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田中秀明著 「日本の財政」 
中公新書 (2013年8月 ) 

日本の財政改革の失われた20年と財政再建の道筋ー財政規律と予算制度改革

日本の地方と国家などを合わせた借金の残高はGDPの2倍を超えたが、ギリシャの財政破たんをよそ眼に見て、一向に財政再建を叫ぶ人はいない。アベノミクスは景気刺激策だけで、景気が回復したらすべてがよくなる式の楽観論である。あるいはあまりの困難さに目をつぶっているだけのことかもしれない。政治家はこれまた将来の世代への先送り問題とたかをくくっているようでもある。1990年代のバブル崩壊後の財政悪化から20年が経過しているが、銀行の不良債権処理と同じように、問題の抜本的解決をせず先送りを決め込んでいるかのようである。この20年間にITを中心とした好況の時期は何度もあった。しかし財政赤字は止まらなかった。財政赤字は景気だけの問題ではないようだ。本書はその根本原因を予算制度なかんずく政治プロセスにあるとみている。多くのOECD諸国は1990年代に財政再建を進め、財政収支は改善した。しかし財政黒字を達成したのち、2000年以降好景気のなか財政規律が弛緩し再び財政が悪化した国が多い。アメリカ・フランスなどでは2008年のリーマンショックで財政赤字が拡大した。田中秀明氏は予算の定義を次のように下す。「予算とは、希少資源の配分を巡る政治的な調整システムである。市場で供給できない財とサービスを決めるのが民主主義であり、予算は政治そのものである。予算制度改革は政治改革と同義である。」 これからの日本社会は人口減少と少子高齢化を迎えることは避けることができないし、政府の赤字を国内の貯蓄で賄うことは難しくなることは必定であろう。2012年に消費税を10%に引き上げることが決まったが、支出面の改革を行わないと「焼け石に水」となりかねない。ところが安倍内閣は景気浮揚策として1012年度に10兆円を超える大型補正予算を組んだ。財政再建には一定の経済成長が必要であるが、景気対策だけでは財政再建はできない。著者は長年財務省勤務時代に、日本ではなぜ財政再建が成功しなかったか、そしてどうしたらそれができるかをに常々念頭においてきたという。欧米諸国の予算関係書類の透明性の高さに敬服してきたという。ところが日本の財務省が公表する資料には必要な情報がすくなかった。特に一般会計と特別会計の連結財政収支や財政収支の予想と実績の乖離の原因追究がなされていないことであった。また欧米の財務省のミッションはマクロ経済の安定や成長であるが、日本の財務省は予算作成を行えば、調達など予算の執行には関心を持たないという。ここで財政赤字問題の本質は、経済的・技術的なことではなく、政治家と公務員との関係などの政治システムにあると確信したという。予算は政治そのものであるからだ。著者が財務省勤務時代にも、出向や留学などで、財務総合政策研究所、経済産業研究所、オーストラリア国立大学、一橋大学で研究生活を送ってこの問題を調査研究してきたが、財務省在勤(1985−2012年 27年間勤務)では限界を感じ、2012年財務省を退職し、明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科に移って学究生活に本腰を入れたという。

そこで著者田中秀明氏のプロフィールを述べよう。1960年東京生まれで、学歴は1983年東京工業大学工学部卒業、1985年東京工業大学大学院修了(工学修士)、1991年 英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス修了。東大法学部卒業者をエリートとする大蔵省に工学部出身者が入省することは異例であるが、大蔵省・財務省での職歴は以下である。
1985.4 旧大蔵省入省
1988.7 旧厚生省老人保健福祉部老人福祉課係長
1991.7 金沢国税局高岡税務署長
1993.6 外務省在マレーシア日本大使館財務アタッシェ
1996.6 旧大蔵省理財局資金第一課課長補佐
1998.6 旧大蔵省大臣官房文書課
2000.7 内閣官房内閣内政審議室兼財務省財務総合政策研究所主任研究官
2001.1 財務総合政策研究所総括主任研究官
2003.7 オーストラリア国立大学客員研究員
2005.7 財務省関税局経済連携室長
2006.10 政策研究大学院大学非常勤講師
2009 民主党内閣菅副総裁の「予算検討会」に参画
2010 民主党内閣仙谷国家戦略相の「中期的な財政運営に関する検討会」に参画
氏の研究分野や興味の中心は公共政策・マネジメント、予算・会計制度改革、社会保障政策にあるといわれる。主な著書には「財政規律と予算制度改革」(2011年 日本評論社)があり、共著では以下の書物で執筆した。
「OECD諸国における政策評価の取り組み」及び「業績予算と予算のミクロ改革」、大山達雄編著『公共政策評価の理論と実際』(2006年、現代図書)
「マクロ財政運営と公会計情報」、山本清編著『政府の予算・会計改革のビジョン』(2005年、中央経済社)
「財政政策と予算改革」、野口悠紀夫編著『公共政策の新たな展開 転換期の財政運営を考える』(2005年、東京大学出版会)
「財政ルール・目標と予算マネジメントの改革」、青木昌彦・鶴光太郎編著『日本の財政改革』(2004年、東洋経済新報社)
「資源配分と予算の戦略的統制」、山内弘隆・上山信一編『パブリック・セクターの経済・経営学』(2003年、NTT出版)

1) 財政悪化の軌跡ー危機を深めた20年

1986年から1991年に及ぶバブル景気の拡大によって、税収入が増え1991年度決算においてはじめて「特例公債発行」をゼロにすることができ、93年までの3年間特例公債は発行されなかった。財政の基本原則を決めている「財政法」では、道路建設のための借金(建設国債)は国会の議決を得て発行できるが、社会保障や公務員給与などの経常経費を支払うための借金は禁止されている。しかし税収不足で経常経費さえ賄うことができない場合、毎年例外的な措置として財政法の効力を停止して「特例公債発行法」(予算そのものは衆議院議決が優先するが、特例公債発行法は一般法であるので、ねじれ国会では野党にとってこの法案を人質にして政府・内閣を揺さぶる戦術を取ることは日米の悪習であった)を制定してきた。1991年のバブル崩壊後日本経済は厳しい状況になり、税収入が激減した一般会計予算は一気に悪化した。そして1994年から特例公債が再び発行されるようになった。1990年においてG7中最良であった財政収支は2000年には日本はG7 中最悪となった。財政の急激な悪化に対して、橋本内閣は1996年97年度予算編成方針とともに、「財政健全化目標」を閣議決定した。それは2005年度までに国及び地方の財政赤字対GDP比を3%以下とし、特例公債依存から脱却するというものである。1997年を「財政構造改革元年」と位置付けた。1998年度予算は緊縮方針がとられたが、通貨危機の影響を受けて実質GDPはマイナス1.5%となり、「総合経済対策」のほうが重要になって財政構造改革法は改正(停止)された。小渕内閣は第2次、17兆円の第3次補正予算を組んだ。21世紀になって再び財政改革に着手したのは小泉内閣であった。骨太の方針の財政改革プログラムでは「2003年度において、国債発行を30兆円以下とし、2010年代初頭にプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化する」というものである。国債発行と国債利払いを除いた会計で、収入と支出をバランスさせこれ以上借金を増やさないという方針であった。財政収支は、増税や減税政策とは別に、景気変動の影響を受ける宿命にあり政府がこれをコントロールすることは難しい。従って名目的な財政収支の安定的バランスを目標とすることは困難であるが、日本はこれを学ばなかった。日本経済は2003年より好景気となり実質GDPは2.3%拡大し、2007年度まで経済は成長した。この景気回復を受けて、2002年に対GDP財政赤字が8.5%(対GDP累積債務残高39%)であったのが、2006年には対GDP財政赤字が0.7%(対GDP累積債務残高5%)まで改善した。政府のプライマリーバランスの赤字は対GDP0.3%まで縮小した。景気回復の中2005年与謝野馨経済財政担当相は「歳出歳入一体改革」(基本方針2006)を定めた。2010年までにプライマリーバランスを黒字化するというものであった。ところが財政改革はすぐに頓挫した。2008年米国に端を発するリーマンショックによる世界的金融危機が襲ったからである。実質GDP成長率はマイナス3.7%となり財政はさらに悪化した。税収が9兆円の減収となり公債発行は33兆円に膨らんだ。麻生内閣は2009年度補正予算で公債発行を11兆円追加した。2009年度の対GDP財政赤字と対GDP累積債務残高は小泉改革以前よりさらに悪化した。このため財政再建のための一体改革は達成が不可能となったため、骨太の方針2009でプライマリーバランスの黒字化目標は10年先送りとなった。

