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大森荘蔵著 「知の構築とその呪縛」 
ちくま学芸文庫 (1994年7月 ) 

近代科学文明の誤謬は人間をも死物化したことー人と自然の一体性回復の哲学

前の中村桂子著「科学者が人間であること」(岩波新書 2013年8月)が、2011年3月の福島原発事故を契機に中村氏が本書、大森荘蔵著 「知の構築とその呪縛 を読んで、それを下敷きにして科学文明の失敗を克服する道の手掛かりにしたということが分かった。そして中村氏が参画する生命誌研究の意義が、大森氏の「重ね合わせ」の哲学に一致することを再発見したということであろう。しかし本書はかなり昔に発刊されたものである。はしがきによると本書は放送大学設立に際しての、「人間探検」コースの教科書として執筆され、、1985年3月NHK出版協会から発刊されたものを、1994年7月筑摩書房のちくま学芸文庫に編入されたという。私は中村桂子氏の前書を読んで初めて大森荘蔵という哲学者を知った。そこで大森荘蔵氏のプルフィールを見てゆこう。大森荘蔵氏(1921年ー1997年)は1921年08月01日、岡山県に生まれる。1944年東京帝国大学理学部物理学科卒業。海軍技術見習尉官。1945年海軍技術研究所三鷹実験所勤務。終戦を契機に1946年東京帝国大学文学部哲学科に入学。1949年、東京大学文学部大学院入学。Fisrt National City Bank 勤務、アメリカ留学を経て、1951年、帰国。1953年東京大学講師に就任。1954年より翌年05月まで、アメリカ Stanford University、Harvard University に留学。1966年、東京大学教養学部教授。1971年最初の論文集『言語・知覚・世界』(岩波書店; 著作集第08巻)刊行。1976年、東京大学教養学部長就任。翌年、辞任。1982年、東京大学定年退官、東京大学名誉教授。同年、放送大学学園教授。『流れとよどみ――哲学断章』(産業図書; 著作集第05巻)刊行。翌年、『新視覚新論』(東京大学出版会; 著作集第05巻)刊行。1983年、放送大学副学長就任(1985年辞任)。1985年、『知識と学問の構造』(後に『知の構築とその呪縛』と改題してちくま学芸文庫; 著作集第07巻)刊行。1989年、放送大学退職。1992年、『時間と自我』(青土社; 著作集第08巻)刊行。1993年『時間と存在』(青土社、1994)により第5回和辻哲郎文化賞受賞。1996年、『時は流れず』(青土社; 著作集第09巻)刊行。その説く哲学は、独自の、「立ち現れ」から説く一元論が特徴である。「私」は「自然」と一心同体であり、主客の分別もない。心身二元論で把握された世界のうち、「物質」についての記述ばかりして来た科学に対し、科学の言葉では、「心」を描写することはできないとする。そして、日常世界と科学の世界は共存しうると大森は主張する。あくまで、科学の可能性と限界を見極め、それとは異なる世界の眺め方を提案する。それが大森の哲学の大要である。野家啓一、藤本隆志、野矢茂樹、中島義道ら現在第一線で活躍中の数多くの日本の哲学者たちを育てることとなった。大森氏は哲学論文に引用注をつけず、あたかも自分の頭から流れ出たような文章で有名であったと、弟子の野家啓一氏が解説で述べられている。大森氏は自前の思索を展開してきた我国では数少ない哲学者であったという。本書「知の構築とその呪縛」の論点は比較的単純で明確である。とりわけ16−17世紀の科学革命期の科学史・思想史に関する事項である。当時の主流を占め、今日でも科学的思考のセントラルドグマであるガリレオ・デカルト流の二元論科学哲学の世界像を破壊することを目的とする。ただ大森氏はどこまで本気だったのか、文学的表現に過ぎないのかは微妙だが、「二元論は物および身体を死物化した」と終始非難する。