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日野行介著 「福島原発事故 県民健康管理調査の闇」 
岩波新書 (2013年9月 ) 

福島原発事故の放射線被ばく健康管理調査で、福島県と専門家の仕組んだストーリー作り

2011年3月11日の東日本大震災が発生した。その後に襲った大津波で死者・行方不明者は約2万人に上った。同時に東電福島第1原発第1−4号機の冷却用全電源喪失によって炉心溶融事故が起こり、圧力容器・格納容器の破損などで遺漏していた大量の放射性物質が建屋の水素爆破によって外気に流出し、その時の風に乗って高濃度放射性物質プルーム(煙流)が北西方向へ拡散した。その時漏れた放射性物質の量はチェルノブイリ事故の1/7であった。事故の危険度はレベル7とされた。本書は東京電力福島第1原子力発電所の事故そのものには言及していないので、原発事故事故の技術的詳細は淵上正朗/笠原直人/畑村洋太郎著 「福島原発で何が起こったかー政府事故調技術解説」(日刊工業新聞B&Tブックス 2012年12月)、事故原因の政治的社会的詳細については東京電力福島原発事故調査委員会著 「国会事故調報告書」(徳間書店 2012年9月)にあるので参照してほしい。本書はおそらく長い期間にわたって住民と環境に影響を与えるであろう低線量被ばく問題をとりあげるが、低線量被ばくの疫学的・医学的・放射線生物学的な科学的アプローチではない。それについての解説書は多数刊行されているが、新潟大学医学部教授の岡田正彦氏の著した岡田雅彦著 「放射能と健康被害」(日本評論社 2011年11月)は簡単明瞭であるので紹介する。人類にとって放射線被ばくの経験は、1945年8月の広島・長崎の原爆投下によるものと、1956年焼津のマグロ漁船「第5福竜丸」のビキニ環礁水爆実験での被ばく、1986年旧ソ連のチェルノブイリ原発事故でに被曝、更に近年では2003年イラン戦争での劣化ウラン爆弾による被ばく、1999年の茨城県東海村JOC臨界事故、そして2011年3月東電福島原発事故などがある。広島・長崎の原爆投下被ばく、「第5福竜丸」のビキニ環礁水爆実験被ばく、劣化ウラン爆弾による被ばくはすべて米軍による行為であり、チェルノブイリ原発事故、JOC臨界事故、東電福島原発事故は原子力発電所と燃料加工場での被ばくであった。また広島・長崎の原爆投下被ばくでは原爆の光熱による高線量被ばくと周辺環境における低線量被ばくの両方を含む。「第5福竜丸」被ばくは「死の灰」を被った高線量被ばくであった。JOC臨界事故は6-20シーベルトの高線量暴露被ばくであった。低線量被ばくとしてはチェルノブイリ原発事故と東電福島原発事故である。今回の東電福島原発事故は炉心のメルトダウンがあったが燃料および高濃度放射性物質は圧力容器に封じられていたので低線量被ばくの範疇となる。従って福島原発事故の住民に及ぼす低線量被ばくの影響を推測するには、チェルノブイリ原発事故の例が参考となるはずである。ところが旧ソ連の秘密主義と、原発を推進する組織の国際原子力機関IAEAの壁のもとでは、被ばくと健康被害の因果関係は否定されてきた。IAEAは1996年になって「小児の甲状腺がん」だけを事故の影響として認めた。アカデミックな民間NPOである国際放射線防御委員会ICRPは原子力推進側の人や金が入り込んでいるためその客観性に疑問を持つ人も多いが、IAEAは基準が厳しすぎるという批判がある。たとえば許容被ばく量として、年間1ミリシーベルトを掲げるが、IAEAは100ミリシーベルトまでは被ばくの影響はないとという隔たりがある。この年間被ばく量1ミリシーベルトと100ミリシーベルトを巡る基準の設定の齟齬が本書のメインテーマとなっている。低線量被ばくについての科学的データーは存在しないといつもIAEAは主張し、日本の科学者および原子力関係機関もそれに追随するが、「科学的」データーが存在しないことと影響がないことは同義ではない。環境訴訟において原告は被害を実証する必要があるが因果関係は実証する必要はない。因果関係がないことは被告側(国や企業)が実証しなければならない。見る目によっては疫学的には十分すぎるほど被害は発生しているが、科学者や行政側はそれには目をつぶって事実はないと無視し、低線量放射線が原因であるという事実を裏付ける「動物実験」データがないことを言うだけのことかもしれない。疫学は科学ではないとでもいうのだろうか。ある事実が発生し、それ以降ある生物的事象が起こるようになったとすれば疫学的な調査が開始され、その結果を待たずに予防措置を取ることは欧州委員会で「予防原則」として推奨される行政的措置である。「科学的」データがないから対応はとらないとか影響はないと断言することは、国会事故調報告がいうように、今回の3.11日東日本大地震による大津波の到来を科学的根拠がないといって無視し対策を取らなかったために原発事故を招来した電力会社の不作為が事故の原因の一つである。