2009年8月政権は自民党から民主党に移った。リーマンショックによる経済停滞と財政赤字の拡大を民主党政権は引き継いだ。経済は2009年に底を打ち景気拡大の傾向に転じた。2010年には実質GDP成長率は3.5%となったが、そこへ2011年3月東日本大震災が襲った。2011年度実質GDP成長率は0.2%にとどまり、2012年度は1.2%と回復に向かった。民主党鳩山内閣は「政治主導」をめざし政策決定を内閣一元化にしようとしたが、普天間問題で混乱し菅政権に代った。党の政策調査会の復活、国家戦略室の見直しなどが行われた。菅内閣が消費税率10%を口にしたため、2010年夏の参議院選挙で民主党は敗北しねじれ国会運営を迫られた。東電福島原発事故のあと、政権を引き継いだ野田内閣は政府与党2元体制に戻し、消費税改革法案を自民党と取引し総選挙と引き換えに国会を通過させた。民主党政権のブレーンであった山口北海道大学教授は山口二郎著 「政権交代とは何だったのか」(岩波新書 2012年1月)に民主党政権を振りかって反省の辞を述べられている。ただ本書では民主党政権の非をなじることが目的ではないので、財政という点で民主党政権(3年弱に3人の首相をだした)を振り返ることがテーマとなろう。2010年度予算編成において鳩山政権は自民党麻生政権のシーリングを外したため予算要求のタガがなくなった。国債発行額44兆円を守ったものの、埋蔵金という特別会計からの引き当てという会計操作によるものであった。これは自民党時代からの悪習にすぎなかった。(こういう悪知恵を教えたのも財務官僚であろう) 菅国家戦略相は2009年「予算編成のあり方に関する検討会」、「中期的な財政運営に関する検討会」を立ち上げた。そして2010年6月に「財政運営戦略」を閣議決定した。基礎的財政赤字を2015年までに半減し、2020年までにゼロにすることを目標とした。2011年度予算編成方針は政策経費の1割削減とマニフェスト関連予算の導入が決められた。枝野行政刷新大臣による事業仕分けは、枝野幸男著 「事業仕分けの力」(集英社新書 2010年4月)は無駄な予算執行に風穴を開けたものとして評価される。これまで予算編成作業は非公開で、要求側に情報の非対称があるため、いきおい予算拡大が要求側のペースで進められ財務省主計局は反対する理由を見出すのが困難であった。民主党政権もマニフェスト予算で「子ども手当」はバラマキ政策であると批判され、所得制限と地方負担の見直し作業は難航した。2011年度の満額(1人26000円)は見直され、2011年9月一律13000円で妥協して成立したが、2012年3月従来の児童手当に戻った。2011年4月東日本大震災復興構想懐疑が設置され、東日本大震災復興基本法が成立した。復興財源の確保は野田首相に引き継がれた。2011年11月復興財源確保法が成立した。復興費用は19兆円(これも大盤振る舞いの算定であり、実質6兆円とみる人もいる。それがいわゆる官僚特有の焼け太り便乗型復興予算となった。)とみて10兆円を増税で賄うこと、復興債の最終返還期間を25年、所得税の増税期間も25年となり永久増税に近い。消費税10%への引き上げを柱とする社会保障・税一体改革を具体化するため与謝野馨を経済財政担当相に起用したが、野田内閣に成案があったわけでなくほとんど丸投げであった。こうして消費税率を現行の5%から2014年4月に8%、2015年10月に10%に引き上げる法案が総選挙と引き換えに成立した。民主党政権3年間の財政状況の推移を見ると、歳出総額は自民党時代より4−15兆円も増え、租税収入は4−9兆円減収となり、国債発行額は11−16兆円増えたことになる。中道左派政権の政策大盤振る舞いと官僚の震災焼け太りの予算拡大習性のなせる業となった。自民党麻生政権時代に決算ベースの一般会計は101兆円まで拡大したが、それとほぼ同じ額の予算水準である。OECD統計で見た政府の対GDP比財政赤字は2009年の8.8%から、2010年の8.4%、2011年の9.3%、2012年の9.9%と赤字は拡大した。景気調整済財政赤字も2010年に7.6%となり2012年も赤字は拡大した。2912年12月民主党は総選挙で大敗し、安倍自民党党政権が成立した。安倍首相は日本経済の再建を最大の課題と位置づけ、「アベノミクス」というインフレ政策を推し進める方針である。2012年度は10兆円を超える補正予算、新規国債発行額は50兆円を超す膨張路線をとった。骨太の方針2013では、2015年度にプライマリーバランス赤字を半減し、2020年度までに黒字化という財政健全化方針を出した。