「死物化」という言葉に悪いイメージをかぶせすぎで、反面「重ね描き」(科学的世界観を日常的世界観で理解する、その逆もしかり)で容易に二元論(デカルトの誤謬)は克服できるという、便利なおまじないを考案するするのである。大森氏の論法にも大きな欠陥が存在する。科学的世界観を非難する材料として、古代的・中世的な非科学的アニミズム・呪術・「物活論」(自然や物にも生命がある)の復活といった、おどろおどろしい(まがまがしい)魑魅魍魎の力を借用してくるのでいやになる。こんな世界の復活は御免こうむりたいのである。つまり大森氏の近代科学文明批判まではそれなりに的を得ているが、代替えの哲学が朦朧としてあやしげなのである。これは中村氏の生命誌研究についてもいえることで、旧態依然とした象牙の塔的研究体制で一人一人の研究者が独創的な研究をやっているというノスタルジーで、アメリカ世界に対抗できるのだろうかという疑問が付きまとう。とかく文明批判は世間の同調を得やすいが、対案が曖昧模糊として、実現可能とは思えない個人的姿勢に還元されるのが常である。

ではガリレオとデカルトの近代科学の系譜が大森氏の言うように、「古来の略画的世界観より、科学革命の推し進めた密画的世界観」という本道から、どこをどう間違えて「自然と身体の死物化」という誤謬に落ちいったのだろうか。ここから大森氏の論理の道筋を追ってゆこう。略画的世界観とは近代科学成立以前の物の見方(宗教的・世俗的・民俗的・倫理的・・・・)のことで、非科学的・擬人的・アニミズム的という言葉でいわれる世界観のことである。それは「目的―因果の混合として出来事を見る」態度であろう。奈良時代の仏教が天皇と藤原家の呪術祈祷師であった時代や平安時代の陰陽学が日常生活を支配していた時代のことである。これは戦国時代の軍師というものがほとんど占い師であった時代まで続いた。歴史を呪術の古代と合理主義の近世とおおまかに2分すると、日本の近世は天皇制が完全に力を失った南北朝以降のことである。天皇制は古代呪術(仏教もそれに含まれる)を精神的バックボーンとし、徳川時代は儒教(朱子学)を背景とするとみられる。大森氏はなぜかこの略画的古代世界観を「彼らは現代の我々にはもはや失われた感性をと存在感覚を持っていた」という。「人間と自然との連続性・同体性」を基盤とする略画的世界観は、西欧ではルネッサンス後の16-17世紀の科学革命で不要なもの(役に立たないもの)として、密画的世界観(科学的)に置き換えられた。略画的世界観から密画的世界観への行程は「文明の過程」として不可避なものであったと大森氏はいう。これはタラレバなしの歴然とした歴史である。科学革命はまさに人体から最も遠い天文学から始まった。望遠鏡の発明とガリレオ、ケプラーの登場となった。ギリシャ時代万学の祖といわれるアリストテレス(前384年 - 前322年)の描いた宇宙像とは同心円状の階層構造として論じられている。世界の中心に地球があり、その外側に月、水星、金星、太陽、その他の惑星等が、それぞれ各層を構成している。これらの天体は、前述の4元素とは異なる完全元素である第5元素「アイテール(エーテル)」から構成される。そして、「アイテール」から成るがゆえに、これらの天体は天球上を永遠に円運動しているとした。さらに、最外層には「不動の動者」である世界全体の「第一動者」が存在し、すべての運動の究極の原因であるとした。イブン・スィーナーら中世のイスラム哲学者・神学者や、トマス・アクィナス等の中世のキリスト教神学者は、この「第一動者」こそが「神」であるとした。これらの考えは、中世のキリスト教に取り入れられ、ブルーノやガリレオの焚殺や弾圧につながったといわれる。長く人々を確信させたアリストテレス宇宙像はガリレオの実証的科学によって崩壊した。哲学者は数学や実験で実証するのではなく、人々を論理とたとえ話で説得する。