福島第1原発事故による健康影響を調べるための唯一の網羅的な健康調査が、2011年6月から実施されている「県民健康管理調査」である。民主党菅政権から指示を受けて文部科学省を中心とした調査も検討されたようだが、なぜかどこかで調整が行われ(中央官僚の混乱と責任回避、不作為も絡んでいる)最終的に福島県が調査主体となった。県から委託を受けた福島県立医大が実際の調査を担うことになった。ここで福島県立医大の副学長が経験不足からその道の「権威」といわれ長崎大医学部の山下俊一教授を県立医大の副学長として陣頭指揮をお願いし招来したといういきさつがあり、この山下教授を招いたことが「県民健康管理調査」の基本的姿勢を決定した。実はその前から2011年3月19日に福島県知事佐藤雄平の要請により、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに長崎大学の高村昇とともに就任した。そして同年7月15日に長崎大大学院教授を研究休職し、福島県立医科大学特命教授・副学長(業務担当)(常勤)兼放射線医学県民健康管理センター長に就任している。この間に福島県内各地で講演し、住民の不安解消を目的とした公演を行った。そこで数々の名言(迷言・暴言)を吐き、住民らから反発を招いたといわれる。その名言禄を参考までに示す。もちろん最初から山下教授に関して悪い予見を与えるつもりはないが、彼の福島県に対する基本的姿勢が垣間見られるので参考にしてほしい。「権威」といわれる人にありがちなパターナリズム・エリート意識むき出しの「信じる者は救われる」式の愚民視発言のオンパレードである。
・ 「明るくしていれば、放射線は怖くない」
・ 「皆さん、マスクは止めましょう」
・ 「甲状腺が影響を受けるということはまったくありません」
・ 「また現状のレベルでは(安定ヨウ素剤服用しなくとも)まったく心配ありません」
・ 「福島における健康の影響はない。ないのに放射線や放射能を恐れて、恐怖症でいつまでも心配してるということは、復興の大きな妨げになります」
・ 「いわき市は放射性レベルがたとえ20ミリシーベルトと一時的に上がったとしても、100%安全です、安心してけっこうです」
・ 「100ミリシーベルト/時を超さなければ、まったく健康に影響を及ぼしません」
・ 「児童はどんどん外で遊んでいい。心配することはありません」
・ 「水素爆発が2度、3度くり返されました。しかしそのときに、まったく日本の原子炉からは放射性物質は漏れ出ていません。それほどすごい技術力があります、それはもう間違いがないことです」
・ 「いまの日本人に放射性降下物の影響は起こり得ない」
本書は山下教授の福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの役割については取り上げていないが、2011年5月から始まった「県民健康管理調査」に臨む山下教授の姿勢は読み取れる。福島県とその委託を受けた県立医大が調査主体となり、調査方法や結果を評価するために「検討委員会」が設置された。調査の陣頭指揮にたった山下副学長はさらに評価を行う検討委員会の委員長となった。これは経産省が原発推進のエネルギー資源庁と規制局である「安全保安院」を統括したため、規制局の無力化が起きた同じ構図が原発事故後のまさに福島県で起こっていることに注目しなければならない。評価組織は実施組織から独立していなければならないのに、両方の長を同一人物が占めると組織の透明性が失われ、誰からも信用されなくなる。それどころか検討員会は約1年半もの間(2011.5−2012.11)その存在を知らせることなく「秘密会」(県側はこれを資料説明会という)を繰り返し開催していた。検討委員会の前にあるいは段々と大胆になり直前に同一場所の別室で「準備会」とか「打ち合わせ」と称して検討委員を集めてストーリーのすり合わせ(県側はこれを進行表という)を行っていた。そして評価委員会の進行は「粛々」と行われ、緊張感のない出来レースを演じていた。評価委員の顔ぶれは事故の影響を限定的にとらえる人達ばかりで占められていたことは、通常の政府審議会や公聴会で決められた政策の追認を求める官僚のやり口と全く同じである。その秘密会の存在を毎日新聞記者が取材し2012年10月に報道し、大きな反響を呼んだ。

アカデミック(大学と国立研究所)のなかで、長崎大学と広島大学の医学部や放射線医学研究所は原爆の影響を研究する特別な位置を占めている。世間の人は普通そこの研究者は放射線影響を重く見る人だと思うだろう。しかし実態は政府の意向を反映し低線量被ばくをほとんど無視する人たちばかりで占められている。そこで参考までにジャーナリストが福島原発事故について著した 広川隆一著 「福島 原発と人々」(岩波新書 2011年8月)に福島原発事故に対するアカデミックの反応を記録しているので紹介する。
・ 2013年3月25日  福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの高村昇長崎大学教授が飯館村で講演会を開き、「マスクや手洗いの注意事項を守れば健康に害なく村で生活できます」
・ 2013年4月15日  長瀧重信長崎大学教授(元放射線健康影響研究所理事長)と佐々木康人アイソトープ協会常務理事(前放射線医学総合研究所理事長)の二人が「首相ホームページ」に、「チェルノブイリ事故と比較して福島第1原発事故は心配するほどではない」という見解を発表した。長瀧教授らは死亡や健康被害に放射線との因果関係がないと断定しているが、ガンと放射線との因果関係を立証することは本来困難である事を逆手に取って因果関係を認めないという態度を固持したまでの事である。
・ 2013年6月17日  日本学術会議の金澤一郎会長はに妙なリスク論を述べた。「基準によって防止できる被害と、他方で防止策をとることによる不利益を勘案してリスクが最も小さくなる防御の基準を立てること」だという。つまり職業のために避難したくない人は被爆を甘受すべきだという。そして「年間1ミリシーベルトの基準を守ると、住民は全員避難しなければならないので、普通の生活を望む人は適当な判断が必要だ」というリスク・ベネフィット論を展開した。
・ 「放射線による健康被害はなかった」、「ガンや遺伝的影響の発生率が上昇するとは考えられない」、「このデーターからは子供の白血病、甲状腺がんの顕著な増加は証明されない」、「食料品の規制は過剰であった」この結論は1991年のIAEA国際諮問委員会チェルノブイリ事故調査報告書である。この「結論」を福島第1原発事故の政府筋の見解の基にしたいようだ。このときの日本代表は広島の放射線影響研究所理事長の重松逸郎氏であった。この調査報告はチェルノブイリ原発事故の健康被害を完全に否定しており、国際的な研究者から激しい非難を受けた。日本の放射線影響分野研究を牛耳っているのは、広島の放射線影響研究所理事長の重松逸郎氏とその後任となった長瀧重信長崎大学教授であり、長瀧教授の弟子筋に当たるのが山下俊一長崎大学教授であり、高村昇長崎大学教授は山下氏と同僚である。重松逸郎氏や長瀧教授が理事長を務めた放射線影響研究所とは、占領時に米軍が広島・長崎原爆の効果と影響を調べるために作ったABCC機関が前身となっている。もともと核兵器推進派の作った悪魔の研究所というべきで、原爆症患者をモルモット扱いにすると非難された研究所である。東大医学部と広島放影研と長崎大学の学派は、核兵器・原発推進派と考えられ、核を規制するのではなく推進する立場から国民を「指導」するらしい。だから彼らは「安全だ」としか言わない。