2) 財政赤字の政治経済学ー予算制度と政治家のコミットメント

予算とは政治的な意思決定の仕組みと密接に関連している。したがって政治の制度と伝統が各国で異なっているように、財政赤字の理由もさまざまである。景気循環によって財政赤字や黒字が発生するが、財政収支から景気循環の影響を取り除いた収支(景気調整済み財政収支、構造収支ともいう)をみると、1990年以降赤字を拡大した国ではこの構造収支も赤字である。これは政府の景気対策など裁量的なスタンスを示すもので、景気循環だけでは財政赤字を説明することはできない。景気が悪くとも赤字にならない企業もあるのとおなじである。1990年代以降日本の名目的財政赤字と景気調整済み財政赤字の相違は小さく、好況時に拡張的財政政策がとられていたことを示す。財政赤字は何を最優先するかという政治プロセスに内在する問題である。政治家の行動モデルとして従来より次の5つが典型的である。
@ 「財政錯覚モデル」: 政府は徴税権を持っているために借金が容易である。ある金で生活する家計と違って予算制約が明確でない。サラ金地獄もいずれ身に迫る問題であるが、次世代への借金の引継ぎという安易さから、自分の問題として考えない政治家が多い。将来の増税を意識することなく現在の赤字による支出増を選ぶのである。この選挙民に迎合する形で財政赤字が拡張する。赤字による支出増は選挙民の錯覚に過ぎないのである。
A 「選挙サイクルモデル」: 政治家は次の選挙で当選することが至上命題である。選挙前に景気のいい話をしてマニフェストで約束する。日本では選挙前に増税の話はご法度である。当選後は選挙地元の要求をもって官僚に政治的圧力をかける。衆議院選挙が4年に一度の長期の安定期になると選挙民のことは気にしなくて緊縮政策をとる。つまり選挙の実施時期による予算の拡張・緊縮のサイクルが生じる。首相や大臣の任期は日本では比較的短い。最近は1年以内であるので、財政赤字が大きくなる傾向にある。
B 「官僚の予算極大モデル」: 官僚にとって省益を守ることは自分の天下りや出世のために欠かせない。予算をぶんどることが目的と化す。政府サービスについては官僚は情報を独占しているので、官僚の裁量で予算書は国会を通過する。これに族議員の政治的圧力が加わって支出増を図る。
C 「共有地モデル」: 政府サービスの受益者とその負担者が異なることから赤字が発生するという説がある。利害関係者は可能な限り税収というプールから予算を引き出そうとする。つまり税は「共有地の悲劇」の対象になる。
D 「財政ルール・予算制度」: 予算を決定する仕組みが分権化する・断片化する(政治勢力の弱体化)場合、連合政権によく見られるタイプであるが結集した政治勢力の要求をすべて予算化する傾向にあること、予算編成の透明性が低いと赤字増大のリスクが高まる。逆に財務相の権限が強く信頼されている国や、透明性や説明責任が国民に理解されている国ほど財政赤字や債務が小さいことが統計的に示されている。

要するに財政赤字の問題は、予算編成過程における政府サービスの便益と負担に関する情報の問題に集約される。財政の機能には一般に、資源配分、所得再配分、経済の安定化という3つの機能がある。政府サービスの便益と負担を問う観点から、税を納めることで政府サービスを享受することなのだと説く、井手英策著 「日本財政 転換の指針」(岩波新書 2013年1月)は参考になる。井出氏は税の普遍主義を次のように定義する。「自由主義者(リバタリアン)は再配分を真っ向から否定する。市場で獲得した分配の結果は常に公正だという。しかし資源の分配は獲得した分だけ、人の資源を奪ったのである。正当化の理由としての「努力」は「運」と「格差」から来ている事を隠している。リバタリアンは課税は所有権の侵害であると叫ぶ。アリストテレスは「分配の公平」には「比例的正義」と「矯正的正義」があるといった。比例的正義とは自由主義者の論である。財政が所得配分の是正(矯正)を行なうのは貧しい人を救済することにあるのではない。これは自由主義者の市場の失敗を補完するための道具では無いからである。自由主義者は慈悲で貧しい人を救うという考えを持つ。財政の目的は人間の尊厳を傷つけない形で分配の公平を実現する事にある。ここにいう人間の尊厳とは物質的なことだけではなく、社会から認められる存在として扱われることである。「分配の公平」を実現するにもいろいろ気を使わなければならない。所得の少ない人を選別して証明するいわゆる「ターゲッティズム」(行政でいう生活保護世帯の認定)では差別になる。弱者への配慮を可能な限り人間の尊厳と両立させるため、ユニバーサリズム(普遍主義)に基づく財政という基本理念が必要である。「ユニバーサリズム」とは人間共通のニーズに答えるため、人間を収入の多寡や性別では区別せず等しく扱うことである。ユニバーサリズムでは中間層を含めあらゆる階層が受益者となる(子ども手当てで所得制限を設けない)。中間層の受益感が強められ、納税も自らの利益と結びつく。納税を所有権の剥奪ではなく、自身の受益に繋がると考えられるのである。」 日本国憲法では租税法律主義、国費の支出・債務負担の国会議決原則を規定している。日本のように歳出と歳入が一体となった形の予算は実はアメリカにはない。財政赤字の原因を「財政ルール・予算制度」に求める説(本書はそれにあたる)では予算編成過程の集権化を透明化の重要性が主張される。これにより便益と負担の乖離が避けられるとする。財政ルールは財政政策に恒久的な制約を課すもので、@財政収支ルール、A債務残高ルール、B支出ルール、C収入ルールの4つのルールがある。基本的伝統的ルールは財政収支均衡ルールである。日本の財政法の原則も均衡予算である。日本・ドイツの建設国債は世代間の負担公平から(後付け理由のこじつけみたい屁理屈のように私には聞こえるが)借金を認めるという「ゴールデンルール」という特別枠がある。財政ルールを機能させるためには「中期財政フレーム」を明確化しなければならない。IMFは1998年4月「財政の透明性に関する優良慣行規定」を発表し、予算・財政の透明性を確保するように求めた。OECDも1999年透明性に関するOECD基準を定めた。予算制度は予算委関わるプレーヤ(政府・議会など)の「コミットメント」が求められる。コミットメントとは財政規律を維持する意志の問題である。経済危機や政権交代の時はコミットメントは高まるが、景気が回復すると弛緩するのが世の常である。それを担保するのが財政規律である。予算制度改革が難しい根本的な理由は、財政規律を維持するための予算制度の導入がプレーヤの意志(コミットメント)に依存していることである。プレーヤが利己的に走れば財政規律は反古にされる。日本のプレーヤは花見景気で規律の骨抜きが好きなのである。

3) 先進国の財政再建ー成功例と失敗例から学ぶ

日本では財政再建んは挫折の歴史であったが、諸外国では財政再建に失敗している国もあれば、成功して財政規律を維持している国もある。どちらの国でも1990年代以降に予算制度改革を行っているがその中身が異なるようである。その成功と失敗を分けるものを探るのが本章のテーマであるが本書の中心をなす。予算制度改革は、通常財政赤字や債務の削減が政治的課題になる財政再建過程において行われる。この財政再建過程はどのようなプロセスをとるかというと、@経済的。社会的・政治的要因により財政再建のインセンティブが開始され、A支出削減と収入増からなる財政再建の規模・期間・ターゲットを定めて実行する、B政治制度改革・予算制度改革が行われ財政再建の結果がもたらされる。財政再建とは政府の意図的な緊縮政策であり、景気調整済財政収支が継続して黒字になることをもって成功とみなされる。@の財政改革を促す要因には経済危機、財政収支悪化、通貨暴落、信用低下、利子上昇という経済恐慌がある。特に利子の上昇(リスク化)が赤字削減へのシグナルとなる。つぎに政権交代が契機となる。経済危機と政権交代が同時に起きる場合がある。Aの赤字削減方法であるが、左翼政権および短期政権あるいは連立政権では支出削減よりも増税に頼る場合が多い。右翼政権・単独長期安定政権では支出削減により赤字削減を行うようだ。しかし支出削減政策は所得配分の格差を生みやすい。つまりアメリカや日本の小泉政権の新自由主義政策のように貧困層が増え、一握りの富裕層に富が集中する。Bの財政再建の結果一般にデフレ効果となる。しかし債務残高の高い国では、財政赤字を削減しても消費や投資が必ずしも減少しない国がある。政府の増税への心配がなくなるからだという。これをクラウディング・イン効果と呼ぶ。財政再建後も財政規律を維持するか、再び財政赤字が拡大するかに分かれる。財政再建の痛みは長期化してはならないし、目的を達成するとインセンティブも減退するからである。では次に1990年代に財政再建を行ったOECD10ヵ国の失敗と成功例を比較しよう。