たとえ話の話術に取り込まれると、比喩に過ぎないはずなのにいつの間にか真実の話の論理(イメージ操作)となって展開するという詐欺的説得術(死物化というマイナスイメージを植え付けるのもその典型)を駆使するのでご用心。話が脇道にそれたのでもとに戻すと大森氏は「密画化のプロセスは、自然の数量化ないしは数学化として特徴づけられる」という。「密画化プロセスは4次元時空間の座標を持つ物体の細密描写がその手段となるが、それ自体は目的ではない」として数量化自体は間違いではないとする。科学革命の決定的な過ちは、ガリレオとデカルトによって対象的世界から感覚的世界が剥離されたことである。ここに「現代の世界観の基底となる根本的な誤解が生まれた」と大森氏は見抜いたという。この大森氏の論点に私は納得できない。

物体から感覚(色・音・匂い・手触りなど)を排除したことを「死物化」と呼び、この死物感は外的自然のみならず、感覚の主体である人間身体にまで及ぶことになる。ここに人間機械論と分子生物学による客観化が起きるのであるという。哲学者のいう「近代科学文明の不安」とは、自然と人間を統一的にとらえないことから発生している。しかし科学の立場からすると、自然及び生物としての人間に本質的な変革を迫ったとすれば、まず極めてあいまいで変幻やまない「霊的なるものの剥離」であり、それによって再現性豊かで確実な自然像がつかめると考えたことが出発点である。そしてそれが大成功したことはこの300年の社会・経済・政治と文化・思想の発展を見れば誰も否定できないと思われる。大森氏はデカルトの2元論的構図が近代科学文明の誤謬であると焦点を絞って、「略画的世界観から密画的世界観へという不可避の路線の上で、迷い込んだ迷路路線」という。2元論がすべてではないにしろ、あいまいで定めがたいものは一度外へ置いて、確実なのもから構成してゆく姿勢は科学の分野では賢明な方法である。たとえば科学が宗教教理にこだわったり、それとの共存や妥協を図ったりすれば、科学は大きな歪みにさらされ到底発展できなかったであろう。感覚については最近の科学の脳科学の発展で多くのことが判明している。特に色彩と目の網膜と後頭部大脳皮質の関連、音響物理と音楽的感動、記憶をつかさどる海馬部、匂いと感情をつかさどる大脳周縁部の働きをかなりわかってきた。こうして少しづつ霊的なものの姿を暗闇から引き出してきた。こうして眺めると魑魅魍魎が住み着いている領域は大脳皮質(前頭部)にあることが分かる。前頭部を高度な情報処理システムとして理解する科学の方法も次第に理解されてきた。脳科学の進歩については数多くの著書があるが、その中から心の闇に迫る茂木健一郎著 「脳と仮想」(新潮社 2004年9月) を挙げておこう。著者茂木健一郎氏はこの本の貢献により新潮社から「小林秀雄賞」を受賞した。異色の脳科学者で人間の経験のうち、科学的に計量できない微妙な感覚質をクオリアと呼んでいる。すなわち脳科学の研究対象になりえない再現性のない個人的な体験も脳の機能から出てくることは違いない。これをクオリアと言って脳内現象として理解しようとする試みであろう。茂木健一郎氏は大脳生理学者でも脳神経医でもない、ソニーコンピューターサイエンス研究所の研究員である。脳機能の暗闇を明確に把握するためには様々なアプローチがあって当然である。1千億個のニューロンのシステムを構造論だけでは理解できないのは当然である。しかも脳は言語・宗教・社会システム・科学等々の人間活動を生み出してきた人間を特性付ける機能を持っている。だからこそ彼は神秘主義に陥ってはいけない一つの方法論を提供しょうとする科学者である。 大森氏がこの迷路路線から脱しようとする方法論は、「重ね描き」の基づいた物活論の復権という戦略である。「知覚と外的対象物というデカルト2元論の構造的欠陥は、分離されたものの重ね描きという見方で訂正しうる」という。そして大森氏の方法の今なお曖昧な点は「現代の密画的世界観に古代中世の略画的描法を重ねうることで、死せる自然を今一度活性化しうる」というのだ。ここは文学的表現(とても本気で言っているようには思えない)であろうが、このまま受け取ると、「魑魅魍魎」を再び登場させる」ことになり、「物活論」は現在の常識ではよく言えば復古的、悪く言えばアナクロニズムの極で正気の沙汰とは思えない。これを近代科学に革命的変革を迫る理念というか知的冒険というか、はたまた哲学者の無意味なたわごとというか、そこで本書の内容をじっくり考えてゆこう。