本文に入る前に、「県民健康管理調査検討委員会」をめぐる主な出来事をメモ程度に時系列にまとめた表を掲げる。「真実は細部にある」ので、この順にことこまかに出来事を追ってゆこう。本文の内容について前後関係の事実誤認がないように、この表をいつも参照しながら読んでいきたい。いきなり背後の政治的意図を憶測しても、空振りに終わる。事実の解きほぐしが重要で、新聞記者の取材とはこういうことかと分かる。そういえば日米沖縄返還交渉の密約、核密約を暴いて矮小な罪に問われた西山事件も毎日新聞記者だった。現在での新聞記者の公的機関への取材方法(武器)は「情報公開」とインタビューである。本書は「県民健康管理調査」という、きわめて行政的で専門職の強いイベントであるので、まさか隠された政治的意図があるようには思わないだろう。しかし権力はこの福島原発事故という大失策を、ソ連を崩壊に導いたチェルノブイリ事故(ゴルバチョフ回顧録より)と同等に捉え、この検証記録が未来永劫に残るものだという認識で、放射線被ばくの住民への健康影響をできる限りなかったことに抑え込みたいという意図を持っていたらどうだろうか。それはさらに将来起きるであろう「福島原発事故被爆者認定と補償」訴訟に備えて、「原爆被爆者認定と補償」や「水俣病認定と補償」と同様に裁判で切り捨てる唯一の資料として活用されるだろう。だからほかの機関の介入を防ぎ、動転狼狽していた中央官庁の不作為の隙間をぬって、福島県を叱咤激励して健康被害記録を書き上げる必要があった。そこまで考えると、本書は「県民健康管理調査」という行政措置の齟齬を言い立てるだけではなく、権力の闇にまで迫る書になるかもしれない。まさに「真実は細部にあり」である。



@ 放射線医学研究所 外部被ばく推計システム公開中止

2012年4月22日、あるNPOの方の「放射線医学総合研究所が作った被ばく線量のインターネット調査システムが公開直前に中止になった。なんか圧力がかかったのだろうか」という話に、毎日新聞の社会部記者である日野行介氏は「何のために圧力がかかるのか、誰が困るのか」と疑問を抱き、経緯を知るため取材を始めたという。これが記者の第6感かもしれない。一部の新聞やテレビは2011年5月13日以降、放医研の発表に基づき推計システムを近々公開することをニュースとして取り上げていたが、5月20日に公開を取りやめたことは報じていなかった。ちょうど同じ2011年5月初めに福島県が「県民健康管理調査」を実施することが決まった。放医研もこれに参加し、住民の事故後4か月の行動記録に基づいて外部被ばく線量の推計を行うことが分かったという。そこで日野氏は福島県と県立医大と放医研(文部科学省管轄)への情報公開請求を行った。2012年5月2日、放医研に対しては「インターネット調査システムに関する記録一式」と、福島県と県立医大に対しては「システムの利用と中止についての経緯一切」を請求した。放医研の資料開示は1か月延長され6月30日となったので、その間6月1日放医研の鳥越研究基盤センター長を訪問し、広報担当者から1枚の経緯を書いたメモをいただいたという。それによると放医研の明石理事が2011年4月26日福山官房副長官にウエブシステム開発方針を説明し開発をすすめたという。しかし5月13日「福島健康調査検討員会準備会」という会合で放医研が推計ステムの説明をしたところ、「住民の不安をあおるのでこまる」という意見が福島県から出て、インターネット調査は中止になった。この準備会に出席したのは、県、県立医大の関係者、文科省や厚生省の担当者、放医研、放影研の研究者の約20人であった。2012年6月13日県と県立医大から請求していた資料が開示された。準備会の出席者一覧と簡単な議事録概要が含まれていた。会議は非公開で開催告知もなされていなかった。県医師会と県の出席者から「住民の不安をあおるようなシステムの説明は遠慮願いたい」との指摘があったと議事録に書かれていた。6月27日に放医研から資料が開示された。そこには放医研側の作成した準備会の議事概要が記されており、県から「県による一本化の中でやってほしい」とか「やる意味が分からない」とか異論が相次いだという。こうして放医研のインターネット調査はお蔵入りとなり、代って福島県は事故後4か月の行動を尋ねる問診票を県民200万人に配布した。2年経った(2013年3月末)回収率は23%と低迷している。そこで日野記者は2012年7月20日朝刊に「線量ネット調査活用せず、不安煽るとの福島県の反対で」という記事を掲載した。この取材に端を発した形でインターネット調査中止の経緯だけでなく、もっと大きな問題が見え始めた。

A 福島県「県民健康管理調査」準備会と検討委員会発足

国は2011年3月末から文科省を中心に、住民被ばく調査について検討を始め、福島県も4月中旬に検討を開始し、馬場地域医療課長が5月1日に県立医大に入り、2011年3月19日から県の福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとなって福島県に入っていた長崎大学山下教授(福島県立医大副学長に就任するは同年7月から)と打ち合わせを行っている。公開資料によると山下教授は、県による調査の一本化、県民200万人の健康管理、低線量被ばくの研究拠点化、予算は国に要求、専門家を集めた検討員会の設置、メンバーは山下教授が根回しするという条件で、山下教授の呼びかけで5月13日県立医大で非公開の「検討員会準備会」が開かれた。このように福島県と県立医大が調査の中心となり、国の関係省庁と機関が支援する形になった。調査方法と結果については検討員会という評価組織が行うのだが、調査実施組織の長と評価組織の座長が同一人物という組織原則に反することをやってしまったのは、県側があまりに急いだのでほとんど山下教授に丸投げをしたこと、そして公開しないでやるということで齟齬を突かれる心配がないと踏んだためであろう。文科省作成の議事録によると準備会の冒頭に山下座長は「事前に情報が漏れたことは大変残念」と、最初から秘密主義でやる姿勢で委員全員にクギを刺している。会議では「部外秘」の判を押した「実施計画書案」が配られた。放影研の実施している成人健康調査をベースにして県立医大の安村教授が取りまとめたようだ。後で知ることになるのだが、第1検討員会が2011年5月27日に災害対策本部のあった県自治会館で非公開で行われ、準備会がウラ会議とすれば検討委員会はオモテ会議になる。オモテといっても非公開であった。6月18日に第2回検討委員会が非公開で開催され、県民健康管理調査の具体的な内容が固まったとされる。委員会で議論され「県民健康管理調査の概要」が公表された。調査目的は「原発事故にかかわる県民の不安の解消、長期にわたる県民の健康管理による安全・安心の確保」となっていた。これは後日(2013年5月24日)「被害がないことを前提としている」と批判され、目的から「不安の解消」は削除されることになった。では肝腎の調査内容について検討しよう。県立医大の実施原案より縮小され後退する実施内容となった。ホールボディカウンターWBCは高線量地区の限られた地区での先行調査の中で行うことになり、全対象者の1/10という原案は捨てられた。先行調査地区の住民は2万8000人で、尿検査とWBcで内部暴露線量を測定するのは100人程度に過ぎない。調査は「基本調査」(アンケート紙による行動記録をもとに外部被ばく線量を推定する)と「詳細調査」の2段階からなる。「詳細調査」には@18歳以下の子供36万人に超音波「甲状腺検査」、A避難地域の住民と基本調査から必要と判断された人を対象として、血液検査を上乗せする「健康診査」、B「心の健康・生活調査」、C「妊産婦調査」である。これはIAEAが認めた低線量被ばくにょる健康被害は小児甲状腺がんだけであるという予見ン基づいて甲状腺検査しか行わないという制約をしたことである。白血病の検査は必要を認めた人だけに行う血液検査で、その基準さえ明らかではない。一定の被ばく線量を超えたと推定される人(最高37ミリシ−ベルトの人がいた)の健康診査基準は議論されなかった。山下議長は「急いで決める必要はない」と先送りし、基準は決められないままになっている。