1)  アメリカ: 1981年レーガン政権はサプライサイドの「レーガノミックス」という「経済再建計画」を実施した。政府支出の削減(小さな政府)、減税、規制緩和などである。レーガノミックスはインフレの抑制と景気回復に一定の効果をもたらしたが、財政収支及び経常収支の巨額な「双子の赤字」を生んだ。レーガノミックスは減税と支出増からなるケインズ政策となり金利を2倍に上昇させた。1986年議会が財政再建に乗り出し均衡財政・緊急財政赤字削減からなるGRH法が成立した。強制力を持つ毎年の赤字削減目標を設定し、1991年に赤字ゼロを目指した。しかしたちまちGRH法は計画通り進まず放棄された。1990年には包括予算調整法OBRAが導入された。財政規律を規定する予算執行法BEAを含むものであった。裁量的歳出には上限を決める「キャップ」を決め(一律削減を廃止)、新しい歳出増や減税には「ペイアズユーゴー原則」(財源を確保する)を定めた。この方法はアメリカの財政再建に大きく貢献した。1990年後半の経済成長に支えられ、クリントン大統領の民主党政権のもと、連邦政府と一般政府の赤字は縮小してゆき、税収入の自然増もあって1998年にはついに統合予算ベースで黒字に転換した。ところが2001年ブッシュ2世の共和党政権になると戦争政策と財政再建の目標達成後の弛緩によって、財政は再び赤字に転落した。その赤字は2006年に2.6%まで縮小したが、2008年リーマンショックにより2009年には赤字は12%になった。アメリカ議会と大統領の権限の確執は2009年に誕生したオバマ大統領の時以来深刻な争いとなった。財政再建に向けたコンセンサスができないのが現状である。
2) イギリス: 1980年以前は英国病」といわれる政府部門の肥大化により経済が停滞したが、サッチャー首相による経済・財政の構造改革路線が開始された。1980年一般政府財政収支は改善したものの、80年代末からの景気の減退により1993年には7.9%の赤字となった。1993年から景気は回復しメジャー首相消費税の増税と支出削減などによる財政再建路線によって、1998年に財政収支はほぼ均衡し、翌99年には黒字となった。ブレア―政権では2000年に財政収支が3.7%の黒字に拡大した。こうして1994年ー2000年の7年間は財政収支は黒字を維持した。ブレア―首相は財政規律を確立するため、予算制度改革を行った。ブラウン財務相は1998年「財政安定化規律」(透明性、安定性、責任、公平性、効率性)を制定した。これにより政府の信頼性を高め、金融政策の決定権をイングランド銀行(日銀に相当)に移管し、その独立性を確保した。「財政安定化規律」の元ブレア―政権が導入したルールが「ゴールデンルール」(政府の借入は投資に限る。建設国債は許されるが国債で経費を賄うのはだめ。)と「サスティナビリティルール」(国債残高は慎重レベルとして対GDP40%以下)である。またブレア―政権は1998年「公的サービス合意」を導入し歳出見直しを行った。2000年発生主義を原則とする「資源会計」によって予算の作成を行うことにした。この財政規律は2000年までは有効に機能した。しかし2003年から再び赤字に転落し、2003年にはマイナス3.6%となった。2008年のリーマンショック後さらに税収入と景気対策費のために赤字は拡大し、2009・2010年は2年間マイナス10%を超える赤字を出した。2010年保守連立政権は付加価値税率引き上げ(17.5%から20%へ)、国民保険料引き上げ、省庁予算の19%削減、年金物価スライド制などを実施した。また予算責任局を設置し政府から独立して経済財政見通しや財政運営評価を行う機関を導入した。
3) ニュージランド: OECD諸国の中でニュージランドは最も包括的かつ急進的な経済財政構造改革を実施した。1984年国民党政権への政治不信からドルの切り下げによる為替危機が発生した。代ったロンギ労働党政権は1984年から構造改革行ったが10年間ははかばかしい成果は得られなかった。実質成長率は1985−1992年まで1%以下であり、一般政府財政赤字はほとんど3−4%台が続いた。1990年ボルジャー国民党政府は社会保障関係を中心とした支出削減を進めた。1993年には景気が回復しGDPは4.7%の成長があった。1994年には20年ぶりに財政黒字に転換した。1994年「財政責任法」が成立し、2004年に財政法に統合された。この法は政府に財政ルール・目標を設定させるとともに、定期的にその達成状況を報告させる。政府に説明責任を課し透明性を高める効果を狙っている。1990年代後半からから2000年半ばにたるマクロ経済は基本的に良好であった。一般政府の財政収支については1994年から2008年までほぼ黒字を維持した。リーマンショックにより財政赤字が7.3%まで悪化したが、2012年には赤字は3.9%に縮小した。金融負債は2012年で8.3%にとどまっている。財政責任法はニュージランドの財政運営のアンカーとしての機能を果たし、財政規律を維持している。
4) オーストラリア: オーストラリアの経済財政構造改革は1983年ー1996年の間労働党政府が主導した。オーストラリアはOECD諸国の中で最も構造改革が成功した国のひとつである。オーストラリアの構造改革は2つの時期があった。1つは1980年代半ば、2つは1990年代後半の改革である。前の改革は賃金抑制と景気刺激を柱とするマクロ政策であったが、構造改革というミクロ政策に移った。1984年「トリロジー」という財政ルール・目標が導入された。税制改革と政府資産の売却、歳出面では社会保障・公務員給与削減などを含む。予算制度の本格的改革として「財務管理改善プログラム」、「歳出検討委員会」の設置など多岐にわたった。1980年代後半には経済が急速に回復した結果、GDP 成長率は 4-5% となり、財政収支も改善し1998年には黒字となった。1987年から1990年まで4年間は黒字を続けた。しかし1990年代に入ると景気は後退し、再び財政収支は赤字となった。1991年に誕生したキーティング労働党内閣から1996年に誕生したハワード自由・国民党連立内閣が構造改革を進めた。ハワード政権は予算制度改革を行い、「財務管理アカウンタビリティ法」、「予算公正憲章法」などの法整備を行った。景気循環を通じて財政均衡を図るという財政ルールが誕生した。「予算公正憲章法」はニュージランドの財政責任法にならうもので、予算の将来見通しと歳出検討委員会が閣内に設けられた。2000年代前半のオーストラリアの好調な経済に支えられ、GDP成長率は3−7%を維持した(1992-2007年)。1997年には財政収支は黒字になり、2007年まで続いた。金融負債の対GDP比は1990年以降縮小の一途をたどり、2005年には黒字つまり貯金ができるようになった。リーマンショックの影響は一時的で、健全財政そのものであった。
5) カナダ: カナダの財政は1970年代以来慢性的な赤字が続き、イタリアに次ぐ悪化した状況であったという。これを打開したのが1993年に誕生したクレティエン自由党政権であった。1990年代初めのメキシコの経済危機の影響を受けた深刻な不況によって、政府財政赤字は1992年に9%となり、総金融負債は90年に74%、95年には100%までに膨れ上がった。マーチン財務相は「メキシコ経済危機が我々の目を醒ますきっかけとなった」といった。1994年度に予算制度改革を行い、中期財政フレーム、予算削減と順位づけを行うプログラム・レビュー、そして予算編成過程の透明化を実施した。「プログラム・レビュー」には6つの判断基準を導入し、この基準で各省庁が自己評価をしそれをもとに財務省が閣議を経てトップダウンで各省へ3ヶ年の歳出削減目標幅を割り付けた。こうしてわずか4年間で財政収支の均衡そして黒字化を成し遂げたのであった。1992-1997年の財政再建で、州への補助金削減、年金制度改革など財政の中身の削減は6%であった。リーマンショックの影響で2010年の財政はマイナス5.4%の赤字となるが、その後着実に回復した。2007年歳出プログラムの効率を維持するため「戦略レビュー」を導入した。