1) 日本及び世界の古代中世の略画的世界観

略画的世界とは目に見えない不透明な領域に対して、自分の心で理解しなければならない、つまり自然を自分に擬するのである。他人を理解するのも「私に擬して」理解するのである。当たる場合もあり外れる場合もある。自然に耳を傾ければ何かが聞こえてくるという表現がアニミズムであり、大森氏は決して迷信や虚妄ではないという。進化論に関する書物で、人間に擬して目的がありきのような記述(キリンは高いところの葉を食べたいがために首が長くなった式の)は大概でたらめであるが、わからないことを理解するには、自分に擬して憶測することが第1歩となるだろう。この略画的世界観の中で様々な出来事は因果関係ではなく、目的―因果の混合した理解となる。現代においても人文・社会科学での説明は、目的論的な濃度が著しく高くなるのである。その典型は経済政策である。誰もが納得する合理的な政策というものは本来存在せず、まず目的を設定しなければ動かないのだ。経済政策=政治である。そういう意味で経済学は科学ではなく誰かが儲けるための政治である。この略画的世界観の目的ー因果論の循環において、呪術や神や悪霊が跋扈しやすいのである。現代科学が呪術的要素(神の御業)を排除するのは、それが偽りと証明できるからではなく(パスカルは神の存在問題で、確率的に神信じておけば死後損をしないという)、そんなものの手を借りなくとも立派に用を果たすからである。西欧で近代科学が誕生したころ、日本では諸侯が割拠する江戸時代であった。八百万の神にあふれていた古代は当然略画的であったが、科学文明がなかった江戸時代へタイムスリップしよう。江戸時代の支配層である徳川幕府は儒学である朱子学をイデオロギーとした。朱子学は中国宋代に生まれ、理と気という2つの概念を基礎とする。「気」の概念は儒教・道教を通じて中国哲学を貫通する根本概念であった。朱子学は易学の陰陽(相対概念)を引き継いだ。「陰」とは気が凝縮した状態、「陽」とは気が発散した状態を指し、陰陽で自然現象や人間の行動を説明した。「理」は形而上学で「気」は行動である。自然現象を観察してそこから正しい理を洞察し、理に従って行動すれば正しい人間となるという。これを「格物致知」という。朱子学の講義をしても始まらないし私は朱子学を学んだことはないので簡単に済ませたい。江戸時代の荻生徂徠は、理は聖人のこととして棚上げにして道徳を重んじた。大森氏の「死物化」の論理は伊藤仁斎を下敷きにしている。形而上学の「理」は「死道理」で天地は「活道理」という。自然は死物ではなく活物であり、同じく活物である人間と「一元気」において同体であるという。この人間と自然との同体性・連続性は江戸時代の朱子学の世界観であった。つまり江戸時代は略画的世界観に生きていた。しかし伊藤仁斎は形而上学の「理」で天地を理解する朱子学は「天地を死物となす」といい、大森氏は「デカルトの二元論という哲学は、自然を死物化した」という同じ構図をとる。デカルト二元論=朱子学と読み替えれば同じ論理である。そして大森氏は科学革命(細密画化)は不可避の路線であるとして、略画的世界を亡ぼした科学革命を半ば当然の帰結として認めながら、科学革命の推進役であったガリレオ・デカルトは「自然を死物化」したと非難するのである。科学革命とデカルト二元論は別物であって、デカルトが悪いと言いそうであるが、2元論なくして科学革命の別の選択肢があったかどうか、歴史のタラレバをするように矛盾した言い方をする。