B 検討委員会の秘密会とは

検討委員会は第1回と第2回まで非公開であったが、第3回は報道陣に公開され、2011年10月17日の第4回検討委員会から一般公開となった。日野記者は2012年6月12日の第7回検討員会を初めて傍聴したという。日野記者が取材を始めてから約1ヶ月余りが経過した頃である。記者が傍聴した検討委員会(山下座長を含めて委員は8人、オブザーバーは10人)で、淡々と検討が進められ、白熱した議論はなく考え方の違いは見られなかったという。いわゆる審議会でよくある「出来レース・アリバイつくり」といえる。検討委員には広島大学や放医研、放影研の研究者、福島県の担当部長で、オブザーバーにデータを説明する県立医大の教授や環境省の部長らである。委員には被災者や内部被ばくを指摘する研究者は存在せず、原発推進のいわゆる体制側に名を連ねる研究者が多い。議論を明確にするため最近は批判的意見を持つ人を参加させる審議会がある中、この検討委員会は旧態依然とした体制派の独占する委員会であると記者は見た。委員会は予定通りの時間に終了し、山下座長と安村県立医大教授、鈴木真一オブザーバーで記者会見が行われた。繰り返し質問を許さない30分ばかりのそっけない記者会見であった。被ばく線量の高い住民がいることに対して質問したところ「個人情報」として答えなかった。この検討委員会の様子の感想を、事情をよく知っている関係者に日野記者が伝えると、「ウラ会議をやっている」との情報を得た。「今も検討委員会の直前に開いている。結果をどう説明するかばかり話し合っている」というのである。むろんウラ会議は(関係者は準備会とか打ち合わせと呼ぶ)非公開で行われ、存在自体を隠している。ウラ会議は最初は本会議場とは違う場所で1週間ほど前に行っていたが、本会議の直前に同じ建物の別の部屋で行うようになった。データーの評価を巡っる議論を予め話し合っている事実は、透明性、適正手続の観点から重大な問題となる。秘密会の存在を広く世間に伝えることは報道に携わる者として重大な使命であると、日野氏の闘志を掻きたてたという。福島県側に察知されて証拠隠滅されないように、慎重に秘密会の取材を進めていった。2011年5月13日の第1回検討委員会を含めて第3回委員会までそれぞれ秘密会を本記号の1−2週間前に開いている。しかし10月17日の第4回検討委員会からは本会合の直前に秘密会を開くように変更している。情報漏えい対策だったのか、委員が2度も福島に出張することを厭ったためであろうか。検討委員会後に発表する予定であった第2回検討委員会(2011年6月18日)の議題(調査案)が事前に漏れて、福島県の小谷主幹は動揺し、関係者に勝手に取材に応じないよう、広報窓口を県に一元化するよう求めたという。第2回検討員会までの秘密会の主催者は県立医大だったのを、第3回以降は県に変更した。県の小谷主幹がはメールを利用して関係者に秘密会の開催日時場所を連絡していた。もし福島に人々が県に全幅の信頼を寄せ、健康影響を調べる調査の適正な実施より安心の言葉を求めているならば、何をかいわんやであるが、福島の人々を直接取材してゆくにつれ本当に恐れているのは晩発性の影響であることから、隠されている県の検討委員会の事実を、事実として伝える必要があると日野氏は確信したという。

C 甲状腺がん発見(第8回検討員会)と毎日新聞記事掲載

2012年9月11日第8回検討員会の秘密会が午後1時から福島県庁で、そして本会合が午後2時から県庁隣の杉妻会館で行われた。そして秘密会を終えて委員方が三々五々杉妻会館に向かう後姿を毎日新聞記者によって撮影された。秘密会は第8回から新たに委員に加わる環境省の佐藤部長と日本学術会議の春日副会長の初顔合わせとなった。そして鈴木教授が2人の甲状腺がん患者が見つかったことを報告した。これをどう評価するかを委員間ですり合わせておくことが第8回秘密会の主要な目的であった。甲状腺検査とは甲状腺エコーを中て、首に嚢胞(液体のたまった袋)や結節(しこり)の大きさから4段階に分ける。A1は嚢胞や結節がない、A2は嚢胞が20ミリ以下で結節が5ミリ以下、Bは20ミリ以上の嚢胞や5ミリ以上の結節があるもの、Cは甲状腺御状態からしてただちに2次検査を必要とするもので、BとCは2次検査を行い、超音波検査・血液検査。細胞診などで悪性ガンの有無を確かめる。山下副学長や鈴木教授は「チェルノブイリでは事故4−5年後から患者の発生があった」として、事故後7か月で発生した甲状腺がんはベースラインに過ぎず、現時点の検査は保護者の糞を払しょくすることが目的である」と説明してきた。また鈴木教授は「小児性甲状腺がんは100万人に1人程度発生する珍しい病気である」と主張していた。つまり「甲状腺ガンが見つかっても、それは原発事故の被ばくの影響ではない」という結論が最初から用意されていた。ついで検査体制の整備の遅れから2j検査が進まない状況をどう説明するかである。実質B判定でも2次検査が行われていなかった。こうしてやらせ質問やセリフ分担ばかりの根回しが行われた。秘密会によって委員の間に一つのシナリオが共有されたのである。本会議は午後2時から始まった。長崎大学の大津教授進捗状況を報告する。数分の質疑で終わった。次に鈴木教授が甲状腺検査を報告した。2012年8月までに4万5000人の検査が終了し、11年度に検査を受けた3万8114人のうちB判定であった186人の状況を報告した。2次検査を受けた60人のうち38人が終了し、1人が甲状腺ガンであったと報告した。どう2次検査を加速するかという質問に、鈴木教授は2次検査をいままでの2倍のスピードで改善すると答えた。そして甲状腺がん患者について鈴木教授はシナリオ通りに「今回見つかった患者は被ばくの影響ではない」と断言した。国民や県民がこの検討委員会に期待するものは、放射線の専門家が「県民健康管理調査」が適正に行われているかどうかを確認し、データから読み取れる健康への影響を公正な態度で検討評価することである。深刻なことは、秘密会で先に結論を決め、とにかく穏当な形で住民に説明することばかりに腐心している検討委員会の姿である。2012年9月27日福島県庁を訪問し、事実関係を確認するため日野記者は福島県健康管理調査室の小谷主幹にっ直接取材をした。彼は秘密会(準備会)を「顔合わせ会」といい、議事録はないとか記憶にないとかいって取り合わなかったが、1時間後再開すると彼は毎回事前に資料説明会をやっているといい議事録はないといった。県の費用で委員の出張旅費を払ってていることは容易に証拠はかつかめるので、秘密会は許されるものではないことを認め、今後はもうしませんと言明した。小谷主幹が事実関係を認めたので、福島県立医大の山下副学長に面会を求めたが拒否され、代って広報担当の松井特命教授が電話で回答を読み上げた。あくまで秘密会を否定し、内部会議に位置づけで議事録がないのは当然だという。ただしそれが不信感を与えるのならやめることに異存はないという。こうして直接取材を終えて秘密会の確信を得た日野記者は1012年10月3日毎日新聞朝刊1面と社会面で「福島健康管理調査で秘密会」「県、見解のすり合わせ」、「本会合のシナリオ作る と大きく報道した。

