。政治的不安定が経済に影響する原因なのか、経済的困難が政治寿命を下げるのか、統計的相関はあっても因果は不明ではあるが。ただ政治的不安定では安心して経済活動が発展しないという心理的要因であることはいえる。
I 平和と発展のための貢献
戦後の経済発展によって生活実態は向上してきた。21世紀は成長を実現しながら生活の質を一層高め、国際的貢献を果たすべき時代であるといえる。国内的には政治的・社会的にも55体制後の枠組みを急いで確立しなければならない。憲法の精神に照らしても、日本の貢献は非軍事面におかれるべきである。世界的には共存共栄の道を歩むべきである。


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