略画的世界観とは洋の東西を問わず、人間の文明の発展の歴史において、ある条件下で共通した物の見方である。つまり啓蒙思想以前の思想形態である。西欧では16.7世紀の科学革命以前、日本では18世紀の明治維新以前となる。紀元前5、6世紀ごろの古代ギリシャ人は「万物は生きている」と考え、生物・無生物を問わず万物は同じ根源要素からできているという世界観を持っていた。現代物理学ならさしずめ素粒子のことかもしれない。人間の内面にはデモクリトスの原子論も根源的要素として霊魂が用意されていた。エピクロスも人間の霊魂と自然の不死との葛藤に悩んでいた。プラトンにいたって魂と物質が区別されるようになったが魂の不死と輪廻を説いた。アリストテレスの霊魂は近代行動主義心理学のような働きをし不死ではない。生命を有する物体のみが霊魂を持ち、霊魂は動植物に限った。そして生物は目的論的に行動する。ギリシャの無生物も内面の原因に従って変化するという点で、現代の生物像よりはるかに生命的であった。諸物の関係をみるに、類似関係を群、環、体、束といった構造主義パターンで捉えることが流行している。占星術、錬金術、易学は同じ構造を持つといえる。ニュートンの万有引力はヒッグス粒子なのか神なのかも同じ構造である。しかし類同化の試みはことごとく空中分解し錬金術は失敗した。この世には類同化事象は極めて多いし、この見方全般が誤っているとは言えない。大雑把な類同化は根拠もないし、詳細においてはなはだしい誤認に満ちているので行動指針にはならない。だから「細密化」は人間の認識にとって不可避の衝動となった。より詳しく分別し知ることは人間文化の知的本能である。天動説を取ったギリシャのプトレマイオス天文学がガリレオの地動説にとって替わられたのはけだし当然の経過だった。

2) 略画の密画化ーガリレオ近代科学革命

略画の細密化はまず天体について進んだが、地上の物や人体については長い時間を要した。ギリシャのアリストテレスの人体観が支配していた。アリストテレスは心臓中心の考えであり霊魂はそこに宿るとして、脳は調節器官ぐらいに考えていた。むろん神経については考慮に入っていなかった。霊肉分離という考えは、デカルトの動物機械論、ラ・メトリの「人間機械論」に直結した。デカルトの時代ではまだ人体は細密画を描くには至らなかったようだ。ましてやデカルト以前には人体は略画の世界観で充満していた。気に満ちた「霊魂プラウマ」とかいう概念は今では骨董品である。血液循環の提唱者であるハーベイにおいても心臓機能は加熱機関で、肺はラジエーターに過ぎなかった。まるで車のエンジン回りの構成部品のようである。ハーベイの重要性は定量的考察にあって、血液を押し出す動脈と吸い込む静脈の関係に注目し、循環路(血管)を通ってその量(収支)が一致するためには毛細血管連絡が必要だと推定したが、それが顕微鏡で実証されたのは30年後(17世紀後半)マルピーギによってであった。こうしてハーベイはアリストテレスの人体をより細密化することで「整合的」(合理的)にしたのであるが、機械としての役割であって、そこからは生命(霊魂)の役割は消滅していた。科学革命の先端を切ったのは天文学における細密化である。16世紀ティコ、コペルニクス時代の観測精度はまだtanΘにして0.00003の角度であったが、17世紀ガリレオの望遠鏡による細密観察は月、太陽、新星に及んだ。そして旧天文学の不整合性を打ち破った。ガリレオは、物体の運動の研究をするときに実験結果を数学的に記述し分析するという手法を採用した。このことが現代の自然科学の領域で高く評価されている。彼以前にはこのような手法はヨーロッパにはなかった、と考えられている。さらにガリレオは、天文の問題や物理の問題について考える時にアリストテレスの説や教会が支持する説など、既存の理論体系や多数派が信じている説に盲目的に従うのではなく、自分自身で実験も行って実際に起こる現象を自分の眼で確かめるという方法を採った。