6) フランス: 上に述べた5つの国は英国連邦系の国々であり、次にヨーロッパ大陸系(EU)の国の検討に入る。フランスは1980年代までは比較的良好な財政収支であったが、1990年代になると財政赤字は急速に悪化し93年には6・5%の赤字となった。その原因はEU統合による税制の統一によって、付加価値税・法人税・貯蓄課税の引き下げによるものと考えられる。つまり大幅な税収の低下である。1993年右派連合のパラデュール内閣が誕生し、「経済・社会再建プログラム」を開始した。さらに1994年「公的財政の管理に関する5か年基本方針」を制定した。国の財政赤字を毎年0.5%づつ改善し、97年までに赤字を2.5%以下にするプログラムである。マーストリフト条約の財政基準は、健全財政国家として赤字は3%以下、債務残高は60%以下にすることを基準としている。1995年にシラク大統領が就任し、社会保障制度改革をふくむ財政赤い地削減策を提案した。しかし支出面の削減計画は国民の強い反発を招き1997年の選挙で与党は敗北した。会計操作などでなんとかユーロへの参加は果たしたものの、財政赤字は2000年に1.5%、2003年には4.1%、2009年には7.6%に拡大した。2008年予算管理を強化するため、予算法案と同時に「複数年財政計画法」の国会提出が義務付けられた。2012年提出の「複数年財政計画法」(5か年)では、2017年までに財政赤字を0.3%とすると規定された。フランスが財政赤字を制御するうえでの困難はその政治制度になる。力の弱い大統領と議院内閣制度の2つの統治機構があるからである。いつもねじれ現象を引き起こしている。もう一つの問題はフランスはドイツと並んで社会保障制度を基本とする社会である。英国連邦系の新自由主義社会と、欧州大陸系社会はあるべき社会の理想を異にしている。社会のセーフティネットを無駄として地方自治体運営を民間に任せるような新自由主義を取るか、安定した格差の少ない社会を求めるか、どちらがいいかは価値観の問題である。
7) ドイツ: ドイツは1980年代までは強い経済力を背景にして良好な財政収支を誇っていた。GDP成長率は5%であるにもかかわらず、1990年の東西ドイツの統一に伴う財政負担の急増(社会保障関係費とインフラ投資)から財政は一気に悪化した。(国家統一を優先課題として、あえて財政収支の悪化を国民全体の痛みとする価値観の問題である) 1995年に財政赤字は9・5%に拡大した。コール政権は「ドイツ統一基金」を設けて債務処理にあたった。こうした東西ドイツ統一コストを処理して財政再建を進める力となったのは、マーストリフト条約であった。EU委員会に中期財政見通しを提出し、国内的には中期財政計画を立てた。1997年には財政赤字は2.6%になってユーロ参加基準を達成した。様々な会計操作が行われたようだが、ドイツの財政再建は難産であったといえる。そして2000年には一般財政収支を1%の黒字に転換させた。翌年からまた赤字となったが、2005年にメルケル連立政権が誕生し、積極的な財政再建に取り組んだ。2007年には付加価値税の引き上げ(19%)、所得税の最高税率の引き上げ(45%)の税制強化策によって2007年にはふたたび財政黒字を達成した。リーマンショックにより2010年の赤字に転落したが、翌年2011年には財政収支はほぼ均衡した。(21012年度は黒字) ドイツが東西統一に伴う財政負担という貧乏くじを引きながら処理してユーロ圏の優等生になったのは高く評価される。2009年連邦基本を改正し、連邦政府の赤字は0.3%以下に制限するという規定を加えた。
8) イタリア:  イタリアは1990年代半ばまでOECD諸国の中で最も財政収支の悪い国であった。政治的にも小党連立の不安定政権、社会保障給付、脆弱な徴税システムなどが財政再建を困難にしていた。1992年の財政赤字は10%を超えていた。とても共通通貨ユーロに参加できる国とは考えられなかった。高いインフレと失業率、弱い通貨などイタリア経済の弱さが目立っていた。そのイタリアが1990年代からマーストリフト条約加盟を目指して、歴代内閣が財政再建に乗り出した。本格的な財政再建は1996年に誕生したプローディ中道左派政権からである。財政赤字の削減は支出面が中心となり、年金や地方の改革、公共事業と公務員給与削減、収入面ではユーロ税が効果をだして、1995年の財政赤字7.4%が1997年には2.7%となり、マーストリフト条約基準を満たした。1993年の選挙制度改正により小選挙区比例代表制により安定したガバナンス強化が図られた(2005年にはまた比例代表制に戻ったが)。1995年「経済財政計画」には、財政収支、プライマリーバランス、債務残高の対GDP目標が設定され、拘束力を持つことになった。新たな支出に当たっては「財源確保規定」が設けられた。リーマンショックで2009年には財政赤字は5.5%まで悪化したが、相当の財政の改善がみられたというべきであろう。これでOECD主要国並みの水準になったといえよう。
9) スウェーデン: スウェーデンは世界に冠たる福祉国家である。この福祉国家は1992年に始まった通貨危機により、通貨切り下げで危機存亡の淵にたった。そして通貨変動相場制に移行した。国債の信用低下は10年物利率が1994年に11%に上昇した。スウェーデン国債はデフォルトの危機にさらされた。GDP成長率は1991-1993年にマイナスとなり、1993年の失業率は11%、1993年政府財政赤字は11.2%、総金融負債は1996年に85%となった。1994年に誕生したカールソン社民党政権は財政構造改革を実行した。歳出歳入両面に及ぶ財政措置はGDPの8%に及び、1995年のEU加盟申請がそれを加速した。自国通貨の切り下げで輸出増となり、1998−2000年のGDP成長率は4%を超えた。一般政府財政収支は1998年に黒字となった。財政赤字削減に加えて、財政規律を立て直すため予算制度改革が実施された。また1995年に財政法、96年から新たな予算制度が実施された。予算制度改革の柱は「フレーム予算」と「支出シーリング」である。1997年景気循環を通じて2%の財政黒字を維持するという税制ルールが導入された。2000年代に入って財政規律は弛緩し、景気調整済み財政収支は2002-2003年は1%程度の赤字となった。リーマンショックでも2009年1%の赤字となったが、景気調整済み財政収支は2%の黒字であった。純金融負債は2010年にマイナス3.8%、つまり国は貯金ができたのである。
10) オランダ: オランダの経済構造改革は1980年代、為替高による不況から「オランダ病」を克服するため、雇用政策を中心に行われた。そして「オランダの奇跡」を生んだ。財政赤字は80年代後半5%前後で推移し改善は見られなかったが、1994年に誕生したコック労働党政権が本格的な予算制度改革に乗り出した。好転してきた景気を背景にマーストリフト条約加盟を目指して財政赤字の削減、雇用創出、税と保険料の引き下げが行われ緩やかに財政は改善していった。1994年予算制度改革は「トレンドベース・アプローチ」が導入された。経済予測はあくまでも「慎重なシナリオ」に基づき、1995-1998年のGDP予測を2.25%としたが実際は3.25%であった。剰余は減税と債務返済に充てられた。歳出総額は4年分のシーリングを決める。財政収支は2000年に黒字化したが、2003年にはふたたび3.2%の赤字となり、以降赤字は縮小された。リーマンショック後の2009年には赤字は5.6%となったが2010年以降改善された。オランダ国債はAAAの評価を受け、欧州諸国の中では優等生である。