D シナリオ(進行表)の存在ー毎日新聞記事の反響

2012年10月3日の朝刊の記事に対する反響は大きかった。福島県県議会では自民党議員が「県民への背信行為」と県を追求し、村田副知事が1年半の「準備会」の事実を認め陳謝した。しかし「意見の調整はしていない」と弁明した。全国紙や通信社も秘密会のことを報道した。日野記者は「意見の調整はしていない」という県の釈明は事実に反すると次の取材にかかった。県の健康管理調査室は秘密会での議論に基づいて「進行表」となずk?多シナリオを準備し、検討委員に配布していたその現物を入手したのである。10月5日朝刊で「委員発言、県が振付け」、「福島検討委員、進行表を作成」、「進行表 結論ありき」と表現した。これは小谷主幹が「第3回検討委員会 進行」という2枚のメモで「取扱注意」となっていた。進行表の内容は3項目あった。一つはホールボディカウンターWBCと尿検査のことで、放医研の明石理事が「セシウムによる内部被ばくが全員1ミリシーベルトを下回った」を報告し、健康管理検査でWBCの代わりに検出感度の高い尿検査を実施したらという意見に対して、県は放射線検知器ゲルマニウム半導体のひっ迫を引き合いに出して尿検査は困難という結論にすることが進行表にかかれており、尿検査を嫌がっている様子が伝わる。2番目には基本調査についてSPEEDIを話題にしないように頼んでいる。第3は詳細調査の項目を「あれやこれやの検査追加は不可です」と硬く釘を刺している。第3回検討委員会の議事はその通りに進行した。なんという出来レースではないか。10月5日の記事の反響はすごく、自民党や民主党県議から猛烈な抗議の脅かし電話がかかったという。県保健福祉部の菅野部長は「座長手持ち資料として作成した」と事実関係を認め、県議会は残す定例議会中(1週間もない)の調査結果を出すように求めた。佐藤雄平知事(福島県には佐藤姓が多い。福島第1原発でのプルサーマル燃料反対の態度を貫き、知事を疑惑事件をでっち上げられ辞めざるをえなかった佐藤栄佐久知事、この人には「知事抹殺」平凡社2009年という本がある。佐藤栄佐久知事辞任後の選挙で知事になった佐藤雄平知事はさっさと3号機のプルサーマル燃料導入を認可した。原発事故で第3号機はメルトダウンし、普通のウラン燃料原発ではありえない放射性物質を大気にまき散らした。それ以降佐藤雄平知事は原発に関して一切発言しなくなっており、ほとぼりが覚めるのを待っているかのような曖昧な不気味な態度である)は陳謝したうえで徹底的に調査するといったが、弁護士などを第3者委員会を設置せず、わずか4,5日の調査でお茶を濁そうというつもりらしい。10月9日県議会福祉公安員会で県は調査結果を明らかにした。進行表について「誤解や疑念を招きかねない行為だったが、聞き取り調査ではそのような事実はない」と開き直った。「秘密会(準備会)の存在の事実はない」と言い張り、誤解を招いたという理由で陳謝した。事実はすべて否定したうえで陳謝とは官僚の良くやる第1段階の鎮静手段である。改善案として外部委員を増やすこと、準備会を開いた時も議事録を公開するという奇妙な内容となっている。毎日新聞は10月10日社会面に「徹底調査とは程遠い内容」という記事を掲載した。地方紙も県の調査結果を非難した。県議会も抜本的な改善策を要求しなかった。すべてをうやむやのうちに葬る魂胆らしい。