これを「仮説演繹法」という。それにより現代では「科学の父」と呼ばれている。その業績から「天文学の父」とも称され、ロジャー・ベーコンとともに科学的手法の開拓者の一人として知られる。しかしガリレオとコペルニクスの地動説に対する態度が微妙である。コペルニクス的転回で有名な地動説は、ガリレオは仮説として扱い、教会への配慮から天動説も地動説も相対運動としては同じである(判定は人に任す)という分かりにくい態度をとった。晩年「それでも地球は回る」という言葉との関連が問題である。密画的描法は「仮説」であるが、それは詳細に及ぶほどに全体との整合性(矛盾がないこと)が要求される。確認の取りようもない、取り留めもない描法は妄想であって科学ではない。ガリレオがアリストテレス派の運動学の不整合をあばき、近代科学の発端を開いたのはこの合理的思考法であった。アリストテレス派のシムプリチオは運動学の2つのテーゼを、@媒体の中で、重さの異なる物体は、その重さに比例した速さで運動する、A物体の運動は媒体の密度に反比例する(粘度のこと、真空の否定)と述べた。ガリレオはこの2つのテーゼの論理的帰結を追い自己矛盾することを示した。つまりAの公理は@の公理に反することを示した。(これを公理主義という。むろんニュートン力学では落下速度は重さには関係ないことは自明であるが) ガリレオに限らず詳細に描くということはその時間空間位置の数値的表現が不可欠である。多義性の言葉だけに頼る論理展開はいつもどこかで破たんしている。定義を厳格に抑えていないから段々曖昧になってくるのであるが、数式や数値による表現は変化しないのである。ガリレオは「新科学対話」(1638年)において、幾何学は類別力に優れ、正確に物事を考えるには最も有力な手段であるとのべ、アリストテレス学派の矛盾を暴くに最適な方法だといった。ガリレオはこうして完膚なきまでにアリストテレス学派の略画的世界観を打ち破ったと本書で述べいるのに、なぜ近代科学の欠点を乗り越えるためと称して古代・中世の略画的世界との重ね描きを主張するのだろうか。歴史的展開をしてきた2つの手法区分である略画的世界と密画的世界の弁証法的展開を述べながら、その混合融合を主張するというのは泥縄式の弥縫策に過ぎないのではないか。さらに言えば大森氏はガリレオの科学革命とデカルトの二元論を区別して、ガリレオの数量的表現は是として、デカルトの二元論は「死物化」だという悪いイメージを前面に出して非とするようである。近代科学革命を前期と後期に分けて、前期は良かったが後期は悪くなったとするよくある構図を持ち出しているようだ。それは哲学者ではないガリレオは愛すべきで、哲学者であったデカルトは憎たらしいという、大森氏の同業者の妬みからくると考えるのは考えすぎだろうか。哲学者をそれほど信用していない構図は哲学そのもののいかさま性からくるのだろうか。

3) デカルト二元論批判

ガリレオの科学革命は人間の全世界観を巻き込んだ大事件であったが、それだけでは「思想史」全体の根幹的変化をもたらした中世から現代へという分割線を引く根幹的な変化とはならなかっただろう。それをなしたのがデカルトであると本書はいう。その根幹的思考とは、@世界の客観的描写とは幾何学的・運動学的記述(デカルトの解析幾何学)である、A個々の人間的意識に生じる感覚は客観的世界ではなく主観的世界像の描写である。ここに近代科学の物質概念が明確に示された。それは人間の感覚を伴わないただ幾何学的運動のみがある、まさに「死物」物質である。物質又は物というものの死物性は数学的に表現されることからくるのではなく、数学的表現で十分だと考えることからくるという。科学思想家のコイレは「人間思想の最も奥深い革命の一つである。質の数量的表現は難しく、これを主観的なものとして取り去ることで科学は進歩した」という。デカルトは「たとえば石の堅いとか荒いとかいう概念は物質の本性には必要ではない」として捨ててゆくのである。