第2章「財政赤字の政治経済学」で見たように、日本の財政再建過程で財政ルールが導入されても、政治家や官僚たちには、それを守るインセンティブはないようだ。常に支出増を求める政治家の前にはルールあってもなきが如しである。どうしたらルールを継続的に守れるか、OECD諸国の予算制度を横断的に比較しながら考えてゆこう。OECD諸国は1990年代に財政再建が行われ、上にみたように顕著な成果が生まれた。しかし2000年代に入ってOECD諸国の中には財政収支が再び悪化している国がある。スウェーデンなどいくつかの国では財政収支は黒字を維持している国と、維持できなかった国と、日本のように挫折ばかりしている国とどう違うのかは考えさせられる。そこでOECD諸国の財政のパフォーマンスを分類すると3つの型がみられる。
@1990年代に財政黒字を達成し2000年代半ばまでほぼ維持している国―ニュージランド、オーストリア、カナダ、スウェーデン、オランダ
A1990年代の財政収支の改善がみられたが、2000年代に入って財政赤字が拡大している国ーアメリカ、イギリス、フランス、イタリア
B1990年代から一貫して財政収支の改善がみられないか拡大している国ー日本
政治的なコミットメントが低下した典型例がアメリカである。1998年度に財政が黒字に転換したが、予算執行法に規定されている財政ルールが弛緩し機能しなくなった。そして2002年にこの法律は失効した。キャップとペイアズユーゴー原則という2つの支出ルールは、予算の編成権が議会にあるアメリカの特徴であった。政治家の財政ルールを守る意識と責任感がなくなればおしまいであった。オバマ政権になってから対立ばかりが強調され、政治的コンセンサスが忘れられた。欧州では2009年ギリシャの財政問題に端を発するユーロ危機はポルトガル、イタリア、スペインに波及し「欧州ソブリン危機」と呼ばれた。欧州において財政パフォーマンスを決定したのは、政治的コミットメント(やる気)の有無であった。財政収支が黒字を維持している第1のグループでも財政ルールの維持は並大抵の苦労ではないが、アメリカなどと比べて財政規律が維持することができているのは、政治的なコミットメントを担保する予算制度であり、予算制度改革の中身が違っていたのである。財政ルールや目標の設定についてはニュージランドの財政責任法、オランダのように連立政権合意時に財政枠組みやルール・目標を設定したこと、スウェーデンのように向こう3年の歳出額のシーリングを国会で議決したことである。これらの約束を破ったり、無視したり、中止するには政治的なリスクが大きい。財政政策及び予算実施後の評価が重要である。スウェーデンでは歳出総額のシーリングと、実歳出の差つまりマージンを常に公表している。目標遵守状況が容易に検証できる仕組みである。日本のような成り行き任せで補正予算で大盤振る舞いは決して許さない。独立財政機関を導入して、中期財政フレームを守るため財政政策や財政戦略を監視・評価するしくみを、政治的圧力がかかり易い行政府から独立して設けることである。そして財政ルールを守るため、特別会計から一般会計に持ち込むような埋蔵金の会計操作によるウソやごまかしを防止するには財政の透明性がなければならない。マクロ情報の予算書への記載、ミクロ情報の記載、独立的な検証、報告書体系に関して、IMFやOECDは透明性基準を決めている。OECD基準によると、透明性が最も低いのが日本、ついでドイツ、イタリアだそうで、金融負債も最も高いのである。数字のごまかしで真剣に財政改革に取り組まなかった政治家と官僚の積年の不作為が、今日の破滅的財政事情を作ってきたといえる。