E 秘密会で何を決めていたのか

第8回の検討員会まで行われていた秘密会の議事録について、県の小谷主幹や県立医大の松井特命教授は作っていないと話していた。しかし第2回以降も議事録を作っている様子が伺えるので、日野記者は10月15日に福島県に対して議事録の情報公開を要求した。果たして秘密会の議事録はやはり作られていた。開示された議事録が県庁より11月8日に送ってきた。ところが第2回と第8回の分は不存在とされた。それは第2回議事録は朝日新聞が。第8回の議事録は毎日新聞がそれぞれ秘密会の中身をある程度記事にしているので、矛盾するとまずいということでなかったことにしたのだろうか。県の調査では秘密会は存在しないといっておきながら、議事録を開示する矛盾は役人の神経はどういう構造をしているのか不思議だ。本会合は第4回以降録音から議事録を起こしているが、秘密会の議事禄は発言の概要をまとめたものであった。回を追って公開された議事録を見てゆこう。
@ 第1回議事録(2011年5月13日):福島県立医大内で 参加者20名 うち7人が検討委員になる。 この秘密会では健康調査の実施体制が決められ、福島県が主体となって実施することを決めた。放医研が開発したインターネット被爆線量推計システムは県側の猛反対で公開は中止された。
A 第2回議事録(2011年6月12日): 不開示  参加者15名 うち検討委員は6名 具体的議事内容は不明
B 第3回議事録(2011年7月17日): 福島市内のホテル会場 参加者は10名 うち検討委員は8名 3時間半に及ぶ長時間の秘密会議となった。 議事は甲状腺検査の対象年齢であった。県側は15歳以下、県立医大の鈴木教授らは18歳以下を主張 山下座長が18歳以下と決断した。ほかの議題は基本調査で外部被ばく量の推計プログラム、浪江町など穿孔調査結果であった。担当は放医研で明石理事が説明した。
C 第4回議事録(2011年10月17日): 福島市内のホテル会場 参加者13名 うち検討委員6名 この日から本会合と同じ日の直前に開催されることになった。 議題は検討委員会議事録の公開について、録音して議事録を作成しホームページに公表する方針 山下座長の「第4回から公開して、第1回から第3回までは請求されないか」という心配に対して小谷主幹は「会議は議事メモで議事録は作成していない」と説明した。次の議題は放医研が避難パターン別に被ばく線量を試算したデーターについて、山下座長は「好評する必要があるのでは」と主張したが、県健康管理調査室の佐々室長は「数値だけ出しても県民が不安になる。正しい見方を整えてから公表する」と反対した。結論として本会議では公表することを見送った。さらに甲状腺検査体制の整備について話し合っている。県医師会の星常任理事は「県内を一回りするのに3年かかるのでは市町村が待っていられない」と実施加速を促すと、鈴木教授は専門家不足であるが、県立医大が主導して期限を短縮する」と返事した。山下座長は「医師会と協力して検査体制を強化する」ことを求め、鈴木教授は「県外認定は遅らせても、県内体制を作りたい」と答えた。
D 第5回議事録(2012年1月25日): コラッセ福島の会議室で2時間おこなわれた。 参加者12名 うち検討委員7名 議題は甲状腺検査と健康診査を必要とする基準について話し合われた。鈴木教授から開始から3か月で約1万4000人(1日900人ペース)の検査が終わったことを報告。県立医大の安村教授から「検査が年度を超えてしまう。今後の詳細調査はどうするか」という質問に、ほかの委員から基準の策定を慎重に進めるようとの意見が出た。基本調査から詳細調査に移る基準を決めないと全体の調査が完結しない。しかし被ばく基準を1−100ミリシーベルトのどこに線引きするか員らは追い詰められていた。山下座長は「ワーキングチームを作って理論武装しなければならない。医大内でたたき台を作ってほしい。本日の検討員会では議論しない」と本会議での議題にしないことを決定した。たたき台つくりを任されたのは、長崎大学から来た大津教授であった。医大内に「基本調査専門委員会」を設けた。
E 第6回議事録(2012年4月26日): 福島市内のホテル会場 参加者は16名 うち検討委員は8名 議題は基本調査の結果より詳細調査を必要とする基準についてである。基本調査専門委員会を2012年3月14日から4月16日まで4回実施したうえでの大津教授のたたき台には、数値を決める第1案と決めない第2案があった。専門委員会でも結論が出なかったようだ。放影研の児玉主席研究員は「基準数値を決めない案」(数値の科学的根拠が乏しく、影響は大きい、必要以上の不安を招く)に賛成。県医師会の星常任理事は「20ミリシーベルト以上は考えられない」と述べたことから、20ミリシーベルトが秘密会で議論された第1案の具体的な数字であった。議論は行き詰まり最終的に山下座長は「今回も引き続き検討中でよい」とおさめた。次の議題は検討委員の増員であった。文科省、厚生労働省、内閣府はオブザーバーとして参加しているが、2012年6月に原子力規制委員会設置法が成立したので、第5回からは環境省がオブザーバーとして参加していたが、今回から正式の検討委員に入れるように要請があったからだ。しかし県医師会の星常任理事は「唐突すぎる。なぜ環境省だけなのか」と言って反対した。結論出ず。
F 第7回議事録(2012年6月12日: 福島市内のホテル会場 参加者17名 うち検討委員7名 県の佐々室長は環境省の委員入りは細野大臣からの意向であり県として受け入れざるを得ないといって、前回からの継続議論を押し切った。
G 第8回議事録(2012年9月11日): 不開示
毎日新聞はこれらの秘密会の議事録をもとに、2012年11月14日の朝刊に「福島県健康調査 秘密会で重要方針」と題した記事を掲載した。これに対して「資料説明の場、意見の調整や議論の抑制はしていない」といっていた県側からは何の反応もなかった。

F 第1回―第3回検討委員会本会合 議事録改竄

第1回から第3回の検討委員会本会議の議事録を公表しないまま、2011年10月17日の第4回検討委員会から議論を録音し議事録を県のホームページに公表した。ところが第1回―第3回の議事録を県に情報公開請求した人がいた。県の小谷主幹はこれまで第1回から第3回の委員会議事録は存在しないスタンスであったが、今般の議事録問題を踏まえると議事メモとして開示せざるを得ないと判断して、急きょ作成した議事メモを委員にメールで送り確認し、4月中旬に請求者の開示するとともに、県のホームページに掲載した。さらに2012年10月9日の県議会福祉公安員会で県は調査結果を公表したが、その中に「議事メモから一部を除いて作成した資料を議事録として開示した」と書いてあるので、この「一部を除いて」いない元の議事メモを請求者は公開するよう求めた。すると県は11月19日元の議事メモを開示した。いったい何が削除されていたのだろうか。削除された内容を順に追ってゆこう。
第1回検討委員会議事メモから削除された内容: 「本日の第1回検討員会に先立ち、5月13日に準備会を開催した」という部分が削除され、最初の秘密会の存在を消している。文科省の「ホームページで線量評価サイトも作った。そういったものを活用していくべきではないか」の部分が削除され、県側の反対で中止させたインターネット調査の活用を述べた文科省の発言は不都合だったので消したのであろう。またSPEEDIには触れないという部分も削除されている。
第2回検討委員会議事メモから削除された内容: 最も大きく削除されているのは内部被ばく調査のやりとりであった。第2回の本会合は県民健康調査の概要や調査目的を決めた重要な会議であったにもかかわらず議事は非公開で、その秘密会についても議事録は公開されていない。第2回検討委員会の議事であった内部被ばく調査のWBCと尿検査に関する発言がすべて議事録から削除された。県は検出感度の高い尿検査に強硬に反対している。山下座長も嫌悪立場に理解を示し、委員の方からも内部被ばく調査拡大に難色を示した発言があった。その結果県民健康管理調査の枠内で内部被ばく検査は行われなかった。しかし民間レベルでのWBC検査推進に押されて、県は枠外での実施に踏み切ったいきさつがある。乳歯保存の呼びかけも県側の反対で取りやめになったいきさつが削除されている。これは県が反原発NPOの呼びかけを嫌ったためである。
11月20日毎日新聞朝刊社会面で「f福島検討委員会 内部被ばく議論当初削除」と報じた。これに動揺したかのように、11月30日福島県は秘密会の開催や議事録削除などの不適切な行為で県民に不安と不信を与えたとして、菅野保健福祉部長ら4人を訓告処分にしたと発表した。