こうしてガリレオからデカルトに至る死物化された物質観こそが現代科学文明の基本的特徴である。「やさしい葉のざわめき」という表現は文学的であって、葉の植物生理や遺伝子の理解には必要ないものである。こうしてとりとめのない個人的感覚から自由になった科学は普遍性を獲得して細部の研究に没頭できたのである。そしてデカルトの対象は単に外部の事物だけでなく身体も対象とした。人体を見るに感覚を無視したのである。色、音、匂いなどの感覚を説明する科学的因果関係はずいぶん明らかになってきたが、「腹黒い肝臓がん」などの表現は意味をなさないのである。デカルトは物体の多様性が人間の感覚を生み出すのであり、人体に作用して様々な感覚を引き起こすとした。ここで大森氏の科学観は物理学から成り立っているようで、分子化合物をあつかう化学には目を向けていないようだ。物性や感覚を分子から説明できることをご存じない。ガリレオ・デカルトは自然を「数学的宇宙としての自然」と見たことに、彼らの知的革命の本質がある。思想家フッセル(哲学者・数学者でフッサールともいう 現象学で有名)はこの抽象的な数学化の独り歩きを現代思想の危機とみて、現代生活の世界とのもともとのつながりを復活させよと主張する。このフッセルの科学文明批判は間違っていると大森氏はいう。問題提起の構図は同じなのだが、大森氏は数学化は手段(科学の道具)であって必然の過程とみなし、問題は対象物のそぎ取り「死物化」にあるというのである。デカルトは物の本性を3次元の運動とし、「思惟コギト」を対置した。これが二元論といわれ、客観的世界と主観的世界の対置となった。当時デカルトにたして対論を挑んだのは僧正バークリィ(アイルランドの哲学者、聖職者である。主著は『人知原理論』)であった。感覚があるからこそ物質の運動を想うことができるという論を述べたが、デカルトは感覚と運動は別物であるとあっさり反論したという。感覚が捉えるものは必ずしも物の真の姿ではない。それを明らかにするのが科学であるという。これを「感覚の欺き」という。丸を四角にみるごときことである。千人がみれば千通りの見方があるのは御免こうむるというのだ。僧正バークリィとデカルトの議論は私は読んでいないのでこれで割愛するが、ここでバークリィが主張したことは、デカルト2元論では事物の本当の姿は知ることができないという懐疑論・不可知論である。大森氏はデカルトの考えには根本的な欠陥があるという。客観的自然を死物化し、身体をも死物化するので、それにあやふやな心を対置するというである。大森氏はバークリィ氏のデカルト批判をそのまま受け継いでいる。18世紀のイギリス経験論哲学の完成者で、主著に『人間本性論』があるヒューム氏もデカルト・ロックの近代哲学を批判して、「哲学者の2重存在説」といった。2元論をバラバラにして2重存在と捉えたのである。感覚を欠いた形状だけの物体という概念は理解不可能というわけである。ヒュームは「我々の確認する唯一の存在は知覚であり、この知覚があらゆる推定の出発点である」という。かくしてデカルト的二元論はその論論理構造からして不可知論に至らざるを得ないという。ヒュームはバークリィの論を引き継いだ。カントも同じ見解を示した。大森氏はさらにデカルト2元論がはたして近代科学の論理的前提であったかどうかを疑うのである。

4) 物と感覚の一心同体性ー自然の再活性化

デカルトは「人間論」において、人体機械論を想定した。人間は「精神と身体から構成される。そしてその身体は徹底的に物質機械であるという。それをコントロールするのは動物精気という流体(体液、血液といいてもいい)で心臓は加熱器兼ポンプで、肺は冷却装置である。血液は心臓で蒸発し体内を巡り、肺で冷却さえて凝縮するという。これはハーベイの血液循環論であった。骨、神経、筋肉、静脈、動脈、消化器、心臓、肺、脳などはこの機会を構成する部品である。呼吸、嚥下、脈拍などはこの機械の自動運動と理解された。心を支配するのは脳であるという。