4) 日本財政が抱える病理ー財政規律と予算制度

この章では@予算制度の実態と抜け穴、A予算編成過程での政治的圧力と拒否権プレーヤーといった日本財政が欠ける病理を指摘し、最後に予算制度改革としてB日本版財政責任法の制定を提案している。日本財政の基本的問題点として田中氏は予算編成の透明度が低く会計操作が分かりにくいことと、内閣が決定すべき予算の意思決定が分権化して各種の介入(特に政党)があることを挙げている。予算とは、市場で供給できない財・サービスを提供するもので、その統制は民主主義の根幹である。憲法第85条「国費を支出し、または国が債務を負担するには国会の議決にもとずく」と述べている。日本国の予算は、国会の議決の対象となる一般会計(国の基本的な歳出)、特別会計(年金や震災復興など16の特別会計)、政府関係機関(特殊法人・独立法人のうち公的金融を行う政策金融公庫など4機関のこと)の3つからなる。2012年度で一般会計の歳出総額は約90兆円、特別会計の歳出総額は約394兆円で、一般会計との重複を除く純計は約229兆円であった。一般会計と特別会計の合計241兆円の歳入面では国債・借入が48%、租税が19%、保険料が15%であった。229兆円の歳出面では国債費関係37%、社会保障関係28%、地方交付税8.7%であった。日本政府の借金体質は顕著である。予算編成は毎年夏に各省の「概括要求基準」(シーリング)作成にはじまる。概算要求書を8月末に財務省に提出する。12月末にかけて財務省主計局が「査定」をおこない、閣議で政府案を決定する。その後「復活折衝」を経て翌年1月に「予算書」となって国会に提出される。3月末までに参議院が議決しなかった場合、衆議院議決優先で承認される。年度内に予算が承認されない場合「暫定予算」を国会で承認する。ではこれらの予算制度の実態をみてゆこう。
@ 歳入歳出の決算報告書が提出(決算は国会の議決を必要としない)されるのが遅すぎることである。たとえば2008年度予算の決算書(会計検査院を経て)が提出されたのは2011年8月であった。つまり2年半ほど経過していた。また国のキャッシュフロー会計である「国の財務書類」はやはり2年遅れで提出された。
A1947年度に制定された財政法では、単年度均衡予算ルールで建設国債などは「ゴールデンリール」で許されている。国債は政府一般支出には発行できないが、「赤字国債」が「特例法」で国会の議決を得れば発行できるのである。それが1974-1989年、1994年以降は毎年特例の赤字国債が発行され恒常化した。さらに民主党内閣の時に自民党・公明党の3党合意で3年間特例公債を認める時限立法が成立した。アメリカの予算トラブルを見て毎年国会の議決を得るのが面倒だとみたからである。
B建設国債は世代間負担原則の観点から「60年償還ルール」がある。箱モノの償却が60年という保証はないのに、箱モノ以外にも使われている。JAXA宇宙航空研究開発機構という独法人への出資金にも使われた。ロケットの打ち上げにも国債が使われ、建設国債が財政規律を低下させた。時の財政事情によって国債発行額が左右される「財源調達手段」となってしまった。
C一般政府の財政収支を指標とする赤字ルールが1997年の「財政構造改革法」で定められたが、「2003年度までに国と地方の赤字を対GDP3%以下とする」という目標はわずか1年で取り下げられた。2001年小泉政権で「2010年初頭にプライマリーバランスの均衡を達成するための、2002-2006年の支出水準固定」を決定した。この目標もリーマンショックで吹き飛び基礎的財政収支の黒字化目標は10年先送りされた。現在の日本の財政運営は経済循環(不況)のリスクに耐えて予算をコントロールする構造や仕組みを欠いている。
D各省の予算要求基準(シーリング)とは景気の良かったころの伝統を受けて、前年度比の伸び分を一律にする、いわゆる増分主義であった。1990年後半以降は「ゼロシーリング」、「マイナスシーリング」に替わった。このシーリングの圧力はとんでもないひずみを生んだ。予算に計上すべき歳出を最初から補正予算に計上したり、一般会計の赤字を特別予算に移動させるなどの会計操作が頻繁に行われるようになった。会計規律・道徳の低下である。
E一般会計で議論されるのは前年度予算と本年度当初予算との増減である。本年度当初予算を少なく見せかける手口が「補正予算」である。当初予算と決算の比が乖離するでたらめが横行しているのである。経済に影響を与えるのは実績値つまり決算である。補正予算の多用は景気浮揚策を連発したからである。各省はシーリングの制約下では当初予算を過小に提出し、シーリングのかからない補正予算を最初から見込んで予定に入れているやり方を取る。最初から全額を提出すると、当初予算における赤字は10−30%も増えるはずである。
F我国の予算資料は一般会計と特別会計を連結した財政収支は発表されていないので、この隙をぬった会計上の操作が容易である。たとえば「埋蔵金」問題である。特別会計の積立金(外国為替資金特別会計、国債整理基金特会など)からの繰入金を、時には4兆円恒常的に1−2兆円を借用してきている。積立金の取り崩しはいずれ財政を悪化させる。こうした会計間のやりくりは1990年代後半から2000年代冒頭に増加した。
Gつぎに会計年度間のやりくりが「隠れ借金」といわれる。非常に見えにくい操作であるが、一般会計が本来負担しなければならない支出を将来に繰り延べているのである。一般会計が特別会計に対して負っている債務は2011年の総金融債務の約2%に達する。維持費や公共事業の国庫債務負担行為による繰り延べも大きい。
H1976年から「財政収支試算」が作成されることになり、1991年から「財政の中期展望」と変わったが、2002年より小泉政権は「改革と展望」、「内閣府試算」と称して発表してきた。いずれにせよ試算(見通し)に過ぎず、将来の歳出を拘束するものではない。そして結果について検証もない。つまり天気予報みたいに言い放っぱなしでいいわけである。これも無責任化、骨抜きにされている。とかく予算編成利害関係者(プレーヤ)は責任から免れたいという悪癖をもっている。

次にA予算編成過程での政治的圧力と拒否権プレーヤーについて述べよう。長年日本では自民党の単独政権が続き、1990年代後半になって自民党とを主とする連立政権となった。(ここで党といえば自民党を指すとする) その間に予算編成に与党の介入が構築されてきた。「与党予算編成大綱」を決定して財務省に要求活動を行う。12月の復活折衝では大臣折衝や党3役折衝が行われる。予算の「特別枠」には、政治主導で重点配分することを意味したが、結局すべての予算が対象になりかねない。「自民党税制改革大綱」と「政府税制調査会」のお株を奪って、内閣の外で政府予算の歳入面に関する重要な意思決定がなされてきた。閣議においては全閣僚の一致が意思決定のルールであるが、政府予算を決定する際に、各省大臣が実質的に拒否権を持っている。首相は予算調整の表舞台に現れることはない。とかく内閣が予算決定に関与し意思決定を行うメカニズムが実質的に存在しない。誰も責任を取らない仕組みが内閣にとっても党にとっても都合がよかったのだろう。各大臣は予算受益者「スペンダー」の代弁者として押しまくることと、予算を査定する受け身の「ガ―ディアン」(財務省主計局)の間の情報格差に基づく関係が予算編成過程である。2001年橋本政権が行った中央省庁改革の中で内閣機能の強化を提唱した。予算編成に際しては、首相が閣議で予算編成の基本方針を発議すること、内閣官房の企画立案する基本方針を含み、内閣府に経済財政諮問会議を設置することであった。経済財政諮問会議は役目は経済財政の調査審議、骨太の方針や予算編成の基本方針を作成することである。これを実地に移して活用したのが小泉政権であった。小泉政権は2002年度の一般会計予算の国債発行額を30兆円に抑えるという目標を出した。ところが一般会計と特別会計の間で5兆円近い会計操作を行い、かつ補正予算で5兆円が追加された。歳出面では公共事業費を中心に3兆円近い削減には成功したが、結局当初予算の国債発行額30兆円の妥当性が問われべきであった。小泉政権後半の課題であった「歳出・歳入一体改革」では自民党政調が案作りに積極的関与し、党主導で行われた。民主党政権時代には著者も検討会に参画して、2009年「予算編成などの在り方の改革」(複数年度のトップダウン型の予算編成、編成過程の抜本的透明化、無駄な予算執行の排除、達成目標明示制度の導入を柱とした)が閣議決定された。また2010年著者も検討会に参画してまとめた、「中期的な財政フレーム」(財政再建プランは慎重なシナリオで、収支と債務残高の諜報の目標を設定する、トップダウン型の予算編成と財源確保原則を確立する、3年間の歳出大枠について拘束力を持つ中期財政フレームを作成する、)を政府が発表した。この民主党時代の財務改革案作成には著者の(そして本書の)主張点が色濃く反映されている。しかしベースラインに基づく予算編成の仕組みは補正予算は会計間の操作など政治との駆け引きで予算を作る従来型の仕組みに反することであり、財務省幹部はその作成や公表に反対した。この間のいきさつと軋轢(財務省主流と著者らの改革派)が、2012年暮れ民主党から自民党に政権が移った時、著者に何らかの圧力がかり財務省をやめざるを得なくなったのではないかと憶測する。電力自由化論者の官僚が経産省主流派と電力会社から排除されたのに似ている。著者が主張するミクロな財務改革は次の3点に集約される。
@コミットメントを高める日本版財政責任法の制定−中期財政フレームに基づき予算編成を行い、会計間の操作を排し、会計制度の透明化を図る。
A財務会計責任を明確にするため、日本版最高財務責任者の任命ー各省庁の次官や法人の長を最高ア財務責任者に任命、会計課、内部監査委員会などの組織を整備。 B予算の関する意志決定の集権化ー内閣が一元的に意思決定をおこなう。責任を取らない党関係者の関与を抑制する。