G 甲状腺検査結果

日野記者は2013年1月より子供を対象とした甲状腺検査について本格的な取材を開始したという。福島県は県民健康管理調査で18歳未満の子供36万人を対象とした甲状腺検査を実施している。福島県が甲状腺検査を発表したのは2011年6月18日の第2回本会議の後に行われた記者会見であった。第2階本会合では内部被ばく検査をどこまで実施するかの議論に終始し甲状腺検査は検討していない。第3回検討委員会秘密会で実施要領など具体的な検査計画が明らかになった。そして2011年10月9日から、県立医大で浪江町、飯館村、川俣町の子供から甲状腺検査(1次)が始まった。11年度は福島原発に近い13町村、12年度は福島市、郡山市など中通りの12市町村を、13年度は会津若松市などを実施する計画であった。2012年10月10日福島県総務部が集めた内部調査の全資料の公開を請求した。膨大な量なので11月26日県庁で閲覧した。県立医大の鈴木教授が秘密会に提出した文書が多い。その中で鈴木氏は甲状腺検査の目的と実施時期をこう記している。「チェルノブイリ事故で約6000人がの子供が甲状腺がんになり、5000人の子供が手術をした。死亡例は0.6%と低く、大人の甲状腺ガンに比べると再発は多いものの余後は良好である。チェルノブイリ事故では4.5年後から小児甲状腺ガンがはっせいしたので、初年度はバックグランドデーターとして検討し、3年後から本格実施する」、「検査を実施してがんが見つかった場合、自然発生ガン(発生確率100万人に2人)なのか放射線誘発ガンなのか因果関係を判断することは難しく、患者発生と被ばく線量を見て判断するしかない」福島県の1次検査では、子供と保護者には後日ランク付けの判定結果と説明資料を郵送するだけで、医者の所見に相当する検査レポートや検査データーは保護者が要求しても手渡さない。保護者を憤慨させる事件がおきた。2012年1月山下副学長と鈴木教授の連名で日本甲状腺学界など7学会に送った要望書である。「A2判定の保護者からの問い合わせには、自覚症状が出ない限り追加の検査は必要ないと十分説明して頂きたい」という要望書である。これにたして「セカンドオピニオンを封じる気か」とか「ほかの医者に診察を拒否するよう求める」など強い批判が出た。県立医大は2012年10月になって要望書を撤回し「他の医療機関での検査を否定するものではない」という釈明文を出した。1次検査の判定は鈴木教授が委員長をする「甲状腺検査専門委員会」で毎週判定委員会を開いている。大変な作業なので結節が見つかったランクA2とBを中心に見てたが、2012年7月31日より開示請求を受けた症例は判定委員会でチェックしている。福島県立医大では2012年11月から県内各地で説明会を開いた。しかし保護者の見方は誤りだとか説教する考えが前提にあり、双方向のリスクコミュニケーションにはなっていない。2013年2月13日の第10回検討委員会で、さらに2人の甲状腺がん患者と7人の疑わしい例が見つかったと、鈴木教授から公表された。鈴木教授は記者会見で、場所、被ばく線量、年齢性別など一切は個人情報だと明らかにしなかった。この県立医大の検査体制での検査精度はどの程度なのだろうか。見落とし、過小評価、擬陽性はないのだろうか心配である。県立医大は当初3年は「スクリーニング調査」と位置付けている。ある保護者が子供がA2と判定されしこりはないとチェックされたので心配になり、別の医療機関で検査してもらうと7ミリの結節があり基準でいうとBに相当し、3か月後に再検査という例もある。鈴木教授は甲状腺検査にあたっては「甲状腺超音波診断マニュアル」をもとにして独自の検査マニュアルを作ったという。検査ポイントは4項に過ぎず、オミットされた検査項目も多い。これ以上は専門家の領域であるが、鈴木教授は「すごいスピードが要求されているので簡潔にしている。丁寧にみてゆくとすごい時間がかかる」という。恐ろしいスピードでフィルタリングされているようだ。これでは親が心配になるのも無理がない。36万人の検査期間の短縮が要求されれば医者は手を抜くようである。

H 福島県検討委員会への批判高まる 委員更迭および山下座長辞任(第9回検討会、第10回検討会)

新聞報道により検討委員会の秘密会(準備会)の存在が明らかになり、県の内部調査が行われ秘密会の存在を否定ながら一定の改善策を示した。弁護士や報道関係者を検討委員に加えるとの方針が示されたものの、第9回の本会議が11月18日に行われた。検討委員の中には弁護士はいなかったが、新たな検討委員2名の就任と一部委員の退任が発表された。被災者として井坂医師会副会長がはいった。最初から被災者が入っていれば秘密会はできたであろうか。審議会や公的な委員会というものは最初の人選でその会合の性格が決められており、異質な者は排除されている。委員会は淡々と進み、記者会見で若い男が山下副学長に詰め寄る場面があり混乱したが、記者会見では人選基準の明確化が問題となった。弁護士が新委員になっていないのは、福島弁護士会が県の委員就任要請を断ったからだ。2012年12月10日弁護士会の本田会長はこの件について「県民健康管理調査目的が不安の解消となっているのは本末転倒である。結果として不安が解消されるのはいいが、それが目的とはならないはず。被ばく量の低減、疾病の未然防止が目的でなければおかしい」として弁護士会が委員を出せば、県の些細な改善策にお墨付きを与えることになりかねないので、弁護士会としては推薦を断ったという。改めて第3者委員会を開き「秘密会」を検証し、抜本的な改革をするように求めた。2013年2月13日の第10回検討委員会で、検討委員の構成と「不安の解消」という調査目的を見直す方針を表明した。そして山下副学長が検討員会から退く意向を示した。第11回検討員会(6月開催予定)からは委員の入れ替え、調査目的を「県民の健康維持」とするなど一定の改善方向に向かった。ところが第10回検討委員会の後の記者会見を別の階で、かつ福島県庁記者クラブに所属するメディアに制限すると告げられた。どうも県は何も反省していないようだった。第9回検討討員会の後になるが、国連人権理事会(人権委員会を改組)の特別報告者であるアナンド・グローバ氏が東京記者クラブで記者会見を行った。日本のNPOからの通報を受けて来日したのだ。福島県の健康管理調査は海外の関心も高かった。「詳細については2013年6月の国連人権理事会の提示する最終報告に発表する」としたうえで、現行の県民健康管理調査が抱える根本的な問題点を鋭く追及した。福島県がヨウ素剤がありながら県民に配布しなかった問題、国の避難区域の設定基準を年間20ミリシーベルトの設定した問題(チェルノブイリ事故では強制移住の基準は5ミリシーベルト)、放射線には下限値は存在しないという閾値なしモデル(LNT仮説)を支持した。そして県民健康調査については、小児甲状腺検査に限られており範囲が狭すぎる問題、それは日本の政府見解は放射線の健康影響を小児甲状腺がんだけに限定していることへの異論、また自分の検査結果データにアクセスする権利を否定している問題についてであった。