「方法論序説」でデカルトはこの人体機械を作ることは不可能であるともいう。デカルトは人間の本質を心すなわち精神においた。「理性的精神」はこの機械においては脳の中にあるとした。この人体機械の操縦士は精神であると考えた。知覚についてはデカルトはまったく受動的で「知覚因果説」をとった。すなわち外的物質は心(脳)の中にイメージを作るが、目の前にその像を再構成する仕組みを考えることは不可能であるという「投影の困難」が生じる。我々がみている世界は果たして正常なのだろうか、疑って疑ってもなお疑う自分の存在は疑いえないという「方法論的懐疑」に至った。そして「われ思うゆえにわれあり コギト エルゴ スム」という有名な言葉を吐いたのである。近代科学の知覚因果説では感覚を説明できなと大森氏は言うが、この知覚因果説は確かに困難を持つが脳科学の進歩は著しく「投影の困難」のメカニズムの解明ができるかもしれない。科学はまだ捨てたものではないと私は考える。たとえば鉄の原子を見て、その物性から色、触感などを説明することは可能である。近代科学は実際は「知覚因果説」にこだわってはいないし、不可知論や懐疑論ではないことは確かである。見た通りの知覚像が存在すると考えて行動している。「物」は「知覚像」と同居していると考える。哲学者の暇つぶしの問答に付き合っている暇はないということであろう。あやふやな存在である主観の懐疑、見た物が真実かどうか疑わしい「錯覚論法」の陥穽を脱することは簡単であると通常の科学者はこう考える。見た物と存在の同一性を判定したのではなく、同一と定義しようというのである。それが科学の行動原理なのである。そして前に進んで仮説が誤りならば、是正する。反証可能を科学に重要な特性とみている。そうでなければ宗教上の教義となってしまう。長期間普遍性を獲得した仮説は「セントラルドグマ」というが、科学の仮説にはだれでも異を唱えることができる。いつまでたっても未完のドグマなのである。それが科学の醍醐味なのだ。ラッセルに始まる感覚与件論者とk現象主義者と呼ばれる20世紀の実証主義者でも素粒子論など非感覚的な理論概念は「論理的につくられた概念」として感覚的事実から峻別され、それ以上の疑問を抱かないという暗黙の定義がある。自然科学は原子のような物とその感覚的な姿である知覚像とを同一のものとみなしており、別の物とは考えない。いっぽう「知覚因果説」はヒュームらが指摘したように本質的に懐疑論か不可知論になるはずなのに、科学者は平気である。つまり科学者は「知覚因果論」には全面的には従っていないようだ。十人十色の視覚風景は常に透視風景であるか、遮蔽風景でしか見えていない。これが大森氏の視覚風景の根本性格である。そしてこの透視構造こそ知覚因果説の難点を解く鍵であるという。この構造とは最近のデジカメ映像技術の言葉を借りていえば、多層構造論(フィルター構造)である。変化するものが一番手前の像であり、変化しないものは遠くの風景であるという。物→大脳視床部のやり取りという因果系列に対して、大脳→物を見るのが透視系列であるという。これで投影の困難はないと大森氏はいうが、ここで外の見えるものは心と物の共同作業という「物と感覚の一心同体性」が出てくる。ステレオタイプという社会現象があるが、物を見るということは大脳記憶を参照しながら作り上げるもので、好悪の判断が出てくる。この辺のことは今後の脳科学の進展をまとう。哲学者の想像は当たっている場合もあるが、証拠がないから信じるわけにはゆかない。大森氏は万物有情論にたどりつく。つまり心の働きとは実は自然の働きなのである。心的な自然がさまざまに立ち現れる。私がここに生きているということに他ならない。心は科学に忘れられた存在ではなく、寄り添うべき存在なのであるが結論である。これで科学の反省になっているのだろうか?


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