5) 予算と政治ーガバナンスの強化と財政の展望

予算とは資源配分を巡る政治的な調整であるとするならば、財政赤字を減らし財政規律を高めためには、政治システムの改革も不可欠である。内閣制度、財政当局の組織、公務員制度の3つを取り上げる。
@与党と官僚内閣制: 2009年に成立した民主党な政権は最初「政治主導」、「脱官僚」を連呼したが、結局官僚主導に取り込まれた。まだ自民党政権のほうが党主導で官僚を使う力量が優れていたようだ。官僚内閣制とは実は「与党・官僚内閣制」というべきである。戦後の55体制以来、与党と官僚制内閣は強固な関係を築いてきた。与党は官僚に裁量権を与えつつ、自らの利害に反する場合には拒否権で修正してきた。与党・官僚内閣制の最大の問題は責任の所在があいまいになることである。官僚内閣制から議院内閣制の問題を取り上げた書として飯尾潤著 「日本の統治構造」(中公新書 2007年)があるので、官僚内閣制の話はそちらに譲るとする。こうして官僚という公務員が政治化する習慣がつくと官僚が本来持つべき専門性が著しく劣化する。道路や資源関係の理工学系や医療などの専門職の官僚が実はたんに事務屋に過ぎないことは歴然としている。専門性はアカデミックの学者の取次をしているに過ぎない。閣議が最後の調整の場とされるが、実はサイン会にすぎない形式的な数分で終わるか顔合わせに過ぎないこともわかっている。民主党内閣の「政治主導」も実は、自民党で猛反発を食らった小泉3原則の政策決定システムの焼き直しであった。とか著者はいろいろ内閣制度のことを書いているが、財務官僚であった著者には荷が重いのではないかと思うので、これ以上は割愛する。
A財務省の役割: 要求省庁と財務当局の関係は、情報量の非対称(格差)があるため、要求省庁の作文と数値の欺瞞性を即座に見抜いて対案を出すことは財務官僚にとって難しい。また予算の分捕り合戦という言葉に現れるように、税金収入には特定財源という法(道路財源など)がない限り、「共有地の悲劇」となり、政治家や要求官庁が予算制約を認識して支出と収入を一致させようとするインセンティブは永久に働かないようだ。財務再建に成功した国の予算制度には5つの共通点があると著者はいう。1)内閣主導のトップダウンで支出上限などを決める。2)支出上限枠内での配分は省庁の裁量とする。3)財源確保原則を貫いて予算制約の中で資源配分を行う。4)政策評価を行い、執行面・実施面での改善をおこない予算御効率化を図る。5)長期的視野を予算編成に取り入れる。これらを具体的に実行する仕組みが「中期財政プログラム」である。伝統的な財務省の査定では、予算編成は効率化せず、財政再建はできない。従来型は要求省庁のボトムアップ集計タイプであり、コントロール不能となっている。総額を固定するトップダウン型ではない。これには財務当局自体が政治化し、利害を持つ政治的プレーヤとなっている。財務省の役割は調整者としての政治の利害に仕えることであり、改革は好まない保守的な姿勢を持っている。なぜなら財務省が政治に深く関与していることから、本質的な予算制度変革はできない相談となっている。
B公務員制度: 財政再建の根本は政官関係の見直しであり、公務員制度改革なくしては進展しない。財政再建に成功した国は同時に公務員制度改革も行われている。官僚機構の肥大化が財政赤字をもたらしたという見方から、様々な公務員制度改革が行われた。政治任命による官僚機構の統制、官僚機構の一部民営化、成果基準の評価制度の導入などである。それは政治主導改革の一環なのであった。官僚を専門職に封じ込める方向と、官僚を政治に取り込む方向の2つがある。前者の成功例はイギリス・ニュージランド・オーストラリアのイギリス連邦系諸国がそうである。後者はアメリカ、フランス、ドイツであり、日本はその中間に位置する。また高級官僚を公募する方向(入れ替えの激しい開放型)か、たたき上げの官僚群から任用するかの方向がある。前者にはアメリカが代表で、後者は日本、ドイツである。日本の公務員制度改革は官僚の腐敗、天下り防止にはじまり、2008年安倍政権は「公務員制度改革基本法」を成立させた。特徴は官僚群を幹部職員と管理職員にわけ、幹部職員を内閣人事局で一元管理することであった。しかし国家公務員法の改正法案は自民党政権・民主党政権を問わず2009年、2010年、2012年にいずれも廃案となった。人事院は2002年日本の公務員制度の問題点として次の7つを挙げた。腐敗(倫理の低下)、専門能力不足(不作為)、セクショナリズム(縦割り行政、閉鎖性、省益の自己目的化)、特権意識(キャリアーシステム)、天下り、政官のコンセンサス欠如、年功主義である。これは霞が関全体の機能不全の問題である。

今後の財政を見据えたうえで、財政再建の課題を考えよう。自民党の麻生政権は2009年当初予算は一般会計赤字は44兆円で、更に補正予算として10兆円を超えた。2011年の民主党政権でも赤字は54兆円に達した。OECD統計による2013年の日本の財政赤字は対GDP10.3%、総金融負債は230%を超えた。日本はかってアメリカと同じように小さな政府といわれたが、社会保障給付金は2010年決算ベースで約104兆円であり、うち約50%が年金、約30%が医療、福祉関係が1%であった。2009年のOECD統計によると、日本の社会支出(高齢、遺族、障害、医療、家族、職業訓練、失業、住宅など)は対GDP比27%となり、これは上位9番目になり、OECD平均を上回った。2015年に消費税は10%となるが、「成長シナリオ」でも2020年度のプライマリーバランスは赤字1.3%である。政府が掲げた2020年で黒字化するという目標はすでに破たんしている。「慎重なシナリオ」では2020年には赤字2.7%となる。IMFは対日審査で財政構造改革の重要性を指摘した。ギリシャ危機の見られたように借金を海外に頼るとリスクが高いが、日本国債の総残高948兆円のうち海外の所有は9%に過ぎず、そういう意味では安定しているといえる。日本国債は国内の貯蓄で赤字を賄ってきた。日銀2012年統計によると家計金融純資産は1194兆円である。一般政府の総債務が1122兆円であるので、もうこれ以上は政府は国民から借金できないはずである。近い将来財政赤字と並んで国の経常収支が赤字化することになるかもしれない。生産人口の減少は当面避けられるものではない既定のトレンドとなっているため、税収の低下と社会保障負担が迫っている。そこで著者は財政再建の3つの課題を掲げる。これで本書のまとめに代える。
@危機感の共有: 日本が経済成長率の低下から貯蓄率の低下、長期金利の上昇、財政再建の遅れが積み重なると、これまで通りに借金を続けることは不可能になり、信用不安が拡大する羽目になる。財政赤字は政治家・官僚そして国民が改革を回避してきた結果である。日本で一番欠けているのは危機感の共有と政治家のコミットメント(やる気)である。
A予算制度改革: 拘束力のある中期財政フレームと支出ルール(ベースライン)、独立財政機関の設置、財政責任法の制定
B社会保障制度改革: 社会保障改革は自民党政権時2008年「社会保障国民会議最終報告」をまとめ、民主党政権では2011年「社会保障・税一体改革成案」がある。我国の社会保障の根幹である「社会保険」の矛盾(保険だけで賄われるものではなく、一般財源を投入している。税と保険が混合した制度)した曖昧な制度となっている。基礎年金、国民健康保険、後期高齢者医療制度の改革が求められる。こうした議論がないとたんに不足分賄う議論に終わる。消費税を増税しても、一般財源を社会保険制度になし崩し的に投入することは何ら問題解決にならない。


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