I 環境省と原子力規制委員会の介入 「健康管理検討会」の役割

県民健康管理調査検討会には、当初文科省、厚生労働省、内閣府がオブザーバーとして参加しているが、第5回からは環境省がオブザーバーとして参加、第7回検討員会で正式メンバーになることが決定された。細野環境大臣の強い要請で環境省環境保健部の佐藤部長が2012年9月11日の第8回検討委員会から検討委員に就任したことは先に述べた。12年9月に発足した原子力規制委員会は福島県県民健康管理調査に強い関心を示し、中村委員を取りまとめとして「事故後の健康管理を検討するチーム」を立ち上げた。2012年11月30日に第1回の会議を原子力規制員会で開いた。検討チームは県立医大の大津教授、放影研の小笹部長、県医師会の木田副会長、原子力規制庁の室石課長の計5人である。第1回会議には福島県の佐々室長が呼ばれ県民健康管理調査の実情を報告した。佐々室長は「調査への県民の不信は、国が安全の基準を決めないからだ」というような責任を国にかぶせる内容には会場傍聴席からヤジが飛んだという。この検討会は11月末から12月末まで4回の会合を行い性急に結論を急いだようだ。2013年2月19日の第5回会合で原子力規制委員会としての「提言」となる総括案が明らかになった。「県の健康管理調査は評価できる」という内容である。これに対して県医師会の木田副会長、日医総研の畑仲部長は異論を述べ、県の調査は不十分であることかつその上に立った展開は難しいことを述べた。終了後記者会見なしで一切の取材はできなかった。その日の午後、田中規制員会委員長の記者会見が行われた。県民健康管理調査に対する県民の不信の原因を記者が質問すると、田中委員長はそれには直接答えず、「今のところ健康被害は出ていない、今の程度のリスクは生きていればあることだ、それより風評被害のほうが問題だ」と言ってマスコミに逆ねじを刺した。福島県が実施する県民健康管理調査はおおくの問題点を噴出したが、国の原子力規制委員会はまるで何も問題は存在しないかのような評価で、救いの手を差し伸べている。原子力委規制員会も原子力ムラの一員なのだろうか。失望した人も多いのでなかろうか。これでは原発再稼働の日は近い。

J 甲状腺がん次々と発見(第11回検討委員会)

2013年5月24日国連人権理事会の特別報告者のグローバー氏のまとめた報告書がホームページにアップされた。先に述べた問題点を指摘し、現状の県民健康管理調査は不十分だと断じた。国の原子力規制委員会の専門家たちがだしたおざなりな評価とはまるで違う厳しい評価であった。被ばく限度についてはこれまで日本政府が避難地域指定の基準として「年間20ミリシーベルト」を用いてきたことに改めて警鐘を鳴らし、公衆の被ばく基準とされる「年間1ミリシーベルト」を遵守するように繰り返し求めた。政府は反論声明をだし「政府は調査を財政面で援助し健康検査項目は妥当である、年間1ミリシーベルトには科学的根拠がない」というもので、声明は原子力規制員会がまとめた提言を下敷きにしているようだった。議論は全くかみ合っていない平行線上のままである。グローバー報告の骨子は「人権保護」と「被害の予防原則」である。これらは人権無視と人が死なない限り対策はしないという東洋の国策にはなじまない考えなのだろうか。
2013年6月5日第11回検討委員会が開かれた。県立医大の関係者4名が退任し(山下座長、安倍副学長、神谷副学長、安村教授である)、新たに福島大学の清水教授、弘前大学の床次教授、日本医科大学の清教授ら8人が就任した。座長は星医師会常任理事となった。原発批判派から委員に就任している。この日から検討委員会の様相はガラッと変わった。「これまでの疫学調査から100ミリシーベルト以下での健康被害は確認されていない」を削除し、17万5000人の1次検査から甲状腺がん手術を受けた人は12人となり、疑いのある人は15人であると報告された。しかしこれが被曝と関係するかという問題では、これまでの頭から否定はせず、「考えにくい」と表現した。情報公開でも一定の変化があった。がんの診断があった患者と疑うのある人の所属する自治体の分布が公表された。しかしながら県の管理部門(官僚)の人の意識は相変わらず旧態依然である。これには佐藤雄平知事のあいまいな態度とやる気のなさが大いに影響しているようだ。プルサーマルの福島原発への導入を認可した佐藤知事も原子力ムラの一員だろう。広島・長崎の原爆と世界の核実験、チェルノブイリ原発事故など、放射線被ばくと健康影響の歴史は、国と一部の専門家による隠ぺいと情報操作の繰り返しであった。「科学」に名を借りて「権威」で一つの見解を押し付けるやり方は、因果関係を闇に葬り見えなくし、被害者の人権を無視するものであった。隠ぺいや情報操作がばれたとき、その時彼らが判を押したかのように言うことは「不安をあおらないため」「パニックをふせぐため」であった。福島原発事故以降、急に言われ出したキャッツフレーズ「安全、安心」というリスクコミュニケーションに欺瞞の本質がある。「我々が安全だというのだから、安心してください」という意味だろうが、「安全神話」の域を出ていない。


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